ロッド・スチュワート




















Rod Stewart
ロッド・スチュワート

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ロッド・スチュワート

基本情報
出生名
ロデリック・デイヴィッド・スチュワート
(Roderick David Stewart)
生誕
(1945-01-10) 1945年1月10日(74歳)
イングランドの旗 イングランド
ロンドン
ジャンル
ロック、ブルー・アイド・ソウル
ブルースロック
ポップ・ロック
職業
シンガーソングライター
担当楽器
ボーカル
バンジョー
ギター
ピアノ
ハーモニカ
レーベル
ヴァーティゴ/マーキュリー
ワーナー・ブラザース・レコード
アトランティック
J
キャピトル
デッカ/リパブリック
共同作業者
フェイセズ
ジェフ・ベック・グループ
公式サイト
rodstewart.com

サー・ロデリック・デイヴィッド・“ロッド”・スチュワート(Sir Roderick David "Rod" Stewart, 1945年1月10日 - )は、スコットランド家系のイギリスのミュージシャン。


「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第59位[1]


「Q誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第33位[2]




目次





  • 1 概要


  • 2 経歴

    • 2.1 下積み時代


    • 2.2 ジェフ・ベック・グループ


    • 2.3 フェイセズ


    • 2.4 ソロ時代



  • 3 私生活


  • 4 日本での影響


  • 5 ディスコグラフィ

    • 5.1 ジェフ・ベック・グループ


    • 5.2 フェイセズ


    • 5.3 ソロ作品



  • 6 日本公演


  • 7 テレビCM 


  • 8 関連項目 


  • 9 脚注


  • 10 出典


  • 11 外部リンク




概要


1960年代後半からジェフ・ベック・グループ、フェイセズでの在籍を経てソロで活躍。個性的なハスキーボイスで、そのヴォーカル・スタイルは一部のロックミュージシャンに影響を与えた。元サッカー選手でもあり、ライブでは客席にサッカーボールを蹴り込むパフォーマンスが定番となっている。


近年は『ザ・グレイト・アメリカン・ソングブック』シリーズを発表し、カヴァー曲に取り組むシンガーとしても活動している。


2016年6月10日、英国政府によりナイト爵位が授与されることになった。大英帝国第3級勲位(CBE)が既に授与されており、音楽界への長年に渡る貢献が評価された。



経歴



下積み時代


ロバートとエルシー・スチュワート夫妻の5人兄弟の末っ子だった。彼の両親はロンドン北部で新聞販売業を営み、一家は店の2階に住んでいた。ロッドが、ロンドンのハイゲートで誕生する数分前に、ドイツのV2ロケットがちょうど通りの向かいの警察署へ命中した。


墓掘り人夫などの日雇い仕事を転々とした後、彼はサッカー選手として西ロンドンを本拠とするブレントフォードFCに参加したが、わずか3週間ほどでクラブから退団。1960年代前半に、放浪の罪で追放されたスペインのフォーク歌手、ウィズ・ジョーンズのツアーに加わり、音楽の経歴が始まった。イギリスに帰国すると、バーミンガムでジミー・パウエル・アンド・ザ・ファイブ・ディメンションズにヴォーカリスト、ブルースハープ奏者として加入した。バンドは、パイ・レコードと契約した。彼はまた、1964年の大ヒット、ミリー・スモールの「マイ・ボーイ・ローリーポップ」のレコーディングにも参加した。


1964年にロンドンに戻ると、ロング・ジョン・バルドリーの率いるフーチ・クーチー・メンに加入した。バンドはシングル「グッド・モーニング・リトル・スクールガール」を発表したが、チャート入りしなかった。フーチ・クーチー・メンは、スチュワートとバルドリー、ジュリー・ドリスコル、ブライアン・オーガーらがメンバーで、のちにスティームパケットに発展した。スティームパケットは、1965年夏のローリング・ストーンズとウォーカー・ブラザーズのツアーをサポートし、アルバムを録音し数曲にヴォーカリスト及びコーラスとして参加するが、それはスチュワートが1970年代に成功するまで発表されなかった。モッド・ムーブメントの後に「ロッド・ザ・モッド」の愛称を得た。


