カーネギー・ホール
Music Hall(音楽堂) | |
カーネギー・ホールとカーネギー・ホール・タワー | |
住所 | 7番街 881番地 ニューヨーク市マンハッタン区 アメリカ合衆国 |
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交通アクセス | 57th Street–Seventh Avenue |
所有者 | ニューヨーク市 |
経営者 | Carnegie Hall Corporation |
種類 | コンサートホール |
キャパシティ | 2804席(メインホール) 599席(ザンケル・ホール) 268席(ウェイル・リサイタルホール) |
建設 | |
オープン | 1891年4月 |
建築家 | en:William Tuthill |
ウェブサイト | |
www.carnegiehall.org | |
Carnegie Hall | |
アメリカ合衆国国家歴史登録財 | |
アメリカ合衆国国定歴史建造物 | |
定義されていません | |
座標 | 北緯40度45分54秒 西経73度58分48秒 / 北緯40.765度 西経73.98度 / 40.765; -73.98 |
建築様式 | イタリア・ルネサンス様式 |
NRHP登録番号 | 66000535 |
指定・解除日 | |
NRHP指定日 | 1966年10月15日[1] |
NHL指定日 | 1962年12月29日[2] |
NYCL指定日 | 1967年6月20日 |
カーネギー・ホール (Carnegie Hall) は、アメリカ合衆国ニューヨーク市マンハッタン区ミッドタウンにあるコンサートホールである。1891年に創設されて以来、マンハッタンの7番街57丁目の一角を占めるミッドタウンのランドマークであり、古くからクラシック音楽、ポピュラー音楽などのコンサートが頻繁に開催される音楽の殿堂となっている。かつてはニューヨーク・フィルの本拠地であった。
カーネギー・ホールが主催する音楽プログラムやその他芸術事業も数多く、現在1シーズンあたりおよそ250公演のコンサートが催されている。その一方で、ニューヨーク・フィルがリンカーン・センター内のフィルハーモニック・ホール(当時)へと拠点を移した1961年以降、カーネギー・ホールはレジデンス・オーケストラをもっていない。
他にもカーネギーの名を冠するコンサートホールは、ウェストバージニア州ルイスバーグに所在するカーネギー・ホール(420席)、カーネギー博物館などの置かれるカーネギー・インスティテュートの中心地ペンシルベニア州ピッツバーグに所在するカーネギー音楽堂(1928席)、ピッツバーグ郊外のホームステッド・カーネギー図書館に併設されているカーネギー音楽ホール(1022席)、そしてアンドリュー・カーネギー生誕の地であるダンファームリンに所在するカーネギー・ホールなど、世界各地に存在する。
目次
1 歴史
2 建物構造
3 カーネギー・ホールでの世界初演
4 道案内にまつわる伝説
5 関連項目
6 脚注
7 外部リンク
歴史
ウィリアム・タットヒルが設計を手がけ、鉄鋼王と呼ばれるアメリカの実業家・慈善家アンドリュー・カーネギー (Andrew Carnegie) により建てられた。1891年5月5日、指揮者のウォルター・ダムロッシュと作曲家のチャイコフスキーのコンサートによりこけらおとしされた。(実際は5/5の公式オープン前の4月より一般営業を始めていた。)1925年にアンドリュー・カーネギーの未亡人により不動産開発業者に売却され、一時は存続も危ぶまれたが、アイザック・スターン等の運動によりニューヨーク市が買い取り、現在は非営利のカーネギー・ホール・コーポレーション (Carnegie Hall Corporation) により運営されている。
初めてメインホールの舞台に立った日本人はアイ・ジョージ(1963年)、女性では朱里エイコ(1976年)である。
1964年2月、初のアメリカ公演を行ったビートルズがコンサートを行った。しかし、多すぎるファンのせいでステージの後ろまで客席を設ける事態になり、ジョン・レノンが後に不満を漏らした。このときの写真は現存するが、音声は管理者の反対があったため、残っていない。
建物構造
カーネギー・ホールは、大きく3つの部分から構成されている。メイン・ホール、リサイタル・ホール、室内楽ホールである。
メイン・ホールは2804席をもち、その優れた音響効果が高く評価されている。しかし、外部の自動車騒音が聞こえてしまう欠点もある。
カーネギー・ホールでの世界初演
