スーパーカー



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フェラーリ・512BB。1970年代のスーパーカー





ランボルギーニ・カウンタック LP500。1970年代のスーパーカー





マクラーレン・F1。1990年代のスーパーカー





ブガッティ・ヴェイロン。2000年代のスーパーカー。





レクサス・LFA





ホンダ・NSX。2010年代のスーパーカー





パガーニ・ウアイラ。2010年代のスーパーカー


この記事ではスーパーカー(w:supercar)について解説する。




目次





  • 1 概要

    • 1.1 範囲の曖昧さや変化



  • 2 購買層

    • 2.1 メーカーの経営事情



  • 3 モータースポーツ


  • 4 日本におけるスーパーカー事情

    • 4.1 1970年代の日本におけるスーパーカーブーム


    • 4.2 バブル期の日本におけるスーパーカーブームとその終焉


    • 4.3 バブル後


    • 4.4 日本のメーカーによるスーパーカー



  • 5 脚注

    • 5.1 注釈


    • 5.2 出典



  • 6 関連項目


  • 7 外部リンク




概要


広辞苑では、「高出力・高性能で、特徴的なデザインのスポーツカー」と説明している[1]。大辞泉では「性能・美しさ・装備のよさ、価格などで並の自動車を超えた車。スポーツカーの中でも特に大型、強力で、手作りに近いもの。」と説明している[2]


以上の説明から判るようにスーパーカーはスポーツカーの一種で、(同時代のスポーツカー全般と比較して)価格・性能が並はずれて優れていて、デザインが特徴的あるいは美しいもの、というということになる。出力、走行性能、デザインなどによって、一般のスポーツカーと差別化されているわけである。


なおあくまでスポーツカーの一種なので、たとえ高出力・高額・特徴的なデザインであってもリムジンなどはスーパーカーには該当しない。これはロールスロイスのクーペも同様である。



範囲の曖昧さや変化


もともと、「car」という言葉の前に、「super」という漠然とした形容詞をつけただけの用語なので、本来的な意味内容は漠然としており、それが指し示す範囲はある意味で曖昧で、何がスーパーカーで何がスーパーカーでないか、専門家やエンスージアストなどの間でも議論になることがある。スーパーカーとそうでない車の間の線引きが明確にある訳ではない。また、メーカー自身が「スーパーカー」を自称する事も稀である。


時代とともに指し示す範囲は変化し、ある出力の大きさ・運動性能・機構・装備などがある時点では、並はずれていて「super スーパー」であっても、しばらくするうちにそれが一般化し「よくある」ものになり「スーパー」ではなくなる場合もある。


その多くが、エンジンを優先した設計、全体構造になっている。エンジンが優先される分、ラゲッジスペース(荷物を積むための空間)は極めて小さいものが一般的である。座席数も2つしかないもの(2シーター)が一般的である。


高価な部品を使い完成車として販売価格が高価格になることが分かっているので、売れる台数は少ないと予想され、少量生産となり、大量生産用のライン生産方式で製造するわけにはゆかず、結果として、手作りの工程が多くなり、工数が増える。(逆に言うと)はじめから少量生産体制(=手作り)を選び、量産効果が出ないので、結果的に、現代のありふれた工業製品と比べて極端に高価格になる、という因果関係にもなっている。


量産される一般的なスポーツカーに比べ、生産台数は極端に少なく、少ない場合には数台程度~数百台、多いものでも数千台程度で、例外的に多いものでも数万台である。例えば、フェラーリで2012年度で7000台ほどである。メーカーが意図的に「希少性」を出すために生産台数を制限している車種もある[注 1]


フェラーリやランボルギーニなどはスーパーカー専業のメーカーであり、年間数千台規模で生産している。一方で大量生産される一般的な乗用車と少量生産のスーパーカーを両方製造している自動車メーカーもある。この場合のスーパーカーは、メーカーのフラッグシップとしてイメージリーダー的な役割を負い、その時代の最新技術が惜しみなく投入されていることが一般的である。例を挙げると、BMW(M1[注 2])、ホンダ(NSX[注 3])、(ブガッティ・ヴェイロン)、(レクサス・LFA)などが挙げられる。フェラーリやマセラティ(いずれもフィアット傘下)、ランボルギーニなど、メーカー単位でフラッグシップ的な役割を担っている場合もある。


スーパーカーは極端な高出力・運動性能・デザインに重点を置いている分、引き換えに、乗りやすさ・実用性・経済性・整備のしやすさ・耐久性といった面は考慮されていない場合がある。[注 4]


