鉄道の電化
鉄道の電化(てつどうのでんか)とは、鉄道の動力を電気にすることである。
目次
1 概要
2 方式
2.1 直流饋電・交流饋電
3 歴史
4 各国の事例
4.1 日本国外の例
4.1.1 電化・非電化区間が混在する路線
4.2 日本
4.2.1 旅客線の電化
4.2.2 旅客線が完全電化
4.2.3 旅客線がほぼ電化
4.2.4 旅客線がほぼ非電化
4.2.5 旅客線が非電化
4.2.6 電化・非電化区間が混在する路線
5 電化路線のディーゼル化
5.1 日本での事例
5.1.1 電化施設を撤去・使用中止した路線
5.1.2 電化施設を存置しているが、経費節減の目的で気動車列車を運行する路線
5.1.2.1 普通列車を気動車で運行する路線
6 脚注
7 関連項目
概要
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電化された路線では、動力に電気を使用する電気機関車や電車が用いられる。そのため、燃料を車両に積載する必要がない。電化方式は世界でいくつかの種類が存在する。鉄道において電気動力は、蒸気機関や内燃機関に比べエネルギー消費率で優れ、速度向上や快適性の向上といった輸送サービスの改善にも向くが、地上側に電気設備が必要となる。
方式
車両の外から電気を取り入れるものが一般的で、車両の外から電気を送ることを「饋電」(きでん)と呼び、車両側でその電気を取り入れることを「集電」(しゅうでん)と呼ぶ[1]。集電方式は架空電車線方式と第三軌条方式の2つに大別される。また、電源の電流は直流を用いるものと交流を用いるものの2種類に分かれる。なお、車両に蓄電池などの電源を搭載するものや、ケーブルカー(鋼索鉄道)・超電導リニアのような車両側に走行用の電力が不要なものも存在する。
外部から取り入れた電力は、主電動機の種類に応じて車両内で変換した上で使用される。
直流饋電・交流饋電
- 直流饋電
- 長所
- 複数の鉄道変電所から同時に並列して給電できるので、事故や工事などでも冗長性がある。
- 最近まで主流であった直流モーターがそのまま使用できた。
- 短所
- 車両側で変圧するには向かないので、モーターの電圧に合わせることが求められるため、高電圧/小電流にはできず、低電圧/大電流では送電ロスが大きくなる[2]。また、送電ロスを減らすために鉄道変電所を多く設ける必要がある。
- 大電力を供給できないので、高速鉄道や重貨物列車を走らせる路線には不向き。
- 直流に変換する鉄道変電所は機器が割高になる。
- 交流饋電
- 長所
- 変圧器を用いて、主電動機に加える電圧を容易にロス無く制御できる。
- 高電圧/小電流にできるので送電ロスが少なく、大電力が供給でき変電所も少なくてすむ。
- 短所
- 直接饋電方式という単純な交流饋電では、電線からの電磁波によって周囲の通信線へ障害を及ぼす「通信誘導障害」と呼ばれる現象が起きやすい。BT饋電やAT饋電などの工夫が行われる[1]。
- 車両に設置する機器のコストが高額となりやすい。すでに直流電化が普及した地域では、交直接続などの維持コストなども必要となり高額となる。そのため直流電化が普及した地域での部分的な交流電化は、全て直流化した時よりも総コストは大きくなる傾向にある。
歴史
鉄道は蒸気機関を動力としてスタートした。馬の牽引力を使った馬車による輸送から部分的に軌道と電気動力へと切り替わっていき、この流れの中で鉄道の電化が進んだ。
1879年:ドイツのシーメンス社がベルリン工業博覧会において試作した電気機関車を披露した[3]。
1881年:ドイツのベルリン郊外で世界初の電車の営業運転が開始された。
1883年8月:Magnus VolkによってVolk's電気鉄道がイギリスの保養地であるブライトンで開通した。同年10月にはオーストリアのウィーンで世界初の架線集電によるMödling and Hinterbrühl路面電車が運行を開始した。