スティームパケットは1966年前半に解散し、ロッドはベリル・マースデンの率いるショットガン・エクスプレスに参加した。ショットガン・エクスプレスは、後にフリートウッド・マックを結成したミック・フリートウッドとピーター・グリーン、またピーター・バーデンス(元ゼム、後にキャメル)が参加していた。ショットガン・エクスプレスは、解散直前に1枚のシングルを発表している。



ジェフ・ベック・グループ


ショットガン・エクスプレスの解散後、ジェフ・ベック率いるジェフ・ベック・グループに参加する。1968年に、最初のアルバム『トゥルース』が英米でヒットし、大規模なツアーが行われた。セカンドアルバム『ベック・オラ』もヒットしたが、バンドは1969年末に解散した。ベックはロッドの参加でティム・ボガート、カーマイン・アピスらと新バンド結成を計画したが、ロッドは参加せず、73年にベック・ボガート・アンド・アピスとして活動することとなる。



フェイセズ


アメリカのバンド、カクタスがロッドをリード・ヴォーカルとして誘ったが、彼はジェフ・ベック・グループのベーシスト、ロン・ウッドに誘われてスティーヴ・マリオットの脱退したスモール・フェイセスへ参加することを決定した。同バンドは、2人の加入と共にバンド名をフェイセズ[3]に変更した[4]。フェイセズはアルコールに強く、酔いどれバンドとしても知られた。スチュワートはまた、ソロ・アルバムの契約にサインし、ソロ歌手としてマーキュリー・レコードと、そしてフェイセズとしてワーナー・ブラザースと2つのレコード会社と契約することとなる。1969年に発表された最初のソロ・アルバム『ロッド・スチュワート・アルバム』は、リリース当時は目立ったヒットとならなかったが、1972年にはアメリカのBillboard 200で139位を記録した[5]




スチュワート(右)とロン・ウッド


フェイセズのデビュー・アルバム『ファースト・ステップ』[6]は1970年前半に発表され、その音楽スタイルはローリング・ストーンズに似通っていた。アルバムは、アメリカよりイギリスでヒットし、バンドはライブでの評判が高まった。


2ndソロ・アルバム『ガソリン・アレイ』をギタリスト、マーティン・クイッテントンと共に発表し、ソロ・ツアーを行った。その後、3rdソロ・アルバム『エヴリ・ピクチャー・テルズ・ア・ストーリー』が英米チャート共に同時1位という、史上5度目となる快挙を成し遂げる。また、シングル・カットされた「リーズン・トゥ・ビリーヴ/マギー・メイ」も大ヒット(全英1位/Billboard Hot 100で全米1位[7])を記録する。「マギー・メイ」は当初シングルB面扱いだったが、同曲を気に入ったDJ達が後にA面扱いにした(プレス上はB面のままである)。


フェイセズとしても3枚目のアルバム『馬の耳に念仏』がヒットし、「ステイ・ウィズ・ミー」が代表曲として知られるが、ロッドのソロ活動が成功するうち、バンド内に亀裂が生じることとなる。
4thアルバム『ウー・ラ・ラ』ではレコーディングに参加しない楽曲まであり、フェイセズも当時のレコード会社の方針でロッドのバック・バンドのような扱いになってしまう。また、『ウー・ラ・ラ』をロッドが「完全な失敗作」などと批判する記事が掲載されたり、ソロ歌手として全米進出を目論んでいた矢先、レコード会社移籍問題で裁判になるといったトラブルも報じられた。これらが要因となり、1973年5月、ロニー・レーンが脱退。同年7月には、日本人ベーシスト、山内テツが加入する。


