宗谷 (列車)
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宗谷 サロベツ | |||
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両列車に使用されるキハ261系基本番台 (下り「宗谷」2018年5月5日 幌延駅) | |||
概要 | |||
国 | 日本 | ||
種類 | 特急列車 | ||
現況 | 運行中 | ||
地域 | 北海道 | ||
前身 | 特急「スーパー宗谷」・「サロベツ」 | ||
運行開始 | 2017年3月4日 | ||
運営者 | 北海道旅客鉄道(JR北海道) | ||
路線 | |||
起点 | 札幌駅(宗谷) 旭川駅(サロベツ) | ||
終点 | 稚内駅 | ||
営業距離 | 396.2 km(札幌 - 稚内間) 259.4 km(旭川 - 稚内間) | ||
平均所要時間 | 約5時間10分(宗谷) 約3時間44分(サロベツ) | ||
運行間隔 | 1往復(宗谷) 2往復(サロベツ) | ||
列車番号 | 51D・52D(宗谷) 60D+号数(サロベツ) | ||
使用路線 | 函館本線(宗谷のみ) 宗谷本線 | ||
車内サービス | |||
クラス | グリーン車・普通車 | ||
座席 | グリーン車指定席:1号車(半室) 普通車指定席:1 - 3号車(1号車半室) 普通車自由席:4号車 | ||
技術 | |||
車両 | キハ261系気動車(基本番台)(苗穂運転所) | ||
軌間 | 1,067 mm(狭軌) | ||
電化 | 非電化 | ||
最高速度 | 120 km/h(札幌 - 旭川 - 名寄間) 95 km/h(名寄 - 稚内間) 詳細は宗谷本線#路線データを参照。 | ||
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宗谷(そうや)は、北海道旅客鉄道(JR北海道)が札幌駅 - 稚内駅間を函館本線・宗谷本線経由で運行している特別急行列車。
本項目では、同じく宗谷本線で運行されている特急「サロベツ」と、過去に宗谷本線およびその支線である天北線で運行されていた優等列車の沿革についても記述する。
目次
1 概要
1.1 宗谷
1.2 サロベツ
2 運行概況
2.1 停車駅
2.2 使用車両・編成
2.3 町民乗車票
3 宗谷本線・天北線優等列車概説
3.1 利尻
3.2 天北
3.3 礼文
3.4 なよろ
3.5 紋別・旭川
3.6 過去の使用車両(客車・気動車)
4 宗谷本線・天北線優等列車沿革
4.1 国鉄時代(戦前)
4.2 国鉄時代(戦後)
4.3 民営化から宗谷本線高速化以前まで
4.4 宗谷本線高速化後
5 脚注
5.1 注釈
5.2 出典
5.3 報道発表資料
5.4 新聞記事
6 参考文献
7 関連項目
8 外部リンク
概要
宗谷
1960年(昭和35年)7月1日に準急「宗谷」として札幌駅 - 稚内駅間で運転開始し、札幌駅 - 旭川駅間では「オホーツク」を併結していた。1961年(昭和36年)10月1日には急行列車格上げと同時に、函館駅発着(室蘭本線・千歳線経由)で運行されるようになり、1964年(昭和39年)10月1日には経由を室蘭本線から小樽駅経由に変更の上で、単独運転を開始した。
1981年(昭和56年)10月1日には札幌駅発着に戻され、1989年(平成元年)5月1日には天北線廃止に伴い、札幌駅 - 浜頓別駅 - 稚内駅間で運行されていた「天北」を経路変更を行ったうえで編入し2往復化されたが、1992年(平成4年)7月1日には上下の2便目を別愛称の「サロベツ」として分離し再度1往復となった。
その後、JR北海道と北海道、名寄市などが出資する第三セクター北海道高速鉄道開発を主体とする、宗谷本線旭川駅 - 名寄駅間の高速化改良事業が完成した2000年(平成12年)3月11日ダイヤ改正より、宗谷本線を走行する急行列車4往復はすべて特急列車への格上げ・速達化が実施された。このうち、キハ261系気動車(基本番台)を使用した昼行2往復については、「宗谷」の愛称を引き継ぐ形で「スーパー宗谷」の愛称が起用された。「スーパー宗谷」の運転開始により、札幌駅 - 稚内駅間の所要時間は急行時代の最速列車から52分(うち、札幌駅 - 名寄駅間は38分)[1]もの大幅な短縮が図られた。
2017年(平成29年)3月4日のダイヤ改正では、それまで札幌駅 - 稚内駅間に3往復運転されていた特急のうち2往復を旭川駅 - 稚内駅間に短縮・再編し、引き続き札幌駅 - 稚内駅間で運転される1往復は「宗谷」に再改称されている。
列車名は北見国宗谷郡や稚内市にある宗谷岬・宗谷支庁および宗谷本線に由来する。なお、宗谷本線特急列車運転開始時の愛称の一般公募でも「スーパー宗谷」が最多得票であった[1]。ヘッドマークは「スーパー宗谷」運転開始時に制定されたものから文字を抜いたもので、急行時代のヘッドマークをもとに道北地域の地形を図案化したものとしている[1][注 1]。
