アルジェ





























アルジェ
الجزائر
アルジェリアの旗


Algiers Montage.png


アルジェの市章

市章

標語 : "白い街アルジェ、Al-Bahjah"
位置

の位置図

座標 : 北緯36度46分35秒 東経3度3分31秒 / 北緯36.77639度 東経3.05861度 / 36.77639; 3.05861
歴史
Re-founded
AD 944
行政



アルジェリアの旗 アルジェリア
 県

アルジェ県
 市

アルジェ
Wali
Khalida Toumi
地理

面積
 
  市域
273 km2 (170 mi2)
人口

人口
(2006年現在)
  市域
2,029,936人
    人口密度
  5,560人/km2(8,982人/mi2
  市街地
3,518,083(?)人
  都市圏
5,515,889人
その他

等時帯

CET (UTC+1)

アルジェ(英語: Algiers、アラビア語: الجزائر‎)は、北アフリカ、アルジェリア民主人民共和国の首都であり、アルジェリア最大の都市である。西部地中海に面している。2010年の都市的地域の人口は335万人であり、世界の第90位、同国では第1位である[1]。地中海の要塞として古くから発達した都市である。




目次





  • 1 概要


  • 2 歴史


  • 3 気候


  • 4 交通


  • 5 姉妹都市


  • 6 ギャラリー


  • 7 脚注




概要


都市は、海岸付近の低地に発達した近代的な部分と標高100m以上の高地にある古都部分に分けられる。海岸付近は「北アフリカのパリ」という言葉に相応しく、植民地時代の影響でノートルダム大聖堂に代表されるフランス風の建築物が立ち並んでいる。また、地中海沿岸の他都市と同様に白壁の建物が多い。内陸の旧市街部はイスラム風の建築物が多く、モスクが数多く点在している。また、映画「望郷」の舞台として知られるカスバ(城壁)は1992年世界遺産に登録された。カミュ作の小説『異邦人』の舞台としても有名。



歴史


紀元前1200年頃にはフェニキアがこの地に植民して交易所を置いていた。ポエニ戦争後は、ローマ帝国の領土となってイコシウムとよばれたが、5世紀中頃にゲルマン系ヴァンダル族によって一時侵略された。次に、東ローマ帝国がここを支配したが、650年アラブ人に駆逐された。


950年頃、先住民族ベルベル人のズィール朝によって現在の市街が創建された。彼らによって名付けられた現在のこの町の名前「アルジェ」は、「島」を意味するアル・ジャザーイルというアラビア語に由来する。それから500年間、この町の支配権はヨーロッパ、アラブ、ベルベルの軍人たちが交互に握った。


1510年、スペインが湾の小島の1つペニョン島を占領し、アルジェ要塞(スペイン語版、英語版)とした。1516年にバルバリア海賊のバルバロス・オルチとバルバロス・ハイレッディン兄弟がアルジェ占領 (1516年)(英語版)に成功。1518年にアルジェを支配していたバルバロス・オルチとバルバロス・ハイレッディン兄弟は、対スペイン戦の支援を求め、オスマン帝国に帰属することを宣言。1529年にバルバロス・ハイレッディンはアルジェ占領 (1529年)(英語版)に成功し、スペイン人を追い出した。1538年のプレヴェザの海戦でオスマン帝国からアルジェリアに至る地中海の制海権を掌握。1541年、スペインがアルジェ遠征 (1541年)(スペイン語版、英語版)に失敗。オスマン帝国支配時代のアルジェは、オスマン艦隊の拠点となり、ヨーロッパ諸国から海賊海岸として恐れられた。その後230年間にわたって、行政・交易・地中海での海賊活動の中心として栄えた。




アルジェ沖に展開するアメリカ艦隊(第二次バーバリ戦争)


1775年、スペインがアルジェ侵攻 (1775年)(カタルーニャ語版、英語版)に失敗。1783年、スペインがアルジェ砲撃 (1783年)(英語版)に失敗。1784年、スペイン・ポルトガル・両シチリア王国・マルタ騎士団連合軍がアルジェ砲撃 (1784年)(英語版)に成功。1815年、アメリカの艦隊が遠征し、アメリカ船舶への攻撃中止を約束する平和条約を結ぶようにもとめた。しかし海賊活動・海賊貿易は継続されたため、翌1816年にオランダとイギリスの連合艦隊はアルジェ砲撃によってアルジェリア艦隊をほぼ壊滅させ、地中海の制海権を手中にした(第二次バーバリ戦争)。オスマンの艦隊としてのアルジェは1830年に幕を閉じた。この年、フランスはアルジェに上陸・占領し、やがて国全体を占領した(アルジェリア侵攻)。


フランス支配は1962年の独立まで続いたが、フランスはアルジェを植民行政の根拠地として都市づくりを行い、海岸部にはフランス風の近代都市が建設されて、現在のアルジェの姿はここで完成した。第二次世界大戦中は、当初ヴィシー・フランスに属したが、1942年のトーチ作戦で連合国軍による解放が行なわれた後、連合軍の北アフリカ司令部とド・ゴールの自由フランス政府がここに設置された。


