フランツ・フリーデル
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フランツ・フリーデル | |
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出生名 | 本名:相場フランツ |
別名 | 津川晃 |
生誕 | 1943年 |
出身地 | ドイツ |
死没 | 2006年6月8日 |
ジャンル | ロカビリー ポップス |
職業 | 歌手 |
担当楽器 | 歌 |
活動期間 | 1960年 - 2006年 |
共同作業者 | ブルー・コメッツ ブルー・ファイア |
フランツ・フリーデル(本名:相場フランツ (あいば フランツ)、1943年 - 2006年6月8日[1])は、日本の歌手。ドイツ出身。
目次
1 来歴
2 ディスコグラフィー
2.1 シングル
2.2 アルバム
3 映画出演
4 舞台
5 脚注
来歴
ドイツ人の父と日本人の母の間に生まれる。1958年にドイツから来日し、1960年、ロカビリー歌手として本格的にデビュー。1961年に、ポール・アンカのカバー曲「電話でキッス」がヒット。ロカビリーブームのなか、その歌唱力と端正なマスクで人気を博した。
ジャッキー吉川とブルー・コメッツの兄弟バンドであった「ブルー・ファイア」のリーダーとしても活動、ブルー・コメッツとはレコードなどで共演歴がある。
楽曲には、「フランツ・フリーデルとブルー・ファイア」「津川晃」名義でリリースされたものもある。
晩年は糖尿病等幾つかの持病と闘いながら、銀座を拠点に最後まで歌手活動を行った。2006年6月8日、東京都内の病院で死去[1]。
ディスコグラフィー
シングル
- 特記なき楽曲はフランツ・フリーデル名義
- 『愛の子守歌』 (Luiiaby of Love) (1961年、SEB-32:キングレコード)
- 『電話でキッス』 (1962年、SEB-36:キングレコード) 作詞:レナード・ウィトカップ/作曲:アール・ウィルソン
- c/w『シンデレラ』
- 『嵐を呼ぶ恋』 (EB-7046:キングレコード)
- 『さらばふるさと』 (EB-7051:キングレコード) ドイツ民謡/訳詞
- 『ラ・パロマ・ツイスト』 (EB-7109:キングレコード) 編曲:宮川泰
- 『青春に恋しよう』 (1965年)
- 『ドゥ・ユー・ノウ』(1966年、LL-10003-JC:CBSコロムビア) 作詞:湯川れい子/作曲:小田啓義
- c/w『マリナによせて』 作詞:Hooser Herbert M/作曲:小田啓義
- 『夕陽のはてに』(1967年9月10日、CBSコロムビア) 作詞:橋本淳/作曲:すぎやまこういち (フランツ・フリーデルとブルー・ファイア名義)
- c/w『恋はやさしい』 作詞:橋本淳/作曲:野島美樹[2]
- 『心がさむい』 (1969年7月、エキスプレス) (津川晃名義)
- c/w『しあわせの涙』
- 『五月のバラ』 (1970年4月、EP-1213:エキスプレス) 作詞:なかにし礼/作曲・編曲:川口真 (津川晃名義)
- c/w『愛の嵐』作詞:なかにし礼/作曲・編曲:川口真
- 『ドゥ・ユー・ノウ』 (1973年、Fairy Records) - 再録音、作詞:湯川れい子/作曲:小田啓義
- c/w『SEVEN NIGHTS』 (マリナによせて) 作曲:小田啓義
- 『絆』 (1980年、FN-0001:FNRTレコード) 作詞・作曲:さとう・のと
- 『別れたあとで』
- 『たまらなく淋しい』
- 『黄昏のビギン』 (2005年、CRCN-944:日本クラウン) 作詞:永六輔/作曲:中村八大
- c/w『黒い花びら』作詞:永六輔/作曲:中村八大
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アルバム
- 『フランツ・フリーデル/ポピュラーを唄う』 (DR-1502:大映レコード)
- 『別離 フランツ・フリーデル』 (1974年頃、E4137)
映画出演
自動車泥棒(1964年、監督:和田嘉訓 東宝 アントニオ役)
若い野ばら(1965年、監督:宮崎守 松竹 栗林役)
舞台
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脚注
- ^ ab“F・フリーデル氏死去 歌手”. 47NEWS. 共同通信. (2006年6月9日). オリジナルの2014年3月2日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20140302033451/http://www.47news.jp/CN/200606/CN2006060901003198.html
^ 「ブルー・ファイア」ギター担当