走行距離は396.2kmに及び、これは2017年3月4日現在、日本で運行されている気動車特急で一番長いものである。
サロベツ
1992年(平成4年)7月1日に「宗谷」2往復のうち、上下の2便目に当たる1往復を別愛称の「サロベツ」に変更し登場した。この時点では「宗谷」と愛称以外の違いは特段存在しなかった。
2000年(平成12年)3月11日の宗谷本線高速化完成に伴うダイヤ改正では、夜行の「利尻」(2006年定期運転終了)と共通の専用の改造を施されたキハ183系気動車が使用される札幌駅 - 稚内駅間昼行特急列車1往復の愛称とされた。
2017年(平成29年)3月4日のダイヤ改正では、宗谷本線で旭川駅 - 稚内駅間に短縮された特急2往復の愛称に「サロベツ」が転用され、同時に「宗谷」と共通のキハ261系基本番台での運転となった。
列車名は豊富町と幌延町の海岸線沿いに広がる湿原、サロベツ原野に由来する。ヘッドマークは2017年(平成29年)の特急列車再編以降は「宗谷」と共通[注 2]としているが、それ以前はサロベツ原野と利尻山、エゾカンゾウを描いたものを使用していた。
運行概況
以下特記ない限り2018年(平成30年)3月17日ダイヤ改正時点での情報である[2]。
「宗谷」は午前に下り(札幌発)1本、午後(稚内発)に上り1本の計1往復が運転され、全区間の所要時間は下り5時間10分、上り5時間11分である。
「サロベツ」は1日2往復(1 - 4号)が運転されており、全列車が旭川駅で札幌駅 - 旭川駅間の特急「ライラック」の特定列車と対面乗り換えで接続する[注 3]。乗り換え時間を含む「ライラック」「サロベツ」を利用した場合の札幌駅 - 稚内駅間平均所要時間は5時間21分である[注 4]。
両列車ともに、車内販売は行われていない。
停車駅
列車名 | 札幌駅 | 岩見沢駅 | 美唄駅 | 砂川駅 | 滝川駅 | 深川駅 | 旭川駅 | 和寒駅 | 士別駅 | 名寄駅 | 美深駅 | 音威子府駅 | 天塩中川駅 | 幌延駅 | 豊富駅 | 南稚内駅 | 稚内駅 |
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宗谷 | ● | ● | ▶ | ▶ | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● |
サロベツ | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● |
- ●:停車 ▶:下り列車のみ停車
- 旭川駅 - 稚内駅間の停車駅は「宗谷」「サロベツ」で共通である。
- 「宗谷」の函館本線内は「カムイ」「ライラック」「オホーツク」と共通の停車駅であるが、美唄駅、砂川駅は下り列車(稚内行き)のみ停車する[注 5]。
- 「サロベツ」は全列車が旭川駅で札幌駅 - 旭川駅間の特急「ライラック」と接続。
使用車両・編成
宗谷・サロベツ | ||||||||||
← 稚内 旭川・札幌 → | ||||||||||
| ||||||||||
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両列車ともにキハ261系基本番台気動車(苗穂運転所所属)が使用される。4両編成で運行され、1号車の半室(9席)がグリーン車となっている。
なお、前身の「スーパー宗谷」「サロベツ」時代の、2006年(平成18年)3月18日に道内特急全面禁煙化に伴い、全列車が禁煙車(喫煙ルームなし)となっている。
多客期には6両編成に増結される場合があり、通常1・2号車となる2両が21・22号車として稚内方に連結される場合と、通常3・4号車となる2両が5・6号車として札幌方に連結される場合がある(キハ261系の項も参照)。また、宗谷本線内では増結となった場合プラットホームの有効長が不足する駅があるため、当該の駅では進行方向後ろ寄りの1 - 2両のドアカットを行う。
町民乗車票
2016年(平成28年)3月26日ダイヤ改正ではJR北海道各線での普通列車の減便が実施された。宗谷本線では減便により、音威子府駅 - 稚内駅間の普通列車が上下各5本から各3 - 4本に減便され、日中には最大で8時間に渡り普通列車が運転されない時間帯も生じた(宗谷本線#地域輸送も参照)[3]。このため代替措置として、同年3月24日より沿線の中川町・幌延町・豊富町の各町がJR北海道と大口契約を結び、特急列車の普通車自由席に、当該区間の普通乗車券+10円に相当する金額で乗車可能となる町民乗車票(いわゆる契約乗車票)が設定・販売されている[3][4][5]。この町民乗車票はJR北海道の窓口や列車内での購入はできず、各町内の指定の発売場所で事前販売が行われる。また、町民以外へは発売されない[3][4][5]。
