サッカーオランダ代表
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国または地域 | オランダ | |||
協会 | オランダサッカー協会 | |||
愛称 | Oranje(オランイェ) オレンジ軍団 | |||
監督 | ロナルド・クーマン | |||
最多出場選手 | ヴェスレイ・スナイデル(131試合) | |||
最多得点選手 | ロビン・ファン・ペルシ(50得点) | |||
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初の国際試合 | 1905年4月30日対ベルギー 4-1 | |||
最大差勝利試合 | 2011年9月2日対サンマリノ 11-0 | |||
最大差敗戦試合 | 1907年4月1日対イングランド 2-12 | |||
FIFAワールドカップ | ||||
出場回数 | 10回(初出場は1934) | |||
最高成績 | 準優勝(1974, 1978, 2010) | |||
UEFA欧州選手権 | ||||
出場回数 | 8回 | |||
最高成績 | 優勝(1988) | |||
サッカーオランダ代表(蘭: Nederlands voetbalelftal)は、オランダサッカー協会(KNVB)によって編成されるオランダのサッカーのナショナルチーム。
目次
1 スタジアム
2 歴史
3 FIFAワールドカップ成績
4 UEFA欧州選手権成績
5 歴代代表監督
6 選手
6.1 キャップ
6.2 得点
7 ユニフォーム
8 エピソード
8.1 6月25日 呪われたジンクス
8.2 死の組
9 外部リンク
スタジアム
ホームスタジアムは3つある。
アムステルダム・アレナ (アムステルダム) 収容人数:53,502人
フィリップス・スタディオン (アイントホーフェン) 収容人数:35,000人
フェイエノールト・スタディオン (ロッテルダム) 収容人数:51,117人
歴史
FIFAランキングで1位になった経験を持つ8チームのうち、ベルギーとともにFIFAワールドカップ優勝経験が無いチームでもある。
ワールドカップでは初出場の1934年大会と、続く1938年大会で両方とも初戦の16強で敗退した。
3回目の出場となった1974 FIFAワールドカップでは準優勝を果たし、リヌス・ミケルス監督の下、ヨハン・クライフを中心にトータルフットボールと呼ばれる戦術でサッカー界に革命を起こした。1978 FIFAワールドカップでもクライフを欠きながら決勝まで駒を進めるも、地元アルゼンチンに敗れ準優勝となった。
UEFA欧州選手権1988では後にACミラン黄金時代の中核を担うこととなるオランダトリオ(ファン・バステン、ルート・フリット、フランク・ライカールト)を擁したチームで臨み、準決勝で西ドイツに2-1で、決勝でソ連に2-0で勝利し初優勝を果たした。決勝戦でファン・バステンが決めた難易度の高いボレーシュートは大きな印象を残した。
1998 FIFAワールドカップではベルカンプ、パトリック・クライファート、クラレンス・セードルフ、フランク・デ・ブールら攻守にスター選手を擁して優勝候補の一角に挙げられていた。高い前評判に応える内容で勝ち上がり、準々決勝でアルゼンチンに2-1で勝利して準決勝まで進むもブラジルにPK戦の末敗れ、さらに3位決定戦で初出場のクロアチアにも敗れて4位に終わった。
これ以降は地元開催となったEURO 2000では準決勝でイタリアにPK戦で敗れベスト4、2002 FIFAワールドカップは予選敗退、EURO 2004では準決勝で開催国ポルトガルに敗れてベスト4、2006 FIFAワールドカップではラウンドオブ16でポルトガルに敗れベスト16、EURO 2008では準々決勝でロシアに敗れベスト8に終わるなど、高い前評判に応えきれない成績で終わる大会が続いてきた。
2010 FIFAワールドカップでは準々決勝で1974年大会を最後にAマッチ7試合で勝利が無かったブラジルに2-1で勝ち、準決勝でもウルグアイに3-2で競り勝つなど、欧州予選から14試合全勝で32年ぶりの決勝進出を果たすも、決勝で同じく初優勝を狙うスペインに延長戦までもつれた末に0-1で敗れ、またしても準優勝という結果となった。
UEFA EURO 2012ではデンマーク、ドイツ、ポルトガルと同じ死の組に入るが全敗を喫した。FIFAワールドカップとUEFA欧州選手権を合わせて本大会に出場すればグループステージは11連続で突破していたが、UEFA欧州選手権1980以来の敗退となった。
2014 FIFAワールドカップではグループリーグ初戦で前回優勝国で決勝にて敗れたスペインを5-1で破り、3連勝でグループリーグを首位で通過した。ラウンドオブ16でメキシコに勝利し、準々決勝ではコスタリカに対して延長引き分けPK戦の末、2大会連続でベスト4に進出した。しかし、準決勝のアルゼンチン戦では延長引き分けのPK戦の末、決勝進出を逃した。3位決定戦ではブラジルに勝利し大会無敗(5勝2分)で3位となった。欧州予選は9勝1分0敗で突破しており、地区予選から無敗での三位は1978 FIFAワールドカップのブラジル以来2チーム目となった。
2014年9月、UEFA EURO 2016の予選からフース・ヒディンクが監督として指揮を執ったが、成績不振で2015年6月契約が解除となった。同年7月よりダニー・ブリントが監督に就任したが、予選グループA4位で1984年大会以来8大会ぶりに予選敗退となった。
