J-POP

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J-POP(ジェーポップ、英: Japanese Popの略で、和製英語である)は、日本で制作されたポピュラー音楽を指す言葉であり、1989年頃にその語と概念が誕生した後、1993年頃から青年が歌唱する曲のジャンルの一つとして広く認識されるようになった。J-POP以前と以後の違いは、BPMの早さや洋楽の影響を受けたメロディ,コード進行,リズムにある。特に、昭和歌謡の時代の邦楽と比較して、グルーヴが洗練された作品は増加した。尚、一般的な音楽ジャンルとは異なり、先に「J-POP」と言う言葉を定義し、それに既存の楽曲を当てはめる所から入っていったもので、自然発生した音楽ジャンルではない。




目次





  • 1 歴史

    • 1.1 1988年


    • 1.2 1990年代


    • 1.3 2000年代


    • 1.4 2010年代


    • 1.5 2020年代



  • 2 同義語


  • 3 脚注


  • 4 参考文献


  • 5 関連項目


  • 6 外部リンク




歴史



1988年





浜田省吾


1988年、10月に開局したばかりの東京のFMラジオ局、J-WAVEが「J-POP」の発祥となった。J-WAVEは「多文化的」「スタイリッシュ」な町六本木に存在しており、当初は邦楽を全く放送していなかった[1]。しかし1988年の年の暮れ[2]、同社の斎藤日出夫常務(2012年より社長)がレコード会社の邦楽担当者らと共に、J-WAVEで邦楽を流そうと言う企画が発足する。レコード会社側も「洋楽しか流さないJ-WAVEが流した邦楽には希少性があり、それを集めたコンピレーションアルバムを出す」などと言った目論見もあったという[3]


この際に「日本のポップス」をどう呼称するのかが検討された(斉藤によれば、いつまでも和製○○などと言っていてはいつまでもオリジナルを越えられないと言う[4])が、ジャパニーズ・ポップス、ジャパン・ポップス、シティー・ポップス、タウン・ポップスなどが検討された(「シティ・ポップ」はウィキペディア日本語版の項目として存在する)が、「ジャパニーズ・ポップスにせよ、ジャパン・ポップスにせよ、頭文字はJだ。そしてここは、J-WAVEだ」と言う意見が出され、Jの文字を用いることとされた。ジャーナリストの烏賀陽弘道によれば、当時、1986年に浜田省吾がアルバム「J-boy」を発表、1987年に日本国有鉄道が分割民営化されJRに、1985年に日本専売公社がやはり民営化され日本たばこ産業、すなわちJTになった時代であり、日本を表す「J」と言う文字が定着してきた時期であったことも一因とされるのではないかとしている[5]。いずれにせよこれが「J-POP」と言う語の誕生の瞬間であり、この時点ではあくまでJ-WAVE内部のみでの呼称であった[6]。関係者の証言により異なるが、1988年末か1989年初頭頃のことである[6][7]


このジャンルは、マスメディア側が先導する形で音楽カテゴリーのひとつとして誕生し、それにふさわしい音楽を売り手側が分類しているという点において、グラム・パンク・グランジ・オルタナティブ・ロック・ヒップホップなどといった他の音楽ジャンルと異なる、大きな特徴といえる[8]。斉藤によれば当初の部類は多分に感覚的であり、演歌はだめ、サザンオールスターズや松任谷由実はOK、アリスやCHAGE and ASKAは違う、などとされていたが、明確な根拠などはなかった。しかし洋楽の何かに影響を受けたとわかる音楽、洋楽と肩を並べられる音楽が選ばれたと言う[9]。そして1989年秋には、J-WAVEで「J-POP・クラシックス」のオンエアが開始される[9]


一般に使用されるようになるまでにはしばらくの歳月を要し、定着したのは1993年から1995年頃とされる(例外的にタワーレコード心斎橋店で、1990年にJ-POPコーナーが設置されている)[10]


