ワフー・マクダニエル
ワフー・マクダニエル | |
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プロフィール | |
リングネーム | ワフー・マクダニエル "チーフ" ワフー・マクダニエル |
本名 | エドワード・ヒュー・マクダニエル |
ニックネーム | 狼酋長 |
身長 | 183cm[1] |
体重 | 120kg(全盛時)[1] |
誕生日 | 1938年6月19日 |
死亡日 | (2002-04-19) 2002年4月19日(63歳没) |
出身地 | アメリカ合衆国 オクラホマ州 デラウェア郡バーニス |
スポーツ歴 | アメリカンフットボール |
トレーナー | ドリー・ファンク・シニア |
デビュー | 1961年 |
引退 | 1996年 |
ワフー・マクダニエル( "Chief" Wahoo McDaniel、本名:Edward Hugh McDaniel、1938年6月19日 - 2002年4月19日)は、アメリカ合衆国のプロレスラー、アメリカンフットボール選手。オクラホマ州バーニス出身のチョクトー・チカソー族インディアン[2]。
プロレスラーとしての現役選手時代は、羽飾りのコスチュームや得意技のトマホーク・チョップなど、自身の出自であるインディアンのスタイルで活躍。ラフファイトに強いベビーフェイスとして絶大な人気を誇った。日本では「狼酋長」の異名を持つ。
目次
1 来歴
1.1 キャリア初期
1.2 1970年代
1.3 1980年代
1.4 キャリア末期
2 得意技
3 獲得タイトル
4 脚注
5 関連項目
6 外部リンク
来歴
キャリア初期
学生時代からレスリングとアメリカンフットボールを両立させながら活躍。カレッジ卒業後にAFLのヒューストン・オイラーズ(現:テネシー・タイタンズ)にラインバッカーとして入団[2]。フットボールと並行してドリー・ファンク・シニアからレスリングのトレーニングを受け、1961年にプロレスラーとしてデビュー。以降、1968年までAFLのオフシーズンにプロレスの試合を行うという二足のわらじで活動する。また、1966年のマイアミ・ドルフィンズ創設時のメンバーでもある。
1965年のオフシーズンには、1月末から7月末にかけて半年間WWWFに出場して、ワルドー・フォン・エリック、カウボーイ・ビル・ワット、ゴリラ・モンスーン、ジン・キニスキーなどの強豪ヒールと対戦[3]。WWWF世界ヘビー級王者のブルーノ・サンマルチノともタッグを組み、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンではボリス・マレンコやドクター・ジェリー・グラハムから勝利を収めた[4]。
1969年よりプロレスに専念するようになり、フリッツ・フォン・エリックが主宰していたテキサス州ダラス地区を主戦場に活動。NWAテキサス・ヘビー級王座を争ったジョニー・バレンタインをはじめ、キラー・コワルスキー、キラー・カール・コックス、バロン・フォン・ラシク、ブル・ラモス、トール・タナカ、ヒール時代のダスティ・ローデスらと抗争を展開する[5][6]。タッグでは黒人のサンダーボルト・パターソンやイタリア人のトニー・パリシとのマイノリティ同士のチームで活躍、1970年にはロサンゼルスからテキサスに転戦してきたミル・マスカラスとも共闘した[7]。同年3月3日にはドリー・ファンク・ジュニアのNWA世界ヘビー級王座に挑戦、60分時間切れ引き分けの死闘を演じている[7][8]。
1970年代
1972年よりAWAを主戦場に、ブラックジャック・ランザ、クリス・マルコフ、ラリー・ヘニング、ラーズ・アンダーソン、テキサス・アウトローズ、イワン・コロフらと対戦[9][10]。同年11月から始まったスーパースター・ビリー・グラハムとの抗争劇はAWAのドル箱カードとなり、得意のインディアン・ストラップ・マッチでも雌雄を決した[11]。ビル・ロビンソンやクラッシャー・リソワスキー、ペドロ・モラレス、ドクターXらをパートナーに、ニック・ボックウィンクル&レイ・スティーブンスが保持していたAWA世界タッグ王座にも再三挑戦している[12]。
1973年11月、AWAとの提携ルートで国際プロレスに初来日。11月9日に和歌山にて、ストロング小林を破りIWA世界ヘビー級王座を獲得する[13]。14日の長野でのリターン・マッチでは引き分けで防衛に成功、30日に後楽園ホールにて小林に奪還されたものの、小林の連続防衛記録を25回でストップさせた[14]。シリーズ中はAWAでの戦友レッド・バスチェンと組んでラッシャー木村&グレート草津のIWA世界タッグ王座にも挑戦、草津を相手にケージ・マッチ形式でのインディアン・ストラップ・マッチも行った[15]。
