1995年の野球
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< 1995年 | 1995年のスポーツ
目次
1 競技結果
1.1 日本プロ野球
1.1.1 ペナントレース
1.1.2 日本シリーズ
1.1.3 個人タイトル
1.1.4 ベストナイン
1.2 高校野球
1.3 大学野球
1.4 社会人野球
1.5 メジャーリーグ
2 できごと
2.1 1月
2.2 2月
2.3 3月
2.4 4月
2.5 5月
2.6 6月
2.7 7月
2.8 8月
2.9 9月
2.10 10月
2.11 11月
2.12 12月
3 誕生
3.1 1月
3.2 2月
3.3 4月
3.4 5月
3.5 6月
3.6 7月
3.7 8月
3.8 9月
3.9 10月
3.10 11月
4 死去
5 脚注
競技結果
日本プロ野球
ペナントレース
|
|
日本シリーズ
日付 | 試合 | ビジター球団(先攻) | スコア | ホーム球団(後攻) | 開催球場 |
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10月21日(土) | 第1戦 | ヤクルトスワローズ | 5-2 | オリックス・ブルーウェーブ | グリーンスタジアム神戸 |
10月22日(日) | 第2戦 | ヤクルトスワローズ | 3-2 | オリックス・ブルーウェーブ | |
10月23日(月) | 移動日 | ||||
10月24日(火) | 第3戦 | オリックス・ブルーウェーブ | 4-7 | ヤクルトスワローズ | 明治神宮野球場 |
10月25日(水) | 第4戦 | オリックス・ブルーウェーブ | 2-1 | ヤクルトスワローズ | |
10月26日(木) | 第5戦 | オリックス・ブルーウェーブ | 1-3 | ヤクルトスワローズ | |
優勝:ヤクルトスワローズ(2年ぶり3回目) |
個人タイトル
セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | |||||
---|---|---|---|---|---|---|
タイトル | 選手 | 球団 | 成績 | 選手 | 球団 | 成績 |
最優秀選手 | T.オマリー | ヤクルト | イチロー | オリックス | | |
最優秀新人 | 山内泰幸 | 広島 | 平井正史 | オリックス | | |
首位打者 | A.パウエル | 中日 | .355 | イチロー | オリックス | .342 |
本塁打王 | 江藤智 | 広島 | 39本 | 小久保裕紀 | ダイエー | 28本 |
打点王 | 江藤智 | 広島 | 106点 | イチロー | オリックス | 80点 |
初芝清 | ロッテ | |||||
田中幸雄 | 日本ハム | |||||
最多安打 | 野村謙二郎 | 広島 | 173本 | イチロー | オリックス | 179本 |
盗塁王 | 緒方孝市 | 広島 | 47個 | イチロー | オリックス | 49個 |
最高出塁率 | T.オマリー | ヤクルト | .429 | イチロー | オリックス | .432 |
最優秀防御率 | T.ブロス | ヤクルト | 2.33 | 伊良部秀輝 | ロッテ | 2.53 |
最多勝利 | 斎藤雅樹 | 巨人 | 18勝 | K.グロス | 日本ハム | 16勝 |
最多奪三振 | 斎藤雅樹 | 巨人 | 187個 | 伊良部秀輝 | ロッテ | 239個 |
最高勝率 | 石井一久 | ヤクルト | .765 | 平井正史 | オリックス | .750 |
最優秀救援投手 | 佐々木主浩 | 横浜 | 39SP | 平井正史 | オリックス | 42SP |
ベストナイン
セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | |||
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守備位置 | 選手 | 球団 | 選手 | 球団 |
投手 | 斎藤雅樹 | 巨人 | 伊良部秀輝 | ロッテ |
捕手 | 古田敦也 | ヤクルト | 中嶋聡 | オリックス |
一塁手 | T.オマリー | ヤクルト | J.フランコ | ロッテ |
二塁手 | R.ローズ | 横浜 | 小久保裕紀 | ダイエー |
三塁手 | 江藤智 | 広島 | 初芝清 | ロッテ |
遊撃手 | 野村謙二郎 | 広島 | 田中幸雄 | 日本ハム |
外野手 | A.パウエル | 中日 | イチロー | オリックス |
松井秀喜 | 巨人 | D.ジャクソン | 西武 | |
