プロレス
プロレスは、リング上で主に観客へ見せることを目的とした攻防を展開する格闘技を基本としたスポーツのことである。もしくは、その試合を複数展開することにより開催される興行のことである。正式名称はプロフェッショナルレスリング、興行レスリング、職業レスリングとも呼ばれる[1][2][3][4]。古くは西洋相撲(角力)と呼ばれた[5]。アメリカなどの国では単に「レスリング」とも呼ばれる。メキシコでは「ルチャリブレ」[6]、ヨーロッパでは「キャッチ」と呼ばれている。
試合は投げ技、関節技、打撃技、時には凶器などを用いて行われて試合において闘う者をプロレスラーもしくはレスラーと呼ばれている。
アメリカ、メキシコ、日本などにおいて歴史があり複数のプロレス団体を有しており全国各地で興行が連日行われている。プロレス興行がない国においてもテレビとインターネットを通じて世界中の人にも楽しまれている。
目次
1 概要
2 運営
2.1 事業内容
2.2 事業形態
2.3 社長プロレスラー
2.4 巡業
2.4.1 巡業を伴わない興行形態
2.5 進行形式
3 ルール
3.1 スタッフ
3.2 基本ルール
3.3 試合形式
3.4 リング
3.5 階級
3.6 服装
3.6.1 着衣
3.6.2 その他
3.7 入場時
4 プロレスの歴史
4.1 プロレスの起源
4.2 20世紀前半
4.3 アマチュアスタイル興行復興の試み
4.4 日本におけるプロレスの歴史
4.4.1 戦前
4.4.2 昭和後期、BI砲の時代
4.4.3 平成期 - プロレス人気の低迷と団体乱立
4.4.4 2000年代 - メジャー団体分裂による勢力再編
4.4.5 現在
5 女子プロレス
6 ミゼットプロレス
7 マスコミにおける取り扱い
8 ショー的側面
8.1 ブック
8.2 アングル
8.3 ギミック
8.4 興行の進行用台本
9 非ショー的側面
10 用語の特殊性
11 プロレスを題材としたフィクション作品
11.1 小説
11.2 漫画、アニメ
11.3 実写作品
11.4 ゲーム
12 関連書籍
13 脚注
14 関連項目
15 外部リンク
概要
興行会社が試合、その他で構成される興行を開催することで観戦料などの収入を得るビジネスモデル。プロレス業界において興行会社は「団体」と呼ばれる。
アメリカ合衆国のプロレス団体「WWE」を代表とする台本の存在を公にしているエンターテインメント系団体と日本の主流である競技性を前面に押し出しているプロレス団体が存在する。また女性のプロレスラーの行うプロレスは特に女子プロレスとされ区別される。それ単独での興行は存在しないものの低身長症のプロレスラーが行うプロレスを「ミゼットプロレス」と呼ぶこともある。
事業収入を得ないアマチュア組織も存在する。その中でも学生の愛好家達によるものは学生プロレスと呼称される。本来、メキシコを除いてはライセンス制度も無いため厳密にアマチュアとプロを分類することは不可能であるが、強いて分類するなら観戦料徴収の有無で分けることが出来る。アマチュアプロレスは地域の催事ないしは祭事でプログラムの一環として行われることが多い。「アマチュアプロレス」という表現が矛盾していることもありプロではないがプロと同じ形式という意味で「プロスタイルレスリング」、「ノンプロ」との合成語として「ノンプロレス」と表現することもある
1つの地域に重点を置く地域密着型と都市圏を中心に全国を回る巡業型がある。
勝敗を競う形式を取るがアメリカのWWEはあらかじめ作られた台本に則って行われている「エンターテインメント」であることを明らかにしている。理由としては、筋肉増強剤などの昨今のプロスポーツと薬物の問題が根底にあるが、その他にも、スポーツ委員会よりも興行(娯楽)として登録する方が保険料が低く済みコストダウンに繋がることや株式上場の際に経営透明化という観点から業務内容を公開する必要があったためである。
歴史的に活動が盛んな地域としてはアメリカ、カナダ、日本、プエルトリコ、メキシコが挙げられる。
アメリカではプロレスでもアマチュアレスリングでも「レスリング」と呼ぶがプロレスのみを指す場合はショー・ビジネスのそれとして「ラスリン」と南部訛りで呼ぶことがある[7]。
運営
事業内容
エンターテインメント産業とほぼ同じ事業形態である。
事業形態
球場、体育館、イベントホール、屋外などを試合会場として、そこへリングや周辺器材(フェンス、椅子等)を設置して有料で試合を観戦させる「興行」が主な事業である。会場の規模と観客数は団体や興行規模により様々であり、数万人を動員することもあれば、数十人程度の観客を相手に興行こともある。WWEのWrestle Mania32では10万人を超える動員に成功した。1つの興行には5試合から10試合を行うことが多い。これらの興行はシリーズの中に組み込まれることが多く、団体は選手と従業員、器材を移動させつつそれを行わせる。これを「巡業」と呼ぶ(巡業については後述)。また、経済的あるいは他の事情から巡業を行わない団体も存在する。それらは、団体が所有してリング等を設置している「常設会場」を使用するか、限られた地域にて営業している会場を使用している。事業収入の柱となるものは以下の様なものである。
- 観戦料
- 観戦の際必要になる有料入場券(チケット)の売り上げ。自主興行では事業収入の重要な柱の一つである。価格は3,000円から20,000円程度と幅広く、興行の規模や座席種により推移する。WWEの最大イベント「レッスルマニア」では最も高額なリングサイド席で2,000ドルにもなる。地方興行などではコンサート同様にスーパー、コンビニで割引優待券が配布されていることもある。
- また、他のスポーツ興行と同様に法人顧客にある程度まとまった数を販売して法人が自身の顧客に対して販促の一環として配布したり余れば福利厚生の一環として従業員に配布することもある。なお、ビッグマッチを除き、地方興行ではプレイガイドでの販売数はそれほど見込めないため法人営業力の重要性は高い。また、選手自らチケットを販売(手売り)する事も珍しくなく、主にインディー団体においては、それが選手の収入に繋がっていることもある。
- なお、人望のあった選手などが重い病気や重度の負傷、リング内外の事故により事実上の廃業、あるいは長期欠場を余儀なくされた時、その選手やその家族のために闘病・療養費用などの一助にしようと選手有志や縁のあった団体などの協力という形で選手のための興行が行われて観戦料などの収益がその選手に渡されることもある(ガンで引退した冬木弘道の引退試合など)。
- グッズ販売
- 団体が、Tシャツやタオルなどの衣料品、パンフレット等を製作して販売することによって得る収入。
- 会場の売店での販売が中心だがスポーツショップでも販売している。近年は通信販売を行う団体も増えつつある。また、会場の特設売店やイベントで選手が購入者へサインを贈る等のファンサービス販促を行うこともある。これらは粗利が高く日銭を稼ぐことが出来るため、零細団体ほど比重が高くなる。グッズが製作できなくなると団体は経営的に破綻寸前であることが多い。また、ゲームソフトなどのロイヤリティーも含まれる。
- コンテンツ販売
- 試合を収めたDVDの販売、インターネットでの配信を行う団体もあり、アメリカのインディ団体では映像ソフトにパッケージという目的を持って試合を行う場合もある。
- 近年では携帯電話サイトの有料会員向けに待ち受け画像、着声などを配信するケースも増えている。
- 広告料
- リングやパンフレット、チケット裏面などの広告スペース料。冠興行での協賛金など。
- テレビ放映料
地上波、BS、専門チャンネル放送事業者からの放映料。- かつては、地上波テレビ放送が無い団体では経営が成り立たないと言われていたが、UWFがビデオ販売でヒットを飛ばしたことやケーブルテレビ、CSで放送される有料専門チャンネルの増加などから必ずしも地上波での放送がなくとも経営ができるようになった。新日本プロレスやWWEなどではビッグイベントをPPV方式で販売して収入に直結させている。(新日本プロレスは、テレビ朝日で毎週土曜日深夜2時にやっている。)
- 所属プロレスラーによる芸能活動
- 団体を所属事務所として出演するテレビやラジオ、各種イベントでのトークショー、映画・Vシネマなどへの出演料。レスラーが主演を務める作品もあり、俳優業を本職としたものもいる。
- 飲食店経営
- 団体が運営する喫茶店やレストランの事業収入。全日本女子プロレス、大日本プロレス、DDTプロレスリングなどでは、新人を中心とした所属選手や引退した元選手がスタッフとして働く店を経営する例もある。また、大阪プロレス、スポルティーバエンターテイメントのように常設会場にカフェ・バーなどの飲食店を併設しているケースもある。
- 興行権販売
- 主に地方での巡業であるが、各地方のプロモータと呼ばれる興行会社(いわゆる勧進元)に一定額で興行権を販売する。地域に根ざしたプロモータが営業活動、宣伝活動などの業務を行うため団体のスタッフの負荷が軽減できることや、不入りであっても安定した収入を得られる点が利点。このような興行は「売り興行」あるいは「委託興行」と呼ばれる(大相撲における地方巡業やプロ野球における地方球場での公式戦でも見られる形態)。逆に団体自らが興行を開催して、直接収入を得る興行を「手打ち興行」あるいは「自主興行」と言う。興行形態としては他に団体とプロモータで負担を分担し合う「分興行」(いわゆる「合同興行」で採られることが多い)、団体が一部経費を負担して残りをプロモータが負担する「乗り興行」(プロボクシングで多く見られる形態。プロレスでは「プロレス夢のオールスター戦」「夢の懸け橋」などが該当)がある。
- 元選手が引退後にプロモータに転身することもある。現役選手でも出身地や縁の深い場所で興行を行う際、興行権を購入して取り仕切ることもある。また一部のプロモータが興行権を団体から購入せず自らの手で興行を打つこともある。
- 祭事、催事のプログラムの一環として試合を行うこともある。代表例はフリーマーケットや競艇場など。変り種として結婚式の余興で行うこともある。
社長プロレスラー