スーパーカーのうち、特に性能の突出した車種や1億円に近い販売額のものをハイパーカーと称することもあるが、これもスーパーカー同様定義は曖昧なものになっている。



購買層


スーパーカーは、階級制度によって育まれてきたヨーロッパの産物のひとつでもある。金に糸目を付けず特別なものを欲しがる上流階級と、そういった需要に応え手間暇をかけて一品製作に近い形で高級品を製作する職人集団という構図が古くからあり、スーパーカーに限らず特殊なものが生み出されてきた。現代においては、ヨーロッパの階級制度以上に、オイルマネーを牛耳るアラブの富裕層なども大きな顧客層となっており、世界中に目を向ければ、珍しいものを欲しがる金持ちは相当数いるため、商売の対象はそれなりにある。


少量生産ゆえ、(状態が良好で走行距離も少なければ)新車購入時の価格と手放す時の価格を比較するとそれが下がりにくいという性質があり、一種の「安定資産」と考える人もいる。(一般車は新車購入直後に評価額が大きく下がるのとは対照的)。最近では日本円にして1億円超という限定生産車が発売され、すぐに完売するという現象が続いているが、購入目的の多くは走るためではなく、後々プレミアムが付くことを目論んだ投機だという意見もある。



メーカーの経営事情


スーパーカーのような超高級車はごく少数の顧客に向けて少量だけ製作されるため、メーカーの経営は常に不安定になりやすい。世界の政治経済の民主化が進み、大衆車の大量生産が自動車ビジネスの主流となった第2次世界大戦後は特にその傾向が強く、馬車時代からの多くの名門コーチビルダーやブランドが存続の危機に立たされ、実際に消えて行った。その後もイタリアのフェラーリが、1970年代に同国随一の大衆車メーカーであるフィアットの傘下に入り、最古のスーパーカーメーカーと言えるマセラティは、様々なオーナー(資本)の元を移った挙句に、フェラーリの傘下に入って再生を遂げ、現在はフィアットの直轄となっている。ランボルギーニはフォルクスワーゲンのアウディ傘下に組み入れられ、さらにブガッティもフォルクスワーゲン傘下となった。


名門スーパーカーメーカーの名前が途絶えず、より大規模な量産車メーカーによって買収され、ブランドのみが維持される理由は、ブランドにそれだけの価値があるからである。販売数量に波のあるスーパーカーの経営に対して、大量生産販売で生まれた利潤を還元させることにより経営は平準化ができる一方、量産メーカーは経営の一環としてカタログに花を添えるようにブランドを掲げられる上、大量生産ではなしえない経営層の夢をスーパーカーブランドにより実現させることができる。


また、イギリスのノーブル・オートモーティブなど新たに起業したり、オランダのスパイカー・カーズのようにかつてのブランド権を購入してスーパーカーの製造を行う新興の専門メーカーも現れている。



モータースポーツ


グループGT3のような大排気量GTカーをスーパーカーと呼称することがあり、日本ではアマチュア向けのGTレースであるスーパーカーレースシリーズが開催されている。


オーストラリアではスーパーカー・チャンピオンシップ(旧V8スーパーカー)というレースが最高峰カテゴリとして存在する。また世界ラリークロス選手権やグローバル・ラリークロスの最高クラスは「スーパーカークラス」と呼ばれ、マシン名にも「(RX)スーパーカー」と名付けられることが多いが、これらはいずれも中価格帯以下のツーリングカーを魔改造したものであり、一般的に想像されるスーパーカーは全く関係が無い。



日本におけるスーパーカー事情



1970年代の日本におけるスーパーカーブーム


日本では、かつて1976年頃から1978年頃にかけて、池沢さとしの漫画『サーキットの狼』などの影響で、スーパーカーの爆発的なブームが起きた。スーパーカーは一般大衆には入手が困難なことから、特に自動車が好きな人達から見ると羨望の的となった。代表的な存在として君臨したのがランボルギーニ・カウンタックであり、他にもフェラーリ・512BB、ポルシェ・ターボ、ロータス・ヨーロッパ、ランチア・ストラトスなどが特に人気のあった車種である。当時のブームにおいて知名度を得たスーパーカー群は、21世紀初頭の現在でも根強い人気がある。