発売区間は中川町が天塩中川駅 - 名寄駅間、幌延町が天塩中川駅 - 名寄駅間および幌延駅 - 稚内駅間、豊富町が豊富駅 - 稚内駅間である[3][4][5]。
宗谷本線・天北線優等列車概説
利尻
1958年(昭和33年)10月1日、札幌駅 - 稚内駅間の夜行準急列車として運行を開始し、1966年(昭和41年)3月5日に急行列車となった。1968年(昭和43年)10月1日には昼行の「礼文」を統合して昼行夜行2往復となるが、1970年(昭和45年)10月1日に再度分離し、再び夜行1往復のみの体制となった。
1982年(昭和57年)11月15日からは座席車に14系500番台客車が投入され、1983年(昭和58年)4月25日から寝台車も14系に置き換えられた。
1991年(平成3年)3月16日からは、「宗谷」と共通のキハ400形・キハ480形気動車に14系寝台客車を併結する編成を初めて投入し[6]、のちにこのスタイルは特急「オホーツク」「おおぞら(→「まりも」)」にも拡大されることとなった。
2000年(平成12年)3月11日の宗谷本線高速化竣工に伴うダイヤ改正では、特急列車化され、座席車を「サロベツ」と共通のキハ183系に変更したが、引き続き14系寝台車を混結していた[6]。
2006年(平成18年)3月のダイヤ改正では臨時列車化され、同年6月から夏季に特急「はなたび利尻」として運転されるようになったが、なおも利用が減少傾向にあることから、2008年(平成20年)4月にJR北海道が廃止を発表し、事実上2007年(平成19年)9月30日の運行を最後に廃止された[報道 1]。
列車名は、稚内市の西方の日本海に浮かぶ利尻島が由来となっている。ヘッドマークは急行時代より、海上に浮かぶ利尻島(利尻山)を描いたものを使用していた。
- 定期列車廃止時の停車駅
- 札幌駅 - 江別駅 - 岩見沢駅 - 美唄駅 - 砂川駅 - 滝川駅 - 深川駅 - 旭川駅 - 和寒駅 - 士別駅 - 名寄駅 - 美深駅 - 音威子府駅 - 天塩中川駅 - 幌延駅 - 豊富駅 - 南稚内駅 - 稚内駅
- 昼行列車と異なり、急行時代から江別駅・美唄駅・砂川駅にも停車していた。
天北
1961年(昭和36年)10月1日、札幌駅 - 稚内駅間を函館本線・宗谷本線・天北線経由で運行する急行列車として運行を開始し、1989年(平成元年)5月1日の天北線廃止に伴い、経路変更を行ったうえで「宗谷」に編入された。
列車名は経由路線である天北線(沿線地域の旧国名「天塩国」「北見国」から命名)が由来となっている。ヘッドマーク・テールマークは北斗七星を描いたものであった。
なお、旅客営業取扱基準規程110条および154条(列車特定区間制度)の対象であったため、「天北」の札幌駅 - 音威子府駅間各駅と南稚内駅・稚内駅相互間を乗車し、天北線内で途中下車しない場合は幌延駅経由で運賃・料金を計算するものとされていた。
- 廃止時の停車駅
- 札幌駅 - 岩見沢駅 - 滝川駅 - 深川駅 - 旭川駅 - 和寒駅 - 士別駅 - 名寄駅 - 美深駅 - 音威子府駅 - 小頓別駅 - 中頓別駅 - 浜頓別駅 - 鬼志別駅 - 南稚内駅 - 稚内駅
- 14系客車導入前は江別駅・美唄駅・砂川駅にも停車していた。
礼文
1961年(昭和36年)10月1日に旭川駅 - 稚内駅間を宗谷本線経由で運行する準急列車として運行を開始し、1966年(昭和41年)3月5日に急行列車となったが、1968年(昭和43年)10月1日に急行「利尻」に改称・統合され一旦愛称が消滅する。1970年(昭和45年)10月1日には再度分離されて愛称が復活し、2000年(平成12年)3月11日ダイヤ改正で上下列車とも運転区間を札幌駅 - 稚内駅間に延長の上、特急「スーパー宗谷」に編入され、愛称が廃止された。
一貫して気動車で運転されており、1986年(昭和61年)12月7日にはキハ54形500番台のうち、急行仕様で落成した車両 (527 - 529) が投入された。なお、運行開始から廃止に至るまで一貫して冷房非搭載車で運行され、「礼文」は国鉄・JRの定期急行列車としては史上最後の非冷房列車となった。
列車名は稚内沖合に浮かぶ礼文島が由来となっている。ヘッドマークは礼文島の元地海岸の地蔵岩を描いたものとされる。
なお、末期には旭川駅で特急「スーパーホワイトアロー」(最高速度130 km/h)に接続していたため、両列車を乗り継いだ場合の札幌駅 - 稚内駅間の所要時間は改正直前の時点で最速5時間21分と「宗谷」「サロベツ」より早かった[報道 2]。
- 廃止時の停車駅
- 旭川駅 - 士別駅 - 名寄駅 - 美深駅 - 音威子府駅 - 天塩中川駅 - 幌延駅 - 豊富駅 - 南稚内駅 - 稚内駅
- 当時の「宗谷」「サロベツ」と異なり、和寒駅を通過していた。
なよろ
