緒方孝市






















緒方 孝市
広島東洋カープ 監督 #79

緒方孝市2015-11-23.jpg
2015年11月23日、MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島にて

基本情報
国籍
日本の旗 日本
出身地
佐賀県鳥栖市
生年月日
(1968-12-25) 1968年12月25日(50歳)
身長
体重

181 cm
80 kg
選手情報
投球・打席
右投右打
ポジション
外野手
プロ入り
1986年 ドラフト3位
初出場
1988年9月17日
最終出場
2009年10月10日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

選手歴



  • 佐賀県立鳥栖高等学校


  • 広島東洋カープ (1987 - 2009)



監督・コーチ歴



  • 広島東洋カープ (2008 - )

緒方 孝市(おがた こういち、1968年12月25日 - )は、佐賀県鳥栖市出身の元プロ野球選手(外野手、右投右打)・コーチ。現在は広島東洋カープの監督[1][2]




目次





  • 1 経歴

    • 1.1 プロ入り前


    • 1.2 プロ入り後


    • 1.3 引退後



  • 2 詳細情報

    • 2.1 年度別打撃成績


    • 2.2 年度別守備成績


    • 2.3 タイトル


    • 2.4 表彰


    • 2.5 記録


    • 2.6 背番号


    • 2.7 通算監督成績



  • 3 脚注

    • 3.1 注釈


    • 3.2 出典



  • 4 関連項目


  • 5 外部リンク




経歴



プロ入り前


佐賀県立鳥栖高等学校では3年春の九州大会でベスト8、夏は全国高等学校野球選手権佐賀大会でベスト4。


1986年のドラフト会議で広島東洋カープが3位指名で交渉権を獲得し契約金3000万円、年俸360万円(金額は推定)で入団合意した[3]



プロ入り後


プロ入り直後に外野手へ転向。1988年に一軍出場を果たし、1989年オフにペニンシュラ・パイロッツへ野球留学した。1991年には102試合に出場し、日本シリーズでも先発メンバーとして出場するなど、早くから期待を集めるが、毎年のように怪我に泣かされていた。


1995年には母が死去する不幸に見舞われたが、アキレス腱断裂によって離脱した前田智徳の穴を埋め、レギュラーに定着。監督の三村敏之は「緒方の母は緒方を二度生んだ」と発言[4]、話題となった。規定打席不足ながら打率は3割を超えリーグ8年ぶりとなる40盗塁以上を記録し、47盗塁で盗塁王を獲得した。


1996年にはリーグ11年ぶりとなる50盗塁を記録し、オフに4歳年下の中條かな子と結婚[4]。その後、1997年までリーグタイ記録(当時)となる3年連続盗塁王を獲得。この3年間で計146盗塁を記録したが、その間の盗塁失敗は僅か26だった(成功率.849)。


1998年は右方向への打撃を習得し、開幕から高打率を記録。6番という打順の関係もあったが盗塁数も順調に伸び、当時のリーグ新記録となる4年連続盗塁王に加え、首位打者・打点王も視野に入る程の好調だった。本塁打も量産したことでトリプルスリーへの期待も高まったが、6月12日の阪神タイガース戦(阪神甲子園球場)の9回裏に、八木裕が放った飛球を追って柵によじ登ろうとして跳び蹴りを加えた際に右足首を捻挫して離脱。1ヶ月半後に復帰し、復帰後も高打率は維持したものの、本塁打・打点・盗塁に関しては数字が伸びなかった。


1999年は開幕から本塁打を量産。打率も3割を越えて自身初の3割30本塁打を記録。また、この年だけで初回先頭打者本塁打を8本放ち、日本タイ記録を作った[注釈 1]。2年連続となる打率3割に加え、自己最多の36本塁打、4割を超える出塁率、さらに5年連続のゴールデングラブ賞を獲得した。




現役時代
(2004年、日南キャンプにて)


2000年から選手会長に就任。


2001年にかけて大きな故障に苦しみ、出場試合数が激減した。


2002年は打率.300と自身3度目の3割、25本塁打を記録。


2003年は開幕から極度の不振に落ち込むも、4月末に放ったサヨナラ本塁打を機に急上昇し、2年連続の3割(.300)、29本塁打を放ち、自身最多となる82打点を記録した。最終戦となった10月12日の対ヤクルトスワローズ戦(明治神宮野球場)では、試合前時点での成績は打率.297、29本塁打で、3割には最低でも4打数3安打以上の成績が必要だった。2打席目から3打席連続安打を放って3割を達成、3本目の安打は柵最上部に直撃する二塁打で、あと少し飛距離が伸びていたら30本塁打も同時に達成していた。