日本のプロレス団体における特徴のひとつとして現役レスラーまたは引退したレスラーが社長業を兼務する、というものがある。日本のプロレス団体運営システムの始祖である力道山から始まった形式。日本プロレスから派生した新日本プロレス(2014年現在は後述する「背広組」の経営)、全日本プロレス(過去に「背広組」経営だった時期あり)もこの形式を踏襲したほか2017年現在もプロレスリングZERO1(ただし代表権は持たない)、DRAGON GATE(ただし選手としては第一線を引いている)、WRESTLE-1、DDTプロレスリングなど、この形式を取る団体は少なくない。女子でもLLPW-X、センダイガールズプロレスリング、OZアカデミー女子プロレス、ワールド女子プロレス・ディアナ、PURE-Jが該当する。引退したレスラーが社長を務める団体としては過去には国際プロレスなど、2017年現在はプロレスリングWAVEなどがある(WAVEについては現役から継続)。主演スターが座長も兼ねる劇団に近い形態といえる。興行の現場を知るものが社長業を行うことで、現場(レスラー)との乖離を避けることが出来たりスポンサーとの営業活動などに利点がある。
しかし、個人商店化してワンマン体制や血縁、同族企業になりがちな点、プロレスの試合におけるセンスと経営の能力は別物であるため、経営を手助けする優秀なブレーンとなる存在が無ければ維持することは難しい。また(特に主力選手が社長を務めるケースにおいて)選手専任であればトレーニング、休息、リハビリなどに充てられる時間を経営に割かなければならないため、選手としてのコンディションの維持が困難になり、三沢光晴の死亡事故を機に問題視する声も出ている[8]。
これに対して選手出身ではない者(「背広組」と呼ばれる」)が社長や経営幹部を務める場合、経営と現場を分離できるものの、両者の間に軋轢が生まれて分裂、活動を停止するケースも存在する一方、社長レスラーによるワンマン経営に反発して選手が離脱するケース、絶対的な影響力を持つ社長レスラーの退陣によって(レスラー、背広組問わず)後任者が選手やフロントをまとめきれず瓦解するケースも少なくない。JWP女子プロレスのように背広組社長は会社経営に専念し、現場にかかる業務のほとんどを選手に委ねる団体も存在する。
一方で「背広組の社長がレスラーになる」ケースもある。WWEでは会長であるビンス・マクマホンが(時期によるが)自ら試合に出る。彼は元々「背広組」であったが、演出の必要上レスラーとしての訓練を積んだ例である。またかつてのFMW社長・荒井昌一はレスラーとしての訓練は積んでいなかったが演出としてリングでレスラーとの乱闘を演じたことがある。I.W.A.JAPAN社長の浅野起州も元はプロモーター出身の背広組だが、2000年の「レスラーデビュー」以後時折試合に出ていた。ハッスルMAN'Sワールドの草間政一CEOの場合、アマチュアレスリング経験者ということもあり2010年に「プロレスラーデビュー」して勝利を収めた。
巡業
日本のプロレス団体でツアー展開をする場合は、相撲の地方興行やサーカスと同様、巡業の形態を取ることがある。メジャーと呼ばれる大規模団体が開催する興行数は年間100試合前後と他の格闘技と比べて圧倒的に多く、スタッフはリングや周辺機材を積んだトラックで別移動するが、レスラーは集団でバスなどを用いて移動して同一のホテルなどに宿泊する。
競技性を売りとするUWF系の団体では、コンディション調整に時間を割くため、興行数は年間数試合から数十試合程度となっている他、対戦するレスラー同士が会わないよう、別のホテルに宿泊させて競技性の保持に務めた。
集客数は、試合の会場とする場所にもよるが、スタジアムなどの大会場では数万人規模、地方の体育館やイベントホール、屋外グラウンドなどの会場では数千人から少なくとも千人程度までの集客を見込んで興行を打つことが一般的である。
興行の際の会場使用料に関しても、主要アリーナや公共の体育館は入場料を徴収するアマチュアスポーツ大会使用時よりも高額(入場料を徴収するアマチュアスポーツ大会使用時の使用料より3〜10倍程度)に設定されている。使用料自体も、開催曜日(土曜・休日は平日よりも高額となる会場もある)、使用時間帯(定額制の会場もある。時間帯制の会場は時間が遅くなるほど高額になる)、最高入場料(特別リングサイド料金)、観客席の使用の有無などで会場によって異なっており、設営から撤収までの時間で使用料が決まる。会場使用料には基本使用料の他にも、時間外使用料、冷暖房料金、照明料金、テレビ中継を行った際の設備料金などの付帯料金やパイプ椅子など会場設備を損傷させた場合の弁償料などが加わる。使用料の支払は基本的に前払い(前払いの場合は支払期限があり、期限を過ぎれば予約は自動的にキャンセルとなる)であるが、予定よりも伸びた場合の時間外使用料や会場設備を損傷した場合に生じる損害賠償は、後日会場側から団体に請求される。大日本プロレスは損害賠償のリスクを回避するため、会場によってマッチメイクを決めている。国際プロレスはジプシー・ジョーが参戦したシリーズでは損害賠償に悩まされていた他、新日本プロレスは観客が暴動を起こしたために使用料をはるかに超える損害賠償を請求されたり、使用禁止を言い渡されたことがある。全日本女子プロレスは、急遽後払いに変更した会場使用料を滞納したために会場の管理者から告訴されたことがある。
会場や興行の規模によっては、使用申込後に他のスポーツイベントや行事などとの日程を調整する利用調整会議への出席が義務付けられている会場や、使用申込後に団体の信用度などの事前審査を行う会場もあり、会場の事前審査によっては使用不可となる場合もある他、使用料の滞納などで使用禁止となる場合がある。一旦使用料を支払えば、開催中止の場合でも使用料を返還しない会場が殆どであり、その場合は巡業の収支にも大きく影響する。
海外では、レスラーの現地集合、解散の方式を取ることが大半で個別行動が基本。新人や若手レスラーは、移動経費の節約のため、自動車や先輩選手の自家用飛行機に相乗りで移動することもある。それが故に、大剛鉄之助やジョニー・バレンタインが事故でレスラー生命を絶たれたり、アドリアン・アドニスが移動中の交通事故で死去したケースもある。日本でもJWPの時代のデビル雅美やフロンティア・マーシャルアーツ・レスリングの大仁田厚は自家用車に後輩を乗せて移動していた。
巡業を伴わない興行形態
近年では何らかの形で常設会場を設けて地方巡業を行わない団体も増えてきている。主にローカルインディや草の根インディ或いはどインディ[9]というスラングで呼ばれる極めて小規模な団体がこの形態を取ることが多い。
こうした団体は、メジャー団体や中規模インディ団体のように集客数の採算分岐点の大きく、かつ会場使用料が高額な大会場を用意する経営体力がないため、仮に巡業を行う場合であっても小規模な公民館や体育館の一室、或いは駐車場の一角で平均百人前後、多くても数百人程度の集客で興行を成立させる運営を行っていることが多い。
リングさえ用意してしまえば何処でも興行会場になるとも言えるため、極端な場合では団体事務所の敷地内にリングを置いたり、リングが常設されている団体の道場に客を集める形態(いわゆる道場マッチ)を取る場合もあり、数十人から数人程度の観客動員でも興行を成立させたと見なしてしまう零細団体も存在する。
海外ではレスラー自身が各地のインディ団体を転戦するケースも多く、この形式はインディー・サーキットと呼ばれる。
進行形式
プロレスの興行は、1日で5から10程度の試合が行われ、間に1度休憩が挟まれる。トータルの興行時間は平均して3時間前後が基本。試合の構成は以下の通り。
- 選手入場(テーマ曲が流されて会場によってはライトアップなどの演出が取られる)
- 選手名、身長や体重などの紹介
- 試合開始
- 試合終了
- 選手退場(勝利者のみのテーマ曲が流される)
WWEなどのように選手名を告知してから入場してリング上では告知を行わない団体もある。
選手入場の際に用いられるテーマ曲はアーティストによる既存曲と選手個人または団体が制作を発注したオリジナル曲がある。試合をパッケージ販売する際の著作権処理の煩雑さと使用料回避のため、オリジナル曲を使う傾向が強くなっている。コスト削減のためパッケージ販売時には入場シーンに別の曲を編集で用いたり入場シーンそのものをカットしているものもある。
また、タッグマッチ(詳細は後述)の入場、退場時に用いられる曲は「格上」のレスラーのものであることが基本である(大物同士のタッグでは同格であることを強調するため両者のテーマ曲を混合した曲を用いることもある)。アングル上の決着戦の場合は通常と異なる前奏を付加したものやタッグマッチ時に1人ずつテーマ曲に合わせて入場するといった演出が施される。
ルール
スタッフ
試合を行うレスラーの他、試合を行うために必要なスタッフとして、次のようなものがある。
- コミッショナー
- 試合の最高責任者。詳細はコミッショナーの項目を参照のこと。
- レフェリー
- 試合の審判員。詳細はレフェリーの項目を参照のこと。
- リング・アナウンサー
- 選手、レフェリーの紹介等、試合の司会、進行役を行う。
- タイムキーパー
- 試合時間を計時し、レフェリーの合図・時間切れでゴングを鳴らし、試合の開始・終了を他のスタッフ、観客に告知する他、試合結果の公式発表を行う。
- リングドクター
- 試合等で負傷したレスラーに対する処置を行う。
- 実況、解説を含む場内放送係員
- 場内放送設備を操作し、実況、解説を行う傍ら、観客に注意を促すなどの呼びかけを行う。
- その他、試合の運営に必要な係員
基本ルール
基本的なルールはほぼ以下の通りである。
勝敗は、以下の状況に至ったとレフェリーが認め、その旨を宣告した時点で成立する。
- フォール
- 対戦相手の両肩をマットに押しつけ(フォールという)、レフェリーが3カウント数える。
ノックアウト(KO)- 10カウントの間立ち上がれないでいること(レフェリーによって、またカードによって、カウントのスピードは異なる。)
- リングアウト
- 10カウント、ないし20カウントの間リングの外に出ていること(WWE、TNA、全日本プロレスなどが前者を採用、日本の団体の多くは後者を採用)
- ギブアップ
- 口頭での敗北意志の提示をする
- タップアウト
- 相手の体の一部またはマットを叩くことにより敗北意志の提示をする
- レフェリーストップ
- 関節技を受けている選手がギブアップやタップアウトせず、これ以上技を受け続けていると重傷を負うと判断した場合はレフェリー権限で強制的に試合を終わらせる。スリーパーホールドなど絞め技の場合はレフェリーが絞められている選手の腕を上げてから離して3回腕が落ちれば負けとなる。
反則勝ち(負け)- レフェリーに暴行、凶器の使用、セコンドや他レスラーの協力的乱入があった場合、行為を行った側が強制的に負けとなる。ただし例外もある(詳しくは下記参照)。
- セコンドからのタオル投入(TKO)
- オーバーザトップロープ
