耶律涅魯古


耶律涅魯古(やりつ でつろこ、生年不詳 - 1063年)は、遼(契丹)の皇族。



経歴


耶律重元の子として生まれた。興宗は涅魯古を一目見て、「この子の目には反相がある」と言ったとされる。重熙11年(1042年)12月、安定郡王に封じられた。17年(1048年)11月、楚王に進み、惕隠となった。清寧元年(1055年)12月、呉王に徙封された。2年(1056年)11月、楚国王に進んだ。3年(1057年)2月、武定軍節度使として出向した。7年(1061年)6月、知南院枢密使事となった。


9年(1063年)、父の重元が病にかかったといつわり、道宗が見舞いに訪れたところを狙って、弑逆をおこなおうと計画した。7月、道宗は耶律良の提案を用い、人を派遣して涅魯古を召した。涅魯古は計画が漏れたとさとって、兵を率いて行宮を襲撃した。南院枢密使の耶律仁先らが宿衛の兵を率いて涅魯古を迎え討った。涅魯古は馬を躍らせて突進したが、渤海近侍詳穏の耶律阿思や護衛の蘇に射殺された。



伝記資料


  • 『遼史』巻112 列伝第42 逆臣上

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