日比谷野外音楽堂
日比谷野外音楽堂 Hibiya Open-Air Concert Hall | |
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情報 | |
正式名称 | 日比谷野外音楽堂 |
完成 | 1923年7月 |
収容人員 | 3,119人 |
客席数 | 大音楽堂 椅子 2,664席、立見 450席、車椅子対応 5席 小音楽堂 1,075席 |
用途 | コンサート、集会 |
運営 | 東京都指定管理者 日比谷公会堂・大音楽堂管理事務所 |
所在地 | 東京都千代田区日比谷公園1-5 |
位置 | 北緯35度40分20.5秒 東経139度45分14.5秒 / 北緯35.672361度 東経139.754028度 / 35.672361; 139.754028座標: 北緯35度40分20.5秒 東経139度45分14.5秒 / 北緯35.672361度 東経139.754028度 / 35.672361; 139.754028 |
アクセス | 地下鉄霞ケ関駅下車 |
外部リンク | 日比谷公会堂/日比谷野音 公式HP |
日比谷野外音楽堂(ひびややがいおんがくどう、Hibiya Open-Air Concert Hall)は、東京都千代田区の日比谷公園内にある野外音楽堂である。大・小の2つがあり客席数・使用用途も異なっている。
明治時代に小音楽堂が開設された後、大正時代に大音楽堂が開設された。小音楽堂は日本最古の野外音楽堂である。
目次
1 大音楽堂
2 小音楽堂
3 関連項目
4 出典
5 外部リンク
大音楽堂
一般には、『野音(やおん)』の名で親しまれている。野音といえば、この大音楽堂を指す、野外音楽堂の代名詞的存在である。客席数は椅子席 2,664、立見席 450、車椅子対応 5席[1]。
さまざまなアーティストのコンサートに使われる(周囲への騒音等を考慮し、コンサートは土曜・休日のみ可能)ほか、毎年5月1日のメーデーや、市民団体の集会なども行われている。
初代の大音楽堂は1923年(大正12年)7月に開設、太平洋戦争(大東亜戦争)中の1943年(昭和18年)より一時休館。戦後はGHQに接収されたが、接収解除後の1954年(昭和29年)8月に改築の上 2代目大音楽堂として再開した。その後老朽化が進んだ為1982年(昭和57年)より全面改築工事を行い、翌1983年(昭和58年)8月に3代目大音楽堂として完成、現在に至っている。
2006年(平成18年)4月1日より、日比谷公会堂とともに、東京都の指定管理者による管理に変更された。
- 降雨時の傘の使用は禁止であり、雨合羽はここのイベントでは必需品である。
- 席はベンチ型で固い。
- かつては客席内でタバコが吸える唯一の会場であったが、現在は禁煙である。飲食は可能で、酒類も販売される。
キャロルの解散コンサート(炎上事件)、尾崎豊のステージ飛び降り骨折事件、岡林信康のライブやキャンディーズが解散宣言をする、などがあった。また、1987年4月19日にはLAUGHIN' NOSEのライブ中、ステージに詰め掛けたファンが将棋倒しになり死傷者を出す事故が発生。LAUGHIN' NOSEは責任を取ってしばらく活動を停止している。- 2代目音楽堂のファイナルは萩原健一のコンサートだった。
小音楽堂
日本初の野外音楽堂として1905年(明治38年)に完成した。1923年(大正12年)9月の関東大震災で倒壊したが後日再築された。1983年(昭和58年)には大音楽堂と同時期に改築されて現在に至っている(地図)。客席数 1,075。最大の特徴はすべての催事が無料であることであり、基本的には有料公演の貸し出しは行わない。
完成時から軍楽隊の定期演奏会などが行われていた。関東大震災以降の中断期間を経て、1949年(昭和24年)ごろより再開。現在は警視庁音楽隊・東京消防庁音楽隊などが演奏を行っている。
1907年(明治40年)発行の案内図
運動場の上の赤い八角形が音楽堂
1909年(明治42年)頃の小音楽堂
1923年、関東大震災で倒壊した音楽堂(震災の被害を伝える絵葉書より)
海上保安庁音楽隊の演奏(2009年)
関連項目
- 日比谷公会堂
伊達政宗(かつて当地に仙台藩外桜田屋敷があり、政宗の臨終の地となった。瑞鳳殿参照)
出典
^ “大音楽堂(野音):座席表 (PDF)”. 2015年7月29日閲覧。
外部リンク
- 日比谷公会堂・日比谷公園大音楽堂
- 東京消防庁金曜コンサート
- 警視庁水曜コンサート