大阪フィルハーモニー交響楽団
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大阪フィルハーモニー交響楽団 | |
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専用練習場の大阪フィルハーモニー会館 | |
基本情報 | |
出身地 | 日本 大阪府大阪市西成区岸里 |
ジャンル | クラシック音楽 |
活動期間 | 1947年 - |
公式サイト | 大阪フィルハーモニー交響楽団 |
メンバー | 音楽監督 尾高忠明 指揮者 角田鋼亮 桂冠指揮者 大植英次 首席コンサートマスター 田野倉雅秋 首席客演コンサートマスター 崔文洙 コンサートマスター 須山暢大 |
旧メンバー | 創立名誉指揮者 朝比奈隆 |
公益社団法人 大阪フィルハーモニー交響楽団(おおさかフィルハーモニーこうきょうがくだん、Osaka Philharmonic Orchestra)は、大阪市西成区岸里に本拠地を置く、日本を代表するオーケストラのひとつ。日本オーケストラ連盟正会員。
目次
1 概要
2 年譜
3 歴代常任指揮者・音楽監督等
4 演奏会
5 関連項目
6 脚注
7 外部リンク
概要
年間10回の定期演奏会のほか、レコーディングも活発に行う。西成区岸里に専用練習場「大阪フィルハーモニー会館」を持ち、長年にわたり「大フィル(だいフィル)」の愛称で親しまれている。公式サイトの「プロフィール」に掲載されていた記事によれば、「日本で一番多くレコード、CDを発表しているオーケストラ」。
創立者(現・創立名誉指揮者)朝比奈隆の時代に、ブルックナーやベートーヴェンなどの交響曲の演奏で全国的に知られるようになった。1975年10月12日リンツ郊外の聖フローリアン教会でのブルックナーの交響曲第7番や、1994年7月24日サントリーホールでの交響曲第8番などの歴史的演奏の多くは、今日でもCDで聴くことができる。
2003年、大植英次が音楽監督に就任し、同年5月9日及び10日のザ・シンフォニーホールでの音楽監督就任披露演奏会でマーラー交響曲第2番「復活」、2005年3月20日サントリーホールでの就任後初の東京定期演奏会でマーラー第6番「悲劇的」を取り上げ、いずれも大成功を収めた。大植の指揮で、定期演奏会では演奏会形式のオペラ(『サムソンとデリラ』(2004年)、『トスカ』(2005年))も披露したほか、近代曲などもとりあげている。
朝比奈隆の時代から、ヨーロッパ(とりわけドイツ、オーストリア)のオーケストラの音に連なるいわゆる「大フィルサウンド[1]」で知られる。なお、朝比奈隆時代の最後はコンサートマスターに岡田英治と梅沢和人、第2ヴァイオリンの首席に藤井允人を擁していた。2004年9月から、梅沢に加え、首席コンサートマスターロバート・ダヴィドヴィチ(Robert Davidovich)、首席客演コンサートマスター長原幸太が就任。2006年4月から、首席コンサートマスター長原、コンサートマスター梅沢の体制になり、加えて2009年11月から崔文洙が入団、客演コンサートマスターに就任。梅沢は2010年2月をもって退団。
2012年3月、大植が音楽監督を退任、同時に長原も退団した。大植は、音楽監督は退任したものの、「桂冠指揮者」として引き続き大フィルとの関係を保つこととなった。同年9月、田野倉雅秋が特別客演コンサートマスターに、渡辺美穂がコンサートマスター[2]に、それぞれ就任。
2014年4月、井上道義が首席指揮者に、田野倉雅秋が首席コンサートマスターに、それぞれ就任。同年12月、コンサートマスター渡辺美穂が退団。
2016年4月、角田鋼亮が指揮者に就任。
2017年3月、井上道義が首席指揮者を退任、同年4月、尾高忠明がミュージック・アドヴァイザーに就任。
2018年4月、尾高忠明が第3代音楽監督に就任。
年譜
1947年 朝比奈隆と鈴木剛ら関西経済人の尽力により、関西交響楽団として設立。- 1月17日 前年の10月に満州から引き揚げてきたばかりの朝比奈隆を中心に、大阪放送管弦楽団(大阪中央放送局(現在のNHK大阪放送局)所属のオーケストラ)、宝塚歌劇団、京都大学の各オーケストラの主要メンバー約70名が大阪中央放送局に結集し、新しいオーケストラ結成の意思表明を行う。いわば大フィル「旗揚げ」の日である。
- 3月中旬 新しく結成されたオーケストラを「関西交響楽団」と命名。
- 4月26日 関西交響楽団第1回定期演奏会を朝比奈隆の指揮により戦災に焼け残っていた朝日会館にて行う。関響では1953年1月の第57回定期まで定演は原則として2日公演で行われ(1950年のみ一部に1日のみ公演、1日2回公演あり)、第1回も翌27日との2日公演であった。ソロ・ピアニストに伊達純、ソプラノ笹田和子を迎え、演奏曲目はドヴォルザークの「新世界より」、リストの「ハンガリー幻想曲」、ワーグナーの「ローエングリン」より「エルザの夢」、「タンホイザー」より「エリザベートの祈り」、「リエンツィ」序曲であった[3]。
1950年- 4月 社団法人関西交響楽協会設立。専任指揮者朝比奈隆、理事長鈴木剛、専務理事兼事務局長原善一郎。
1951年- 1月20日 この日の初日(2回公演)から5月5,6日(6日のみ2回公演)の最終回(「フィデリオ」序曲と第9番「合唱付き」を演奏)まで5回に分けて、朝比奈隆の指揮により第1回目のベートーヴェン・チクルスを行う。会場はすべて毎日会館であった。以来、2018年現在、2007年の大植英次の指揮による楽団創立60周年記念のものまで、関響・大フィルを通じてベートーヴェン・チクルスは11回を数えている。11回目の大植指揮のもの以外は圧倒的多数が朝比奈指揮による公演であるが、中にはコシュラー指揮による4番、5番(1969年1月17日)といった公演もあった。1977年の楽団創立30周年記念のチクルス以後は、すべて朝比奈隆の指揮による公演であった。2018年には音楽監督尾高忠明の指揮による12回目のベートーヴェン・チクルスが進行中である。
1953年 関西交響楽団として初の東京公演。
1960年- 4月2日 関西交響楽団として最後となった第125回定期演奏会を朝比奈隆の指揮により毎日ホールにて行う。ソロ・ピアニストに賀集裕子を迎え、演奏曲目はチャイコフスキーの幻想序曲「ロメオとジュリエット」、ピアノ協奏曲第1番、交響曲第5番という、当時の朝比奈隆が最も得意としていたオール・チャイコフスキー・プロで臨み、関西交響楽団としての13年間にわたった演奏活動の掉尾を飾った。
