エクトル・バルベラ




この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の姓)はバルベラ、第二姓(母方の姓)はヴァルです。




























エクトル・バルベラ

Hector Barbera 2011 Estoril.jpg
2011年 ポルトガルGP

国籍
スペインの旗 スペイン
生年月日
(1986-11-02) 1986年11月2日(32歳)
出身地
バレンシア州バレンシア県ドス・アグアス(英語版)
ウェブサイト
hectorbarbera.com

ロードレース世界選手権での記録
- MotoGPクラスに参戦 -
現在のチーム
アビンティア・ブルセンス
ゼッケン
8
チャンピオン
0
レース数
171
優勝回数
10
表彰台回数
32

PP回数

9

FL回数

10
通算獲得ポイント
1501

2012年の成績

11位 (83ポイント)

エクトル・バルベラ・ヴァル (Héctor Barberá Vall, 1986年11月2日 - ) は、スペイン・バレンシア州バレンシア県ドス・アグアス(英語版)出身のオートバイレーサー。2010年よりロードレース世界選手権MotoGPクラスに参戦中。




目次





  • 1 経歴

    • 1.1 125ccクラス


    • 1.2 250ccクラス


    • 1.3 MotoGPクラス



  • 2 ロードレース世界選手権 戦績


  • 3 脚注


  • 4 外部リンク




経歴



125ccクラス


2002年、15歳の時にホルヘ・マルチネス率いるアスパー・チームからロードレース世界選手権125ccクラスにデビューした。翌2003年、第8戦イギリスGPで初優勝を果たし、シリーズランキング3位に入る活躍を見せた。2004年はセリエA・ACミラン所属のサッカー選手、クラレンス・セードルフがオーナーのセードルフ・レーシングに移籍。何回かの転倒やメカニカルトラブルに見舞われ、年間タイトルはアンドレア・ドヴィツィオーゾに奪われたが、最終戦バレンシアGPでシーズン4勝目を挙げて、シリーズランキング2位を確保した。



250ccクラス




2007年 イタリアGP


2005年に250ccクラスにステップアップを果たし、フォルツナ・ホンダチームでホルヘ・ロレンソのチームメイトを務めた。2006年にはフォルツナ・チームはマシンをアプリリアにスイッチし、バルベラは第3戦中国GPでクラス初優勝を遂げた。


2007年にはチーム・トス・アプリリアに移籍。2008年の第6戦イタリアGP、残り1周となったホームストレート上で、バルベラはトップを走るマルコ・シモンチェリからトップを奪おうとしていたが、奪われまいとストレート上で急にコースを変えたシモンチェリのリアタイヤにバルベラのフロントブレーキレバーが引っかかる形となり、バルベラのマシンが宙を舞う大クラッシュとなってしまった。だが奇跡的にもバルベラは怪我らしい怪我を負わずに済んだ。しかしその後第15戦日本GPでフリープラクティス中に転倒し、胸椎を2箇所骨折する重傷を負って宇都宮近郊の獨協医科大学病院に入院[1]、シーズン残り3戦を欠場することになってしまった[2]


2009年はシト・ポンス率いるぺぺ・ワールド・アプリリアチームに移籍。開幕戦カタールGPではクラス2勝目を挙げ、自らの復帰を勝利で飾った。その後シーズン中盤にかけては青山博一、アルバロ・バウティスタ、マルコ・シモンチェリによるチャンピオン争いには絡めずにランキング4位に甘んじていたが、終盤は2勝を含む5連続表彰台に立つ活躍を見せ、シリーズランキング2位を獲得した。


またこの年、バルベラは写真判定の結果同着フィニッシュとされたレースを2度も経験することになった。一つは第14戦ポルトガルGPで、マイク・ディ・メッリオと2位の座を争って同着となったが、選手権のルール上、「同着と判定された場合は、レース中により速いラップタイムを出した者を上位とする」と規定されているため、ディ・メッリオが2位、バルベラは3位というリザルトとなった[3]。もう一つは第16戦マレーシアGPで、シモンチェリとのバトルの結果2位同着となり、今度はバルベラの方がレース中に速いタイムを出していたため2位、シモンチェリが3位となった[4]



MotoGPクラス




2010年 カタールGP


2010年シーズン、バルベラはMotoGPクラス初参戦となるアスパー・チームよりドゥカティ・デスモセディチを駆って最高峰クラスにデビューした[5]。全18戦中17戦でポイント圏内完走する安定した走りを見せ、第3戦フランスGPと最終戦バレンシアGPでベストリザルトの8位を記録。年間ランキングではルーキー勢の中ではベン・スピーズ、マルコ・シモンチェリに次ぐ3番手となる12位に入った。


2011年もアスパーに残留[6]、第2戦スペインGPでベストリザルトを更新する6位に入賞、年間ランキングでは1つ順位を上げて11位を記録した。第15戦日本GPでは決勝でのクラッシュで右鎖骨を骨折、再び獨協医大病院に入院し次戦を欠場することとなった[1]


2012年はプラマック・レーシングに移籍。1000cc化したデスモセディチGP12を駆ってクラス3年目のシーズンに臨む[7]


