ケーシー・ストーナー






























ケーシー・ストーナー

Casey Stoner 2010 Phillip Island 1.jpg
2010年 オーストラリアGP

グランプリでの経歴
国籍
オーストラリアの旗 オーストラリア
活動期間
2001年 - 2012年
チーム
ホンダ,ドゥカティ
レース数
176
チャンピオン
2 (2007年,2011年)
優勝回数
45
表彰台回数
89
通算獲得ポイント
2411

ポールポジション回数

43

ファステストラップ回数

33
初グランプリ
2001年 125cc イギリスGP
初勝利
2003年 125cc バレンシアGP
最終勝利
2012年 MotoGP オーストラリアGP
最終グランプリ
2012年 MotoGP バレンシアGP
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ケーシー・ストーナーCasey Joel Stoner、1985年10月16日 - )は、オーストラリア・クイーンズランド州出身[1]のオートバイレーサー。2007年、2011年のロードレース世界選手権MotoGPクラスチャンピオン。2012年シーズンをもってオートバイレーサーとしては引退している。




目次





  • 1 経歴


  • 2 記録


  • 3 人物


  • 4 家族


  • 5 ロードレース世界選手権 戦績


  • 6 脚注


  • 7 関連項目


  • 8 外部リンク




経歴


初めてのレースは彼が4歳の時に参加したゴールドコーストでのダートトラックレースだった。6歳で最初のオーストラリアタイトルを獲得し、14歳の時、家族は息子にオーストラリア以外でのレースキャリアを積ませるためにヨーロッパへ移住する。


2000年、ストーナーはイギリスとスペインのロードレース選手権に参戦を開始する。


2001年、両選手権でそれぞれ年間ランキング2位を獲得する。スペイン選手権はダニ・ペドロサの師匠に当たるアルベルト・プーチの下で戦っていたが、この時プーチから車番「27」を与えられ、現在も使用し続けている(ちなみにペドロサは「26」、トニ・エリアスは「24」)。また、この年はロードレース世界選手権にスポット参戦し、イギリスGPで17位、オーストラリアGPでは12位でフィニッシュして初ポイントを獲得した。


2002年、グランプリライダー兼チームオーナーのルーチョ・チェッキネロ率いるチーム・LCRから、ロードレース世界選手権250ccクラスに参戦する。ミック・ドゥーハンをアドバイザーに迎える。


2003年は同チームから125ccクラスにエントリーする。第10戦ドイツGPではグランプリ初の表彰台(2位)を獲得。そして最終戦バレンシアGPにて初優勝を遂げた。合計4回の表彰台で年間ランキング8位。このレースを9位で終えたチェッキネロは、このグランプリを最後にライダーを引退、チームオーナー業に専念する意志を固めた。


2004年、ストーナーはKTMのファクトリーチームに移籍する。第12戦マレーシアGPで優勝し、参戦2年目のオーストリアファクトリーに125ccクラス初勝利をもたらした。


2005年は250ccクラスに戻り、再びLCRからアプリリアのファクトリーマシンで参戦する。チャンピオンシップをリードしていたペドロサへの最大の脅威となって終盤までタイトルを争うが、第15戦地元オーストラリアGPで転倒し途中棄権。この時点でペドロサのタイトルが確定し、ストーナーは年間5勝・ランキング2位となった。


2006年はLCR・ホンダよりRC211Vを駆りMotoGPクラスにデビュー。第3戦トルコGPで最高峰クラス初の表彰台(2位)を獲得。しかし、シーズン中盤以降は転倒の多さが目立ち、ノーポイントレース7戦が響いて最終的なランキングは8位に終わった。




2007年マレーシア冬季テストでのストーナー


2007年はドゥカティワークス・チームに移籍し、同チームのエース、ロリス・カピロッシのチームメイトとしてMotoGPクラスに継続参戦。移籍後初レースとなった開幕戦カタールGPでは、7度の世界チャンピオン・バレンティーノ・ロッシを下して初優勝を達成、ポイントリーダーとしてシーズンをスタートした。これをきっかけに怒涛の勢いで優勝を重ね、ツインリンクもてぎで開催された第15戦日本GPで6位に入り、遂に年間王者を獲得。2007年はシーズン10勝を挙げ、最低成績が日本GPの6位(棄権ゼロ)と抜群の安定感で文句なしのタイトル獲得となった(ランキング2位のペドロサとの差は125点)。


