アーセナルFC




























アーセナルFC
原語表記
Arsenal Football Club
愛称
The Gunners
クラブカラー
    赤(レッド)・    白(ホワイト)
創設年
1886年
所属リーグ
プレミアリーグ
ホームタウン
ロンドン
ホームスタジアム
Emirates-stadionin etupuoli.jpgエミレーツ・スタジアム
収容人数
60,260
運営法人
アーセナル・ホールディングス
代表者
スコットランドの旗 チップス・ケズウィック
監督
スペインの旗 ウナイ・エメリ
公式サイト
公式サイト


















ホームカラー














アウェイカラー














サードカラー


■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ

アーセナル・フットボール・クラブArsenal Football Clubイギリス英語発音: [ˈɑːsənl ˈfutˌbɔːl klʌb])は、イングランドの首都ロンドン北部をホームタウンとする、イングランドプロサッカーリーグ(プレミアリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。愛称はガナーズ(Gunners)[1]。サポーターはグーナー(Gooner)と呼ばれる。これまでリーグ優勝13回(プレミアリーグ優勝は3回)、FAカップ優勝13回など多くのタイトルを獲得している。


クラブのモットーは「勝利は調和の中から生まれる(ラテン語: Victoria Concordia Crescit)」。1949年から使用されたクレストに初めて登場する。現行のクレストは2002年から使用されており、大砲の上にサンセリフ体でチーム名が書かれている。




目次





  • 1 概要


  • 2 歴史

    • 2.1 創成期(1886年-1920年)


    • 2.2 ハーバート・チャップマンの時代(1925年-1940年)


    • 2.3 戦後初のダブル、フェアーズカップ(1947年-1980年)


    • 2.4 ジョージ・グラハムの時代(1986年-1995年)


    • 2.5 アーセン・ベンゲルの就任と無敗優勝(1996年-2005年)


    • 2.6 エミレーツへの移転と無冠の時代(2000年代後半)


    • 2.7 無冠時代の終焉とベンゲル退任(2011年-2018年)


    • 2.8 ウナイ・エメリ監督就任(2018年-)



  • 3 ユニフォーム


  • 4 ダービーマッチ


  • 5 エピソード


  • 6 タイトル

    • 6.1 国内タイトル


    • 6.2 国際タイトル


    • 6.3 親善大会(非公式大会)



  • 7 スタジアム


  • 8 現所属メンバー

    • 8.1 スタッフ


    • 8.2 選手

      • 8.2.1 ローン移籍



    • 8.3 リザーブ・アカデミー



  • 9 2018-2019シーズンのスポンサー

    • 9.1 LEAD PARTNERS


    • 9.2 OFFICIAL PARTNERS


    • 9.3 歴代胸スポンサー



  • 10 歴代所属メンバー

    • 10.1 歴代出場試合数記録


    • 10.2 歴代総得点数記録



  • 11 脚注


  • 12 関連項目


  • 13 外部リンク




概要


1886年に創立。現在のホームスタジアムはロンドンのエミレーツ・スタジアム(収容人数60,260人)。プレミアリーグに所属し、同リーグにおいて3回の優勝記録を持つ(フットボールリーグ時代を含めると13)。2003-2004シーズンには無敗優勝を達成したイングランド屈指の強豪である。クラブカラーは赤と白。1886年に軍需工場の労働者のクラブとして創設されたため、チームのエンブレムは大砲のマークを持つ。「ガナーズ(Gunners,砲撃手)」の愛称で知られる。



歴史



創成期(1886年-1920年)




1888年のアーセナルの選手達




創立当時の1888年に用いられたアーセナルのロゴ


1886年、ロンドン南東部ウーリッジ地区にあった王立兵器廠(ロイヤル・アーセナル)の労働者がダイアル・スクエア(Dial Square)のチーム名で結成した。1886年12月11日に初めての試合をイースタン・ワンダラーズと行い、6-0で勝利。しばらくしてロイヤル・アーセナル(Royal Arsenal)と名称を変更し、1891年、プロ化を果たすとともにウーリッジ・アーセナル(Woolwich Arsenal)へと改称した。


1893年にフットボールリーグ2部に加盟すると、1904年に1部へ昇格。しかし地理的要因により集客力が悪かった影響で、1910年に破産状態に陥り、ヘンリー・ノリス(英語版)に買収された。ノリスは2部に降格後の1913年、チームをロンドン北部のハイベリー地区にあったアーセナル・スタジアムに移転させると、翌年(1914年)、名称から「ウーリッジ」が外され、現在の名称となった。


1919年に5位でシーズンを終えるも、近隣のライバルであるトッテナム・ホットスパーを差し置いて1部昇格を果たす。これが現在まで続く両チームの激しいライバル関係の端緒となったという見方もある。



ハーバート・チャップマンの時代(1925年-1940年)


1925年、ハーバート・チャップマンが監督に就任する。チャップマンによる革新的な戦術やトレーニング法の導入、アレックス・ジェームス(英語版)クリフ・バスティン(英語版)といったスター選手の獲得が、1930年代にアーセナルがイングランドサッカーを支配する礎となった。チャップマンの下で1929-30に初のFAカップ優勝、1930-31に初のフットボールリーグ優勝を果たす。


スタジアム最寄りの地下鉄の駅名を「ギレスピー・ロード」から「アーセナル」へと変更させたのもチャップマンの手腕によるものと言われている[2]。ロンドンの地下鉄の中でサッカークラブのチーム名が駅名となっているのはアーセナルだけである。