なお、1993年という年は日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)が始まった年であり、これの存在もJ-POPと言う語の普及にとって無視できない要素である[11]。「Jリーグ」は同年の「新語・流行語大賞」に選ばれている。1995年春には「J-ROCKマガジン」が創刊され、雑誌と連動したテレビ番組「J-ROCK ARTIST COUNT DOWN 50」が人気となり、マスメディアでポップスとロックを区別する形でも使われるようになった。


呼称の定着までに時間がかかった一因としては、「J-POP」という名称がライバル局から生まれたものとして他局が使用に積極的では無かったこともあげられる。一例としてJFN系キー局であるエフエム東京 (TOKYO FM)や、その傘下の出版社では90年代中頃までは極力使わず、本来の「ジャパニーズ・ポップス」の略称である「J-POPS」という名称を多用した。音楽番組「デイブレイク J-POPS」や「アフタヌーン・ブリーズ」のジャパニーズ・ポップス・リフレインなどがそうである。


なお烏賀陽によれば、J-POPは従来あった歌謡曲・フォーク・ロック・ニューミュージックなどのジャンル・サブジャンルを全て殺し、それに成り代わってしまったという。すなわちJ-POPの普及後はそれぞれが、烏賀陽の言葉を借りれば、従来のジャンルはJ-POPと言うマンションに入居し、歌謡曲系J-POP、フォーク系J-POP、ロック系J-POP、などといった構造に再構築され収まっているという[12]



1990年代





宇多田ヒカル


1990年代は邦楽が大変革を遂げた年代である。機材のコモディティ化が進み、PCM音源やサンプラーが安価になったことで制作者に普及した。また、ソフトロック・テクノ・ハウス・トランス・R&B等、世界的に評価された洋楽の表現手法が大々的に導入され始め、「まるで洋楽のよう」な新時代の邦楽として高く評価されるようになった。従って、機材の進化による音質向上は当然のことながら、邦楽全体としても、洋楽を邦楽に翻訳したような感覚の音楽が主流となり、表現はよりポピュラーになり、コード進行,リズム,テンポ自体も高度に洗練された音楽が次々に登場した。


1982年に登場したコンパクトディスク (CD)およびその再生装置の爆発的な普及により音楽市場が一気に拡大し、売り上げは右肩上がりを続けて1991年に初の4000億円台を記録すると、1998年の6074億9400万円まで史上最高を更新し続けた[13]。生産量も1991年に3億枚を突破、1993年に4億枚を突破する[14]など成長を続ける中で、個人としても1977年に阿久悠が作詞家として記録した1172万9000枚の作家別の年間売り上げ記録を、1993年に「負けないで」(ZARD)の作曲などで知られる織田哲郎が作曲家として1240万5000枚を記録し16年ぶりに更新した(1976年以後の記録)[15]。1999年3月、宇多田ヒカルのアルバム『First Love』を発売、日本で860万枚以上、日本国外を含めると990万枚以上を出荷し、日本のアルバム歴代チャート1位に輝く、この記録は現在まで破られていない。


J-POPという言葉はこの頃からようやく一般の雑誌などでも見かけるようになり、1993年7月には『ザ・テレビジョン』でロックバンド「J★POP」が紹介されたのを皮切りに[16]、雑誌『ELLE』1993年11月21日号では「ジャパニーズポップ」と呼ばれる言葉でコーネリアスやピチカート・ファイヴといったいわゆる渋谷系と呼ばれるバンドの紹介を行っている[17]。Jリーグの開幕もあり、おおよそ1995年までにはJ-POPと言う言葉は定着したとみられる[17]


なお雑誌『マルコポーロ』は1994年7月号において「パクりが多い」、「ヒット曲のほとんどが盗作」、と言う見出しを用い、「洋楽を無節操に真似た音楽」という定義として「Jポップス」という言葉を使用している。[17]


