ブルガリア
- ブルガリア共和国
- Република България
(国旗) (国章) - 国の標語:Съединението прави силата
(ブルガリア語: 団結は力なり)
国歌:愛しき祖国
公用語
ブルガリア語
首都
ソフィア最大の都市 ソフィア - 政府
大統領
ルメン・ラデフ
首相
ボイコ・ボリソフ- 面積
総計
110,993.6km2(102位)水面積率 0.3% - 人口
総計(2016年)
7,101,859人(100位)
人口密度65人/km2
GDP(自国通貨表示)合計(2018年) 1,812億[1]レフ - GDP (MER)
合計(2018年) 691億[1]ドル(71位) - GDP (PPP)
合計(2018年) 1,700億[1]ドル(65位) 1人あたり 22,831[1]ドル
建国
- 大ブルガリア (中世)の形成
- 第一次ブルガリア帝国の成立
- 第二次ブルガリア帝国の成立
- 大ブルガリア公国の成立
- オスマン帝国より独立宣言
- 現・ブルガリア(現在の憲法上として)の成立
- 欧州連合への加盟
632–668
681–1018
1185–1396
1878年3月3日
1908年10月5日
1991年7月13日
2007年1月1日
通貨
レフ (BGL)
時間帯
UTC +2(DST:+3)
ISO 3166-1BG / BGR
ccTLD
.bg
国際電話番号359
ブルガリア共和国(ブルガリアきょうわこく)、通称ブルガリアは、ヨーロッパの共和制国家である。 バルカン半島に位置し、北にルーマニア、西にセルビア、マケドニア共和国、南にギリシャ、トルコと隣接し、東は黒海に面している。首都はソフィア。
目次
1 国名
2 歴史
3 政治
4 軍事
5 地方行政区分
6 地理
7 経済
8 国民
8.1 言語
8.2 宗教
9 文化
9.1 習慣
9.2 婚姻
9.2.1 独身・未育児者への課税
9.3 食文化
9.4 文学
9.5 音楽
9.6 世界遺産
9.7 祝祭日
10 参考文献
11 脚注
12 関連項目
13 外部リンク
国名
正式名称はブルガリア語で Република България 。ラテン文字転写: Republika Bulgarija。通称 България ([bɐɫˈɡarijɐ])
公式の英語表記は Republic of Bulgaria。通称 Bulgaria [bʌlˈɡɛəriə] ( 音声ファイル)。
日本語の表記はブルガリア共和国。通称ブルガリア。漢字表記は勃牙利で、勃と略される。
歴史
トラキアで紀元前4000年頃のものと思われる黄金製品の遺物を多数持つ遺跡群が確認されており、考古学者の間で新しい「文明」なのではないかと論じられている。
7世紀までは東ローマ帝国領。5世紀以降、スラヴ人が侵入し、次いでテュルク系の遊牧民族ブルガール人が侵攻して征服。スラヴ人を支配下に置き、680年頃東ローマ帝国に支配を認めさせて、ブルガリア(ブルガール人の国)を建国した(第一次ブルガリア帝国)。ブルガール人はスラヴ人より人数が圧倒的に少なかったために10世紀までにスラヴ人と混血・同化し、現在のブルガリア人が形作られた。
第一次ブルガリア帝国は、11世紀に東ローマ帝国に滅ぼされ、再び東ローマ帝国領となるが、12世紀末に再び独立した(第二次ブルガリア帝国)。
しかし、第二次ブルガリア帝国は1242年のモンゴル人の侵攻によって打撃を受けて衰退し、1393年にオスマン帝国に滅ぼされた。以後、485年間もの長きにわたるオスマン帝国の支配下に置かれた。この結果、現在に至るブルガリアの言語、風俗等に多大な影響を及ぼしている。