1965年(昭和40年)10月1日に札幌駅 - 名寄駅間の急行列車として運行を開始した。以後、一部列車が小樽駅発着で運行されるなどして存続したが、1984年(昭和59年)2月1日に廃止された。
列車名は名寄市に由来する。なお、「なよろ」の列車名は1990年(平成2年)9月1日から旭川駅 - 名寄駅間の快速列車として起用されている(なよろ (列車)を参照)。
- 廃止時の停車駅(急行列車区間のみ)
- 札幌駅 - 江別駅 - 岩見沢駅 - 美唄駅 - 砂川駅 - 滝川駅 - 深川駅 - 旭川駅 - 和寒駅 - 士別駅 - 名寄駅
紋別・旭川
いずれも、名寄本線に直通した列車であり、「紋別」は札幌駅 - 名寄駅 - 遠軽駅間(末期は興部駅 - 遠軽駅間普通列車)の列車、「旭川」は旭川駅 - 遠軽駅 - 名寄駅 - 旭川駅間の循環列車であった。
「紋別」廃止時の停車駅(急行列車区間のみ)[7]
- 札幌駅 - 岩見沢駅 - 美唄駅 - 砂川駅 - 滝川駅 - 深川駅 - 旭川駅 - 和寒駅 - 士別駅 - 名寄駅 - 下川駅 - 西興部駅 - 興部駅
急行「宗谷」のヘッドマーク(1996年3月 札幌駅)
急行「サロベツ」のヘッドマーク(1996年3月 札幌駅)
急行「礼文」のヘッドマーク(2016年9月 幌延町)
特急「利尻」のヘッドマーク
お座敷車が連結されていた「サロベツ」
(2007年10月7日)
過去の使用車両(客車・気動車)
- 14系500番台
座席車- 「利尻」の座席車として投入され、のちにキハ56系からのサービスアップ・冷房化を目的に「宗谷」「天北」にも投入され、キハ400系への置換えまで運用された。
寝台車
14系座席車との組成- 座席車につづき、1983年(昭和58年)に「利尻」に投入された。1985年(昭和60年)に「利尻」と編成が共通化された上り「宗谷」・下り「天北」に投入された際にはオハネ14 501 - 503の寝台1区画を改造し、昼行運用時のみグリーン席として翌年まで運用した。
キハ400系・キハ183系との組成- 1991年(平成3年)の「利尻」気動車化にあたり、気動車と併結する改造を行ったスハネフ14-501・505・508が投入された[6][8]。後年「オホーツク」「おおぞら(→まりも)」に投入されたスハネフ14形(502 - 504・506・507)とは塗装のほか給電装置の切替スイッチを装備しないなどの差異があり、運用が分けられていたが、「利尻」の特急化・キハ183系使用開始に伴い、後年仕様の統一が行われている[6][注 6]。
- キハ56系
- 14系客車投入前の「宗谷」「天北」、キハ54形投入前の「礼文」で定期運用された。その後も、キハ400系の増結車などで起用されることがあった。
- キハ54形500番台
- 急行仕様で落成した車両 (527 - 529) が「礼文」で定期運用された。
- キハ400形・キハ480形(キハ400系)
- 14系客車の置き換え用として、キハ40形100番台・キハ48形300番台・同1300番台を冷房化・高出力化・アコモデーション改造し、1988年(昭和63年)に急行「宗谷」「天北」に投入された。のちに、14系客車(寝台車)との混結により「利尻」、愛称変更により「サロベツ」にも投入された。2000年(平成12年)3月11日の格上げ・高速化まで使用されたのち、一部を除き札沼線(学園都市線)用として格下げ・転用された。
- キハ183系気動車
キハ182形 (36 - 38)- 老朽化したキロ29・59形お座敷車の取替え用として、キハ400形3両をお座敷車に改造・ねん出するため、キハ182形3両を1997年(平成9年)に改造・投入した。キハ400系と混結され「宗谷」「サロベツ」「利尻」の指定席車として、2000年(平成12年)3月11日の格上げ・高速化まで使用された。
特急「サロベツ」「利尻」用N183系・NN183系- 2000年(平成12年)3月11日の高速化に伴い、専用の改造を施された普通車のみの3両編成が札幌運転所に配属(2012年度に苗穂運転所に転属)され、特急「サロベツ」「利尻」に投入された。2006年(平成18年)3月17日の「利尻」定期運転終了までは14系寝台客車を列車に応じて増解結することで共通運用が組まれていた。
- 専用車が使用されない場合や増結となる場合でも、120km/h運転を行うためN183系・NN183系の使用を基本としていたが、2016年以降は3号車にいわゆる初期車にあたる、キハ183形200番台(最高速度110 km/h)の充当が所定となっていた[9][注 7]。
- キハ261系への置き換え完了後も同形式の故障・事故時には代走で運用に入る場合が見られる。
宗谷本線・天北線優等列車沿革
宗谷本線では、樺太が日本の統治下だった時代に、東京方面との速達のために函館駅と稚内駅を結ぶ急行列車が運行されていた。全国的に急行列車が希少であった時代の1本である。しかし、太平洋戦争後に樺太が日本の施政を離れたため、戦後、優等列車の運行が再開されるまでには13年を要した。