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交響曲第9番 作品95 「新世界より」(アントニン・ドヴォルザーク作曲、1893年12月16日初演、アントン・ザイドル指揮/ニューヨーク・フィルハーモニック)
家庭交響曲(リヒャルト・シュトラウス作曲、1904年3月21日初演、作曲者自身の指揮/ウェッツラー交響楽団)
ヘ調の協奏曲(ジョージ・ガーシュウィン作曲、1925年12月3日初演、ウォルター・ダムロッシュ指揮/作曲者自身のピアノ/ニューヨーク交響楽団
パリのアメリカ人(ジョージ・ガーシュウィン作曲、1928年12月13日初演、ウォルター・ダムロッシュ指揮/ニューヨーク・フィルハーモニック
コレルリの主題による変奏曲(セルゲイ・ラフマニノフ作曲、1931年11月7日初演、作曲者自身のピアノ独奏
密度21.5(エドガー・ヴァレーズ作曲、1936年2月16日初演、ジョルジュ・バレールのフルート独奏
コントラスツ(ベラ・バルトーク作曲、1939年1月9日初演、ベニー・グッドマンのクラリネット、ヨゼフ・シゲティのヴァイオリン、エンドレ・ペトリのピアノによる三重奏
室内交響曲第2番 作品38(アルノルト・シェーンベルク作曲、1940年12月15日初演、フリッツ・シュティードリー指揮/フレンズ・オブ・ニュー・ミュージック管弦楽団- New World A-Comin'(デューク・エリントン作曲、1943年12月11日初演、作曲者自身とデューク・エリントン楽団
ウェーバーの主題による交響的変容(パウル・ヒンデミット作曲、1944年1月20日初演、アルトゥール・ロジンスキ指揮/ニューヨーク・フィルハーモニック- 語りとピアノの五重奏のためのナポレオン・ボナパルトへの頌歌 作品41(アルノルト・シェーンベルク作曲、1944年11月23日初演、アルトゥール・ロジンスキ指揮/ニューヨーク・フィルハーモニック
3楽章の交響曲(イーゴリ・ストラヴィンスキー作曲、1946年1月24日初演、作曲者自身の指揮/ニューヨーク・フィルハーモニック
エボニー協奏曲(イーゴリ・ストラヴィンスキー作曲、1946年3月25日初演、ワルター・ヘンドル指揮/ウディ・ハーマン楽団
交響曲第3番「キャンプの集い」(チャールズ・アイヴズ作曲、1946年4月5日初演、ルー・ハリソン指揮/ニューヨーク・シンフォニエッタ、室内楽ホールにて- 聖体秘蹟への賛歌(オリヴィエ・メシアン作曲、1947年3月13日初演、レオポルド・ストコフスキー指揮/ニューヨーク・フィルハーモニック
道案内にまつわる伝説
カーネギー・ホールの敷地は、7番街、57丁目に面している。古くからある冗談として、次のようなものがある。
ピアニストのルービンシュタインがある時、この近所で
Pardon me sir, but how do I get to Carnegie Hall ?
すみません、カーネギーホールへはどうやって行くんですか?
と尋ねられた際に、こう答えたという。
Practice, practice, and practice.
練習して、練習して、さらに練習してください。
2000年代のカーネギーホールのアクセス案内ページ[3]には、この冗談を踏まえた文章が書かれていた。
While it takes some people a lifetime of practice to get to Carnegie Hall (as the saying goes), others just have to follow these simple directions.
— Directions - Carnegie Hall、[3]
(昔からの冗談にあるように)カーネギーホールに行くには、ある人々は生涯をかけて練習しなければならないが、そうでない人は下記の簡単な道案内に従うだけでよい。
関連項目
ディヴィッド・ゲフィン・ホール(旧 エイブリー・フィッシャー・ホール)
脚注
^ National Park Service (2007-01-23). "National Register Information System". National Register of Historic Places. National Park Service.
^ “Carnegie Hall”. National Historic Landmark summary listing. National Park Service (2007年9月9日). 2015年2月20日閲覧。- ^ ab“Directions - Carnegie Hall”. カーネギー・ホール. 2004年12月6日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2018年2月23日閲覧。
外部リンク
Official website (英語)