2013年はアビンティア・ブルセンスに移籍。チームメイトに2年ぶりにMotoGPクラスへ復帰を果たした青山博一とCRTマシンで参戦する。



ロードレース世界選手権 戦績


  • 凡例


  • ボールド体のレースはポールポジション、イタリック体のレースはファステストラップを記録。


















































































































































































































































































































































シーズン
クラス
バイク
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
順位
ポイント

2002年
125cc

アプリリア

JPN
16

RSA

SPA
12

FRA
15

ITA
Ret

CAT
18

NED
20

GBR
Ret

GER
21

CZE
4

POR
Ret

BRA
15

PAC
5

MAL
8

AUS
14

VAL
6


14位
50

2003年
125cc

JPN
Ret

RSA
13

SPA
7

FRA
11

ITA
9

CAT
Ret

NED
3

GBR
1

GER
14

CZE
5

POR
2

BRA
9

PAC
1

MAL
8

AUS
6

VAL
3



3位

164

2004年
125cc

RSA
10

SPA
3

FRA
5

ITA
3

CAT
1

NED
6

BRA
1

GER
2

GBR
Ret

CZE
7

POR
1

JPN
Ret

QAT
12

MAL
Ret

AUS
6

VAL
1



2位

202

2005年
250cc

ホンダ

SPA
5

POR
11

CHN
7

FRA
7

ITA
6

CAT
16

NED
9
---

GBR
Ret

GER
8

CZE
Ret

JPN
8

MAL
6

QAT
7

AUS
4

TUR
6

VAL
5

9位
120

2006年
250cc
アプリリア

SPA
5

QAT
4

TUR
2

CHN
1

FRA
7

ITA
Ret

CAT

NED

GBR
5

GER
5
---

CZE
5

MAL
Ret

AUS
6

JPN
7

POR
10

VAL
3

7位
152

2007年
250cc

QAT
3

SPA
Ret

TUR
8

CHN
6

FRA
4

ITA
3

CAT
8

GBR
Ret

NED
7

GER
6
---

CZE
4

SMR
3

POR
5

JPN
3

AUS
Ret

MAL
2

VAL
5
5位
177

2008年
250cc

QAT
2

SPA
5

POR
8

CHN
6

FRA
12

ITA
Ret

CAT
3

GBR
4

NED
5

GER
2
---

CZE
4

SMR
3

IND
C

JPN
DNS

AUS

MAL

VAL
6位
142

2009年
250cc

QAT
1

JPN
11

SPA
4

FRA
11

ITA
5

CAT
3

NED
2
---

GER
5

GBR
8

CZE
7

IND
6

SMR
1

POR
3

AUS
2

MAL
2

VAL
1


2位

239

2010年
MotoGP

ドゥカティ

QAT
12

SPA
13

FRA
8

ITA
12

GBR
11

NED
12

CAT
10

GER
9

USA
Ret

CZE
9

IND
10

SMR
9

ARA
11

JPN
13

MAL
11

AUS
14

POR
10

VAL
8
12位
90

2011年
MotoGP

QAT
12

SPA
6

POR
Ret

FRA
9

CAT
11

GBR
11

NED
12

ITA
7

GER
11

USA
9

CZE
10

IND
Ret

RSM
9

ARA
8

JPN
Ret

AUS

MAL
C

VAL
11
11位
82

2012年
MotoGP

QAT
9

SPA
10

POR
10

FRA
9

CAT
11

GBR
10

NED
7

GER
9

ITA
9

USA


IND
WD

CZE


RSM
Ret

ARA
12

JPN
10

MAL
7

AUS
12

VAL
Ret
11位
83

2013年
MotoGP
FTR

QAT
13

AME
18

SPA
12

FRA
18

ITA
10

CAT
Ret

NED
20

GER
11

USA
10

IND
16

CZE
Ret

GBR
13

RSM
Ret

ARA
Ret

MAL
14

AUS
14

JPN
16

VAL
12
16位
35

2014年
MotoGP
ドゥカティ

QAT
Ret

AME
15

ARG
16

SPA
15

FRA
Ret

ITA
Ret

CAT
19

NED
18

GER
18

IND
Ret

CZE
17

GBR
19

RSM
19

ARA
19

JPN
15

AUS
5

MAL
9

VAL
11
18位
26

2015年
MotoGP

QAT
15

AME
12

ARG
13

SPA
14

FRA
13

ITA
13

CAT
16

NED


GER
13

IND
15

CZE
16

GBR
13

RSM
18

ARA
16

JPN
9

AUS
16

MAL
13

VAL
16
15位
33


脚注



  1. ^ abhttp://www.marca.com/2011/10/03/motor/mundial_motos/1317631331.html


  2. ^ http://www.intellimark.co.jp/2008/articles/news20080928002.html


  3. ^ http://www.ridingsport.com/news/roadrace/200910/05-004948.php


  4. ^ http://www.motogp.com/ja/news/2009/Barbera+rose+to+third+in+the+standing


  5. ^ http://www.motogp.com/ja/news/2009/Barber+debut+in+MotoGP+with+Aspar+in+2010


  6. ^ http://www.motogp.com/ja/news/2010/barbera+and+aspar+team+togheter+at+2011+seson


  7. ^ http://www.motogp.com/ja/news/2011/Barbera+signs+for+Pramac+for+2012



外部リンク



  • エクトル・バルベラ公式ウェブサイト (スペイン語)


  • @HectorBarbera エクトル・バルベラ公式ツイッター

  • motogp.com エクトル・バルベラ経歴
































































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