1887年:米国人フランク・スプレイグが考案した電気軌道が敷設された。
1890年:上野公園で開かれた第3回内国勧業博覧会で日本初の電車の運転が披露された
1895年:京都で日本初の電車による営業運転が開始された。
19世紀末:スイスの登山鉄道で交流電化による鉄道が出現した。
1911年:碓氷峠が電化された。
1923年:ハンガリーのブダペスト西駅 - ブダケスィ・アラグ駅間で16kV50Hzの商用周波数による単相交流で運行された。
1936年:ドイツ南部のヘレンタール線で試験を進め、第二次世界大戦後、フランスがこれらの機関車と設備を接収して国内の交流電化を進める。交流電化ではBT饋電方式からAT饋電方式が主流になる。
各国の事例
国策や資源(電力)事情、産業の動向などにより、各国での電化率には偏りが見られる。スイス、オランダといった国々が90%を越えるほか、ドイツやフランス、ロシアなどのヨーロッパ諸国や、中国、韓国、日本などの東アジア諸国は50%を越える。北米大陸やオセアニア、東南アジアなどは電化率が低い。
日本国外の例
スイスでは電化費用が安価なことから鉄道路線はほぼ全線が電化されている。アメリカやオーストラリアなどの大陸横断鉄道は電化されていない区間がほとんどであるが、ロシアを横断するシベリア鉄道は電化されている。
アジア諸国やヨーロッパ諸国でも都市鉄道や地下鉄では全線が電化されているのが原則である。
電化・非電化区間が混在する路線
後述の通り、日本国内で電化・非電化区間が混在する路線は運行系統が途切れて別々の路線として扱われることが多い。
一方アメリカ、インドなどの国では、このような非電化混在路線においては機関車を交替することで、運行系統が分断されずに直通運転に対応することがある。[4][5][6]
日本
電気軌道では、1895年(明治28年)に京都市で京都電気鉄道が開通しているが、一般の鉄道では甲武鉄道(現在のJR中央本線)が1904年(明治37年)に飯田町 - 中野間を電化したのが始まりである。当時の電化には、600Vの直流饋電が採用されていた[1]。甲武鉄道は1906年(明治39年)に国有化され国有鉄道初の電化区間となった。以降、大正期は山手線など東京都市圏での通勤電車の走行を目的に実施され、昭和初期には城東線(現在の大阪環状線)など大阪都市圏でも実施された。
幹線鉄道では東海道本線の東京 - 国府津間(1925年(大正14年)までに電化)を除けば、碓氷峠(1912年(明治45年)。先述の甲武鉄道を除けば国有鉄道初)や清水トンネル(1931年(昭和6年))、関門トンネル(1941年(昭和16年))、朝鮮総督府鉄道京元本線の福渓 - 高山間(1944年(昭和19年))など、山岳地帯や長大トンネルで局地的に実施されていたに過ぎない[7][8][9]。1925年電化の横浜 - 国府津間から1500Vの直流饋電が一般的に採用されるようになった[1]。
私有鉄道では、甲武に続き南海鉄道が難波 - 浜寺公園間を1907年(明治40年)に電化した。その後の一般鉄道の電化は低調であったが、名古屋鉄道など電気軌道系の路線が郊外へ延び大規模な路線網を形成してゆく。アメリカのインターアーバンの影響を受けたもので、後に一般鉄道並の施設になった路線も多い。そして、大正末期から昭和初期にかけて、東武鉄道・大阪鉄道・豊川鉄道など一般鉄道の電化が進むほか、目黒蒲田電鉄・宮城電気鉄道・富山電気鉄道など当初より電気軌道の利便性を兼ね備えた電気鉄道の開業が相次いだ。結果、1930年代には全国的に電気軌道系・鉄道系問わず、電化路線が散見されるようになる。中には、大阪電気軌道・参宮急行電鉄の上本町(大阪) - 宇治山田(伊勢)や東武鉄道の浅草(東京) - 日光、金剛山電気鉄道の鉄原 - 内金剛など、全長100kmを越える路線も出現した。