- 大阪フィルハーモニー交響楽団に改称。定期公演の回数は、改称とともに改めて1から勘定している。
- 5月14日 大阪フィルハーモニー交響楽団第1回定期演奏会を朝比奈隆の指揮により毎日ホールにて行う。ソロ・ヴァイオリニストに辻久子を迎え、演奏曲目は、カバレフスキー組曲「道化師」よりプロローグ、ギャロップ、ワルツ、パントマイム、スケルツォ、エピローグの6曲、ハチャトゥリアンのヴァイオリン協奏曲、ショスタコーヴィチの交響曲第5番であった。この当時のコンサートマスターは小杉博英(1951年就任)。この演奏会は、大手紙の関西文化欄等において、「練習不足が目立つ」(朝日)、「前途多難」(毎日)、「演奏に熱気が感じられた」(読売)、「再建の気迫欠く」(産経)と報じられた。
1961年- 6月 安田英郎がコンサートマスターに復帰。以後、1980年1月に交通事故で急逝するまで、19年間の長きにわたってコンサートマスターを務めた。
- 9月 初の外国人コンサートマスターとして、ブレーメン交響楽団よりマルチン・バウエルトを招聘。
1962年- 3月17日 大阪フィルハーモニー交響楽団第1回東京定期演奏会を専任指揮者遠山信二の指揮により東京文化会館にて行う。ソロ・ピアニストに小川京子を迎え、演奏曲目は、「フィンガルの洞窟」序曲、「大阪俗謡による幻想曲」、モーツァルトのピアノ協奏曲ニ長調 K.537「戴冠式」、ブラームスの交響曲第4番であった。
1968年- 4月17日 第67回定期演奏会を朝比奈隆の指揮により行う。ソロ・ピアニストに園田高弘を迎え、演奏曲目はR・シュトラウスの「23弦楽器のための変容」、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」、ブラームスの交響曲第3番であった。この回より定期演奏会の会場をフェスティバルホールから大阪厚生年金会館大ホールに移す。
1969年
宇宿允人を専任指揮者として迎える。以後4年間のうち定期演奏会でのベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス」により、指揮者としてはじめての大阪文化祭賞を受賞した。
1970年- 9月21日 第85回定期演奏会を朝比奈隆の指揮により行う。ソロ・ピアニストに荒憲一を迎え、演奏曲目はシューベルトの交響曲第2番、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」、R・シュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」であった。この回より定期演奏会の会場をフェスティバルホールに戻す。
1971年- 11月4、5日 初の海外公演となる大韓民国ソウル特別演奏会をソウル市民会館にて行う。1日目の4日は朝比奈隆の指揮、2日目の5日は林元植の指揮であった。
1972年- 6月5,6日 第100回定期演奏会を朝比奈隆の指揮により行う。演奏曲目はマーラーの交響曲第8番「千人の交響曲」で、関西歌劇団、大阪音楽大学学生の合唱団など実際に1000人の出演者で演奏した。終演後、マーラーの高弟プリングスハイム教授は「私は1910年、ミュンヘンでこの曲の初演を聴いたが、それ以来の感激だ。」と挨拶した。
- 11月14日 第104回定期演奏会を近衛秀麿の指揮により行う。演奏曲目はベートーヴェンの「エグモント」序曲、交響曲第8番、R・シュトラウスの組曲「町人貴族」、「サロメ」から「7つのヴェールの踊り」であった。これが近衛の生涯最後の演奏会となった(近衛は1973年6月2日没)。
1973年- 7月24日 第12回東京定期演奏会(上野・東京文化会館)を朝比奈隆の指揮により行う。演奏曲目は、R・シュトラウスのクラリネットとファゴットのための二重小協奏曲と、ブルックナーの交響曲第5番であった。終了後の聴衆の熱狂は凄まじく、交響曲は後日、当時のFM東京でも放送され、「朝比奈/大フィルのブルックナー」を広く印象づけた。朝比奈隆自身も、「自分がブルックナーをやって行けると確信したのは、この東京での『5番』がきっかけだった」と回想している。
1975年- 10月 第1回ヨーロッパ演奏旅行。スイス、オーストリア、西ドイツ、オランダにて20回の演奏会を行う。本文に記載の聖フローリアン教会でのブルックナーの交響曲第7番の演奏はこの時のこと[4]。
1977年- 8月25日 大阪フィルハーモニー交響楽団第1回岐阜定期演奏会を手塚幸紀の指揮により岐阜市民会館にて行う。岐阜定期演奏会はこの後、翌1978年のみを例外として毎年行われている(1987年のみ2回開催)。
1978年- 6月30日 貴志康一の母校である甲南高等学校の新講堂の竣工記念に、朝比奈隆の指揮により同講堂にて演奏会を行う。ソプラノ樋本栄、ソロ・ヴァイオリニストに辻久子を迎え、演奏曲目は貴志康一の歌曲、ヴァイオリン協奏曲、交響組曲「日本スケッチ」であった。この演奏会は、「朝比奈、友情のタクト振る」と新聞、テレビ、ラジオで大きく報じられ、ライブ盤のレコードもリリースされて、貴志康一復活の大きな原動力となった。(本項目は、2009年3月31日にザ・シンフォニーホールにて行われた「貴志康一生誕100年記念コンサート」のプログラムに甲南高等学校元教諭の日下徳一(『貴志康一─よみがえる夭折の天才』(音楽之友社、2001年)の著者)寄稿のコラム記事「朝比奈隆と貴志康一」に全面的に依拠している。)
1980年- 4月 北米演奏旅行。カナダ、アメリカ合衆国にて17回の演奏会を行う。
1984年- 4月24日 第200回定期演奏会を朝比奈隆の指揮により行う。演奏曲目は日本初演となるフルトヴェングラーの交響曲第2番であった。
1985年- 9月6-10日 台湾演奏旅行。台中、台南、高雄、基隆、台北(日程順)の5都市において1公演ずつ行う。最後の台北公演(会場は国父記念会館)のみ朝比奈隆が指揮台に上り、台北以外での指揮は朝比奈千足が務めた。
1986年- 10月 第2回ヨーロッパ演奏旅行。スイス、ユーゴスラヴィア、チェコスロヴァキア、オーストリア、西ドイツ、オランダにて14回の演奏会を行う。
1991年- 7月29日 大阪市西成区岸里の南海電鉄天下茶屋工場跡地に地上3階建ての「大阪フィルハーモニー会館」が完成[5]。交響楽団、協会がともに移転。これにより、交響楽団がかねてから念願の自前の練習場を確保するとともに、楽団と協会の同居を実現した。
1992年- 10月 第3回ヨーロッパ演奏旅行。ドイツ、イギリス、ギリシアにて18回の演奏会を行う。
