レアル・マドリード
























レアル・マドリード

Escudo real madrid 1941b.png
原語表記
Real Madrid Club de Fútbol
愛称
Blancos(白)
Merengues(メレンゲス)
Vikingos, Real(王立の)
El Blanco(エル・ブランコ 白い巨人)
El Madrid(エル・マドリード)
Los Galacticos(ロス・ ガラクティコス 銀河系軍団)
クラブカラー
    白(ホワイト)
所属リーグ
リーガ・エスパニョーラ
所属ディビジョン
プリメーラ・ディビシオン
ホームタウン
マドリード州マドリード
ホームスタジアム
Santiagobernabeupanoramav3.jpgエスタディオ・サンティアゴ・ベルナベウ
収容人数
81,044
代表者
スペインの旗 フロレンティーノ・ペレス
監督
アルゼンチンの旗 サンティアゴ・ソラーリ
公式サイト
公式サイト


















ホームカラー














アウェイカラー














サードカラー


■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ

レアル・マドリード・クラブ・デ・フットボール(西: Real Madrid Club de Fútbol)は、スペインのマドリードをホームタウンとするスポーツクラブ。通称はレアル・マドリード(Real Madrid)であり、サッカー部門ではスペイン国内のプロサッカーリーグであるリーガ・エスパニョーラに加盟する。




目次





  • 1 概要

    • 1.1 下部組織について


    • 1.2 経営について



  • 2 呼称


  • 3 クラブの歴史

    • 3.1 創成期


    • 3.2 サンティアゴ・ベルナベウ会長時代


    • 3.3 ルイス・デ・カルロス会長時代


    • 3.4 ラモン・メンドーサ会長時代


    • 3.5 ロレンソ・サンス会長時代


    • 3.6 第1次フロレンティーノ・ペレス会長時代


    • 3.7 ラモン・カルデロン会長時代


    • 3.8 第2次フロレンティーノ・ペレス会長時代



  • 4 タイトル

    • 4.1 国内タイトル


    • 4.2 国際タイトル


    • 4.3 国内タイトル(非公式大会)


    • 4.4 国際タイトル(非公式大会)


    • 4.5 過去の成績



  • 5 現所属メンバー

    • 5.1 所属選手


    • 5.2 ローン移籍


    • 5.3 チームスタッフ



  • 6 歴代会長


  • 7 歴代監督


  • 8 歴代所属選手


  • 9 クラブ記録

    • 9.1 出場試合数


    • 9.2 総得点数


    • 9.3 移籍金


    • 9.4 各種クラブ記録


    • 9.5 各種個人記録


    • 9.6 個人タイトル


    • 9.7 年間最優秀監督賞



  • 10 ユニフォーム

    • 10.1 メーカーと胸スポンサー



  • 11 エンブレム


  • 12 その他

    • 12.1 他クラブへの影響


    • 12.2 メディア


    • 12.3 ファン



  • 13 脚注

    • 13.1 注釈


    • 13.2 出典



  • 14 参考文献


  • 15 関連項目


  • 16 外部リンク




概要


1902年に創立。現在のホームスタジアムはエスタディオ・サンティアゴ・ベルナベウ。現在はリーガ・エスパニョーラのプリメーラ・ディビシオンに所属し、同リーグにおいて33回の最多優勝記録を持つほか、FCバルセロナとアスレティック・ビルバオと共にリーガ・エスパニョーラの創立以来、一度もプリメーラ・ディビシオンから降格したことがないクラブでもある。さらに2019年の時点で6クラブのみであるビッグイヤーの永久保持を認められた史上初のクラブである。


獲得した国際タイトルは、UEFAチャンピオンズカップおよびUEFAチャンピオンズリーグにおいて歴代最多となる計13回の欧州制覇、さらにラ・ペケーニャ・コパ・デル・ムンド、インターコンチネンタルカップおよびFIFAクラブワールドカップにおいても歴代最多となる計9回の世界一を誇る。


2016年には、世界有数の経済誌『フォーブス』によるスポーツチームの資産価値の格付けにおいて36億5000万ドルと算出されており、2013年から2015年まで世界一の資産価値のクラブとなっていた[1]


スペインサッカー連盟は1909年に創設されたものであり、同クラブ創設当初のスペインにはサッカーを統括する団体が存在しなかった。また、当時は同クラブが唯一のサッカー団体であったため、スペインを代表してFIFAの創設メンバーに名を連ねた。




エル・クラシコの様子(2009年)


同じスペインのFCバルセロナとアトレティコ・マドリードの両クラブとはライバル関係にある。FCバルセロナとの対戦はエル・クラシコ (El Clásico) と呼ばれ、100年以上に渡り因縁の対決を続けている。同じマドリードを本拠地とするアトレティコ・マドリードとの対戦はマドリードダービー (El Derbi Madrileño) と呼ばれる[注 1]。首都マドリードに本拠地を置いているレアル・マドリードは、歴史的な背景からカタルーニャやバスクなどの地域のクラブから強い対抗心を抱かれている[2]


また、サッカーのクラブチームのほか、バスケットボールのクラブチームも持つ総合スポーツクラブである。スペインバスケットボールリーグ1部リーガACBのレアル・マドリード・バロンセストがそれであり、ユーロリーグにおいて歴代最多となる計9回の優勝、さらにインターコンチネンタルカップ においても歴代最多となる計5回の優勝を誇る。



下部組織について


Bチームであるレアル・マドリード・カスティージャを始めとしたラ・ファブリカ(La Fábrica, 工場の意)と呼ばれるユースチームも運営しており、これまで国内外で活躍する多くの選手を輩出している。1979-80シーズン、カスティージャCFはコパ・デル・レイ決勝に進出してレアル・マドリードのトップチームと決勝戦を戦い、下部組織出身者をチームの中心に据えた1980年代はリーガ・エスパニョーラ5連覇を果たした。


しかし、レアル・マドリードは他のクラブから有名選手を獲得することが多く[3]、2000年にフロレンティーノ・ペレスが会長に就任して以降はその傾向が特に顕著となったため、トップチームに定着する下部組織出身者は非常に少ない。元カスティージャCF出身の選手であり、下部組織の総責任者を務めていたミチェルは、2008年にクラブのカンテラ軽視を理由に辞職している[4]


以降はカンテラから直接のトップチーム昇格を目指すのではなく、レンタル移籍または買い戻しオプションを付けたうえで他クラブに放出したうえで、そこでの武者修行を経て印象的な活躍を見せた選手を復帰させるという方針に転換し[5]、この方法でレアル・マドリードに復帰して主力に定着した選手もいる。またカンテラから直接のトップチーム昇格は依然として困難な道ではあるが、ヘセ・ロドリゲスやナチョは他クラブを経由せずにトップチームの主力に定着するなど、以前よりは改善傾向にある。



経営について





フロレンティーノ・ペレスは優れた経営手腕により多大な利益をもたらしたが、一方でスポーツ面での批判も多かった[6]


デロイト・フットボール・マネー・リーグによれば世界一収入のあるフットボールクラブであり、2012-13シーズンの経営収入は5億1890万ユーロである[7]
。その内訳はスタジアム収入が1億1900万ユーロ、テレビ収入が1億8830万ユーロ、マーケティング収入が2億1160万ユーロとなっている。クラブブランドや潤沢な資金力を活かして、これまで多くの大物選手の獲得に成功している。


特筆すべきものとして、レアル・マドリードはいち早くプレシーズンのワールドツアーを採用し、PRも兼ねて大きな資金を得た。また、多くの場合選手に対して肖像権の半分をクラブ側が持つという契約を提示するため[8][9]、ユニフォームなどのグッズ売り上げ以外にも所属選手による収入がある。リーガ・エスパニョーラの放映権収入に関しては、現在レアル・マドリードとFCバルセロナの2クラブで約半分を独占する形になっており、経済格差やそれを背景としたリーグの2強化も相まってこの分配システムには不満の声が多く上がっている[10]


イギリスメディアが2012年に公表した調査によると、レアル・マドリードの平均年俸は約779万ドルであり、FCバルセロナに次いで、世界で2番目に平均年俸が高いクラブであることが判明した。これはアメリカのスポーツチームで最も平均年俸が高いロサンゼルス・レイカーズやニューヨーク・ヤンキースよりも高い給与水準である[11]


エミレーツ航空やアブダビ国立銀行とスポンサー契約を行ったレアル・マドリードは、イスラム圏の文化を尊重してファンの拡大を狙い、エンブレムにある十字架を除く微調整を施した[12]


2015年3月28日に中国の電動バイクメーカーの緑源(リューヤン)とスポンサー契約を締結したと発表した[13]。中国企業とスポンサー契約を結ぶのは初めて。



呼称


当クラブの日本語公式サイトでは、「レアル・マドリードC.F.」および「レアル・マドリード」を用いている[14]。しかし、Real Madrid Club de Fútbol を一般的なスペイン語では [real maˈðɾið kluβ de ˈfutβol]アル・マド(ドゥ)・クブ・デ・(トゥ)ボル」と発音することや、欧州サッカー連盟 (UEFA) の日本語公式ウェブサイトで「レアル・マドリーCF」および「レアル・マドリー」を使用している[15]ため、「レアル・マドリー」を用いるマスメディアもある[注 2]。その他、英語風に「レアル・マドリッド」と表記するマスメディアもあり[16]、日本語表記は統一されていない。なお、当クラブが所在するマドリード首都圏では [real maˈðɾiθ]アル・マドース」と発音する(→マドリード#名称参照)。Real は「王の」「王立の」という意味で、英語のroyalにあたる。