1878年、露土戦争に敗北したオスマン帝国がサン・ステファノ条約を受け入れたため、ブルガリアは自治公国(大ブルガリア公国)として独立した。しかしながら、ブルガリア公国が事実上ロシアの保護国であったことと、領土がエーゲ海まで伸張したことがロシアの南下政策を容易にさせることに対し、イギリスやオーストリア=ハンガリーなどが懸念を抱いた。そのため、両国らはベルリン条約でブルガリアの領土を縮小してロシアの南下政策を牽制し、ロシアの政治的影響を弱めさせた。しかし、ブルガリアは1885年にオスマン帝国領として残っていた東ルメリ自治州を併合して領土を拡大することに成功した。
1908年、オスマン帝国で青年トルコ人革命が勃発したことに乗じて、ブルガリアは独立を宣言した。その後、1909年に国際的に完全な独立を承認され、ブルガリア王国が成立した。ブルガリアの君主として当初はバッテンベルク家、後にはザクセン=コーブルク=ゴータ家とドイツ諸侯が迎えられた。
1912年、ギリシャ、セルビア、モンテネグロとバルカン同盟を結びトルコとバルカン戦争(第一次)を戦う。1913年、第一次バルカン戦争の戦後処理を巡り、セルビア、ギリシャと対立。第二次バルカン戦争を行い敗北する。第二次バルカン戦争では、ルーマニア、モンテネグロ、トルコもブルガリアと対立。孤立無援であった。ブカレスト講和会議。
1915年、第一次世界大戦では中央同盟国側に参戦した。ブルガリアの賠償問題はヤング案でも途上であった。
1941年、ナチス・ドイツと軍事同盟を締結する。しかしホロコーストには抵抗して本国からの移送を阻止し、枢軸国勢力下では戦中期にユダヤ人の人口を増加させた唯一の国でもあった。
1944年にはソ連の侵攻を受け、王政が廃止され共和制が成立し、ソ連の衛星国家となる(ブルガリア人民共和国)。
1989年に共産党政権が崩壊し、2001年には元国王のシメオン・サクスコブルクゴツキが首相に就任した。
2007年1月1日に欧州連合 (EU) に加盟した。加盟に際しては、改革が不十分であるとして、欧州理事会によって再審査されたが、加盟後も改革を続行するとして承認された。しかし、加盟時にはEU最貧国であり、加盟後には若年労働者や知識層が高収入を求めて西欧へ流出することが危惧され、ブルガリアの国力低下と共に、低賃金労働力が流入する西欧諸国との軋轢が拡大することが懸念される。
政治
ブルガリアの政体は共和制であり、国家元首は大統領である。大統領は一期5年の任期で、国民の直接投票によって選ばれ、二期まで再選可能である。大統領は国家元首であるとともに、軍の最高司令官、国家安全諮問会議の議長も兼ねる。大統領は法案の更なる審議の為に議会で可決された法案でも差し戻して再審議させることができるが、議会は多数の賛成により大統領の法案拒否を覆すことができる。
国民議会 (Народно събрание, Narodno Sabranie) は一院制の立法府で、任期4年の240名の議員から成る。投票は、政党と国内28州それぞれに割り当てられた候補者のリストから投票される。政党が議席を獲得するためには最小で4%の得票率を得る必要がある。議会は法律の制定、首相および他の大臣の選出、予算、軍隊の配備、国際条約の批准の承認などを行う。
軍事
ブルガリア軍はブルガリア陸軍、ブルガリア空軍、ブルガリア海軍の三軍からなる。
地方行政区分
現行の州制度は1999年に導入されたものである。ブルガリアは全部で28個の州に分けられている。ソフィアはソフィア州とは異なる独自の州である。ソフィア州の州都はソフィアに置かれているが、ソフィア州はソフィアを含まない。
それぞれの州の下には基礎自治体(オプシュティナ)が置かれている。これが事実上の最小の行政単位であり、日本でいうところの市町村に相当する。それぞれの基礎自治体には選挙で選ばれた市長と市議会が設置されている。ソフィアは州全体が一つの基礎自治体である首都自治体(ストリチナ・オプシュティナ)となっている。それ以外の州には複数の基礎自治体が属している。
それぞれの基礎自治体の下には、町や村とよばれる集落がある。これらは独自の議会や行政府を持たない自然村である。ただし、首都自治体と人口の多い町にはその下に区を設置することになっている[2]。これによって、人口30万人以上の町はその下位に区が置かれるものとされ、ソフィア(首都自治体)の他にヴァルナとプロヴディフは区に分けられている。区には選挙で選ばれた区長と区議会が設置される。