1995年 大植英次初めて大阪フィルを客演指揮、1996年に再度客演指揮。- 1月17日 第285回定期演奏会が阪神淡路大震災のため中止となる(関響、大フィルを通じて、定期演奏会が中止となったのはこの回のみである)。幸いにも大フィル団員およびその家族に震災による犠牲者はなかった[6]。この後、1月30日より演奏活動を再開した。
1996年- 7月5日 第300回定期演奏会を朝比奈隆の指揮により行う。演奏曲目はブルックナーの交響曲第8番であった。
2001年- 10月24日 大阪フィルハーモニー交響楽団2001年秋名古屋演奏会を、朝比奈隆の指揮により愛知県芸術劇場コンサートホールにて行う。ソロ・ピアニストに小山実稚恵を迎え、演奏曲目はチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番、交響曲第5番であった[7]。終演後拍手は鳴り止まなかったが、朝比奈隆は極度の疲労のためカーテンコールに応えることができなかった。この公演の直後、体調不良により入院。病床から願い続けた復帰は遂に叶えられることがなかったため、この名古屋演奏会でのチャイコフスキーが朝比奈隆の指揮台での最後の姿となった。最後の舞台のプログラムは朝比奈がその長かった指揮者人生で一貫して得意中の得意としてきたチャイコフスキーであり、しかも、奇しくも1960年4月2日における関西交響楽団最後の定期演奏会のプログラムとほぼ同じであった。なお、チャイコフスキーの交響曲第5番は朝比奈最後の演奏会から5年後の同月、2006年10月の第402回定期演奏会において、音楽監督大植英次の指揮で演奏された。
- 12月29日 音楽総監督・朝比奈隆逝去。享年93。
2003年 定期演奏会の会場をフェスティバルホールからザ・シンフォニーホールに移転し、2日間公演とする。- 5月9,10日 大植英次音楽監督就任披露定期演奏会(本文参照)。
2005年- 3月20日 大植英次音楽監督就任後初となる第42回東京定期演奏会(本文参照)。
2006年- 4月29日 大阪城西の丸庭園において、大植英次の指揮により楽団史上初の野外コンサートを開催。9,300人以上を動員する一大イベントとなり、大成功を収める。演奏曲目は、「キャンディード」序曲、「惑星」より"木星"、序曲「1812年」、交響詩「ローマの松」より"アッピア街道の松"他。
- 7月6,7日 第400回定期演奏会を、正式の演奏会では初の客演となる大野和士の指揮により行う。ソロ打楽器奏者に中村功を迎え、演奏曲目はモーツァルトの交響曲第33番(定期初演)、細川俊夫の打楽器協奏曲「旅人」、ショスタコーヴィチの交響曲第15番であった。
- 9月3-9日 大植英次のプロデュースにより、大阪フィルハーモニー協会と大阪市の主催で、「大阪クラシック-御堂筋にあふれる音楽-」の企画公演を展開。期間中、大阪市のメインストリートである御堂筋沿いの18の会場において、大阪フィルハーモニーの団員による室内楽など計50公演(ごく一部の団員が出演しない公演をも含んだ数)を行う。大植によれば、1つのオーケストラの団員が1週間にわたって「街に出て」公演を行うというのは「僕の知る限りおそらく世界の都市で初めての試み」。主催者側の当初予想を2倍以上上回る入場者数延べ約22,000人を達成、大成功を収める。
2007年- 3月28日 日本オーケストラ連盟が制定したオーケストラの日の企画として、第406回定期演奏会に向けた大阪フィルハーモニー会館における練習を公開した。曲目は秋山和慶の指揮により、ソロ・チェロ奏者にジャン・ワンを迎え、演奏会当日のプログラムの全曲目、エルガーのチェロ協奏曲とホルストの組曲「惑星」であった(ただし、時間の関係上「惑星」は練習1コマ分を公開)。公開終了後は会館ロビーにて大フィルの過去の演奏会プログラム(海外公演の時の貴重なものも含まれていた)が持ち帰り自由で提供され、殺到するファンたちの姿が見られた。
- 4月20日 楽団創立60周年を記念する『大阪フィルハーモニー交響楽団創立60周年記念史』を刊行。全122頁で、60年間の年譜、定期演奏会の記録や歴代団員リストのほか、貴重な記録写真や著名客演指揮者・共演者のサイン帳、現在・過去の団員のメッセージなど、多彩な内容となっている。
- 4月29日 昨年に引き続き、大阪城西の丸庭園において野外公演「星空コンサート」を開催。昨年をさらに上回る14,000人以上を動員、大成功を収める。大植英次の指揮により、演奏曲目は「キャンディード」序曲、映画「E.T.」から“フライング・シーン”、「ボレロ」、序曲「1812年」他。途中12歳の見渡風雅をソロ・ヴァイオリン奏者に迎え、サン=サーンスの「序奏とロンド・カプリチオーソ」を演奏した。この「星空コンサート」は翌2008年以降も毎年開催され、大フィルの恒例イベントとして定着していたが、2012年の第7回をもって一旦終了した。
- 6月14日 第409回定期演奏会を指揮するはずの大植英次が演奏会開始直前に体調を崩し入院、指揮不可能になる。前半のフォーレのレクイエムは合唱指揮の三浦宣明の指揮、後半のブラームスの交響曲第4番は指揮者不在、コンサートマスター長原幸太のリードで演奏。翌15日も大植は回復せず、同様の指揮とリードで演奏された。
- 9月2-8日 昨年に引き続き、大植英次のプロデュースにより大阪クラシック実行委員会(大阪フィルハーモニー協会、大阪市、御堂筋まちづくりネットワークの三者で構成)の主催で、「大阪クラシック-御堂筋にあふれる音楽-」の企画公演を展開。期間中、大阪市のメインストリートである御堂筋沿いの15の会場において、大阪フィルハーモニーの団員による室内楽など計60公演(ごく一部の団員が出演しない公演をも含んだ数)を行う。60公演という公演数は大阪フィルハーモニー創立60周年にちなんだものである。昨年を約6,000人上回る入場者数延べ約28,000人を達成、昨年に引き続き大成功を収める。
- 12月11-16日 大フィル創立60周年記念行事の一環として、リーガロイヤルホテル1階リーガロイヤルギャラリーにて「永遠のマエストロ 朝比奈隆展」を開催。関響第1回演奏会や同じく関響時代の松竹定期演奏会数回分などのポスター、朝比奈の鉛筆書き入れでページが埋め尽くされた愛用の総譜をはじめ、貴重な資料が展示された。
2008年- 7月23日 大阪府議会本会議にて2008年度補正予算が可決成立、これにより翌年度の大阪府から大フィルへの助成金の廃止が正式決定した。