第二次世界大戦後、世界的な脱植民地化の流れの中でアルジェリアの独立運動が高揚し、アルジェリア戦争(1954年 - 1962年)が始まると、アルジェもアルジェの戦い (1956年 - 1957年)(英語版)(1966年に映画化された『アルジェの戦い』で知られている戦闘)でフランス軍とFLNの間の戦場となった。1962年の独立後、アルジェから引き上げたピエ・ノワールと入れ替わるように人口が集中し、住宅不足や水不足などさまざまな都市問題が生じている。




気候














































































































































アルジェ国際空港 (1961-1990)の気候
1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月

最高気温記録 °C (°F)
24.4
(75.9)
30.0
(86)
36.3
(97.3)
37.2
(99)
41.2
(106.2)
44.6
(112.3)
43.5
(110.3)
47.5
(117.5)
44.4
(111.9)
37.7
(99.9)
32.4
(90.3)
29.1
(84.4)
47.5
(117.5)
平均最高気温 °C (°F)
16.5
(61.7)
17.3
(63.1)
18.5
(65.3)
20.4
(68.7)
23.5
(74.3)
27.0
(80.6)
30.6
(87.1)
31.2
(88.2)
29.2
(84.6)
25.1
(77.2)
20.7
(69.3)
17.2
(63)
23.1
(73.6)
日平均気温 °C (°F)
11.2
(52.2)
11.9
(53.4)
12.8
(55)
14.7
(58.5)
17.7
(63.9)
21.3
(70.3)
24.6
(76.3)
25.2
(77.4)
23.2
(73.8)
19.4
(66.9)
15.2
(59.4)
12.1
(53.8)
17.4
(63.3)
平均最低気温 °C (°F)
5.9
(42.6)
6.4
(43.5)
7.0
(44.6)
9.0
(48.2)
12.0
(53.6)
15.6
(60.1)
18.5
(65.3)
19.1
(66.4)
17.1
(62.8)
13.7
(56.7)
9.6
(49.3)
7.0
(44.6)
11.7
(53.1)
最低気温記録 °C (°F)
−2.9
(26.8)
−1
(30)
−1
(30)
1
(34)
2
(36)
8
(46)
11
(52)
10
(50)
11
(52)
2
(36)
1
(34)
−2
(28)
−2.9
(26.8)

雨量 mm (inch)
80.0
(3.15)
81.8
(3.22)
73.4
(2.89)
61.1
(2.406)
39.9
(1.571)
16.7
(0.657)
4.6
(0.181)
7.4
(0.291)
34.2
(1.346)
76.0
(2.992)
96.4
(3.795)
115.2
(4.535)
686.6
(27.031)
平均降雨日数 (≥ 0.1 mm)
11.4
10.6
9.7
9.1
7.3
2.5
1.5
2.5
5.3
8.6
11.1
12.1
91.7
% 湿度
82
80
77
77
75
74
73
71
75
80
80
81
77
平均月間日照時間
149
165
202
258
319
318
350
319
237
229
165
136
2,847

出典 1: World Meteorological Organization (UN),[2]NOAA (1961-1990)[3]

出典 2: Danish Meteorological Institute (sun and relative humidity),[4] Weatherbase (record highs and lows)[5]


交通




アルジェの衛星写真


2011年に市内交通としてアルジェトラムとアルジェ地下鉄が開通した。またアルジェリア国鉄による近郊電車の運行も行われている。またウアリ・ブーメディアン空港からはアフリカ、中東の他、欧州各都市や北京、モントリオールなどと結ばれている。



姉妹都市



  • 中華人民共和国の旗 北京(中国)


  • ドイツの旗 ベルリン(ドイツ)


  • エジプトの旗 カイロ(エジプト)


  • フランスの旗 パリ(フランス)


  • カナダの旗 モントリオール(カナダ)


  • モロッコの旗 カサブランカ(モロッコ)


  • イギリスの旗 ロンドン(イギリス)


  • チュニジアの旗 チュニス(チュニジア)


  • ロシアの旗 モスクワ(ロシア)


  • スペインの旗 バルセロナ(スペイン)


  • スイスの旗 ジュネーヴ(スイス)


  • リビアの旗 トリポリ(リビア)


  • イタリアの旗 ローマ(イタリア)


  • セネガルの旗 ダカール(セネガル)


  • オランダの旗 アムステルダム(オランダ)


ギャラリー




脚注


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  1. ^ db-worldua(PDF文書) - DEMOGRAPHIA


  2. ^ “World Weather Information Service - Algiers”. World Meteorological Organization. 2013年4月14日閲覧。


  3. ^ “Climate Normals for Alger (dar el beida)”. National Oceanic and Atmospheric Administration. 2013年2月11日閲覧。


  4. ^ “Algeriet - Alger/Dar-El-Beida” (Danish). Climate Data for Selected Stations (1931-1960). Danish Meteorological Institute. p. 10. 2013年4月14日閲覧。


  5. ^ “Weatherbase: Historical Weather for Algiers, Algeria”. Weatherbase. 2013年4月14日閲覧。








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