クリスティーナ・フェルナンデス・デ・キルチネル
クリスティーナ・エリザベット・フェルナンデス・デ・キルチネル Cristina Elisabet Fernández de Kirchner | |
アルゼンチン 第56代大統領 | |
任期 | 2007年12月10日 – 2015年12月10日 |
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副大統領 | アマド・ブードゥー |
アルゼンチン 第55代ファーストレディ | |
任期 | 2003年5月25日 – 2007年12月10日 |
元首 | ネストル・キルチネル |
アルゼンチン 上院議員 | |
任期 | 1995年 – 2007年12月10日 |
出生 | (1953-02-19) 1953年2月19日(66歳) ブエノスアイレス州ラプラタ |
政党 | 正義党 |
配偶者 | ネストル・キルチネル(2010年死別) |
クリスティーナ・エリザベット・フェルナンデス・デ・キルチネル(Cristina Elisabet Fernández de Kirchner、1953年2月19日 − )は、アルゼンチンの弁護士、政治家、上院議員。同国の第56代大統領。元職のネストル・キルチネル(故人)は夫である。一部メディアではフェルナンデス大統領、クリスティナ・フェルナンデス・デ・キルチネル[1]と報じられることがある。
目次
1 人物
2 出典
3 関連項目
4 外部リンク
人物
1953年2月19日、ブエノスアイレス州の州都ラプラタ市に生まれ、ラプラタ国立大学在学中の1975年3月9日に、大学の先輩に当たるネストル・キルチネルと結婚した。
ペロン党(正義党)左派から、1989年に夫の出身地であるサンタ・クルス州議会議員に当選(なお、夫のネストルは、1987年にサンタ・クルス州リオ・ガジェゴス市長に、91年にはサンタ・クルス州知事に当選している)、1993年に再選されたが、1995年には同州選出の上院議員に当選した。パタゴニアの人口希薄なサンタ・クルス州知事の夫より、先に国政に転じた彼女の方が全国的な知名度は高かったとされる。1997年には同州選出の下院議員に転じるが、2001年には再び上院議員に当選する。
2003年、ネストルの大統領当選によりファーストレディとなり、2005年の総選挙では、夫の故郷サンタ・クルス州から自分自身の出身地ブエノス・アイレス州に選挙区を変えて上院議員に立候補した。同じ選挙区には、ネストルの前任の臨時大統領エドゥアルド・ドゥアルテ(かつてはネストルの盟友だったが、その後は対立した)の妻イルダ・ゴンサレス・デ・ドゥアルテも出馬し、現前大統領の夫人同士の対決として注目を浴びたが、選挙結果はフェルナンデス陣営の勝利だった。
2007年10月の大統領選挙に立候補。夫ネストルの人気の高さにも助けられ、選挙戦を終始優勢に進め、大差で対立候補を下して1回目の投票で当選を決めた。
アルゼンチン史上、女性大統領の前例はフアン・ペロン大統領の3番目の妻イサベル・ペロンがあるが、これは夫が大統領在職中に亡くなり急遽副大統領から昇格したものである。そのため、選挙で当選した女性大統領としてはフェルナンデスがアルゼンチン史上初めてであり夫婦間での政権移譲は非常に珍しいケースである。クリスティーナは白地に花柄の服装で支持者の前に登場し夫を引き合いに出して、「彼が経済危機から国を再建した。私たちは同じ、大きな責任と義務を負う」と述べた。2011年10月23日の大統領選挙では経済成長などが追い風となり大差で再選を果たした[2][3]。
尚、ネストルとの間には子どもが2人いる。ネストルは2010年10月27日、60歳で死去した。夫の死後は、それまで公の場では華やかなプリントの服を着用してきたのを黒の喪服に変えて寡婦としてふるまうことになる。
任期中の2011年12月27日、甲状腺癌が発見されたと発表され、翌年の2012年1月4日に手術を行い、無事に成功。実際には癌ではなかったことが判明している[4]。1月下旬の職務復帰までは療養を続け、それまでは副大統領が職務を代行する予定である[5]。
キルチネル夫妻の政権期には、妊娠中絶、同性婚など世俗的な政策がすすめられたが、これに対してブエノスアイレス大司教のホルヘ・マリオ・ベリゴリオ枢機卿はローマカトリック教会の立場からこれらの政策に反対を唱え、双方は鋭く対立した。2013年にローマ教皇ベネディクト16世の退位に伴うコンクラーヴェ(教皇選挙)で教皇に選出され新教皇フランシスコとして着座することが決まると、態度を変えてバチカンを訪問し、「新教皇に謁見した最初の国家元首」となった。キルチネルは昨年2012年に30年を迎えたフォークランド紛争のアルゼンチンに有利な仲介をフランシスコに期待したとされる。