国鉄時代(戦前)
1924年(大正13年)6月1日:函館駅 - 稚内駅(初代:現在の南稚内駅)間の急行1・2列車の急行区間を従来の函館駅 - 滝川駅間から函館駅 - 名寄駅間に延長する形で[10]、宗谷本線初の優等列車が運転開始。名寄駅 - 稚内駅間は普通列車として運転された。- 当時はのちに天北線として分離される浜頓別駅を経由するルートが開通しており、そちらを経由した。
1926年(大正15年)9月25日:天塩線音威子府駅 - 幌延駅 - 稚内駅(初代)間の全通[11][12]に伴い、それまで浜頓別経由だった急行1・2列車が幌延経由に変更[12]。夏季は全区間を急行列車として運転[13]。
1928年(昭和3年)9月10日:急行1・2列車が通年で全区間急行として運転開始。同時に時間短縮を優先させるため、札幌駅を経由せず室蘭本線経由に変更[13]。
1930年(昭和5年)4月1日:天塩線が宗谷本線に編入され、音威子府駅 - 浜頓別駅 - 稚内駅(初代)間 (149.9km) を北見線(→天北線)として分離。
1937年(昭和12年)6月1日:急行1・2列車が再び札幌経由に変更[13]。
国鉄時代(戦後)
1958年(昭和33年)10月1日:札幌駅 - 稚内駅(以下特記ない限り2代。)間で夜行準急「利尻」(りしり)が函館本線・宗谷本線経由で運転開始[12]。同列車に三等寝台車を連結[12]。
1960年(昭和35年)7月1日:札幌駅 - 稚内駅間で準急「宗谷」(そうや)が函館本線・宗谷本線経由で運転開始[14]。札幌駅 - 旭川駅間は準急「オホーツク」(札幌駅 - 網走駅間)と併結していた。
1961年(昭和36年)10月1日:準急「宗谷」が急行列車に昇格し、運行区間を函館駅 - 稚内駅間(室蘭本線・千歳線経由)に変更[14]。同時に、札幌駅 - 浜頓別駅 - 稚内駅間(函館本線・宗谷本線・天北線経由)の急行「天北」(てんぽく)[15]、さらに旭川駅 - 稚内駅間(宗谷本線経由)の準急「礼文」(れぶん)が運行開始。- 「宗谷」は函館駅 - 滝川駅間で急行「摩周」(函館駅 - 釧路駅間)、函館駅 - 旭川駅間で急行「オホーツク」(函館駅 - 網走駅間)をそれぞれ併結。ただし、「摩周」「オホーツク」に一等車が連結されていたのに対し、「宗谷」は二等車のみだった。
- 「天北」は札幌駅 - 滝川駅間で急行「狩勝」(札幌駅 - 釧路駅間)を、札幌駅 - 旭川駅間で急行「はまなす」(札幌駅 - 網走駅間)をそれぞれ併結。
1962年(昭和37年)
5月1日:札幌駅 - 名寄駅 - 遠軽駅間の急行「紋別」(もんべつ)、旭川駅 - 遠軽駅 - 名寄駅 - 旭川駅間の循環準急「旭川」(あさひかわ)運転開始[16]。- 「紋別」は、札幌駅 - 深川駅間で急行「はぼろ」(札幌駅 - 留萌駅 - 幌延駅)を併結。
- 10月1日:「天北」が「狩勝」との併結を解消し、併結相手が「はまなす」のみとなる。「はまなす」の編成には一等車が連結されていたが、「天北」は二等車のみだった。
1963年(昭和38年)6月1日:急行「紋別」紋別 - 遠軽間を普通列車化[17]。
1964年(昭和39年)10月1日:「宗谷」が単独運転となり、長万部駅 - 札幌駅間を函館本線経由に変更。同時に一等車の連結を開始。
1965年(昭和40年)10月1日:この日のダイヤ改正で、札幌駅 - 名寄駅間の急行「なよろ」が運行開始[10]。2両編成で、1日1往復。当初は札幌駅 - 旭川駅間で急行「大雪」(札幌駅 - 網走駅間)を併結。
1966年(昭和41年)- 3月5日:準急列車制度改変に伴い、「利尻」「礼文」「旭川」が急行列車に昇格。準急「かむい」を延長・格上げする形で急行「なよろ」が1往復増発され、2往復となる。「なよろ」1本に一等車の連結を開始。
- 10月1日:「利尻」の寝台車をマロネロ38形(1等寝台・1等座席合造車)からオロハネ10形(1等寝台・2等寝台合造車)に置き換え。これによりマロネロ38形が形式消滅。
1968年(昭和43年)10月1日:ヨンサントオのダイヤ改正。以下のとおり変更。- 「なよろ」下り1本を札幌発から小樽発に延長。一等車連結列車を1往復に拡大。
- 旭川駅 - 稚内駅間の昼行急行「礼文」を夜行急行「利尻」と統合。昼行は「(上り/下り)利尻1号」、従来の夜行は「(上り/下り)利尻2号」とする[注 8]。
- 「天北」が単独運転を開始。この時点でも二等車のみ。
- 下り「紋別」の普通列車区間を興部→遠軽間とする[17]。また、「旭川」を廃止し、旭川 - 遠軽 - 興部 - 名寄間は急行「オホーツク」とする[18]。
1969年(昭和44年)5月10日:等級制度が廃止され、モノクラス制に移行。一等車をグリーン車、二等車を普通車に変更。
