山口組























山口組

Yamabishi.svg
“山菱”

設立
1915年
設立者
山口春吉
設立場所
日本・兵庫県神戸市兵庫区西出町
本部
〒657-0067
日本・兵庫県神戸市灘区篠原本町4-3-1


北緯34度43分12秒 東経135度13分34.9秒 / 北緯34.72000度 東経135.226361度 / 34.72000; 135.226361座標: 北緯34度43分12秒 東経135度13分34.9秒 / 北緯34.72000度 東経135.226361度 / 34.72000; 135.226361

首領
篠田建市(司忍)
活動期間
1915年 - 現在
活動範囲
1都1道2府39県
構成員数
(推定)

約10,300人(2017年末時点)
┗構成員 約4,700人
┗準構成員等 約5,600人
敵対組織
神戸山口組[1]
任侠山口組

山口組(やまぐちぐみ[2])は、日本の兵庫県神戸市に本部を置く暴力団で、日本最大規模の指定暴力団[3]。組員数は約10,300人(構成員約4,700人、準構成員約5,600人)[4]。山形県と広島県と鹿児島県と沖縄県を除く43の都道府県に系列組織を置いている(2016年末時点)[5]。住吉会、稲川会及び神戸山口組とともに国家公安委員会から主要暴力団に位置づけられている[4]


山口組の組員は1名の「組長」(親分)、数名の「舎弟」(弟分)、および数十名の「若中」(子分)から成る計100人弱に過ぎないが、組長を除く全組員はそれぞれが数十人から数千人の構成員を抱える組織の首領であり、「直参」(直系組長)と呼ばれる。


米経済誌『フォーチュン』の推計(2014年)では、世界のあらゆる犯罪組織の中で屈指の収益力を有する組織であるとされ、麻薬の密売や賭博などの非合法ビジネスによる総収入は年間およそ66億ドル(約7000億円[6])に達する[7]。これはロシアンマフィアに次ぎ、イタリアマフィアの最大組織カモッラを凌ぐ規模にあたる[8]


菱形の中に“山”の文字を描いた“山菱”(やまびし[9])と呼ばれる意匠のマークを組織の標章、いわゆる代紋としている[10]




目次





  • 1 来歴

    • 1.1 黎明


    • 1.2 三代目:急成長


    • 1.3 四代目から21世紀へ



  • 2 綱領と組指針


  • 3 歴代組長


  • 4 歴代若頭


  • 5 六代目山口組

    • 5.1 組長


    • 5.2 執行部


    • 5.3 舎弟


    • 5.4 幹部


    • 5.5 兵庫若中


    • 5.6 大阪若中


    • 5.7 他都道府県若中



  • 6 他団体関係

    • 6.1 友好団体


    • 6.2 非友好団体



  • 7 出典


  • 8 関連項目




来歴



黎明





日露戦争従軍を終えた山口春吉は折から急激な発展を見せていた神戸港に新天地を求め、海運業の労務者となってのち大嶋組に下属。その大嶋組を率いた大嶋秀吉の主従関係を上位に辿ればやがては九州筑豊の吉田磯吉に行き着いた。[11]1930年頃の神戸港


山口春吉が沖仲仕を集めて神戸市内を本拠に結成[12]。のちに“神戸ヤクザの頂点”と言われるに至る大嶋秀吉率いた「大嶋組」の傘下にあっての結成で、およそ50名の労務者を抱える「山口組」として発足[11]。民家に“山口組”の看板を掲げた事務所を兵庫区の西出町内に置いた[13]。1915年(大正4年)のことであった[14]


しばらくは大嶋組の傘下にあって活動したものの、いつしかその勢力は本家の大嶋組を凌ぐものとなり、1925年における山口登の二代目襲名を経て、神戸中央卸売市場の開設に伴う利権を巡り大嶋組と対立、死者を伴う激しい抗争の末に同卸売市場の運搬作業の独占権を得るに至り、1932年をもって大嶋組から独立した[11]



三代目:急成長


1942年における山口登の死後、しばらくは跡目が決することなく組長不在の状態にあったものの、1946年に田岡一雄を首領に据えた三代目体制が発足[11]。この田岡率いる三代目体制下にあって、昭和30年代〔1955〜1964〕から昭和40年代〔1965〜1974〕にかけて日本全国各地へ進出、対立抗争を繰り返しながら急速に勢力を拡大していった[12]


田岡襲名時の山口組の総勢はわずか33人に過ぎないものであった。それが1965年までに、傘下424団体、総勢9450名を数える巨大組織に発展。その間に当事者となった対立抗争は日本の各地を舞台としたもので、「小松島抗争」、「明友会抗争」、「鳥取抗争」、「博多事件」、「広島代理戦争」、「松山抗争」などが主要なそれであった。[11]