その後もツアーは行われ、1974年2月には大阪と東京で全4公演の来日公演も組まれた(大阪2日目はキャンセル)。しかし、ライブアルバムの発表を機に“ロッド・スチュワート&フェイセズ”とクレジット表記まで変更されたこと、フェイセズのツアーにも関わらず、セットリストの多くはロッドのソロ名義の曲となり、関係の修復は困難となった。


1975年には、ロン・ウッドがローリング・ストーンズに参加し、ツアーも敢行されたが、この年にバンドは解散した。



ソロ時代


グループ時代から並行してソロ活動を続け、「マギー・メイ」や「ユー・ウェア・イット・ウェル」などのヒットを飛ばしていた。やがてフェイセズ解散後、イギリスでの重税を逃れるため、渡米して『アトランティック・クロッシング』(1975年)を制作。ジャケット写真では、まさに大西洋を一跨ぎしようとするイラストが描かれている。スティーヴ・クロッパーやジェシ・エド・デイヴィスなど、有名なアメリカ人ミュージシャンが多数参加した作品で、ここから「セイリング」がヒット。ライブ後半の重要なレパートリーに数えられる。『ナイト・オン・ザ・タウン』(1976年)からは「今夜きめよう」が全米で8週連続1位を記録する大ヒットとなる。


『明日へのキック・オフ』(1977年)から数年は、カーマイン・アピス(ドラム)を中心としたバック・バンドを従えて活動。『スーパースターはブロンドがお好き』(1978年)は、ディスコ・ミュージックの要素を取り入れた「アイム・セクシー」のヒットもあって、全米1位に輝く。ちなみに、この「アイム・セクシー」は、ブラジルのアーティスト、ジョルジ・ベンの「タジ・マハール」に非常によく似ているため、裁判となった。裁判の結果はロッドの敗訴だった。後年、盗作である事をロッド本人が認めている。


「アイム・セクシー」を収録した『スーパースターはブロンドがお好き』は、日本のオリコンアルバムチャートでも2位まで上昇する大ヒットを飛ばし、1979年3月のソロ初の日本公演チケットは、ハガキによる抽選販売であった。会場の収容人数が合計8万人に対し、40万通を超える応募が殺到し、日本でも人気が高いことが実証された。


ブルースロックやトラッド・フォークの路線から、1975年以降は楽曲が産業ロック的になり、音楽ジャーナリズムやロックファンからの批判をあびた。また80年代には、当時アパルトヘイト政策をとっていた南アフリカの「サン・シティ」で公演をするミュージシャンとして、ロッドとクイーンなどは、厳しい批判を受けた。なお、人種差別に反対するアーティストたちは1980年代半ばに、「サン・シティ」というアルバムを発表している。




ダブリンでの公演(1981年)


1980年代は打ち込みサウンドが全盛の中、作品内でも取り入れるが、一時の勢いを失う。アルバム制作はやや緩やかになるものの、精力的なワールド・ツアーを敢行。また、旧友ジェフ・ベックの『フラッシュ』(1985年)にゲスト参加。ここで歌われた「ピープル・ゲット・レディ」(インプレッションズのカヴァー)は、その後もロッドの持ち歌となった。1981年と1984年に日本公演を果たしている。


1989年、トム・ウェイツのカバー「ダウンタウン・トレイン」が世界的に大ヒット。「アイム・セクシー」以来11年ぶりに、全米・全英両方のチャートでトップ10入りしたシングルとなった。1991年には「モータウン・ソング」「リズム・オブ・マイ・ハート」と立て続けに全米・全英でトップ10を記録し、翌1992年には、再びトム・ウェイツのカバー「トム・トラバーツ・ブルース」を全英トップ10に送り込む。


1991年3月からは、ヨーロッパから全米まで1年間に渡る『ヴァガボンド・ハート・ツアー』を敢行。ヨーロッパでは、60公演以上のチケットが完売、アメリカでも動員・売上記録25週連続1位を記録する過去最大規模となった。一方、1992年には8年振りの来日公演が予定に組み込まれていたが、当時の妻であるレイチェル・ハンターが出産を間近に控えていた為、残りの日程をキャンセル。ツアーは打ち切りとなった。


