ポルトガル海上帝国

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1410年から1999年までにポルトガルが領有したことのある領域(赤)、ピンクは領有権を主張したことのある領域、水色は大航海時代に探索、交易、影響が及んだ主な海域。


ポルトガル海上帝国(ポルトガルかいじょうていこく、ポルトガル語:Império Português)は、15世紀以来ポルトガル王国が海外各地に築いた植民地支配及び交易体制を指す。新大陸発見後はトルデシリャス条約によりスペインと世界を二分した。領域支配より交易のための海上覇権が中心であったので、このように呼ばれる(オランダ海上帝国も同様である)。それゆえ、既存の大国であったアステカ帝国やインカ帝国の、それぞれの中心地域であったメキシコおよびペルーにおける領域支配を中心としたスペインの場合は、とくに「海上帝国」とは言わない(スペイン帝国)。




目次





  • 1 概説


  • 2 財政、金融


  • 3 貿易


  • 4 主要年表


  • 5 出典・脚注


  • 6 参考文献


  • 7 関連項目


  • 8 脚註


  • 9 外部リンク




概説




ポルトガルの海外銀行 (Banco *Nacional Ultramarino) のためのアートワークの部分: ポルトガル帝国の植民地の象徴。リスボン。




16世紀のポルトガル領。


ポルトガルの海上発展の基礎を築いたのは航海王子と称されるエンリケ王子(生没年1394年 - 1460年)であった。航海術や探検に興味をもったエンリケ王子は航海学校を興して、多くの航海者を育て、大西洋上のカナリア諸島(現スペイン領)、アソーレス諸島の探検に派遣、またアフリカ西海岸の探検を着実に進めて行った。


1488年にアフリカ大陸南端に到達したポルトガルは東洋の香料貿易独占とキリスト教布教を目的としてインド洋に進出、沿岸各地に拠点を築いてムスリムと戦い、インド洋の覇権を握った。このため、エジプトのマムルーク朝などイスラム勢力から香料を仕入れて欧州での供給を独占していたヴェネツィア共和国の経済は大打撃を蒙った。ポルトガルはさらにマレー半島における香料貿易の重要な中継地であったマラッカ占領以後、東南アジアや東アジアにまで貿易網を拡大し、世界的な交易システムを築き上げた。キリスト教の布教は日本において最も成功し、当時人口2,000万程度であった日本で、約70万人の信者を獲得したとされる。


しかし17世紀に入ると、新教国オランダやイギリスも七つの海に進出を始め、ポルトガルと競合するようになる。特にオランダはスペインに対する独立戦争を展開しており、当時スペインと同じ君主を戴いていたポルトガルのガレオン船を拿捕したり、マラッカなどのポルトガル植民地を占領して行った。日本の禁教と鎖国も新教国オランダの反ポルトガル陰謀と言えなくもない。このため17世紀後半以後ポルトガルのアジア貿易は衰退したが、南米大陸ブラジルの植民に力を注ぎ、18世紀にはブラジルで金が盛んに産出されてポルトガルは再び黄金時代を迎えることになる。しかし、1703年にイギリスと結んだメシュエン条約は、結果として金の流出を招き、ポルトガル本国には、それ程、経済的な恩恵を与える事が出来なかった(非公式帝国)。


19世紀になるとブラジルの金生産も低迷し、ブラジル植民地(英語版)自体が独立を達成してポルトガルから離れていく。ナポレオン戦争後はイギリス帝国が世界の海に覇権を唱え、ポルトガルに残されたのは旧時代の名残りともいえるアンゴラ、モザンビークなどのアフリカ植民地とインドのゴアとディウ、マカオとティモールなどとなるが、これらの植民地も第二次世界大戦後、1960年代に独立戦争が勃発し、最終的に1974年のカーネーション革命をきっかけにしてポルトガルはこれらの植民地の独立を承認した。



財政、金融


ポルトガルの東インド貿易は、名目上は全てポルトガル王室の事業だったが、単独で人員と船を継続するのは人口と王室の財政規模から不可能だった。そのためイタリア系やドイツ系の金融援助を受けて進められた[1]。16世紀後半からは、ジェノヴァ共和国のサン・ジョルジョ銀行から融資を受けていた。リスク管理のために複数の人間が共同出資するコンパーニアや、高利の海上貸付であるレスポンデンシアが行われていた。ポルトガルはカトリック教国であり、教会法ではウスラによって高利が禁じられていた。このためカトリック教徒の間では、海上貸付は海上保険の名目で扱われた[2]



