赤道ギニア
- 赤道ギニア共和国
República de Guinea Ecuatorial(スペイン語)
République de Guinée Équatoriale(フランス語)
República da Guiné Equatorial(ポルトガル語)(国旗) (国章) - 国の標語:Unidad, Paz, Justicia
(スペイン語: 統一、平和、正義)
国歌:Caminemos Pisando la Senda de Nuestra Inmensa Felicidad
公用語
スペイン語(第一公用語)
フランス語(第二公用語)
ポルトガル語(第三公用語)
首都
マラボ最大の都市
バタ- 政府
大統領
テオドロ・オビアン・ンゲマ・ムバソゴ
首相
フランシスコ・パスクアル・オバマ・アスエ- 面積
総計
28,051km2(141位)水面積率 極僅か - 人口
総計(2008年)
676,000人(163位)
人口密度19人/km2
GDP(自国通貨表示)合計(2008年) 8兆2,957億[1]CFAフラン - GDP (MER)
合計(2008年) 185億[1]ドル(99位) - GDP (PPP)
合計(2008年) 223億[1]ドル(108位) 1人あたり 18,028[1]ドル
独立
- 日付
スペインより
1968年10月12日
通貨
CFAフラン (XAF)
時間帯
UTC (+1)(DST:なし)
ISO 3166-1GQ / GNQ
ccTLD
.gq
国際電話番号240
赤道ギニア共和国(せきどうギニアきょうわこく、República de Guinea Ecuatorial)、通称赤道ギニアは、ギニア湾に浮かぶビオコ島、アンノボン島、および大陸部のリオ・ムニ(ンドウェ語: ンビニ)とエロベイ・グランデ島及びエロベイ・チコ島を併せたエロベイ諸島から成る共和制国家。ムビニは北にカメルーン、南と東にガボンに隣接する。首都はマラボ。
高温多湿の熱帯性気候。首都であるマラボはビオコ島にある。大陸部分に海外領土でない領土を持ち、首都が島にある国は赤道ギニアとデンマークのみである(海外領土も含める場合はほかにジブラルタルを領有するイギリスがある)。ポルトガル語公用語アフリカ諸国及びフランコフォニー国際機関に加盟している。
目次
1 国名
2 歴史
3 政治
4 軍事
5 地方行政区分
5.1 主要都市
6 地理
6.1 気候
7 経済
8 国際関係
8.1 日本との関係
9 国民
9.1 民族
9.2 言語
9.3 宗教
9.4 教育
10 文化
10.1 音楽
10.2 祝祭日
11 その他
11.1 同国出身の有名人
12 参考文献
13 脚注
14 関連項目
15 外部リンク
国名
正式名称はスペイン語でRepública de Guinea Ecuatorial(レプブリカ・デ・ギネア・エクアトリアル)、フランス語でRépublique de Guinée Équatoriale(レピュブリーク・ドゥ・ギネ・エクアトリヤル)、ポルトガル語でRepública da Guiné Equatorial(レプブリカ・ダ・ギネー・エクアトリアル)。
公式の英語表記は、Republic of Equatorial Guinea(リパブリック・オヴ・エクワトーリアル・ギニー)。
日本語表記は、正式名称赤道ギニア共和国、通称赤道ギニア。赤道上に領土を持たないが、西アフリカのギニアと区別し、かつ首都マラボがあるビオコ島がギニア湾に浮かぶことから赤道に近いギニアとして名づけられた。
歴史
15世紀後半にポルトガル人がビオコ島[2]に上陸、ポルトガル領[3]とされたが、1778年にポルトガルはブラジルの領有権を認めてもらうことと引き替えに大陸部のムビニとビオコ島[4]をスペインに割譲。その後イギリスが租借した。以降奴隷貿易の中継地となった。1900年頃、ブビ族の抵抗にもかかわらず、ビオコ島・ムビニはスペイン領ギニアとなった。1958年、スペインの海外州となり、住民は本国と同等の市民権を得て、1964年には自治政府を樹立した。