- トップロープの上を越えて場外に落ちたら失格となるルール。主にバトルロイヤル形式の試合で採用される。またアメリカでは相手選手をトップロープの上を超えて場外に落とした場合反則負けとなるルールが過去に採用されていた。
その他に次に掲げる代表的なルールがある。
- 基本的な攻撃は投げ技、絞め技、関節技、蹴り技、打撃など。
- 団体により詳細は異なるが一般的なプロレスのルールでは反則は5カウント以内に止めなければ反則負けとなる。これは逆にいえば5カウント以内であれば反則攻撃が認められる[10]ということであり、プロレスの試合における攻撃手段や表現のバリエーションを形成する要素となっている。
- 禁止されている攻撃として、目(サミング)、のど(チョーク)、急所への攻撃(ローブロー)、噛みつくこと、拳での突き技、つま先での蹴り技、1本のみの指を取ることなどがある。ただし打撃系の反則技は後述の5秒ルールのため相手の体に断続的に密着しない限りは注意のみで反則を取られないので事実上は反則技でないことが殆ど。(ロー・ブローのみ例外の場合がある)
- 観客用のイスを始めとした武器(凶器)での攻撃は反則とされるが、団体によっては即時に反則負けとなる場合もあれば、カウント内での使用が認められる場合もある。同じ団体の試合であってもレフェリーによって判断が異なることもある。
- ロープブレイク : 技をかける側、かけられる側、いずれかのレスラーが手足でロープに触れるか、体の部分がロープ外のリングサイドエプロンに完全に出た場合は、技の解除が求められる。フォール中の場合は、カウントはストップされる。
- 原則的に4肢の場合など手首、足首がロープに届かないとロープブレイクと見做されないため指先が触れただけの場合などはレフェリーがロープを叩く蹴るなどして一旦離して再度きちんとしたロープブレイクを求めることもある。従って手の場合は、ただ出すだけで無く、ロープを握るなどしてレフェリーにアピールすることがある)
- 試合時の服装規定は無い。そのため普段着で試合をしたり、ニーブレース(knee brace、金属製の強固な膝サポーター)などを着用して試合をする選手もいる。
試合形式
プロレスの試合は多くは何分何本勝負、という形で行われる(ヨーロッパおよび力道山時代の日本ではボクシング同様のラウンド制の試合も行われていた)。1980年代以降の日本では、ほとんどが一本勝負で行われている。かつて日本でもタイトルマッチなどで行われた3本勝負(2本先取で勝利)は過去現在を通じてメキシコでは主流の試合形式である。試合時間は概ね10分から無制限まで千差万別であるが、タイトルマッチは60分1本勝負<過去には61分3本勝負などのルールもあった>が主流である。アメリカのテレビ放送用の試合では「放送時間内1本勝負」(つまりテレビの放送時間終了までに勝負がつかなければ引き分け)という例もあった。
- シングルマッチ
- 2人のプロレスラーが1対1で行う形式。
- タッグマッチ
- 2対2、3対3など、複数人がチームを組んで対戦する試合の総称。各チームの構成人数が3人以上の場合は6人タッグ、8人タッグの様に合計人数を接頭に付けて呼称される。2対2の場合は人数を明示せず「タッグマッチ」と表記されることがほとんど。2対3などチーム構成人数に差がある場合は変則タッグまたはハンディキャップマッチと呼ばれる。日本ではコーナーに控えている選手とタッチしないと試合権利が移らない方式を取っている団体が多いがメキシコではタッチをしなくても試合権利が移る方式(権利者が場外へ落ちた後、控え選手がリングインすることで権利が移る)を取っている。日本でもメキシコに縁のある団体ではタッチしない方式を取っている団体もある。
- トリプルスレットマッチ
- 3WAYマッチ、3WAYダンスとも呼ばれる3人で闘う形式。バトルロイヤルと異なり誰か1名が勝利を挙げた時点で試合が終了する方式と最後まで残った者(チーム)が勝利、の2通りある。タッグマッチで行われることもある。
- ハンディキャップマッチ
- 前述の変則タッグのなかでも少人数のチーム方に圧倒的な実力がある選手がいるものを特にこう呼ぶ。巨漢レスラーの怪物性を示すために採用される形式。1対2、1対3などが基本である。
- デスマッチ
- 通常とは異なる要素を加えた試合形式。これに特化したプロレスを英語でハードコア・レスリングという。
- バトルロイヤル
- 主に10人以上で行われる形式。敗北したものから退場して最後に残った者が勝利する。参加選手が開始時に全員リング上にいる場合や時間差で入場する形式などがある。
リング
対戦の舞台となるのは3本のロープを四方に張り巡らせたリングで形状はボクシングなどとほぼ同じ(ただしボクシングの場合ロープ数は4本で、コーナーの形状も異なる)。大きさは団体によって異なる。プロレスの特徴として、ロープの反動を積極的に用いたり(ロープワークと呼ばれる)、コーナーに上っての技などがあるためリングおよびロープは他競技用のものに比べて頑丈に作られている(ロープの中にはワイヤーが入っている)。デスマッチと呼ばれる試合形式の場合、特殊な加工が施されたリングを用いることがある。(ロープを有刺鉄線に交換するなど)詳細はデスマッチを参照。
リング内に敷かれたマットの硬度は大差はないものの団体によって違うと言われている。柔らかい方が投げ技を受けたときにダメージが軽減される。あまりに表面が柔らかすぎると踏ん張りが効かなかったり逆に足をとられて怪我をするおそれもあるため、柔らかさに一定の限度は存在している。
歴史的な経緯は不明だが、現在のほとんどのリングには「スプリング」が入っており、投げ技や跳び技の着地時におけるケガを予防するようになっている。総合格闘技の試合がプロレスのリングで行われた際にはスプリングを止めて「固く」していた。
各団体が専用のリングを所有するが小規模団体は所有していないことが多い。この場合は他団体または「リング屋」と呼ばれる会場設営業者にレンタルする。代表的なリングレンタル会社としてジャッジサポートがある。
日本では闘龍門の闘龍門2000プロジェクトで6角形のリングが使われたことがあり、アメリカではTNA、メキシコではAAAなどの団体で、6角形のリングが使われている。[11]
埼玉プロレスや黎明期のアイスリボンのようにリングを使用せずマットのみの場合もある。
リング外には転落時の衝撃を和らげるためのマットを敷く団体がある。また観客席とリングの間に鉄柵を設置する団体もある。
階級
多くの団体では、レスラーの体重を基準にヘビー級とジュニアヘビー級(クルーザー級、ミッドヘビー級)に区分される。
クルーザー級は主にアメリカの団体で用いられ、日本でもWRESTLE-1やDDTプロレスリングなどでクルーザー級と呼んでいる。ほとんどの団体の基準は概ね100kg未満であるがヤード・ポンド法が用いられ、WWEでは2016年に復活させたクルーザー級の定義として205lbs(約93kg)以下、全日本プロレスでは231.5lbs(105kg)までがジュニアヘビー級として扱われる。基本的数値の基準としては海外や新日本プロレスの220lbs(99.8kg≒100kg未満)が用いられている。ボクシングと違い公式な計量は存在しないことが殆ど(メキシコを除けば必要に応じて行われるのみ)。階級を超えたマッチメイクもしばしば行われて軽量級に在籍しながらヘビー級戦線で活躍するレスラーも少なくない。近年ではシャープな肉体の選手が増えた為、105kg以下のヘビー級戦士も多く全日本のようにヘビー級の体重制限を事実上廃止した団体も存在する。また、WRESTLE-1のクルーザー級は200lbs(90.719kg)までとしている。旧ZERO-ONEは巨漢レスラーが多く参戦していたためにヘビー級の上に130kg以上のスーパーヘビー級を置いたことがある。力道山時代の日本プロレスではジュニアヘビー級の下に190lbs(86.28kg)未満のライトヘビー級を置いていた。NWAはその下にさらにミドル級、ウェルター級を設置してより詳細な階級区分を行っている。ルチャ系の団体では全体的に体重の軽い選手が多いためミドル級、ウェルター級などで分類されることもある。DRAGON GATEの軽量級に当たるオープン・ザ・ブレイブゲート王座は180lbs(82kg)以下を対象としており、ウェルター級に該当する。インディー団体では体格に優れたレスラーが少ない傾向にあるため階級区分が行われていない団体が多い。
また、みちのくプロレスの東北タッグ王座のように、個々の体重制限はないが選手2人の合計体重が200kg以下というものもある。
なお、女子プロレスにおけるジュニアとは軽量級カテゴリーではなく経験の浅い若手選手を指すカテゴリーである。全日本女子プロレスでは軽量級はスーパーライト級と呼ばれ、132lbs(60kg)以下を対象としていた。GAEA JAPANにおけるクルーザー級もほぼ一致する。アイスリボンのICE×60王座も存在していたが体重制限が撤廃されて現存するタイトルは無差別級となる。
服装
試合時の服装は団体によって規定、禁止されているものを除けば特に規定はなく、様々な種類のコスチュームが存在する。男子の場合、一般的には上半身半裸で以下の種類が使用されている。
着衣
- ショートタイツ
- ビキニ型のパンツ。最も一般的なリングコスチュームで黎明期から現在に至るまでほとんどの団体の選手で見られる。伝統的に新日本プロレスでは黒、全日本プロレスでは赤、青、黄、緑などカラータイツが好んで着用されて新人選手の多くは無地のこのタイプを着用している。また、馬場全日系は新日系よりも股上が深いものを使用する傾向があった。黒色無地のタイツに肘、膝のサポーター類を一切着用しないスタイルはストロングスタイルの象徴と呼ばれ、現役では藤波辰爾、長州力、中西学、西村修らが実践している。一定のキャリアを積んだ選手の中には柄付きやロゴ付きのものを着用しオリジナリティを演出する者もいる。他のタイプのコスチュームを着用する時もアンダーウェアとして着用されるほか三沢光晴などのようにロングタイツの上から着用するパターンもある。
- ロングタイツ
- 腰から膝下、または足首付近までを覆うタイツ。こちらも古くから使用されており、日本では力道山が使用していたコスチュームとしても有名。リングシューズ、膝サポーターをデザインの一部に組み込むことができるのが特徴。膝下までのタイプは俗に「田吾作タイツ」と呼ばれて上田馬之助、ドン荒川、矢野通などジャパニーズヒールの代名詞となっている。
- ショルダータイツ(ハーフショルダータイツ)