2008年は開幕戦カタールGPこそ優勝でスタートするが、第2戦スペインGPで11位に沈みあっさりとロッシに逆転を許す。しかしポールポジションは何度も獲得し、その後イギリス→オランダ→ドイツと3連勝でタイトル争いに絡もうとしていた。しかし第11戦アメリカGPではロッシとデッドヒートを演じた歴史的バトルの末コースアウトしてしまい2位でフィニッシュ。さらにはその後古傷の左手首を骨折した上に2戦連続で転倒し、ラグナセカの時点で25ポイントついていた差が最大87ポイントまでついてしまい万事休す。結局は第15戦日本GPにてロッシにシリーズチャンピオンを決められてしまった。ただし予選獲得順位で決まる『BMW Mアワード』については2位ロッシに74ポイントの差を付ける記録で取得している。


シーズンオフに左手首の手術に挑んで無事に成功し、ホンダから移籍したニッキー・ヘイデンをチームメートに迎えて挑んだ2009年シーズンは、開幕戦カタールGPを3年連続で制する好スタートで、シーズン序盤まではロッシやホルヘ・ロレンソと首位争いを繰り広げていたが、中盤に原因不明の体調不良(のちに乳糖不耐症が原因と判明[2])で調子を大きく崩してしまい、第10戦を14位で終了した直後には、第11 - 13戦の3戦を欠場して静養するという決断を行い、チャンピオン争いから退いた。しかし第14戦からレースに戻ると4戦して2勝と2位1回とファンに復活した姿を見せ、年間ランキング4位という成績を残した。


2010年シーズンの開幕戦カタールGPでは、トップを独走しながらも自らのミスで転倒クラッシュを喫してしまう[3]。第3戦フランスGPでも転倒リタイヤ、前半戦を未勝利のまま終えることとなりチャンピオン争いから脱落した。その後第13戦アラゴンGPを皮切りに3勝を挙げたが、5度のリタイヤが響いて、年間ランキングではこの年3戦負傷欠場したダニ・ペドロサ、4戦負傷欠場のバレンティーノ・ロッシにも競り負けて4位に終わった。


4年間在籍したドゥカティチームを去り、2011年からはレプソル・ホンダチームに移籍しクラス6年目のシーズンを迎えた。RC212Vをシーズン前テストから乗りこなしたストーナーはドゥカティ時代から一転して安定したライディングを見せ(全18戦[4]中決勝リタイアとなったのはロッシの転倒に巻き込まれた第2戦のみで、後は全てのレースで表彰台を獲得した)、自身にとっては4年ぶり、ホンダとしては2006年以来となるシリーズチャンピオンを故郷オーストラリアGPで獲得した。


2012年、第4戦・フランスグランプリの直前に行われた記者会見において、同年限りでの現役引退を発表した[5]


二輪からの引退後は四輪レーシングドライバーへ転向。2013年は地元・オーストラリアでV8スーパーカーの下位カテゴリーであるダンロップ・シリーズに出場することになった[6]。将来的にはV8スーパーカーへのステップアップも予定している。現役引退したもののMotoGPへワイルドカードでの復帰の噂が絶えない中、2013年7月にホンダとテストライダー契約を結んだ[7]。2013年は日本国内での4回のテストを予定しているという。


2015年、かねてから出場を希望していた鈴鹿8時間耐久ロードレースに、限定復帰する形で MuSASHi RT ハルクプロ(ホンダ)から参戦[8]したが、決勝で第2走者としてトップを走行中、ヘアピンへの進入の際にグラベルへとコースアウトし、直後にクラッシュ。マシンが大破し、その場でリタイアとなった[9]。そして、自身もグラベル上に回転しながら叩き付けられ、クラッシュバリアまで飛ばされてしまう。後に自身のTwitter上にて、転倒の際に右の肩甲骨と左足の脛骨を骨折した事を明かした[10]。またホンダより、マシンのスロットルに不具合が生じた事が転倒の起因となっていた事が発表されている[11]


2016年はドゥカティに復帰し、MotoGPマシンのテストライダー及び同社のブランドアンバサダーを務める[12]。同年3月には、テスト中の怪我で欠場するダニロ・ペトルッチの代役としてMotoGPへの復帰が取り沙汰されたが、チーム側が「フィジカル面に問題がある」と判断し復帰話は流れた[13]