夜間の試合のためにハイベリーのウェストスタンドに投光照明器を採用したのもチャップマンがリーグで初めてであったが、イングランドサッカー協会はその使用を50年代まで認めなかった。


また、リーグにおいて選手の背番号制を初めて導入したのもチャップマンである[2]。このように、アーセナルだけでなくサッカーの近代化に大きな貢献をしたチャップマンは、1934年に肺炎で急逝した。その死後ジョー・ショー(英語版)、続いてジョージ・アリソン(英語版)が監督を引き継ぎ、2人の下でアーセナルはチャプマン時代の1932-33、1933-34を含めたリーグ3連覇、2回のリーグ優勝(1934-35、1937-38)と2回のFAカップ優勝を果たした。しかし、1939年9月の第二次世界大戦の勃発と共にリーグは中断を余儀なくされた。



戦後初のダブル、フェアーズカップ(1947年-1980年)




1949年から2002年にかけて用いられていたエンブレム


第二次世界大戦後、アリソンの後を継いだトム・ウィタカー(英語版)の下でも1947-48、1952-53の2回のリーグ優勝、1949-50のFAカップ優勝を成し遂げるが、その後チームは低迷し、50年代はメジャーなタイトルを獲得することなく終わる。


1966年、クラブのフィジオセラピストだったバーティー・ミー(英語版)が予想外に監督へ抜擢されると、2度のリーグカップ準優勝を経て、1969-70にクラブ史上初のヨーロッパでのタイトルとなるインターシティーズ・フェアーズカップを獲得。更に1970-71にはリーグ優勝とFAカップ優勝のダブルを達成した。しかしダブルを達成したメンバーが徐々にチームを離れていくと、1970年代はタイトル獲得の一歩手前で足踏みするシーズンが続く。リーグ2位(1972-73)、3度のFAカップ準優勝(1971-72、1977-78、1979-80)、UEFAカップウィナーズカップ準優勝(1979-80)がこの間の成績で、獲得したタイトルは1978-79のFAカップ優勝のみである。マンチェスター・ユナイテッドを終了間際のゴールにより3-2で破ったこの試合は、アーセナルの歴史における名勝負の一つに数えられている。



ジョージ・グラハムの時代(1986年-1995年)


1986年に就任したジョージ・グラハムは元アーセナルの選手であり、クラブに第3の黄金期をもたらした。就任1年目の1986-87に初のリーグカップ優勝。1988-89のリーグ優勝はシーズン最終節で優勝を争っていたリヴァプールをその本拠地アンフィールドでロスタイムに下すという劇的なものだった。これは最も有名なアーセナルの試合の一つである。


1990-91に1敗のみでリーグ優勝、1992-93にFAカップとリーグカップを獲得、1993-94にカップ・ウィナーズ・カップを獲得。しかし、選手獲得の際にリベートを受け取っていたことが明らかとなって、1995年にグラハムは解雇された。後任はブルース・リオッホ(英語版)が務めたが、彼も1シーズンで退任した。



アーセン・ベンゲルの就任と無敗優勝(1996年-2005年)




2003-04シーズン、プレミアリーグ優勝の黄金トロフィーを受け取るキャプテンのパトリック・ヴィエラ


1990年代後半から2000年代にかけてのクラブの成功は、1996年に就任したアーセン・ベンゲルの手腕によるところが大きい。ベンゲルは新たな戦術、トレーニング法を導入すると同時に、イングランド人を補完する形で外国人選手を獲得した。食事制限や禁酒の徹底、外国人選手の登用などがプレミアリーグ全体にもたらしたインパクトは大きく、多くのチームや監督がベンゲルの影響を受けたと言われている。アーセナルは伝統的にフィジカルを前面に押し出した守備的な戦い方で知られており、1990年代後半は「フェイマス4」と呼ばれた4バック(トニー・アダムス、ナイジェル・ウィンターバーン、リー・ディクソン、マーティン・キーオン)とゴールキーパーのデビッド・シーマンを擁して堅固な守備を誇った。また、他チームのサポーターや攻撃的サッカーを好む一般のマスコミからは「1-0のアーセナル」「退屈で守備的サッカーを展開するチーム」などと揶揄された。しかし、ベンゲル就任後はこの伝統の守備的なチームカラーから一転、海外の選手を積極的に補強し、華麗なパスワークを武器にした圧倒的な攻撃力を誇るチームへと生まれ変わった。


ベンゲルは1997-98シーズンにクラブ史上2度目となるリーグ優勝とFAカップ優勝のダブルを達成し、更に2001-02シーズンにも3度目のダブルを果たす。2001-02のリーグ優勝は敵地マンチェスター・ユナイテッドの本拠地オールド・トラフォードで決めたものである。1999-00にUEFAカップ準優勝、2002-03と2004-05にFAカップ優勝。特に、2003-04シーズンはシーズンを通じて一度も負けることなくプレミアリーグ優勝(無敗優勝)を果たし、このチームは「インヴィンシブルズ(The Invincibles,無敵のチーム)」として讃えられた。無敗優勝はイングランドではプレストン・ノースエンド以来115年ぶりの快挙であり、優勝は最大のライバルトッテナムの当時の本拠地ホワイト・ハート・レーンで決定づけた。その後も49戦無敗を続け、この記録は未だに破られていない。なお、カップ戦を含めた無敗は2007年4月9日から同年11月24日にかけての28試合である。2005-06にはクラブ史上初めてUEFAチャンピオンズリーグ決勝に進出したが、バロセロナに破れて惜しくも初優勝を逃した。