愛称および略称は、チームカラーの白をとってエル・ブランコ(El Blanco)やメレンゲ(Merengue)。その他にも、年代ごとにそれぞれ特殊な愛称も存在する。アルフレッド・ディ・ステファノらスタープレイヤーを擁してUEFAチャンピオンズカップ5連覇を成し遂げた1950年代後半は一般的にエポカ・ドラダ(Epoca Dorada, 黄金時代)と表現され[17]、8度のリーガ・エスパニョーラ優勝を成し遂げた1960年代はビートルズの楽曲、シー・ラヴズ・ユーの歌詞より[18]イエイエ・マドリード(Yé-yé Madrid)[注 3]、リーグ5連覇を成し遂げた1980年代後半から1990年代初頭のチームは、エミリオ・ブトラゲーニョの愛称である「エル・ブイトレ(El Buitre)」からキンタ・デル・ブイトレ(Quinta del Buitre, ハゲワシ部隊)と呼ばれた。2000年代前半から中盤の第一次ペレス会長時代は、在籍している選手の豪華さからギャラクティコス(Los Galácticos)とも呼ばれていた。


日本のメディアでは『レアル』、「エル・ブランコ」を意訳した『白い巨人』、「ロス・ガラクティコス」を訳した『銀河系軍団』という呼び名も用いられる。なお、スペインでは定冠詞をつけた『El Madrid』(エル・マドリード)が多く使われており、アトレティコ・マドリードは「アトレティコ」と略している。



クラブの歴史



創成期


1895年、オックスフォード大学やケンブリッジ大学の卒業生がマドリードにフットボール・スカイ(Football Sky)というクラブを設立。1900年に分裂し、ニュー・フットボール・クラブ(New Foot-Ball de Madrid)とフリアン・パラシオス会長のエスパニョール・デ・マドリード(Club Español de Madrid)という2クラブが新たに生まれた。そして、1902年にフアン・パドロスが会長となり、レアル・マドリードの前身のクラブであるマドリード・フットボール・クラブ(Madrid Foot-Ball Club)が誕生した。





1907年のチーム[19]


1902年はコパ・デ・ラ・コロナシオンに出場。1905年には初のタイトルであるコパ・デル・レイ優勝を達成し、1908年まで同大会を4連覇した。1910年にはアーサー・ジョンソンがクラブ史上初の監督に就任。1912年3月3日、サンティアゴ・ベルナベウがトップチームの試合に初出場[20]し、同年にはクラブ史上初のホームスタジアムであるオドネル・スタジアムが建設された[21]。1914年にはレネ・ペティトが、1916年にはエドゥアルド・テウスがトップチームの試合に初出場した。1917年にはコパ・デル・レイ優勝を達成。




チームのキャプテンを務めたベルナベウは、後に会長としてR.マドリードを世界的なクラブへと導いた。


1920年6月29日、アルフォンソ13世に「レアル」の称号を拝領したことでクラブ名がレアル・マドリードとなり、クラブのエンブレムにもブルボン家を象徴する王冠が加えられた[22]。「レアル」の名を授けられたことによりクラブ会員が急増したため、オドネル・スタジアムよりも大きなスタジアムを建設[23]し、1924年にエスタディオ・チャマルティンが完成。1928年にはマヌエル・アナトルを獲得。1929年からリーガ・エスパニョーラが開幕し、最初のシーズンとなった1929シーズンは2位に終わった。


1930年にはリカルド・サモラを獲得。1931年にアルフォンソ13世が国外に亡命したことによって、その後の約10年間に渡りエンブレムの王冠と共にクラブ名から「レアル」の称号を外され、クラブ名がマドリードCFとなる。同年にはマヌエル・オリバレス、ジャシント・キンコセス、シリアコ・エラスティ、ルイス・レゲイロを獲得し、1931-32シーズンはリーグ戦にて無敗を記録して初のリーガ・エスパニョーラ優勝を達成[24]。1932年にはジョゼップ・サミティエールを獲得し、1932-33シーズンはリーガ・エスパニョーラ2連覇を果たした。1933-34シーズンと1935-36シーズンにはコパ・デル・レイ優勝を達成するが、1936年にスペイン内戦が勃発し、1939年までリーガ・エスパニョーラは中断を余儀なくされた。1939年にはフアン・アントニオ・イピーニャ、サビノ・バリナガを獲得。



サンティアゴ・ベルナベウ会長時代


1943年にサンティアゴ・ベルナベウが会長に就任。1944年にはスペイン内戦の影響で廃墟と化した[25]エスタディオ・チャマルティンに代わるスタジアムであるヌエボ・エスタディオ・チャマルティンを起工した[注 4]。1945-46シーズンにはコパ・デル・レイ優勝を果たした。1946年にはルイス・モロウニーを獲得し、1946-47シーズンはコパ・デル・レイ2連覇を達成。1947-48シーズンにはコパ・エバ・ドゥアルテ優勝を果たす。1948年にはミゲル・ムニョス、パイーニョを、1949年にはフアン・アロンソを獲得。


1951年にはADプルス・ウルトラからホセ・マリア・サラガを昇格させた。1952年にはラ・ペケーニャ・コパ・デル・ムンドにて優勝を達成。1953年にはアルフレッド・ディ・ステファノ、フランシスコ・ヘントを獲得し、ADプルス・ウルトラからエンリケ・マテオスを昇格させた。特にディ・ステファノの獲得はアトレティコ・マドリード、FCバルセロナ、アスレティック・ビルバオの3強だった当時のリーガ・エスパニョーラの勢力図を塗り替えた[20]。1953-54シーズンはリーガ・エスパニョーラ優勝を達成。1954年にはエクトル・リアル、マルキートスを獲得。1954-55シーズンはシーズン途中にホセ・ビジャロンガが監督に就任し、当時のリーグ史上最多となる勝ち点46を記録[26]してのリーガ・エスパニョーラ2連覇を果たす。1955年1月4日、ヌエボ・エスタディオ・チャマルティンの名称をエスタディオ・サンティアゴ・ベルナベウに改称した。




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ドミンゲス

マルキートス

サンタマリア

パチン

ビダル


サラガキャプテン

カナリオ

D.ソル

D.ステファノ

プスカシュ

ヘント



1960年5月18日に行われたUEFAチャンピオンズカップ 1959-60決勝、アイントラハト・フランクフルト戦のスターティングメンバー。


黄金時代を築いたディ・ステファノとプスカシュ。


1955-56シーズンはラテン・カップ優勝、さらに同シーズンから始まったUEFAチャンピオンズカップにて優勝を果たす。1956年にはレイモン・コパを獲得し、フアン・サンティステバンを下部組織から昇格させた。1956-57シーズンはラ・ペケーニャ・コパ・デル・ムンド優勝、リーガ・エスパニョーラ優勝、UEFAチャンピオンズカップ2連覇を果たした。1957年にはルイス・カルニグリアが監督に就任したほか、ホセ・サンタマリア、ロヘリオ・ドミンゲスを獲得し、1957-58シーズンはラテン・カップ優勝、リーガ・エスパニョーラ2連覇、UEFAチャンピオンズカップ3連覇を達成した。1958年にはフェレンツ・プスカシュを獲得し、1958-59シーズンはUEFAチャンピオンズカップ4連覇を果たす。1959年にはジジを獲得し、1959-60シーズンはシーズン途中にミゲル・ムニョスが監督に就任したほか、ルイス・デル・ソルを獲得。同シーズンはリーガ・エスパニョーラにおけるホームゲームで全勝を記録し、FCバルセロナと勝ち点46で並ぶも得失点差により優勝を逃すが、UEFAチャンピオンズカップでは5連覇を達成した。この5年間のUEFAチャンピオンズカップでは、合計17試合のホームゲームにおいて全て勝利を収めており[27]、これらの実績を残した当時のチームはエポカ・ドラダと表現された。


1960年にはホセ・ビセンテ・トラインを獲得。1960-61シーズンは当時のクラブ史上最多連勝記録である公式戦15連勝を記録[28]したほか、当時のリーグ史上最多となる勝ち点52を記録してのリーガ・エスパニョーラ優勝を果たし、さらに同シーズンから始まったインターコンチネンタルカップにて優勝を達成。


1961年にはアントニオ・ベタンコルト、ビセンテ・ミエラを獲得。1961-62シーズンはリーガ・エスパニョーラ2連覇とコパ・デル・レイ優勝を果たし、クラブ史上初の国内タイトル2冠を達成した。1962年にはイグナシオ・ソコ、アマンシオ・アマロ、ルシアン・ミュラー、エヴァリスト・デ・マセドを獲得。1962-63シーズンはホームゲームで全勝を記録してのリーガ・エスパニョーラ3連覇を達成し、1963-64シーズンはリーガ・エスパニョーラ4連覇を達成した。1964年にはピッリ、マヌエル・サンチス・マルティネスを獲得し、ADプルス・ウルトラからラモン・グロッソを昇格させ、1964-65シーズンはリーガ・エスパニョーラ5連覇を達成した。




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アラキスタイン

パチン

D.フェリペ

ソコ

サンチス

ピッリ

ベラスケス

セレーナ

アマンシオ

グロッソ


ヘントキャプテン



1966年5月11日に行われたUEFAチャンピオンズカップ 1965-66決勝、パルチザン・ベオグラード戦のスターティングメンバー。


ヘントはいずれも個人では歴代最多記録となる12回のリーガ・エスパニョーラ優勝と6回のUEFAチャンピオンズカップ優勝を達成した。


1965-66シーズンはUEFAチャンピオンズカップ優勝を果たした。1966-67シーズンはリーガ・エスパニョーラ優勝を達成。1967年にはミゲル・アンヘルを獲得し、1967-68シーズンはリーガ・エスパニョーラ2連覇を達成。1968-69シーズンはリーガ・エスパニョーラ3連覇を達成した。1969年にはグレゴリオ・ベニトらを獲得し、1969-70シーズンはコパ・デル・レイ優勝を果たした。1960年代は8回のリーガ・エスパニョーラ優勝などを記録し、これらの実績を残した当時のチームはイエイエ・マドリードと称された。


1970年にはADプルス・ウルトラからビセンテ・デル・ボスケ、マラニョンを昇格させた。1971年にはサンティリャーナ、マリアノ・ガルシア・レモンを獲得し、1971-72シーズンはリーガ・エスパニョーラ優勝を果たす。しかし、1972-73シーズンは無冠に終わる。1973年にはギュンター・ネッツァーを獲得し、カスティージャCFからホセ・アントニオ・カマーチョを昇格させた。1973-74シーズンはシーズン途中で14季にわたって監督を務めたムニョスを解任してルイス・モロウニーが監督に就任し、コパ・デル・レイ優勝を達成した。