1974年よりジム・クロケット・ジュニアの主宰するノースカロライナのミッドアトランティック・チャンピオンシップ・レスリングに進出して、テキサス時代の仇敵ジョニー・バレンタインとの遺恨試合を再開。ブラックジャック・マリガンやアンジェロ・モスカ、そして同時期にAWAから転戦してきたリック・フレアーとも抗争を繰り広げ、1975年から翌年にかけては、バレンタインから奪取したNWAミッドアトランティック・ヘビー級王座をフレアーと争った[16]。タッグではポール・ジョーンズやルーファス・ジョーンズをパートナーに、ジン・アンダーソン&オレイ・アンダーソンのミネソタ・レッキング・クルーからミッドアトランティック版のNWA世界タッグ王座を奪取している[17]。
1976年2月、NWAルートで全日本プロレスに初参戦、3月8日に愛知県体育館にてジャイアント馬場のPWFヘビー級王座に挑戦した[1]。以降も全日本プロレスのトップ外国人の一人として度々来日、1977年10月の再来日では、10月3日に同じく愛知県体育館でジャンボ鶴田のユナイテッド・ナショナル・ヘビー級王座に挑戦している[18]。1979年11月開幕の世界最強タッグ決定リーグ戦ではフランク・ヒルとのインディアン・コンビで出場、ヒルが狙い打ちにされ戦績は振るわなかったものの、アブドーラ・ザ・ブッチャーとの抗争は話題を呼んだ[1]。
その間、アメリカでは本拠地のミッドアトランティック地区にて、同時期のNWA世界ヘビー級王者だったテリー・ファンクやハーリー・レイスに再三挑戦[19][20]。フロリダ(エディ・グラハム主宰のチャンピオンシップ・レスリング・フロム・フロリダ)やジョージア(ジム・バーネット主宰のジョージア・チャンピオンシップ・レスリング)にも参戦、フロリダでは1978年にザ・スポイラーやボビー・ダンカン、ジョージアでは1979年にスタン・ハンセンやマスクド・スーパースターと抗争した[21][22]。大物ベビーフェイスとして業界誌の人気部門では常に上位にランクされ、アンドレ・ザ・ジャイアントや旧敵ダスティ・ローデスとも、人気スター同士のドリーム・チームを組んだ[23]。
1980年代
1980年代初頭は中南部や南西部地区でも活動し、ビル・ワット主宰のMSWAでは1980年にキラー・カーンやファビュラス・フリーバーズと対戦[24]。同年秋の全日本プロレスへの最後の参戦では、AWAでもタッグを組んだことのあるビル・ロビンソンをパートナーに、10月17日に岩手県営体育館にてジャイアント馬場&ジャンボ鶴田のインターナショナル・タッグ王座に挑戦している[25]。翌1981年には、主戦場の一つだったサンアントニオのサウスウエスト・チャンピオンシップ・レスリングにて、テリー・ファンクと組んでジノ・ヘルナンデス&タリー・ブランチャードのダイナミック・デュオと南西部タッグ王座を争った[26]。
1982年1月、新日本プロレスに来日。前年に新日本へ移籍してきたアブドーラ・ザ・ブッチャーとの遺恨試合やアントニオ猪木とのシングルマッチも行われ、同時参加していた因縁のスーパースター・ビリー・グラハムとのタッグチームも実現したが、アメリカでの活躍に反して、新日本のリングでは本領を発揮できなかった。シリーズ中は、6人タッグマッチで初代タイガーマスクとも対戦している[27]。
以降もアメリカでは各地で活躍を続け、主戦場のミッドアトランティック地区ではロディ・パイパーやサージェント・スローターと抗争を展開、新NWA世界ヘビー級王者のリック・フレアーにも再三挑戦した[28]。1983年は古巣のAWAにて、ニック・ボックウィンクルのAWA世界ヘビー級王座にも連続挑戦している[29]。1984年にはマーク・ヤングブラッドと組んでボブ・オートン・ジュニア&ドン・カヌードルやジャック・ブリスコ&ジェリー・ブリスコなどのチームを破り、ミッドアトランティック版のNWA世界タッグ王座に返り咲いたが[17]、同年下期より一時的なヒールターンを行い[30]、リッキー・スティムボートやマグナムTAとUSヘビー級王座を争った[31]。翌1985年下期からはベビーフェイスに戻り、ロード・ウォリアーズ、ニキタ・コロフ、リック・ルードなど新世代のヒールと抗争[30]。フェイスターン後のウォリアーズとはトリオを組み、1986年7月12日のグレート・アメリカン・バッシュではザ・ラシアンズとの6人タッグマッチが行われた[32]。
キャリア末期
その後、1980年代後半から1990年代初頭にかけては末期のAWAやプエルトリコのWWCで活動。AWAでは世界ヘビー級王者のカート・ヘニング、ジェリー・ローラー、ラリー・ズビスコに挑戦[33][34]。グレッグ・ガニアらをパートナーに、ポール・ダイヤモンド&パット・タナカのバッド・カンパニー、ウェイン・ブルーム&マイク・イーノスのデストラクション・クルーなど当時の若手タッグチームとも対戦した。
1992年5月には、W★INGプロモーションへの参戦で10年ぶりとなる最後の来日が実現。かつてストロング小林とIWA世界ヘビー級王座を争った後楽園ホールにて、5月7日にザ・グラップラー(リン・デントン)を相手にインディアン・ストラップ・マッチでKO勝ちを収めた[35]。
1995年5月21日、ミッドアトランティック・チャンピオンシップ・レスリングの後継団体であるWCWで殿堂入りを果たす。同日開催のPPV "Slamboree" では、ディック・マードックとのレジェンド対決に勝利した[36]。