こうした大手の私鉄と異なり中小私鉄では戦前は電化ではなく内燃動車で効率を上げたところも多かったが、太平洋戦争の影響でガソリンなどは配給制(闇市場でも高騰)になったため内燃動車に頼れなくなり、蒸気機関車を復帰させたところも多かったが、戦争末期から石炭も低質化と価格高騰[10]が進んだことで石炭産地の北海道と九州以外の非電化私鉄は燃料の確保に支障をきたし、多少の投資をしてでも電化した方が採算が合うと電化に踏み切ったところが多く、特に昭和21年から26年(1946 - 1951年)は電化の件数が多く、1946年1月の近江鉄道八日市線から、1951年12月の長岡鉄道(後の越後交通長岡線)の大半まで、(既存電化区間有無にかかわらず)一部分の電化や軌道・貨物線も含めると24社[11]もあり、大半は十数km程度の電化だったが、大井川鉄道39.5km、長岡鉄道31.6km(翌年残り2kmも電化)と30km以上も一度に電化している鉄道も存在している[12]。
しかし、その後はドッジ・ラインによる金融引締めが始まり電化工事の資金繰りが困難になった事[13]、さらに燃料事情が好転、石油類の安定供給ならびにディーゼル動車の普及に伴い、非電化路線の電化事例は1954年(昭和29年)の三岐鉄道を最後に、約20社程度に留まった。直流饋電は多くの地上設備が必要でありコスト高となるため、電化が遅れていた東北、北陸、九州、北海道の電化を今後進めることも見越して、1954年から東北の仙山線から交流饋電による試験が始められ、1957年には仙台 - 作並間 (50 Hz) と、田村 - 敦賀間 (60 Hz) での営業運転がはじまった[1]。
国鉄でも前述の石炭事情の悪化、および輸送力増強が叫ばれたことから、1950年代以降、逆に多くの路線が電化されていった。東海道本線については、1956年(昭和31年)11月19日、米原 - 京都間を最後に、支線を除く全線の電化が完了した。これを記念し、1964年(昭和39年)に鉄道電化協会がこの日を「鉄道電化の日」に制定した(→日本の鉄道史・1956年11月19日国鉄ダイヤ改正も参照)。
また、1955年(昭和30年)から商用周波数による交流電化の試験が開始され、1957年(昭和32年)に北陸本線で実用化された。戦後の電化は東海道本線を皮切りに、山陰地方を除く本州と九州で進められて行くが、一方で北海道と四国の電化区間は短区間に留まった。特に四国では国鉄分割民営化直前に本四備讃線開業に合わせて香川県内の一部区間で実施されたに過ぎない。分割民営化後も引き続き電化区間の延長が実施されているが、内燃動車の性能改良により必ずしも電化の必要はなくなっている。2018年現在ではJRの在来線のうち、東北、北陸、九州、北海道(一部の路線をのぞく[14])では交流2万V饋電が、その他のJR在来線では直流1500V饋電が行われており、新幹線はすべて交流2万5千Vである[1]。
旅客線の電化
輸送量の多い都市圏では電化の進捗率が高く、都府県単位では既に全ての旅客線が電化された地域もある。しかし、電化工事には変電所の増設や架線設備の設置をはじめ、歴史が古く建築限界が小さい区間ではトンネル改修を要するなど多額の費用がかかる。そのため国鉄では、大都市近郊や都市間路線でも非電化の路線が長らくそのままにされていた。特に並走する私鉄がある区間では近距離輸送でも積極的な競争を行わないため、比較すると旧態依然としていたほか、電化した路線でも特急列車以外は内燃動車を継続して用いる例が見られるなど、消極的な経営が批判されることもあった。もっとも、民営化と前後して大都市近郊の路線の電化も少し行われた。
一方、閑散路線でも急勾配路線は高速化のため電化することがあった。しかし財政難などから北海道・四国の主要幹線や宗谷本線・高山本線などでは国鉄時代に工事が中止された (宗谷本線は、旭川運転所移転に伴う回送電車走行の目的で、2003年(平成15年)3月に一部区間のみ電化された)。その後気動車の性能が電車並に向上し、電化するよりも新製気動車を購入するほうが低廉となったため、これらの路線では非電化のまま路線の高速化工事を実施し、出力を強化した気動車を投入して近代化を進めている。また、沿線の地方自治体が費用を負担した一部の路線で、簡易方式による電化が行われた[15]。