1974-75シーズンからはミリャン・ミリャニッチが監督に就任し、1974年にはパウル・ブライトナーを獲得。1974-75シーズンはリーガ・エスパニョーラ優勝とコパ・デル・レイ2連覇の国内タイトル2冠を達成し、1975-76シーズンはリーガ・エスパニョーラ2連覇を達成。1976年にはフアニートを獲得するも、1976-77シーズンは無冠に終わり、ミリャニッチは解任された。1977年にはウリ・シュティーリケを獲得し、1977-78シーズンはリーガ・エスパニョーラ優勝を達成した。なお、1978年6月2日にベルナベウは死去した。



ルイス・デ・カルロス会長時代


1978年、ルイス・デ・カルロスが会長に就任。1978-79シーズンはリーガ・エスパニョーラ2連覇を達成。1979-80シーズンからはヴヤディン・ボシュコヴが監督に就任し、1979年夏の移籍市場ではローリー・カニンガム、ミゲル・アンヘル・ポルトゥガルらを獲得。同シーズンは当時のリーグ史上最多となる勝ち点53を記録してのリーガ・エスパニョーラ3連覇とカスティージャCFとの決勝戦を制してのコパ・デル・レイ優勝の国内タイトル2冠を達成した。


1980-81シーズンはカスティージャCFからリカルド・ガジェゴ、アグスティン・ロドリゲスらを昇格させた。1981-82シーズンはチェンド、ホセ・マヌエル・オチョトレーナ、ミチェルがトップチームの試合に初出場し、コパ・デル・レイ優勝を達成。しかし、1982-83シーズンは無冠に終わり、1983-84シーズンはマヌエル・サンチス・オンティジュエロ、マルティン・バスケス、ミゲル・パルデサ、エミリオ・ブトラゲーニョがトップチームの試合に初出場するも無冠に終わる。1984年夏の移籍市場ではホルヘ・バルダーノを獲得し、1984-85シーズンはコパ・デ・ラ・リーガとUEFAカップにて優勝を達成した。



ラモン・メンドーサ会長時代




ウーゴ・サンチェスはピチーチ賞を5度に渡り獲得し、「ペンタピチーチ」と呼ばれた。


1985年5月24日、ラモン・メンドーサが会長に就任。同年夏の移籍市場ではウーゴ・サンチェス、アントニオ・マセーダ、ラファエル・ゴルディージョを獲得し、1985-86シーズンは当時のリーグ史上最多となる勝ち点56を記録してのリーガ・エスパニョーラ優勝とUEFAカップ2連覇を達成。


1986-87シーズンからはレオ・ベーンハッカーが監督に就任し、1986年夏の移籍市場ではフランシスコ・ブーヨを獲得。同シーズンは当時のリーグ史上最多となる勝ち点66を記録してのリーガ・エスパニョーラ2連覇を達成。1987年夏の移籍市場ではミゲル・テンディーリョらを獲得し、1987-88シーズンはリーガ・エスパニョーラ3連覇を達成。1988年夏の移籍市場ではベルント・シュスターらを獲得し、1988-89シーズンはスーペルコパ・デ・エスパーニャ優勝を達成したほか、当時の国内での公式戦における最多無敗記録となる34試合無敗を記録[29]してのリーガ・エスパニョーラ4連覇、コパ・デル・レイ優勝の国内タイトル2冠を達成した。


1989-90シーズンからはジョン・トシャックが監督に就任し、1989年夏の移籍市場ではフェルナンド・イエロ、オスカル・ルジェリらを獲得。同シーズンはスーペルコパ・デ・エスパーニャ2連覇[注 5]と当時のリーグ史上最多となる107得点を記録[30]してのリーガ・エスパニョーラ5連覇を達成した。1980年代後半から1990年代初頭にかけてエミリオ・ブトラゲーニョらカスティージャCF出身の選手たちがチームの中心となり、これらの実績を残した当時のチームはキンタ・デル・ブイトレと称された。




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ブーヨ


チェンドキャプテン

イエロ

M.サンチス

ソラーナ

マケダ

アラゴン

ミチェル

ビリャローヤ

H.サンチェス

ブトラゲーニョ



1990年12月12日に行われたスーペルコパ・デ・エスパーニャ2nd Leg、FCバルセロナ戦のスターティングメンバー。

1990年夏の移籍市場ではゲオルゲ・ハジ、ルイス・ミジャ、フランシスコ・ビリャローヤらを獲得し、1990-91シーズンはカスティージャCFからアルフォンソ・ペレスを昇格させ、スーペルコパ・デ・エスパーニャ3連覇を達成。


1991年夏の移籍市場ではルイス・エンリケ、ミケル・ラサ・ゴイコエチェア、ロベルト・プロシネチキらを獲得するも、1991-92シーズンは無冠に終わる。1992年夏の移籍市場ではイバン・サモラーノらを獲得し、1992-93シーズンはコパ・デル・レイ優勝を達成。1993年夏の移籍市場ではラファエル・アルコルタらを獲得し、1993-94シーズンはスーペルコパ・デ・エスパーニャにて優勝を果たす。




ラウルは公式戦クラブ歴代最多出場、最多得点記録を更新したほか、スペイン代表でも歴代最多得点記録を更新した。


1994-95シーズンからはホルヘ・バルダーノが監督に就任し、1994年夏の移籍市場ではフェルナンド・レドンド、ミカエル・ラウドルップ、ホセ・エミリオ・アマビスカ、キケ・サンチェス・フローレス、サンティアゴ・カニサレスらを獲得。同シーズンはレアル・マドリードBからラウル・ゴンサレスらを昇格させ、リーガ・エスパニョーラとコパ・イベロアメリカーナにて優勝を果たした。1995年夏の移籍市場ではフレディ・リンコン、フアン・エスナイデル、デヤン・ペトコヴィッチらを獲得した。


しかし、1992年からエスタディオ・サンティアゴ・ベルナベウの改修を行い、この改修費用などでクラブは多額の負債を抱えることとなる。そして、1995-96シーズン途中の1995年11月20日にメンドーサは会長職を辞任した。



ロレンソ・サンス会長時代




ロベルト・カルロスは11季に渡り主力を務め、クラブの外国人における最多出場記録を更新した。


1995年11月26日、ロレンソ・サンスが会長に就任する。1995-96シーズンはレアル・マドリードBからグティ、ビクトール・サンチェスらを昇格させるも無冠に終わる。1996-97シーズンはファビオ・カペッロが監督に就任し、1996年夏の移籍市場ではプレドラグ・ミヤトヴィッチ、ダヴォール・シューケル、クラレンス・セードルフ、ロベルト・カルロス、ボド・イルクナーらを獲得。1997年冬の移籍市場ではクリスティアン・パヌッチらを獲得した。同シーズンは当時のリーグ史上最多となる勝ち点92を記録[31]してのリーガ・エスパニョーラ優勝を果たすも、守備的な戦術が批判されシーズン終了後にカペッロは監督を退任した。




Soccer Field Transparant.svg


イルクナー

パヌッチ


M.サンチスキャプテン

イエロ

R.カルロス

レドンド

カランブー

セードルフ

ラウル

モリエンテス

ミヤトヴィッチ



1998年5月20日に行われたUEFAチャンピオンズリーグ 1997-98決勝、ユヴェントスFC戦のスターティングメンバー。

1997-98シーズンはユップ・ハインケスが監督に就任し、1997年夏の移籍市場ではフェルナンド・モリエンテス、アイトール・カランカらを獲得。1998年冬の移籍市場ではクリスティアン・カランブー、サヴィオらを獲得した。同シーズンはスーペルコパ・デ・エスパーニャ優勝を達成したほか、UEFAチャンピオンズリーグ優勝を達成するが、シーズン終了後にハインケスは解任された。


1998-99シーズンはフース・ヒディンクが監督に就任し、1998年夏の移籍市場ではロベルト・ヤルニ、イバン・カンポ、フェデリコ・マガジャネスらを獲得。同シーズンはトヨタ ヨーロッパ/サウスアメリカ カップにて優勝を果たすが、成績不振によりシーズン途中でヒディンクは解任される。その後はジョン・トシャックが監督に就任するも、同シーズンはリーガ・エスパニョーラで2位、コパ・デル・レイでベスト4、UEFAチャンピオンズリーグでベスト8に終わる。




カシージャスはクラブと代表の双方で、主将としてメジャータイトルを獲得した。


1999年夏の移籍市場ではミチェル・サルガド、イバン・エルゲラ、スティーブ・マクマナマン、ニコラ・アネルカらを獲得。1999-2000シーズンはレアル・マドリードBからイケル・カシージャスを昇格させるも、成績不振からシーズン途中でトシャックは解任され、その後はレアル・マドリードBの監督を務めていたビセンテ・デル・ボスケがトップチームの監督に昇格する。同シーズンはリーガ・エスパニョーラでは5位、コパ・デル・レイではベスト8に終わるも、UEFAチャンピオンズリーグでは優勝を果たす。


シーズン終了後に会長選を実施し、サンスはフロレンティーノ・ペレスに敗れたことにより会長職を退任。



第1次フロレンティーノ・ペレス会長時代


1999-2000シーズン終了後に行われた会長選を経て、フロレンティーノ・ペレスが会長職に就任した。ペレスはスペイン一等地にあった旧練習場敷地であるシウダード・デポルティバの土地を売却することで前会長時代までに膨らんだクラブの多額の負債を完済[注 6]。さらに毎年スター選手を獲得する補強方針を打ち出して[32]移籍市場を賑わせ、ロス・ガラクティコスと称されるチームを構成した。


2000年夏の移籍市場ではペレスが会長に就任した際に獲得を公約したルイス・フィーゴ[33]を当時の史上最高額の移籍金で獲得[34]したほか、サンティアゴ・ソラーリ、クロード・マケレレ、フラビオ・コンセイソン、ペドロ・ムニティス、セサル・サンチェス・ドミンゲスらを獲得。2000-01シーズンはリーガ・エスパニョーラ優勝を果たす。2000年12月11日、全投票の42%を獲得してFIFA公認の20世紀最高クラブに選出された[35]