アマチュアレスリングで使用されているシングレットと基本的には同一のものだが脚部がロングタイツになっているものや肩がワンショルダーになっているものもある。アマチュアレスリング出身の選手が着用するほか、アンドレ・ザ・ジャイアント、ベイダー、吉江豊、曙など上半身の肉が厚い超重量級の選手が体を引き締めて負荷を軽減するために着用する。- ショートスパッツ、ハーフタイツ
- 上記のコスチュームよりも比較的新しい時期に登場したコスチューム。ショートスパッツは総合格闘技で主流のコスチュームで格闘技色の強い選手は好んで使用する傾向がある。
- 全身タイツ
- 上半身、下半身両方を覆うタイツ。体全体をデザインとするため獣神サンダー・ライガー、マスカラ・サグラダなど覆面レスラーに着用者が多い。MVPは上半身がロングスリーブ、下半身がハーフタイツの自転車競技用のスキンスーツに近いデザインの変型タイツを着用している。
- パンタロン
- タイツタイプの裾だけが広がってる物と道着のような全体に絞めつけのない物とがあり膝サポーターをコスチュームの下に隠してしまえる利点がある。蹴り技を得意とする選手や軽量級の選手に着用者が多い。また日本の袴を連想し東洋的なイメージを演出するためにザ・グレート・カブキ、グレート・ムタ、越中詩郎(道着[12])、新崎人生=白使(ハクシ)、TAJIRIの他、前者のタイツタイプはタイガーマスク(初代)、小林邦昭、橋本真也などが着用していた、現在はタイガーマスク(4代目)が着用している。
- 道着
- 柔道や空手で使用されているものとほぼ同一で、それらの出身の選手が自身のバックボーンをアピールする目的で着用するが上衣や帯は首を絞めるための凶器にもなり得るためズボンのみ着用する選手も多い。平成維震軍はチームコスチュームとして使用した。
- トランクス
- ボクシングや総合格闘技の出身者が着用することが多いがプロレスでは着用者の絶対数は比較的少ない傾向にある。トニー・ホーム、桜庭和志、杉浦貴が代表例。
- 普段着
- 市販の普段着のほか普段着に似せて作られたコスチュームも存在する。傷や衰えた体を隠す目的で上半身にシャツなどを着用する選手も多い。デスマッチ系の団体では有刺鉄線や蛍光灯の破片などに対する皮膚の保護を目的として着用する選手もいる。FMWの大仁田厚が有名。
- 袴
- 荒武者のニックネームで知られる後藤洋央紀は2011年から黒い袴を着用してリングに上がっている。
アンドレ・ザ・ジャイアント、ビル・ロビンソンが体重の増加でショートタイツからショルダータイツに変えたように経歴において複数のタイプを使った例も多い。
その他
- マスク
- ペイント
- マスクと共にレスラーのキャラクター形成を行うためのアイテムで、顔面ペイントはザ・グレート・カブキが元祖。ジャイアント・キマラ、サイバー・コングのようにボディペイントを施すレスラーも存在する。汗や衝撃によって試合時間が経過するごとに剥がれていくのが難点。そのため現在のグレート・ムタは、塗料に加え合成樹脂やラバー製の特殊メイクを貼り付けることによってペイントの代わりとし剥がれを防いでいる。
- サポーター、パッド
- 肘や膝を保護する目的で多くのレスラーに使用されている。中には金属製など硬質のものまで存在して団体によって禁止されているものもある。
- リングシューズ
- 脹脛まで覆うボクシングタイプのもの足首までのアマチュアレスリングタイプのものなどが使用されている。基本的には選手の体型に合わせて製作されており、近年の練習や試合での事故の増加に伴い、新日本プロレスがプロレスの運動に適した専用のリングシューズの開発をメーカーに要望している。佐山聡によれば(1985年頃までの)リングシューズは非常に危険なもので、材質である皮自体が硬く紐もついており特に底のゴムは2センチメールほどもある非常に固いものであった。このリングシューズを用いて顔面を蹴れば惨事は免れず、またトーキックなどを放てば当たり所によっては命に関わりかねず腕でガードしても肘の方が壊れてしまうような凶器であり競技でこれを着用してキックを放てる様なものではなかったという[13]。
- レガース
- 足の甲から脛にかけてを覆い蹴りによる自身、相手双方の負傷を防ぐ目的で着用される。蹴り技を得意とする選手や格闘技色が強い選手が着用する傾向にある。UWFではスタンダードコスチュームとして着用が義務付けられており、その名残でUWF系団体出身の選手に着用者が多い。現役では永田裕志、柴田勝頼、飯伏幸太らが着用している。
入場時
入場時に限り、専用の服装をする選手もいる。多くは公式グッズのTシャツか、ガウンを着たりしている。ガウンに関しては様々な形があり、古くは着物タイプのものが主流であったが近年では選手のギミックに応じて色も形状も大きく異なっている。その他、真壁刀義やスタン・ハンセンのようにロープやチェーンなどの凶器を持ち込む者こともある。マスクを被ったりするものいる。代表例として桜庭和志、紫雷イオが挙げられる。珍しいものとして、スーツ着用の内藤哲也が挙げられる。
プロレスの歴史
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プロレスの起源
いわゆるアマチュアレスリングよりも歴史は古く[14]、近代オリンピック以降ルールをスポーツとして整えた際に大きく枝分かれをしている。1896年、第1回近代オリンピックアテネ大会で行われたレスリングは当時のプロレスルール(現在のグレコローマン・スタイルに準じたものであるが)で行われていた[14]。
その起源はイギリスのランカシャー地方のランカシャーレスリング(キャッチ・アズ・キャッチ・キャン)にあると言われている[15]。アマチュアレスリングのグレコローマンスタイルを賞金マッチで行ったものがアメリカで行われていた記録もあり、もう1つのプロレスのルーツとなっている[6]。
19世紀の初め頃にボクシングとともにイギリスで興行が開始されている。有名な「プライズ・ファイター」(現在のボクサー)ジェームス・フィグはベアナックル(素手)、蹴り技、投げ技、絞め技、噛み付き、目つぶし、髪の毛つかみのある当時のボクシングのほか、レスリングも得意であった。
1830年代にはアメリカにレスリング勝者に懸賞金が与えられるという興行が伝えられエイブラハム・リンカーンも行っていた。キャッチ・アズ・キャッチ・キャンとグレコローマンのミックスマッチ(3本勝負で混ぜる)や更に腰から下へのキックを認めるというような変則的なルールが各地、各試合毎に行われていた。
現在のプロレスに直接つながっているのは19世紀後半のアメリカに広まったカーニバル・レスリングとされる[6]。カーニバル・レスリングは"athletic show"あるいは短く"at show"と呼ばれた、いわゆるサーカスの出し物の一つとして行われ、その中では、レスラーは観客の挑戦を受けて試合(いわゆる"all comers")をしたりレスラー同士、あるいはボクサーとの模範試合を披露していた。19世紀末まではレスリングのみのショーは試合数が限られていたため、レスリングを職業として生活するためには、このようなカーニバル・レスリングに参加するか1人で旅芸人として巡業する必要があった。
大仁田厚は自身が設立したFMWへの批判に対して、「プロレスの起源はサーカスの見世物」と反論して大仁田とは対照的な正統派ルー・テーズも、自伝においてカーニバル・レスリングと旅芸人がプロレスの起源と述べている。カーニバル・レスリングをプロレスの起源とする考えはアメリカでは一般的であり、kayfabe(ケーフェイ)、mark(マーク)、boy(プロレスラー)、bump(受け身)といったプロレスの隠語も、カーニバル・レスリングで用いられた言葉とされる。一方、日本のプロレス研究家、あるいは、マーク向けライターはカーニバル・レスリングをプロレスの起源とすることに否定的である。例えば日本において出版されたルー・テーズの自伝では前述のプロレスの起源に関する記述はない。これは"at show"の内容が非常に娯楽色が強くプロレスを真剣勝負として紹介している人たちのビジネスに都合が悪いためと思われる。
1880年代に人気レスラーであり警察官でもあったウィリアム・マルドゥーンが警察を退職、専業という意味で最初のプロレスラーとなった。マルドゥーンは劇場などの常設施設で行われるレスリング・ショーの発展に努力して後に「アメリカン・レスリングの父」とも呼ばれるようになる。
1890年代にはカーニバル・レスリング出身のマーティン・ファーマー・バーンズがイバン・ストラングラー・ルイス、トム・ジェンキンスらとの試合で人気を集めた。その後バーンズはフランク・ゴッチを始めとする多くのレスラーを育てレスリングの通信教育も行った。バーンズもまた「アメリカン・レスリングの父」と呼ばれる。
20世紀前半
20世紀に入ると、ジョージ・ハッケンシュミット、スタニスラウス・ズビスコといったヨーロッパの強豪レスラーがアメリカを訪れ、トム・ジェンキンス、フランク・ゴッチ、アドルフ・エルンスト(後のアド・サンテル)らアメリカのプロレスラーと対戦して、レスリング・ショーを盛り上げた。
1910年代よりアメリカの人口は都市に集中し始め、その結果、町から町へ渡り歩く"at show"は下火となった。代わりに、劇場などで行われるレスリング・ショーが増えてレスラーは都市を中心としたテリトリー内を巡業するようになった。このことはレスラー間のつながりを強めて事前に試合内容を調整することを容易にした。
1920年代になるとエド・ルイス、トーツ・モント、ビリー・サンドウ(通称「ゴールドダストトリオ」)が数百名のレスラーを配下にして、プロレスラー同士で架空のストーリー(最も分かりやすいのは「善玉」と「悪玉」の闘い)を演じさせた。また、従来の試合では基本的に1回のショーでは1試合だけを行っていた。プロレスラーにほとんど動きがないまま1時間以上経過するようなことも珍しくなかったためである。これを改め事前に様々な調整することにより、複数の試合からなる興行を行った。これらによりプロレスの人気は高まったが一方で報道、賭博など社会的な場においてプロレスが普通の意味でのスポーツとして扱われる機会は激減。
1920年代にはプロレス・ショーの仕組みは完成してメキシコ、日本、カナダなどにも伝わる。なおメキシコのプロレスはルチャリブレと呼ばれる。
アマチュアスタイル興行復興の試み
2005年3月にアメリカでリアル・プロレスリング[16](RPW)なる格闘技団体が発足した。これは全米大学体育協会(NCAA)レスリング大会などのアマチュアレスリングで活躍した選手が全米各地区のチームに所属して純粋な競技スポーツとしてプロレスリングの活動を行うというものである[17]。ルールや試合場はアマチュアレスリングのフリースタイルに近く、ポイント制であり、打撃や極技などは禁止である。アマチュアとの違いとしては、リングの外に相手を押し出すと得点となることや、攻勢を維持していた選手にボーナスと呼ぶ得点機会を与えることなどがある。
