阿倍安麻呂
凡例 阿倍安麻呂 | |
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時代 | 飛鳥時代 - 奈良時代 |
生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
別名 | 風流侍従 |
官位 | 従四位下・侍従 |
主君 | 文武天皇→元明天皇→元正天皇→聖武天皇 |
氏族 | 阿倍氏 |
父母 | 父:阿倍比羅夫 |
兄弟 | 宿奈麻呂、引田広目、安麻呂、船守 |
妻 | 安曇外命婦 |
子 | 豊継、虫麻呂 |
阿倍 安麻呂(あべ の やすまろ)は、飛鳥時代から奈良時代にかけての貴族。筑紫大宰帥・阿倍比羅夫の子とする系図がある。官位は従四位下・侍従。
目次
1 経歴
2 官歴
3 系譜
4 脚注
5 出典
経歴
慶雲2年(705年)従六位上から三階昇進して従五位下に叙爵。
和銅8年(715年)従五位上・但馬守に叙任される。同年元正天皇が即位して、翌霊亀2年(716年)第8次の遣唐使が派遣されることになり、8月に安麻呂は遣唐大使に任命される。しかし、9月には病気のために大使の役は大伴山守に交替し[1]、安麻呂は渡唐することはなかった。養老3年(719年)正五位下。
神亀元年(724年)聖武天皇の即位後まもなく正五位上に昇叙され、神亀5年(728年)従四位下に至る。神亀年間に侍従として聖武天皇に仕えた10余人と共に「風流侍従」と称された[2]。
官歴
『続日本紀』による。
- 時期不詳:従六位上
慶雲2年(705年) 12月27日:従五位下(越階)
和銅8年(715年) 4月25日:従五位上。5月22日:但馬守
霊亀2年(716年) 8月20日:遣唐大使
養老3年(719年) 正月13日:正五位下
神亀元年(724年) 2月22日:正五位上- 時期不詳:侍従
- 神亀5年(728年) 5月21日:従四位下
系譜
- 父:阿倍比羅夫[3]
- 母:不詳
- 生母不明の子女
- 男子:阿倍豊継[3]
- 男子:阿倍虫麻呂[3]
脚注
^ 『続日本紀』霊亀2年9月4日条
^ 『藤氏家伝』下- ^ abc宝賀[1986: 374-375]
出典
宇治谷孟『続日本紀 (上)』講談社〈講談社学術文庫〉、1992年
宝賀寿男『古代氏族系譜集成』古代氏族研究会、1986年