貿易


当時のポルトガルの貿易は、主に4種類に分けられる。


(1) 喜望峰を通ってポルトガルとインド洋を結ぶ王室事業

この貿易では、王室と契約をした船が用いられた。


(2) 王室と、王室の許可を受けた船が特定の時期と地域で行う貿易

明時代の中国、日本、シャム、ベンガル、コロマンデルなどで行われ、貿易の権利は売却されて個人貿易にも用いられるようになった。


(3) 非公式な私貿易

正式な貿易は王室または王室の許可が必要であったが、合法ではない貿易を始める者も多数にのぼった。ポルトガル人の中には、現地の商人と協力して貿易をしたり、海賊行為を行う者もいた。


(4) カルタスを用いる貿易

ゴアの副王や各地のカピタンが通行証としてカルタスを発行して、船長名、船の情報、乗組員の情報を記録した。カルタスを持つ船は安全を保障される代わりに、ポルトガル要塞への寄港と納税が義務づけられた。カルタスを持たない船がポルトガル船に拿捕された時は生命の保障がなかった[3]



主要年表



  • 1415年 - 北アフリカの港セウタ占領


  • 1444年 - カーボベルデ、ヴェルデ岬、ゴレ島に到達。


  • 1445年 - 西アフリカのアルグイム(英語版)(葡: Arguim)に商館設立、


  • 1480年 - ポルトガル人、西アフリカ内陸のマリ王国トンブクトゥに達する


  • 1482年 - 西アフリカ黄金海岸に要塞建設


  • 1488年 - バルトロメウ・ディアス、喜望峰を回航


  • 1490年 - アンゴラ海岸部ルアンダに植民(奴隷貿易の拠点)


  • 1494年 - トルデシリャス条約


  • 1498年 - ヴァスコ・ダ・ガマ艦隊インドのカリカット(コーリコード)に到着


  • 1500年 - インドに向かっていたペドロ・アルヴァレス・カブラル艦隊、ブラジルに漂着


  • 1505年 - 東アフリカのソファラとキルワ島に要塞建設


  • 1507年 - 東アフリカのモザンビーク島に要塞建設。オルムズ占領(en:Capture of Ormuz (1507))


  • 1508年 - マムルーク朝エジプト艦隊、チャウル沖でポルトガル艦隊を破る(チャウルの戦い)


  • 1509年 - ポルトガル艦隊、ディーウ沖でエジプト艦隊を撃破(ディーウ沖の海戦)


  • 1510年 - アフォンソ・デ・アルブケルケ、インドのゴア占領(en:Portuguese Conquest of Goa (1510))


  • 1511年 - アルブケルケ、マラッカ占領(en:Capture of Malacca (1511))


  • 1513年 - ポルトガル人初めて中国の広東に来航


  • 1515年 - アルブケルケ、ペルシャ湾岸ホルムズ占領


  • 1517年 - トメ・ピレス(英語版)の使節団、北京入り(後、投獄される)


  • 1518年 - セイロン島のコロンボに要塞建設


  • 1526年 - カリカット占領(en:Fall of Calicut (1526))


  • 1531年 - Battles at Chaliyam Fort(en:Vettattnad#Battles at Chaliyam Fort)


  • 1537年 - インドのディーウ[4]獲得


  • 1538年 - ポルトガル艦隊、オスマン帝国艦隊をディーウ沖で撃破(en:Siege of Diu)


  • 1543年 - ポルトガル人日本来航(鉄砲伝来)


  • 1549年 - フランシスコ・ザビエル、日本到着。


  • 1549年 - 初代ブラジル総督トメ・デ・ソウザ(英語版)がブラジルに着任、首都サルヴァドール・ダ・バイーアを建設


  • 1552年 - オスマン帝国のホルムズの戦い(en:Ottoman campaign against Hormuz)


  • 1557年 - 中国南部マカオに居留権獲得


  • 1571年 - 長崎に商館設立


  • 1578年 - アルカセル・キビールの戦い


  • 1580年 - ポルトガル本国、ハプスブルク家のスペイン王の支配下に入る


  • 1599年 - ビルマ傭兵となっていたポルトガル人フェリペ・デ・ブリト(英語版)、シリアムを支配( - 1613年)


  • 1602年 - オランダ・ポルトガル戦争(英語版)( - 1663年)


  • 1630年 - オランダ、ブラジル北東部占領( - 54年)