CDをはじめとしたデジタル技術は音楽制作現場においても革変をもたらした。これまでテープの切り貼りなどアナログ的な技術で行っていた編集作業はデジタル技術によるものへと移行し、音楽制作に要する人・時間・予算の大幅な削減を可能にし、またいくらコピーしても劣化がなくなり、やり直しも簡単に行えるようになった[18]。またシンセサイザーやシーケンサ、MIDI楽器の普及により、一部については楽器の演奏を行う必要すらなくなった[19]


そしてコストダウンと作業の迅速化により、大量の楽曲の生産が可能となる[20]。この結果レコード会社側も、売れるか売れないかもわからないミュージシャンについて気軽にCDを作成することができるようになったようで[21]、日本レコード協会の『日本のレコード産業』によれば、1991年の1年間で実に510組のバンド・歌手がデビューしている[21][22]





小室哲哉


また、シンセサイザー等の技術にいち早く注目し実際に成功を収めたミュージシャンやコンポーザとしては小室哲哉やつんく♂などが挙げられる[23]。しかし、制作環境のデジタル化に伴いそれまで製作現場で実際に楽器を演奏していたスタジオミュージシャンの仕事が激減するなどの弊害も生まれた[24]。こうした制作環境の変化に伴う大量生産による音楽制作は確かにミリオンヒットが出現する確率は高まるが、没個性化・質の低下が進み、音楽が消耗品として見られるようになるなど、批判の声もある[25]。ソニー・ミュージックエンタテインメント(当時)の坂本通夫は、1991年を音楽業界の転換点として「音楽が作品から商品に移り変わった時」と語っている[26]


またCDの普及は聞き手側の負担をも削減した。従来、レコードを再生するステレオは良い物で25万円、普及品でも十数万円し、取り扱いも煩雑であったものが、CDプレイヤーはポータブル型であれば1万円を切る価格で購入できたのである[27]。実際に1984年から2004年にかけての20年間で3737万台のCDプレイヤーが出荷されているが、従来のレコードプレイヤーは42年かけて2341万台しか出荷されていない。さらにCDプレイヤーとは別に、「CDラジカセ」が1986年から2004年にかけて、5225万台も生産されている[28]。CDミニコンポは1990年から2004年までに3028万代が出荷[29]。累計すると2004年までに1億1990万台、うち92%にあたる1億1032万台がミニコンポ・CDラジカセ・携帯型と言った安価なものである[30]。ちなみに1985年に発売された最初のCDミニコンポの価格は25万円程度であったが、1987年には10万円を切る価格となっている[29]。1985年春、オーディオメーカー「パイオニア」の常務は朝日新聞紙上で「この1年間で大型のシステムコンポはほぼ無くなり、10万円程度のミニコンポにとって変わった。需要の95%はミニコンポである」と語っている[31]。音楽再生装置は大衆化を成し、一家に一台から一人一台の時代へ足を踏み入れる[32]。オーディオは高級な趣味ではなくなり大衆化し、十代の若者や女性も音楽業界の顧客となった[33]。その結果女性向けの「ガールズ・ポップ」などといったジャンルも誕生していく[34]


そして1992年ごろから「ミリオンセラー」という現象が続発するという事象が発生しはじめる。1991年のミリオンセラーは9作品(シングル・アルバムの合算数。以下同様)、1992年は22作品、1994年にはその数は32作品を記録した[35]。また、トップ10のアーティストだけで年間売り上げシェアの4割を占めるなど、先の楽曲の大量生産と相まって一握りの成功者と、その他という図式が出来上がるようになった。


90年代の日本の音楽史を語る上で重要なキーワードとしてKDDというものがある[36]。カラオケ (K)・ドラマ (D)・大幸システム (D)の頭文字を取ったもので、ヒット曲を生み出すための要素とされた。特に長戸大幸の考え出した広告会社や企業と直接提携し作品を制作するシステムは市場において圧倒的な強さを誇り、1993年には長戸の会社ビーイング所属のアーティストが売り上げ1位・2位・4位・5位を占めた[37](ビーイングブーム)。