警察当局によるいわゆる「第一次頂上作戦」のさなかで直系組長らの脱退と直系組織の解散が相次ぐに至り、一時期弱体化するも、勢力の回復を経て、田岡の死去の前年にあたる1980年までに、2府33県に559団体、1万1800人余の総勢を擁する組織に成長。そうした三代目体制期を築いた田岡は山口組の中興の祖として記憶されるに至った。[11]



四代目から21世紀へ


1984年における竹中正久の襲名によって四代目体制が発足するも、これを不服とした離反勢力を相手とする大規模な抗争(→山一抗争)に突入[12]。その過程で抗争相手の一和会により暗殺された竹中に代わって、抗争が終結するに至った平成元年〔1989〕、傘下山健組を率いた渡辺芳則を首領に据える五代目体制が発足[11]。暴力団対策法施行の年でもあった1992年には、直系組織総数が三代目体制下1963年以来の最大数(120超)を記録した[15]


五代目体制期の1995年1月17日に阪神・淡路大震災が発生すると、渡辺自身の陣頭指揮による組織ぐるみの災害救援活動を展開。その活動は神戸新聞社の記者でさえ『半端なものではなかった』と言わしめた。1997年になると五代目体制開始以来の非常事態と言われた「宅見若頭射殺事件」が発生。この事件は以後の組織に混迷をもたらす未解決の懸案事項となった[11]


2004年から長期休養に入るとともに組織運営の全権を執行部へと委譲していた渡辺であったが、2005年7月に引退を表明。予期なき突然の引退であった。ここに16年間の長きにわたった五代目体制が終焉。そして、若頭の役にあった司忍こと篠田建市の新たな襲名をもって、同年のうちに六代目体制が発足し現在に至っている[11]


2015年8月には、篠田組長の出身母体にあたる名古屋の弘道会と関西地方の山健組を筆頭とする諸団体との不和が表面化し、事実上の分裂事態が発生した[16]。9月には離脱した13団体と新加入した1団体が新組織「神戸山口組」を結成、初会合を開いたと報じられている[17]。分裂後、山口組と神戸山口組のそれぞれの傘下団体が関係する事件が2016年3月までに20都道府県で49件発生しており、警察庁は対立抗争状態と認定している[18]


2016年4月現在、神戸山口組と共に、特定抗争指定暴力団への指定が検討されている[19]


2017年5月には神戸山口組から任侠団体山口組(現・任侠山口組)が分裂したことで、事実上山口組は3団体に分裂した[20]



綱領と組指針


山口組は以下の「綱領」を定めている[21]


山口組は侠道精神に則り国家社会の興隆に貢献せんことを期す。

一、内を固むるに和親合一を最も尊ぶ。

一、外は接するに愛念を持し、信義を重んず。

一、長幼の序を弁え礼に依って終始す。

一、世に処するに己の節を守り譏を招かず。

一、先人の経験を聞き人格の向上をはかる。

この5か条の「綱領」は田岡三代目時代に制定されたもので、定例会などの行事の際に唱和される[22]。加えて、年度ごとに定められる「組指針」がある[23]



歴代組長






























氏名在任期間備考
初代
山口春吉
1915年 - 1925年

2代
山口登1925年 - 1942年
山口春吉の実子
3代
田岡一雄
1946年 - 1981年

4代
竹中正久
1984年 - 1985年

竹中組組長
5代
渡辺芳則
1989年 - 2005年
二代目山健組組長
6代
篠田建市(司忍)2005年 -
弘田組組長、二代目弘道会総裁


歴代若頭


山口組における「若頭」は、「組長」に次ぐナンバー2の立ち位置にあたり、稲川会にいう「理事長」、政党にいう「幹事長」や「書記長」、学校にいう「教頭」に相当する[24]


二代目時代



  • 大長一雄[25]


  • 澄田寿三(1940年- 1942年)

三代目時代



  • 山田久一(1946年 -1950年) - 解任


  • 安原政雄(1950年- 1955年) - 辞任


  • 地道行雄(1955年 - 1968年)※一時期、若頭の役を降りていた期間がある - 解任


  • 梶原清晴(1968年 - 1971年) - 事故死


  • 山本健一(1971年 - 1982年) - 病死

三代目代行時代



  • 竹中正久(1982年 - 1984年) - 四代目山口組組長へ昇格

四代目時代



  • 中山勝正(1984年 - 1985年) - 一和会により暗殺

四代目代行時代



  • 渡辺芳則(1985年 - 1989年)- 五代目山口組組長へ昇格

五代目時代



  • 宅見勝(1989年 - 1997年) - 中野会により暗殺


  • 篠田建市(司忍)(2005年) - 六代目山口組組長へ昇格

六代目時代



  • 高山清司(2005年 - 現在)