2014年には、アメリカのファンドが、2001年の金融危機以来、債権者との話し合いで利息の支払いで返済を猶予してきたアルゼンチン国債の元本返済を求める訴訟をアメリカ合衆国の裁判所で起こし、勝訴したために6月30日までに元本返済ができないとデフォルトに陥る危機に直面した。この時は、アメリカの判決内容に異議を唱える意見広告をアルゼンチン大統領府として日本の朝日新聞などに掲載し債権者に理解を求めることに努めることになった。この時期に2014 FIFAワールドカップブラジル大会にサッカーアルゼンチン代表が決勝戦に進出したが、のどの病気を理由にリオデジャネイロでの観戦を欠席している。
2014年12月には夫ネストルの名を冠したキトの南米諸国連合本部エディフィシオ・ネストル・キルチネルの落成式にエクアドルのラファエル・コレア大統領とともに出席した[6]。
2015年2月に中華人民共和国を訪問し、中国から056型コルベットを導入してアルゼンチンでは「マルビナス諸島」と呼ばれているフォークランド諸島に因んで「マルビナス級」と命名し[7]、装甲車や戦闘機も購入することで合意した[8]。この際にアルゼンチン議会で承認され、2010年からフェルナンデスが建設を受け入れていたパタゴニアのネウケン州の人工衛星追跡基地である深宇宙ステーションは中国人民解放軍の管轄に置かれ[9]、秘密条項も入れた50年契約で敷地を借り上げていることから中国への主権譲渡や中国による軍事利用の懸念を野党や米国などが示して物議を醸した[10][11][12]。また、キルチネル夫妻の最側近で政権の黒幕[13]とも呼ばれたカルロス・ザニニ[要リンク修正]は毛沢東主義への傾倒から通称「エル・チーノ」(中国人の意)で知られ[14]、ザニニはフェルナンデスの対中政策にも影響を与えたとされ[15]、フェルナンデスは習近平国家主席との会談で毛沢東とペロンを比較して中国は第三の道を確立したと称賛[16]した(ペロンは毛沢東と連携を図ったことで知られる[17])。
2015年の大統領選挙ではブエノスアイレス州知事で大統領候補に正義党党首のダニエル・シオリ、副大統領候補にザニニを推したが[18]、11月22日の決選投票で野党連合カンビエモスが立てたマウリシオ・マクリに敗れた[19]。
2016年12月、大統領在任中の汚職の罪で訴追される[20]。
2017年4月、不動産取引に絡むマネーロンダリングの罪(オペレーション・カー・ウォッシュ)で訴追される[21]。同年6月、新党である、市民連合を立ち上げる[22]。同年10月、ブエノスアイレス州選出の上院議員となる[23]。同年12月、反逆罪で訴追される[24]。
出典
^ アルゼンチン大統領、アジア人の発音からかうツイートで非難浴びるAFP2015年2月6日観覧
^ “アルゼンチン大統領選、現職フェルナンデス氏が圧勝”. ロイター (ロイター). (2011年10月24日). http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPJAPAN-23767620111024 2011年10月25日閲覧。
^ “アルゼンチン大統領選、フェルナンデス氏再選”. 読売新聞. (2011年10月24日). http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20111024-OYT1T01368.htm 2011年10月25日閲覧。
^ “アルゼンチン大統領、がんではなかった”. 読売新聞. (2012年1月8日). http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20120108-OYT1T00460.htm 2012年1月8日閲覧。
^ “大統領のがん手術成功 アルゼンチン”. 産経新聞 (産経新聞). (2012年1月5日). http://sankei.jp.msn.com/world/news/120105/amr12010508230005-n1.htm 2012年1月5日閲覧。
^ “Cristina inauguró la sede "Néstor Kirchner" de la Unasur”. Clarin. 2018年8月17日閲覧。
^ “China, Argentina set for defence collaboration, Malvinas-class OPV deal”. IHS Jane's 360 (2015年2月1日). 2018年8月15日閲覧。
^ “ラテンアメリカへの兵器輸出でもその力を伸ばしつつある中国”. ハーバー・ビジネス・オンライン. (2018年4月10日). https://hbol.jp/163612/2 2018年8月15日閲覧。