1993年2月、フェイセズ時代の盟友ロン・ウッドと共にMTVアンプラグドに出演。その時の演奏は、同年にはライブ・アルバム『アンプラグド』としてリリースされた(2009年にはボーナス・トラックを2曲追加、初映像化となるDVD付きのデラックス・エディションとして再発)。全英・全米で2位、日本では7位。特に全米では5週連続浮上し、セールスは300万枚を突破。一方で、全曲カヴァー曲で構成されたアルバム『ワンス・イン・ア・ブルー・ムーン』が制作途中でお蔵入りとなった。(2010年に通信販売限定で商品化)


同年には、ブライアン・アダムス、スティングと共にレコーディングした映画『三銃士』の主題歌「オール・フォー・ラヴ」が全米で3週連続1位を記録。


1994年、これまでの功績が評価されロックの殿堂入りを果たすが、授賞式の2日前にノースリッジ地震が起こり、スチュワートの幼い子供達が怯えていたことから「子供達を置いていけない」という理由で授賞式を欠席した[8]。MTV「アンプラグド」の成功もあり、本来ワールドツアーは終了していたものの、1994年4月には10年振りの日本公演を敢行。海外アーティストの来日公演でありながらオーケストラは全て日本人を起用するという異色の編成で、アンプラグドスタイルでのライブを行っている。同年12月31日、リオ・デ・ジャネイロのコパカバーナ・ビーチで開催されたフリー・コンサートでは、350万人[9]とも420万人[10]ともいわれる観客の前で歌い、ギネス世界記録に認定される[10]


2000年には甲状腺癌が判明、9か月間に渡って歌えなかったという衝撃が駆け巡ったが、アルバム『ヒューマン』のプロモーションに乗せてしまうほどで、周囲の不安を一掃した。ただ、喉の手術を機に以前ほどの高音は出せなくなった為、以後歌唱法を変更した。本作は70年代から所属してきたワーナー・ブラザースを離れ、同レーベルの傘下であるアトランティック・レーベル移籍第1弾アルバムである。


コンスタントにヒット・シングルを放つものの、キャリア前期に多く見られた代表作を生むには至らず、特にアメリカでは長年、商業的に低迷していた。「曲作りには自信が無い」と周囲に漏らしていたという。事実、1990年代には楽曲のストックがほとんどなく、いくつかのオリジナル曲とカヴァー曲で構成されたアルバムを発表していた。


2002年、アトランティック・レーベルを離れ、クライヴ・デイヴィスが設立したJ RECORDSに移籍し、新境地の開拓を図る。2002年から2005年にかけては、スタンダード・ナンバーをカヴァーした『ザ・グレイト・アメリカン・ソングブック』シリーズ全4作が全米だけで830万枚の大ヒット。全世界で2000万枚以上のセールスを記録。2004年の『ザ・グレイト・アメリカン・ソングブックVol.3』は、自身25年振りとなる全米1位を達成し[11]、第47回グラミー賞の"最優秀トラディショナル・ポップ・アルバム"部門を受賞して通算13度目のノミネートで待望の初受賞となり[12]、復活を果たした。


当初、このシリーズは3部作で完結と言われていたが、このVol.3の大ヒットもあり、続編となるVol.4を発表した。2006年にはロック回帰を宣言したカヴァー・アルバム『グレイト・ロック・クラシックス』が再び全米1位を記録。待望のロック・アルバムとして、日本ではランキングこそ振るわなかったもののロング・セラーとなった。


2007年7月12日、ロンドン・バッキンガム宮殿で大英帝国第3級勲位(CBE)が授与された。
ロッドの名が世間に浸透してから2007年で35年以上になるが、今なお現役であり続けるだけでなく、第一線で世界的に活躍を続けている点が高く評価された。