アーセナルはベンゲル指揮下の16シーズン中、8シーズンでリーグ優勝及び2位の座を獲得しており、チームはフットボールリーグに代わって1993年に設立されたプレミアリーグで優勝を果たした6クラブ(マンチェスター・ユナイテッド、チェルシー、マンチェスター・シティ、ブラックバーン・ローヴァーズ、レスター)のうちの一つとなった。



エミレーツへの移転と無冠の時代(2000年代後半)


2006年6月、93年間使用したハイベリーに別れを告げ、エミレーツ・スタジアムへ移転した。こけら落しはアヤックスを招いて行われたデニス・ベルカンプの引退試合であった。


この時期のクラブ経営陣はエミレーツ・スタジアム建設に関わる負債の返済のために、チームの主力級の選手に対してチェルシーやマンチェスター・ユナイテッドといった他のビッグクラブで主力級の選手が得ているほどの高額な年俸の支払いを認めなかった上、たとえタイトルに恵まれない状況下でもトップレベルの実力と経験のある選手の獲得のために資金を投入しようとはしなかったため、タイトル獲得やより高い報酬を求めてクラブを去る主力選手が後を絶たなかった。このような理由でクラブを離れた選手には、ロビン・ファン・ペルシー、セスク・ファブレガス、アシュリー・コール、サミル・ナスリ、エマニュエル・アデバヨール、ガエル・クリシー、パトリック・ヴィエラ、アレクサンドル・フレブ、マチュー・フラミニらがいた。


2004-05にジョゼ・モウリーニョが監督に就任したチェルシーに得失点差で及ばずリーグ優勝を逃して以降、10シーズン以上もの間リーグで優勝できず、チェルシーやマンチェスター・ユナイテッド等の後塵を拝する形で次第に優勝争いから遠ざかる状況が常態化するようになっていった。またFAカップも2004-05の優勝以降、9年間タイトルに恵まれなかったほか、UEFAチャンピオンズリーグでは2005-06大会の決勝でバロセロナに破れて以来決勝の舞台には立てておらず、中には決勝トーナメント一回戦で敗退する年すらあった。


このように2000年代中頃から2010年代初頭はクラブ史における低迷期とも言える時期であったが、同時に世代交代の時期でもあった。ティエリ・アンリ、ベルカンプ、ヴィエラ、ロベール・ピレス、ソル・キャンベル、フレドリック・ユングベリ、ヌワンコ・カヌ、ローレン・エタメ・マイヤーといった黄金時代を支えた選手達が去る中でクラブは急速に世代交代を進めていき、チームの中心はセスク・ファブレガス、ファン・ペルシー、トマーシュ・ロシツキー、アンドレイ・アルシャビン、トーマス・フェルマーレン、バカリ・サニャ、コロ・トゥーレ、ウィリアム・ギャラス、ナスリ、アデバヨール、フラミニといった選手が占めるようになっていった。若手を中心としたチームはポテンシャルを感じさせるプレーを度々見せたものの、精神面やパフォーマンスに安定を欠いていたためか内紛が多く、先述のように主力選手が他のビッグクラブへと去ることも多かった。しかしこの間もセオ・ウォルコットやアーロン・ラムジー、ジャック・ウィルシャー、ローラン・コシールニーなどはチームに留まり続け、その後のチームの屋台骨を支える選手として成長していった。


2011年以後の補強の成功により、チームの戦力は徐々に充実していった。2011-12シーズンはセスク・ファブレガスが退団したが、ミケル・アルテタ、ヨッシ・ベナユンらを補強した。2011年にブレーメンから移籍して来たペア・メルテザッカーは、1年目は怪我に苦しんだものの、2012-13にはコシールニーとの息の合ったコンビネーションを見せた。この2012-13シーズンはファン・ペルシーが退団したものの、マラガから加入したサンティ・カソルラが加入直後からチームにフィットしてチームの躍進を支えたほか、モンペリエからオリヴィエ・ジルーが加入して47試合に出場し17ゴールを記録した。



無冠時代の終焉とベンゲル退任(2011年-2018年)


エミレーツ・スタジアム建設に関わる負債の減少から緊縮財政が終わると、経済的理由による主力の放出は治まり、高額な移籍金のかかる選手の獲得にも乗り出せるようになる。


2013年9月2日にアーセナルは当時のクラブ史上最高の移籍金5000万ユーロでレアル・マドリードからメスト・エジルを獲得した。エジルはカソルラらと息の合ったコンビネーションを構築し、2年連続でUEFAチーム・オブ・ザ・イヤーに選出されるほどの卓越したパフォーマンスを披露した。このような補強の成功と戦力の増強が奏功し、チームは5月17日のFAカップ決勝にてハル・シティに逆転勝利を収めて優勝を果たし、アーセナルは9シーズンぶりにタイトル獲得の喜びをファンと分かち合った[3]


翌年の2014-15シーズンにはバロセロナから3500万ポンド(約60億円)でチリ代表のアレクシス・サンチェスを、ニースから2014 FIFAワールドカップで脚光を浴びたコロンビア代表のダビド・オスピナを、ニューカッスル・ユナイテッドからフランス代表のマテュー・ドゥビュシーなど6名を獲得するなど、積極的な補強を行った。シーズン最初のコミュニティーシールドでは前季リーグ王者のマンチェスター・シティと対戦し3-0で勝利を収め、このシーズン最初のタイトルを獲得した。リーグも例年よりも安定した戦績を積み3位となったほか、FAカップでは決勝でアストン・ヴィラに4-0での勝利を収め、2年連続でカップを制した。この優勝によりアーセナルのFAカップにおける優勝回数は12回となり、アーセナルはマンチェスター・ユナイテッドを単独で上回る歴代最多優勝チームとなった[4]