国民投票によって赤道ギニア共和国として独立し、1968年10月12日、フランシスコ・マシアス・ンゲマ(以下フランシスコ)が初代大統領に就任した。ソ連圏と緊密な関係を維持。フランシスコは1970年に自身の与党労働者国民統一党以外の政党活動を禁止し、1972年には終身大統領を宣言、1973年大統領への絶対権力の集中を定めた憲法を採択、独裁体制を固めた。
1979年8月、フランシスコの甥のテオドロ・オビアン・ンゲマ(以下ンゲマ)がクーデター、フランシスコを処刑して大統領に就任、軍事政権を敷いた。1982年に民政移管などを定めた新憲法を採択したが、クーデター未遂がたびたび発生。1987年、ンゲマの一党独裁の政権党として赤道ギニア民主党(以下PDGE)結成。1989年ンゲマが3選。
民主化を要求するスペイン、フランス、米国の圧力を受け1991年11月、複数政党制を認めた新憲法が国民投票で承認されたが、大統領の免責規定などに野党勢力は反発。1993年の総選挙は野党の大半がボイコットする中、PDGEが大勝。1996年2月の大統領選も野党はボイコットし、ンゲマが得票率99%で4選。
1997年6月、政府は最大野党赤道ギニア進歩党党首のセベロ・モトヌサに武器密輸容疑をかけ、進歩党の政治活動を禁止。モトヌサはスペインに亡命。裁判所は8月、国家反逆罪でモトヌサに懲役101年の判決。
1999年3月の総選挙でPDGEが80議席中75議席を獲得。残り4議席を人民同盟、1議席を社会民主連合が獲得。11月に赤道ギニア進歩党(PPGE)など6つの反政府野党が民主化促進を掲げ、野党連合である民主野党戦線を結成。2002年12月の大統領選で野党4候補がボイコットし、ンゲマが得票率97.1%で5選。
2004年3月にイギリス陸軍特殊空挺部隊にかつて属していたサイモン・マンが首謀し、ンゲマを追放してモトヌサを大統領へ据えるクーデター計画が発覚したが、傭兵部隊と共にマンがジンバブエで逮捕されて計画は未遂に終わった(マンは赤道ギニアへ移送され、裁判で禁固34年の刑を受けたが、2008年に恩赦で釈放された)。ンゲマは旧宗主国のスペインが関与したとして、国際連合総会でスペインを激しく批判した。また、イギリス元首相マーガレット・サッチャーの息子であるマークが関与したとしてケープタウンで逮捕された(後に司法取引で釈放)。
政治
赤道ギニアは共和制・大統領制を採用する立憲国家である。
国家元首である大統領は国民による直接選挙で選出され、任期は7年と長く、また再選制限がない。大統領は強大な権力を憲法により保障されている。内閣に相当する閣僚評議会のメンバーを任命・罷免し、法令制定権、議会の解散権、軍の統帥権や条約の調印権などを持つ。
閣僚評議会は首相、数名の副首相、および閣僚で構成されるが、実際の行政権は大統領が行使し、閣僚評議会はその執行機関に過ぎない。よってその権力は極めて小さく、大統領の補佐機関であるといえる。
また、政府の一機関として国家評議会が置かれている。これは大統領が死亡、もしくは職務続行不可能な状況に陥った場合、その職務を一時的に代行することを主目的とした機関である。国家評議会議員は大統領、首相、国防相、人民代表院(後述)議長、および社会経済評議会(社会・経済問題に関する大統領の諮問機関)議長で構成される。
議会は一院制の人民代表院(スペイン語でCamara de Representantes del Pueblo)で、定数は元来80であったが、2004年より100議席に増えた。議員は任期5年で、政党名簿比例代表制度に基づき、国民の直接選挙により選出される。
主要政党には赤道ギニア民主党(PDGE)がある。PDGEは旧独裁政党で、現行憲法により複数政党制が承認されてからも、議会内で圧倒的多数を占める支配政党である。野党は存在するが、いずれもPDGEにより活動が著しく制限されており、最大野党の赤道ギニア進歩党にいたっては活動禁止状態となっている。国内で現在活動する最大野党は社会民主連合。
軍事
陸軍、海軍、航空団から成り、志願制で、総兵力1320人の国軍がある。[5]