金本知憲 | 広島 | 佐々木誠 | 西武 | |
指名打者 | T.ニール | オリックス |
高校野球
第67回選抜高等学校野球大会優勝:観音寺中央(香川)
第77回全国高等学校野球選手権大会優勝:帝京(東東京)- 第50回国民体育大会高等学校野球競技優勝:PL学園(大阪)
- 第26回明治神宮野球大会優勝:帝京(東京)
大学野球
- 第44回全日本大学野球選手権大会優勝:法政大
- 第26回明治神宮野球大会優勝:明治大
東京六大学野球連盟優勝 春:法政大、秋:明治大
東都大学野球連盟優勝 春:東洋大、秋:青山学院大
関西学生野球連盟優勝 春:関西大、秋:近畿大
社会人野球
第66回都市対抗野球大会優勝:日本石油
第22回社会人野球日本選手権大会優勝:三菱自動車川崎
メジャーリーグ
詳細は「1995年のメジャーリーグベースボール」を参照
ワールドシリーズ - アトランタ・ブレーブス(ナ・リーグ) (4勝2敗) クリーブランド・インディアンス(ア・リーグ)- ナショナルリーグ東地区優勝:アトランタ・ブレーブス
- ナショナルリーグ中地区優勝:シンシナティ・レッズ
- ナショナルリーグ西地区優勝:ロサンゼルス・ドジャース
- アメリカンリーグ東地区優勝:ボストン・レッドソックス
- アメリカンリーグ中地区優勝:クリーブランド・インディアンス
- アメリカンリーグ西地区優勝:シアトル・マリナーズ
できごと
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1月
1月9日 - 近鉄バファローズの野茂英雄が退団。
2月
2月13日- 野茂英雄が米メジャーリーグのロサンゼルス・ドジャースと契約。
- ダイエーはケビン・ミッチェルの獲得とブライアン・トラックスラーの解雇を発表[1]。
3月
3月19日 - 近鉄の吉井理人とヤクルトの西村龍次の交換トレードが成立[2]。
4月
4月1日 - ダイエーのケビン・ミッチェルは西武との開幕戦(西武)で郭泰源から来日初打席満塁本塁打を打つ。
4月5日 - 第67回選抜高等学校野球大会の決勝戦が阪神甲子園球場で行われ、観音寺中央が銚子商を4-0で破り初優勝。
4月25日 - 【MLB】当初4月2日に開幕予定だったメジャーリーグは、ストライキの影響で例年より約1か月遅れで開幕。
5月
5月23日 - 広島の前田智徳が対ヤクルト戦(神宮)の1回表、一塁を駈け抜けた際に右足アキレス腱を断裂。
6月
6月2日 - 中日ドラゴンズ監督の高木守道がその日の対阪神タイガース戦限りでの辞任を発表。その試合では友寄正人審判への暴行により退場処分となる。徳武定祐が代理監督に就任。後にさらに島野育夫が代行。
6月8日 - 近鉄の石井浩郎が、この日の試合まで当時の日本プロ野球記録の362試合連続先発四番打者として出場[3]。
6月30日 - 【MLB】エディ・マレーが通算3000本安打を達成し、ハンク・アーロン、ウィリー・メイズに次ぐ史上3人目となる3000-500 クラブ入りを果たした。
7月
7月5日 - 日本ハムファイターズの西崎幸広が対西武ライオンズ戦(東京ドーム)でノーヒットノーランを達成。
7月11日 - 野茂英雄が日本人として初めてMLBオールスターゲームにナショナルリーグの先発投手として出場。
7月23日 - 阪神監督の中村勝広が休養し、二軍監督の藤田平が代理監督に就任。
8月
8月2日 - 仙台育英監督の竹田利秋が今夏の全国高等学校野球選手権大会を最後に勇退することを発表。
8月4日 - 箕島高校監督の尾藤公が勇退を発表。
8月9日 - 最下位に低迷する近鉄が鈴木啓示監督の休養と水谷実雄ヘッド兼打撃コーチの監督代行就任を発表。
8月19日 - 巨人は一時帰国中のジャック・ハウエルの退団、任意引退を発表。
8月21日 - 第77回全国高等学校野球選手権大会の決勝戦が阪神甲子園球場で行われ、東東京代表の帝京が石川代表の星稜を3-1で破り、6年ぶり2回目の優勝。
8月26日 - オリックス・ブルーウェーブの佐藤義則が対近鉄戦(藤井寺球場)で日本プロ野球最年長記録を更新する40歳11カ月でのノーヒットノーランを達成。
9月
9月9日 - ヤクルトスワローズのテリー・ブロスが対巨人戦(東京ドーム)でノーヒットノーランを達成。
9月17日 - 日本ハムのロブ・デューシーが対ダイエー戦(東京ドーム)の初回に坊西浩嗣に暴行し退場。前日に続き2試合連続の退場は日本プロ野球初[4]。
9月19日 - オリックスが対西武戦(西武球場)に勝利し、11年ぶり12度目のパ・リーグ優勝達成。オリックスになってからは初。
9月20日 - 中日の来季監督に星野仙一が就任決定。
9月30日 - ヤクルトが対巨人戦(神宮)に勝ち、2年ぶり4度目のセ・リーグ優勝を達成。