2018 FIFAワールドカップはヨーロッパ予選グループAでフランス、スウェーデン、ブルガリアなどと本大会出場を争ったが2017年3月25日、敵地でブルガリアに0-2で敗れるとブリント監督は解任された。その後はディック・アドフォカート監督がUEFA EURO 2004以来に再就任するも、グループA3位で4大会ぶりに予選敗退となった。
FIFAワールドカップ成績
開催国 / 年 | 成績 | 試 | 勝 | 分 | 負 | 得 | 失 |
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1930 | 不参加 | ||||||
1934 | 1回戦敗退 | 1 | 0 | 0 | 1 | 2 | 3 |
1938 | 1回戦敗退 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 3 |
1950 | 不参加 | ||||||
1954 | |||||||
1958 | 予選敗退 | ||||||
1962 | |||||||
1966 | |||||||
1970 | |||||||
1974 | 準優勝 | 7 | 5 | 1 | 1 | 15 | 3 |
1978 | 準優勝 | 7 | 3 | 2 | 2 | 15 | 10 |
1982 | 予選敗退 | ||||||
1986 | |||||||
1990 | ベスト16 | 4 | 0 | 3 | 1 | 3 | 4 |
1994 | ベスト8 | 5 | 3 | 0 | 2 | 8 | 6 |
1998 | 4位 | 7 | 3 | 3 | 1 | 13 | 7 |
2002 | 予選敗退 | ||||||
2006 | ベスト16 | 4 | 2 | 1 | 1 | 3 | 2 |
2010 | 準優勝 | 7 | 6 | 0 | 1 | 12 | 6 |
2014 | 3位 | 7 | 5 | 2 | 0 | 15 | 4 |
2018 | 予選敗退 | ||||||
合計 | 出場10回 | 50 | 27 | 12 | 11 | 86 | 48 |
UEFA欧州選手権成績
開催国 / 年 | 成績 | 試 | 勝 | 分 | 負 | 得 | 失 |
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1960 | 不参加 | ||||||
1964 | 予選敗退 | ||||||
1968 | |||||||
1972 | |||||||
1976 | 3位 | 2 | 1 | 0 | 1 | 4 | 5 |
1980 | グループリーグ敗退 | 3 | 1 | 1 | 1 | 4 | 4 |
1984 | 予選敗退 | ||||||
1988 | 優勝 | 5 | 4 | 0 | 1 | 8 | 3 |
1992 | ベスト4 | 4 | 2 | 2 | 0 | 6 | 3 |
1996 | ベスト8 | 4 | 1 | 2 | 1 | 3 | 4 |
2000 | ベスト4 | 5 | 4 | 1 | 0 | 13 | 3 |
2004 | ベスト4 | 5 | 1 | 2 | 2 | 7 | 6 |
2008 | ベスト8 | 4 | 3 | 0 | 1 | 10 | 4 |
2012 | グループリーグ敗退 | 3 | 0 | 0 | 3 | 2 | 5 |
2016 | 予選敗退 | ||||||
合計 | 出場9回/優勝1回 | 35 | 17 | 8 | 10 | 57 | 37 |
歴代代表監督
リヌス・ミケルス 1974, 1984-1985, 1986-1988, 1990-1992
レオ・ベーンハッカー 1985-1986, 1990
ディック・アドフォカート 1992-1994, 2002-2004, 2017-
フース・ヒディンク 1994-1998, 2014-2015
フランク・ライカールト 1998-2000
ルイ・ファン・ハール 2000-2002, 2012-2014
マルコ・ファン・バステン 2004-2008
ベルト・ファン・マルワイク 2008-2012
ダニー・ブリント 2015-2017
ディック・アドフォカート 2017
ロナルド・クーマン 2018-
選手
キャップ
- 2017年12月10日時点
水色は現役選手
位 | 名前 | 出場 | 得点 | 期間 |
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1 | ウェズレイ・スナイデル | 133 | 31 | 2002-2017 |
2 | エトヴィン・ファン・デル・サール | 130 | 0 | 1995-2008 |
3 | フランク・デ・ブール | 112 | 13 | 1990-2004 |
4 | ラファエル・ファン・デル・ファールト | 109 | 25 | 2001- |
5 | ジョバンニ・ファン・ブロンクホルスト | 106 | 6 | 1996-2010 |
6 | ディルク・カイト | 104 | 24 | 2004-2014 |
7 | ロビン・ファン・ペルシ | 102 | 50 | 2005- |
8 | フィリップ・コクー | 101 | 10 | 1996-2006 |
9 | アリエン・ロッベン | 96 | 37 | 2003-2017 |
10 | クラレンス・セードルフ | 87 | 11 | 1998-2008 |
