元服
元服(げんぶく、げんぷく)とは、奈良時代以降の日本で成人を示すものとして行われた儀式。通過儀礼の一つである。
「元」は首(=頭)、「服」は着用を表すので、「頭に冠をつける」という意味。加冠とも初冠(ういこうぶり)とも言われる。なお、公家の女子の成人式は裳着(もぎ)と言う。民間においては褌親(へこおや・ふんどしおや)の元で、初めてふんどしを付け、性に関する知識を授かる褌祝(ふんどしいわい)と呼ばれる儀式がある。
目次
1 男性の元服
2 女性の元服
3 現代に存続・再現されている元服儀式
4 脚注
5 参考文献
6 関連項目
男性の元服
おおよそ数え年で12 - 16歳の男子が式において、氏神の社前で大人の服に改め、総角(角髪(みずら))と呼ばれる子供の髪型を改めて大人の髪(冠下の髻(かんむりしたのもとどり))を結い、冠親により冠をつける。
武家の場合は烏帽子親(加冠)により烏帽子をつける(公家や平氏系の武家では厚化粧、引眉にお歯黒も付け、源氏系は付けない場合が多かった)。それまでの幼名を廃して元服名(諱)を新たに付ける。その際に烏帽子親の偏諱を受けることが多くなった。
元服の儀において、烏帽子を被せる役を「加冠」または「烏帽子親」と呼んだ他、童髪から成人用の髪に結い直す役を「理髪」、髪上げ道具及び切り落とした髪を収納するための箱を取り扱う役を「打乱(うちみだり)」、櫛で髪を整えるために用いる湯水を入れる器である泔坏を扱う役を「泔坏(ゆするつき)」と称した[1]。
室町時代以降は民間にも普及した。中世の元服年齢には規定がなく、5 - 6歳から20歳程度まで幅が存在した。一族始祖の元服年齢に合わせた氏族もあった。江戸時代頃からは公家を除き、武家や庶民の間では元服の時に烏帽子をつけず、前髪を剃って月代にすることだけで済ますようになった。
女性の元服
江戸時代以降は女性も元服と称し、結婚と同時に、あるいは未婚でも18 - 20歳くらいで行った。女性で元服という場合は、地味な着物を着て、日本髪の髪形を丸髷、両輪、又は先笄に替え、元服前より更に厚化粧になり、鉄漿親(かねおや)によりお歯黒を付けてもらい、引眉する。お歯黒を付けるが引眉しない場合は半元服と呼ばれた。半元服の習慣は現在でも祇園の舞妓、嶋原の太夫等、一部の花街に残る。
現代に存続・再現されている元服儀式
滋賀県近江八幡市の祭り「左義長」では、17歳の男子を「元服若衆」と呼び、左義長に火をつける役目を命じられるが、火のついた藁苞を持った元服若衆が左義長に近づくのを他の若衆が邪魔をすることで至難を与え、左義長に火がつくまで続けられる[2]。
武蔵御嶽神社(東京都青梅市)では中学校を卒業する男女を対象に、武家の古式を再現した元服式を2017年3月に行い、2018年にも予定している[3]。
青森県、栃木県、石川県、愛媛県、宮崎県、熊本県や、その他一部の地域にある中学校は中学2年または3年になると学校行事として「立志式」(りっししき)、「立春式」(りっしゅんしき)、「少年式」(しょうねんしき)、「元服式」(げんぷくしき)を行なっている。
脚注
^ 浜口誠至『在京大名細川京兆家の政治史的研究』(思文閣出版、2014年) ISBN 978-4-7842-1732-8 P96-97
^ 近江八幡市 湖国に春を呼ぶ~火祭り行事左義長 - 一般財団法人地域創造「地域文化資産ポータル」
^ 御岳登山鉄道 武蔵御嶽神社の元服式、参加募る『毎日新聞』朝刊2018年2月11日(東京面)
参考文献
- 『【新制版】日本史事典』(数研出版)
- 『旺文社日本史事典』(旺文社)
関連項目
- 裳着
- 通過儀礼
- 成人式
- 冠婚葬祭