羞恥心
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羞恥心(しゅうちしん、英: shame)、恥、恥じらいとは、対人場面における何らかの失態の結果や、失態場面の想像によって生じる対人不安の一種である[1]。
「恥 (shame)」という言葉は、かつて「覆い隠す( "to cover")」という意味の古い言葉から派生したと考えられている。直接的にも比喩的にも、「自身を覆い隠す」ものが恥の自然な表現である [2]。
目次
1 概要
2 もたらされるもの
2.1 ナルシシズム
2.2 スティグマ
3 注釈
4 脚注
5 参考文献
6 関連項目
概要
恥じらい、あるいは羞恥心というのは、恥ずかしいと感じる気持ちのことである。つまり恥を感じている気持ちのことである。
菅原健介は羞恥心が生じる重要な要因として、他者から期待される役割やイメージからの逸脱をあげている[1]。人間には所属欲求があり、所属した社会から排斥されないために、公的な自己像からの逸脱をコントロールしようとする。羞恥心は、他者からの期待や信頼に背くなど、社会からの排斥を想像させる苦境場面に自己が置かれていると認識することによって喚起される、生得的な警告反応である。この期待と現実のギャップによっておきる反応は、他者からの期待が現実を大きく超えた賞賛などでも生じる[1]。
罪悪感ないし羞恥心を測定する TOSCA-A の項目 "shame" によると、羞恥心は以下のとおり4つの下位尺度に分類される[要出典]。
自己の存在が取るに足らない物と感じ、自己を否定したいと思う「全体的自己非難」- 恥を感じる状況から逃げたい、もしくは恥を感じた記憶を消したいと思う「回避・隠蔽反応」
- 自分が周囲から孤立したと感じる「孤立感」
- 人に見られている、人に笑われていると思う「被笑感」
自己意識的で否定的色彩があることなど共通する要素が多く、社会的行動に影響を与える感情として、羞恥心はしばしば罪悪感と比較される[1]。罪悪感が自己の起こした特定の行動の相対的評価を問題視するのに対し、羞恥心は自己全体への否定的評価を問題視する[3]。
TOSCAを作成したJ.P.タングニーの研究では、羞恥心を感じやすい人は罪悪感を持ちやすい人より攻撃的で、責任を転嫁しやすい傾向があるという[1][注 1]。
羞恥心は、外部への帰属、他者への強い焦点、復讐といった感情や行動を発生させる屈辱感を伴い易いからである。
自分が社会的なルールや常識を知らないで、ルールに違反してしまったり、自分が望むだけの成果を上げられなかったりした場合に、自分が身の置き所がなくなり、自身の内にこみ上げてくる感情・情動のことと解される[要出典]。
これは様々な面で、道徳や人道といった概念が引き合いに出され、自身の行動を適正化させていく[要出典]。
例えば、幼い子供であれば、トイレに行くのが間に合わず、お漏らしをしてしまったり、また思春期前後の世代では空腹時の腹鳴が周囲の人に聞こえてしまったり、スポーツの技量などで友達に力が及ばなかったり、集団の中での自己にいきなり焦点が当てられたりと言ったような場面で、この感情が出てくる。この感情は、集団の中の自己を意識するようになって初めて生まれてくるものである。
成人になると、性的な場面や社会的な業績、成果といったものにとりわけ関係するようになる[注 2]。
もたらされるもの
ナルシシズム
成人のナルシシズムは、恥への防衛機制と関連しているとの論があり[4]、また自己愛性パーソナリティ障害についても同様である[5][6] 精神科医Glen Gabbardによると自己愛性パーソナリティ障害は、壮大、傲慢、皮の厚い「忘却型」タイプと、過敏で恥ずかしがりやの「過敏性」タイプという、2つの亜型に分類できるという。 忘却型タイプは、賞賛、羨望、感謝のために、隠された弱い内面化された恥ずべき自己とは正反対の、壮大な自己を周囲に提示する。一方で過敏型タイプは、他人を不当な虐待者と見なすことで切り下げを中和する[5]。
スティグマ
注釈
^ 菅原は恥とShameが一致する概念なのか検証の余地があるとしている。
^ しかしながら慣れ、高齢化、認知症の進行等に関係して薄れてくることもある[要出典]。例えば明らかにモラルに違反している裏金を、常態化することで恥ずかしいとも思わずに処理したり、または羞恥プレイのような特殊な性癖に転化して、明らかに社会のルールに違反する行為などは、羞恥心の希薄化を発生させる[要出典]。
脚注
- ^ abcde菅原 2011, pp. 84-87.
^ Lewis, Helen B. (1971), Shame and guilt in neurosis, International University Press, New York, p. 63, ISBN 0-8236-8307-9
^ 菊池 2003, p. 36.
^ Wurmser L, Shame, the veiled companion of narcissism, in The Many Faces of Shame, edited by Nathanson DL. New York, Guilford, 1987, pp. 64–92.- ^ abGabbard GO, subtypes of narcissistic personality disorder.[リンク切れ] Bull Menninger Clin 1989; 53:527–532.
^ Young, Klosko, Weishaar: Schema Therapy – A Practitioner's Guide, 2003, p. 375.
参考文献
出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。記事の信頼性向上にご協力をお願いいたします。(2012年5月) |
- 薊理津子「恥と罪悪感の研究の動向」、『感情心理学研究』第16巻第1号、日本感情心理学会、2008年、 49-64頁、 NAID 130000065546。
- 菊池章夫「<研究ノート>TOSCA-3(短縮版)日本語版の検討」、『岩手県立大学社会福祉学部紀要』第5巻第2号、岩手県立大学社会福祉学部、2003年3月30日、 35-40頁、 NAID 110000036327。
自己意識的感情尺度青年版(TOSCA-A)日本語版の作成 岡田顕宏[リンク切れ]- 菅原健介、二宮克美、子安増生(編)、2011、「恥」、『社会心理学』、新曜社〈キーワードコレクション〉 ISBN 9784788512368
関連項目
- 感情の一覧
社会性 - 社会技能(ソーシャルスキル)
劣等感 - コンプレックス産業- 羞恥プレイ
- 認知的不協和
菊と刀 - (罪の文化・恥の文化論)
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