2001年夏の移籍市場では当時の史上最高額の移籍金でジネディーヌ・ジダンを獲得[36]。2001-02シーズンはレアル・マドリードBからフランシスコ・パボン、ラウール・ブラボらを昇格させ、スーペルコパ・デ・エスパーニャとUEFAチャンピオンズリーグにて優勝を果たした。当時のクラブの補強やチーム構成の方針は、ジダンなどのスター選手とパボンなどのレアル・マドリードB出身の選手の共存を意味する「ジダネス&パボネス」と呼ばれた[37]




Soccer Field Transparant.svg


カシージャス

M.サルガド


イエロキャプテン

エルゲラ

R.カルロス

カンビアッソ

マケレレ

フィーゴ

ジダン

ラウル

ロナウド



2002年12月3日に行われた同年のトヨタ ヨーロッパ/サウスアメリカ カップ、オリンピア・アスンシオン戦のスターティングメンバー。

2002年夏の移籍市場ではロナウド、エステバン・カンビアッソらを獲得。2002-03シーズンはレアル・マドリードBからハビエル・ポルティージョを昇格させ、リーガ・エスパニョーラ、UEFAスーパーカップ、トヨタ ヨーロッパ/サウスアメリカ カップにて優勝を果たすも、シーズン終了後に監督のビセンテ・デル・ボスケは解任された。さらにクラブとの確執があった主将のフェルナンド・イエロやマケレレ、出場機会を失っていたフェルナンド・モリエンテスらも退団し、その後のチームは低迷することとなる。




ロス・ガラクティコスと呼ばれた当時のチームで、チームメイトだったジダンとベッカム。


2003-04シーズンはカルロス・ケイロスが監督に就任し、2003年夏の移籍市場ではデビッド・ベッカムらを獲得した。同シーズンはスーペルコパ・デ・エスパーニャにて優勝するも、リーガ・エスパニョーラは4位、コパ・デル・レイは準優勝、UEFAチャンピオンズリーグではベスト8に終わり、シーズン終了後にケイロスは解任された。


2004-05シーズンはホセ・アントニオ・カマーチョが監督に就任し、2004年夏の移籍市場ではマイケル・オーウェン、ジョナサン・ウッドゲート、ワルテル・サムエルらを獲得。しかし、シーズン途中でカマーチョは辞任し、アシスタントコーチを務めていたマリアノ・ガルシア・レモンが監督に就任するもシーズン途中で解任され、ヴァンデルレイ・ルシェンブルゴが監督に就任。2005年冬の移籍市場ではトーマス・グラヴェセンらを獲得するも、同シーズンは無冠に終わる。


2005年夏の移籍市場ではセルヒオ・ラモス、ロビーニョ、ジュリオ・バチスタ、パブロ・ガルシア、カルロス・ディオゴを獲得。2005-06シーズンはシーズン途中でルシェンブルゴを解任し、レアル・マドリード・カスティージャの監督を務めていたフアン・ラモン・ロペス・カロがトップチームの監督に就任。2006年冬の移籍市場ではアントニオ・カッサーノ、シシーニョを獲得するも、同シーズンも無冠に終わった。当時のチームは選手間の軋轢や規律の欠如をはじめとした様々な問題を抱えており[38]、同シーズン途中の2006年2月にUEFAチャンピオンズリーグ決勝トーナメント1回戦ファーストレグであるアーセナルFC戦とリーガ・エスパニョーラ第25節におけるRCDマヨルカ戦での連敗により2季連続の無冠が濃厚となったため、同年2月27日にペレスは会長職を辞任した[39]


ペレスの辞任後、次期会長選挙までペレスの右腕と言われるフェルナンド・マルティン・アルバレスが会長職に就任するも、およそ2ヶ月後の4月26日に会長職を辞任した。その後はルイス・ゴメス・モンテハーノが暫定的に会長を務めた[40]



ラモン・カルデロン会長時代




Soccer Field Transparant.svg


カシージャス

M.サルガド

S.ラモス

カンナヴァーロ

R.カルロス

エメルソン

M.ディアッラ

ベッカム


ラウルキャプテン

ロビーニョ

V.ニステルローイ



2007年6月17日に行われたリーガ・エスパニョーラ2006-2007最終節、RCDマヨルカ戦のスターティングメンバー。

2005-06シーズン終了後に行われた会長選を経て、ラモン・カルデロンが会長職に就任。2006-07シーズンはファビオ・カペッロが監督に就任し、2006年夏の移籍市場ではファビオ・カンナヴァーロ、エメルソン、ルート・ファン・ニステルローイ、マアマドゥ・ディアッラ、ホセ・アントニオ・レジェスらを獲得。2007年冬の移籍市場ではマルセロ、フェルナンド・ガゴ、ゴンサロ・イグアインを獲得した。同シーズンはリーガ・エスパニョーラにおいて最終的にFCバルセロナと同勝ち点で並び、直接対決の結果により優勝を果たすも、守備的な戦術が批判されシーズン終了後にカペッロは解任された[41]


2007-08シーズンからはベルント・シュスターが監督に就任。2007年夏の移籍市場ではペペ、クリストフ・メッツェルダー、ハビエル・サビオラ、ヴェスレイ・スナイデル、アリエン・ロッベン、ガブリエル・エインセらを獲得。同シーズンはリーガ・エスパニョーラ2連覇を果たした。




2008-09シーズン、スーペルコパ・デ・エスパーニャ優勝に歓喜する選手たち。


2008年夏の移籍市場ではルベン・デ・ラ・レー、ハビ・ガルシア、ラファエル・ファン・デル・ファールト、エセキエル・ガライを獲得。2009年冬の移籍市場ではクラース・ヤン・フンテラール、ラッサナ・ディアッラらを獲得した。2008-09シーズンはスーペルコパ・デ・エスパーニャにて優勝を果たすが、リーガ・エスパニョーラでの低迷から第14節後にシュスターを解任してファンデ・ラモスが監督に就任するも2位に終わった。コパ・デル・レイでは4回戦敗退、UEFAチャンピオンズリーグでは5季連続のベスト16に終わる。


2008-09シーズン途中の2009年1月16日、クラブ総会におけるカルデロンの不正投票操作疑惑が浮上[42]し、その責任および混乱収拾のためカルデロンは会長職を辞任。その後はビセンテ・ボルダが暫定的に会長を務めた。



第2次フロレンティーノ・ペレス会長時代


2009年6月14日に会長選が行われる予定だったが、元会長のフロレンティーノ・ペレス以外の候補者が出馬条件を満たせなかったため[43]、同年6月1日付でペレスが会長に返り咲いた[44]




ピッチに入るカカとクリスティアーノ・ロナウド。


2009-10シーズンはマヌエル・ペレグリーニが監督に就任し、同年夏の移籍市場では当時の史上2番目に高額な移籍金でカカを、当時の史上最高額となる移籍金でクリスティアーノ・ロナウドを獲得したほか、カリム・ベンゼマ、シャビ・アロンソ、ラウール・アルビオル、アルバロ・アルベロアらを獲得。しかし、同シーズンはリーガ・エスパニョーラで当時のクラブ史上最多の勝ち点96を記録するも2季連続の2位、コパ・デル・レイでは2季連続のベスト32、UEFAチャンピオンズリーグでは6季連続のベスト16と無冠に終わり、シーズン終了後にペレグリーニは解任された。


2010-11シーズンからはジョゼ・モウリーニョが監督に就任。2010年夏の移籍市場ではアンヘル・ディ・マリア、ペドロ・レオン、リカルド・カルヴァーリョ、サミ・ケディラ、メスト・エジルらを獲得。2011年冬の移籍市場ではエマニュエル・アデバヨールを獲得した。2010-11シーズンはコパ・デル・レイ優勝を果たした。なお、同シーズンはリーガ・エスパニョーラ、コパ・デル・レイ、UEFAチャンピオンズリーグにて合計5試合のエル・クラシコが行われ、特に2011年4月16日から5月3日までに行われた4試合[注 7]はクアトロ・クラシコ(Cuatro Clásico、4回のクラシコという意味)と呼ばれた。


2011年夏の移籍市場ではヌリ・シャヒン、ハミト・アルトゥントップ、ホセ・カジェホン、ファビオ・コエントラン、ラファエル・ヴァランらを獲得。2011-12シーズンは当時のクラブ史上最多連勝記録に並ぶ公式戦15連勝を記録[28]したほか、いずれもリーグ史上最多となる121得点[45]と勝ち点100[46]を記録してのリーガ・エスパニョーラ優勝を果たした。2012年夏の移籍市場ではルカ・モドリッチ、マイケル・エッシェンらを獲得し、2013年冬の移籍市場ではディエゴ・ロペス、カゼミーロを獲得。2012-13シーズンはスーペルコパ・デ・エスパーニャ優勝を果たすも、リーガ・エスパニョーラは2位、UEFAチャンピオンズリーグはベスト4、コパ・デル・レイは準優勝に終わり、モウリーニョはシーズン終了後に監督を退任した。




クリスティアーノ・ロナウドはクラブの最多得点記録を更新し、バロンドールに4度選出された。


2013-14シーズンからはカルロ・アンチェロッティが監督に就任。2013年夏の移籍市場ではイスコ、ダニエル・カルバハル、アシエル・イジャラメンディを獲得したほか、当時の史上最高額ともいわれる移籍金でガレス・ベイルを獲得。同シーズンはレアル・マドリード・カスティージャからヘセ・ロドリゲスらを昇格させ、コパ・デル・レイ優勝を果たしたほか、UEFAチャンピオンズリーグでも優勝[注 8]を果たし、同大会の前身にあたるUEFAチャンピオンズカップの優勝回数と合わせて合計10回目の優勝となるラ・デシマ(la décima)を達成した。ベンゼマ、ベイル、クリスティアーノ・ロナウドによる3トップは、それぞれの頭文字からBBCと呼ばれた[47]