日本におけるプロレスの歴史
戦前
最初の日本人レスラーはソラキチ・マツダとされている[18][19]。初の世界王者は世界ジュニア・ウェルター級王者となったマティ・マツダ(1921年)[20]。戦前にはハワイでキラー・シクマ(志熊俊一)が日本人初の重量級レスラーとして活躍したことが、プロレス系の個人サイトに遺族が投稿したのを機に近年、明らかになった(後に週刊ゴングで漫画化されている)。その他に数名の日本人、日系人が主にアメリカでレスラーとして活動していたことが確認されている。
マツダとともにレスラーとして活躍した三国山は帰国後の1887年に東京の銀座で「西洋大角力」を開催しており、これが日本初のプロレス興行とされている。しかし観客は集まらず失敗に終わっている。
1921年にアメリカのレスラーのアド・サンテルが弟子のヘンリー・ウェーバーを連れて来日して講道館柔道に対戦を要求。講道館は対戦を拒否したが、系列の弘誠館が受けてたち、永田礼次郎、庄司彦雄、増田宗太郎、清水一の4名の柔道家が対戦。今で言う異種格闘技戦であり、試合は東京の九段の靖国神社相撲場で3月5日と6日の両日に行われている。なお、この試合に関しては「プロレス対柔道」のタイトルで週刊少年ジャンプにて漫画化されている[21]。
日本の大手プロレス団体は力道山がデビューした1951年を日本におけるプロレス元年としている。プロレス興行が根付いたのは戦後に力道山が1953年に日本プロレスを旗揚げしてからのことである。しかし戦前にもいくつかのプロレス興行があったことが確認されている。また、戦後連合国軍最高司令官総司令部GHQ/SCAPによる武道の禁止指令により柔道が禁止されていたため柔道家の牛島辰熊が1950年2月に国際柔道協会(プロ柔道)を設立して木村政彦、山口利夫、坂部保幸らが参加したプロ柔道として力道山より早くプロ柔道興行を始めていたが4か月10回の興行後は木村政彦、山口利夫、坂部保幸が日本プロレスに移籍して最終的には力道山の手によって統一される。戦後間もない頃で多くの日本人が反米感情を募らせていた背景から、力道山が外国人レスラーを空手チョップで痛快になぎ倒す姿は街頭テレビを見る群集の心を大いに掴みプロ野球、大相撲と並び国民的な人気を獲得。
昭和後期、BI砲の時代
その後は日本国内においては力道山の率いる日本プロレスの独占市場であったが、力道山の死去後、東京プロレスと国際プロレス(いずれも現在は消滅)が相次いで旗揚げして、さらに力道山死去後の日本のプロレスを支えていたアントニオ猪木が新日本プロレスを、そしてジャイアント馬場が全日本プロレスを旗揚げして両エースを失った日本プロレスは崩壊する。それ以降しばらくの間は上記の2団体と当時は健在だった国際プロレス、そして女子プロレス団体である全日本女子プロレスの4団体時代が続くことになる。1970年代以降、猪木はプロレス最強を掲げてウィレム・ルスカ、モハメド・アリらと異種格闘技戦を行い、馬場もNWAとのコネクションから多くの大物外国人レスラーを招聘しそれぞれ人気を獲得。国際プロレスもヨーロッパ路線とデスマッチ路線を展開して独自のファン層を開拓。
1980年代に入ると馬場の弟子であるジャンボ鶴田、天龍源一郎、猪木の弟子である藤波辰巳、長州力らいわゆる鶴藤長天が台頭する。また新日本では佐山聡がタイガーマスクとしてデビューして、それまでヘビー級の過渡期として位置付けられていたジュニアヘビー級をヘビー級から独立した独自のカテゴリーとして、その礎を築いた他、子供層の取り込みに成功して、人気を更に増した。1984年にはUWFが旗揚げされ、ショー的要素を排除したシュートスタイルのプロレスを確立して、後の総合格闘技の台頭への布石となった。
平成期 - プロレス人気の低迷と団体乱立
1988年には大仁田厚がFMWを旗揚げ。デスマッチを主体とした興行で成功を収めてインディー団体というカテゴリーを確立。この団体は同時に「ハードコア・レスリング」の世界的なパイオニアという側面を持ってもいた。
1990年代に入るとFMWの成功を受けて多くのインディー団体が相次いで旗揚げされて団体乱立の時代を迎えた。この頃から馬場、猪木が第一線を退きプロレス人気に翳りが見えるようになった。それまでゴールデンタイムで中継されていたプロレス中継は深夜帯へと移動してジャンルのマニアック化が進む。一方、興行面では東京ドームなどの大会場の使用が進んだこともあって観客動員においては最高潮を迎えた。この頃からアメリカンプロレスがテレビ主導の興行に切り替えを行ったため外国人レスラーの招聘が困難になり日本のプロレスは日本人レスラー同士の闘いに重点を置くようになった。
新日本では闘魂三銃士(蝶野正洋、武藤敬司、橋本真也)、全日本ではプロレス四天王(三沢光晴、川田利明、田上明、小橋健太)が台頭して後にまで業界を牽引してゆく。一方、第2次UWFはUWFインターナショナル、プロフェッショナルレスリング藤原組、リングスに分裂(藤原組はその後さらにパンクラス、格闘探偵団バトラーツに分裂)して細分化が進む。1990年代後半に入るとK-1、PRIDEなど総合格闘技が台頭し、それまでプロレスが請け負っていた異種格闘技としての側面を奪われる形となった。古くからアントニオ猪木が「プロレス最強」を掲げていた背景から、これを受けて多くのプロレスラーが総合のリングに参戦するが準備期間の短さなどから結果を残したレスラーは少なく人気低迷に拍車をかけた。一方で、UWFインター、キングダム出身の桜庭和志や新日本プロレス出身の藤田和之など、総合格闘技のリングで大変優秀な戦績を収めた者もいる。
1997年にJWP女子プロレスのプラム麻里子が試合中の事故により死亡。日本プロレス史上、初めてのリング禍であった。
2000年代 - メジャー団体分裂による勢力再編
2000年代に入ると日本のプロレス界の勢力が一変した。全日本では馬場の死後は社長に就いた三沢光晴と馬場の未亡人として経営の権限を持つ馬場元子が団体運営を巡って対立し、三沢は殆どの所属選手と共に団体を退団してプロレスリング・ノアを旗揚げ。新日本でも、橋本真也が団体を解雇されて新たにプロレスリングZERO-ONEを旗揚げして新たな4団体時代を迎えた。一方で、所属選手の殆どを失った全日本は団体存続をかけて新日本との交流に踏み切ることにした。2002年に武藤敬司が新日本を退団して全日本に移籍、同年10月に同団体の社長に就任する。メジャー団体とインディー団体の交流は1990年代から頻繁に行われていたが2000年代以降はメジャー団体同士の交流が盛んに行われている。この頃からWWEが日本でも人気を博して、その流れを受けてファンタジーファイトWRESTLE-1、ハッスル、DDTプロレスリングなどエンターテインメント志向のプロレス興行が行われるようになった。2006年には国内初のプロレス統一機構の確立を目指しグローバル・レスリング連盟が発足したが、わずか1年で連盟としての活動は途絶えている。2000年代前半はいわゆる第三世代が台頭するが、人気面で上の世代である三銃士、四天王を凌駕することはできず依然として旧世代が興行の中心を担う形となった。しかし、2005年に橋本が、2009年に三沢が急逝し他の三銃士、四天王も退団や負傷欠場などによって定期参戦がままならない状態となり、さらに2000年代後半からは第三世代の下にあたる第四世代とも言える新世代の台頭が著しくなり各団体の勢力図が変革されていった。
現在
2011年には東日本大震災復興支援を目的として新日本、全日本、ノアによる合同興行ALL TOGETHERが開催され、翌2012年には新日本・全日本が旗揚げ40周年記念興行を合同で開催するなど団体同士の連携を強めている。2000年代に低迷してゲーム会社のユークスの傘下となっていた新日本プロレスは2012年にエンターテイメント企業「ブシロード」の子会社となり同社のコンテンツビジネスとの連携を深め、観客数と売り上げを大きく増やし、2016年には団体史上最高額の事業利益を達成している。ノアは三沢亡き後の団体をまとめきれず主力選手の離脱が相次いでいる。ノアを離脱した秋山準らはベンチャー企業のスピードパートナーズ(後の八丁堀投資)の傘下となっていた古巣の全日本に復帰する。しかし全日本のオーナーとなったスピードパートナーズ社長(当時)の白石伸生の運営に反発した武藤らが全日本を退団して、新たにWRESTLE-1を旗揚げ。一方、全日本は親会社の経営破綻により秋山を社長とした新体制で再出発。各団体で主力選手の退団、移籍が発生した他、インディー団体出身のレスラーによる地方団体旗上げが相次ぐなど、細分化も進んでいる。また現在、日本のプロレス市場はWWEを始めとする海外団体が強く関心を寄せており中邑真輔、小林健太、戸澤陽らがWWEへ進出した他、新日本やDRAGON GATEに参戦していた外国人選手が相次いでWWEへ移籍しており、WWE進出を狙う選手やWWEを解雇された選手が相次いで日本の団体に参戦するなど、移籍市場として一定の価値を獲得している。
女子プロレス
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女性によって行われるプロレス全般を指す。競技者を女子プロレスラー(じょしプロレスラー)と呼ぶ。経緯上、男子プロレスとは違う技術体系を持つ。
ミゼットプロレス
記事の体系性を保持するため、リンクされている記事の要約をこの節に執筆・加筆してください。(使い方) |
いわゆる低身長症、または小柄な人間が行うプロレス。通称「小人プロレス」。競技者をミゼットレスラーと呼ぶ。メキシコではミニエストレージャ。
マスコミにおける取り扱い
かつて各新聞社やテレビ局においてスポーツとして扱うかエンターテインメントとして扱うか議論となったが、新聞では一応はエンターテインメントとしての扱いという形で決着した。
- テレビ(中継対象として)
- 日本の地上波では日本テレビやテレビ朝日及び、その関連局が大手団体の興行を中継(主に録画)している。かつてはゴールデンまたはプライムタイムに60分の番組枠を持っていたが、日本テレビ系列は30分に縮小後2009年3月に撤退して、現在はテレビ朝日系列のみで深夜に30分と縮小されて放送されている。ケーブルテレビやCSといった有料放送でも放送しており、専門チャンネルも存在する。アメリカではUSA NetworkやSpike TVが放送を行っている。