- 9月7-13日 一昨年、昨年に引き続き、大植英次のプロデュースにより大阪クラシック実行委員会(大阪フィルハーモニー協会、大阪市、御堂筋まちづくりネットワークの三者で構成)の主催で、「大阪クラシック-御堂筋にあふれる音楽-」の企画公演を展開。期間中、大阪市のメインストリートである御堂筋沿いの17の会場において、大阪フィルハーモニーの団員による室内楽など計66公演(ごく一部の団員が出演しない公演、及び緊急追加の1公演(9月12日ピアニスト小曽根真と大植英次とのピアノデュオ公演)をも含んだ数)を行う。昨年をさらに約9,000人上回る入場者数延べ約37,000人を達成、一昨年、昨年をも上回る大成功を収める。
2009年- 2月17,19,20日 第46回東京定期演奏会(17日、サントリーホール)、第425回定期演奏会を大植英次の指揮により行う。ソロ・ピアニストにジャン=フレデリック・ヌーブルジェを迎えてのモーツァルトのピアノ協奏曲変ホ長調 K.271「ジュノム」の演奏の後、メインプログラムとしてマーラーの交響曲第5番を演奏した。
- 3月31日 貴志康一の生誕100周年に当たるこの日、「貴志康一生誕100年記念コンサート」を小松一彦の指揮によりザ・シンフォニーホールにて行う。ソプラノ坂本環、ソロ・ヴァイオリニストに小栗まち絵を迎え、演奏曲目は全て貴志康一の、歌曲「天の原」「かごかき」「赤いかんざし」「力車」、ヴァイオリン協奏曲、交響曲「仏陀」であった。
- 8月30日-9月5日 過去三年に引き続き、大植英次のプロデュースにより大阪クラシック実行委員会(大阪フィルハーモニー協会、大阪市、御堂筋まちづくりネットワークの三者で構成)の主催で、「大阪クラシック-御堂筋にあふれる音楽-」の企画公演を展開。期間中、大阪市のメインストリートである御堂筋沿い及び中之島の22の会場において、大阪フィルハーモニーの団員による室内楽など計100公演(一部の団員が出演しない公演をも含んだ数)を行う。この100公演という数は、2006年に「大阪クラシック」が始まった時の公演数50のちょうど2倍に当たる。今回はテーマとして「B!」を掲げ、各公演において「B」との関連が奏者から発表された。昨年をさらに約13,700人上回る入場者数延べ約50,700人を達成、延べ入場者数が50,000人を突破し過去三年をもさらに大きく上回る大成功を収める。
- 11月1日 客演コンサートマスターとして崔文洙を迎える。
2010年- 2月28日 コンサートマスター梅沢和人が退団。
2011年- 3月15,16日 第446回定期演奏会のソリストに予定されていたアメリカ人ヴァイオリニストアン・アキコ・マイヤースが、東日本大震災に伴う東京電力福島第1原子力発電所からの放射能漏れの影響を危惧して、本番当日ホールゲネプロの直前になって[8]突然の降板表明。これを受けて急遽、首席コンサートマスター長原幸太がメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲により見事代演を果たした。定期演奏会1日目の15日はコンマス席を空けてのソロ演奏であったが、翌16日にはこちらも急遽、東京から客演コンサートマスター崔文洙が駆けつけてコンマス席に座った。
- 4月1日 客演コンサートマスター崔文洙が首席客演コンサートマスターに就任。
- 7月17日 団員有志の企画による「震災復興チャリティーコンサート~大阪フィルメンバーと仲間たち~」を西成区民センターホールにて行う。第450回定期演奏会のソリストとして来阪中のチェリスト趙静が趣旨に賛同し、また大フィルメンバーとの年来の友情により、参加した。演奏曲目はバルトークのルーマニア民俗舞曲(弦楽合奏版)、首席コンサートマスター長原幸太のヴァイオリン、鈴木康浩のヴィオラ各ソロによるモーツァルトのヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲K.364、ドヴォルザークの弦楽四重奏曲第12番op.96「アメリカ」、趙静のソロによるハイドンのチェロ協奏曲第1番ハ長調であった。アンコールの最後では、長原幸太と趙静のデュオ(この二人はかつて同じカルテットのメンバー同士であった[9])によりヘンデル-ハルヴォルセンのパッサカリアの息の合った演奏を披露した。また、この公演ではセカンドヴァイオリントップ奏者の田中美奈がフォアシュピーラーを務めた。
2012年- 3月31日 「大植英次スペシャルコンサート」を大植英次の指揮により行う。演奏曲目はブルックナーの交響曲第8番であった。このコンサートを最後に大植は音楽監督を退任。また、首席コンサートマスター長原幸太、セカンドヴァイオリントップ奏者佐久間聡一もこのコンサートを最後に退団した。さらに、ホルントップ奏者池田重一、打楽器トップ奏者坂上弘志もこの日をもって退団した。これにより、「桂冠指揮者」と首席客演コンサートマスターのみで常任の指揮者もコンサートマスターも欠くという、プロオーケストラとしては極めて異例の状態となった。
- 4月1日 大植英次が「桂冠指揮者」に就任。社団法人大阪フィルハーモニー協会が公益社団法人大阪フィルハーモニー協会に移行。
- 4月5日 大阪市の改革プロジェクトチームが取りまとめた「施策・事業の見直し(試案)」が公表され、大阪フィルハーモニー協会への運営補助金は2012年度以降、対2011年度比で25%削減されることが示された[10]。この後、6月に「市政改革プラン(案)」取りまとめ、7月に予算案策定、とスケジュールは続く。
- 4月12,13日 第457回定期演奏会を尾高忠明の指揮により行う。ソロ・ピアニストに萩原麻未を迎え、演奏曲目はモーツァルトのピアノ協奏曲第23番とブルックナーの交響曲第7番であった。
- 9月1日 田野倉雅秋が特別客演コンサートマスターに、渡辺美穂がコンサートマスターに、それぞれ就任した。これにより、上記の「プロオーケストラとしては極めて異例の状態」のうちコンサートマスターについては解消された。
- 10月25日 トランペットトップ奏者の篠崎孝が第81回日本音楽コンクールトランペット部門において優勝を果たした。総勢161名にのぼる応募者の中からの優勝であった。なお、篠崎は前回(トランペット部門は3年に1度の開催)2009年の第78回同コンクール同部門においても第3位の成績を収めている。
2013年- 4月19日 第467回定期演奏会のプレトークの中で、2013年は「星空コンサート」を開催しないことが明言された。2006年の第1回開催から毎年続けられてきた「星空コンサート」は、2012年の第7回をもって一旦終了することとなった。