キャリア晩年は持病の糖尿病との闘いとなり、1996年に正式に現役を引退[2]。2002年4月19日、糖尿病の合併症で死去[2]。63歳没。
得意技
- トマホーク・チョップ
- トマホーク・ドロップ
- パイルドライバー
- ブレーンバスター
獲得タイトル
- チャンピオンシップ・レスリング・フロム・フロリダ
- NWAフロリダ・ヘビー級王座:1回(1967年にLouie Tilletから獲得)[37]
- NWA南部ヘビー級王座:2回(1978年にザ・スポイラー、1985年にリック・ルードを破り獲得)[38]
- NWAフロリダTV王座:1回(1981年にエディ・マンスフィールドを破り獲得)[39]
- NWA USタッグ王座(フロリダ版):1回(w / ビリー・ジャック・ヘインズ)[40]
NWA世界タッグ王座(フロリダ版):2回(w / ホセ・ロザリオ)[41]
- NWAビッグタイム・レスリング
- NWAテキサス・ヘビー級王座:2回(1969年にジョニー・バレンタインを破り2度獲得)[42]
- NWAアメリカン・ヘビー級王座:2回(1971年にトール・タナカ、1979年にザ・スポイラーを破り獲得)[43]
- NWAテキサス・タッグ王座:1回(w / トニー・パリシ)[44]
- NWAアメリカン・タッグ王座:4回(w / サンダーボルト・パターソン×2、トニー・パリシ、ジョニー・バレンタイン)[45]
- インターナショナル・レスリング・エンタープライズ
IWA世界ヘビー級王座:1回(1973年にストロング小林を破り獲得)[13]
- ミッドアトランティック・チャンピオンシップ・レスリング
- NWAミッドアトランティック・ヘビー級王座:6回(1975年から1977年にかけてリック・フレアーとグレッグ・バレンタインを破り獲得)[16]
NWA USヘビー級王座(ミッドアトランティック版):5回(1981年から1984年にかけてロディ・パイパー、サージェント・スローター、リッキー・スティムボート、マニー・フェルナンデスを破り獲得)[31]
NWA世界タッグ王座(ミッドアトランティック版):4回(w / ポール・ジョーンズ、ルーファス・ジョーンズ、マーク・ヤングブラッド×2)[17]
- ジョージア・チャンピオンシップ・レスリング
- NWAジョージア・ヘビー級王座:2回(1979年にマスクド・スーパースターを破り2度獲得)[46]
- NWAナショナル・ヘビー級王座:1回(1986年にタリー・ブランチャードを破り獲得)[47]
- NWAジョージア・タッグ王座:1回(w / トミー・リッチ)[48]
- サウスウエスト・チャンピオンシップ・レスリング
- SCW南西部ヘビー級王座:4回(1979年から1981年にかけてドリー・ファンク・ジュニアとタリー・ブランチャードを破り獲得)[49]
- SCW南西部タッグ王座:1回(w / テリー・ファンク)[26]
- SCW世界タッグ王座:1回(w / イワン・プトスキー)[50]
脚注
- ^ abcd『全日本プロレス 来日外国人選手 PERFECTカタログ』P23(2002年、日本スポーツ出版社)
- ^ abcd“Edward "Wahoo" McDaniel”. Pro-Wrestlers.com. 2014年11月21日閲覧。
^ “WWE Yearly Results 1965”. The History of WWE. 2014年11月20日閲覧。
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^ 『忘れじの国際プロレス』P101(2014年、ベースボール・マガジン社、ISBN 4583620802)
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^ “NWA Georgia Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2014年11月21日閲覧。
^ “SCW Southwest Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2014年11月21日閲覧。
^ “SCW World Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2014年11月21日閲覧。
関連項目
アーニー・ラッド - マクダニエルと同様、フットボールとの掛け持ちを経てプロレスに転向
ワフー酋長 - MLBチーム「クリーブランド・インディアンス」のマスコット
外部リンク
- Profile at Online World of Wrestling
- Profile at Wrestlingdata
- Profile at Cagematch
- Profile at Internet Wrestling Database
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