- テレビ(報道対象として)
- エンターテインメントであると同時にスポーツでもあるという認識でスポーツ番組でも取り上げる。NTVやテレビ朝日などプロレス中継を行う局が取り上げることが大半。芸能人が試合を行う場合はワイドショーで扱われることがある。
- 1979年に行われた「プロレス夢のオールスター戦」は、当日参加したプロレス団体と放送局の結びつきが強いことを考慮して中継という形での放送はせず、メインイベントのBI砲復活試合(ジャイアント馬場・アントニオ猪木対アブドーラ・ザ・ブッチャー・タイガー・ジェットシン)のみを、中継ではなくスポーツニュース用の報道扱いであれば1局につき3分まで映像を流してもよいとの許可を出して日テレとテレ朝がそれぞれ中継を担当するレギュラーの実況アナウンサーによる解説でスポーツニュースの枠で放送されている。
- 一般新聞
- スポーツ面に掲載されることはほとんどない。著名レスラーの死去[22]、興行会社の倒産、関係者が刑事事件を起こすといった場合に報道される程度である。珍しい例としてジャイアント馬場が新聞の聞き書き欄に登場したり、死去した際に追悼コラムが掲載されたりした例はある。しかし2007年8月下旬から10回に渡り朝日新聞夕刊一面でプロレスの特集が組まれ、レスラー(現役、元)、関係者、古舘伊知郎、プロレスファンである内館牧子など、約30名のインタビューが掲載された。一般紙でこれだけ長期に渡り、さらに一面でプロレスの特集が組まれたのは異例中の異例である。
- スポーツ新聞
- 紙面上の扱いに新聞間で差があるものの格闘技と同様に報道される。試合結果、インタビューなどが掲載される。
- かつては、東京スポーツ(とその系列)とデイリースポーツのみが扱った(女子プロレスも掲載するのはデイリースポーツのみ)。1986年に大相撲の元横綱輪島大士のプロレス参戦と同時に各スポーツ紙が掲載するようになった。
- 専門誌(紙)
- 新聞と同様、試合結果(詳細な試合レポート)、選手インタビュー、その他企画記事などを掲載している。新聞よりも各団体のアングルの展開状況を解説する役割が強い。基本的にマーク層を主要購買層としてプロレスを純粋な勝負であることとして扱う。
- 団体が増えて、その一方でテレビ、新聞報道が少なかった時期(主に1990年代)は、試合内容を早く、詳しく知るための中心的な存在でありビッグマッチの数日後に「速報」という形で増刊号を発行することも多かったがインターネットの普及により、その優位性はほぼ失われた。そのため電子メディアとの差別化に苦しんで、発行部数は減少しつつある。それに伴い、掲載広告はプロレス関連企業の比率は低下して、消費者金融や出会い系サイトなどの割合が高くなっている[要出典]。2007年3月に休刊した週刊ゴングはプロレスとは全く関係ない玩具やアクセサリの誌上通販、出会い系サイトの広告を行っていた。以下は専門誌の代表的なもの。
- 週刊プロレス
週刊ゴング(休刊)→2015年にアイビーレコード(発売元は徳間書店)から月刊誌として復刊。→2016年、アイビーレコードが出版業撤退のため、事実上の休刊。
週刊ファイト(休刊)→2015年、ウェブサイト「ミルホンネット」が改題する形で「復刊」。
kamipro(旧:紙のプロレス、紙のプロレスRADICAL)(休刊)後継誌としてDropkickおよび、KAMINOGEに移行。
- 専門サイト(WEB)
- 専門誌と同様、試合結果(詳細な試合レポート)、選手インタビュー、その他企画記事などを掲載している。新聞、専門誌より速報性が高く、YouTube・USTREAM・Twitterなどの普及と相まって情報取得、拡散手段として重要な役割を果たしている。また専門誌の減少によりWEBマスコミの詳細か各団体の公式サイトでしか情報が取得できない団体も多くなりプロレス文化の下支えとなっている。
- 週刊プロレスモバイル
スポーツナビ[23]- バトル・ニュース[24]
- リングスターズ[25]
- ファイト!ミルホンネット[26]
- ぼくらのプロレス[27]
プロレスTODAY[28]- ニコニコプロレスチャンネル
- 報道における特徴
- プロレス報道における最大の特徴は「『選手経験を持つ、専門の技術解説者』でなくとも解説が務まる」ことである。テレビ放送時はアナウンサーと解説が付くことが通例であるが、その場合の解説者は、現役レスラー、OBレスラー以外に、マスコミ関係者であることが多い。
プロ野球やサッカーにおいては、解説者は必ずしもその球団のOBではない。異なるリーグで一度も対戦経験の無かった、元選手が解説をすることも珍しくはない。しかし、プロレスの場合、引退後にフリーの技術解説者になって様々な団体の中継で解説を行うことは珍しい。旧WRESTLE-1解説の蝶野正洋や、WRESTLE-1の旗揚げ戦、2015年G1クライマックスで解説を行なった小橋建太、FIGHTING TV サムライにおいて女子全般を担当するブル中野は極めて稀なケースと言える。- 活字メディアにおいても同様であり引退した選手がコラムを寄稿することはあっても、その選手が全く関係を持たなかった団体の試合分析を行うことは珍しい[29]。プロレスラーには厳密な引退は存在せず廃業のみがあり、現役復帰が極めて多いことも理由である[要出典]。
- プロレスがプロ野球やプロサッカー、プロボクシングと違い、スポーツとして取り扱われない理由は台本の存在にある。逆にオリンピック競技の1つであるアマチュアレスリングは、スポーツとして扱われている。マスコミ関係者による解説は「気合」、「殺伐」といった精神論的、抽象的表現に終始してしまうことが多い[要出典]。
- 一時期、大仁田厚がフリーの解説者になると表明したことがあったが、結局活動は行われなかった。
- ジャーナリズム
- プロレスにはスポーツジャーナリズムは存在しないことも特徴のひとつである[要出典]。芸能産業、興行ビジネスであるため何らかの形で各地域の暴力団と関係を持ちトラブルが発生したりレスラーがマルチ商法の広告塔としてメディアに露出した場合は前述の専門誌やスポーツ新聞は黙殺、無視のスタンスを取り、報道を行わない。この様なトラブルを扱うのは主に一般週刊誌などである。近年では暴露本の類のムックが多く発行される様になった。
- 日本のプロレスにおいては、しばしば団体から報道各社に対し「取材拒否」が行われることがある。これは団体に対し不利益な記事を書いたために行われることが大半である。取材拒否はそのままその団体のファンが買っていた分の販売部数の減少に繋がるため広告収入で成り立つマスメディアにとって致命的となるため、プロレス紙誌は各団体の機関誌・広報誌以上の内容にはならないことが大半である。
- 力道山時代からプロレスは「プロレス村」と表現される程に閉鎖的、排他的傾向を持ちマスコミもその閉鎖性を保持、維持する立場を取ることが多い。PRIDEがKRSによる主催であった時代「あなた達(KRS)は何者なんですか」という質問がなされたことを代表に、詳細な取材よりも団体から流されるリリースをそのまま掲載することが少なくない。
- 選手インタビューと銘打たれていても事実を述べてそれに対しての選手や考え方を訊くような質問の意図が明確な内容よりも選手の独白に記者が詩的修飾語が多用された解説・脚注を加えたものが掲載されることは少なくない。
- この傾向はプロレス雑誌での試合観戦記においても例外ではなく後述の「台本」の項の通りターザン山本編集長時代の週刊プロレスのように裏金や誌面優遇などの癒着の見返りに記者自らが台本を決定していた行為が公然と行われていた時代には他スポーツの観戦記に見られる様な試合経過を淡々と写実的に解説する文面ではなく試合展開や背後のアングルをベースに詩的修飾語が多用された小説かポエムに近い内容の観戦記も多々見受けられた。
- なお、ライターの斎藤文彦は上記に異を唱え、「プロレス・マスコミ」という存在があることが、日本において特殊なジャーナリズムと記述している[30]。
ショー的側面
ブック
ブックとはプロレスの試合における段取りや勝敗の付け方についての台本のこと(なお照明、音響、撮影係等のスタッフ用の興行進行台本はこれとは別の物)。この台本を考案、作成する人間を「ブッカー」または「マッチメイカー」と呼ぶ(ただしbookerのbookは「出演契約を取る」という意味のbookであり「脚本家」という意味ではない)。ブッカーはリング外での筋書き(アングル)及び試合展開や決着方法についての台本を考えてレスラーはそれに合わせた試合を行う。勝敗以外の詳細な試合展開については、試合を行うもの同士の裁量に任されることが多いと言われて口頭での打ち合わせによる。
基本的に試合展開や決着方法に関するブックは当事者以外には知らされないとされているが進行や演出の都合上の音響、撮影スタッフに伝達されることがある(後述)。
WWEの内幕を描いたドキュメンタリー映画『ビヨンド・ザ・マット』では、ザ・ロックとミック・フォーリーが場外乱闘時の観客席の移動ルートやパイプ椅子での殴打回数などを打合せするシーンが見られる。またWWEは経営上の理由(スポーツよりショー・ビジネスとして登録する方が税金、保険料が低くなり税制上有利、また株式上場にあたり台本の存在を非公表のまま上場することがコンプライアンス上問題がある)から台本の存在を公言した。また所属レスラーが死亡した際に物語上で対立していたレスラー[誰?]が「対立はあくまでもエンターテインメントでありリング外では家族の様な関係であった」と自身のWebサイトで弔意コメントを出した。
リック・フレアーは自身のDVDの中で当時のNWA王者決定方法について述べている。
日本の場合は団体自らが台本の存在を公言したことは無い。芸能人やタレントも試合を行うハッスルのように「エンターテインメント」をキャッチコピーとして用いる団体は存在する。日本のプロレスで台本の存在が公になったのは法廷である。大仁田厚と渡辺幸正の試合終了後の乱闘で渡辺が負傷したことについての裁判では、東京地方裁判所が「通常のプロレス興行で、事前の打ち合わせ無しに相手に攻撃を仕掛けることは許容されておらず、観客に見せるプロレス興行としては異質の暴行」との裁判例を示した。また女子プロレス(アルシオン)でもアジャ・コングとロッシー小川(小川宏)社長間の名誉毀損や肖像権をめぐる裁判で台本の存在を認定した上で判決が行われた。
裁判以外でも個人が日本の団体における台本の存在を明かすことはある。