旅客線が完全電化
奈良県 - 1984年、関西本線・和歌山線を最後に全線電化。2006年の急行「かすが」廃止で定期気動車列車も消滅。ただし、主に天理教の祭事が行われる時は、気動車による団体臨時列車が多数運行される。
大阪府 - 1989年、片町線を最後に全線電化。ただし1973年に関西本線の大阪府内区間が電化されたことで、片町線長尾駅から京都府境までの区間を除いて全線電化されていた。なお、非電化区間へ直通する特急列車(「はまかぜ」・「スーパーはくと」・「(ワイドビュー)ひだ」)があるため、府内を走行する気動車列車は存在する。
神奈川県 - 1991年、相模線を最後に全線電化。
東京都 - 1996年、八高線を最後に全線電化。
沖縄県 - 唯一の鉄道である沖縄都市モノレール線は2003年の開通当初から電化。
旅客線がほぼ電化
和歌山県 - 紀勢本線の東海旅客鉄道の区間のうち新宮駅から三重県との県境に当たる熊野川橋梁までの区間と紀州鉄道線を除いた残りの線・区間は電化。
静岡県 - JRの旅客鉄道路線は全線電化。非電化路線は天竜浜名湖鉄道線と大井川鐵道井川線(アプト区間のアプトいちしろ駅 - 長島ダム駅間を除く)のみ。
滋賀県 - JRの旅客鉄道路線は全線電化。非電化路線は信楽高原鐵道信楽線のみ。一時期、全線電化の近江鉄道がレールバスを使用したことがあったが、電車運転に戻された。
石川県 - JRの旅客鉄道路線は全線電化。非電化路線はのと鉄道七尾線のみ。
愛知県 - 2015年3月1日の武豊線電化以降、JRの旅客鉄道路線は全線電化。非電化路線は東海交通事業城北線のみ、軌道路線を含めても名古屋ガイドウェイバス志段味線(ゆとりーとライン)の2路線のみ。[16]
福井県 - 非電化路線は越美北線のみ。
埼玉県 - 非電化路線は八高線の高麗川駅以北の区間のみで、私鉄、その他JR線は電化。
群馬県 - 非電化路線は八高線の倉賀野駅以南の区間、わたらせ渓谷鐵道のみで、その他私鉄、その他JR線は電化。
山梨県 - 非電化路線は小海線のみ。
旅客線がほぼ非電化
島根県 - 電化路線は山陰本線の西出雲駅(後藤総合車両所出雲支所)以東の区間、一畑電車のみで、その他JR線は非電化。
鳥取県 - 電化路線は伯備線、山陰本線の伯耆大山駅以西の区間、境線の米子駅 - 後藤駅[17]間のみで、私鉄、その他JR線は非電化。日ノ丸自動車法勝寺電鉄線が廃線になった1967年から伯備線電化の1982年の間は、電化路線が存在しなかった。なお、鳥取市内の路線が電化されていないため、鳥取市は徳島市と並んで電車が自走しない県庁所在地である。
高知県 - JRの旅客鉄道路線は全線非電化。電化路線はとさでん交通のみ。現存する電化線は軌道法準拠の路線(=路面電車)のみであるが、過去には地方鉄道法準拠の電化路線である土佐電気鉄道安芸線が存在した。
参考
宮崎県 - 幹線級の日豊本線と日南線・宮崎空港線の南宮崎駅 - 宮崎空港駅間の電化が完了しているが、1974年の日豊本線南宮崎電化まで電化路線が一切存在しなかった。沖縄県には戦前に電車が存在し、徳島県に未だ電化路線がないため、電車が走ったのは全国で46番目と最も遅かった。なお、かつて存在した宮崎交通線では旅客列車では珍しい蓄電池機関車・電車を使用しており、電化以前に蓄電池式の旅客列車を走らせた点は特筆される。
旅客線が非電化
徳島県 - 索道以外の鉄道線には電化区間がなく、全国で唯一電車が自走しない。なお、過去にも一切電化された路線が存在しないため[18]、歴史的にみても電車が自走したことのない唯一の県である。
電化・非電化区間が混在する路線