2008年、カヴァーシリーズの続編となるソウル・アルバムの制作が進行していたが、これまで二人三脚で歩んでいたクライヴ・デイヴィスがクリスマス・アルバムの制作を提案。これをロッド側が固辞し、ニュー・アルバムの制作が見送りとなった。その代わりに、ベスト・アルバム『SOME GUYS HAVE ALL THE LUCK』(邦題:スーパースター・ストーリー~ザ・ベスト・オブ・ロッド・スチュワート~)に切り替わったという経緯がある。


2009年3月、13年振りとなる来日公演が実現。4公演とこれまでで最も少ない公演数ではあったが、各地で盛り上がりを見せた。また、来日記念盤として代表作の紙ジャケットCDがマーキュリー、ワーナー、BMGの3社から多数発売された。


2009年4月21日、ロサンゼルスで行われたジェフ・ベックのライブに飛び入りで登場し、「ピープル・ゲット・レディ」「迷信嫌い」を披露。


2009年秋、前年に見送りとなったソウル・アルバムが『ソウルブック』としてようやく発表になった(日本版は12月発売)。また、マーキュリー/ワーナー期の楽曲の別テイクや、レコーディングされながら未発表だった秘蔵音源が多数発掘された。音源の一部はすでにBOXセット『ロッド・スチュワート セッションズ 1971-1998』としてリリースされており、音楽配信限定で発表された曲も多数存在する。これらが今後CDとして発売されるのかは現段階では未定。


2010年は、イギリスを中心とした春から夏にかけてのワールド・ツアーを敢行。一部でフェイセズのリユニオンが取り上げられているが、『ソウルブック』のプロモーションとコンサート活動に専念するため、ロッドの参加は見送られた。また、『グレイト・アメリカン・ソングブック』シリーズの完結を公式に宣言。その最終章となるVol.5を発表した。


2011年からはスティーヴィー・ニックスとのジョイント・ライヴや、ラスベガスを中心としたコンサート活動を行う。
2012年6月、ユニバーサルミュージック内のVerve Recordsと多数のアルバムリリースを含めた契約を交わす。同年秋には、自伝を海外限定で出版(その後、日本でも発売)。また、キャリア初のクリスマス・アルバム『メリー・クリスマス、ベイビー』を発表。製作総指揮をデイヴィッド・フォスターが務め、全米で初登場3位を記録。全英では初登場2位(全英での第2位は、1998年リリースの『ザ・ニュー・ボーイズ』以来、14年半振り)を記録した。本作と同時進行で、ロック・アルバムを制作中であることがアナウンスされた。自身15年振りとなる作詞・作曲のオリジナルナンバーを多数含むアルバム『タイム〜時の旅人〜』を2013年春に発表。1979年の『グレイテスト・ヒッツ』以来、自身34年振りとなる全英チャート1位を獲得した。これは英国の音楽史上においてボブ・ディランに次ぐ記録で、イギリス人ミュージシャンではトム・ジョーンズの32年を上回る最長記録である[13]


2015年、前作『タイム〜時の旅人〜』に続く、自作曲を中心としたアルバム『アナザー・カントリー』を発表。ほとんどの楽曲は自宅でレコーディングされた。


2016年6月10日、英国政府によりナイト爵位が授与されることが発表された。



私生活


「すらりとしたブロンド(の女性)が好き」と公言しているとおり、女性遍歴が華やかで、これまで4人の女性との間に8人の子供を授かっている。1980年代に俳優ジョージ・ハミルトンの元妻であるアラナ・ハミルトンと最初の結婚、1990年代にはレイチェル・ハンターと結婚したがいずれも離婚し、現在はモデルのペニー・ランカスターを妻に持つ。


1970年代後半から80年代初めは『スーパースターはブロンドがお好き』が世界的にヒットした頃で、派手なファッションが話題を呼び、さらには数々のゴシップ記事が紙面を賑わしていた。当時、強い注目を浴びていたことが分かるが、自身は「少し悔いが残る時期」と語っている。





































結婚期間交際相手

(☆は後に結婚)