これらとは別に、モロッコ軍から派遣された350人から成る大統領警護隊が存在している。
地方行政区分
赤道ギニアは7県に分けられている。( )内は県庁所在地。
アンノボン県 (パレ)
北ビオコ県 (マラボ)
南ビオコ県 (ルバ)
中南部県 (エヴィナヨング)
キエンテム県 (エベビイン)
リトラル県 (バタ)
ウェレンザス県 (モンゴモ)
大陸部の4県(中南部県、キエンテム県、リトラル県、ウェレンザス県)を総称してリオ・ムニと呼ぶ。
主要都市
主要な都市はマラボ(首都)、バタがある。
地理
ギニア湾のビオコ島と大陸のリオ・ムニ、そしてアンノボン島など周囲の島々からなる。
カメルーンの西56Km、リオ・ムニの北西約259Kmに位置するビオコ島は火山島で最高地点は標高3,008mのマラボ山である。70年代まではフェルナンド・ポーと呼ばれた。南部海岸はごつごつしているが、北部は標高も低く近づきやすい。マラボとルバという良港があり、その間にはいくつかの美しい浜がある。
アンノボン島も火山島でビオコ島の南西686Kmに位置する。1472年元日に発見された。海岸は急で、小さな湖がある。推定2500人の住民の多くは、伝統的なカツオ漁や鯨漁に従事している。
リオ・ムニは北をカメルーン、東と南をガボン、西をギニア湾(大西洋)に接している。標高の低い丘陵が多く、リオベニト川(ムビニ川)を除いて大陸台地である。最高地点でも隣国ガボンに続くシエラ・クリスタル山脈にあるミトラ山(1200m)。標高の低い丘陵が多いが、未開の熱帯雨林が続く。海岸はマングローブの森である。
ビオコ島の気候は赤道直下の熱帯性気候の多湿多温で、年間降水量も多い。リオ・ムニはビオコ島より気温、湿度とも低い。
赤道ギニアの総面積28,051km2のうち、ビオコ島(2,017km2)とアンノボン島(17km2)の総面積は2,034km2である。
リオ・ムニ(26,003km2)の近くにコリスコ島、エロベイ・グランデ島とエロベイ・チコ島からなるエロベイ諸島(17km2)がある。
なおコリスコ島については領有権の争いがある。その他にも領有権の争いがある島があるものと見られる。
気候
ビオコ島、リオ・ムニとも典型的な熱帯性気候で1年を通して高温多雨で曇りがちである。標高と海からの距離により少し異なる。リオ・ムニの雨季は2月から6月と9月から12月で、内陸より海岸部で雨が多い。バタでの年間雨量は2,400mm、カラトラバでは4,000mmに達することがある。内陸のミコメセングでは1,300mmである。ビオコ島より気温は低く、湿度が大きい。
ビオコ島の乾季は11月から3月である。年間平均気温は25度、気温変化は少ない。1日では午後30度になり、夜21度まで下がる。空は1日中どんよりしている。南部でとくに雨が多く、サン・アントニア・デ・ウレカではモンスーンにより年間11,000mmの雨がもたらされることがある。
経済
伝統的にカカオとコーヒーのプランテーションの国だったが、1992年のビオコ島沖原油生産以来、主産業は農林水産業から鉱工業生産に依存するようになり、2017年には石油輸出国機構(OPEC)に加盟した。
油田の創業以来経済成長が著しく、CIAワールドファクトブックによれば、2016年の1人当りGDP(PPP)が推計で38,600USドルに達し[6]、アフリカ大陸では最も高く、先進国並の水準となっている。しかし、2008年の世界平和度指数に基づくジニ係数は65%となっており、所得格差は世界最低水準となっている。
国際関係
日本との関係
- 在留日本人数 - 6人(2017年7月現在:外務省)[7]
- 在日赤道ギニア人数 - 1人(2016年12月現在:法務省)[8]
国民
民族
住民は、ほとんどがバントゥー系で、一番多いのは大陸リオ・ムニのファン人で80%。
バントゥー系のブビ人は15%で二番目に多く、ビオコ島に住む。ビオコ島の住民のほとんどはブビ人だが、他に、少数だがフェルナンディノと呼ばれるクレオール(ムラート)やヨーロッパ人もいる。
バントゥー系には、ンドウェ族/コンベ族、ブジェバ族、バレング族、ベンガ族、ベティ族がいる。イボ系には、アロ人がいる。