2014年夏の移籍市場ではトニ・クロース、ハメス・ロドリゲス、ケイロル・ナバス、ハビエル・エルナンデスを獲得。2014-15シーズンはUEFAスーパーカップとFIFAクラブワールドカップ2014にて優勝を果たしたほか、クラブ史上最多連勝記録である公式戦22連勝を記録[48][49][注 9]した。しかし、コパ・デル・レイはベスト16、UEFAチャンピオンズリーグはベスト4、リーガ・エスパニョーラは2位に終わり、シーズン終了後にアンチェロッティは解任された。




Soccer Field Transparant.svg


ナバス

カルバハル


S.ラモスキャプテン

ペペ

マルセロ

カゼミーロ

モドリッチ

クロース

ベイル

C.ロナウド

ベンゼマ



2016年5月28日に行われたUEFAチャンピオンズリーグ 2015-16決勝、アトレティコ・マドリード戦のスターティングメンバー。

2015-16シーズンはラファエル・ベニテスが監督に就任。2015年夏の移籍市場ではルーカス・バスケス、ダニーロ、キコ・カシージャ、マテオ・コヴァチッチらを獲得。同シーズンはクラブ史上初となる公式戦開幕4試合連続完封記録を達成するも、コパ・デル・レイではカディスCF戦で出場停止処分中のデニス・チェリシェフを先発出場させる規約違反を犯したことで失格処分を受けベスト32に終わったことや、リーガ・エスパニョーラ第12節におけるエル・クラシコでの大敗などの理由でベニテスは解任された。その後はレアル・マドリード・カスティージャにて監督を務めていたジネディーヌ・ジダンがトップチームの監督に昇格し、リーガ・エスパニョーラでは2位に終わるも、UEFAチャンピオンズリーグでは優勝を果たす。


2016年夏の移籍市場ではアルバロ・モラタ、ファビオ・コエントラン、マルコ・アセンシオらを獲得。2016-17シーズンはレアル・マドリード・カスティージャからマリアーノ・ディアスを昇格させ、UEFAスーパーカップ、FIFAクラブワールドカップ2016、リーガ・エスパニョーラにて優勝を果たしたほか、UEFAチャンピオンズリーグ2連覇を達成した[50]。また、スペインのクラブ記録となる公式戦40試合無敗を記録したほか、欧州のクラブチームにおける公式戦連続得点記録も更新した[51]




2017-18シーズン、史上初となるUEFAチャンピオンズリーグ3連覇を達成した。


2017年夏の移籍市場ではヘスス・バジェホ、テオ・エルナンデス、マルコス・ジョレンテ、ボルハ・マジョラル、ダニ・セバージョスらを獲得。2017-18シーズンはUEFAスーパーカップ、スーペルコパ・デ・エスパーニャ、FIFAクラブワールドカップ2017で優勝を果たしたほか、UEFAチャンピオンズリーグ3連覇を達成した。また、2015-16シーズンから73試合連続で得点を記録し、公式戦連続得点の世界最多タイ記録に並んだ[52][53]。シーズン終了後、ジダンは監督を退任した。


2018-19シーズンからはフレン・ロペテギが監督に就任。2018年夏の移籍市場ではティボ・クルトゥワ、アルバロ・オドリオソラ、マリアーノ・ディアスらを獲得。しかし、チームは公式戦での496分にも及ぶクラブワーストの無得点記録を樹立するなど深刻な得点不足に苦しみ、シーズン途中でロペテギは解任される。その後はレアル・マドリード・カスティージャにて監督を務めていたサンティアゴ・ソラーリが暫定監督を経て正式に監督に就任した[54]



タイトル



国内タイトル



  • プリメーラ・ディビシオン : 33回
    • 1931-32, 1932-33, 1953-54, 1954-55, 1956-57, 1957-58, 1960-61, 1961-62, 1962-63, 1963-64, 1964-65, 1966-67, 1967-68, 1968-69, 1971-72, 1974-75, 1975-76, 1977-78, 1978-79, 1979-80, 1985-86, 1986-87, 1987-88, 1988-89, 1989-90, 1994-95, 1996-97, 2000-01, 2002-03, 2006-07, 2007-08, 2011-12, 2016-17

  • コパ・デル・レイ : 19回
    • 1905, 1906, 1907, 1908, 1917, 1934, 1936, 1946, 1947, 1961-62, 1969-70, 1973-74, 1974-75, 1979-80, 1981-82, 1988-89, 1992-93, 2010-11, 2013-14

  • スーペルコパ・デ・エスパーニャ : 10回
    • 1988, 1989, 1990, 1993, 1997, 2001, 2003, 2008, 2012, 2017

  • コパ・デ・ラ・リーガ : 1回
    • 1984-85


国際タイトル




サンティアゴ・ベルナベウにあるトロフィールーム



  • FIFAクラブワールドカップ:4回

    • 2014, 2016, 2017, 2018

  • インターコンチネンタルカップ:3回Trofeo-mini-copa-intercontinental-2.pngTrofeo-mini-copa-intercontinental-2.pngTrofeo-mini-copa-intercontinental-2.png
    • 1960, 1998, 2002

  • スモールワールドカップ:2回
    • 1952, 1956

  • UEFAチャンピオンズカップ:6回 Coppacampioni.pngCoppacampioni.pngCoppacampioni.pngCoppacampioni.pngCoppacampioni.pngCoppacampioni.png
    • 1955-56, 1956-57, 1957-58, 1958-59, 1959-60, 1965-66

  • UEFAチャンピオンズリーグ:7回 Coppacampioni.pngCoppacampioni.pngCoppacampioni.pngCoppacampioni.pngCoppacampioni.pngCoppacampioni.pngCoppacampioni.png
    • 1997-98, 1999-00, 2001-02, 2013-14, 2015-16, 2016-17, 2017-18

  • ラテン・カップ:2回
    • 1955, 1957

  • UEFAカップ:2回 UEFA Cup (adjusted).pngUEFA Cup (adjusted).png
    • 1984-85, 1985-86

  • UEFAスーパーカップ:4回UEFA - Super Cup.pngUEFA - Super Cup.pngUEFA - Super Cup.pngUEFA - Super Cup.png
    • 2002, 2014, 2016, 2017

  • コパ・イベロアメリカーナ:1回
    • 1994


国内タイトル(非公式大会)



  • トロフェオ・サンティアゴ・ベルナベウ:27回
    • 1981, 1983, 1984, 1985, 1987, 1989, 1991, 1994, 1995, 1996, 1997, 1998, 1999, 2000, 2003, 2005, 2006, 2007, 2008, 2009, 2010, 2011, 2012, 2013, 2015, 2016, 2017

  • コパ・エバ・ドゥアルテ:1回
    • 1947

  • カンペオナート・レギオナル・セントロ : 22回
    • 1904–05, 1905–06, 1906–07, 1907–08, 1912–13, 1915–16, 1916–17, 1917–18, 1919–20, 1921–22, 1922–23, 1923–24, 1925–26, 1926–27, 1928–29, 1929–30, 1930–31, 1931–32, 1932–33, 1933–34, 1934–35, 1935–36


国際タイトル(非公式大会)



  • インターナショナル・チャンピオンズ・カップ:3回

    • 2013, 2015 (豪州), 2015 (中国)


過去の成績




現所属メンバー



所属選手


2018-19シーズン 基本フォーメーション

Soccer Field Transparant.svg


クルトワ
# 25

カルバハル
# 2

ヴァラン
# 5

S.ラモス
# 4

マルセロ
# 12

カゼミーロ
# 14

モドリッチ
# 10

D.セバージョス
# 24

ヴィニシウス
# 28

L.バスケス
# 17

ベンゼマ
# 9



2019年1月17日現在
































































No.

Pos.
選手名
1

コスタリカの旗

GK

ケイロル・ナバス (Flag of Spain.svg)
2

スペインの旗

DF

ダニエル・カルバハル
3

スペインの旗

DF

ヘスス・バジェホ
4

スペインの旗

DF

セルヒオ・ラモス キャプテン
5

フランスの旗

DF

ラファエル・ヴァラン (Drapeau aux serpents de la Martinique.svg)(第4主将)
6

スペインの旗

DF

ナチョ・フェルナンデス
7

ドミニカ共和国の旗

FW

マリアーノ・ディアス (Flag of Spain.svg)
8

ドイツの旗

MF

トニ・クロース
9

フランスの旗

FW

カリム・ベンゼマ (Flag of Algeria.svg)(第3主将)
10

クロアチアの旗

MF

ルカ・モドリッチ
11

ウェールズの旗

FW

ガレス・ベイル
12

ブラジルの旗

DF

マルセロ (Flag of Spain.svg)(第2主将)
14

ブラジルの旗

MF

カゼミーロ ★
15

ウルグアイの旗

MF

フェデリコ・バルベルデ (Flag of Spain.svg)


























































No.

Pos.
選手名
17

スペインの旗

FW

ルーカス・バスケス
18

スペインの旗

MF

マルコス・ジョレンテ
19

スペインの旗

DF

アルバロ・オドリオソラ
20

スペインの旗

MF

マルコ・アセンシオ (Flag of the Netherlands.svg)
21

スペインの旗

MF

ブラヒム・ディアス (Flag of Morocco.svg)
22

スペインの旗

MF

イスコ
23

スペインの旗

DF

セルヒオ・レギロン
24

スペインの旗

MF

ダニ・セバージョス
25

ベルギーの旗

GK

ティボー・クルトワ
27

スペインの旗

FW

クリスト・ゴンサレス
28

ブラジルの旗

FW

ヴィニシウス・ジュニオール ★
30

フランスの旗

GK

ルカ・ジダン (Flag of Spain.svg)
31

スペインの旗

DF

ハビ・サンチェス

※括弧内の国旗はその他の保有国籍を、星印はEU圏外選手を示す。


監督

  • アルゼンチンの旗 サンティアゴ・ソラーリ (Flag of Spain.svg)


ローン移籍


out
































No.