旅客需要の差から、一部区間のみが電化された路線もある。このほとんどは運転系統が分断されるため、別路線のようになっている(交流・直流のデッドセクションを挟む場合も同様)が、大井川鐵道井川線のように一部の急勾配区間用に電化している場合は電化区間で補機がつくのみで非電化用の車両で全線を走破する運行をしているケースもある。
電化・非電化が混在する路線の中には、可部線のように広島市近郊の電化区間を残して非電化区間のみが廃止された例もある。江差線も海峡線と一体化している電化区間を残して非電化区間のみが廃止された。
以下に電化区間を記す。太字になっている駅は電化・非電化の境界となっているものである。なお、入出庫用に電化された区間は除く。
- JR
函館本線 函館 - 七飯 - 新函館北斗、小樽 - 旭川。後者の電化区間は千歳線・札沼線と一体化。前者の電化区間のうち函館 - 五稜郭間はかつては江差線・海峡線と一体化していた。
札沼線 桑園 - 北海道医療大学。電化区間は函館本線と一体化。ただし、北海道医療大学止まりの列車以外は石狩当別で運転系統が分断。
室蘭本線 室蘭 - 東室蘭 - 沼ノ端。電化区間は千歳線と一体化。
津軽線 青森 - 中小国。運行系統は蟹田で分断。電化区間はかつては海峡線と一体化していた。
磐越西線 郡山 - 喜多方。
八高線 八王子 - 高麗川。電化区間は川越線西部と一体化。
大糸線 松本 - 南小谷。電化区間は中央本線・篠ノ井線と一体化。南小谷でJR東日本とJR西日本に分断。
関西本線 名古屋 - 亀山、加茂 - JR難波。亀山でJR東海とJR西日本に分断。後者の電化区間は大阪環状線と一体化。
紀勢本線 新宮 - 和歌山市。電化区間は阪和線と一体化。新宮でJR東海とJR西日本に分断。
山陰本線 京都 - 城崎温泉、伯耆大山 - 西出雲。後者の電化区間は伯備線と一体化。
播但線 姫路 - 寺前。
福塩線 福山 - 府中。
予讃線 高松 - 伊予市。電化区間は本四備讃線と一体化。
土讃線 多度津 - 琴平。電化区間は予讃線・本四備讃線と一体化。
筑豊本線 折尾 - 桂川。電化区間は鹿児島本線・篠栗線と一体化し、これらの路線を通して福北ゆたか線という愛称を持つ。
豊肥本線 熊本 - 肥後大津。電化区間は鹿児島本線と一体化。
長崎本線 鳥栖 - 喜々津 - 市布 - 浦上 - 長崎。旧線区間(喜々津 - 長与 - 浦上)は非電化。
大村線 早岐 - ハウステンボス。電化区間は佐世保線と一体化。
筑肥線 姪浜 - 唐津。電化区間は福岡市地下鉄空港線・唐津線と一体化。電化時の路線変更により分断、唐津 - 山本は唐津線に。
唐津線 唐津 - 西唐津。電化区間は筑肥線と一体化。
日南線 南宮崎 - 田吉。電化区間は日豊本線・宮崎空港線と一体化。
- 私鉄・第三セクター
会津鉄道会津線 会津田島 - 会津高原尾瀬口。電化区間は東武日光線、鬼怒川線・野岩鉄道会津鬼怒川線と一体化。
大井川鐵道井川線 アプトいちしろ - 長島ダム。電化区間はアプト式による運転。
京都丹後鉄道宮豊線 宮津 - 天橋立。電化区間は山陰本線・宮福線と一体化。
のと鉄道七尾線 七尾 - 和倉温泉。共用しているJR西日本のみ電化設備を使用。
電化路線のディーゼル化
電化は初期投資を要するが、輸送量の大きい路線では輸送単位あたりの維持費用は一般に低い。このため、一度電化が行われた路線の電化設備が撤去されることはまれである。
しかしながら内燃動力が一般的でなかった時代には、急勾配と長大トンネルにおける蒸気機関車の煤煙問題を解決するために行われた電化の場合、ディーゼル機関車と強力な換気装置が登場することで電化が必ずしも経済的に有利でないケースが生じてくる。アメリカのグレート・ノーザン鉄道(現・BNSF鉄道)が建設したカスケード山脈越えの路線(カスケードトンネル)は蒸気機関車時代に電化されていたが、このような理由からディーゼル化が行われている。
このほかにインターアーバンが貨物鉄道に転換された際、電車による頻発運転の旅客列車の消滅により電化が不要になり、電化設備が撤去された事例も多い。