マット・モーガンが海外でのインタビューで「新日本プロレスで永田裕志と試合を行った時、フィニッシュ・ホールド(決着を付ける技)だけは前もって説明が必要であったが、それ以外は話すことなく試合をさせてくれるので自由で良い団体だ」と語った。近年多く出版されるプロレス内情暴露本では新日本のOBレスラーが昔は台本はあってもそれ以外の部分は必死に闘っていたのに、今のレスラーは必死さが足りないと嘆く形で存在が明示された。
台本の存在や取り決め方は新日本プロレスのレフェリーであった、ミスター高橋が自著で詳しく述べている。またプロレスの台本の存在をトリックに組み込んだミステリー小説『マッチメイク』が江戸川乱歩賞を受賞。
新日本で行われた異種格闘技戦も台本が存在したとミスター高橋は著書で述べている。代表的なものとして柔道メダリストのウィレム・ルスカとアントニオ猪木が試合をした場合もルスカはプロレス技を数多く受ける台本を打ち合わせの時点で了承していたと述べた。
全日本の場合には元週刊プロレス編集長であったターザン山本が、近年自著の中で台本の存在を明らかにした。全日本からのSWSによる選手の引き抜きに伴い、ジャイアント馬場が山本に裏金を渡した上で誌上でのSWSバッシングを行う様依頼したことが契機となり、山本と癒着に近い関係が生まれ、馬場はその後週刊プロレス誌上で全日本プロレスを優遇する見返りに、ビッグマッチにおける台本を山本および一部記者に決定させる権限を与えていたと山本は述べている。代表的なものとして、後の四天王プロレスの原点とも言われ、三沢光晴が大きく飛躍する契機となったジャンボ鶴田対三沢光晴戦の決着を、ピンフォールではなくフェイスロックでのギブアップとする結末を山本達が決定したことなどが挙げられる(ただし実際には三沢が鶴田からギブアップ勝ちをしたのは三沢が飛躍する契機となったシングルマッチではなく鶴田のライバルとしての地位を確立した後のタッグタイトルマッチである。三沢の対鶴田シングル初勝利はピンフォール勝ち)。また台本の存在が公表されているアメリカで出版された外人レスラーの伝記に「この時の日本遠征では世界王座が移動する予定はなかった」などの記述が登場することがある。ハーリー・レイス、リック・フレアーの自伝など。
金子達仁による高田延彦を扱った書籍「泣き虫」において高田が台本の存在を明示している記述がある。
長野県を中心に活動している信州プロレスや芸人たちによるギャグプロレス団体の西口プロレスではキャッチコピーに「台本重視、安全第一」などと掲げている。
ラジオ番組オールナイトニッポンでゲスト出演した構成作家が某女子プロレス団体でも仕事を行っていると発言。
当時全日本プロレスを中継していた日本テレビ系列のよみうりテレビが製作したアニメ「シティーハンター2」の第12話「場外乱闘流血必至!!恋のコブラツイスト☆」(1988年6月24日放送)では「プロレスはショー」という台詞が取り入れられている。
ただし個人が台本の存在を明示することはあっても全ての団体、全ての試合に台本があるという証明がされているわけではないので、その点においては理解が必要である。
台本通りの試合展開にならなくなることをそれを引きちぎる様から「ブック破り」と呼ばれる。ブック破りは一方の選手が意図的に行うことが多いが何らかのアクシデントのためやむを得ずブック破りになってしまう試合もある。
アングル
試合以外にも、リング外での選手、グループ、団体間の衝突(主に抗争、と表現される)のアングルと呼ばれるストーリー展開も重要な要素であり、いかに観客の注目を集めて継続性の強いアングルを展開出来るかが、観客動員に大きく影響する。
アングルを巡業(シリーズ)を通じて展開、消化して最終戦において(大会場で開催されてテレビ放送ではペイ・パー・ビューとなる場合が多い)決着を着ける。そして新しいアングルを展開する。プロレスは試合とアングルを楽しむものであり連続ドラマと類似している。
ギミック
特に20世紀中期以降のアメリカ合衆国のプロレスなどの場合、選手には一定のキャラクターギミックが要求された。それにはレスラーが考えたものもあれば団体から提示されるものもあった。
特定の人物が悪役(ヒール)として振る舞う。悪役は反則するのが当たり前で審判の目を盗み、あるいはその制止をも無視して反則技を振るい、客の正義感を沸き立たせる。大半は最後に敗北して客は溜飲を下げるが場合によっては反則攻撃などの汚い手段で勝利、反則負けをする。悪役が勝っても反則負けをしても次回の試合への客の関心を集める役目を果たした。これに対して正義漢、善玉の役割をベビーフェイスという。やられ役が負けることをジョブという。
特にアメリカのプロレスではその面が顕著で日本でも昭和期のプロレスにはその色が強かった[31]。悪役は往々にしてステレオタイプな嫌われ者を体現して特に外国出身を名乗る選手では人種的民族的偏見を明確に示す場合があった。場合によっては近くの国の出身者がその国の出身者に仕立てられることもあり悲喜劇的な例としてソビエトの支配による社会主義体制を嫌ってユーゴスラビアからアメリカに亡命したニコライ・ボルコフが試合前にソ連の国歌を歌うなどのギミックを背負った悪役にされた例がある。
またギミックには世相が反映されることが多い。特にアメリカではその傾向が強く第二次世界大戦後には真珠湾攻撃を連想させる不意打ちを連発する「卑劣なジャップ」風のレスラーや「ナチスの残党」を名乗るレスラーが多数存在して、米ソ冷戦時代はロシア出身を名乗るレスラーが多数いたり湾岸戦争時にはアラブ人のギミックでサッダーム・フセインの側近を名乗ることで観客のヒート(興奮)を買う、といったことが繰り返された。
興行の進行用台本
前述の「ブック」とは別物である。ブックはレスラー間の試合内容の打ち合わせを意味するが、これは裏方スタッフのイベント進行用の台本であり各種機材の使用のタイミング・順序等を示したものである。
かつてインターネットオークションでZERO-ONEの興行「ZERO-ONE USA」のテレビ放送進行用台本が出品されることがあった。また日本ではFEGと全日本プロレスが中心になって開催されたイベント「WRESTLE-1」において小島聡の叫び声と同じ言葉「いっちゃうぞバカヤロー」が電光掲示板に表示され、レスラーと会場スタッフ間での段取り決めがあることを示した。もっとも、小島の「いっちゃうぞバカヤロー」は殆どの試合で見られる小島の得意の(1)対角線エルボー(2)「いっちゃうぞバカヤロー」(3)ダイビングエルボーの流れの中で出されるものであり、段取り決め等を行っていない観客も一緒に叫ぶことが通例となっている。また、日本の週刊誌(アサヒ芸能)が「ハッスル2」の会場スタッフ用台本を誌面に掲載したことがあり、それには勝者用のテーマ音楽についてなどの指示が記載されていた。
非ショー的側面
プロレスは真剣勝負やスポーツではないが例えば蹴り技ではK1などの格闘技のように相手選手の急所を狙う(膝へのローキックなど)のではなく、鍛えた筋肉で守られ怪我をする恐れが少ない部分をめがけ、力を込めて蹴っている場合もあるのであり同様の技を常人が受けた場合は危険が生じる(それに対してパンチの場合は、拳骨部を当てると顔が腫れ上がったり、骨折などの怪我を誘発する恐れがあり危険であるため寸止めが普通である)。プロレスラーが受けてもタイミングの狂いなどから危険が生じることは時々ある。スタン・ハンセンはブルーノ・サンマルチノの首をボディスラムのかけ損ないで骨折させたことがあり、またハンセン、ミスター珍、マリオ・ミラノなど試合中に失神してしまった例も多い。三沢光晴は業界一の受身の達人といわれていたがバックドロップの受け損ないで死亡している。ただし佐山聡によれば、多くのプロレス技は「暗黙の了解」がなければかかるようなものではなく、かつ格闘技には使えないものであると断じている[32]。
また本質は真剣勝負ではないとしても試合中に本気になってしまう場合など、それに近い試合が行われてしまうことはある。以下に例を挙げる。
小川直也対橋本真也は「シュート」(演劇的要素を無視した試合)に近いものであり試合中は本気のパンチを当てていた(相手にかけた関節技を自ら解くなど、完全な真剣勝負ではない)。- タッグマッチ中にエル・サムライが大谷晋二郎による顔面への攻撃に本気で怒り大谷を追い掛け回した挙句、味方である獣神サンダー・ライガーにそれを止められている[要出典]。
前田日明はアンドレ・ザ・ジャイアントが本気で危険な技をかけてきたのに対して、関節部への危険な蹴りを多発した(無効試合)。
試合中の細かい点までは決めない団体も多く、気性の荒い者たちによる試合中のトラブルは時々見られる。
演劇的、ショー的な要素はあるものの、プロレスにはそれにとどまらない部分もあると指摘されることもある。町山智浩はその一著において[要出典]、試合が「演技」であるプロレスは世間から最も軽蔑されているスポーツであるとしたうえで「演技」であるからこそプロレスは偉大なのだと論ずる。すなわち格闘技やボクシングにおいては、相手の攻撃に対する防御それ自体が「強さ」であるがプロレスにおいては、相手の攻撃をどれだけ受けられるかが「強さ」なのであるという。そうしたことから町山は、敵の攻撃の全てを受け抜いて「伝説」になったという点でイエス・キリストこそが世界最初のプロレスラーであったとしている。
用語の特殊性
日本のプロレスにおいては企業経営で用いられる言葉を他の表現に言い換えることが多い。以下はその代表例。また日本のプロレスのビジネスモデルの基盤を成立させた力道山が相撲取り出身だったため隠語は相撲と共通するものが多い。
- プロレスラーあるいは他のスタッフと契約して興行を行う一般では興行会社と呼ばれるものをプロレスではこう称する。規模によってメジャーとインディペンデントに分類される(詳細は後述)。
- レスラーが所属せず興行ごとに要員を契約する会社をプロモーションと呼ぶ場合がある[33]。道場(練習施設)を自社保有していれば団体と呼べると指摘されることもあるが、厳密に団体・プロモーションを分ける基準は無い。そのため数人程度の所属選手とフロントのみで練習は他団体の道場やジムで行っている興行会社であっても「団体」を自称する興行会社も多い。
- また、プロレス興行を行わないもしくは年間興行数が非常に少なく自社の保有する練習施設を利用しての所属選手育成および他団体派遣を中心行う会社[34](フリーのプロレスラーの所属事務所[35]もこれに含まれる)は「事務所」、「オフィス」、「道場」などと称する場合もあり、これらも「団体」を自称していることもある。逆にこれらに所属する選手は「フリー」として扱われる場合も多い。
- しかし、団体=組織を表すのでは無いため、所属選手が1人でも団体を名乗ることが出来る[36]。
- メジャー団体、インディペンデント団体
