現代 (時代区分)
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時代区分の現代(げんだい)とは、世界の歴史における時代区分で、現在進行している時代のことである。平たく言えば「現在の時代」である。
通例では、対象とする分野における体制や状態が、現在と同じ形に変化した時点以後の時代を指す。時系列の「古代、中世、近世、近代、現代」という時代区分の最後である。
目次
1 国際社会
1.1 1945年以後
1.2 1989年以後
1.3 2008年以後
2 各地域
2.1 アジア
2.2 ヨーロッパ
3 軍事史
4 文化史
5 脚注・出典
6 関連項目
国際社会
1945年以後
1945年以後、現在に至るまでの現代の特徴は、アメリカ合衆国との関係が物を言う時代である。
1918年11月11日に第一次世界大戦が終わる前は、三つ以上の大国が植民地を持って鎬を削る多極体制であった。しかし、第一次世界大戦の終わりと共に、各国の植民地体制が揺らぎ始め、その中でアメリカ合衆国の台頭が始まった。そして、1945年8月の広島と長崎への原爆投下により、植民地体制と世界大戦に象徴される多極体制は終わり、アメリカ合衆国とソビエト連邦による冷戦(両極体制)が始まった。
そして、1989年秋の東欧革命によって冷戦が終わり、1991年12月26日にソビエト連邦が消滅した後も、アメリカ合衆国の動向が世界情勢を左右する時代が、2018年現在も続いている。
1989年以後
1989年以後、現在に至るまでの時代の特徴は、短い周期で変化する世界である。
1989年11月10日にベルリンの壁が撤去され(東欧革命)、1991年12月26日にソビエト連邦が消滅すると、冷戦という長い安定期は終わり、冷戦後という短い周期で変化する世界が始まった。
ソビエト連邦が消滅すると、アメリカ合衆国による一極体制・新自由主義的なグローバリズムの時代が始まり、中国やベトナムなどの共産党国家は国家資本主義による経済成長を達成し、ヨーロッパ諸国は欧州連合(1993年11月1日設立)や通貨ユーロ(1999年1月1日施行)による緩やかな地域統合を打ち出した。このアメリカ合衆国による一極体制は、2008年まで続くこととなる。
その中で、冷戦時代には考えられなかったツールや事件が、今日の世界に小さからぬ影響を与えている。2000年前後のインターネットの世界的普及や、2010年前後のWeb 2.0の発展は情報社会を開いた、2011年冬のアラブの春にも影響を与えた。また、2001年9月11日に発生したアメリカ同時多発テロ事件により、「テロの時代」が始まって現在に至っている。
2008年以後
2008年以後、現在に至るまでの時代の特徴は、アメリカ合衆国の覇権が弱まっている多極体制である。
1992年元日に「ソ連亡き世界」が始まった後の世界は、アメリカ合衆国による一極体制・新自由主義的なグローバリズムの時代であった。しかし、2007年から2008年までのアメリカ発の世界金融危機、なかんずく2008年9月15日のリーマン・クライシスと同年11月14日の第1回G20首脳会談により、アメリカ合衆国による一極体制は終わり、これ以後の世界は多極体制へと変わった。
そして、2016年には、アメリカ大統領選挙の選挙戦では、「アメリカン・ドリームは死んだ」[1]と呼ばれるなど、新自由主義的なグローバリズムへの嫌悪が明らかになっている。また、イギリスが欧州連合から離脱したり、ドナルド・トランプやロドリゴ・ドゥテルテなど排外的言動で支持を集める政治家が躍進するなど、「保護主義と分裂抗争の世界」に変わりつつある。
各地域
アジア
アジア史では、概ね1945年9月2日の大日本帝国の降伏(第二次世界大戦終結)を境にして、「近代」と「現代」に分けられている。
日本を初めとするアジア各国では、1945年の第二次世界大戦の終結により、欧米日の植民地支配から独立した国家が多数成立し、1945年までの既存国家も政体が変わって新国家に生まれ変わった。これらの国家は、第二次世界大戦末期のヤルタ会談に始まる冷戦体制の下で独立・成立した国家が多い。これらの中には、朝鮮半島やベトナムのように分断される国家も現れた。ただし、ベトナムのように分断を解消して統一を実現した国家では、統一後の時代(ベトナム史では、1976年のベトナム社会主義共和国の成立以後)が「現代」になる。日本史においても1945年を近代と現代の境目とする一般的な見方の他にも、琉球史の観点を加える立場から1972年5月15日の沖縄返還以後を「現代」とする見方もある。