Pos.
選手名
--

ウクライナの旗

GK

アンドリー・ルニン (CDレガネス)
--

ドミニカ共和国の旗

DF

ルイス・ケサダ (コルドバCF)
--

スペインの旗

DF

アルバロ・テヘロ (アルバセテ・バロンピエ)
--

フランスの旗

DF

テオ・エルナンデス (レアル・ソシエダ)
--

モロッコの旗

DF

アクラフ・ハキミ (ボルシア・ドルトムント)
--

コロンビアの旗

MF

ハメス・ロドリゲス (FCバイエルン・ミュンヘン)






























No.

Pos.
選手名
--

ブラジルの旗

MF

ルーカス・シウヴァ (クルゼイロEC)
--

クロアチアの旗

MF

マテオ・コヴァチッチ (チェルシーFC)
--

スペインの旗

MF

オスカル・ロドリゲス (CDレガネス)
--

ノルウェーの旗

MF

マルティン・ウーデゴール (フィテッセ)
--

スペインの旗

FW

ラウール・デ・トマス (ラーヨ・バジェカーノ)
--

スペインの旗

FW

ボルハ・マジョラル (レバンテUD)


チームスタッフ






























役職名前在籍年前職
監督
アルゼンチンの旗スペインの旗 サンティアゴ・ソラーリ
2018年-
スペインの旗レアル・マドリード・カスティージャ
助監督
スペインの旗 サンティアゴ・サンチェス
2018年-
スペインの旗 レアル・マドリード・カスティージャ
フィジカルトレーナー
イタリアの旗 アントニオ・ピントゥス
2016年-
イタリアの旗 USチッタ・ディ・パレルモ
コーチ
スペインの旗 ハビエル・マジョ
2016年-
スペインの旗 レアル・マドリード・カスティージャ
スポーツセラピスト
スペインの旗 カルロス・ガルシア・パラレス
2017年-
スペインの旗カミーロ・ホセ・セルラ大学(スペイン語版)
GKコーチ
スペインの旗 ロベルト・バスケス
2018年-
スペインの旗 レアル・マドリード・カスティージャ


歴代会長




20世紀半ばに黄金期をもたらしたベルナベウの名前は、クラブのホームスタジアムに冠されている。

































































氏名
国籍
期間
フリアン・パラシオス

スペインの旗 スペイン
1900-1902
フアン・パドロス

スペインの旗 スペイン
1902-1904
カルロス・マドロス

スペインの旗 スペイン
1904-1908
アドルフォ・メレンデス

スペインの旗 スペイン
1908-1916
ペドロ・パラヘス

スペインの旗 スペイン
1916-1926
ルイス・デ・ウルキホ

スペインの旗 スペイン
1926-1930
ルイス・ウセラ

スペインの旗 スペイン
1930-1935
ラファエル・サンチェス

スペインの旗 スペイン
1935-1936
アドルフォ・メレンデス

スペインの旗 スペイン
1936-1940
アントニオ・サントス

スペインの旗 スペイン
1940-1943

サンティアゴ・ベルナベウ

スペインの旗 スペイン
1943-1978
ルイス・デ・カルロス

スペインの旗 スペイン
1978-1985
ラモン・メンドーサ

スペインの旗 スペイン
1985-1995

ロレンソ・サンス

スペインの旗 スペイン
1995-2000

フロレンティーノ・ペレス

スペインの旗 スペイン
2000-2006
フェルナンド・マルティン・アルバレス

スペインの旗 スペイン
2006
ルイス・ゴメス・モンテハーノ

スペインの旗 スペイン
2006

ラモン・カルデロン

スペインの旗 スペイン
2006-2009
ビセンテ・ボルダ

スペインの旗 スペイン
2009
フロレンティーノ・ペレス

スペインの旗 スペイン
2009-


歴代監督





































































































































































































氏名
国籍
期間

アーサー・ジョンソン

イングランドの旗 イングランド
1910-1920
フアン・デ・カルセル

スペインの旗 スペイン
1920-1926
ペドロ・ジョレンテ

スペインの旗 スペイン
1926

サンティアゴ・ベルナベウ

スペインの旗 スペイン
1926-1927
ホセ・ベラオンド

スペインの旗 スペイン
1927-1929
ホセ・キランテ

スペインの旗 スペイン
1929-1930
リッポ・ヘルザ

 ハンガリー
1930-1932
ペドロ・ジョレンテ

スペインの旗 スペイン
1932
ロベルト・フィアスト

 オーストリア
1932-1933
フランシスコ・ブル

スペインの旗 スペイン
1934-1941
フアニート・アルメ

スペインの旗 スペイン
1941-1943
ラモン・エンシナス

スペインの旗 スペイン
1943-1945
パブロ・エルナンデス・コロナド

スペインの旗 スペイン
1945

ジャシント・キンコセス

スペインの旗 スペイン
1945-1946

バルタサール・アルベニス

スペインの旗 スペイン
1946-1948

マイケル・キーピング

イングランドの旗 イングランド
1948-1950

エクトル・スカローネ

ウルグアイの旗 ウルグアイ
1951-1952

フアン・アントニオ・イピーニャ

スペインの旗 スペイン
1952-1953

エンリケ・フェルナンデス

ウルグアイの旗 ウルグアイ
1953-1955

ホセ・ビジャロンガ

スペインの旗 スペイン
1955-1957

ルイス・カルニグリア

アルゼンチンの旗 アルゼンチン
1957-1959

ミゲル・ムニョス

スペインの旗 スペイン
1959

ルイス・カルニグリア

アルゼンチンの旗 アルゼンチン
1959

マヌエル・フレイタス

パラグアイの旗 パラグアイ
1959-1960

ミゲル・ムニョス

スペインの旗 スペイン
1960-1973

ルイス・モロウニー

スペインの旗 スペイン
1974

ミリャン・ミリャニッチ

ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 ユーゴスラビア
1974-1977

ルイス・モロウニー

スペインの旗 スペイン
1977-1979

ヴヤディン・ボシュコヴ

ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 ユーゴスラビア
1979-1982

ルイス・モロウニー

スペインの旗 スペイン
1982

アルフレッド・ディ・ステファノ

アルゼンチンの旗 アルゼンチン
1982-1983

アマンシオ・アマロ

スペインの旗 スペイン
1983-1984

ルイス・モロウニー

スペインの旗 スペイン
1985-1986

レオ・ベーンハッカー

オランダの旗 オランダ
1986-1989

ジョン・トシャック

ウェールズの旗 ウェールズ
1989-1990

アルフレッド・ディ・ステファノ

アルゼンチンの旗 アルゼンチン
1990-1991

ラドミル・アンティッチ

ユーゴスラビアの旗 ユーゴスラビア
1991

レオ・ベーンハッカー

オランダの旗 オランダ
1992

ベニト・フローロ

スペインの旗 スペイン
1992-1993

ビセンテ・デル・ボスケ

スペインの旗 スペイン
1993-1994

ホルヘ・バルダーノ

アルゼンチンの旗 アルゼンチン
1994-1995

ビセンテ・デル・ボスケ

スペインの旗 スペイン
1995-1996

アルセニオ・イグレシアス

スペインの旗 スペイン
1996

ファビオ・カペッロ

イタリアの旗 イタリア
1996-1997

ユップ・ハインケス

ドイツの旗 ドイツ
1997-1998

ホセ・アントニオ・カマーチョ

スペインの旗 スペイン
1998

フース・ヒディンク

オランダの旗 オランダ
1998-1999

ジョン・トシャック

ウェールズの旗 ウェールズ
1999

ビセンテ・デル・ボスケ

スペインの旗 スペイン
1999.11-2003.6

カルロス・ケイロス

ポルトガルの旗 ポルトガル
2003.6-2004.5

ホセ・アントニオ・カマーチョ

スペインの旗 スペイン
2004.5-2004.9

マリアノ・ガルシア・レモン

スペインの旗 スペイン
2004.9-2004.11

ヴァンデルレイ・ルシェンブルゴ

ブラジルの旗 ブラジル
2004.12-2005.12

フアン・ラモン・ロペス・カロ

スペインの旗 スペイン
2005.12-2006.6

ファビオ・カペッロ

イタリアの旗 イタリア
2006.7-2007.6

ベルント・シュスター

ドイツの旗 ドイツ
2007.7-2008.12

ファンデ・ラモス

スペインの旗 スペイン
2008.12-2009.6

マヌエル・ペレグリーニ

 チリ
2009.6-2010.5

ジョゼ・モウリーニョ

ポルトガルの旗 ポルトガル
2010.5-2013.5

カルロ・アンチェロッティ

イタリアの旗 イタリア
2013.6-2015.5

ラファエル・ベニテス

スペインの旗 スペイン
2015.6-2016.1

ジネディーヌ・ジダン

フランスの旗 フランス
2016.1-2018.5

フレン・ロペテギ

スペインの旗 スペイン
2018.6-2018.10

サンティアゴ・ソラーリ

アルゼンチンの旗 アルゼンチン
2018.10-


歴代所属選手




クラブ記録



出場試合数

























































順位
ポジション
選手名
所属期間
試合数
1FW
スペインの旗 ラウール・ゴンサレス
1994-2010741
2GK
スペインの旗 イケル・カシージャス
1999-2015725
3DF
スペインの旗 マノーロ・サンチス
1983-2001710
4FW
スペインの旗 サンティリャーナ
1971-1988645
5FW
スペインの旗 フランシスコ・ヘント
1953-1971602
6DF
スペインの旗 フェルナンド・イエロ
1989-2003601
7DF
スペインの旗 セルヒオ・ラモス
2004-585
8DF
スペインの旗 ホセ・アントニオ・カマーチョ
1973-1989577
9MF
スペインの旗 ピッリ
1964-1979561
10MF
スペインの旗 ミチェル
1981-1996559