- プロレス団体はメジャーないしはインディペンデント(略称はインディー)団体と表現される場合がある。規模の大きさに依存する概念である(詳しくは「インディーズ」を参照)。海外の場合WWEは株式上場しているが、現在のところ日本では上場している団体は無い(2015年7月に新日本プロレスが3年から5年後の株式上場を目指すことを表明している[37]。それ以前にも2006年9月に大阪プロレスが株式を公開して将来的に上場するという予定を発表していた)。
- インディー団体は運営規模から、総じて地域密着型の団体が多く所属レスラーもメジャー団体に比べて小柄なレスラーが多い。
- 規模や旗揚げの経緯からメジャーにもインディーにも括りきれない団体は「準メジャー」、「ボーダー」と表現されることもある。
- メジャー/インディーの区分の基準には団体規模以外にも以下のものを提唱する人間が一部いる。
- 地上波テレビ中継の有無
- 全国規模の巡業
- 団体または関連会社が管理する道場(寮とリング他練習用具が一体となった施設)の有無
- かつては小規模団体は自前でリングを持たないため、練習は他団体の施設を空き時間に借り興行ではリング屋から賃貸することが多かったが近年は小規模団体でも練習設備が充実している団体が多いことから現在この条件を用いることはほとんどない。
- 一部マスコミでは新日本プロレス、全日本プロレスを「2大メジャー団体」、これにプロレスリング・ノアを加えて「3大メジャー団体」と呼称しており、プロレスリングZERO-ONE(現:プロレスリングZERO1)が活動していた時期にはこれを加えて「4大メジャー団体」などと呼称していたが団体がプロレスリングZERO1-MAXに改称して以降は活動規模を大幅に縮小したために上述の準メジャー団体、長州力など一部のレスラーからはインディー団体として扱われている。またDRAGON GATE(旧:闘龍門JAPAN)はインディー発ながら興行規模においてメジャー団体に匹敵、あるいは凌駕しておりメジャー団体の一角に数える向きもある[38]他にDDTプロレスリングも同じくインディー発だが今日ではメディアによってはメジャーとして扱われることもある[39]。さらに大日本プロレスも既にインディーのカテゴリーではないという意見もある[40]。一方で全日本とノアが地上波放送を失い選手層が薄くなったことなどもあり2013年現在では新日本を唯一のメジャー団体とする見方もある[41]。
- 女子プロレスにおいては全日本女子プロレスが絶対的なメジャー団体として存在していたが解散後は女子プロレス界の縮小及び団体の細分化が進み女子団体すべて足しても男子インディー1団体のシェアにも勝てないと言われる[40]。
プロレスを題材としたフィクション作品
小説
- お父さんのバックドロップ
- 仰天・平成元年の空手チョップ
- リング・リング・リング
ファイアボール・ブルース(桐野夏生)
東京デンジャラス・ボーイ(ミスター高橋)
ヒッキー・カンクーントルネード(岩井秀人)
漫画、アニメ
- チャンピオン太
- タイガーマスク
- タイガーマスク二世
- タイガーマスクW
- ジャイアント台風
- ウォナビーズ
- プロレススーパースター列伝
- プロレス・スターウォーズ
- キン肉マン
- キン肉マンII世
- THE MOMOTAROH
- 1・2の三四郎
- 1・2の三四郎 2
- アグネス仮面
太陽のドロップキックと月のスープレックス(原作 : ミスター高橋、作画 : 落合裕介)- リッキー台風
- 遙かなるリング
燃える!女子プロレス(島本和彦)- まつりスペシャル
- ラヴ・バズ
- 肉の唄
スーパーエンジェルズ(わたべ淳)
君だけに愛を(金井たつお)
アリスがヒーロー(宮崎まさる、ともながひでき)
キャット(ほそかわ春)
七月革命!(池田多恵子)- ブリザードYuki
ルチャDOLL舞(飛鳥弓樹)
闘魂少女(林崎文博)- 超バージン!
悪役ブルース(梶原一騎、峰岸とおる)
爆骨少女ギリギリぷりん(柴山薫)- 世界でいちばん強くなりたい!
- ファイヤーレオン
プロレス狂奏曲(ニコラ・ド・クレシー)- ロリクラ☆ほーるど!
- 仁侠姫レイラ
格闘無制限巨娘ターミー(山田浩一)
実写作品
- チャンピオン太
- プロレスの星 アステカイザー
- グラン・マスクの男
- 1・2の三四郎
- いかレスラー
- ナチョ・リブレ 覆面の神様
- エル・ポポラッチがゆく!!
- お父さんのバックドロップ
- リングリングリング
- ワイルド・フラワーズ
- 渋谷系女子プロレス
- ガチ☆ボーイ
- Mask De 41
- ガイア・ガールズ
- レスラー
- スリーカウント
- ACACIA
- 反則王
- 大阪プロレス飯店
- 兜王ビートル
- ファイヤーレオン
- サブイボマスク
- 豆腐プロレス
ゲーム
関連書籍
佐山聡、1990年、『ケーフェイ』新装版、 ナユタ出版会 ISBN 978-4795220690(1985年の原本とはページ番号が違う可能性があるため検証者は注意された)
脚注
^ 松村明『大辞林』三省堂
^ 松村明『大辞泉』小学館
^ 新村出『広辞苑 第三版』岩波書店(1987年)
^ イミダス編集部『imidas現代人のカタカナ語』集英社(2006年)
^ ベースボールマガジン社刊「日本プロレス全史―1854年-2013年の闘いの記録」ベースボールマガジン社編著- ^ abc誠文堂新光社刊「プロレス語辞典」榎本タイキ著
^ なお、プロレス評論家の流智美によると「『ラスリン』は侮蔑的用語」「知ったような顔で得意げに『ラスリン』と口にしてレスラーに殴られた人間が何人もいる」という。
^ http://sportsnews.blog.ocn.ne.jp/column/fight090701_1_1.html
^ “「輝け!日本どインディー大賞2015」開催!【多重ロマンチック的ぼくらのプロレス】”. ぼくらのプロレス (2016年1月21日). 2016年8月22日閲覧。
^ “早稲田大学 大学院スポーツ科学研究科修士論文「プロレスの社会学的考察――『スポーツと文明化/興奮の探求』より――」斉藤文彦著”. 早稲田大学. 2016年8月22日閲覧。
^ この場合の6角形リングは単なる目新しさでは無くメキシコにあるルチャリブレ・クラシカという関節技とポイント制によるルールを用いた競技形式のために使われたものである。
^ 現在でも平成維震軍で一緒だった空手家でもある齋藤彰俊から受注しているとのこと(著書『やってやるって!!』より)。
^ 『ケーフェイ』新装版 pp.161-162- ^ ab“意外!? プロレスには185年もの歴史があった”. 日刊SPA! (扶桑社). (2015年8月2日). https://nikkan-spa.jp/904509 2017年4月18日閲覧。
^ ベースボールマガジン社刊『プロレスの教科書 "人間風車" ビル・ロビンソン直伝 "蛇の穴"のレスリング キャッチ・アズ・キャッチ・キャン スキルブック (週刊プロレスSPECIAL)』U.W.F.スネークピットジャパン著
^ 高木圭介 379:日本国内で「リアル・プロレスリング」は可能か? | 高木マニア堂 東京スポーツ(2012年11月2日)
^ Real Pro Wrestling(サイト運用停止中)
^ “ソラキチ・マツダの謎 (1) 力道山時代は知られていなかった?”. 私のプロレス研究ノート (2010年10月13日). 2016年8月22日閲覧。
^ “明治16年に渡米。“日本最古のプロレスラー”ソラキチ・マツダは蒸発した相撲取りだった”. 日刊SPA! (扶桑社). (2015年8月22日). https://nikkan-spa.jp/918933 2017年4月18日閲覧。
^ “日本人初のプロレス世界チャンピオンもまた行方不明者だった”. 日刊SPA! (扶桑社). (2015年9月25日). https://nikkan-spa.jp/944874 2017年4月18日閲覧。
^ 原作・原案:桜井康雄、作画:竜崎遼児にて、週刊少年ジャンプ1976年(昭和51年)第21~26号にかけて全6話にて連載。
^ ただし「著名」というのはプロレス界的な意味での著名ではなく橋本真也やブルーザー・ブロディの死亡記事が掲載されなかったという事実がある。
^ スポーツナビ
^ バトルニュース
^ リングスターズ
^ ファイト!ミルホンネット
^ ぼくらのプロレス
^ プロレスTIME
^ 週刊プロレスでコラムを持つ小橋建太など、ゼロではない。
^ “プロレス・マスコミは日本にしか存在しない仕事――フミ斎藤のプロレス読本#005”. 日刊SPA! (扶桑社). (2017年5月19日). https://nikkan-spa.jp/1332320 2017年5月20日閲覧。
^ なおギミックはプロレスに限った話ではなく例えばボクシングの「亀田三兄弟」など格闘技においてもギミックと理解出来るユニットが登場している。また叶姉妹のような「兄弟や姉妹を名乗って活動している他人」はプロレスでも「他人同士による兄弟タッグ」として多数の例がある
^ 『ケーフェイ』新装版 p.131
^ 代表的なものとしてハッスルを開催するハッスルエンターテイメントがある。
^ 代表的なものとして、団体化前の健介オフィスがある。
^ 高山善廣の高山堂や藤田和之の藤田事務所など。
^ 一例としてセッド・ジニアスのUNW
^ “新日本プロレス3年から5年後上場目指す”. デイリースポーツ. (2015年7月18日). http://www.daily.co.jp/newsflash/ring/2015/07/18/0008221270.shtml
^ 「闘龍門大百科 -ULTIMO DRAGON GYM公認」東邦出版刊
^ “プ女子や若い層にプロレスブーム再燃 背景は圧倒的ライブ感”. 週刊ポスト. (2015年6月26日). http://www.news-postseven.com/archives/20150619_329567.html- ^ ab週刊プロレスEXTRAvol.5 女子プロレスエロカワ主義III p.60
^ ロウキー&ジム・ロス解雇 新日社長交代 Bバックランド列伝 (め)組どインディ詳細 WNC広島 松本都WAVE ミャンマーラウェイ 曙ラーメン 蝶野正洋〜マット界舞台裏10月3日号 ファイト!ミルホンネット マット界舞台裏10月3日号
関連項目
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- プロレス選手権変遷史