  • 1639年 - 日本、ポルトガル船の来航を厳禁


  • 1640年 - ポルトガル本国、スペインの支配から離脱(ポルトガル王政復古戦争)


  • 1641年 - オランダ、マラッカ占領。オランダ、アンゴラ海岸部ルアンダ占領


  • 1648年 - ブラジル植民地軍、ルアンダ奪回、アンゴラ内陸部へ侵攻


  • 1658年 - オランダ、セイロン占領


  • 1661年 - ハーグ講和条約でオランダがブラジル北東部とアンゴラから撤退


  • 1703年 - イギリスとメシュエン条約。イギリスに経済的な従属を強いられる(非公式帝国の傘下)


  • 1750年代 - ブラジルの金生産絶頂期


  • 1763年 - ブラジル植民地首府がサルヴァドール・ダ・バイーアからリオデジャネイロに移転


  • 1808年 - ナポレオン戦争のため、ポルトガル宮廷がリオデジャネイロ遷都


  • 1815年 - ポルトガル・ブラジル及びアルガルヴェ連合王国成立


  • 1821年 - ポルトガル宮廷リスボン帰還


  • 1822年 - ブラジル独立(ポルトガル語版)(ブラジル帝国)


  • 1849年 - ポルトガル、居留地マカオの植民地化を宣言


  • 1859年 - 西チモールをオランダに割譲


  • 1942年 - 日本軍、チモール全島を占領( - 45年)


  • 1943年 - 日本軍、中立港マカオを保護領化( - 45年)


  • 1954年 - インドの民族義勇団(RSS)がダードラー・ナガルハヴェーリーを占領[5]


  • 1961年 - インド軍がゴア、ダマン[6]、ディウを占領。ポルトガル領アンゴラでアンゴラ独立戦争が始まる。ダオメー軍サン・ジョアン・バプティスタ・デ・アジュダを占領[7]


  • 1962年 - ポルトガル領ギニアでギニアビサウ独立戦争が始まる


  • 1964年 - ポルトガル領モザンビークでモザンビーク独立戦争が始まる


  • 1974年 - カーネーション革命によりファシスト政権が崩壊。新政権は植民地独立を確約する


  • 1975年 - アフリカ植民地が独立(アンゴラ、モザンビーク、ギニアビサウ、カーボ・ヴェルデ、サントメ・プリンシペ)、ポルトガル領ティモールが独立を宣言


  • 1976年 - インドネシアが東ティモール併合(東ティモール紛争化)


  • 1999年 - マカオが中国に返還される


  • 2002年 - ポルトガルが東ティモール独立承認(最後の植民地を公式に喪失)


出典・脚注




  1. ^ 羽田 2017, p. 60.


  2. ^ 岡 2010, p. 195.


  3. ^ 羽田 2017, p. 62.


  4. ^ ディウ世界飛び地領土研究会


  5. ^ ダドラ&ナガルハベリー世界飛び地領土研究会


  6. ^ ダマン世界飛び地領土研究会


  7. ^ サン・ジョアン・バプティスタ・デ・アジュダ世界飛び地領土研究会



参考文献



  • 岡美穂子 『商人と宣教師 - 南蛮貿易の世界』 東京大学出版会、2010年。 


  • 羽田正 『東インド会社とアジアの海』 講談社〈講談社学術文庫〉、2017年。 


関連項目


  • ポルトガル語諸国共同体

  • ルゾフォニア


  • ポルトガル
    • ポルトガル王国

    • ポルトガルの歴史

    • ポルトガルによるアメリカ大陸の植民地化

    • ポルトガル語諸国共同体

    • 大西洋銀行



  • ブラジル
    • ブラジルの歴史

  • マラッカ


  • ゴア州
    • ポルトガル領インド


  • マカオ
    • マカオの歴史

  • 海洋国家

  • 大航海時代

  • スペイン帝国


  • イギリス帝国
    • 英連邦


  • フランス植民地帝国
    • フランコフォニー国際機関

  • オランダ海上帝国

  • デンマーク海上帝国

  • ドイツ植民地帝国

  • アメリカ大陸諸国の独立年表

  • アジア・アフリカ諸国の独立年表

  • ポルトガル人による日本人などのアジア人の奴隷貿易


脚註





外部リンク


  • 世界飛び地領土研究会


  • 神戸市立博物館南蛮屏風(重文)(部分拡大可)


  • Dutch Portuguese Colonial History(英語)


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