なお1998年に日本のレコード(CD)生産金額は過去最高を記録する[38]。1988年に3429億4700万円だった生産金額は、98年には6074億9400万円と、ほぼ倍増している[38]


CDを中心とした音楽産業は1998年に栄華を極めた。



2000年代


2000年代前半は1998年から起きた、日本国内におけるR&Bや2ステップのブームが終焉を迎え、以後は中田ヤスタカによる数々の音楽プロジェクトの成功により、2007年から日本国内で2回目のテクノポップ・ムーブメントが起きたことで、アコースティック感を持たない、極めて抽象的なシンセサイザー音(「ピコピコ」と形容される音)が主体の音楽が多数作られるようになって行った。同時に、PC上のDAWによる打ち込みが主流となり、音楽表現が劇的に高度化・複雑化した。PC上のDAWによる打ち込み主体の音楽に移行した原因としては、顧客の趣味嗜好の細分化によりCD不況とも呼ばれる状況に移行してしまったことで制作費用が掛けられなくなり、スタジオ・ミュージシャンの起用などが難しくなったことも影響している。更に、PCやインターネットへの常時接続環境の普及により、個人が容易に情報発信を行えるようになり、アマチュアが自主的に音楽配信を開始したことで、ネットを中心とした音楽シーンなども形成されるようになって行った。インターネットを介した情報交換が国家を跨いで活発に行われた結果として、音楽ジャンルの融合が加速し、音楽表現そのものが飛躍的な高度化を見せた。2000年代も末になると、ネット発の音楽家が多数表舞台に立つようになった。


2001年3月、宇多田ヒカルのアルバム『Distance』を発売。リリース予定公表後に浜崎あゆみのベストアルバム『A BEST』に発売日をぶつけられ、テレビのワイドショーやスポーツ新聞などから「歌姫対決」と煽られる。最終的に双方とも売り上げ400万枚を超えるヒットとなった。


2000年代に入るとシングル盤の売上が減少しだし、2003年の「世界に一つだけの花」(SMAP)を最後に日本レコード協会の認定で200万枚を超える売上(出荷)を記録したシングル盤が2012年まで現れなくなった[39][40]。また、2000年代後半に入るとミリオンセラーのCD自体が減少するようになった(日本レコード協会の認定で2008年と2009年の2年連続、オリコンの集計で2008年から3年連続でミリオンセラーとなったシングル盤がなかった[41][42])。


その一方で、音楽配信(デジタル・ダウンロード)の売上が増加するという事象が発生する。日本レコード協会の発表によると、同協会が集計の公表を開始した2005年から2008年まで有料音楽配信の売上金額は上昇を続け[43]、2006年にはシングルCDの生産実績を上回った[44]。ただし、2009年の売上は前年とほぼ横ばいで[45]、2010年には前年を割っている[46]


2000年代における音楽ソフト(パッケージ)売上の減少は、「CD」や「レコード」という「音源記録媒体」を購入する時代から「音源そのもの」だけを購入するダウンロード販売が主体の時代へと移行したことを示しており、音楽産業に限らないコンテンツ産業全体におけるデジタル化と高技術化の生んだ現象である。実際、日本レコード協会の発表によると、パッケージと有料音楽配信を合計した売上金額で2005年から2007年まで3年連続で前年を上回っていた[47]が、2008年には前年をやや下回った[43]


またインターネットが個人で利用しやすくなったことにより、ファイル共有ソフト (P2P等)やウェブサイト上での不正アップロードが横行するのも要因であるが、こちらは有料音楽配信もその被害を受けていると考えられる[48]