記録


2006年4月8日、第2戦カタールGPにてMotoGPクラス参戦2戦目、20歳173日で最高峰クラスにおける自身初のポールポジションを獲得する。最高峰クラスにおけるデビュー2戦目でのポールポジション獲得は、最高峰クラスのデビュー戦でポールポジションを獲得した岡田忠之(1996年)、マックス・ビアッジ(1998年)、ホルヘ・ロレンソ(2008年)に次ぐ最短記録。また20歳173日での最高峰クラスのポールポジション獲得は、1982年のフレディ・スペンサーの19歳196日に次ぐ、史上2番目に若い記録である。


2007年9月23日、日本グランプリで6位を獲得したことで同年のシリーズチャンピオンに決定する。最高峰クラスでの21歳11ヶ月でのタイトル獲得は、1983年のフレディ・スペンサー(21歳8ヶ月)に次ぐ、史上2位の若さでの戴冠となった。



人物


趣味は釣りやハンティング。祖国・オーストラリアに帰った際はそれらの趣味に時間を費やすのが常だという[14]。自分の子供にも「少なくとも釣りとバイクは絶対に教える」と語っている[15]。引退レースとなった2012年のバレンシアGPでは、チェッカーを受ける際チームクルーに「GOING FISHING」のサインボードで迎えられた。



家族




ストーナーとアドリアーナ夫人


2003年、フィリップアイランドでおこなわれたオーストラリアGPで、ストーナーはアデレードから来たアドリアーナ(Adriana Tuchyna)という少女にお腹にサインをするよう頼まれた[16]。二人は2005年、アドリアーナが16歳の時から交際を始め[17]、2007年1月6日にはアデレードで結婚式を挙げた[18]


アドリアーナ夫人(Adriana Tuchyna Stoner)は、ほぼ全てのグランプリに帯同している。スタート前はグリッドで夫に傘をさしかけ、ストーナーがレースで3位以内に入るとパルクフェルメのフェンスの外で待ちうけ、ストーナーのグローブ・ヘルメットを受けとるのが常となっている。その姿はTV中継などで映し出されている。


2012年2月17日午後9時55分に、アドリアーナ夫人は第1子となる女児アレッサンドラ(Alessandra Maria Stoner)をスイスのローザンヌにある病院にて出産する[19]