ヴァルナ州 | ヴァルナ |
ヴィディン州 | ヴィディン |
ヴェリコ・タルノヴォ州 | ヴェリコ・タルノヴォ |
ゴルナ・オリャホヴィツァ | |
スヴィシュトフ | |
ヴラツァ州 | ヴラツァ |
ガブロヴォ州 | ガブロヴォ |
キュステンディル州 | キュステンディル |
ドゥプニツァ | |
クルジャリ州 | クルジャリ |
シュメン州 | シュメン |
シリストラ州 | シリストラ |
スタラ・ザゴラ州 | スタラ・ザゴラ |
カザンラク | |
スモリャン州 | スモリャン |
スリヴェン州 | スリヴェン |
ソフィア市 | ソフィア |
ソフィア州 | サモコフ |
ボテヴグラト | |
トゥルゴヴィシテ州 | トゥルゴヴィシテ |
ドブリチ州 | ドブリチ |
パザルジク州 | パザルジク |
ハスコヴォ州 | ハスコヴォ |
ディミトロヴグラト | |
ブラゴエヴグラト州 | ブラゴエヴグラト |
ゴツェ・デルチェフ | |
ブルガス州 | ブルガス |
プレヴェン州 | プレヴェン |
プロヴディフ州 | アセノヴグラト |
プロヴディフ | |
ペルニク州 | ペルニク |
モンタナ州 | モンタナ |
ヤンボル州 | ヤンボル |
ラズグラト州 | ラズグラト |
ルセ州 | ルセ |
ロヴェチ州 | ロヴェチ |
トロヤン |
地理
ブルガリアはトラキア、モエシア、マケドニアなどの古くからの地方で構成されている。国土の3分の1を山岳地帯が占め、バルカン半島の最高峰であるムサラ山(標高2,925m)がある。国土のほぼ中央を東西に走り、バルカン半島の名の由来となったバルカン山脈(スタラ・プラニナ)とスレドナ・ゴラ山脈にはさまれた一帯はバラの谷と呼ばれ、各地にバラ畑が点在し一大生産地となっている。丘陵地帯と平原は、東の黒海沿岸と、ブルガリアの主要河川であるドナウ川に沿っている。またドナウ川はルーマニアとの国境にもなっている。
ブルガリアの気候はバルカン山脈で大きく分けられ、北側は冬は気温が低く多湿で、夏は気温が高く乾燥している。南側は温暖で湿度が高く、ケッペンの気候区分では地中海性気候である。
経済
2010年のブルガリアのGDPは約448億ドルであり[3]、日本の青森県とほぼ同じ経済規模である[4]。
ブルガリア経済は1989年から劇的に縮小した。特にソビエト連邦を中心とした東欧の市場を喪失したことは大きな打撃となり、生活水準は1989年以前の約40%にまで落ち込んだ。さらに、ユーゴスラビアに対しての国連の経済制裁は経済に更なる打撃を与えた。
1994年には、国内総生産の成長と共にインフレーションを抑制するなど、回復の兆しを見せた。しかし1996年には貧弱な経済改革や、不安定な銀行システムにより再び悪化し金融危機に陥った。1997年以来政府は、2007年に向けてマクロ経済の安定と、国内総生産の毎年4-5%台の成長、欧州連合 (EU) への加盟を表明した。
2001年に誕生した現在の政権は、1997年に採用された通貨委員会の保持、企業の民営化の加速、正常な金融政策の実行および構造改革の追求などの経済政策を維持することを約束した。2002年 - 2003年の経済予測は、ブルガリア経済の成長が持続的なものであることを示唆している一方、政府は未だ高い失業率や低い生活水準に直面している。
2004年には生活水準が1990年のレベルにまで回復した。また同年6月には欧州連合との加盟交渉を終え、2007年1月1日に正式加盟した。欧州共通通貨ユーロは導入されていないが、自国通貨レフ(レバ)にユーロとの固定相場制(カレンシーボード制)を適用して価値を安定させている。教育水準が高く人件費が安いため、IT産業などで西欧諸国からのアウトソーシング受託が成長している[5]。