子供身長職業
1971-1975ディー・ハリントンモデル
1975-1977ブリット・エクランド165cm女優
1979-1984アラナ・ハミルトン ☆キンバリー・スチュワート
ショーン・スチュワート
175cm女優/モデル
1983-1990ケリー・エンバーグルビー・スチュワート173cmモデル
1990-2006レイチェル・ハンター ☆178cmモデル/女優
2007-ペニー・ランカスター ☆アリステア・スチュワート
アイデン・スチュワート
186cmモデル/写真家

元フェイセズのメンバーだったロニー・レーンが重病を患った際には、ロン・ウッドと膨大な医療費を人知れず払い続けていたこと、ロッドの才能をいち早く見抜いたブルース・シンガーのロング・ジョン・ボールドリーの医療費も負担していたことが、オフィシャル・バイオグラフィーに記載されている。


2010年、約30年間を過ごしたロサンゼルスに別れを告げ、本国イギリスに帰国した。また、2010年には8人目の子供の父親となっている(当時66歳)[14]


趣味はサッカー観戦。セルティックFCの熱狂的サポーターであり、ライブでユニフォームを着ることもある。セルティックFCのロゴを象ったオフィシャルグッズも制作されている。鉄道模型の大ファンでもあり、ビバリーヒルズの自宅には139平方メートルにもなる鉄道模型レイアウトが設置されているという。制作したレイアウトはモデル・レイルローダー誌上で何度か取り上げられている。



日本での影響


西城秀樹は、フェイセズの来日公演を鑑賞するなど、早くから影響を受けていた。また、ロッドがライブでマイクパフォーマンスがアルミ製のマイクスタンドであることを知り、自らのステージに取り入れた。ソロ初来日公演の際には、雑誌のインタビューで対談している。また、自身の大阪球場コンサートのエンディングとして長年に渡って「セイリング」を使用。ハードロック評論家・伊藤政則は西城が「沢田研二さんがミック・ジャガーに入れ込んでいたので、僕はロッド・スチュワートを目指すことにした」と語ったことを証言している[15]。なお、西城がファンだったのは、ジャニス・ジョプリン、ビートルズ、ベンチャーズ、ジミ・ヘンドリクスなどである。世良公則はフェイセズ時代からのロッド通としてファンの間では知られており、ラジオ番組や雑誌などに度々コメントを寄せている。


1970年代後半、沢田研二は、「ホット・レッグス」や「アイム・セクシー」の日本語版をライブでカバーした。バンド活動を経てソロでブレイクした点も共通していることから、テレビ番組等では『日本のロッド・スチュワート』と評された時期もあったが、西城秀樹の証言の通り、沢田が影響を受けていたのはミック・ジャガーであって、ロッドではない。グラム・ロックの影響も受けていた。



矢沢永吉も以前から影響を受けていたが、1997年にロンドンで行われた世界的な音楽イベント「SONGS&VISIONS」に唯一のアジア代表として出場し競演したことで、さらに意識を強めた。また、2009年の日本武道館公演にも訪れている。


徳永英明の「VOCALIST」シリーズは、ロッドのカヴァー・シリーズの成功がきっかけだったことが「ソウルブック」のブックレットに記載されている。KOKIAは「グレイト・アメリカン・ソング・ブック」シリーズから3曲を取り上げた。布袋寅泰は、カヴァー・アルバム「MODERN TIMES ROCK'N'ROLL」で「セイリング」を取り上げた。浅川マキは、ロッドのキャリア初期作品に思い入れがあり、ライブで「ガソリン・アレイ」等をカヴァーした。TM NETWORKの宇都宮隆もファンを公言している。B'zの稲葉浩志もロッドの歌声に影響を受けたといい、ロッドの声に憧れお酒でうがいをしたことがあると述べている[16]



ディスコグラフィ




ジェフ・ベック・グループ


  • 『トゥルース』 - Truth (1968)

  • 『ベック・オラ』 - Beck Ola (1970)


フェイセズ


  • 『ファースト・ステップ』 - First Step (1970)