- 6月20,21日 第469回定期演奏会をレオン・フライシャーの指揮により行う。ソロ・ヴァイオリニストは首席客演コンサートマスターの崔文洙が務め、演奏曲目はベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲、ラヴェルの組曲「クープランの墓」、及びウォルトンの「管弦楽のためのパルティータ」であった。コンサートマスター、フォアシュピーラーはそれぞれ田野倉雅秋、渡辺美穂が務めたため、この定期演奏会において2012年9月の両コンサートマスター就任以来初めて、大フィルコンサートマスター陣のステージでの揃い踏みが実現した。
- 9月25日 2014年度シーズンより、井上道義を首席指揮者として招くこと[11]、及び定期演奏会の会場を2日間開催は維持した上で新生フェスティバルホールに戻すことが発表された。これにより、上記の「プロオーケストラとしては極めて異例の状態」が全面的に解消されることとなった。
2014年- 4月1日 井上道義が首席指揮者に、特別客演コンサートマスター田野倉雅秋が首席コンサートマスターに、それぞれ就任。
- 4月4,5日 井上道義首席指揮者就任披露[12]第477回定期演奏会を井上道義の指揮により行う。ソロ・ヴァイオリニストに神尾真由子を迎え、演奏曲目はチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲とショスタコーヴィチの交響曲第4番であった。この回より定期演奏会の会場をザ・シンフォニーホールから新生フェスティバルホールに移す。ザ・シンフォニーホールでの定期演奏会は、2003年4月の第367回から2014年3月の第476回まで、11年間110回にわたった。
- 6月26,27日 第479回定期演奏会を下野竜也の指揮により行う。ソロ・ピアニストにアルド・チッコリーニを迎え、演奏曲目はラヴェルの「古風なメヌエット」、サン=サーンスのピアノ協奏曲第5番「エジプト風」、ブルックナーの序曲ト短調、及びヒンデミットの交響曲「画家マティス」であった。この定期演奏会が、1973年5月の入団以来41年2ヶ月の長きにわたって大フィルのハープを担った今尾淑代の正団員としての最後の演奏会となった(今尾は6月30日をもって退団)。
- 7月18,19日 第480回定期演奏会をユベール・スダーンの指揮により行う。演奏曲目はシューベルトの交響曲第5番とブルックナーの交響曲第4番「ロマンティック」であった。2000年11月の第343回以来約14年ぶりの定期演奏会でのブルックナーの交響曲第4番は、大フィルのブルックナー演奏史に新たな一頁を加えた。
- 12月31日 コンサートマスター渡辺美穂が退団。
2015年- 1月24日 「大ブルックナー展第1回」を首席指揮者井上道義の指揮により兵庫県立芸術文化センターにて行う。演奏曲目はブルックナーの交響曲第8番(ノヴァーク版)であった。これまで136回にわたって大フィルを指揮してきた井上であるが、ブルックナーの交響曲を全楽章通して指揮したのは1985年の民音シンフォニーシリーズにおける交響曲第1番以来、30年ぶり2回目のことであった[13]。終演の後、井上は自らのオフィシャルウェブサイトに「あの演奏はそのままウィーンでやってもよかった。」とのコメントを寄せた。
- 11月4日 大韓民国・大邱(テグ)市大邱市民会館にて開催の第1回アジア・オーケストラ・シンポジウムに出演。金聖響の指揮により、ソロ・ヴァイオリニストにクララ・ジュミ・カンを迎え、演奏曲目は武満徹の「弦楽のためのレクイエム」、ブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番及びチャイコフスキーの交響曲第5番であった。大フィルの海外での演奏は1992年10月の第3回ヨーロッパ演奏旅行(本年譜該当年を参照)以来で、23年ぶりのこと。また、大フィルが韓国で演奏するのは、大フィル初の海外公演であった1971年11月のソウル市民会館での公演(本年譜該当年を参照)以来で、44年ぶりのことであった。11月4日は朝比奈隆が指揮台に登壇して演奏した日であり、奇しくも日付けが一致している。
- 12月16,17日 第494回定期演奏会をアレクサンダー・リープライヒの指揮により行う。ソロ・ピアニストにゲルハルト・オピッツを迎え、演奏曲目はリヒャルト・シュトラウスのバレエ組曲「ホイップ・クリーム」より「ワルツ」、交響詩「死と変容」、及びブラームスのピアノ協奏曲第2番であった。リープライヒの指揮、オピッツのピアノによる協奏曲第2番は、大フィルのブラームス演奏史に新たな一頁を加えた。
2016年- 2月5,6日 第495回定期演奏会をヨエル・レヴィの指揮により行う。演奏曲目はマーラーの交響曲第7番「夜の歌」であった。大阪で22年ぶり[14]となる交響曲第7番「夜の歌」は、大フィルのマーラー演奏史に新たな一頁を加えた。
- 3月11,12日 第496回定期演奏会を尾高忠明の指揮により行う。ソロ・ヴァイオリニストに諏訪内晶子を迎え、演奏曲目はリャードフの交響詩「魔法にかけられた湖」、プロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第1番及びラフマニノフの交響曲第2番であった。プログラム終演後、東日本大震災発生から5年となることに思いを馳せ、特別にエルガーの「エニグマ変奏曲」より「ニムロッド」が演奏された。尾高の指揮による交響曲第2番は、大フィルのラフマニノフ演奏史に新たな一頁を加えた。
- 4月1日 角田鋼亮が指揮者に就任。
- 7月21,22日 第500回定期演奏会を井上道義の指揮により行う。メゾ・ソプラノ サンドラ・フェランデス、バリトン ガスパール・コロン、ソロバンドネオン奏者に三浦一馬を迎え、演奏曲目はバカロフの「ミサ・タンゴ」及びベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」であった。定期演奏会500回を記念して、関西交響楽団、大フィルのすべての定期演奏会の会場、指揮者、ソリスト、演奏曲目を記録した小冊子『定期演奏会全記録』が聴衆全員に無償配布された。
- 9月27,28日 第502回定期演奏会をエリアフ・インバルの指揮により行う。演奏曲目はモーツァルトの交響曲第25番とマーラーの交響曲第5番であった。インバルの指揮による交響曲第5番は、大フィルのマーラー演奏史に新たな一頁を加えた。
- 11月11,12日 第503回定期演奏会をシモーネ・ヤングの指揮により行う。演奏曲目はいずれもブラームスの、「悲劇的序曲」、「運命の歌」(合唱は大阪フィルハーモニー合唱団)、及び交響曲第2番であった。シモーネ・ヤングの指揮による交響曲第2番は、大フィルのブラームス演奏史に新たな一頁を加えた。