日本での事例
日本での類似事例としては、以下の路線で経費節減のために電車・電気機関車を気動車に置き換えた事例がある。
電化施設を撤去・使用中止した路線
下記の路線は電化施設を撤去または使用中止し、電車・電気機関車の運行を中止した路線である。なお、こういった事例の路線のほとんどはもともと不採算路線だったため路線の大半が廃線されている。
- ★印は2014年8月現在で現存している路線。
池田鉄道 - 1936年に気動車・ディーゼル機関車を新規に導入し内燃化。1938年6月6日廃止。
小坂製錬小坂線 - 1962年10月1日から改軌と同時に内燃化。2009年4月1日廃止。
玉野市営電気鉄道 - 1964年12月24日に気動車を譲り受け内燃化。1972年4月1日廃止。
羽後交通雄勝線 - 1971年7月26日、同社横荘線の廃止で捻出された気動車で内燃化。1973年4月1日廃止。- ★福塩線(府中 - 下川辺) - 1962年4月1日から。
名鉄八百津線 - 1984年9月23日から気動車を新規に導入し内燃化。2001年10月1日廃止。
名鉄三河線- (猿投 - 西中金) - 1985年3月14日から。2004年4月1日廃止。
- (碧南 - 吉良吉田) - 1990年7月1日から。2004年4月1日廃止。
くりはら田園鉄道 - 1995年4月1日から第3セクター化と同時に気動車を新規に導入し内燃化。2007年4月1日廃止。
電化施設を存置しているが、経費節減の目的で気動車列車を運行する路線
下記の路線は電化施設を存置しているが、経費節減の目的で気動車列車を運行する(または過去に運行していた)路線である。普通列車のみ全列車気動車で運行する路線については後述する。
東京横浜電鉄(現・東急東横線) - 変電所の増設費用を抑える目的で1936年からの一時期、キハ1形気動車を8両導入、従来からあった電車とともに運用されていたが、のちの日中戦争などに伴う燃料統制によって運用は短期間に留まった。
近江鉄道本線(八日市 - 貴生川) - 1986年にLE10形気動車を導入し、大半の電車列車を置き換えたが、1日1往復は電車列車が設定されていた。1996年に気動車使用中止、全面電車化。
富山港線 - JR時代末期の2001年から2006年まで日中の列車をキハ120形気動車で運行。富山ライトレールへの移行で廃止。
名鉄広見線(新可児 - 御嵩) - 1984年より八百津線が電化施設を廃止して気動車化された際に、同線を走るキハ10形気動車の出入庫と給油のため新可児 - 明智間の一部列車は同形式で運行とされた。翌1985年には明智 - 御嵩間の一部列車も気動車で運行されるようになった。2001年の八百津線廃止によって全面電車化。
普通列車を気動車で運行する路線
下記の路線は電化設備を有し、特急列車・貨物列車は電車・電気機関車牽引で運行するが、普通列車は全列車気動車で運行する(または過去に運行していた)路線である。大半が交流電化路線で、交流電車自体が最低でも2両は必要であるため、1両でも運転できるようにあえて気動車を導入しているところがある。
湖西線(近江今津 - 近江塩津) - 1974年7月20日の開業時より全線電化されているが、この区間には交流・直流デッドセクションが存在したため優等列車は電車または電気機関車牽引、貨物列車は電気機関車牽引で運行され、普通列車のみ電車化されず気動車が使用された。1991年9月14日の北陸本線米原 - 長浜の直流化と同時に湖西線の普通列車も交直流電車に移行。さらに2006年10月21日よりこの区間は直流化され、直流電車に移行。