2004年以降も打撃面では安定した成績を残した。同年オフに椎間板ヘルニア手術を行なったため、2005年の開幕戦出場が危ぶまれたが、オープン戦で復帰。開幕直前の試合で、中堅への大飛球を好捕した際に肩を打撲したことで出場が絶望視されたが出場を果たし、9回表にダン・ミセリから決勝本塁打を放った。


この年からセ・パ交流戦が開始されたが、5月21日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦で戸叶尚から顔面に死球を受け、左眼窩を骨折した。しかし、翌日から通常通り練習に参加、その次の試合では代打で復帰するなど鉄人ぶりも見せている[注釈 2]


2006年は4月だけで2本の初回先頭打者本塁打を放つが、5月4日の対東京ヤクルトスワローズ戦で五十嵐亮太から死球を受けて負傷退場。検査の結果、右手薬指開放骨折で全治4週間の診断を受け、登録を抹消された。同年7月16日の対横浜ベイスターズ戦でプロ初の抗議[注釈 3]を行なったが、マーティ・レオ・ブラウンが制して退場は免れた。




コーチ兼任時代の緒方


2007年は開幕から先発出場するものの、調子が上がらずに控えに回ることも多かった。復調し始めた矢先に右肘を痛めて登録を抹消されるなど、苦難のシーズンとなった。そのため契約更改では、球団側に引退を考えていることを告げたが引き止められ、翌年からコーチ兼任ながら現役を続行することとなった。


2008年5月25日の対千葉ロッテマリーンズ戦(広島市民球場)で8回に代打として出場し、ウィンストン・アブレイユから逆転本塁打を放った。この本塁打は、セントラル・リーグ通算代打本塁打1500号となった。


2009年には加齢と積年の怪我による足腰の衰えや、新たな右肘の故障による不振によって活躍できず、同年10月1日に現役引退を表明[5]。翌年から野手総合コーチ就任を打診された。引退試合となった10月10日の対読売ジャイアンツ戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)で8回表より守備に就き、木村拓也が放った中堅飛球を捕球した。その裏の現役最終打席では三塁打を放ち、有終の美を飾った[6]



引退後


現役引退後も退団はせず、コーチや監督として引き続き広島東洋カープに所属している。2010年は広島の野手総合コーチとして一塁ベースコーチ、2011年から2012年までは守備走塁コーチとして三塁ベースコーチ、2013年は一軍打撃コーチを務め、2014年は野手総合・ベンチコーチ(ヘッド格)を担当。4月22日の対ヤクルト戦で監督の野村謙二郎が判定を巡って5分以上の抗議で遅延行為で退場になった際には、監督代行として指揮を執った。2014年10月15日に野村の後任として広島の監督に就任することが発表された[1][2]


監督1年目の2015年は前年のドラフトで惚れ込みドラフト1位で獲得した野間峻祥を積極的に起用するなどしたが結果を残せず4位に終わった。このシーズンを振り返って、翌年緒方は「去年の俺にはバカだと言ってやる」と述べている[7]


2年目の2016年、チームを25年ぶりのリーグ優勝に導いた。しかし、日本シリーズは北海道日本ハムファイターズに2勝4敗で敗れた。


2017年4月19日の対DeNA戦で審判の判定を巡って暴言を吐いたとして初の退場となった。


就任3年目の2017年、チームを37年ぶりのリーグ連覇に導いた。複数回のリーグ連覇を達成した球団はセ・リーグでは読売ジャイアンツ以来となる。しかし、クライマックスシリーズではリーグ3位のDeNAに2勝4敗で敗れ日本シリーズ進出を逃した。


就任4年目の2018年、チームを球団史上初のリーグ3連覇、9度目の優勝に導いた。本拠地での優勝は1991年以来27年ぶり[8]




2017/11/25 広島市内セ・リーグ優勝パレードにて(右は広島商工会議所会頭の深山英樹)