- 11月28日 首席指揮者井上道義が2017年3月31日をもって3年の任期の終了に伴い退任すること、尾高忠明が同年4月よりミュージック・アドヴァイザーに、2018年4月より、朝比奈隆(音楽総監督)、大植英次に続く大フィルの第3代音楽監督に就任することが公式発表された。
2017年- 2月17,18日 第505回定期演奏会を井上道義の指揮により行う。演奏曲目はショスタコーヴィチの交響曲第11番「1905年」及び交響曲第12番「1917年」であった。首席指揮者として最後の定期演奏会となった井上の指揮による二つの交響曲は、大フィルの、ショスタコーヴィチのみならず全演奏史に新たな一頁を加えた。
- 2月22日 楽団創立70周年記念第50回東京定期演奏会を井上道義の指揮により、チケット完売で満席となった東京芸術劇場にて行う。演奏曲目は、上記第505回定期演奏会と同じ、ショスタコーヴィチの交響曲第11番「1905年」及び交響曲第12番「1917年」であった。首席指揮者として最後の指揮台となった井上の指揮による二つの交響曲は、第505回定期演奏会に引き続き大フィルの全演奏史に新たな一頁を加えた。終演後のスピーチで井上は、「大フィルは素晴らしい演奏をした。」(発言要旨)と大フィルの演奏を讃えた。また、自らのオフィシャルウェブサイトに「大フィルの持つものすべてが表現された音楽会だった。」とのコメントを寄せ、さらに「運よく欧米から来日していた重要な批評家さんたちにも大好評な結果が生まれた。」と記した。
- 2月28日 日本経済新聞大阪本社版夕刊に、音楽評論家藤野一夫による第505回定期演奏会の批評が掲載される。藤野は批評を「大フィルの歴史に残る濃密な時間だった。」と締めくくった。
- 3月31日 井上道義が首席指揮者を退任。
- 4月1日 尾高忠明がミュージック・アドヴァイザーに就任。
- 5月12,13日 第508回定期演奏会をウラディーミル・フェドセーエフの指揮により行う。演奏曲目はウェーバーの歌劇「オベロン」序曲と交響曲第1番、及びチャイコフスキーの交響曲第5番であった。フェドセーエフの指揮による交響曲第5番は、大フィルの伝統あるチャイコフスキー演奏史に新たな一頁を加えた。2日目13日の公演において、前半のウェーバーの交響曲第1番の演奏の後、フェドセーエフは極めて異例にもフルートとオーボエのそれぞれトップ奏者野津臣貴博と浅川和宏に二度にわたって起立を求め、大フィル木管セクションの演奏に称賛の意を示した。
- 5月21日 「大ブルックナー展最終回」を井上道義の指揮により兵庫県立芸術文化センターにて行う。ソロ・ヴァイオリニストに前橋汀子を迎え、演奏曲目はショーソンの「詩曲」、マスネの「タイスの瞑想曲」、及びブルックナーの交響曲第9番(ノヴァーク版)であった。本回をもって、2015年1月24日の第1回(本年譜該当年を参照)以来6回にわたった「大ブルックナー展」は完結した。掉尾を飾った井上の指揮による交響曲第9番は、大フィルのブルックナー演奏史に新たな一頁を加えた。
- 6月10日 楽団創立70周年記念企画の一環として、「朝比奈隆の軌跡 オン・スクリーン」をザ・シンフォニーホールにて開催する。3回に分け、1990年11月のチャイコフスキーの交響曲第5番、2000年7月のベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」、2001年7月のブルックナーの交響曲第8番(ハース版)などの演奏がステージに設置された大スクリーンで上映された。実演ではないにもかかわらず、各回とも多くの観客が会場に足を運んだ。
- 7月27,28日 第510回定期演奏会をエリアフ・インバルの指揮により行う。演奏曲目はマーラーの交響曲第6番「悲劇的」であった。インバルの指揮による交響曲第6番は、大フィルの、マーラーのみならず全演奏史に新たな一頁を加えた。
- 9月26,27日 第511回定期演奏会をユベール・スダーンの指揮により行う。演奏曲目はシューベルトの交響曲第7番「未完成」と交響曲第8番「ザ・グレイト」[15]であった。スダーンの指揮による交響曲第7番と第8番は、大フィルのシューベルト演奏史に新たな一頁を加えた。
- 10月19,20日 第512回定期演奏会を今回が最後の来日となるラドミル・エリシュカの指揮により行う。ソプラノソロに木下美穂子、バリトンソロに青山貴を迎え、演奏曲目はいずれもドヴォルザークの、「伝説曲」より第1曲から第4曲、「テ・デウム」(合唱は大阪フィルハーモニー合唱団、合唱指揮福島章恭)、及び交響曲第6番であった。2日目20日の終演の後、会場はエリシュカ・大フィルのこれまでの演奏[16]に想いを馳せつつのスタンディングオベーションとなった。
- 11月16日 「ソワレ・シンフォニー vol. 10」を大友直人の指揮により、ザ・シンフォニーホールにて行う。ソロ・ピアニストに牛田智大を迎え、演奏曲目はラフマニノフのピアノ協奏曲第2番とチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」であった。大友の指揮による交響曲第6番「悲愴」は、大フィルの伝統あるチャイコフスキー演奏史に新たな一頁を加えた。[17]
- 11月22,23日 第513回定期演奏会をミュージック・アドヴァイザー尾高忠明の指揮により行う。演奏曲目はモーツァルトの交響曲第39番、第40番、及び第41番「ジュピター」であった。尾高の指揮による三大交響曲は、大フィルのモーツァルト演奏史に新たな一頁を加えた。
- 12月27日 第512回定期演奏会(本年譜該当項目を参照)の成果により、文化庁芸術祭賞音楽部門優秀賞を受賞。
2018年- 1月16日 第505回定期演奏会(本年譜該当項目を参照)及び2017年7月14,15日のバーンスタインの「ミサ」上演の成果により、井上道義とともに2017年度音楽クリティック・クラブ賞本賞を受賞。
- 1月18,19日 第514回定期演奏会を大フィル指揮者角田鋼亮の指揮により行う。ソロ・ヴァイオリニストに竹澤恭子を迎え、演奏曲目はコルンゴルトのヴァイオリン協奏曲とマーラーの交響曲第1番「巨人」であった。大フィル指揮者角田の定期デビューとなった交響曲第1番「巨人」は、大フィルのこれまでの多彩なマーラー演奏史に新たな一頁を加えた。