2015年7月30日、同じくロンドンを本拠地とするライバルのチェルシーからペトル・チェフを獲得。8月2日にはコミュニティーシールドでそのチェルシーと対戦して1-0で勝利し、同大会の通算タイトル獲得数を14に伸ばした。この2015-16シーズンは前半戦(19節)終了時点でリーグ首位に立っていたものの、最終的にレスターに抜かれ、2004-05以来の2位でシーズンを終えた。


2016-17シーズンは、ボルシアMGからグラニト・ジャカ、バレンシアからシュコドラン・ムスタフィ、デポルティーボ・ラ・コルーニャからルーカス・ペレスを獲得した[5]。開幕戦こそリヴァプールに敗れたものの、チェルシーに勝利するなど調子が上向きであった。しかしエジルが不調に陥り、サンチェスの個の力に依存するようになると徐々に順位を落とし、最終的には5位でシーズンを終え、チャンピオンズリーグ出場権を19シーズンぶりに逃した。同年のチャンピオンズリーグでもベスト16でバイエルンに2戦合計2-10で大敗し姿を消した。しかしFAカップでは決勝でチェルシーに2-1で勝ち、再び史上最多となる13回目の優勝を飾り無冠を免れた。


2017-18シーズンは、夏の移籍市場でセアド・コラシナツ、アレクサンドル・ラカゼットを獲得した[6]ほか、長年に渡って維持してきたCL出場権を逃したことでフロント陣の大刷新が図られ、フィットネスコーチとしてAFLのチームからオーストラリア代表やリヴァプールで働いていたオーストラリア人ダレン・バージェスを引き抜いた。彼はアーセナルでは、メディカル、フィットネス、心理学、そしてパフォーマンス分析を任され、更にスポーツにおける法律関連の業務を取り扱う企業のディレクター職兼自転車ロードレースのチーム「チームスカイ」で法律顧問を務める弁護士ハス・ファミーを契約交渉担当として引き抜いた。2017年11月20日には約10年間ドルトムントに在籍し敏腕スカウトとして注目されていたスヴェン・ミスリンタットをスカウトとしては異例の移籍金を支払う形でスカウト部門の責任者として引き抜いた。同年11月28日、約15年間FCバルセロナのFDを務めていたラウル・サンレヒが2018年2月1日からサッカー部門責任者として就任することを発表した。トップチームのコーチにクラブOBのレーマンが就任した。入れ替わる形で約8年間に渡って交渉責任者を務めていたディック・ロウや約25年間に渡ってチーフスカウトを務めてきたスティーブ・ローリーが退任した。
冬の市場ではオーバメヤンやサンチェスとトレードする形でムヒタリアンなど、ミスリンタットが古巣でスカウトした選手を立て続けに獲得した。しかし、スタッフ陣の大刷新も実らず、6位でシーズンを終え2季連続でCL出場権を逃したことで、2018年4月20日、22年間指揮したアーセン・ベンゲルの今季限りでの退任が発表された。



ウナイ・エメリ監督就任(2018年-)


2018年5月23日、ウナイ・エメリがアーセナルの22年ぶりの新監督として就任することが発表された[7][8]。新加入選手はドルトムントからソクラティス・パパスタソプーロス、サンプドリアからルーカス・トレイラなど合わせて5名ほどとなっており刷新と言うほどにはならなかったが、監督交代などもあり昨季に続きスタッフ陣の刷新が行われ、昨季キャプテンを務めシーズン終了後に現役引退したメルテザッカーがアーセナルアカデミーの監督に就任したほか、同じくOBのユングベリが同アカデミーのヘッドコーチに就任した。しかし昨季コーチに就任したOBのレーマンは退団することが決まった。また同年12月1日付けで、約10年に渡りアーセナルのCEOを務めてきたイヴァン・ガジディスがACミランのCEOに就任することが発表された。後任としてラウル・サンレヒがフットボール部門のヘッドに、ヴィナイ・ヴェンカテシャムがマネージングディレクターに就任することになった。



ユニフォーム


  • ユニフォームは伝統的に赤地に白い袖を特徴としている。これはクラブが結成された1886年にノッティンガム・フォレストから贈られたシャツがきっかけとなって定着したものである。結成当初の選手であるフレッド・ビアズリーとモリス・ベイツは以前フォレストでプレーした経験があり、用具のなかったチームを助けてもらえないかとフォレストに頼んだ。それを受けて濃い赤のシャツとボールが贈られたのである。1933年、より鮮やかな赤色と白い袖に変更したのは当時の監督ハーバート・チャップマンである。白い袖を取り入れた背景には、白いシャツの上に赤いシャツを着たファンをハイベリーで見かけたという説や、ゴルフ仲間のトム・ウェブスターが似たような服を着ていたからという2つの説がある。




Dark red shirt, white shorts, socks with blue and white stripes











設立当初のユニフォーム















1933年のユニフォーム
  • アーセナルのような赤地に白袖のデザインを取り入れたユニフォームはその後欧州各地に伝わり、ACスパルタ・プラハや、ハイバーニアンFC、SCブラガなどのクラブがこのスタイルを採用した。そのために後者には "Os Arsenalistas" というニックネームがついている。

  • 選手は毎試合同じ袖(長袖か半袖のどちらか)のユニフォームを皆揃って着るように決まっている。どちらを着て試合に出るかを決めるのはキャプテンの役目であり、この習慣は90年代初期のトニー・アダムスから始まった。