2014年6月、国内3位のファースト・インベストメント・バンクと4位のコーポレート・コマーシャル・バンクの2行で、疑わしい取引に関与しているとの報道や噂が引き金となり、取り付け騒ぎが起きた[6][7]。プレブネリエフ大統領は29日に緊急会見し、風評であると主張した。政府は緊急融資をEUに要請、EUは33億レヴァの緊急信用枠を承認した。
国民
住民は、 スラヴ系のブルガリア人が83.9%、トルコ人が9.4%、移動型民族のロマ人が4.7%、その他である(2001年センサス結果より)。
言語
言語は、南スラヴ系のブルガリア語が公用語である。2015年現在EU公用語において唯一キリル文字を使用する言語である。
宗教
宗教は、キリスト教正教会の一員であるブルガリア正教会が82.6%、イスラム教が12.2%、ローマ・カトリックが0.6%、プロテスタントが0.5%、他にユダヤ教の信者もいる(2001年センサス結果より)。ロシア正教古儀式派の流れを汲むロシア古正教会 (Русская древлеправославная церковь) の信者も少数ながら存在し、教会が1つある[8]。
文化
習慣
ブルガリアでは「はい」の意思表示として首を横に振り、「いいえ」として首を縦に振る。近年首振りを国際標準に改めようという動きがある。
婚姻
婚姻後の姓は、自己の姓(夫婦別姓)あるいは相手の姓(夫婦同姓)を用いる、あるいは相手の姓を付加することが可能である。
独身・未育児者への課税
ソ連の衛星国で共産主義国であったブルガリア人民共和国時代の1968年から1988年まで母子への経済援助と託児所などの福祉施設の維持や二人以上産んだ夫婦への社会保障の拡大に充てる目的で独身の女子[10]には免除がある形の「独身者」・「偽装結婚対策の結婚5年以降の未育児者」を課税対象とした制度が存在していた。この税は『独身税』として出生率には無意味だったとの批判がされているが[11]、ブルガリアの合計特殊出生率の統計での推移を見ると前年の2.02から導入年には急激に2.27まで増加、1972年のみあった激減V字時以後も2.03以上を1981年に2.0になるまで維持している。1982年以降の冷戦末期も合計特殊出生率の最低が1987年の1.96で、制度廃止1988年時の1.98は廃止後のブルガリアでは未だにこの出生率の上を越えられていない。それが1988年に制度が廃止された後は、1997年まで毎年激減していって1.0になった。1988年までは2人以上の子供を育てている夫婦には『幼児手当の増額・託児所や保育所の無償化・妊娠から出産前後までの有給休暇の更なる延長・子供の成人までの手厚い児童手当』などの大きな政府の高負担高福祉社会保障政策が制度の恩恵としてあった。その後の不景気の回復後も出生率が廃止前に全く届かないのには、その『子育て保証』が廃止で喪失されたことで出生率の減少への抑止力が無くなったことが理由だと指摘されている。翌1998年から反転して2009年には廃止移行では最高の1.66を記録した後は再び下落して低迷をしている。2015年には1.53であり、2010年以降は1.4後半〜1.5前半の出生率を行き来している廃止後の現状からインセンティブとして出生率の減少への遅延効果が出生率の統計から証明されたことで無意味では無かったと結論付けられている[12][13][14]。
なお、2016年現在、ブルガリアで誕生した新生児のうち非嫡出子の割合は58.6%となっており、出産や子育てが必ずしも婚姻制度に頼ったものではないことが示されている[15]。
食文化
ブルガリアの料理は、周辺のバルカン半島諸国と類似するものが多く、ひき肉料理や煮込み料理、シレネと呼ばれるヤギの乳からつくられるチーズ、ヨーグルトなどが代表的。ヨーグルトに相当する醗酵乳食品は他の国にも存在するが、ブルガリアのヨーグルトが日本のみならず世界的に有名になっている。これはロシアの微生物学者イリヤ・メチニコフが、ヨーグルトは長寿に効果があるとしてヨーロッパ中に広めたからである。