- 2月16,17日 第515回定期演奏会をアンドレア・バッティストーニの指揮により行う。演奏曲目はレスピーギの交響詩「ローマの噴水」、「ローマの祭り」及び「ローマの松」(演奏順)であった。バッティストーニの指揮によるレスピーギの「ローマ三部作」は、大フィルの演奏史に新たな一頁を加えた。
- 4月1日 尾高忠明が第3代音楽監督に就任。須山暢大がコンサートマスターに就任。
- 4月7,8日 尾高忠明音楽監督就任披露第517回定期演奏会を尾高忠明の指揮により行う。演奏曲目は三善晃の「オーケストラのための「ノエシス」」とブルックナーの交響曲第8番であった。音楽監督就任披露演奏会での尾高の指揮による交響曲第8番は、大フィルを代表するレパートリーとも言うべきブルックナー演奏史に新たな一頁を加えた。
- 4月13,14日 弦セクションの大多数のメンバーの出演による「大阪フィルのメンバーによる弦楽合奏の愉しみ」公演を、13日は改装工事が終了して4月1日から再開したばかりの吹田市文化会館メイシアターにて、14日は大フィル会館にて行う。演奏曲目はヴィヴァルディのヴァイオリン協奏曲集「四季」(ソリスト(コンサートマスター)は首席客演コンサートマスター崔文洙)とメンデルスゾーンの弦楽八重奏曲(弦楽合奏版)であった。この公演には、2008年の第77回日本音楽コンクールでヴァイオリン部門第2位、岩谷賞、E・ナカミチ賞を受賞し、大フィルをバックにソリストとしてラヴェルのツィガーヌを演奏した[18]こともある石上真由子が客演し、「四季」では第1ヴァイオリン、弦楽八重奏曲では第2ヴァイオリンのそれぞれトップを務めた。
- 4月26日 大フィルの公式twitterアカウントが「本日大阪フィルは71歳の誕生日を迎えました。」とツイート。4月26日は、1947年に戦災に焼け残った朝日会館にて関西交響楽団の第1回定期演奏会が行われた日であり(本年譜該当項目を参照)、この日を大フィルが公式に誕生日と位置づけていることが明らかとなった。
- 5月17日 関響・大フィル通算で12回目、大植英次の指揮による楽団創立60周年記念の2007年の前回から11年ぶりとなるベートーヴェン交響曲全曲演奏会の第1回公演を音楽監督尾高忠明の指揮により行う。演奏曲目は、いずれもベートーヴェンの、「プロメテウスの創造物」序曲、交響曲第1番、「エグモント」序曲、及び交響曲第2番(演奏順)であった。音楽監督尾高の指揮による上記4曲は、大フィルのベートーヴェン演奏史に新たな一頁を加えた。
- 5月18日 枚方市と連携協力に関する協定を締結。2020年開館予定の(仮称)枚方市総合文化芸術センターでの公演をはじめとして、枚方市民を対象とした音楽の普及啓発、学校などと連携した教育支援といった活動を行っていく予定。
- 5月29,30日 第518回定期演奏会をダニエーレ・ルスティオーニの指揮により行う。ソプラノ小林沙羅を迎え、演奏曲目はメンデルスゾーンの交響曲第4番「イタリア」とマーラーの交響曲第4番であった。ルスティオーニの指揮による交響曲第4番は、大フィルのこれまでの多彩なマーラー演奏史に新たな一頁を加えた。また、この定期演奏会が、1988年6月の入団以来29年11ヶ月の長きにわたって大フィルの低弦を支えたコントラバス・トップ奏者新眞二の正団員としての最後の演奏会となった(新は5月31日をもって退団)。
- 6月5日 日本経済新聞大阪本社版夕刊に、音楽評論家藤野一夫による「尾高指揮、楽聖の意志表現」と題するベートーヴェン交響曲全曲演奏会第1回公演の批評が掲載される。藤野は批評を「生誕250年に先立つ美しくも崇高な贈り物だ。」と締めくくった。
- 6月8日 ベートーヴェン交響曲全曲演奏会の第2回公演を音楽監督尾高忠明の指揮により行う。演奏曲目はベートーヴェンの交響曲第4番と交響曲第3番「英雄」(演奏順)であった。音楽監督尾高の指揮による交響曲第3番「英雄」、第4番は、大フィルのベートーヴェン演奏史に新たな一頁を加えた。
- 6月15,16日 第519回定期演奏会をヤデル・ビニャミーニの指揮により行う。ソロ・ピアニストにアンヌ・ケフェレックを迎え、演奏曲目はペルトの「フェスティナ・レンテ」、モーツァルトのピアノ協奏曲第22番、及びリムスキー=コルサコフの交響組曲「シェエラザード」[19](ソロ・ヴァイオリンは首席コンサートマスター田野倉雅秋)であった。ケフェレックのピアノによる協奏曲第22番は、大フィルのモーツァルト演奏史に新たな一頁を加えた。さらに、ビニャミーニの指揮による「シェエラザード」は、大フィルの全演奏史に新たな一頁を加えた。
- 7月20日 ベートーヴェン交響曲全曲演奏会の第3回公演を音楽監督尾高忠明の指揮により行う。演奏曲目はベートーヴェンの交響曲第6番「田園」と交響曲第5番(演奏順)であった。音楽監督尾高の指揮による交響曲第5番、第6番「田園」は、大フィルのベートーヴェン演奏史に新たな一頁を加えた。
- 9月15日 大阪クラシック[20]のフィナーレ第81公演を大植英次の指揮により、フェスティバルホールにて行う。演奏曲目はチャイコフスキーの交響曲第4番であった。桂冠指揮者大植の指揮による交響曲第4番は、大フィルの伝統あるチャイコフスキー演奏史に新たな一頁を加えた。
- 9月21,22日 第521回定期演奏会をアンドリス・ポーガの指揮により行う。ソロ・ホルン奏者にラデク・バボラークを迎え、演奏曲目はハイドンの交響曲第82番「熊」、パウエルのホルン協奏曲、及びプロコフィエフの交響曲第5番であった。ポーガの指揮によるプロコフィエフの交響曲第5番は、大フィルのロシア音楽演奏史に新たな一頁を加えた。また、この定期演奏会が、1977年1月の入団以来41年9ヶ月の長きにわたって大フィルの打楽器セクションで活躍した久保田善則の正団員としての最後の定期演奏会となった(久保田は9月30日をもって退団)。
- 9月下旬 関響、大フィルを通じて国内都道府県で演奏に訪れたことのない「空白県」は千葉県一県を残すのみとなっていたが、文化庁学校巡回公演で千葉県の小学校を訪問(9月28日千葉市立磯部小学校ほか)。これにより、大フィル創立71年半(関響時代を含む)にして遂に「空白県」を解消、47都道府県全てでの演奏を達成した[21]。
- 10月25,26日 第522回定期演奏会をパスカル・ロフェの指揮により行う。ソプラノソロに市原愛、バリトンソロに萩原潤を迎え、演奏曲目はフォーレのレクイエムとストラヴィンスキーの「火の鳥」(1910年原典版)であった。フォーレのレクイエムは第2稿に基づくラター版が演奏され、ソロ・ヴァイオリンは首席コンサートマスター田野倉雅秋が務めた。ロフェの指揮、大阪フィルハーモニー合唱団の合唱、福島章恭の合唱指揮によるフォーレのレクイエムは、大フィルの合唱曲演奏史に新たな一頁を加えた。