ダービーマッチ




2012年11月に行われたノース・ロンドン・ダービー。アーセナルはトッテナムに5-2で勝利した。


  • 同じ北ロンドンに本拠を構えるクラブ同士としてトッテナム・ホットスパーとは激しいライバル関係にあり、サポーター同士のいがみ合いが強く両者の間には争いごとが絶えない。それをよく象徴するのがかつて同クラブから移籍してきたソル・キャンベルに対してトッテナムファンがユダと呼んだという出来事である。両チームの対戦は「ノース・ロンドン・ダービー」と呼ばれ、マンチェスター・ダービー、マージーサイド・ダービーと並び、リーグの3大ダービーの一つに数えられている。

  • 他にも、近年上位を争っているチェルシーとの対戦は「ビッグロンドン・ダービー」と呼ばれる。また、同じく長い歴史と伝統を持っているマンチェスター・ユナイテッドとも互いに強いライバル意識を持っていると言われている。



エピソード


  • 1927年1月22日に行われたシェフィールド・ユナイテッド戦は、イングランドで初めてラジオで中継されたリーグ戦だった。また、1937年9月16日に行われたアーセナルのファーストチームとリザーブチームのエキシビションマッチは、サッカーの歴史上初めてテレビで中継された試合である。

  • 2014年1月、世界最大の会計事務所である『デロイト』が公表したデロイト・フットボール・マネー・リーグによると、2012-13シーズンのアーセナルのクラブ収入は2億8430万ユーロであり、世界第8位である。プレミアリーグではマンチェスター・ユナイテッド、マンチェスター・シティ、チェルシーに次ぐ第4位である[9]


  • ワールドカップ・ドイツ大会に、当時17歳の若さで、セオ・ウォルコットがアーセナルでの公式戦出場がないにも関わらず選出された。イングランド国内外でサプライズ招集として注目を浴びたが、試合出場の機会は無かった。

  • 就任当初は足りないところを外国人で補強するという方針を公言していたベンゲル監督だったが、その後はフランスやアフリカなど自身と同じフランス語圏系の選手が大半を占めるようになり、彼らはベンゲルを含めて「フレンチ・コネクション」と呼ばれた。結果的にイングランド人選手の活躍の場が少ない状況が続き、特に2006-07シーズン開始時には、ピッチ上にイングランド人選手が全くいない試合が多くあったため、イングランド国内において外国人偏重チームと批判されることが多かった。この理由についてベンゲルはアーセナルが若手有望株を多く登用する方針であることを指摘した上で、「だがイングランドの若手選手を獲得しようとすると、他の国の選手に比べて値段が高い。そうなれば法律的に15歳から17歳の移籍金のかからない国の有望な若手選手に目を向けることが多くなるのは自然なことだ」とコメントしている。その後は、ホームグロウン制度[10]を満たす外国人選手の獲得は続いているものの、アカデミー出身のジャック・ウィルシャー、キーラン・ギブス、アレックス・イウォビに加えて、アーロン・ラムジーやオックスレイド=チェンバレンなどの国内選手の台頭も見られるようになった。彼らは先述の「フレンチ・コネクション」に代わって「ブリティッシュ・コア」と呼ばれた。

  • 国家による労働法・雇用法の違いを利用し、18歳未満の選手を無償で獲得する手法には各方面から批判が上がるが、法律上は問題はないのでむしろ各クラブのモラルの問題と見る声もある。その例として、2003年、16歳にしてFIFA U-17ワールドカップで得点王とMVPを獲得したセスク・ファブレガスは、アーセナルに17歳で移籍した[11]


  • バッキンガム宮殿におけるエリザベス2世主催のお茶会にサッカークラブとして初めて招待された。エミレーツ・スタジアムの落成式には女王が臨席する予定であったが、体調を崩していたため、夫のエディンバラ公フィリップが代理出席した。

  • 1968年5月に来日し、当時のサッカー日本代表と3試合を行ったことがある[12]。結果はアーセナルの3勝[12]。釜本邦茂が出場している。

  • 地元密着のための方策の一つとして、毎年ロンドン市と共同で子供向けに外国語学習教材を製作し配布している。教材には現役選手も多数登場するのが恒例。ちなみに2009年より川崎フロンターレが毎年製作している算数ドリルは、この教材に範を取って作られた[13]

  • 審判のマイク・ディーンとの相性の悪さは有名である。2015年時点で、2005年以降で他の審判員が担当した場合のアーセナルの勝率が62.31%なの対し、ディーン主審の場合は25.37%まで下がるというデータがある。ディーンは度々、アーセナルに不利な不可解なジャッジを行い物議を醸している。2012年2月のノース・ロンドン・ダービーにおいて、ディーンはトッテナムのゴールに喜ぶような仕草を見せ話題となった。2015年にはチェルシーとのダービーマッチにおいて一連の乱闘騒ぎがあったが、チェルシーのジエゴ・コスタの挑発行為や暴力行為が引き金となったにも関わらずアーセナルのガブリエウのみが退場となった。これに激怒したアーセナルサポーターは、同氏が二度とアーセナル戦で笛を吹かないよう署名運動を行った。また2017年12月のウェスト・ブロムウィッチ・アルビオン戦において、ディーンはカラム・チェンバースのハンドを取り相手にPKを与えた。この判定に激怒したベンゲルは、審判団の控室に乗り込んで主審を罵倒するなどした。FAは、この行為についてベンゲルに3試合のベンチ入り禁止と4万ポンドの罰金の処分を科した。しかし後日、ディーンはこの判定が誤りであったことを認めた。