2010年代





AKB48


2010年になるとシングル盤ばかりかアルバム盤もミリオンセラーとなる作品が少なくなって、「CD不況」となっている(2010年発売のアルバム盤で年度内にミリオンを突破したのは2作のみ[49])。さらに、2010年のオリコン年間シングルランキングはAKB48と嵐の2組のみでTOP10を独占するなど特にシングル盤においてアイドルグループとその他アーティストとの売上の格差が大幅に拡大した。一方で、日本レコード協会が発表した2010年のRIAJ有料音楽配信チャートの着うたフル年間チャート[50]では、AKB48の楽曲は「ヘビーローテーション」の12位が最高であり、着うたフルを配信していない嵐はチャート対象外である。着うたフルを配信しなかったジャニーズ作品(SMAP、嵐、関ジャニ∞、KAT-TUN、Hey! Say! JUMP等)が2010年のオリコン年間シングルランキングトップ100のうち23曲も占めたり、桑田佳祐(サザンオールスターズ)・Mr.Children・BUMP OF CHICKENなど、着うたのみの配信で着うたフルを配信していないアーティストのCD盤のセールスが顕著に伸びる傾向が一段と強くなっている。なお、着うたフルのチャートに関して、音楽産業の現況にあわないとの理由で2012年7月24日をもって集計を休止している[51]。また理由の一つとして、1タイトルにつき3種類以上のタイプ別版を発売するアイドル曲が上位にきたり、一般にAKB商法やK-POP商法と呼ばれる、メンバーとの握手やハイタッチ、ファンミと呼ばれるファンミーティング応募券などの特典を付けることにより、熱心なファンがタイプ別版を揃えるだけではなく同じ商品をさらに複数枚買うようなセールス方法が常態化したことも挙げられている。


2012年9月10日、日本レコード協会 (RIAJ)、日本音楽事業者協会 (音事協=JAME)、日本音楽制作者連盟 (音制連=FMPJ)、日本音楽出版社協会 (MPAJ)、日本芸能実演家団体協議会(芸団協)実演家著作隣接権センター (CPRA)、演奏家権利処理合同機構MPN、映像実演権利者合同機構 (PRE)の7団体は、YouTubeや違法ダウンロードの蔓延が売上げ減少の最大の原因だとして「私的違法ダウンロードの罰則化」に関する啓発活動を目的に「STOP!違法ダウンロード広報委員会」を設立している[52]


2010年代後半以降は配信システムが極端に進歩し、音楽作品の入手が極めて手軽になった反面、音楽作品自体が安易に消費され捨てられる世の中になっており、ミュージシャンの活動は、一部の例外を除き、ストリーミングやライブを主体とした再現性の無い場を提供する活動に移行して来ている。また、DTMの導入で作品の構造面では複雑化が極度に進み、音声品質を見ても192kHz/24bitを超えるハイレゾ音源までリリース可能になるなど、機材のスペックは既にインフレ状態にあり、音のみでは新規性が打ち出し辛くなっている。更なる差別化のため、初音ミク関連のプロジェクトや、Perfumeとライゾマティクスのコラボレーションにおいて顕著に見られるように、VRや、AR等の導入も試みられ始めている。バーチャルアイドルSayaやAI女子高生「りんな」のように、表現者としての人間の再現も部分的にではあるが試みられている。


2010年代後半、DTMは社会的現象を超えてアマ・プロ問わず社会に広く浸透し、バックトラックがPCによる打ち込みのみで作られたJ-POPが安価に大量生産され、広く人気を集めるようになった。特に、従来からの音楽の枠組みに囚われないアニソンやアイドルソングでは破天荒な音楽的実験が行われるようになり、世界中から広く注目を集めている。中田ヤスタカを筆頭とする作曲家兼DJの台頭も著しい。日本のクラブではアニメソングを中心に流すアニクラというスタイルも現れた。その流れに対して、2014年頃から、1970年代から1980年代にかけて日本国内のみで制作され流通したシティ・ポップがYouTube等を介して海外から発見され、世界中で再評価されている。再評価されたミュージシャンとしては、細野晴臣,山下達郎,角松敏生,大貫妙子等が代表的である。洋楽の模倣として始められた音楽が、日本人独特の繊細さと融合し、エキゾチックな懐メロとして評価されているようである。


