エンパイア・ステート・ビルディング






この記事の項目名には以下のような表記揺れがあります。
  • エンパイヤー・ステート・ビルディング

  • エンパイア・ステイト・ビルディング

  • エンパイア・ステート・ビル









































エンパイア・ステート・ビルディング

Manhattan at Dusk by slonecker.jpg
施設情報
所在地
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ニューヨーク州ニューヨーク市マンハッタン区5番街350号
状態
完成
着工
1929年3月17日
建設期間
1929年 - 1931年
竣工
1931年4月11日
用途
オフィス、展望台、放送用送信所(電波塔)
建設費
4,094万8,900米ドル
地上高
最頂部
443.2m (1,454ft)
屋上
381.0m (1,250ft)
最上階
373.2m (1,224ft)
各種諸元
階数
102
延床面積
257,221m2 (2,768,591 sq ft) m²
エレベーター数
73[1]
関連企業
設計
シュリーブ・ラム・アンド・ハーモン
構造エンジニア
Homer Gage Balcom[2]
施工
Starrett Brothers and Eken
デベロッパー
John J. Raskob
所有者
Empire State Realty Trust
高さ世界一
先代
クライスラー・ビルディング
次代
ワールドトレードセンター (ニューヨーク)(2001年まで)














Empire State Building


アメリカ合衆国国家歴史登録財


アメリカ合衆国国定歴史建造物


定義されていません



エンパイア・ステート・ビルディングの位置(マンハッタン内)
エンパイア・ステート・ビルディング


ニューヨーク市内での位置[3]

座標
北緯40度44分54秒 西経73度59分07秒 / 北緯40.7483度 西経73.9853度 / 40.7483; -73.9853
NRHP登録番号
82001192
指定・解除日

NRHP指定日

1982年11月17日
NHL指定日
1986年6月24日
NYCL指定日:
1981年5月19日


エンパイア・ステート・ビルの夕景




86階にある展望台からの夜景(南方向)


エンパイア・ステート・ビルディング(英: Empire State Building)は、アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市マンハッタン区にある超高層ビル。


「エンパイア・ステート(帝国州)」はニューヨーク州の異名である。




目次





  • 1 歴史


  • 2 施設


  • 3 展望台


  • 4 事故・事件

    • 4.1 B-25の衝突事故


    • 4.2 1963年の火災


    • 4.3 1997年の無差別発砲事件


    • 4.4 かつての日本人オーナー



  • 5 フィクション


  • 6 20世紀のモニュメント


  • 7 ギャラリー


  • 8 脚注・出典


  • 9 関連項目


  • 10 外部リンク




歴史


建築家集団、リッチモンド・H・シュリーブ(英語版)ウィリアム・F・ラム(英語版)アーサー・L・ハーモン(英語版)(Shreve, Lamb and Harmon)の3名によって設計されたエンパイア・ステート・ビルディングは、マンハッタン島を代表する高級ホテルであるウォルドルフ=アストリアが建っていた跡地に建設された。低層部や最頂部には、当時世界的に流行したアール・デコ様式が採用されている。建設はニューヨーク州知事を務めたアル・スミスの指示によるものであった。


工事はクライスラー・ビルディングから「世界一の高さのビル」の称号を奪うために急ピッチで行われ、1931年に竣工したが、世界恐慌の影響でオフィス部分は1940年代まで多くが空室のままであった。そのため、「エンプティー(空っぽの)・ステート・ビルディング("Empty State Building")」と揶揄されることもあったが、戦後は多くの人々が訪れる観光名所となり、1972年にワールドトレードセンターのノースタワーが竣工するまでの42年間、世界一の高さを誇るビルとなっていた。完成して55年が経った1986年には、アメリカ合衆国国定歴史建造物に指定されるなど、ニューヨークのシンボルの一つとして認知されていった。