  • 『ロング・プレイヤー』 - Longplayer (1971)

  • 『馬の耳に念仏』 - A nod's as good as a wink to a blind horse (1971)

  • 『ウー・ラ・ラ』 - Ooh la la (1973)

  • 『ロッド・スチュワート&フェイセズ=ライヴ』 - Coast to Coast: Overture and Beginners (live) (1974)


ソロ作品


  • 『ロッド・スチュワート・アルバム』 - An Old Raincoat Won't Ever Let You Down (The Rod Stewart Album) (1969)

  • 『ガソリン・アレイ』 - Gasoline Alley (1970)

  • 『エヴリ・ピクチャー・テルズ・ア・ストーリー』 - Every Picture Tells a Story (1971) 「マギー・メイ」収録

  • 『ネヴァー・ア・ダル・モーメント』 - Never a Dull Moment (1972)

  • 『スマイラー』 - Smiler (1974)

  • 『アトランティック・クロッシング』 - Atlantic Crossing (1975)

  • 『ナイト・オン・ザ・タウン』 - A Night on the Town (1976)

  • 『明日へのキック・オフ』 - Foot loose & Fancy Free (1977)

  • 『スーパースターはブロンドがお好き』 - Blondes Have More Fun (1978)

  • 『パンドラの匣』 - Foolish Behaviour (1980)

  • 『トゥナイト・アイム・ユアーズ』 - Tonight I'm Yours (1981)

  • 『アブソルートリー・ライヴ』 - Absolutely Live (1982)

  • 『ボディ・ウィッシーズ』 - Body Wishes (1983)

  • 『カムフラージュ』 - Camouflage (1984)

  • 『ロッド・スチュワート』 - Every Beat of My Heart (1986)

  • 『アウト・オブ・オーダー』 - Out of Order (1988)

  • 『ヴァガボンド・ハート』 - Vagabond Heart (1991)

  • 『リード・ボーカリスト』 - Lead Vocalist (1993)

  • 『アンプラグド』 - Unplugged... and Seated (1993)
    • 2009年にコレクターズ・エディションとしてDVD付き仕様版が発売された。

  • 『ユア・ザ・スター』 - A spanner in the Works (1995)

  • 『ザ・ニュー・ボーイズ』 - When We Were the New Boys (1998)

  • 『ヒューマン』 - Human (2001)

  • 『ザ・グレイト・アメリカン・ソングブック』 - Great American Songbook: It Had to Be You (2002)

  • 『ザ・グレイト・アメリカン・ソングブックVol.2』 - Great American Songbook: Vol.2: As Time Goes By (2003)

  • 『ザ・グレイト・アメリカン・ソングブックVol.3』 - Great American Songbook: Vol.3: Stardust (2004)

  • 『ザ・グレイト・アメリカン・ソングブックVol.4』 - Great American Songbook: Vol.4: Thanks for the Memory (2005)

  • 『グレイト・ロック・クラシックス』 - Still The Same... Great Rock Classics of Our Time (2006)

  • 『ソウルブック』 - Soulbook (2009)

  • 『ザ・グレイト・アメリカン・ソングブックVol.5』 - Great American Songbook: Vol.5: Fly to the Moon (2010)

  • 『メリー・クリスマス、ベイビー』 - Merry Christmas, Baby (2012)

  • 『タイム〜時の旅人〜』 - Time (2013)

  • 『アナザー・カントリー』 - Another Country (2015)

  • 『ブラッド・レッド・ローゼズ』 - Blood Red Roses (2018)