タイトル



国内タイトル



  • フットボールリーグ・ディビジョン1:10回
    • 1930–31, 1932–33, 1933–34, 1934–35, 1937–38, 1947–48, 1952–53, 1970–71, 1988-1989, 1990-1991


  • プレミアリーグ:3回Premier league trophy icon.pngPremier league trophy icon.pngPremier league trophy icon.png

    • 1997-98, 2001-02, 2003-04


  • FAカップ:13回FA Cup.pngFA Cup.pngFA Cup.pngFA Cup.pngFA Cup.pngFA Cup.pngFA Cup.pngFA Cup.pngFA Cup.pngFA Cup.pngFA Cup.pngFA Cup.pngFA Cup.png
    • 1929-30, 1935-36, 1949-50, 1970-71, 1978-79, 1992-93, 1997-98, 2001-02, 2002-03, 2004-05, 2013-14, 2014-15, 2016-17

  • フットボールリーグカップ:2回Carling.pngCarling.png
    • 1986-87, 1992-93

  • FAコミュニティ・シールド:15回CommunityShield.pngCommunityShield.pngCommunityShield.pngCommunityShield.pngCommunityShield.pngCommunityShield.pngCommunityShield.pngCommunityShield.pngCommunityShield.pngCommunityShield.pngCommunityShield.pngCommunityShield.pngCommunityShield.pngCommunityShield.pngCommunityShield.png
    • 1930, 1931, 1933, 1934, 1938, 1948, 1953, 1991, 1998, 1999, 2002, 2004, 2014, 2015, 2017


国際タイトル



  • UEFAカップウィナーズカップ:1回Coppacoppe.png
    • 1993-94


親善大会(非公式大会)



  • インターシティーズ・フェアーズカップ:1回
    • 1969-70

  • エミレーツ・カップ:5回
    • 2007, 2009, 2010, 2015, 2017

  • バークレイズ・アジアトロフィー:1回
    • 2015


スタジアム





現在の本拠地エミレーツ・スタジアム




エミレーツ・スタジアムのグラウンド


  • 長らくホームスタジアムとして有名だったハイベリー(1913年に建設)から、2006年7月にエミレーツ・スタジアムに移転した。スタジアム名はUAEの航空会社であるエミレーツ航空がネーミングライツを獲得したことによるもので、その契約内容は15年で1億ポンド(約200億円)と巨額なものとなっている。なお、使用されなくなったハイベリーの跡地にはスタンドの一部を残して高級アパートが建設された。

  • 2007年から夏にエミレーツ・カップと呼ばれるプレシーズントーナメントが開催されている。2日間で行われる。


  • UEFAチャンピオンズリーグなど、UEFA主催試合の場合はUEFAの規定によりアーセナル・スタジアムの名称になる。



旧本拠地であるハイベリー


  • アーセナルの歴代使用スタジアムは以下の通りである。
    • 1885年8月1日 - 1887年7月31日:プラムステッド・コモン

    • 1887年8月1日 - 1888年7月31日:スポーツマン・グラウンド

    • 1888年8月1日 - 1890年7月31日:メイナー・グラウンド

    • 1890年8月1日 - 1893年7月31日:インビクタ・グラウンド

    • 1893年8月1日 - 1913年7月31日:メイナー・グラウンド

    • 1913年8月1日 - 2006年5月7日:ハイベリー

    • 2006年7月22日 - エミレーツ・スタジアム


現所属メンバー



2018-19シーズン 基本フォーメーション

Soccer Field Transparant.svg


チェフ
# 1

ベジェリン
# 2

ソクラティス
# 5

ムスタフィ
#20

モンレアル
# 18

トレイラ
# 11

ジャカ
# 34

エジル
# 10

イウォビ
#17

ムヒタリアン
# 7

オーバメヤン
# 14



2019年1月23日現在


スタッフ














































役職名前在籍年前職
監督
スペインの旗 ウナイ・エメリ
2018年-
フランスの旗 パリ・サンジェルマンFC
助監督
イングランドの旗スティーブ・ボールド(英語版)
2012年-
イングランドの旗アーセナルFC.アカデミー(英語版)[要リンク修正] (アシスタントコーチ)
助監督
スペインの旗 ファン・カルロス・カルセド
2018年-
フランスの旗 パリ・サンジェルマンFC
アシスタントコーチ
スペインの旗 パブロ・ビジャヌエヴァ
2018年-
フランスの旗 パリ・サンジェルマンFC
GKコーチ
イングランドの旗 サル・ビボ
2017年-
イングランドの旗 レディングFC
GKコーチ
スペインの旗ハビ・ガルシア
2018年-
フランスの旗 パリ・サンジェルマンFC
パフォーマンス長
アメリカ合衆国の旗 シャド・フォーサイス
2014年-
ドイツの旗 ドイツ代表
ハイパフォーマンス・ディレクター
オーストラリアの旗 ダレン・バージェス
2017年-
オーストラリアの旗 ポート・アデレード(AFL)
ストレングス&コンディショニング・コーチ
スペインの旗Julen Masach
2018年-
フランスの旗 パリ・サンジェルマンFC
データ/ビデオ・アナリストヴィクトル・マナス2018年-
フランスの旗 パリ・サンジェルマンFC