1970年(昭和45年)10月1日:この日のダイヤ改正で、「なよろ」の小樽始発列車を手稲始発に短縮。「利尻」1号を急行「礼文」に再分離。「礼文」の列車名称が復活。また、「天北」にグリーン車の連結を開始。
1972年(昭和47年)- 3月15日:ダイヤ改正に伴い、「天北」が小樽駅発着となる。ただし、小樽駅 - 札幌駅間は快速列車として運転。
- 10月2日:ダイヤ改正に伴い、急行「なよろ」のうち1往復を旭川駅 - 名寄駅間に短縮。手稲始発列車も札幌始発に短縮。
1975年(昭和50年)7月18日:ダイヤ改正に伴い、「なよろ」2往復すべてにグリーン車が連結される。また、「天北」の小樽駅発着を終了。
1977年(昭和52年)11月1日:「利尻」にオロハネ10形(A寝台・B寝台合造車)の連結を取り止め。これ以降、A寝台の連結はなくなる。
1978年(昭和53年)10月2日:ゴーサントオのダイヤ改正。「なよろ」の札幌発着列車を小樽発着に延長。ただし、札幌駅 - 小樽駅間は普通列車として運転。
1980年(昭和55年)10月1日:ダイヤ改正に伴い、「なよろ」のグリーン車連結を終了。また、「なよろ」の小樽発着列車を札幌発着に再び短縮。上り「紋別」の普通列車区間を遠軽→興部間とする[19]。
1981年(昭和56年)10月1日:急行「宗谷」の運行区間を札幌駅 - 稚内駅間に短縮(函館駅 - 小樽駅 - 札幌駅間は特急「北海」に系統分離。これにより「北海」は1往復増の2往復となる)[14]。「なよろ」の上り札幌終着列車を小樽終着に延長。ただし、札幌駅 - 小樽駅間は普通列車として運転。
1982年(昭和57年)11月15日:「利尻」の座席車を14系500番台に置き換え。
1983年(昭和58年)4月25日:「利尻」の寝台車を14系500番台に置き換え。
1984年(昭和59年)2月1日:急行「なよろ」廃止。
1985年(昭和60年)3月14日:「宗谷」「天北」を14系客車に置き換え。
キハ56系気動車が老朽化したことに加え、利用者サービス向上(全車冷房化[注 9]・簡易リクライニングシート化)の一環から当時の定期昼行列車としては珍しく客車による運転となった。また「利尻」と一部車両を共用することで、経費節減を図ったことも変更の理由とされる。- 上り「宗谷」・下り「天北」は「利尻」と共通の編成。寝台車を一部グリーン席扱いのコンパートメント席として運転。そのほかは普通車自由席扱いとして開放していた。
- 下り「宗谷」上り「天北」は14系座席車のみで組成。
- 牽引機関車は「利尻」と同じく幹線用大型機・DD51形が用いられたが、軌道が脆弱な天北線経由の「天北」は名寄駅 - 稚内駅間を軽量中型のDE10形・DE15形牽引で運行、これも異例の措置であった。
1986年(昭和61年)- 8月:上り「宗谷」・下り「天北」のコンパートメントグリーン席扱いを廃止。これにより、道内の定期急行列車のグリーン車取り扱い終了。
- 11月1日:急行「紋別」廃止[20]。名寄本線内普通の快速列車へ格下げ(快速「なよろ」の前身)。
- 12月7日:「礼文」にキハ54形500番台(急行仕様車)を投入。通常2両編成で運行された。
民営化から宗谷本線高速化以前まで
1988年(昭和63年)11月3日:「宗谷」「天北」にキハ40形気動車を急行形化改造したキハ400形・480形気動車を導入。- 車両が13両と少ないため、多客期にはキハ56系気動車を増結用として使用。これにより、不定期ながら再びキハ56系が宗谷本線の急行列車で使用されるようになった。
- これにより、上り「宗谷」、下り「天北」の「利尻」との編成共用を終了。
1989年(平成元年)5月1日:前日の運行をもって天北線廃止。「天北」を幌延駅経由とし「宗谷」1・4号として編入。従来の「宗谷」は2・3号となる。
1991年(平成3年)3月16日:「利尻」を気動車と客車の混結編成(キハ400形・480形気動車+14系500番台寝台客車)に置換え。
1992年(平成4年)7月1日:「宗谷」3・4号を「サロベツ」として改称・分離。「宗谷」1・2号は号数なしとなる。
1997年(平成7年):キハ400系のうち3両をお座敷車に転用する代替として、改造を実施したキハ182形を運用開始。
1996年(平成8年)5月18日 - 8月9日:函館本線納内駅 - 伊納駅間の神居トンネル内の軌道修繕工事のため、下り「利尻」の滝川駅 - 旭川駅間を根室本線・富良野線に迂回運行。経由しない深川駅の利用者は列車代行バスで輸送。上り「利尻」は通常のルートで運行したが、工事終了の時刻に合わせ運行[21]。
宗谷本線高速化後
2000年(平成12年)
3月11日:ダイヤ改正に伴い、宗谷本線急行列車をすべて特急に格上げ。これに伴い以下の通り変更[報道 2][新聞 1][新聞 2]。- 上り「宗谷」、下り「サロベツ」はキハ261系気動車(基本番台)を導入し、特急「スーパー宗谷」(2・3号)に変更。名寄以南の最高速度を130 km/hに変更。