2017年以後、東京オリンピックを目前に控え、日本の文化と技術を世界に発信する機運は急速に高まり続けている。その一方で、2017年頃からは、J-POPに、長年大きな影響を与えた有名人やグループの解散・引退・訃報が相次いだ。例えば、SMAPの解散、安室奈美恵の引退、西城秀樹の死去、さくらももこの死去等がある。CDバブル以前に活躍したミュージシャンが次々と表舞台から去り始め、時代の大きな変わり目を迎えている。



2020年代




2020年代に入っていない2018年現在では予測すら難しいが、Perfumeとライゾマティクスのコラボレーションによる表現が世界的に高く評価されているように、表現とテクノロジーの融合は更に大きく進んで行くと予測できる。バーチャルアイドルSayaやAI女子高生「りんな」のように、表現者としての人間が持つ1側面を、計算機上で再現する試みも成功を収め始めている。この先もCGや人工知能や各種シミュレーション技術の大幅な進化が予測されており、2020年代にこれらの技術の全てが結実した時、音楽業界、しいては我々の生活全般がどのような変貌を遂げるかは全くの未知数であると言える。



同義語


J-ROCK (ジェイロック)という表記が登場するきっかけとなっている。「日本の」という意味でJ-RAP、J-SOUL等何にでも「J-」を付ける使い方も一時期流行した。これらの言葉はJ-ROCKを除くと現在はあまり使われておらず、「J-POP」がこれらのジャンルの楽曲も内包する言葉であるともいえる。なお海外で日本音楽を内包する言葉としては、Japanese Music(J-music)が一般的である。


方言としてZ-POP(ゼットポップ)が有る。JFL系列のラジオ局ZIP-FM(愛知)とJFN系列のエフエム熊本 (FMK)が用いる言葉で、局限定である事(ZIP-FMは放送エリアである名古屋周辺を「ZIP CITY」と呼ぶ)、局による選曲方針の違い等が有るものの、J-POPとほぼ同意義である。



脚注


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  1. ^ 烏賀陽 2005, p. 5-6.


  2. ^ 烏賀陽 2005, p. 3.


  3. ^ 烏賀陽 2005, p. 6.


  4. ^ 烏賀陽 2005, p. 15.


  5. ^ 烏賀陽 2005, p. 19.

  6. ^ ab烏賀陽 2005, p. 7.


  7. ^ 東京新聞「J-WAVE開局20周年…若年層の圧倒的な支持を受けるラジオ局のこれから」(2008年9月30日)


  8. ^ 烏賀陽 2005, p. 15-16.

  9. ^ ab烏賀陽 2005, p. 8.


  10. ^ 烏賀陽 2005, p. 21.


  11. ^ 烏賀陽 2005, p. 23.


  12. ^ 烏賀陽 2005, p. 20-21.


  13. ^ 音楽ソフト種類別生産金額の推移、日本レコード協会


  14. ^ 音楽ソフト種類別生産数量の推移、日本レコード協会


  15. ^ 『オリコン年鑑 1994年版』オリコン、1994年、13頁。


  16. ^ 烏賀陽 2005, p. 21-22.

  17. ^ abc烏賀陽 2005, p. 22.


  18. ^ 烏賀陽 2005, p. 46-51.


  19. ^ 烏賀陽 2005, p. 51.


  20. ^ 烏賀陽 2005, p. 57-59.

  21. ^ ab烏賀陽 2005, p. 59.


  22. ^ デビュー歌手数、日本レコード協会


  23. ^ 烏賀陽 2005, p. 54.


  24. ^ 烏賀陽 2005, p. 55.


  25. ^ 『Jポップとは何か』- P.60より


  26. ^ 烏賀陽 2005, p. 61.


  27. ^ 烏賀陽 2005, p. 37-38.


  28. ^ 烏賀陽 2005, p. 38.

  29. ^ ab烏賀陽 2005, p. 39.


  30. ^ 烏賀陽 2005, p. 41.


  31. ^ 烏賀陽 2005, p. 39-40.


