白羊朝




白羊朝







ティムール朝
黒羊朝

1378年 - 1508年

サファヴィー朝

白羊朝の国旗
(国旗)


白羊朝の位置
白羊朝の最大版図(ウズン・ハサンの時代)





首都

タブリーズ
君主







1378年 - 1435年

カラ・ユルク・オスマン(初代)

1453年 - 1478年

ウズン・ハサン

変遷






成立

1378年
滅亡
1508年




白羊朝が赤、薄オレンジがウズン・ハサンの征服地、黄緑が属国

























































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イスラーム共和国

白羊朝(はくようちょう、ペルシャ/アゼリー語:آق قویونلو)は、チグリス川上流域を中心に東部アナトリアからイラン西部を支配したテュルク系のイスラム王朝(1378年 - 1508年)。王朝の基礎となったのはトゥルクマーンと呼ばれるテュルク系遊牧民で、バヤンドル部族から出た君主を中心とする部族連合をもととする遊牧国家であった[1]。日本語名として広く用いられている白羊朝は、トルコ語でこの部族連合がアク・コユンル(Akkoyunlu)、すなわち「『白い羊』に属する者」と呼ばれたことに由来する直訳名称である。




目次





  • 1 歴史


  • 2 歴代君主


  • 3 系図


  • 4 脚注


  • 5 参考文献




歴史


バヤンドル部族は14世紀半ばまでに東部アナトリアのディヤルバクルを中心とする地域で勢力を蓄え、部族連合を形成した[1]。実質上の王朝の始祖となるカラ・ユルク・オスマンは、ティムールが東部アナトリアに侵攻してきた際にティムール朝に服従し、ディヤルバクル地方の支配権を認められて勢力を確立した。また、トレビゾンド皇帝のアレクシオス3世は自分の妹のマリア・デスピナをファクルッディーン・クトゥルグに嫁がせ[2]、アレクシオス3世自身の娘のテオドラをカラ・ユルク・オスマンに嫁がせることで関係を構築した。


しかし、1405年にティムールが没するとティムール朝と敵対して勢力を衰えさせていたライバルの黒羊朝部族連合が勢力を拡大させ、1435年にはカラ・ユルク・オスマンが黒羊朝との戦いで戦死した。


その後、黒羊朝とティムール朝がアゼルバイジャンおよびイラン西部の支配を巡って激しく争うとその間隙を縫って再び勢力を拡大し、1453年に即位した英主ウズン・ハサンのもとで最盛期を確立した。ウズン・ハサンは、はじめ黒羊朝の最盛期を築いたジャハーン・シャーに服属していたが、黒海岸のキリスト教国トレビゾンド帝国の皇女と結婚して同盟を結んで勢力を蓄える[3]。1467年にウズン・ハサンはムーガーン平原でジャハーン・シャーを急襲して殺害、それから数年のうちに黒羊朝の旧領を併呑した。1469年にはティムール朝のアブー・サイードを破ってイラン西部における覇権を確立し、東部アナトリアからイラク、アゼルバイジャン、イラン西部にまで及ぶ大帝国を築き上げる[4]


しかし、同時期にアナトリア西部から中部では、コンスタンティノポリスを征服し、今度はアナトリアの併呑を目指して東進していたオスマン帝国のメフメト2世の力が伸びつつあった。1473年、ウズン・ハサンはバシュケントの戦いでメフメト2世の大軍を迎え撃ち、精強な遊牧民の騎兵をもってよく善戦するが、オスマン帝国の誇る火器で装備された強力な常備軍の前に敗れた。戦後すぐに和平が結ばれてユーフラテス川が国境に定められ、領土の損失は少なかったものの、この敗戦により白羊朝の威信はおおいに没落する[5]。ウズン・ハサンは王族の反乱に悩まされ、1478年にウズン・ハサンが没すると王位を巡る争いが起こって王朝は混乱した。


ウズン・ハサン死後の王位争いを制したヤアクーブが1490年に没すると、もはや白羊朝に統一が戻ることがなかった。領内の各地にはそれぞれ王族が自立して相争い、白羊朝は急速に自壊していった。


1501年、アルダビールに本拠地を置く神秘主義教団サファヴィー教団の教主イスマーイールが教団員の遊牧民を糾合し、白羊朝の一族からタブリーズを奪った。白羊朝の王族たちは1508年までにイスマーイールによって全て追われ、白羊朝は滅亡した。


白羊朝にかわり、新たにアゼルバイジャン・イランの統治を確立したイスマーイールのサファヴィー朝も、その主力の軍隊はかつて白羊朝を支えた遊牧民たちであった。キズィルバシュと呼ばれた彼らの力により、サファヴィー朝はイラン全域を支配する王朝に発展することになる。



歴代君主



  1. カラ・ユルク・オスマン(1378年 - 1435年)


  2. ハムザ(1435年 - 1444年)


  3. ジャハーンギール(1444年 - 1453年)


  4. ウズン・ハサン(1453年 - 1478年)


  5. ハリール(1478年)


  6. ヤアクーブ(1478年 - 1490年)


  7. バイソンクル(1490年 - 1493年)


  8. ルスタム(1493年 - 1497年)


  9. アフメト・ゴウデ(1497年)


  10. ムラト1世(1497年 - 1498年)


  11. アルワンド(1498年 - 1504年)


  12. メフメト・ミルザ(1498年 - 1500年)


  13. ムラト1世(再位、1502年 - 1508年)


系図




































































































































































































































































































 
 
 

カラ・ユルク・オスマン1
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

ハムザ2
 
アリー・ベグ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

ジャハーンギール3
 

ウズン・ハサン4
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ムハンマド
 

ハリール5
 
マクスード
 
 
 

ヤアクーブ6
 
 
 
 
 
ユースフ
 
ハリマ
(アーラム・シャオ)
 
シャイフ・ハイダル
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

アフメト・ゴウデ9
 
 
 
 
 

ルスタム8
 

バイソンクル7
 

ムラト1世10, 13
 

アルワンド11
 

メフメト・ミルザ12
 
イスマーイール1世
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
サファヴィー朝
 


脚注



  1. ^ ab羽田正 2002, p. 189.


  2. ^ 那谷敏郎 1990, p. 49.


  3. ^ 羽田正 2002, p. 190.


  4. ^ 羽田正 2002, pp. 190-191.


  5. ^ 羽田正 2002, p. 191.



参考文献


羽田正 (2002). 永田雄三. ed. 『西アジア史 2 イラン・トルコ』収録「東方イスラーム世界の形成と変容」. 山川出版社. ISBN 9784634413900. 
那谷敏郎 (1990). 『三日月の世紀-「大航海時代」のトルコ、イラン、インド-』. 新潮社. ISBN 4106003805. 







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