日本映画演劇労働組合





















日本映画演劇労働組合
(日映演)
Japan Motion Picture and Theatrical Worker's Union(JMTW)

Toho Labor disputes.JPG

東宝争議、1948年8月19日

設立年月日
1946年4月28日
解散年月日
1952年2月28日
後継組織
映画演劇労働組合連合会
組織形態
産業別労働組合
加盟団体数
95分会
組合員数
12,662名
国籍
日本の旗 日本
本部所在地
東京都港区芝新橋7-12 産別会館
加盟組織
全国労働組合連絡協議会 (1947-1950)
委員長 : 伊藤武郎

日本映画演劇労働組合(にほんえいがえんげきろうどうくみあい)は、かつて存在した日本の映画・演劇の産業別労働組合である。東宝争議を指導したことで知られる[1]。略称日映演(にちえいえん)[1]




目次





  • 1 略歴・概要


  • 2 著名な組合員


  • 3 加盟労働組合


  • 4 関連項目


  • 5




略歴・概要


第二次世界大戦が集結した1945年(昭和20年)12月に東宝従業員組合(東宝従組)が結成され、翌1946年(昭和21年)2月、東京・砧の東宝撮影所(現在の東宝スタジオ)を舞台に東宝争議が起きる[1]。同年4月3日、産業別組織である全日本映画従業員組合同盟が結成され、他の映画会社の労働組合らが同争議を支援、同年4月28日に結成されたのが、日本映画演劇労働組合(日映演)である[1]


同組合は、全日本映画従業員組合同盟と東宝従組ほか映画の労働組合、劇団の 95分会、12,662名を結集した産別単組であった[1][2]。日活労組は不参加、地方小劇場も参加していない[1]。委員長には映画プロデューサーの伊藤武郎が就任した[2]


同組合東宝支部から脱退した従業員が第二組合を結成して分裂[2]、1947年(昭和22年)5月1日、1,500名が全国映画演劇労働組合(全映演)を結成[1]、全員が東宝第二撮影所に設立された新東宝(現在の国際放映)に入社する[2]


1948年(昭和23年)4月8日、東宝が撮影所従業員270名を解雇、同15日のボイコットをきっかけに第3次争議が起こり、日映演はこれを指導する[1]。同年10月18日、解雇撤回により争議は終結するが、1950年(昭和25年)、200人が改めて解雇される[1]


同組合が日本映画人同盟と共同で製作をした映画に、小沢栄太郎出演、山本薩夫監督の『暴力の街』(1950年2月26日公開、大映配給)[3][4]がある。


1952年(昭和27年)2月28日、第9回組合大会で解散を決定、翌日の同年3月1日、将来の大統一「映演総連合」の結成を目指して、日本映画演劇労働組合連合(略称映演労連)を結成、大映の村山三男が同労連の議長に就任した[5]。同月25日、これを引き継ぎ、映画演劇労働組合総連合(映演総連、現在の映画演劇労働組合連合会)が結成となった[1]。新東宝の労組(現在の国際放映労組)はこれに加盟している[6]



著名な組合員


東宝支部




  • 伊藤武郎

  • 宮島義勇

  • 五所平之助

  • 今井正

  • 山本薩夫

  • 楠田清

  • 亀井文夫

  • 小田基義


  • 岩崎昶

  • 山形雄策

  • 八木保太郎

  • 嵯峨善兵

  • 久我美子

  • 若山セツ子

  • 岸旗江

  • 伊豆肇


  • 中北千枝子

  • 花沢徳衛

  • 沼崎勲

  • 向山宏


  • 山田五十鈴 1950年5月26日加入声明発表[7]


  • 原ひさ子[8]

松竹支部

  • 神田隆[9]


  • 殿山泰司[9]


  • 家城巳代治[9]

大映支部
  • 加藤泰


加盟労働組合


  • 東宝支部

  • 松竹支部

  • 大映支部

  • 日本ニュース支部

を含む95分会



関連項目


  • 東宝争議

  • 全国映画演劇労働組合

  • 映画演劇労働組合連合会





  1. ^ abcdefghij日映演、大原デジタルライブラリー、法政大学大原社会問題研究所、2009年12月23日閲覧。

  2. ^ abcd日本映画演劇労働組合、法政大学大原社会問題研究所、2009年12月23日閲覧。


  3. ^ 「暴力の街」


  4. ^ 法政大学大原社研 日本映画演劇労働組合〔日本労働年鑑 第24集 582〕


  5. ^ 日本映画演劇労働組合連合、法政大学大原社会問題研究所、2009年12月23日閲覧。


  6. ^ 映演総連、大原デジタルライブラリー、法政大学大原社会問題研究所、2009年12月23日閲覧。


  7. ^ 法政大学大原社研 東宝争議〔日本労働年鑑 第24集 292〕


  8. ^ 日俳連News114号 哀悼・原ひさ子さん日本俳優連合の公式サイト Archived 2012年12月25日, at the Wayback Machine.

  9. ^ abc─松竹大船撮影所秘話─ 公職追放─レッドパージ 名前変えてスタッフに 文責・森田 郷平=美術監督)2002年10月16日 神奈川新聞








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