三国峠 (群馬県・新潟県)
三国峠 | |
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画面右が三国峠(苗場スキー場より) | |
所在地 | 新潟県南魚沼郡湯沢町・群馬県利根郡みなかみ町
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位置 | 北緯36度45分58秒 東経138度49分21秒 / 北緯36.76611度 東経138.82250度 / 36.76611; 138.82250座標: 北緯36度45分58秒 東経138度49分21秒 / 北緯36.76611度 東経138.82250度 / 36.76611; 138.82250 |
山系 | 三国山脈 |
通過する交通路 | 国道17号(三国トンネル) 三国街道 |
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プロジェクト 地形 |
三国峠(みくにとうげ)は、日本の新潟県南魚沼郡湯沢町・群馬県利根郡みなかみ町の境(上越国境)を越える峠である。
目次
1 概要
2 名前の由来
3 歴史
4 その他
5 脚注
6 関連項目
概要
古くは越後と江戸を最短距離で結ぶ三国街道の一部として整備されていたが、冬期の積雪、雪崩、夏場の集中豪雨による土砂災害など難所であった。昭和になり、国道17号(三国トンネル)の開通により物流の大動脈となるが、その後の関越自動車道の開通により交通量は減少した。ただし、燃料や一部の薬品などの危険物を搭載した車輌は関越トンネルの通行が禁止されているため、現在でもこの峠を経由している。バブル景気のころには、月夜野ICから苗場スキー場に向けてスキーヤーの車で大渋滞した。現在、三国トンネルの老朽化などに伴って新三国トンネルの建設が計画されている。
新人時代の田中角栄が選挙民向けに行った演説として、「三国峠をダイナマイトで吹っ飛ばすのであります。そうしますと、日本海の季節風は太平洋側に吹き抜けて越後に雪は降らなくなる。出てきた土砂は日本海に運んでいって埋め立てに使えば、佐渡とは陸続きになるのであります」というものがある[1]。
上信越自然歩道
三国トンネル
名前の由来
付近にある三国山脈の標高1,636mの三国山に由来する。峠下の群馬県側・新潟県側の両方から登山道がある。
峠上にある三国権現(三坂神社)は、弥彦、赤城、諏訪の三明神を合祀したもの[2]。
歴史
戦国時代 関東管領となった上杉謙信が、関東への足がかりとして整備
江戸時代 佐渡島への主要道路として、江戸幕府が整備
明治時代 信越本線など大量輸送網の出現により、一時衰退
昭和初期 大陸(新潟港)への輸送路として整備が行われるものの、第二次世界大戦の激化により中断
1948年 国道17号改良工事として峠の道路建設が再開。設計時には日本ではじめてクロソイド曲線が用いられた。
1964年 三国峠の国道17号が全通- 峠の新潟側は、群馬側と地形的に比較して好条件であり、良好な道路線形が取れること、また、新潟側としては関東地方に通ずる唯一の重視すべき道であったから、全通後もかなりのペースで道路改良が進んだ。
1984年10月 群馬県利根郡みなかみ町永井76-1(当時・新治村)に三国峠トラックステーション竣工[3]
1985年 関越自動車道開通
1990年前後 スキーブームの到来による混雑
2012年9月 三国峠トラックステーションが諸般の事情により廃止[3]
その他
司馬遼太郎の小説『峠』における河井継之助の三国峠越えは、司馬の創作で史実ではない。なお、実際に河井が越えた碓氷峠も峠越えが困難である点で共通している。
脚注
^ 水木楊「田中角栄 - その巨善と巨悪」、文藝春秋、2001年
^ 藤倉朋良『図解にいいがた歴史散歩<南魚沼>』p16 新潟日報事業社出版部- ^ ab“三国峠トラックステーションの閉鎖について”. 貨物自動車運送事業振興センター (2012年8月). 2017年9月30日閲覧。
関連項目
- 三国峠 (曖昧さ回避)
- 上越
- 清水峠
- 私をスキーに連れてって
三国コカ・コーラボトリング(三国峠が同社の社名の由来となっている)- 日本の峠一覧