ムムターズ・マハル

















ムムターズ・マハル
ممتاز محل

ムガル帝国后妃

Mumtaz Mahal.jpg
ムムターズ・マハル

出生
1595年4月6日
アーグラ
死去
1631年6月17日
ブルハーンプル
配偶者
シャー・ジャハーン
子女
ダーラー・シコー
シャー・シュジャー
アウラングゼーブ
ムラード・バフシュ
ジャハーナーラー・ベーグム
ラウシャナーラー・ベーグム
ガウハーラーラー・ベーグム
(他4人の息子と3人の娘)
父親
アーサフ・ハーン
母親
ディーワーンジー・ベーグム
宗教
イスラーム教(シーア派)
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ムムターズ・マハル(ヒンディー語: मुमताज़ महल Mumtāz Mahal, ペルシア語: ممتاز محل‎ Momtāz-i Maḥal, 1595年4月6日 - 1631年6月17日)は、北インド、ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンの皇妃で、第6代皇帝アウラングゼーブの母。


宮廷の大富豪アーサフ・ハーンの娘で、本名はアルジュマンド・バーヌー・ベーグムارجمند بانو بیگم Arjumand Bānū Bēgum)という。ムムターズ・マハルとはペルシア語で「愛でられし王宮の光彩」「宮廷の選ばれし者」を意味する言葉であり、第4代皇帝ジャハーンギールから授けられた称号である。




目次





  • 1 生涯


  • 2 子女


  • 3 脚注


  • 4 参考文献


  • 5 関連項目




生涯





シャー・ジャハーンとムムターズ・マハル


1595年4月6日、ムガル帝国の貴族アーサフ・ハーンの娘として生まれる。
彼女の祖父はサファヴィー朝からの亡命貴族であったミールザー・ギヤース・ベグ(尊称イティマード・ウッダウラ)という人物で、その息子アーサフ・ハーンが彼女の父である[1]。ギヤース・ベグにはミフルンニサー・ベーグムという娘がおり、これがジャハーンギールの寵妃ヌール・ジャハーンとなった。ムムターズ・マハルはヌール・ジャハーンの姪にあたる[1]


1612年、ジャハーンギールの皇子フッラム(のちのシャー・ジャハーン)と結婚する。夫に深く寵愛され、14人の子女をもうける[1]。うち、成年まで育ったのは男子4人と女子3人であり、この4人の男子が長男ダーラー・シコー以下、シャー・シュジャー、アウラングゼーブ、ムラード・バフシュである[1]


夫が父帝ジャハーンギールや継母ヌール・ジャハーンと対立し、各地への転戦や逃避行中でも、これに付き従い苦楽をともにしたと伝えられている。




タージ・マハル


1631年6月17日、シャー・ジャハーンのデカン遠征中、遠征先で第14子ガウハーラーラー・ベーグムを生んだあと36歳で産褥死した[1]。シャー・ジャハーンはその死を大いに悲しみ、彼女の廟としてタージ・マハルを建立し来世を弔った。



子女


  • フルンニサー・ベーグム

  • ジャハーナーラー・ベーグム

  • ダーラー・シコー

  • シャー・シュジャー

  • ラウシャナーラー・ベーグム

  • アウラングゼーブ

  • アフマド・バフシュ

  • スライヤ・バーヌー・ベーグム

  • 氏名不詳

  • ムラード・バフシュ

  • ルトフッラー

  • ダウラト・アフザル

  • フスナーラー・ベーグム

  • ガウハーラーラー・ベーグム


脚注


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  1. ^ abcdeロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p.226



参考文献



  • フランシス・ロビンソン; 月森左知訳 『ムガル皇帝歴代誌 インド、イラン、中央アジアのイスラーム諸王国の興亡(1206年 - 1925年)』 創元社、2009年。ISBN 978-4-422-21520-4。 


  • アンドレ・クロー; 杉村裕史訳 『ムガル帝国の興亡』 法政大学出版局〈イスラーム文化叢書〉、2001年。ISBN 4-588-23803-5。 


関連項目




  • タージ・マハル


  • ムムタズマハル (競走馬) - 彼女の名にちなんで名づけられた名繁殖牝馬


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