2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件において、ワールドトレードセンターが複数の旅客機を用いた体当たり攻撃を受け、内部に居た多数の利用者も巻き込みながら崩壊してしまった際には、ノースタワーを電波塔にしていた各局が放送不能となるが[4]、WCBS-TVはエンパイア・ステート・ビルの電波塔を活用し、放送を続けた。事件後、WCBS-TVは被害を受けた各局に電波送信スペースの貸し出しを行った後、2005年より地上波テレビ各局の電波塔がこのビルに集約されることになった。


その後、テロ事件でのワールドトレードセンターの崩壊による相手方の消滅という悲劇的な理由によるものではあるが、このビルが再び「ニューヨークで最も高いビル」となった。


2012年4月30日、建設中の1 ワールドトレードセンターのフロアの高さがエンパイアステートビルのフロアの高さを上回った[5]。2013年5月10日には、アンテナを含めた最長部の高さも1 ワールドトレードセンターがエンパイアステートビルを上回り、ニューヨークで最も高いビルの座は再び入れ替わった。



施設


ビルの総床面積は20万4,385m2におよび、質量は全体でおよそ33万 t ある。6,500個の窓や73基のエレベーター(貨物用の6基を含む)、1,860個の階段などで構成されている。


最上階である102階の床面は地上373.2m(1,224 ft)の高さにあり、軒高(本体構造物の最高所の地上高)は381.0m(1,250 ft)である[6]。また、1950年代に付け加えられた上部付属施設である電波塔(67.7m〈222 ft〉)を併せた場合の地上高は443.2m(1,454 ft)である。


最上階付近一帯と電波塔にはイルミネーションによる光の演出が施されており、日によって色の変化を見せる(右上、テンプレートの画像を参照)。かつては尖塔部分に飛行船を係留できるようになっていた[7]が、後に電波塔が設置され、テレビ・ラジオ用送信用アンテナ機材が取り付けられている。


頂上はニューヨーク・エリアにおけるテレビ・ラジオの電波塔としての役割も持っており、以前よりWCBS-TVがこのビルをサブの電波塔として利用していた(テロが起きるまでは、メインはワールドトレードセンターであった)。



展望台


エンパイア・ステート・ビルディングの屋外展望台は世界的に有名なもののひとつであり、1億1千万人を超える来場者が訪れている。ビルの86階(320m)にある屋外展望台からは窓越しではなく、直接ニューヨークの街を360度一望することができる。102階(381m)にある第二展望台は1999年に一度閉鎖されたが、2005年11月の再オープンより追加料金を支払うことで入場できるようになった。しかし86階のものと比べると非常に小さく、またガラスで完全に囲われたものであり、混雑する日(週末)には閉鎖されるので注意が必要である。展望台までのルートは、公式ウェブサイトによると、「ビルそれ自体と同じように有名」であるとしている。それはサイドウォークの列、ロビーエレベーターの列、チケット購入の列、第二エレベーターへ続く列、そしてエレベーターを降り展望台へと続く列の5つからなるものである。また特別料金を支払うことで列に並ばずに展望台へ行くことも可能。列の途中では記念写真の撮影があり、帰りの際には完成した写真をみて購入することができる。



事故・事件



B-25の衝突事故



1945年7月28日9時49分、濃い霧の中をニュージャージー州のニューアーク・リバティー国際空港に着陸しようとしたアメリカ陸軍の中型爆撃機 B-25が、79階の北側に衝突して機体が本ビル内に突入するという事故が起こった。79階で火災が発生し、衝突時の衝撃で機体から脱落したエンジンが破壊したエレベーター扉と同シャフトを経て80階へ延焼したが、約40分後に消火された。


乗員3名を含む死者14名を出したものの、比較的小型の機体であった上に着陸直前で燃料残量が少なかったことから建物自体への損害は比較的少なく、事故後2日で営業を再開している。なお、この事故でエレベーター1基のケーブルが切断され、エレベーターガールを乗せたまま約300メートル落下した。エレベーターガールは全治8か月の重傷を負ったが一命を取りとめた[8]
9.11でビンラディンらが航空機突入の標的として本ビルを狙わなかったのは、この事件の教訓から航空機を突入させても本ビルは倒壊に至らない可能性を考えたからだという説がある。