言語
長くスペインの植民地であった為、言語はアフリカ大陸で唯一スペイン語を公用語としている。また第二公用語としてフランス語も導入している[9]。現地語であるファン語やブビ語は主要言語である。また、ポルトガル語諸国共同体にもオブザーバーとして参加し、ポルトガル語も第三公用語としている。
スペイン語話者が447,000人、ポルトガル語話者が523,040人というデータがあり、国民の大部分がスペイン語とポルトガル語を同時に話しているという計算になるが、実際にはスペイン語とポルトガル語、さらには現地語の影響を受けたクレオール言語(文法、語彙などの面でスペイン語寄り)を話している。
現地語には、ンドウェ語/コンベ語、ブジェバ語、バレング語、ベンガ語、バセケ語、ベティ語がある。
宗教
宗教は、大部分がキリスト教でローマ・カトリックが最も多い。
教育
2000年の推計によれば、15歳以上の国民の識字率は87%(男性:93.4% 女性:80.5%)である
[6]。
赤道ギニアには大学が一つある。赤道ギニア国立大学(UNGE)がそれであり、マラボにキャンパスが、バタに医学部が存在する。バタの医学部はキューバの主要な援助を受けており、同国政府はセンターの教授、医師を提供している[要出典]。スペインの国立遠隔教育大学もマラボとバタに支部を置いている。
文化
音楽
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ポピュラー音楽においては、スペインで活躍したビオコ島出身のブビ系の女性デュオイハス・デル・ソルが特筆される。
祝祭日
日付 | 日本語表記 | スペイン語表記 | 備考 |
---|---|---|---|
1月1日 | 元日 | Año Nuevo | |
5月1日 | メーデー | Día del Trabajo | |
6月5日 | 共和国大統領の誕生日 | Natalicio del Presidente de la República | |
8月3日 | 解放クーデターの日 | Día del Golpe de Libertad | |
8月15日 | 憲法記念日 | Día de la Constitución | |
10月12日 | 独立記念日 | Día de la Independencia | |
12月8日 | 無原罪の聖母の祭日 | Festividad de la Inmaculada Concepción | |
12月10日 | 人権の日 | Día de los Derechos Humanos | |
12月25日 | クリスマス | Navidad |
その他
同国出身の有名人
マーティン・プエ - 政治活動家
ミゲル・アビア・ビテオ・ボリコ - 政治家
エリック・ムサンバニ - 水泳選手
リカルド・マンゲ・オバマ・ンフベア - 政治家
ハビエル・バルボア - サッカー選手
パウラ・バリーラ・ボローパ - 水泳選手
参考文献
この節の加筆が望まれています。 |
脚注
- ^ abcdIMF Data and Statistics 2009年7月19日閲覧([1])
^ 先住民のブビ族が住んでいた。
^ ポルトガル人フェルナン・ド・ポーが渡来
^ 旧フェルナン・ド・ポー島、フェルナン・ド・ポーの名をとって島名とした。
^ “赤道ギニア基礎データ”. 外務省. 2015年1月22日閲覧。- ^ abCIA World Factbook2009年12月14日閲覧。
^ 外務省 赤道ギニア基礎データ
^ 外務省 赤道ギニア基礎データ
^ 赤道ギニア基礎データ 外務省
関連項目
- 赤道ギニア関係記事の一覧
- 赤道ギニアの都市の一覧
- 2004 Equatorial Guinea coup d'état attempt
外部リンク
- 政府
赤道ギニア共和国政府 (スペイン語)(英語)
- 日本政府
日本外務省 - 赤道ギニア (日本語)
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