- 上下「礼文」は札幌駅 - 旭川駅間を延長し、特急「スーパー宗谷」(1・4号)に変更。
- 下り「宗谷」、上り「サロベツ」は専用の改造を行ったキハ183系気動車(N183系)を導入し、特急「サロベツ」に変更。名寄以南の最高速度を120 km/h に変更。
- 「利尻」は、座席車両を「サロベツ」と共通のキハ183系気動車に変更。引き続き14系寝台客車(最高速度95 km/h)を混結。
- 停車駅について、上下「礼文」が通過していた和寒駅に全列車を停車。上り「宗谷」のみ停車していた佐久駅は全列車通過。
- なお、同日稚内着の最終下り急行「利尻」に充当された編成の返却回送を利用した、団体臨時列車「さよなら急行利尻」が同日の日中に運転された[6]。
- 6月 - 8月:「利尻」「サロベツ」に期間限定で「ゴロ寝カー」としてお座敷車両(キハ183系6000番台)の連結を開始[注 10]。
スーパー宗谷・サロベツ・利尻 | ||||||||||
← 稚内 札幌 → | ||||||||||
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2006年(平成18年)3月18日:ダイヤ改正により、以下の通り変更[22]。- 「利尻」が臨時列車化され、6月から臨時特急「はなたび利尻」として運転開始。江別駅・美唄駅・砂川駅は通過。
- 「スーパー宗谷」2号の稚内発車時刻を7時台後半から前半に繰上げ。3号の札幌発車時刻を17時台前半から後半、4号の稚内発車時刻を16時台から18時台にそれぞれ繰下げ。
- 「スーパー宗谷」・「サロベツ」が全車禁煙化。
2007年(平成19年)
9月30日:稚内発の「はなたび利尻」を最後に宗谷本線の夜行列車が事実上の廃止[23]。
10月1日:ダイヤ改正で「スーパー宗谷」4号の運転時刻を18時から16時台に繰り上げ。
2008年(平成20年)4月18日:JR北海道が「はなたび利尻」の運行終了を発表[報道 1]。
2009年(平成21年)10月1日:ダイヤ改正で「スーパー宗谷」1号の停車駅に美唄駅・砂川駅を追加し、運転時刻を約40分繰上げ。また2号車を自由席に変更[報道 3]。車内公衆電話のサービスを終了[報道 4]。
2010年(平成22年)12月4日:札幌駅 - 旭川駅間における日中の特急「スーパーカムイ」減便の代替で、下り「サロベツ」の停車駅に美唄駅・砂川駅を追加[24]。
2011年(平成23年)7月5日:11時46分頃 岩見沢駅を定時発車後の「スーパー宗谷」2号が、二度のアラーム鳴動・モニタ画面に異常表示。幌向駅にて点検の際、4号車エンジン下部より潤滑油漏れと補機駆動軸の脱落を確認[25]。
2012年(平成24年)6月・9月:特急「まんぷくサロベツ号」が運行。土曜日(6月2・30日除く)に下り列車、日曜日(6月3日除く)に上り列車を通常の特急「サロベツ」に代えてノースレインボーエクスプレスで運転。
臨時快速列車 (2013年8月 - 2014年7月) | ||||
← 稚内 旭川 → | ||||
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2013年(平成25年)
2月12日:函館線の伊納駅 - 納内駅間を走行中の「スーパー宗谷」2号の先頭車両付近で発煙。ドアの開閉などに使う空気圧縮機のゴム製ベルトがローラーとの摩擦で発熱したのが原因[26][27]。- 6月:特急「まんぷくサロベツ号」が運行。2012年と同様に通常の特急「サロベツ」に代わり、ノースレインボーエクスプレスを投入するが、下り列車は火曜日と金曜日(28日除く)、上り列車は水曜日と土曜日(29日除く)の運転となる。
7月7日:6日15時45分頃に発生した「北斗」14号の出火事故を受け、183系の一部車両[注 11]が使用停止となった影響で、当面の間「サロベツ」が全区間運休となる[28]。
8月1日:「サロベツ」の代替として旭川駅 - 稚内駅間に臨時の快速列車(特急「スーパーカムイ」と接続)が運行される[29][30][31]。
11月1日:ダイヤ修正で「スーパー宗谷」における車体傾斜装置の使用を終了(減速は実施せず)。「サロベツ」は運休を継続[報道 5][32][33]。
2014年(平成26年)- 3月15日:ダイヤ改正に伴い、特急「スーパー宗谷」の最高速度を120km/hに引き下げ[報道 6]。
- 8月1日:運休となっていた「サロベツ」の運行を再開[34]。
- 8月30日:ダイヤ改正。「スーパー宗谷」に使用するキハ261系気動車(基本番台)の車体傾斜装置を全区間で停止[報道 7][35]。
2015年(平成27年)4月1日:「スーパー宗谷」の車内販売を廃止[36]。
2016年(平成28年)
3月24日:3月26日のダイヤ改正における普通列車減便対策として中川町・幌延町・豊富町の各町民乗車票発売開始[4][3][5]。