1963年の火災


1963年1月9日に複数のフロアから同時に火災が発生した。当初、火災の発生した階は65階、66階、67階で、その後24階、25階、33階、55階、67階、の合計8つの階からの出火を確認。出火の原因はビルを縦に貫くパイプの中にある電線からの出火が疑われた。火災発生は早朝でビル利用者の多くが出勤する前だったので大きな混乱はなかった。この火災により同ビル内にあるテレビ局1局、ラジオ局2局が放送を停止するなどの被害がでた[9]



1997年の無差別発砲事件


1997年2月22日、69歳のパレスチナ人の元英語教師が86階の展望デッキで突然銃を取り出し、歩き回りながら約100人いた観光客に向かって無差別に発砲した。デンマーク出身のミュージシャンが死亡、6人が負傷した。犯人は銃乱射後、こめかみを撃って自殺を図り、病院に搬送されたが死亡した。銃のほか、ナイフと爆弾と声明文を所持していた。声明文には、シオニズムへの怒りと、アメリカ、フランス、イギリスのパレスチナ人に対する不当な扱いへの怒りが綴られていたが、公式発表では、あくまで政治的なものではなく、詐欺被害による金銭的な破綻が原因とされた[10]。しかし、10年後の2007年、犯人の娘がデイリーニューズ紙のインタビューに答え、犯行の目的は政治的なもので、イスラエルを支援するアメリカへの報復としてエンパイアステートビルを破壊するつもりで行なったが、当時、和平交渉への影響を恐れたパレスチナ自治政府の指示で母親(犯人の妻)が嘘の発言をしたと述べた[11]



かつての日本人オーナー


1990年、米国プルデンシャル・ファイナンシャルは1987年に10月19日に起きたブラックマンデーによるバブル崩壊後の逼迫した財政を立て直すために様々な事業を手放すなどしていた。1980年代に所有していたエンパイアステートビルを売却すると広告を出した際に、それを買ったのは横井英樹だった。横井は1982年に東京永田町のホテルニュージャパンのホテルオーナーで、最高裁判決(1993年11月23日)までの間、様々な場所に居を構えていた。多くの希望入札価格が2500-3000万ドル台のところ、唯一4000万ドル台の価格提示をしたのが「中原キイ子」と名乗る日本人
女性、つまり横井の愛妾の子で横井の代理人だった。こうして1991年8月23日、正式の調印式を持って横井英樹がこの摩天楼のオーナーになった。その後横井とキイ子が所有権を巡り血みどろの法廷闘争を引き起こし、その後漁夫の利を狙うニューヨークの不動産王ドナルド・トランプ(後の第45代アメリカ合衆国大統領)が所有権をめぐって彼らと関わることになる[12]



フィクション


エンパイア・ステート・ビルはさまざまな映画や小説に登場するが、有名な特撮映画『キングコング』もその一つである。人間の所業に怒り狂うコングは、エンパイア・ステート・ビルに故郷の断崖を見たか、外壁を剥がしつつよじ登り、頂上で野生を叫ぶ。しかし、文明の象徴でもあるその場で森の王者の命運は尽き、人々には問い掛けが残される。


なお、キングコングがこのビルに登ったのは、1933年製作のオリジナルと、2005年製作のオリジナルの筋立てに忠実なリメイク版の2回。1976年製作のリメイク版で登っているのは、ワールドトレードセンタービルであった。これにはエンパイア・ステート・ビルの関係者から「なぜうちに来ないのか」との抗議の声が挙がったという。


  • キングコング(1933年版)

  • キングコング(1976年版)

  • キングコング(2005年版)

その他、エンパイア・ステート・ビルを舞台にした作品としては、1939年の『邂逅』が知られる。エンパイア・ステート・ビルで再会する約束をした男女の恋物語で、1957年と1994年に再映画化された名画である。