ヨニー・ハイティンハ | 87 | 7 | 2004-2013 | |
12 | マルク・オーフェルマルス | 86 | 17 | 1993-2004 |
13 | アーロン・ヴィンター | 84 | 6 | 1987-1996 |
ヨリス・マタイセン | 84 | 3 | 2004-2012 | |
15 | ルート・クロル | 83 | 4 | 1969-1983 |
16 | ナイジェル・デ・ヨング | 81 | 1 | 2002- |
17 | デニス・ベルカンプ | 79 | 37 | 1990-2000 |
パトリック・クライファート | 79 | 40 | 1994-2004 | |
マルク・ファン・ボメル | 79 | 10 | 2000-2012 | |
20 | ロナルド・クーマン | 78 | 14 | 1983-1994 |
得点
- 2017年12月10日時点
水色は現役選手
# | 名前 | 得点 | 出場 | 期間 | 得点率 |
---|---|---|---|---|---|
1 | ロビン・ファン・ペルシ | 50 | 102 | 2005- | 0.53 |
2 | クラース・ヤン・フンテラール | 42 | 76 | 2006- | 0.56 |
3 | パトリック・クライファート | 40 | 79 | 1994-2004 | 0.51 |
4 | デニス・ベルカンプ | 37 | 79 | 1990-2000 | 0.47 |
アリエン・ロッベン | 37 | 96 | 2003-2017 | 0.36 | |
6 | ファース・ヴィルケス | 35 | 38 | 1946-1961 | 0.92 |
ルート・ファン・ニステルローイ | 35 | 70 | 1998-2011 | 0.50 | |
8 | アベ・レンストラ | 33 | 47 | 1940-1959 | 0.70 |
ヨハン・クライフ | 33 | 48 | 1966-1977 | 0.69 | |
10 | ウェズレイ・スナイデル | 31 | 133 | 2003-2017 | 0.24 |
ユニフォーム
旧国旗の色とオランダ王家(オラニエ=ナッサウ家、かつてオランジュの領主だった)にちなんでユニフォームの色をオレンジとしており、世界的に「オレンジ軍団」という愛称で知られている。また1974年のW杯では正確無比なトータルフットボールを展開したことから「時計仕掛けのオレンジ」というあだ名で呼ばれたことがある。
オレンジという国旗にない色をチームカラーとする世界でもまれなナショナルチームであり、ほかの例としては日本やイタリアの青、ドイツの白がある。
なおロゴに描かれた「王冠をかぶったライオン」も、オランダ王家の紋章が由来である。
エピソード
6月25日 呪われたジンクス
1978 FIFAワールドカップ決勝でアルゼンチンに延長戦の末に敗れて以後、ワールドカップにおいて6月25日に開催された試合で3敗1分と1度も勝利しておらず、特に2006 FIFAワールドカップのポルトガル戦はイエローカード16枚(史上最多タイ)、レッドカード4枚(史上最多)が飛び交う大荒れの試合となった。
1978年6月25日(1978 FIFAワールドカップ アルゼンチン大会 -決勝戦-)
オランダ 1 - 3 アルゼンチン(延長戦)
1994年6月25日(1994 FIFAワールドカップ アメリカ大会 グループリーグ-グループF-)
- オランダ 0 - 1 ベルギー
1998年6月25日(1998 FIFAワールドカップ フランス大会 グループリーグ-グループE-)
- オランダ 2 - 2 メキシコ
2006年6月25日(2006 FIFAワールドカップ ドイツ大会 決勝トーナメント-Round of 16-)
- オランダ 0 - 1 ポルトガル
なお、2010 FIFAワールドカップではこの日の前日となる6月24日にグループリーグでカメルーンと対戦し2-1で勝利している。
死の組
ワールドカップや欧州選手権(EURO)でオランダは優勝候補と目されるチームや直近の大会で好成績を収めたチームとグループリーグで同組となることがたびたびあり、1990 FIFAワールドカップ、2006 FIFAワールドカップ、2014 FIFAワールドカップで死の組に入りながらグループリーグを突破、EURO 2000ではフランス(1998 FIFAワールドカップ優勝国)、チェコ(EURO '96準優勝国)、デンマーク(EURO '92優勝国)と同組となったことをはじめに、EURO 2008では2006 FIFAワールドカップ決勝進出国(イタリア、フランス)と同組に、EURO 2012ではドイツ、ポルトガル、デンマークと大会前の最新FIFAランクTOP10以内のチームと同組になった。
このような死の組でオランダは好成績を収めることが多く、EUROでは2000年大会と2008年大会でいずれも3戦全勝でグループリーグを突破し、特に2008年大会はワールドカップ優勝のイタリアに3-0、準優勝のフランスに4-1で圧勝して大会を席巻した。しかし、2012年大会は逆に3戦全敗でグループリーグ敗退となっている。
外部リンク
- オランダサッカー協会
- オランダ代表
- RSSSFによるオランダ代表の記録
- RSSSFによるオランダ代表選手の記録
- RSSSFによるオランダ代表監督の記録
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