選手




































































































































PosNo.選手名在籍年前所属備考
GK1
チェコの旗 ペトル・チェフ
2015年-
イングランドの旗 チェルシーFC

19
ドイツの旗 ベルント・レノ
2018年-
ドイツの旗 バイエル・レバークーゼン

DF2
スペインの旗 エクトル・ベジェリン ★
2014年-
イングランドの旗 アーセナルFCユース

5
ギリシャの旗 ソクラティス・パパスタソプーロス
2018年-
ドイツの旗 ボルシア・ドルトムント

6
フランスの旗(ポーランドの旗) ローラン・コシールニー(主将)
2010年-
フランスの旗 FCロリアン

12
スイスの旗 ステファン・リヒトシュタイナー
2018年-
イタリアの旗 ユヴェントスFC

16
イングランドの旗 ロブ・ホールディング ★
2016年-
イングランドの旗 ボルトン・ワンダラーズFC

18
スペインの旗 ナチョ・モンレアル
2013年-
スペインの旗 マラガCF

20
ドイツの旗(アルバニアの旗) シュコドラン・ムスタフィ
2016年-
スペインの旗 バレンシアCF

25
イングランドの旗(フィンランドの旗) カール・ジェンキンソン ★
2011年-
イングランドの旗 チャールトン・アスレティックFC

27
ギリシャの旗 コンスタンティノス・マヴロパノス ☆
2018年-
ギリシャの旗 PASヤニナFC

31
ボスニア・ヘルツェゴビナの旗(ドイツの旗) セアド・コラシナツ
2017年-
ドイツの旗 シャルケ04

MF4
エジプトの旗 モハメド・エルネニー
2016年-
スイスの旗 FCバーゼル

7
アルメニアの旗 ヘンリク・ムヒタリアン
2018年-
イングランドの旗 マンチェスター・ユナイテッドFC

8
ウェールズの旗 アーロン・ラムジー ★
2008年-
イングランドの旗 カーディフ・シティFC

10
ドイツの旗(トルコの旗) メスト・エジル
2013年-
スペインの旗 レアル・マドリード

11
ウルグアイの旗(スペインの旗) ルーカス・トレイラ
2018年-
イタリアの旗 UCサンプドリア

15
イングランドの旗 エインズリー・メイトランド=ナイルズ ☆
2017年-
イングランドの旗 アーセナルFCユース

29
フランスの旗(モロッコの旗) マテオ・ゲンドゥージ ☆
2018年-
フランスの旗 FCロリアン

34
スイスの旗(アルバニアの旗) グラニト・ジャカ
2016年-
ドイツの旗 ボルシア・メンヒェングラートバッハ

FW9
フランスの旗 アレクサンドル・ラカゼット
2017年-
フランスの旗 オリンピック・リヨン

14
ガボンの旗(フランスの旗)(スペインの旗) ピエール=エメリク・オーバメヤン
2018年-
ドイツの旗 ボルシア・ドルトムント

17
ナイジェリアの旗(イングランドの旗) アレックス・イウォビ ★
2015年-
イングランドの旗 アーセナルFCユース

23
イングランドの旗(ガーナの旗) ダニー・ウェルベック ★
2014年-
イングランドの旗 マンチェスター・ユナイテッドFC

※括弧内の国旗はその他の保有国籍を、★はホーム・グロウン選手、☆はU-21登録選手を示す。



ローン移籍


out












































PosNo.選手名在籍年移籍先移籍期間
GK13
コロンビアの旗 ダビド・オスピナ
2014年-
イタリアの旗 SSCナポリ
2019年6月30日
26
アルゼンチンの旗 エミリアーノ・マルティネス
2011年-
イングランドの旗 レディングFC
2019年6月30日
54
イングランドの旗 マット・メイシー
2015年-
イングランドの旗 プリマス・アーガイルFC
2019年5月31日
DF21
イングランドの旗 カラム・チャンバース
2014年-
イングランドの旗 フラムFC
2019年5月31日
37
ポーランドの旗 クリスティアン・ビエリク
2015年-
イングランドの旗 チャールトン・アスレティックFC
2019年5月31日
FW
イングランドの旗(ジンバブエの旗) リース・ネルソン
--
ドイツの旗 TSG1899ホッフェンハイム
2019年6月30日

日本の旗 浅野拓磨
2016年-
ドイツの旗 ハノーファー96
2019年6月30日


リザーブ・アカデミー





2018-2019シーズンのスポンサー


Arsenal.comのOUR PARTNERSページを参考[14]

ヨーロッパやアメリカの企業はもちろん、中東やアジアの企業も名を連ねる。



LEAD PARTNERS



  • アラブ首長国連邦の旗 エミレーツ航空


  • ドイツの旗 プーマ


  • ルワンダの旗 ルワンダ政府


OFFICIAL PARTNERS



  • シンガポールの旗 アクロニス


  • セントヘレナの旗 比亜迪自動車販売株式会社


  • アメリカ合衆国の旗 クーパー・タイヤ・アンド・ラバー


  • オーストラリアの旗 Cover-More


  • アメリカ合衆国の旗 ゲータレード


  • イギリスの旗 Vitality


  • イギリスの旗 WorldRemit

REGIONAL PARTNERS


  • 12BET


  • エジプトの旗 カイロ銀行


  • イギリスの旗 ベットフェア


  • 中華人民共和国の旗 BNN Technology

  • Cavallaio Napoli


  • エジプトの旗 Hyde Park Developments


  • 日本の旗 コナミ

  • mbna

  • MTNグループ

  • Octopus Energy


  • チリの旗 Santa Rita


  • ケニアの旗 SportPesa


  • ナイジェリアの旗 STAR Lager beer

  • タイダル

  • Tempobet


  • アメリカ合衆国の旗 ユニバーサル・ピクチャーズ


歴代胸スポンサー



  • 日本の旗 日本ビクター
    • 82/83〜98/99シーズンまでのスポンサー。胸には「JVC」と書かれていた。アーセナル史上初の胸スポンサーであった。


  • 日本の旗 セガ
    • 99/00〜01/02シーズンまでのスポンサー。胸には「SEGA」または「Dreamcast」と書かれていた。


  • イギリスの旗 O2
    • 02/03〜05/06シーズンまでのスポンサー。ハイベリー時代最後のスポンサーで、03/04シーズンのインビンシブルズを達成した時のスポンサーであった。