ロードレース世界選手権 戦績


  • 凡例


  • ボールド体のレースはポールポジション、イタリック体のレースはファステストラップを記録。












































































































































































































































































































シーズン
クラス
バイク
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
順位
ポイント

2001年
125cc

ホンダ

JPN

RSA

SPA

FRA

ITA

CAT

NED

GBR
17

GER

CZE

POR

VAL

PAC

AUS
12

MAL

BRA


29位
4

2002年
250cc

アプリリア

JPN
Ret

RSA
Ret

SPA
6

FRA
Ret

ITA

CAT
6

NED
8

GBR
11

GER
Ret

CZE
5

POR
Ret

BRA
6

PAC
17

MAL
11

AUS
10

VAL
13


12位
68

2003年
125cc

アプリリア

JPN
Ret

RSA
10

SPA
6

FRA
4

ITA
18

CAT
Ret

NED
Ret

GBR
5

GER
2

CZE

POR

BRA
2

PAC
2

MAL
Ret

AUS
Ret

VAL
1


8位
125

2004年
125cc

KTM

RSA
3

SPA
5

FRA
8

ITA
2

CAT
4

NED
3

BRA
2

GER

GBR

CZE
Ret

POR
Ret

JPN
Ret

QAT
Ret

MAL
1

AUS
3

VAL
Ret


5位
145

2005年
250cc

アプリリア

SPA
Ret

POR
1

CHN
1

FRA
4

ITA
4

CAT
2

NED
6

---

GBR
3

GER
7

CZE
3

JPN
3

MAL
1

QAT
1

AUS
Ret

TUR
1

VAL
3


2位

254

2006年
MotoGP

ホンダ

SPA
6

QAT
5

TUR
2

CHN
5

FRA
4

ITA
Ret

CAT
Ret

NED
4

GBR
4

GER
DNS

USA
Ret

CZE
6

MAL
8

AUS
6

JPN
Ret

POR
Ret

VAL
Ret

8位
119

2007年
MotoGP

ドゥカティ

QAT
1

SPA
5

TUR
1

CHN
1

FRA
3

ITA
4

CAT
1

GBR
1

NED
2

GER
5

USA
1

CZE
1

SMR
1

POR
3

JPN
6

AUS
1

MAL
1

VAL
2

1位

367

2008年
MotoGP

ドゥカティ

QAT
1

SPA
11

POR
6

CHN
3

FRA
16

ITA
2

CAT
3

GBR
1

NED
1

GER
1

USA
2

CZE
Ret

SMR
Ret

IND
4

JPN
2

AUS
1

MAL
6

VAL
1

2位

280

2009年
MotoGP

ドゥカティ

QAT
1

JPN
4

SPA
3

FRA
5

ITA
1

CAT
3

NED
3

USA
4

GER
4

GBR
14

CZE

IND

SMR

POR
2

AUS
1

MAL
1

VAL
DNS

4位
220

2010年
MotoGP

ドゥカティ

QAT
Ret

SPA
5

FRA
Ret

ITA
4

GBR
5

NED
3

CAT
3

GER
3

USA
2

CZE
3

IND
Ret

SMR
5

ARA
1

JPN
1

MAL
Ret

AUS
1

POR
Ret

VAL
2
4位
225

2011年
MotoGP

ホンダ

QAT
1

SPA
Ret

POR
3

FRA
1

CAT
1

GBR
1

NED
2

ITA
3

GER
3

USA
1

CZE
1

IND
1

RSM
3

ARA
1

JPN
3

AUS
1

MAL
C

VAL
1

1位

350

2012年
MotoGP

ホンダ

QAT
3

SPA
1

POR
1

FRA
3

CAT
4

GBR
2

NED
1

GER
Ret

ITA
8

USA
1

IND
4

CZE


RSM


ARA


JPN
5

MAL
3

AUS
1

VAL
3

3位

254


脚注




  1. ^ http://www.caseystoner.com.au/details.php?item=145


  2. ^ Title tilt ahead for Stoner after illness battle


  3. ^ http://www.crash.net/motogp/news/158653/1/stoner_apologises_for_qatar_crash.html


  4. ^ ただし第17戦は決勝が中止になった為、実質的には17戦


  5. ^ C.ストーナー、今季限りの引退を発表 - motogp.com・2012年5月17日


  6. ^ 元MotoGP王者ストーナーが四輪レースに転向 - オートスポーツ・2013年1月27日


  7. ^ 2011年MotoGPクラスチャンピオン ケーシー・ストーナー氏によるMotoGPマシンのサーキットテストについて - ホンダ・2013年7月23日


  8. ^ ケーシー・ストーナーが2015年の鈴鹿8耐に参戦 - 本田技研工業ニュースリリース・2015年3月27日


  9. ^ 【鈴鹿8耐】ケーシー・ストーナー、まさかのクラッシュ - Response.・2015年7月26日


  10. ^ [1]


  11. ^ [2]


  12. ^ ストーナー『マルケスは僕に脅されてる気分だった』 - itatwagp.com・2016年1月6日


  13. ^ ドゥカティ、ストーナーの起用検討もフィジカル面を理由に断念 - オートスポーツ・2016年3月30日


  14. ^ Casey Stoner come non l’avete mai… letto - motosprint.it・2011年5月24日


  15. ^ 東京中日スポーツ・2011年12月14日付 7面


  16. ^ “Boy racer who left motorcycle grand prix world in his wake”. theage.com.au. (2007年9月22日). http://www.theage.com.au/articles/2007/09/21/1189881778302.html 2009年10月15日閲覧。 


  17. ^ “MotoGP kick-started”. Motorcycle Riders Association. (2005年10月14日). http://mraa.org.au/forum/modules/news/article.php?storyid=86 2007年4月16日閲覧。 


  18. ^ “Casey Stoner in red for the first time”. (2007年1月16日). http://www.ducati.com/racing/home_news_popup_racing.jhtml;jsessionid=LVBXHBXRXFXTYCRNCB2SFEYKFUIHUIV3?newsId=32756&backNews=archive 2007年10月15日閲覧。 


  19. ^ “Stoner becomes a father”. (2012年2月17日). http://www.motogp.com/ja/news/2012/Stoner+is+a+father 2012年4月12日閲覧。 



関連項目


  • ライダー一覧


外部リンク




  • ケーシー・ストーナー公式サイト

  • motogp.com ケーシー・ストーナー経歴




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