六代目山口組


主たる事務所(本部)は兵庫県神戸市灘区篠原本町4-3-1である[26]。一次団体にあたるこの本部「山口組本家」に対し、二次団体の首領は「本家」に直に繋がる組長という意味を込めて「直系組長」あるいは「直参」(じきさん)と呼ばれ、「本家」にあってはそれぞれ、「組長の弟」を意味する「舎弟」(6名)あるいは「組長の子供」を意味する「若衆(若中)」(約80名)の役職名を与えられている[27]。日本全国に散らばるこれら直系組織は「関東・北海道」、「中部」、「大阪北」、「大阪南」、「阪神」、「中国・四国」、ならびに「九州」という7つのブロックに分かたれ、各ブロックの長は執行部から選出される[28]。この「ブロック制」は五代目体制発足直後の1990年に全国の暴力団に先駆けて導入されたもので、当初は「大阪中」のブロックも存在していたものの、2007年にこれが廃された結果、全国7ブロックとなった[29]。各ブロックごとに毎月「ブロック会議」と呼ばれる会合を開いており、各ブロック長は管轄地域の直系組長と執行部との伝達役のような役割を担っている[30]



組長

















役職氏名生年出身団体在任期間
六代目山口組組長

篠田建市(司忍)[26]
1942年01月2日
弘田組、弘道会 名古屋市中村区
2005年7月- 
組長代行(舎弟)

瀧澤孝
1937年7月20日 - 2018年5月9日
國領屋下垂一家、芳菱会 浜松市中区
2005年7月- 


執行部






















































役職氏名二次団体本部
若頭

髙山清司
三代目弘道会(総裁)
名古屋市中村区
舎弟頭・九州ブロック長

青山千尋
二代目伊豆組
福岡市中央区
統括委員長(舎弟)

橋本弘文
(本名:姜弘文)

極心連合会
大阪府東大阪市
本部長・中国・四国ブロック長

森尾卯太男

大同会
鳥取県米子市
舎弟頭補佐
鈴木一彦

旭導会
北海道旭川市
若頭補佐・関東ブロック長

藤井英治
五代目國粹会
東京都台東区
若頭補佐・関西ブロック長

江口健治
二代目健心会
大阪市浪速区
若頭補佐・東海ブロック長

高木康男
(本名:陣内唯孝)
六代目清水一家
静岡市清水区
若頭補佐・中部ブロック長

竹内照明
三代目弘道会
名古屋市中村区
若頭補佐・北陸地区長
野村孝
三代目一会
大阪市北区
若頭補佐・阪神・中国地区長
安東美樹
二代目竹中組
兵庫県姫路市
若頭補佐
津田力
四代目倉本組
和歌山県和歌山市


舎弟














役職氏名二次団体本部
最高顧問
川合康允

川合組
岐阜県大垣市
顧問
青野哲也
七代目一力一家
浜松市南区


幹部










































役職氏名二次団体本部
幹部・組織委員長
高野永次(本名:高次竜)
三代目織田組
大阪市中央区
幹部・北海道地区長
茶谷政雄(本名:茶谷正夫)

茶谷政一家
札幌市白石区
幹部
富田丈夫

國領屋一家
浜松市中区
幹部
清田健二
十代目瀬戸一家
愛知県瀬戸市
幹部・組長付
薄葉政嘉
十一代目平井一家
愛知県豊橋市
幹部・慶弔委員長
能塚恵
三代目一心会
大阪市中央区
幹部
秋良東力

秋良連合会
大阪市浪速区
幹部・四国地区長
加藤徹次
六代目豪友会
高知県高知市
幹部
生野靖道
四代目石井一家
大分県大分市


兵庫若中










役職氏名二次団体本部
若中
野元信孝
三代目岸本組
神戸市中央区


大阪若中


































役職氏名二次団体本部
若中
布川皓二
二代目中西組
大阪府大阪市
若中
里照仁
二代目中島組
大阪府大阪市
若中
山下昇(本名:森尾昇)