21世紀に入って以降は、イギリスBBC制作によるテレビドラマ『ドクター・フー』がある。2007年に制作された新シリーズシーズン3の第4話および第5話において、2007年のカナリー・ワーフから緊急時空移動で逃亡してきたダーレク4体が世界恐慌の最中にこのビルを建設、ここを拠点として人間とダーレクのハイブリッド種を創造し、種の復興と世界の支配を計画した。



20世紀のモニュメント


エンパイア・ステート・ビルは、米国土木学会(ASCE)によって2001年、20世紀の10大プロジェクトを選ぶ「モニュメント・オブ・ ザ・ミレニアム(Monument of the Millennium)」の「高層ビル」部門に選定された。これは、20世紀最高の高層ビルと認められたことを意味する[13]


なお、この「モニュメント・オブ・ザ・ミレニアム」は他に9つの部門を設けており、例えば「水路交通」部門ではパナマ運河、「ダム」部門ではフーバーダム、「空港の設計・開発」部門では関西国際空港が、「鉄道」部門には英仏海峡トンネル、「長大橋」部門にはゴールデンゲートブリッジが選定されている。



ギャラリー






エンパイア・ステート・ビルディングからの 360°パノラマ



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  • 画像-1:エンパイア・ステート・ビルの全景

  • 画像-2:ブロードウェイおよび34丁目の道路標識と、エンパイア・ステート・ビル

  • 画像-3:イルミネーションに彩られたクリスマスのエンパイア・ステート・ビル

  • 画像-4:真下から見上げたエンパイア・ステート・ビル

  • 画像-5:ロックフェラー・センターから望むエンパイア・ステート・ビル

  • 画像-6:ニュージャージー州から望む






脚注・出典


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  1. ^ "Empire State Building" The Skyscraper Center Council on Tall Buildings and Urban Habitat website


  2. ^ “Homer G. Balcom, Engineer, Is Dead”. The New York Times. (1938年7月5日). http://select.nytimes.com/gst/abstract.html?res=F50B13FE3F5D12738DDDAC0894DF405B888FF1D3 2011年8月8日閲覧。 


  3. ^ National Geodetic Survey datasheet KU3602. Retrieved July 26, 2009.


  4. ^ もっとも、放送不能となったのは電波による放送のみであり、ケーブルテレビでの放送は続けられた。


  5. ^ ワンワールドトレードセンターがNYで最も高いビルに(ロイター)


  6. ^ 居住目的のある建築物では軒高が他との比較(ランキング)における第一の基準。よって、通常的に言われるこのビルの高さは381mである。


  7. ^ 実際は上空400mの強風に飛行船が流されるため使われた事は無かった。


  8. ^ guinnessworldrecords.com


  9. ^ 朝日新聞・1963年1月10日記事


  10. ^ http://www.nytimes.com/1997/02/25/nyregion/from-teacher-to-gunman-us-visit-ends-in-fatal-rage.html?ref=aliabukamal&pagewanted=all


  11. ^ http://www.nydailynews.com/news/crime/killer-daughter-admits-political-article-1.233826


  12. ^ 「エンパイア」ミッチェル・パーセル 実川元子・訳 文芸春秋2002年 978-4-16-359100-1


  13. ^ The Empire State Building: A Monument of the Millennium



関連項目



  • WCBS-TV - 当ビルを電波塔として使用。

  • キングコング

  • 横井英樹

  • ドナルド・トランプ

  • ピーター・マルキン


  • デビッド・マコーレイ - 当ビルの解体を想定してその手順を図解した『エンパイア・ステート・ビル解体』を執筆。


外部リンク





  • ライトアップ予定表(英語)


  • エンパイアステートビルへのB25爆撃機の衝突 - 失敗知識データベース








記録
先代:
クライスラー・ビルディング

世界一高い建築物
1931 – 1954年
次代:
KWTVマスト

世界一高い自立型建築物
1931 – 1967年
次代:
オスタンキノタワー

世界一高いビル
1931 – 1972年
次代:
ワールドトレードセンター

アメリカ一高いビル
1931 – 1972年







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