文学
自由化後、ブルガリアの文学は欧州主要国の文壇にあったロマン主義や象徴主義のスタイルを受容した。20世紀以後、en:Ivailo Petrov、en:Emiliyan Stanev、en:Ivan Vazov、en:Pencho Slaveykov、en:Peyo Yavorov、en:Yordan Radichkov、ツヴェタン・トドロフらが知られている。1981年にブルガリア出身のエリアス・カネッティがノーベル文学賞を受賞した。
音楽
ブルガリアの音楽は、ギリシャ、トルコなどの周辺地域やロマの影響を受け入れながら発展を遂げた。民俗音楽にはヤギの皮で作られた吹奏楽器「ガイダ」などが用いられる。
世界遺産
ブルガリア国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が7件、自然遺産が2件存在する。
祝祭日
- 3月3日 - 民族解放記念日(1878年の自治公国化を記念)
- 5月1日 - メーデー
- 9月6日 - 統一記念日(1885年の東ルメリア併合を記念)
- 9月22日 - 独立記念日(1908年の完全独立を記念)
- 12月1日 - 建国記念日
- 12月25日 - クリスマス
ボヤナ教会 -(1979年)
カザンラクのトラキア人の墳墓 -(1979年)
イヴァノヴォの岩窟教会群 -(1979年)
ネセバルの古代都市 -(1983年)
リラ修道院 -(1983年)
スレバルナ自然保護区 -(1983年)
ピリン国立公園 -(1983年)
スヴェシュタリのトラキア人の墳墓 -(1985年)
参考文献
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脚注
- ^ abcdIMF Data and Statistics 2018年4月27日閲覧([1])
^ http://lex.bg/laws/ldoc.php?IDNA=2133624321
^ IMF
^ 内閣府による県民経済計算 Archived 2010年2月10日, at the Wayback Machine.
^ 【新興国ABC】存在感高めるブルガリア『日経産業新聞』2017年8月29日アジア・グローバル面
^ マネースクウェア・ジャパン ブルガリア銀の取り付け騒ぎ 2014/07/01
^ ロイター ブルガリア大手行の取り付け騒ぎ、風評流布で4人逮捕 2014年6月30日
^ Глава Русской древлеправославной церкви освятил восстановленный в Болгарии старинный русский храм
^ ブルガリアの伝統息づく国際仮装大会11点(ナショナルジオグラフィック。参照日:2018.5.15)
^ いくつまで免除か不明
^ [2]
^ 「おもしろ税金ものがたり(4)」 (PDF)、『羽の情報便』 (プラスマネジメント株式会社)第27号、2007年12月。http://www.plus-management.jp/hane/hane0712.pdf。2018年1月23日閲覧。
^ [3]世界銀行
^ [4]
^ “結婚の没落?…欧州10ヵ国で婚外出産が全新生児数の半分以上”. 東亜日報 (2018年4月19日). 2018年4月20日閲覧。
関連項目
- ブルガリア人
- ブルガリア関係記事の一覧
ブルガリアの人物(カテゴリー)
外部リンク
- 政府
ブルガリア共和国政府 (ブルガリア語)(英語)
ブルガリア大統領府 (ブルガリア語)(英語)
- 日本政府
- 日本外務省 - ブルガリア
- 在ブルガリア日本国大使館
- 観光
ブルガリア政府観光局 (ブルガリア語)(英語)
ブルガリア観光情報 (日本語)
東欧のイスラーム建築(ブルガリアを中心として) (日本語)
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