^ “焦点:アルゼンチンの中国軍「宇宙基地」、民事利用は本当か”. AFPBB News (ロイター). (2019年2月4日). https://jp.reuters.com/article/china-space-station-idJPKCN1PT0AL 2019年2月22日閲覧。
^ Template:Cita noticia
^ “From a Space Station in Argentina, China Expands Its Reach in Latin America”. ニューヨーク・タイムズ. (2018年7月28日). https://www.nytimes.com/2018/07/28/world/americas/china-latin-america.html 2018年8月17日閲覧。
^ “中国の衛星追跡局、アルゼンチンに設置へ”. 人民網. (2015年2月27日). http://j.people.com.cn/n/2015/0227/c95952-8854669.html 2018年8月17日閲覧。
^ “Quién es Carlos Zannini, el hombre que ejerce el poder detrás de Cristina Fernández de Kirchner”. iProfessional (2013年8月10日). 2018年8月22日閲覧。
^ Rios, Maximiliano Campos (2013年10月22日). “Carlos Zannini (el 'Chino'): el poder detrás del poder”. El Ojo Digital. 2018年8月22日閲覧。
^ “Scioli-Zannini: Argentina entregada a China”. Periodico Tribuna de Periodistas (2015年6月17日). 2018年8月22日閲覧。
^ “Este artículo fue hecho gracias al esfuerzo de trabajo de un periodista profesional. Reconocelos compartiendo esta nota mediante este”. el cronista (2014年7月18日). 2018年8月22日閲覧。
^ “La carta de Perón a Mao llevada por militantes que iban a entrenarse a China”. infobae. (2017年7月8日). https://www.infobae.com/politica/2017/07/08/la-carta-de-peron-a-mao-llevada-por-militantes-que-iban-a-entrenarse-a-china/ 2018年8月22日閲覧。
^ “Kirchner era ends in Argentina, but maybe not ‘Kirchnerismo’”. ワシントン・ポスト. (2015年7月16日). https://www.washingtonpost.com/world/the_americas/kirchner-era-ends-in-argentina-but-maybe-not-kirchnerismo/2015/07/16/021862ae-29a1-11e5-960f-22c4ba982ed4_story.html 2018年8月23日閲覧。
^ “アルゼンチン大統領選、マクリ氏が勝利”. AFPBB News (フランス通信社). (2015年11月23日). http://www.afpbb.com/articles/-/3067712 2015年11月23日閲覧。
^ アルゼンチン前大統領、汚職の罪で訴追CNN.co.jp
^ アルゼンチン前大統領、資金洗浄で起訴 別の汚職容疑に続きAFP
^ アルゼンチン前大統領が新政党 現政権に対抗日本経済新聞 2017年6月22日
^ アルゼンチン議会選=カンビエモスが圧勝飾る=マクリ大統領の権力強まるニッケイ新聞 2017年10月24日
^ アルゼンチン 前大統領、反逆罪で訴追 テロ事件で密約か
関連項目
- キルチネル主義
外部リンク
- BBC News: Profile: Cristina Fernandez de Kirchner(英語。2007年10月29日)
クリスティーナ・フェルナンデス・デ・キルチネル公式サイト (スペイン語)- クリスティーナ・フェルナンデス・デ・キルチネル アルゼンチン共和国大統領 略歴
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先代: ネストル・キルチネル | アルゼンチン共和国大統領 第56代:2007 - 2015 | 次代: マウリシオ・マクリ |