ブーム当時の日本では、車の購買層ではない低年齢層へのプロモーションとして、コカ・コーラ、ファンタ等の清涼飲料水の王冠の裏に車が描かれていたり、カード型の書籍やプラモデル(スケールモデル)、ミニカーが発売されたり、ラジコンのブームが巻き起こった。スーパーカー消しゴムと呼ばれる塩化ビニール製のミニチュアが売られたりした。また日本の各地においてスーパーカーの展示会が行われた。スーパーカーブームにより自動車に関する情報が低年齢層に浸透することとなり、並行する形でモータースポーツ(F1、ル・マン24時間レース、世界ラリー選手権など)に対するブームも巻き起こった。


テレビでもブームにあてこんだ番組が製作された。スーパーカーに関するクイズ番組『対決!スーパーカークイズ』(東京12チャンネル・現テレビ東京)の他、テレビアニメでは1976年の『マシンハヤブサ』を先駆けとして、1977年になると『とびだせ!マシーン飛竜』『超スーパーカー ガッタイガー』『激走!ルーベンカイザー』『アローエンブレム グランプリの鷹』が放映された。これらはスーパーカーブームとF1ブームの相乗効果だったと見られる。


ブームは異常な過熱を見せた。1977年春に東京・晴海で行われた「サンスター・スーパーカー・コレクション77」などのスーパーカーショーでは、スーパーカーの写真撮影をしたいとカメラを持った少年たちが長蛇の列を作り、新聞などの一般マスコミで社会現象として大きく取り上げられた。同年7月には同じく晴海で「ラ・カロッツェリア・イタリアーナ'77」というイベントが開催されている。


一般的な自動車雑誌もこぞってスーパーカー特集を組み[3]、関連した書籍や写真集に加え、スーパーカーの排気音だけを収録したレコードも登場した。街にスーパーカーが停まっていると人だかりができ、通行に支障が出るほどだった。少年たちから「ライト出して!」などと促され、運転しているオーナーが苦笑しながらリトラクタブル・ヘッドライトを作動させたり、少年たちが写真撮影を終えるまで停車して待ってやったり、という場面も見受けられた。この時期、多種多様なリトラクタブルライトを装備する自転車が販売された。またスーパーカーのエンブレムを窃盗するなど、悪質な行為を行うマニアも現れた。1978年には鈴鹿サーキットでスーパーカーレースの選手権まで開かれるようになった[4]


この時期の日本には多数の欧州製スーパーカーが輸入されたが、「コーンズ」や「ロイヤル・モータース」(フェラーリ)、「シーサイドモーター」(ランボルギーニとマセラティ)や「ミツワ自動車」(ポルシェ)などの正規輸入代理店経由の輸入は割り当て台数が限られることから、中古車を中心に扱う並行輸入業者がその旺盛な需要を満たした。その一方、国産車はオイルショックに伴う排ガス規制対策に追われ、スポーツモデルをほとんど登場させていなかったが(トヨタ・2000GTのようにその希少性から国産スーパーカーとして取り上げられた例もある)、ブーム末期にはサバンナRX-7や童夢-零も人気を誇った。


ブームは1978年ごろには沈静化し、カメラ少年たちの興味はブルートレインなどに向かったといわれる。スーパーカーの正規輸入代理店、並行輸入業者およびミニカーを発売していた玩具メーカーの中には、ブームの急速な沈静化が原因で倒産した会社も存在する。


紙切り芸の2代目林家正楽が『徹子の部屋』に出演した際、これまで苦労したことは何かと聞かれて「スーパーカーブームの頃は大変だった。寄席に来た子供さんからスーパーカーを切ってくれというリクエストが多く、スーパーカーの名前と形を必死になって覚える必要があったから」と述懐したエピソードが残っている。



バブル期の日本におけるスーパーカーブームとその終焉


1970年代のスーパーカーブームから10年ほどたった1980年代末、日本は空前のバブル景気に突入する。バブルで大金を手にした層がスーパーカーに手を出し始めたため、この時期の日本も一種のスーパーカーブームだったといえる。東京都心などではポルシェは日常の光景の一部で、フェラーリでさえ特に珍しい存在ではなかった。フェラーリ・F40やポルシェ・959など、億単位の価格のスーパーカーが多数輸入され、さらにプレミアム価格で転売されるなど、異常な状況が続いた。


こうしたブームも、バブルが崩壊した1990年代に入ると、一気に冷えていく。さらに近年の株バブルともいえるアメリカの好景気、欧州のポンド高、ユーロ高、中国や東南アジア各国の経済急成長などにより、日本に大量に輸入されたスーパーカーの海外への流出が依然として続いている。