道南いさりび鉄道線 - 1988年3月13日の海峡線開業と同時に電化され、電気機関車牽引の客車列車である快速「海峡」が走っていたが、2002年12月1日に特急「スーパー白鳥・白鳥」へ格上げされて廃止となった。それ以降は優等列車が電車または電気機関車牽引、貨物列車は電気機関車牽引で運行され、普通列車は電車化されず気動車で運行されている。2016年3月26日の道南いさりび鉄道への転換以降は優等列車の運行はなくなったが、貨物列車および臨時列車直通のために電化設備は残されている。この区間にデッドセクションは存在しないがき電区分セクションがあり電圧が変化する。- 津軽線(蟹田 - 新中小国信号場) - 江差線(現・道南いさりび鉄道線)電化と同時に電化されたが、新中小国信号場は駅ではなく途中の中小国駅は海峡線の全列車が通過するため、普通列車は蟹田駅以北は気動車でのみ運行されている。
田沢湖線 - 1982年11月15日に電化されたが、特急「たざわ」のみが485系電車で運行され、普通列車は電車化されず引き続き気動車が使用された。1997年3月22日、秋田新幹線運行に伴う改軌で全列車が701系電車に移行。
仙石線(高城町 - 石巻) - 東日本大震災による電化設備損壊のため、暫定的に陸前小野駅 - 石巻駅間をキハ110系気動車で運行していた。2015年5月30日に全線復旧し、同日から電車による運行が復活するとともに仙石東北ライン経由のHB-E210系気動車が乗り入れを開始した。
七尾線(七尾 - 和倉温泉) - 1991年の電化時から。特急列車はJR西日本の電車で運行され金沢・大阪方面からそのまま和倉温泉駅まで直通するが、普通列車は七尾駅で運行系統が分断されており、当該区間はのと鉄道の気動車で運行されている。
羽越本線(村上 - 酒田) - 1993年から全列車が気動車化された。それ以前は電気機関車牽引の客車列車も運行されていた。この区間には交流・直流デッドセクションが存在する[19][20]。
肥薩おれんじ鉄道線 - 2004年3月13日の肥薩おれんじ鉄道への転換時から。貨物列車および臨時列車直通のために電化設備は残されている[20]。
日豊本線(佐伯 - 延岡) - 2009年10月1日から2018年3月16日まで。翌3月17日より電車による運転に移行。
室蘭本線(苫小牧 - 東室蘭) - 2012年10月27日から。
鹿島線(鹿島神宮 - 鹿島サッカースタジアム) - 鹿島サッカースタジアム駅は臨時駅であり、通常は旅客列車がすべて通過することから非電化の鹿島臨海鉄道大洗鹿島線から気動車を鹿島神宮駅まで直通させている。
京都丹後鉄道宮福線 - 1996年にJR西日本から宮津線の天橋立駅まで電車による特急列車を直通させるため全線が電化されたが、京都丹後鉄道(2015年3月までは北近畿タンゴ鉄道)が電車を所有していないことから線内のみの普通列車は気動車で運行されている。ただしJRの電車(113系・115系)による普通列車が下り2本・上り1本と快速大江山2号が存在する。
えちごトキめき鉄道日本海ひすいライン・あいの風とやま鉄道線(直江津 - 泊) - 2015年3月14日の転換時から。区間内のみの列車は気動車で運行されている。貨物列車およびJR東日本・あいの風とやま鉄道からの定期、臨時列車直通のために電化設備は残されている。この路線には交流・直流デッドセクションが存在する[20]。
野岩鉄道会津鬼怒川線・会津鉄道会津線(上三依塩原温泉口 - 会津田島) - 2015年9月10日に発生した大雨等の影響で、2015年9月19日に運転再開されたが、東京電力の送電鉄塔傾斜による停電のため、暫定的に会津鉄道から気動車が乗り入れていた[21]。同年12月11日より全線で電車運転が復活した。
脚注
- ^ abcdef宮本昌幸著、『鉄道の科学』、講談社、2006年6月20日初版第1刷発行、ISBN 4062575205
^ 直流饋電では3000V程度が上限である。
^ 直流150Vの電気機関車が18人乗りの客車を12km/hで牽引した。
^ (英語)アメリカのバージニア州リンチバーグ発、ニューヨーク行のアームトラック列車。途中のワシントンDCにある駅でディーゼル機関車から電気機関車に交替する https://www.youtube.com/watch?v=NW7ytBwPOxE