極粋会
大阪府東大阪市
若中
鈴川驗二
六代目早野会
大阪府大阪市
若中
吉村俊平
四代目吉川組
大阪府大阪市
若中
新井錠士
二代目章友会
大阪府大阪市
若中

金田芳次
二代目大原組
大阪府大阪市


他都道府県若中






























































































役職氏名二次団体本部
若中
良知政志

良知組
静岡県吉田町
若中
北島虎
二代目杉組
愛知県名古屋市
若中
貝本健

貝本会
愛知県名古屋市
若中
篠原重則
二代目若林組
香川県高松市
若中
田保伸一
二代目昭成会
石川県金沢市
若中
落合勇治(本名:落合益幸)
二代目小西一家
静岡市駿河区
若中
田中三次
三代目稲葉一家
熊本県熊本市
若中
田堀寛
二代目名神会
愛知県名古屋市
若中
塚本修正

藤友会
静岡県富士市
若中
一ノ宮敏彰

一道会
福岡県福岡市
若中
高山誠賢(本名:高山義友希)

淡海一家
滋賀県大津市
若中
山嵜昌之
三代目益田組
横浜市中区
若中
浜田重正
二代目浜尾組
横浜市中区
若中
波入信一
七代目奥州会津角定一家
福島県会津若松市
若中
中山和廣
三代目矢嶋組
愛媛県今治市
若中
佐藤光男

落合金町連合
東京都渋谷区
若中
井上茂樹
二代目大石組
岡山県岡山市
若中
渡部隆
四代目誠友会
北海道札幌市
若中
平松大睦
二代目源清田会
新潟県新潟市
若中
小林良法
三代目心腹会
徳島県徳島市
若中
森健司
三代目司興業
愛知県名古屋市
若中
杉山志津雄
三代目愛桜会
三重県四日市市


他団体関係



友好団体


司忍率いる六代目体制に入って以降の山口組は、『盃外交』と呼ばれる活発な他団体交流を展開し、かつての反目組織をすら含む日本各地の暴力団組織と友好関係を築いてきた[31]


  • 三代目浅野組 - 組長・串田芳明は司忍の代紋違いの舎弟。


  • 松葉会 - 団体同士の親戚縁組。


  • 双愛会 - 会長・塩島正則を司忍が後見。

  • 五代目共政会 - 会長・守屋輯を司忍が後見。

  • 三代目福博会 - 会長・長岡寅夫を司忍が後見。


  • 東亜会 - 会長・金海芳雄を司忍が後見。

  • 三代目侠道会 - 会長・池澤望と神戸山口組若頭・寺岡修が五分兄弟分。

  • 二代目親和会 - 会長・吉良博文と六代目山口組伊豆組相談役・光安克明が五分兄弟分。

  • 六代目会津小鉄会 - 会長・馬場美次を六代目山口組若頭・髙山清司が後見。

  • 七代目合田一家 - 総長・温井完治を髙山清司が後見。

  • 八代目酒梅組 - 組長・南喜雅を髙山清司が後見。


  • 稲川会 - 稲川会三代目山川一家総長・内堀和也と六代目山口組若頭補佐三代目弘道会組長・竹内照明が五分兄弟分。


  • 住吉会 - 西口茂男総裁、福田晴瞭住吉一家七代目総長が司忍の出所祝いを送る。


非友好団体


関東地方を本拠地とする住吉会は六代目山口組と数多の抗争事件を引き起こしてきたが、組長の司忍が出所した2011年をもって正式な組織間交際関係を樹立[32]。山口組関係者の言によれば、六代目山口組が組織ぐるみの縁を持たないのは、工藤会と道仁会のみである[33]。山口組は2006年の7月からIDカードを用いたセキュリティ認証機構を総本部に導入、前代未聞の事態であるとして注目を集めたが、これは総本部への道仁会による攻撃を警戒してのものであったのだという〔同時期に道仁会との激しい抗争に突入した新勢力(→九州誠道会)が山口組と親交を有していた。〕[34]



出典


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  1. ^ 平成28年の暴力団情勢 (PDF) 警察庁組織犯罪対策部 2017年3月、2017年5月2日閲覧


  2. ^ 『Police of Japan 2011, Criminal Investigation : 2. Fight Against Organized Crime』 2009年 警察庁 (英語) ― p.21 “ヤマグチグミ”(Yamaguchi-gumi)


  3. ^ 『山口組(ヤマグチグミ)とは』 デジタル大辞泉 - コトバンク

  4. ^ ab平成29年における組織犯罪の情勢 (PDF) 警察庁組織犯罪対策部 2018年、2019年1月2日閲覧


  5. ^ 『山口組分裂、有力団体が脱退 新組織結成か、抗争警戒』 共同通信 2015年8月27日 ライブドアニュース


  6. ^ 『創設100年の指定暴力団・山口組、組織支えるスゴ腕経営』 2015年1月26日 朝鮮日報


  7. ^ 『美媒:全球5大幫派山口組最賺 年削2.4兆』 2014年9月16日 自由時報 (中国語)