歴代所属メンバー




歴代出場試合数記録














































順位
選手名
所属期間
試合数
1
アイルランドの旗 デヴィッド・オレアリー
1975-1993722
2
イングランドの旗 トニー・アダムス
1983–2002669
3
イングランドの旗 ジョージ・アームストロング
1961-1977621
4
イングランドの旗 リー・ディクソン
1988-2002619
5
イングランドの旗 ナイジェル・ウィンターバーン
1986–2000584
6
イングランドの旗 デビッド・シーマン
1990-2003564
7
北アイルランドの旗 パット・ライス
1967-1980528
8
イングランドの旗ピーター・ストーリー
1962-1977501
9
イングランドの旗 ジョン・ラドフォード
1962–1976481
10
イングランドの旗 ピーター・シンプソン
1964–1978477


歴代総得点数記録














































順位
選手名
所属期間
得点数
1
フランスの旗 ティエリ・アンリ
1999-2007, 2012228
2
イングランドの旗 イアン・ライト
1991-1998185
3
イングランドの旗 クリフ・バスティン
1929-1946178
4
イングランドの旗 ジョン・ラドフォード
1962–1976149
5
イングランドの旗 ジミー・ブライン
1923–1931139
5
イングランドの旗 テッド・ドレイク
1934–1945139
7
イングランドの旗 ダグ・リッシュマン
1948–1956137
8
オランダの旗 ロビン・ファン・ペルシ
2004-2012132
9
イングランドの旗 ジョー・ハルム
1926–1938125
10
イングランドの旗 デイヴィッド・ジャック
1928-1934124


脚注


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  1. ^ チーム名のアーセナル(Arsenal、兵器廠)に由来する。

  2. ^ ab“No.253 チューブ駅「アーセナル」の話”. サッカーの話をしよう 大住良之オフィシャルアーカイブサイト (1999年2月10日). 2013年5月8日閲覧。


  3. ^ アーセナル 9季ぶりのタイトル獲得!FA杯決勝で逆転勝利(スポーツニッポン 2014年5月18日 同日閲覧)


  4. ^ 翌シーズンはマンチェスター・ユナイテッドがFAカップを制したため、再び優勝回数が同数となった


  5. ^ “66億円ダブル獲得間近!ヴェンゲル監督も確信を表明”. Qoly. https://qoly.jp/2016/08/27/arsenal-close-to-sign-with-lucas-perez-and-shkodran-mustafi 2018年10月19日閲覧。 


  6. ^ 新加入選手に期待するコシェルニーtheWORLD(2017年8月1日)2018年3月3日閲覧


  7. ^ “Welcome Unai” (英語). Arsenal.com (2018年5月23日). 2018年5月23日閲覧。


  8. ^ co.,Ltd, FromOne. “アーセナル、元PSGのエメリ氏を招へい! ヴェンゲル監督の後任に決定 | サッカーキング” (日本語). サッカーキング. https://www.soccer-king.jp/news/world/eng/20180523/762812.html?cx_art=newarrivalcat 2018年8月14日閲覧。 


  9. ^ Deloitte Football Money League 2014(2014年1月に国際監査法人『デロイト』が公表した2012-2013シーズンの欧州サッカーのクラブ収入ランキング)


  10. ^ 2010-2011シーズンより施行されたルール。選手の国籍は問わない代わりに、1軍登録メンバーに占める22歳以上の選手は最大25名に限られ、そのうち最低8名が21歳の誕生日を迎えるシーズンが終了するまでに少なくとも3年間を国内(ウェールズ含む)のクラブで過ごしていること、というもの。


  11. ^ 彼は2010-11シーズンまでアーセナルでプレーしたため、プレミアリーグにおいては「ホームグロウン」選手である

  12. ^ ab“釜本邦茂(11)名門アーセナルのお株を奪う「アーセナル・ゴール」。メキシコ五輪へ着々と”. 賀川サッカーライブラリー (2009年1月20日). 2012年9月1日閲覧。


  13. ^ 「川崎フロンターレ算数ドリル」完成 - Jリーグ公式サイト・2009年4月28日


  14. ^ http://www.arsenal.com/the-club/sponsors-partners



関連項目


  • アーセナルFCの選手一覧

  • エミレーツ・スタジアム

  • ハイベリー

  • アーセナルTV

  • アーセナルLFC

  • アーセナルFC.リザーブ

  • アーセナルFC対マンチェスター・ユナイテッドFC


  • ぼくのプレミアライフ(ニック・ホーンビィによる自伝的小説・エッセイ)

  • インヴィンシブルズ (サッカー)


外部リンク




公式

  • 公式サイト (英語)


  • Premier League.com - Arsenal (英語)


  • UEFA.com - Arsenal (日本語)

ニュース
  • BBC Sport - Arsenal

  • Sky Sports - Arsenal

その他
  • Historical Football Kit - Arsenal

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