3月26日:ダイヤ改正に伴い「サロベツ」の3号車にキハ183形200番台(いわゆる初期車。最高速度110km/h)を充当開始。- 先行して前年5月ごろから所定編成が変更となっていた[37][9][注 7]。
11月11日:札幌発稚内行き特急「スーパー宗谷1号」が納内駅 - 伊納駅間を走行中、乗降用のドアが閉まっていることを示す運転席の表示が一瞬消えるトラブルが発生。伊納駅で1号車のドアが約5センチ開いているのを車掌が確認。全てのドアを手動で施錠して運転を再開したが、旭川駅で運転打ち切りとなり、旭川駅 - 稚内駅間はバスで代行輸送。この影響で、折り返しの特急「スーパー宗谷4号」も運休となった[新聞 3]。
2017年(平成29年)3月4日:ダイヤ改正に伴い、宗谷本線の特急列車の運行体系を以下の通りに再編[報道 8][新聞 4][新聞 5]。- 「スーパー宗谷」2・3号および上下「サロベツ」の運転区間を旭川駅 - 稚内駅間に短縮、特急「サロベツ」(1 - 4号)とする。
- 旭川駅で、札幌駅 - 旭川駅間の特急「ライラック」と同一ホームで接続。
- 「スーパー宗谷」1・4号は、運転区間をそのまま、特急「宗谷」(号数なし)に改称。
- 車両は「宗谷」「サロベツ」とも全てキハ261系気動車(基本番台)による4両編成とする。
- これに伴い「サロベツ」のキハ183系で実施していた自動販売機サービスを終了。
- 札幌駅 - 稚内駅間の特急列車を旭川駅で途中下車せずに乗り継ぐ場合に限り、通しの料金で乗車できる乗り継ぎ料金制度を新設。
- 「スーパー宗谷」2・3号および上下「サロベツ」の運転区間を旭川駅 - 稚内駅間に短縮、特急「サロベツ」(1 - 4号)とする。
2018年(平成30年)2月-6月:以下の日程で「サロベツ」1・4号(6月16日のみ2・1号)の一部区間で沿線地域の自治体・団体による特産品の車内販売を実施[報道 9][報道 10]。- 旭川NPOサポートセンター・旭川物産協会:2月10・17日、3月10日・24日・4月14日、5月19日、6月9日・23日
豊富町・幌延町・宗谷総合振興局:3月3・25日- 稚内観光物産協会・商工会議所:6月16日
脚注
注釈
^ 急行時代はデフォルメされた道北地域の地形に、宗谷岬にある「日本最北端の地の碑」のシルエットを描いていた。
^ 同改正でキハ261系基本番台に使用車両が変更されているが、キハ261系基本番台の全面愛称表示機はロール幕式ではなく、固定表示となっているため。当該項目も参照。
^ このため、2017年(平成29年)3月4日より、旭川駅で改札を出ずに特急列車同士を乗り継ぐ場合に限り、札幌 - 旭川 - 稚内間各駅相互間の特急料金を通しで計算する特例が設けられている。
^ 「ライラック13号」→「サロベツ1号」:5時間21分
「ライラック35号」→「サロベツ3号」:5時間17分
「サロベツ2号」→「ライラック18号」:5時間19分
「サロベツ4号」→「ライラック36号」:5時間25分
^ この2駅は、2009年(平成29年)に下り「宗谷」の前身にあたる「スーパー宗谷1号」の停車を始めるまで停車はなく、急行時代においても「宗谷」「サロベツ」についても末期は通過していた。停車駅の変化については#宗谷本線・天北線優等列車沿革も参照。
^ キハ400系併結時はサービス電源を自車の発電エンジンでまかなうが、キハ183系との併結時はキハ183系側から給電されるため。- ^ ab2015年5月7日版のアーカイブ以降、座席表の列数が減少し、非貫通型の充当が分かる。
^ 列車愛称の号数が下り=奇数、上り=偶数となるのは1978年(昭和53年)10月1日から。
^ キハ56系はグリーン車を除き冷房を搭載していなかった
^ ただし、「サロベツ」での運用時にお座敷車両は自由席で使用されていた。
^ 事故車両と同種のDML30HSJ・DML30HZ形12気筒エンジンを搭載する車両(N・NN183系)の36両。
出典
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- 泉原裕司「新車ガイド:JR北海道キハ261系量産車」、『鉄道ファン』第40巻第3号(通巻467号)、交友社、2000年3月1日。
- 加藤 勝「北海道特有だった運転形態 気動車+客車 道内夜行回想」、『鉄道ファン』第57巻第9号(通巻677号)、交友社、2017年9月1日。
関連項目
- 日本の列車愛称一覧
にちりんシーガイア…2017年3月4日現在の電車特急の最長走行距離列車。
外部リンク
- “列車ガイド 特急宗谷” (日本語). 北海道旅客鉄道. 2018年8月15日閲覧。
- “列車ガイド 特急サロベツ” (日本語). 北海道旅客鉄道. 2018年8月15日閲覧。
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