総得点数

























































順位
ポジション
選手名
所属期間
得点数
1FW
ポルトガルの旗 クリスティアーノ・ロナウド
2009-2018451
2FW
スペインの旗 ラウル・ゴンサレス
1994-2010323
3FW
アルゼンチンの旗コロンビアの旗スペインの旗 アルフレッド・ディ・ステファノ
1953-1964308
4FW
スペインの旗 サンティリャーナ
1971-1988290
5FW
ハンガリーの旗スペインの旗 フェレンツ・プスカシュ
1958-1966242
6FW
メキシコの旗 ウーゴ・サンチェス
1985-1992208
7FW
フランスの旗 カリム・ベンゼマ
2009–201
8FW
スペインの旗 フランシスコ・ヘント
1953-1971182
9MF
スペインの旗 ピッリ
1964-1980172
10FW
スペインの旗 エミリオ・ブトラゲーニョ
1983-1995171


移籍金

















































































順位
加入
放出
選手名
移籍元クラブ
移籍金(€)
選手名
移籍先クラブ
移籍金(€)
1
ウェールズの旗 ガレス・ベイル

イングランドの旗 トッテナム・ホットスパーFC
1億ユーロ

ポルトガルの旗 クリスティアーノ・ロナウド

イタリアの旗 ユヴェントスFC
1億ユーロ
2
ポルトガルの旗 クリスティアーノ・ロナウド

イングランドの旗 マンチェスター・ユナイテッドFC
9,400万ユーロ

アルゼンチンの旗 アンヘル・ディ・マリア

イングランドの旗 マンチェスター・ユナイテッドFC
7,560万ユーロ
3
フランスの旗 ジネディーヌ・ジダン

イタリアの旗 ユヴェントスFC
7,750万ユーロ

スペインの旗 アルバロ・モラタ

イングランドの旗 チェルシーFC
6,550万ユーロ
4
コロンビアの旗 ハメス・ロドリゲス

フランスの旗 ASモナコ
7,600万ユーロ

ドイツの旗 メスト・エジル

イングランドの旗 アーセナルFC
5,000万ユーロ
5
ブラジルの旗 カカ

イタリアの旗 ACミラン
6,700万ユーロ

ブラジルの旗 ロビーニョ

イングランドの旗 マンチェスター・シティFC
4,200万ユーロ
6
ポルトガルの旗 ルイス・フィーゴ

スペインの旗 FCバルセロナ
6,200万ユーロ

アルゼンチンの旗 ゴンサロ・イグアイン

イタリアの旗 SSCナポリ
4,000万ユーロ
7
ブラジルの旗 ロナウド

イタリアの旗 インテル・ミラノ
5,000万ユーロ

フランスの旗 ニコラ・アネルカ

フランスの旗 パリ・サンジェルマンFC
3,450万ユーロ
8
ブラジルの旗 ヴィニシウス・ジュニオール

ブラジルの旗 CRフラメンゴ
4,600万ユーロ

ブラジルの旗 ダニーロ

イングランドの旗 マンチェスター・シティFC
3,150万ユーロ
9
ブラジルの旗 ロドリゴ

ブラジルの旗 サントスFC
4,500万ユーロ

イングランドの旗 マイケル・オーウェン

イングランドの旗 ニューカッスル・ユナイテッドFC
2,550万ユーロ
10
ベルギーの旗 ティボ・クルトゥワ

イングランドの旗 チェルシーFC
3,800万ユーロ

スペインの旗 ヘセ・ロドリゲス

フランスの旗 パリ・サンジェルマンFC
2,500万ユーロ


各種クラブ記録


  • 最多得点差勝利 11-1 1942-43 コパ・デル・レイ、FCバルセロナ戦

  • 最多得点差敗北 1-8 1929-30 リーガ・エスパニョーラ、RCDエスパニョール戦

  • リーグ最多勝利 32試合/38試合 2011-2012

  • リーグ最少勝利 7試合/18試合 1929-30

  • リーグ最多得点 121得点 2011-12

  • リーグ最少得点 24得点 1930-31

  • リーグ最多失点 71失点 1950-51

  • リーグ最少失点 15失点 1931-32

  • リーグ最多勝ち点 100ポイント[注 13] 2011-12

  • リーグ最少勝ち点 17ポイント[注 14] 1929-30

  • 公式戦連勝記録 22試合 2014-15

  • 公式戦無敗記録 40試合 (スペイン記録) 2015-16〜16-17

  • 公式戦連続得点記録 74試合 (欧州記録) 2015-16〜17-18

  • リーグアウェー戦連勝記録13試合 (スペイン記録) 2016-17~2017-18

  • UEFAカップ連続優勝記録5連覇 (欧州記録) 1955-56~1959-60

  • チャンピオンズリーグ連続優勝記録3連覇 (欧州記録) 2015-16~2017-18

  • チャンピオンズリーグ(UEFAカップ時代含む)最多優勝記録13回 (欧州記録) 1956.1957.1958.1959.1960.1966.1998.2000.2002.2014.2016.2017.2018


各種個人記録


  • 1シーズン最多得点者 61得点 ポルトガルの旗 クリスティアーノ・ロナウド 2014-15

  • 1試合最多得点者 6得点 ハンガリーの旗 フェレンツ・プスカシュ レアル・ベティス戦 1961年6月18日 ほか

  • 最年少得点者 17歳117日 スペインの旗 アルベルト・リベラ セルタ・デ・ビーゴ戦 1995年6月10日

  • 最年長得点者 38歳233日 ハンガリーの旗 フェレンツ・プスカシュ FCセビージャ戦 1965年11月21日

  • 最速得点者 14秒 ブラジルの旗 ロナウド アトレティコ・マドリード戦 2003年12月3日

  • 最速ハットトリック 8分 スペインの旗 ペピーリョ レアル・ソシエダ戦 1960年4月10日、ポルトガルの旗 クリスティアーノ・ロナウド グラナダCF戦 2015年4月5日


個人タイトル


バロンドール


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アルフレッド・ディ・ステファノ

トロフィー


所属選手の個人賞トロフィー。しばしばクラブ史上最高の選手と評されるディ・ステファノ(左)は、史上唯一となるスーパー・バロンドール(右中央)を受賞した[55]



  • スペインの旗アルゼンチンの旗 アルフレッド・ディ・ステファノ - 1957, 1959


  • フランスの旗 レイモン・コパ - 1958


  • ポルトガルの旗 ルイス・フィーゴ - 2000


  • ブラジルの旗 ロナウド - 2002


  • イタリアの旗 ファビオ・カンナヴァーロ - 2006


  • ポルトガルの旗 クリスティアーノ・ロナウド - 2013, 2014, 2016, 2017


  • クロアチアの旗 ルカ・モドリッチ - 2018

オンズドール



  • フランスの旗 ジネディーヌ・ジダン - 2001


  • ブラジルの旗 ロナウド - 2002


  • ポルトガルの旗 クリスティアーノ・ロナウド - 2017

FIFA年間最優秀選手賞



  • ポルトガルの旗 ルイス・フィーゴ - 2001


  • ブラジルの旗 ロナウド - 2002


  • フランスの旗 ジネディーヌ・ジダン - 2003


  • イタリアの旗 ファビオ・カンナヴァーロ - 2006


  • ポルトガルの旗 クリスティアーノ・ロナウド - 2016, 2017


  • クロアチアの旗 ルカ・モドリッチ - 2018

UEFA欧州最優秀選手賞



  • アルゼンチンの旗 フェルナンド・レドンド - 2000


  • フランスの旗 ジネディーヌ・ジダン - 2002


  • ポルトガルの旗 クリスティアーノ・ロナウド - 2014, 2016, 2017


  • クロアチアの旗 ルカ・モドリッチ - 2018

ヨーロッパ・ゴールデンシュー



  • メキシコの旗 ウーゴ・サンチェス - 1990


  • ポルトガルの旗 クリスティアーノ・ロナウド - 2011, 2014, 2015


年間最優秀監督賞



  • スペインの旗 ビセンテ・デル・ボスケ - 2002 (UEFAクラブ・フットボール・アワード、IFFHS)


  • ポルトガルの旗 ジョゼ・モウリーニョ - 2010 (FIFAバロンドール、UEFAチーム・オブ・ザ・イヤー、IFFHS), 2012 (IFFHS)


  • イタリアの旗 カルロ・アンチェロッティ - 2014 (IFFHS)


  • フランスの旗 ジネディーヌ・ジダン - 2017 (オンズドール、FIFA)


ユニフォーム




創設当時のユニフォーム


チームカラーは白、青。2013年からドバイを本拠地とする航空会社のエミレーツ航空が胸スポンサーとなっている。メーカーはアディダス。


白いユニフォームは、コリンシアンFCをモデルにしている。スペインのクラブとして初めて背番号があるユニフォームを着用したクラブでもあり、1947年11月23日のアトレティコ・マドリード戦で背番号入りのユニフォームを導入した[56]


レアル・マドリードのセカンドユニフォームは青や紺、黒などの比較的落ち着いた色を使用することが伝統であった。しかし、2011-12シーズンのチャンピオンズリーグ用セカンドユニフォームには、上下とも赤という明るい色を38年ぶりに採用した[57][58]。また、その翌シーズンにはユニフォームのサードカラーを緑とすることが決定。過去にレアル・マドリードが公式戦で緑のユニフォームを着用したことはなく、親善試合などを含めても1965-66シーズン前の南米遠征でベネズエラのカラカスにてCAリーベル・プレートとの試合で着用して以来およそ半世紀ぶりとなる[59]


背番号7は特別な番号とされており、レイモン・コパやアマンシオ・アマロ、フアニート、エミリオ・ブトラゲーニョなどそれぞれの時代のクラブを代表するアタッカーが背負ってきた。特に近年ではラウル・ゴンサレス、クリスティアーノ・ロナウドによってその価値はさらに高められた[60]。また、背番号9もアルフレッド・ディ・ステファノやサンティリャーナ、ウーゴ・サンチェス、ロナウドといった名手に背負われてきた[61]