  32. ^ 烏賀陽 2005, p. 41-43.


  33. ^ 烏賀陽 2005, p. 44-45.


  34. ^ 烏賀陽 2005, p. 45.


  35. ^ ミリオンセラー作品数の推移、日本レコード協会


  36. ^ 『日本流行歌史』(社会思想社)p.91より


  37. ^ それぞれZARD, WANDS, B'z, T-BOLAN

  38. ^ ab烏賀陽 2005, p. 26.


  39. ^ レコ協 5月ミリオン等認定作品発表〜AKBが9年ぶり2ミリオンに、Musicman-NET、2012年6月8日。


  40. ^ AKB新曲「真夏のSounds good!」200万枚突破、スポーツ報知、2012年6月9日 6:00


  41. ^ AKB48最新シングル、ミリオン認定!、デイリースポーツ、2010年11月11日。


  42. ^ AKB48、デビュー5年目で初ミリオン! シングルでは3年5か月ぶり快挙、オリコン、2011年1月25日4時0分

  43. ^ ab2008年の国内有料音楽配信売上は905億円、前年比20%増、Impress Watch、2009年2月25日。


  44. ^ 06年の有料音楽配信売り上げ、CDシングル抜く、ITmedia、2007年2月23日。


  45. ^ 国内の有料音楽配信、2009年の売上は909億8200万円で横ばい、Impress Watch、2010年2月22日。


  46. ^ 国内の有料音楽配信、2010年売上は859億9000万円〜前年下回る、Impress Watch、2011年2月28日。


  47. ^ 音楽配信とパッケージの売上合計が3年連続前年越え-RIAJが、2007年年間有料音楽配信売上実績を発表、Impress Watch、2008年2月21日。


  48. ^ 統計データ、CDV-NET。(2011/08/02閲覧)


  49. ^ 年度別ミリオンセラー一覧 2010年、日本レコード協会。(2011/08/03閲覧)。2010年、日本レコード協会にミリオンセラーに認定されたアルバム盤は3作あるが、1作は2005年発売の作品である。


  50. ^ 2010年 年間1位は西野カナ「会いたくて 会いたくて」〜「着うたフル(R)」有料音楽配信年間チャート発表!〜、日本レコード協会、2010年12月20日。


  51. ^ 日本レコード協会プレスリリース 2012年7月20日


  52. ^ 「STOP!違法ダウンロード広報委員会」開設サイト



参考文献





  • 烏賀陽弘道『Jポップの心象風景』(文春新書、2005年3月)、


  • 烏賀陽, 弘道 (2005), Jポップとは何か, 岩波新書 


  • 田家秀樹『読むJ-POP 1945-2004』(朝日新聞社、2004年11月)

  • 田家秀樹『ジャパニーズポップスの巨人たち―21世紀に語り始めた22人の音楽スピリット』(TOKYO FM出版、2002年8月)

  • 田家秀樹『J・pops―CDで聴く名盤・名曲716』(日本文芸社、1995年3月)

  • 中村とうよう『ポピュラー音楽の世紀』(岩波新書、1999年9月)

  • 横沢千秋・他『日本流行歌史(1960-1994)』(社会思想社、1995年5月)


関連項目


  • 邦楽


  • サビ、Aメロ - J-POPの曲における構成要素

  • ニューミュージック

  • 音楽のジャンル一覧


  • 吉田拓郎(『日経エンタテインメント!』は、2000年2月号の特集「J-POPの歴史をつくった100人」の中で、“J-POPの開祖”と論じている[1]


  • ブリット・ポップ(イギリスのポップス)


  • フレンチ・ポップス(フランス語圏のポップス)

  • アジアン・ポップス


  • K-POP(韓国のポップス)


  • C-POP(中華圏のポップス)


  • T-POP(台湾のポップス)


外部リンク


  • 一般社団法人 日本レコード協会

  • JaME World


  1. ^ 日経エンタテインメント!、日経BP社、2004年2月号- P.28、29より


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