クライマックスシリーズでは巨人に3連勝し2年ぶりに日本シリーズ進出を果たすが、日本シリーズでは福岡ソフトバンクホークスに1勝4敗1分けと敗れた。



詳細情報



年度別打撃成績





















































































































































































































































































































































































































































































































































































































































O
P
S

1988

広島
1551100141000000020.200.200.8001.000

1989
2001000000100000000----------------

1990
32151495012134200010030.357.400.9291.329

1991
10224020026373055511126803002372.185.297.275.572

1992
861271152526303381018130801212.226.282.330.613

1993
9318015025367346121143812011364.240.331.407.738

1994
5714112616352255614125211002253.278.338.444.783

1995
10133527256861121013143477435026453.316.429.482.911

1996
129597516951442562325071501091611101297.279.366.484.850

1997
1356155281031432651723057499927016939.271.361.436.797

1998
1074423806712424315199591712564704616.326.400.524.924

1999
13259249511115123336288691812228677766.305.414.582.995

2000
217666111230324101111800152.182.267.364.630

2001
641921591739708702910542113263.245.337.440.777

2002
130539476771432402524273425246010958.300.373.508.881

2003
13659953075159350292818284133422111008.300.362.530.892

2004
122512456911332022623564433341098711.292.360.515.875

2005
12249043160132222212215735234668652.306.381.513.894

2006
8124221528611306922924131716336.284.349.428.776

2007
3391835155002041111600195.181.233.241.474

2008
698876515302241021011100102.197.295.316.611

2009
53604929110127200190120.184.317.245.562

NPB:22年
1808617853429061506257302412546725268868238630228798089.282.365.477.841
  • 各年度の太字はリーグ最高


年度別守備成績
























































































































































































































































































































一塁二塁三塁
外野

















































1988
-112001.000--
1990
--324001.0002250001.000
1991
-81114021.000-8499420.981
1992
-110001.00031211.7507859320.969
1993
---75903011.000
1994
-651011.938-42550001.000

1995
-343011.000-97181631.984

1996
-10000--1282601531.989

1997
---1343171051.985

1998
---103201831.986

1999
-20000--132277322.993
2000
---18250001.000
2001
---437111.986
2002
---126194630.985
2003
---136259821.993
2004
---109194832.985
2005
---113203423.990
2006
211010.917--54104110.991
2007
---22331001.000
2008
---410001.000
2009
---430001.000
通算
211010.91722222914.98163611.90015242567813214.988

  • 太字年はゴールデングラブ賞受賞


タイトル



  • 盗塁王:3回 (1995年 - 1997年)


表彰



  • ゴールデングラブ賞:5回 (外野手部門:1995年 - 1999年)


  • 月間MVP:1回 (野手部門:1995年9月) ※セ・リーグ歴代3位の月間21盗塁


  • JA全農Go・Go賞:2回 (強肩賞:1996年9月 好走塁賞:1998年4月)


  • スピードアップ賞:1回 (2003年)


  • 出身地別東西対抗戦優秀選手:1回 (1999年)


  • 最優秀監督賞:1回 (セ・リーグ連盟特別表彰:2016年)


  • 鳥栖市市民栄誉賞 (1995年)[9]


  • ベスト・ファーザー イエローリボン賞 in 「プロ野球部門」 (2008年)


  • ユーキャン新語・流行語大賞 年間大賞(2016年、「神ってる」、鈴木誠也と共同で受賞)


記録


初記録
  • 初出場・初先発出場:1988年9月17日、対阪神タイガース23回戦(阪神甲子園球場)、7番・二塁手として出場

  • 初安打・初本塁打・初打点:同上、4回表に野田浩司から左越ソロ

  • 初盗塁:1989年9月16日、対中日ドラゴンズ21回戦(ナゴヤ球場)、8回表に二盗(投手:郭源治、捕手:山崎武司)

節目の記録
  • 100本塁打:1999年6月23日、対ヤクルトスワローズ13回戦(明治神宮野球場)、1回表に高木晃次から左越先頭打者本塁打 ※史上204人目

  • 1000試合出場:2001年3月31日、対中日ドラゴンズ2回戦(ナゴヤドーム)、3番・中堅手として先発出場 ※史上365人目

  • 150本塁打:2002年8月30日、対中日ドラゴンズ22回戦(ナゴヤドーム)、8回表に小笠原孝から左越ソロ ※史上123人目

  • 1000本安打:2003年5月5日、対読売ジャイアンツ7回戦(東京ドーム)、5回表に真田裕貴から右越二塁打 ※史上212人目

  • 250盗塁:2003年7月19日、対阪神タイガース16回戦(阪神甲子園球場)、3回表に二盗(投手:下柳剛、捕手:矢野輝弘) ※史上35人目

  • 200本塁打:2004年6月30日、対中日ドラゴンズ14回戦(長良川球場)、5回表に久本祐一から左越ソロ ※史上81人目

  • 1500試合出場:2005年6月8日、対福岡ソフトバンクホークス5回戦(広島市民球場)、3番・中堅手として先発出場 ※史上144人目

  • 1500本安打:2009年6月8日、対オリックス・バファローズ4回戦(しまなみ球場)、8回裏に嶋重宣の代打として出場、清水章夫から中前2点適時打 ※史上102人目