日本公演


  • 1979年
3月5日 福岡スポーツセンター、7日,14日,15日,16日 日本武道館、10日 名古屋市国際展示場、11日,12日 フェスティバルホール
  • 1981年
4月24日,25日 愛知県体育館、27日,28日,5月8日,11日,12日 日本武道館、5月1日,2日 フェスティバルホール、5日,6日 福岡スポーツセンター
  • 1984年
11月28日,29日,12月5日 日本武道館、30日 名古屋市国際展示場、12月2日 福岡国際センター、3日 大阪城ホール、7日 仙台市体育館、8日 横浜文化体育館
  • 1994年
4月22日,23日,24日 横浜アリーナ、26日,27日 大阪城ホール、29日 真駒内アイスアリーナ
  • 1996年
1月12日 福岡国際センター、14日 大阪城ホール、17日 名古屋レインボーホール、18日,22日,23日 日本武道館、20日 月寒グリーンドーム
  • 2009年
3月9日 大阪城ホール、3月11日・12日 日本武道館、3月14日 さいたまスーパーアリーナ


テレビCM 


※日本国内で放映されたCMの一部のみ記述。



  • スバル レガシィ(1993年- 1995年)自身の代表曲、"People Get Ready"や"Sailing"をBGMに、ヨーロッパの草原で撮影されている。最後にロッドが「LEGACY,MY 1st.」と言う締め方になっていた。


関連項目 


  • ブルース・ロック

  • サム・クック

  • トラッド

  • ディスコ


脚注




  1. ^ Rolling Stone. “100 Greatest Singers: Rod Stewart”. 2013年5月26日閲覧。


  2. ^ “Rocklist.net...Q Magazine Lists..”. Q - 100 Greatest Singers (2007年4月). 2013年5月21日閲覧。


  3. ^ http://www.discogs.com/artist/289040-Faces-3


  4. ^ Ronnie Wood (2007) RONNIE, pp.78-84, St. Martin's Press.


  5. ^ “Rod Stewart The Rod Stewart Album Chart History - Billboard 200”. Billboard. 2018年12月26日閲覧。


  6. ^ 当初、アルバム名は『フェイセズ』として発表されたのが、アルバム・ジャケットの写真でウッドが持っていたギターの教則本のタイトル-「FIRST STEP」-になぞらえて『ファースト・ステップ』と呼ばれるようになり、再発ではそれが正式タイトルとされるようになった、という説がある。


  7. ^ http://www.songfacts.com/detail.php?id=1304


  8. ^ Greene, Andy (2012年4月12日). “A History of Rock and Roll Hall of Fame No-Shows”. Rolling Stone. 2018年11月9日閲覧。


  9. ^ “Rod Stewart Concert Draws 3.5 Million”. The Spokesman-Review (1995年1月2日). 2018年11月9日閲覧。

  10. ^ ab“Largest free concert attendance”. Guinness World Records. 2018年11月9日閲覧。


  11. ^ “Rod Stewart Chart History - Billboard 200”. Billboard. 2018年10月2日閲覧。


  12. ^ “Rod Stewart - Artist”. grammy.com. Recording Academy. 2018年10月2日閲覧。


  13. ^ Rod Stewart enjoys first Number 1 album in nearly 40 years! | Official Charts - 2014年11月16日閲覧


  14. ^ ロッド・スチュワートさんに8人目の子ども、66歳でパパに AFP、2010年8月10日


  15. ^ 東京新聞2018年5月19日22面


  16. ^ ZIP! 2016年3月4日放送分



出典



  • McLagan, Ian (2011). All the Rage. London: Billboard Books. ISBN 978-0823078424. 


  • Nelson, Paul; Bangs, Lester (1981). Rod Stewart. New York: Delilah Books. ISBN 0-933328-08-7. 


  • Ewbank, Tim (2005). Rod Stewart: The New Biography. Citadel Press. ISBN 0-8065-2644-0. 


  • Gray, John (1992). Rod Stewart: The Visual Documentary. London: Omnibus Press. ISBN 0-7119-2906-8. 


外部リンク



  • Official Website (英語)

  • Official Fan Club Site

  • ロッド・スチュワート UNIVERSAL MUSIC JAPAN

  • ロッド・スチュワート Sony Music Online

  • Rod Stewart / ロッド・スチュワート アーティストトップ ワーナーミュージック


  • ロッド・スチュワート - Myspace







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