バブル後


バブル崩壊後は、スーパーカーは金持ちの単なるステイタスではなく、車好き、カーマニアが所有するものとなっている。富裕層ではない単なる庶民のカーマニアであっても、スーパーカーを所有する例が見られるのは、日本だけである。これは、ある程度の年数が経った中古車であれば、スーパーカーはさほど市場価格が下がらない(プレミアがつけば逆に高騰する事もありえる)ため、後に転売する事を見越して短期間の所有を前提として、中古のスーパーカーを購入するのである。これには日本の治安の良さから、防犯にそれほどコストをかけなくてもよいという事情もある。自動車評論家清水草一の「フェラーリがローンで買えるのは日本だけ」という言葉には、日本の国情とスーパーカーのなじみ方がよく表されている。



日本のメーカーによるスーパーカー


一般に日本生まれのスーパーカーとしては、トヨタ・2000GT、ホンダ・NSX、レクサス・LFAなどが挙げられることが多い。


過去に「スーパーカー」を目指して開発された日本車としては、他に童夢-零やヤマハ・OX99-11、ジオット・キャスピタなどがあるが、これらは開発が中途で頓挫し販売までは至っていない。また、VEMAC、トミーカイラ・ZZ、ASL・ガライヤ(販売なし)、光岡・オロチ、オーテック・ザガートステルビオなどといった少量生産スポーツカーを「スーパーカー」の範疇に入れるかどうかも、人によって意見が分かれる。



脚注


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注釈




  1. ^ ただし、広辞苑のスーパーカーの定義は「他のスポーツカーと比べて並はずれている」ということであって、当該車種の販売台数が少ないということは定義には含まれていない。基本的には、高価なので、結果として買える人が減り、販売台数が減る、という因果関係になっている。よってメーカーが高出力・高性能・特徴的デザインという条件を満たすスーパーカーにもかかわらず、その販売台数を多めにするために、あらかじめ価格を低めに設定して、なるべくライン上で生産する、ということは、ひとつの経営上の手法として可能なのである。

    大辞泉のほうの定義では「手作りに近いもの」とあるので、その意味ではすっかりライン生産というわけではない、と示唆されている。理屈の上では、たとえ「手作り」であっても、大量の「作り手」を雇い動員できれば、大量に製造することは一応可能であるが、常識的に言えば「手作り」と言えば、それほど大量生産の品ではないと(暗黙裡に)示唆されているともいえる。



  2. ^ BMWは当初は、エンジンのみを供給し、設計と生産をランボルギーニへ丸投げする予定だった。レースに出場することが前提であったことから「コンペティションカー」とも言える。


  3. ^ ホンダは、NSXについて希少車にする意図はない。大量生産しており、マスプロダクトカーにしている。


  4. ^ 難点の程度は、あくまで車種・年式によるが、例えば次のような難点を持つスーパーカーがある。
    • 低車高と傾斜のきついフロントガラスによる視界の悪さ

    • 高回転時の高馬力型優先の結果、低回転のトルクに欠けるエンジン

    • 高速域での制動性重視で高温にならないと効きの悪いブレーキ

    • (マニュアル車)重く癖の強いクラッチ

    • (多気筒エンジン)始動性の悪さ(徳大寺有恒も著書で「フェラーリの12気筒エンジンは始動にコツがいる」と語っている)

    • 居住性の問題として雨漏り(そもそもルーフやフロントガラスさえない車種もある)や静粛性の悪さ、エアコンやオーディオの不装備

    • カーボンやチタンなど修正の難しい素材をふんだんに使っているため、ちょっとした事故による小規模な破損でも修理には新車購入に匹敵する膨大な金額が必要になることすらある。





出典




  1. ^ 広辞苑第六版【スーパーカー】


  2. ^ 大辞泉【スーパーカー】


  3. ^ その一方、自動車雑誌の『カーグラフィック』は「いたずらにブームに手を貸すと自動車雑誌としての本質を見失う」として、ブームとは距離を置く編集方針を取っていた(スーパースポーツカー・レビュー―’70年代夢の饗宴(上)の前書きより)。


  4. ^ 参考リンク



関連項目


  • スーパーカー一覧

  • グランツーリスモ

  • シーサイドモーター


  • スーパーカーと暮らす 〜My Sweet Honey〜(2007年、BSジャパンで放送されたスーパーカー専門番組)

  • 対決!スーパーカークイズ

  • スーパーカーレースシリーズ

  • スーパーカー大改造

  • 高級車


外部リンク


  • スーパーカーと呼ばれたクルマたち (gazoo.com)



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