冷戦が終わり、ソビエト連邦が崩壊すると、中央アジアでは次々と独立国家が成立した。しかし、冷戦が終わり、ソビエト連邦が崩壊した後も、日本と韓国のアメリカ軍駐留、朝鮮半島の未統一、北朝鮮核問題、中国(中国共産党)の一党独裁、中国と台湾の対立の未解消に象徴される通り、東北アジアには冷戦の残滓が残されたままである。東南アジアでは冷戦時代から通して東南アジア諸国連合が結成されているが、東北アジアまで巻き込んで「亜州連合」となるような地域連合には至っていない。
ヨーロッパ
ヨーロッパ史では、東欧革命を境にして「近代」と「現代」を分ける見方が増えている。
ヨーロッパの国家は2度の世界大戦を経験したが、2度にわたる世界大戦は植民地主義の段階的な崩壊を意味した。第二次世界大戦の戦勝国(連合国)であっても、アメリカ合衆国をのぞき打撃は大きかった。帝政日本の降伏により第二次世界大戦が終わった後、アジアの植民地では独立戦争が始まり、やや遅れてアフリカの植民地も次々と独立、1960年代までにヨーロッパ諸国は植民地の多くを失った。2度の世界大戦は植民地主義が極限に達して始まったが、第二次世界大戦が終わっても凝りは残った(例:2度の世界大戦を巡る独仏関係)。冷戦という米ソ二極体制も、欧米の第二次世界大戦の最高権力者が作ったシステムである。
ところが、東欧民主化革命・ベルリンの壁崩壊・冷戦終結・ソビエト連邦崩壊という一連の大変動は、欧米の第二次世界大戦の最高権力者が作ったシステムの崩壊を意味した。そして、冷戦終結後のヨーロッパは、欧州連合に象徴されるように、東欧民主化革命やソビエト連邦崩壊によって成立した国家も巻き込んで、「ヨーロッパは一つ」の動きを強めている。そして、現在の「ヨーロッパは一つ」の動きは、冷戦の44年間を通して西ヨーロッパ諸国が作った「正の遺産」でもあり、旧ソ連諸国(バルト三国)をも含めたヨーロッパの統合が急速に進んだ。
一方で、1970年頃から興った近代を批判的に捉え直すポストモダン(postmodern)という運動も、「近代」の枠組みの中に入っているのではないかという議論もある。
フランスの歴史学界隈ではフランス革命の1789年を境としてこちらがわを現代と見なしている[2]。
軍事史
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軍事史では、大量破壊兵器と無差別大量虐殺を特徴とする戦争の時代が、「現代」と見なされている。この場合、第二次世界大戦以後が「現代」と見なされている。
普仏戦争や日露戦争や第一次世界大戦など、第二次世界大戦前の「近代」の戦争は、戦車や戦艦などの最新鋭の兵器が使用されたが、殺傷する/殺傷される対象は戦闘員(=軍人)に限定されていた。
ところが、第二次世界大戦では、殺傷する/殺傷される対象は非戦闘員にまで拡大され、非戦闘員を狙った無差別爆撃や、大量破壊兵器の一種である核兵器の使用も実施された。そして、第二次世界大戦以後は、核兵器のような大量破壊兵器が「戦争抑止力」や「開戦の口実」として国際社会を動かしている。
- 関連書籍
- 『岩波小事典 現代の戦争』前田哲男著
文化史
美術や建築やファッションなど文化の歴史では、購買者たる大衆が文化の担い手になっている時代が、「現代」と見なされている。この場合、第二次世界大戦終結後が「現代」と見なされている。
「近世」と「近代」の文化は、大商人が作った都市文化と、農村など地方庶民が作った地方文化の2つに分かれる傾向が大きかった。強力な統一政府や連邦政府の下で、交通網が整備され、商人は力を増して都市文化を形成し、その担い手になっていた。一方で、農村など地方には、大商人が作った都市文化には瞬時に浸透せず、幾らか時間を経てから都市文化が浸透したり、地方で独自の文化が形成されるかのいずれかの傾向を持っていた。
ところが、1945年に第二次世界大戦が終わり、冷戦が始まると、テレビやラジオなど情報が瞬時で遠隔地に伝わるメディアが普及し、多国籍企業の成長による商取引のグローバリゼーションが加速したことで、「都市と地方に二極化した文化」の時代から、「同時多発的な大衆文化」の時代に文化は変わった。
脚注・出典
^ 産経新聞大阪本社版 2016年2月22日付 「アメリカンドリームは“死んだ”米国の危機」
^ プレッシ アラン and 齊藤 佳史 and 矢後 和彦 「フランス経済史の研究動向(19-20世紀)(海外寄稿)」、『歴史と経済』 第47巻第2号35-48頁、2005年。
関連項目
現代(様々な「現代」)- 現代の世界の一体化
- 現代思想
- 現代文学
- 現代音楽
- 近代美術と現代美術
- 歴史の終わり
過去 現在 未来- 近現代
- 戦後
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