また、近年行われた「バーンスタイン・ミサ」は高い評価をされている。
歴代常任指揮者・音楽監督等
1947年 - 2001年 朝比奈隆(常任指揮者/のち音楽総監督・没後は創立名誉指揮者)
2003年 - 2012年 大植英次(音楽監督/2012年4月より桂冠指揮者)
2014年 - 2017年 井上道義(首席指揮者)
2018年 - 尾高忠明(音楽監督)
この他、秋山和慶、宇宿允人、外山雄三、若杉弘、尾高忠明などが、常任指揮者やミュージック・アドヴァイザーなどとして在任した。
演奏会
- 定期演奏会
フェスティバルホール(年間10プログラム、演奏会回数20回)
- 東京定期演奏会
サントリーホール、東京文化会館など(年間1プログラム、演奏会回数1回。開催されなかった年もある。)
- 岐阜定期演奏会
サラマンカホール(年間1プログラム、演奏会回数1回)
- マチネ・シンフォニー
ザ・シンフォニーホール(年間2プログラム、演奏会回数2回)
- ソワレ・シンフォニー
ザ・シンフォニーホール(年間2プログラム、演奏会回数2回)
- 京都特別演奏会
京都コンサートホール(年間1プログラム、演奏会回数1回)
- 神戸特別演奏会
神戸国際会館こくさいホール(年間1プログラム、演奏会回数1回)
- 新春名曲コンサート
フェスティバルホール(年間1プログラム、演奏会回数1回)
- 3大交響曲の夕べ
フェスティバルホール(年間1プログラム、演奏会回数1回)
- 南海コンサート
大阪狭山市文化会館(SAYAKAホール)、浪切ホール,河内長野市立文化会館(ラブリーホール)など、南海電鉄沿線のホール(年間1プログラム、演奏会回数1回)
- 八尾演奏会
八尾市文化会館(プリズムホール)(年間1プログラム、演奏会回数1回)
- にしなりクラシック
- 大阪フィルハーモニー会館(年間2プログラム、演奏会回数2回)
- KEIBUN第九
滋賀県立芸術劇場 びわ湖ホール(年間1プログラム、演奏会回数1回)
関連項目
- オーケストラの一覧
- クラシック音楽の指揮者一覧
- コンサートマスター
- 在阪オーケストラ
- 大阪クラシック
南海電気鉄道(沿線自治体のホールで大阪フィルと「南海コンサート」を開催)
脚注
^ 「大フィルサウンド」は、2018年度京都特別演奏会(同年10月6日、角田鋼亮の指揮により京都コンサートホールにて開催)の公式フライヤーに「都に響く! 縦横無尽の大フィルサウンド」と謳われているとおり、大フィルとしても公認の表現となっている。
^ コンサートマスターを女性が務めるときはコンサートミストレスといわれることがあるが、大フィルでは男女とも同じである。
^ 演奏曲目の記載順序は、当演奏会のポスターに番号付きで掲載されているものに従う。
^ この時のことを、セカンドヴァイオリン奏者近藤緑は「第2楽章と第3楽章の間に(中略)朝比奈先生がちょうど手を胸のあたりまで上げたところで鐘が鳴り始めたため、静かに手をおろしました。私たちも目を閉じ、鐘の音に聞き入りました。演奏中私は教会に響き渡る音色に全身が震え、ほとばしる感動を覚えました。私の人生の中で最も幸せなひと時でした。」と述懐している(第493回定期演奏会プログラム、「私のお気に入りのCD」に掲載)。
^ 南海電気鉄道 『南海二世紀に入って十年の歩み』、1995年、68,108頁。
^ 第286回定期演奏会プログラムの冒頭に掲載された「謹告」による。
^ この時のことを、ヴィオラトップ奏者小野眞優美は「「何もしなくていい!やりたい事は全部判っているので、最後までそこにいてくれるだけでいい!」と弾きながら祈るような気持ちでした。」と述懐している(第464回定期演奏会プログラム、「大阪フィルの間」に掲載)。
^ 大阪フィルハーモニー交響楽団オフィシャルブログの記事による。
^ 公演における長原のステージでの発言。
^ 2011年度に大阪フィルハーモニー協会が1億1000万円、文楽協会が5200万円であったものが、2012年度から2014年度までは両者合計で1億2200万円。両協会それぞれ単独での内訳は資料に明記されていないが、25%削減を当てはめると大阪フィルハーモニー協会の削減幅は2750万円となり、両協会合計での資料上の数字とも合致する。
^ 大フィルは当初、音楽監督への就任を依頼したが、井上がすでに音楽監督を務めていたオーケストラ・アンサンブル金沢に「気を使って多少遠慮して大フィルには首席指揮者という名義で就任した」という経緯があった(井上道義公式サイトのブログ「道義より」の記事による。「 」内の部分は井上本人による記述である)。
^ プログラムの表紙に「井上道義首席指揮者就任披露演奏会」と明記されている。
^ この他に2000年の朝日放送創立50周年記念ミレニアム・ガラ・コンサートにおいて、井上の指揮で交響曲第8番の第4楽章を演奏している。
^ Twitter大フィル公式アカウントのツイートによる。
^ シューベルトの曲に英語の標題が付されていることも含めて、表記は当定期演奏会のプログラムに記載のものに従う。
^ エリシュカ・大フィルの演奏について、セカンドヴァイオリントップ奏者田中美奈は「どんなに有名な曲でも、初めて向き合う曲のように楽譜にびっしり解釈を書き込んで勉強していた。一音たりとも無駄な音はきかせない、という覚悟に引き込まれた。」と述懐している(朝日新聞2017年11月28日朝刊文化・文芸欄に掲載)。
^ 大友が初めて「悲愴」を指揮した時のオーケストラは大フィルであった。大友がまだ二十代の時であった(大友のプレトークによる)。
^ 2011年9月1日、NHK大阪ホールにて大植英次の指揮による公演。
^ 「シェエラザード」の表記は当定期演奏会のプログラムに記載のものに従う。
^ 毎年恒例の行事となったこともあり、本年譜では2010年以降は記載していないが、同年以降も大阪クラシックは毎年開催されてきた。
^ 1997年4月に刊行された『大阪フィルハーモニー交響楽団50年史』に、「国内で演奏会を開催していないのは、<千葉県>だけとなりました。早い機会に全国演奏制覇を成し遂げたいものです。」と記されている(p. 118)。この文章が書かれてから全国演奏制覇まで、実に21年半の年月が流れたわけである。
外部リンク
- 公式ウェブサイト
大阪フィルハーモニー交響楽団 (@Osaka_phil) - Twitter
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