  8. ^ 『The 5 biggest organized crime groups in the world』 2014年9月14日 フォーチュン (英語)


  9. ^ 『Joint work : The sixth generation Yamaguchigumi』 2008年2月6日 溝口敦 (英語) ― “Then Yamabishi(ヤマビシ) moved〔その時、山菱は動いた〕


  10. ^ 『暴力団』 : “山口組の組織とカネ” (p.24) 溝口敦 2011年 新潮新書 ISBN 978-4-10-610434-3

  11. ^ abcdefghi『六代目山口組完全データBOOK』 : “山口組に君臨した歴代組長の肖像” (p.219-235) 2008年 メディアックス ISBN 978-4-86201-328-6

  12. ^ abc『平成5年 警察白書:第1節 暴力団の実態>3 指定暴力団の実態>(1) 五代目山口組』 1993年 警察庁


  13. ^ 『もう一つの日本 山口組』 (p.85) 飯干晃一 1990年 角川書店 ISBN 978-4041464267


  14. ^ 『平成11年 警察白書:第4章 暴力団総合対策の推進>1 50年の歩み』 1999年 警察庁


  15. ^ 『山口組直系組長が激減 会費重荷で引退・除籍も』 2013年10月5日 神戸新聞


  16. ^ 【山口組分裂】新組織は「神戸山口組」か、総本部は山健組など13団体を絶縁・破門に(1/2ページ) 2015年8月27日 MSN産経ニュース


  17. ^ ついに新組織発足か 離脱13団体、トップに山健組組長 2015年9月6日 MSN産経ニュース


  18. ^ 『警察庁 山口組分裂巡る対立抗争状態と認定』 2016年3月7日 NHK


  19. ^ “神戸山口組…15日に「指定暴力団」へ(兵庫県)”. 鹿児島読売テレビ. 2016年4月14日閲覧。


  20. ^ 神戸山口組から新組織「任侠団体山口組」結成…内紛の可能性も - 産経ニュース、2017年5月1日配信・閲覧


  21. ^ 『日本最大の暴力団「山口組」、創設100年を迎える』 2015年1月28日 中国網


  22. ^ 『司忍六代目山口組の厄病神は二代目若林組』 2013年12月5日 四国タイムズ


  23. ^ 『「窮すれば通ず」山口組が結束固め』 2014年 FACTA


  24. ^ 『暴力団』 : “山口組の組織とカネ” (p.22) 溝口敦 2011年 新潮新書 ISBN 978-4-10-610434-3


  25. ^ 『山口組三代目 1野望篇』 (p.43) 飯干晃一 1982年 徳間文庫 ISBN 4-19-597344-9

  26. ^ ab平成27年の暴力団情勢 (PDF) 警察庁組織犯罪対策部 2016年2月25日、2016年3月11日閲覧


  27. ^ 『暴力団』 : “山口組の組織とカネ” (p.21-22) 溝口敦 2011年 新潮新書 ISBN 978-4-10-610434-3


  28. ^ 『暴力団』 : “山口組の組織とカネ” (p.23) 溝口敦 2011年 新潮新書 ISBN 978-4-10-610434-3


  29. ^ 『六代目山口組完全データBOOK』 : “山口組の組織内部に新たな動き ブロック制改革の真相” (p.72) 2008年 メディアックス ISBN 978-4-86201-328-6


  30. ^ 『六代目山口組完全データBOOK』 : “山口組の組織内部に新たな動き ブロック制改革の真相” (p.73) 2008年 メディアックス ISBN 978-4-86201-328-6


  31. ^ 『山口組幕府論:盃外交の意味』 2007年12月17日 猪野健治


  32. ^ 『山口組、住吉会が対立解消で末端組員が落ちて行く』 2011年5月23日 溝口敦


  33. ^ かつては住吉会も含まれていた―『山口組幕府論:盃外交の意味』 2007年12月17日 猪野健治


  34. ^ 『山口組幹部に組員証』 2006年7月23日 スポーツ報知 および 『山口組が幹部に「組員証」 九州の抗争を警戒?』 47NEWS 2006年7月22日 共同通信



関連項目


  • 神戸芸能社

  • 麻薬追放国土浄化同盟

  • 山口組四代目跡目問題

  • 山口組五代目跡目問題

  • 一和会

  • 山一抗争

  • 神戸山口組

  • 任侠団体山口組


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