その他の記録
  • 通算初回先頭打者本塁打:28本 (表22本、裏6本) ※歴代5位、表22本はセ・リーグ記録

  • シーズン初回先頭打者本塁打:8本 (1999年) ※歴代2位タイ

  • 連続試合盗塁:10 (1995年) ※セ・リーグ記録

  • サヨナラ満塁本塁打 (1997年) ※史上22本目、3点差を逆転したものは史上8本目、2死からは史上3本目

  • 外野手レンジファクター(RF/G)1位:1回 (1997年:2.44)[10]


  • オールスターゲーム出場:1回 (1999年)


背番号



  • 37 (1987年 - 1995年)


  • 9 (1996年 - 2009年)


  • 79 (2010年 - )


通算監督成績




2015年7月30日


レギュラーシーズン


































































































2015

広島
4位14369713.4936.5105.2472.9246歳

2016
1位14389522.631-153.2723.2047歳

2017
1位14388514.633-152.2733.3948歳

2018
1位14382592.582-175.2624.1249歳
通算:4年
57232823311.585Aクラス3回、Bクラス1回
  • 2017年度シーズン終了時
ポストシーズン



































2016年
広島
セ・リーグ クライマックスシリーズ
ファイナルステージ(※1)

横浜DeNAベイスターズ(セ・リーグ3位)

4勝1敗=日本シリーズ進出
(※2)

日本シリーズ

北海道日本ハムファイターズ(パ・リーグ1位)
2勝4敗=敗退
2017年

セ・リーグ クライマックスシリーズ

ファイナルステージ(※1)



横浜DeNAベイスターズ(セ・リーグ3位)
2勝4敗=敗退(※2)
2018年

セ・リーグ クライマックスシリーズ

ファイナルステージ(※1)



読売ジャイアンツ(セ・リーグ3位)

4勝0敗=日本シリーズ進出
(※2)

日本シリーズ

福岡ソフトバンクホークス(パ・リーグ2位)
1勝4敗1分=敗退
※1 クライマックスシリーズファイナルステージは6試合制で先に4勝したチームの優勝、リーグ優勝チームに1勝のアドバンテージ

※2 アドバンテージの1勝を含む。


脚注


[ヘルプ]


注釈




  1. ^ 2007年に高橋由伸(読売ジャイアンツ)が9本を放って新記録を達成した。しかし右打者の記録としては緒方が石毛宏典・デイヴ・ヒルトンと並んで歴代最高である。


  2. ^ ちなみにこのシーズンを振り返って緒方は、「大きな怪我もなくやれた」と振り返っている。


  3. ^ 緒方はこの時まで審判に抗議したことは一度もない。本人曰く「(判定の有利不利は)お互い様であるため、抗議はしない」とのこと。



出典



  1. ^ ab【速報】広島カープ緒方新監督が就任会見で抱負 - 中国新聞 2014年10月15日

  2. ^ ab緒方新監督 赤いネクタイで就任会見 - デイリースポーツ 2014年10月15日


  3. ^ 『朝日新聞』1986年12月3日付朝刊 (14版、19面)

  4. ^ ab『日本プロ野球偉人伝 vol.13 1997→99編』 ベースボール・マガジン社、2014年、62-63頁。ISBN 978-4-583-62103-6。


  5. ^ 広島:緒方孝市選手が引退発表毎日新聞、2009年10月1日閲覧、コイ一筋、駆け抜けた 緒方引退中国新聞、2009年10月2日閲覧


  6. ^ http://www.daily.co.jp/baseball/carp/ogata_retire/2009/10/11/0002435743.shtml


  7. ^ “広島優勝 根性論捨て選手目線の緒方監督7度舞った - 野球 : 日刊スポーツ”. 2016年9月22日閲覧。


  8. ^ “【広島東洋カープがリーグ3連覇】緒方孝市監督「日本一のゴールに向かって」|ニフティニュース” (日本語). ニフティニュース. https://news.nifty.com/article/sports/baseball/12133-213933/ 2018年9月27日閲覧。 


  9. ^ “祝セ・リーグ優勝 広島東洋カープ 緒方孝市監督(鳥栖市出身)”. 鳥栖市. 2017年12月4日閲覧。


  10. ^ 過去20年で最高の外野手は誰だ?~記録で見る真実の「守備力」~プロ野球 - Number Web - ナンバー、2016年3月17日閲覧。



関連項目


  • 佐賀県出身の人物一覧

  • 広島東洋カープの選手一覧

  • 日本人のマイナーリーグ選手一覧

  • 緒方かな子


外部リンク



  • 個人年度別成績 緒方孝市 - NPB.jp 日本野球機構

  • 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)、The Baseball Cube


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