^ (英語)インドのムンバイから、コンカン線を利用してティルヴァナンタプラムに向かう列車。途中のマンガロール駅でディーゼルから電気機関車に交替する https://www.youtube.com/watch?v=7Pbal1QO2to
^ (英語)インドのバンガロールとデリーを結ぶ列車。途中のシカンダラーバード駅でディーゼル機関車に交替している場面 https://www.youtube.com/watch?v=oYkugeI2zFI
^ これには当時の軍部が国有鉄道を建設・運営する鉄道院・鉄道省に対し、戦時に変電所を攻撃されると運転不能になることを理由に、基本的には非電化とすることを主張していたことも影響している。
^ 東海道全線即時電化論者の内田信也は鉄道大臣時代に東海道本線の電化を目論み、東久邇宮稔彦王に陸軍を押さえるよう頼んだが、押さえることはできなかった。『喜安健次郎を語る』1959年、34-36頁
^ 例えば、後に東海道新幹線として帰結する「弾丸列車計画」でも静岡以西は非電化による蒸気機関車牽引で計画されている。
^ 『交通年鑑』昭和25年版161 - 163ページによると、昭和22年時点の石炭の質は戦争の影響がほぼない昭和11年と比較して熱量が「6450→5350(kcal/kg)」、完全燃焼前にボイラーから出て熱量の損失になる粉炭率が「37 - 38→70(%)」と悪化。そしてここまで低質になったにもかかわらず価格はインフレもあり282倍に高騰した。
^ 電化順に近江鉄道・富山地方鉄道・淡路交通・福井鉄道・栃尾鉄道・大和鉄道・弘南鉄道・三重交通・土佐電気鉄道・下津井鉄道・大井川鉄道・北陸鉄道・流山鉄道・小坂製錬小坂線・秋田中央交通・遠州鉄道・住友別子鉱山鉄道・伊予鉄道・東濃鉄道・栗原鉄道・相模鉄道・十和田鉄道・松尾鉱業鉄道・長岡鉄道。 なお、相模鉄道が大手私鉄扱いになったのは1990年からで当時は含まれない。
^ どちらも水力発電所が盛んな地域の鉄道である。
^ 『交通年鑑』昭和27年度版、交通新聞社、350・351P。 ドッジライン自体は昭和24年から開始だが上記のデータは電化工事完了日時なのでずれがある。
^ 仙石線、七尾線、筑肥線及び唐津線のそれぞれ一部区間(以上直流電化)、海峡線(交流2万5千V)
^ 播但線・加古川線・小浜線・土讃線の一部など。
^ ただし、自社では営業をおこなっていないものの、城北線はJR東海が第一種鉄道事業者として施設を保有しており、子会社の東海交通事業が運営している。また、関西本線や武豊線の貨物列車はディーゼル機関車牽引で運行されているため、大府駅構内での武豊線との貨物用連絡線や関西本線の一部の駅の中線などは、非電化のままとなっている。
^ 後藤総合車両所後藤地区までの回送と、試運転で走行するのみで、旅客列車の電車運行はない。
^ かつて阿波電気軌道という事業者が存在したが、電化は計画のみで実施されないままとなった。
^ ただし鶴岡 - 酒田の普通列車は1往復のみ701系電車での運行となっている。- ^ abc恵 知仁 (2014年11月12日). “電車を使えるのに使わない鉄道会社 その理由とは”. 乗りものニュース. メディア・ヴァーグ. 2014年11月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年2月13日閲覧。
^ 野岩鉄道の会津鬼怒川線、9月19日以降は一部気動車で全線再開 - レスポンス、2015年9月18日
関連項目
- 鉄道
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鉄道車両
電気機関車 - 電車
- 非電化
- 架空電車線方式
- 第三軌条方式
- 剛体架線
- 集電装置
- デッドセクション
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