メーカーと胸スポンサー



































年度
メーカー
胸スポンサー
1980–1982

adidas
-
1982–1985

Zanussi
1985–1989

ヒュンメル

Parmalat
1989–1991

Reny Picot
1991–1992
Otaysa
1992–1994

Teka
1994–1998

KELME
1998–2001

adidas
2001–2002
-
2002–2005

Siemens mobile
2005–2006
Siemens
2006–2007

BenQ Siemens
2007–2013

bwin.com
2013–

Fly Emirates


エンブレム



その他



他クラブへの影響


イングランドの古豪リーズ・ユナイテッドのユニフォームもレアル・マドリードと同じく白であり、1960年代前半にドン・レヴィーが監督に就任したときに青と金のユニフォームから変更になった。これは、当時UEFAチャンピオンズカップ5連覇などを成し遂げたレアル・マドリードにあやかってチーム作りをしようとしたためだと言われている[62]


また、メジャーリーグサッカーに所属しているレアル・ソルトレイク(アメリカ合衆国)は、レアル・マドリードを意識して名付けられた[63]



メディア


1999年2月14日からはレアル・マドリードTVが始まり、選手やスタッフのインタビューや過去のものを含む試合を放送している。2005年にはクラブ初の正式公認映画である[64]レアル・ザ・ムービーが制作され、当時の所属選手も多数出演した。その他、GOAL!シリーズの主人公であるサンティアゴ・ムネスは、GOAL!2にてレアル・マドリードに移籍し、この作品にも当時の所属選手が出演した。


クラブ会員やファンクラブのメンバーには、Hala Madridというファンクラブ誌が毎月発行される[注 15]。試合のレポートや下部組織の情報、インタビューなどを掲載している。


スペインで最も知られているスポーツ紙の一つであるMARCA、ASは共にマドリードに拠点を置いており、連日レアル・マドリードやライバルのアトレティコ・マドリードの情報が発信されている[65]



ファン




マドリードダービーでの応援風景


レアル・マドリードのファンはマドリディスタ(madridista)と呼ばれている[注 16]。2000年にフロレンティーノ・ペレスが会長に就任したときに、スペインサッカーの実体を理解するためにスペイン各地でスペイン人2000人に応援しているクラブを尋ねたところ、29.2パーセントがレアル・マドリードのファンであると答え[66]、2007年の社会意識調査では国内の32.8パーセントがレアル・マドリードのファンであることが明らかになった[22]。歴史的な軋轢があるカタルーニャ州においても、本拠地を置くFCバルセロナに次ぐファン数を誇っている[67]


同じくマドリードを本拠地とするアトレティコ・マドリードは主に労働者階級の支持を受けているのに対し、レアル・マドリードは富裕層の支持を受けているのが特徴である。現地サポーターはレアル・マドリードがタイトルを獲得した際、シベーレスの噴水に集まり祝福する。


攻撃的なサッカーを好む傾向にあり、1996-97シーズンと2006-07シーズンに監督を務めたファビオ・カペッロは、そのいずれもリーガ・エスパニョーラ優勝を達成したものの、あまりに守備的すぎるという理由からシーズン終了後に解任されている。1989-90シーズンにレアル・マドリードを率いて、最多得点記録を更新してのリーグ優勝を果たしたジョン・トシャックや、2010-11シーズンから2012-13シーズンまで指揮し2011-12シーズンは史上最多勝ち点と史上最多得点を記録して優勝したジョゼ・モウリーニョも守りすぎだと批判された[68]。なお、2005年11月20日のエル・クラシコ、2008年11月5日のUEFAチャンピオンズリーググループステージにおけるユヴェントスFC戦などでは、ホームゲームにおいて対戦相手の選手にスタンディングオベーションを送っている[69][70]


レアル・マドリードの下部組織に所属していたビセンテ・デル・ボスケやフリオ・イグレシアスのほか、プラシド・ドミンゴ、ラファエル・ナダル、フェルナンド・アロンソ、セルヒオ・ガルシアらスペインの著名人がクラブの名誉会員に名を連ねている[71][72]



脚注


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注釈




  1. ^ 厳密には、マドリードダービーはこの両クラブのみならず、マドリード市などのマドリード都市圏、マドリード首都圏に本拠を置くチーム同士が対戦するダービーマッチのことを指す。


  2. ^ 活字メディアでは「ワールドサッカーキング」、「フットボリスタ」、放送メディアでは「J SPORTS」など。


  3. ^ 優勝した1965-66シーズンのUEFAチャンピオンズカップにて、選手達が決勝前の写真撮影にビートルズの髪型を模したカツラを着用して臨んだことに由来。また「イエイエ」は当時のスペインにおける若者風情の一つであり、1960年代に流行した音楽やファッションなどを総称してそう呼ぶ。


  4. ^ それ以前はエスタディオ・チャマルティンでプレーしていたが、この頃からは「アトレティコ・アビアシオンの会員はレアル・マドリードの試合を無料で観られる」という条件のもと、当時のアトレティコ・アビアシオンのホームスタジアムであったエスタディオ・メトロポリターノ・デ・マドリードでプレーした。


  5. ^ 当時の規定により、1988-89シーズンのリーガ・エスパニョーラとコパ・デル・レイの双方で優勝したことで自動的に優勝を認定された。


  6. ^ シウダード・デポルティバの跡地は再開発されてクアトロ・トーレス・ビジネス・エリアとなった。


  7. ^ 4月16日にリーガ・エスパニョーラ、4月20日にコパ・デル・レイ、4月27日と5月3日にUEFAチャンピオンズリーグにて行われた。


  8. ^ 総得点の41得点は、同大会が13試合制になってからの史上最多得点記録である。


  9. ^ この記録はエールディヴィジのアヤックス・アムステルダムが1971-72シーズンに記録した26連勝、カンピオナート・ブラジレイロ・セリエAのコリチーバFCが2011年シーズンに記録した24連勝に次ぐ、史上3番目に長い連勝記録でもある。


  10. ^ そのシーズンに行われた全ての公式戦での得点数。太字はピチーチ賞受賞。


  11. ^ コパ・デル・レイの前身の大会であるコパ・デ・ラ・コロナシオン。


  12. ^ スーペルコパ・デ・エスパーニャの前身の大会であるコパ・エバ・ドゥアルテ。


  13. ^ 試合数38。勝利時の獲得ポイントが3。


  14. ^ 試合数18。勝利時の獲得ポイントが2。


  15. ^ 「Hala Madrid」はレアル・マドリードを賞賛する文句であり、クラブの応援歌にも同名のタイトルが付けられている。


  16. ^ レアル・マドリードに所属している、もしくは過去に所属していた選手もこう呼ばれる場合がある。



出典




  1. ^ [1]Forbes 2016年12月現在。


  2. ^ 特集 各国歴代最強イレブン【20】スペイン(1) - 時事ドットコム


  3. ^ ボール 2004 265頁


  4. ^ マドリー、カンテラのトップが辞任 goal.com、2008年12月5日


  5. ^ スター軍団レアルに見る、レンタル移籍による武者修行の重要性とは SoccerKing、2016年8月11日


  6. ^ 揺らぐフィロソフィー、ペレスが築いた不健全なレアル帝国 Sponichi Annex、2013年6月27日


  7. ^ “Deloitte Football Money League 2014”. Real Madrid C.F. (2014年1月). 2014年9月7日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2014年9月2日閲覧。


  8. ^ “【レアル】C・ロナウド、ユニフォーム売り上げ130億円。ベッカム抜きクラブ新記録”. wowow.co.jp (2010年4月15日). 2011年9月17日閲覧。


  9. ^ “サントスへの不満を募らせるバルセロナ”. goal.com (2011年9月16日). 2011年9月17日閲覧。


  10. ^ “セビージャ会長:「大多数が公平な放映権料分配を望んでいる」 アトレティコ&バレンシアが新たな会議を招集”. Goal.com (2011年10月5日). 2012年3月25日閲覧。


  11. ^ 2012年にイギリスメディア『sportingintelligence.com』が調査した、世界のスポーツチームの平均年俸ランキング


  12. ^ “レアル、イスラム圏のスポンサーに配慮。エンブレム変更へ”. excite.co.jp (2014年11月29日). 2015年1月5日閲覧。


  13. ^ レアル、バイクメーカーとスポンサー契約を締結…中国企業とは初soccerking 2015年3月29日


  14. ^ レアル・マドリードC.F.


  15. ^ 欧州サッカー公式ウェブサイト


  16. ^ 海外サッカー - リーガ・エスパニョーラ - レアル・マドリッド - スポーツナビ


  17. ^ ボール 2002 182頁


  18. ^ ボール 2002 174頁


  19. ^ http://www.realmadrid.com/ja/about-real-madrid/history/football/1900-1910-juan-padros-and-julian-palacios-found-madrid 1907年のレアル・マドリードのメンバー

  20. ^ ab“R・マドリード、本拠地の名称として名を刻むベルナベウ氏のデビューから100周年”. wowow.co.jp (2012年3月5日). 2012年7月29日閲覧。


  21. ^ http://www.realmadrid.com/ja/about-real-madrid/history/football/1911-1920-madrid-comes-together-and-receives-the-title-of-real 1911-1920

  22. ^ ab“レアル・マドリードの基礎知識”. wowow.com. 2013年4月28日閲覧。


  23. ^ ボール 2004 99頁


  24. ^ “リーグ無敗優勝を成し遂げたヨーロッパのクラブ”. supportista.jp (2011年5月). 2015年7月12日閲覧。


  25. ^ ボール 2004 144頁


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参考文献


  • フィル・ボール著、近藤隆文訳 『バルサとレアル スペイン・サッカー物語』 NHK出版、2002年。ISBN 978-4140806739。

  • フィル・ボール著、野間けい子訳 『レアル・マドリー ディ・ステファノからベッカムまで』 ネコ・パブリッシング、2004年。ISBN 978-4777050369。


関連項目


  • レアル・マドリードの選手一覧


  • レアル・マドリード・カスティージャ、レアル・マドリードC - - レアル・マドリードの下部組織。


  • フランシスコ・フランコ - スペインの独裁者。


  • トロフェオ・サンティアゴ・ベルナベウ - プレシーズンに行われる親善試合。


  • G-14 - ヨーロッパビッグクラブ連合体。


外部リンク




公式

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