10月
10月8日 - 巨人の原辰徳がシーズン最終戦(対広島、東京ドーム)で現役引退[5]。
10月11日- ドジャース・野茂英雄に菊池寛賞が贈られることが決定。プロ野球界では1961年の三原脩以来2人目。
- 近鉄は佐々木恭介の監督就任を発表。
10月17日 - 千葉ロッテマリーンズ監督のボビー・バレンタインを解任。後任にはヘッドコーチの江尻亮が就任。
10月26日 - 日本シリーズの第5戦(神宮)が行われ、ヤクルトがオリックスに3対1で勝利し、4勝1敗で2年ぶり3度目の日本一達成。シリーズ打率.529のトーマス・オマリーがシリーズMVPに選ばれる。
11月
11月2日 - 【MLB】ニューヨーク・ヤンキースは前カージナルス監督のジョー・トーリが新監督に就任したことを発表。
11月9日 - ロサンゼルス・ドジャースの野茂英雄が日本人として初めてナショナルリーグの新人王に選ばれる。
11月12日 - 阪神の真弓明信が現役引退を発表[6]。
11月22日 - ドラフト会議が行われ、PL学園の福留孝介は高校生として最多となる7球団の競合の末近鉄が交渉権を獲得。当たりクジを引いた佐々木監督は「ヨッシャー」と絶叫したが、その後福留は入団を拒否。
11月29日 - 日本ハムからFAになっていた河野博文が巨人へ移籍。
12月
誕生
1月
1月21日 - アントニオ・センザテラ
2月
2月7日 - ロベルト・オスーナ
2月28日 - 若松駿太
4月
4月3日 - 岸里亮佑
4月12日 - 北之園隆生
4月21日 - 吉田雄人
4月24日 - 曽根海成
4月26日 - ノマー・マザラ
4月30日 - 渡邉諒
5月
5月11日 - 今野龍太
5月26日 - 奥村展征
5月27日 - ヨアン・モンカダ
5月30日 - 内田靖人
6月
6月9日 - 横田慎太郎
6月16日 - 鈴木翔太
6月22日 - タイラー・オニール
6月28日 - 関根大気
7月
7月12日 - 平良拳太郎
7月13日 - コディ・ベリンジャー
7月20日 - 石川亮
7月20日 - 砂田毅樹
8月
8月1日 - 二木康太
8月1日 - 上林誠知
8月8日 - 森友哉
8月29日 - 奥浪鏡
8月31日 - 中村祐太
9月
9月1日 - 児山祐斗
9月8日 - 古川侑利
9月14日 - 田口麗斗
9月17日 - 東方伸友
9月22日 - 山岡泰輔
9月26日 - 和田恋
10月
10月4日 - 若月健矢
10月17日 - 金河成
10月30日 - 松井裕樹
11月
11月10日 - 園部聡
11月13日 - 肘井竜蔵
11月20日 - アーメッド・ロザリオ
11月22日 - ストーン・ギャレット
11月24日 - フランシス・マルテス
死去
1月22日 - 下田武三(*1907年)
2月2日 - 山崎武昭(*1941年)
2月16日 - 植上健治(*1955年)
4月4日 - 山下実(*1907年)
4月21日 - 樽井清一(*1929年)
8月13日 - ミッキー・マントル(*1931年)
8月15日 - 仲根正広(*1954年)
10月8日 - 小川健太郎(*1934年)
10月26日 - 松葉昇(*1922年)
11月17日 - 平岡一郎(*1945年)
11月28日 - 横沢三郎(*1904年)
12月24日 - 島秀之助(*1908年)
脚注
^ “【2月13日】1995年(平7) 減量してもクビ!?トラックスラー、再就職先は少年野球教室?”. 日めくりプロ野球. スポーツニッポン新聞社 (2009年2月1日). 2016年1月2日閲覧。[リンク切れ]
^ “【3月19日】1995年(平7) 破談一転成立 西村龍次が近鉄 吉井理人がヤクルト”. 日めくりプロ野球. スポーツニッポン (2010年3月1日). 2016年1月2日閲覧。
^ 『永久保存版 さらば大阪近鉄バファローズ 熱い心の野球ありがとう』 ベースボール・マガジン社〈週刊ベースボール別冊 冬季号〉、2004年、97頁。
^ “【9月17日】1995年(平7) 球界初 2日連続 しかも初回に退場になったデューシー”. 日めくりプロ野球. スポーツニッポン (2011年9月17日). 2016年1月2日閲覧。
^ “【10月8日】1995年(平7) 他球団からの誘いも…原辰徳 巨人の「4番・三塁」で引退”. 日めくりプロ野球. スポーツニッポン (2010年10月1日). 2016年1月2日閲覧。
^ “【9月27日】1995年(平7) 異例の4時間討議の末に…真弓明信に引退勧告”. 日めくりプロ野球. スポーツニッポン (2009年9月1日). 2016年1月2日閲覧。
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