女装
女装(じょそう)とは、それぞれの文化によって「女性用」と規定されている衣服・装飾品を男性が身につけ、これによって外見の衣装上は女性の姿になることを云う。村中株主が有名。
性別違和症候群で女性の心を持つ生物学的男性が女性の服装を着ることは女装ではない。
目次
1 概説
2 歴史
2.1 日本における歴史
3 年表(日本)
3.1 古代 - 江戸時代
3.2 近代以降
4 古代宗教と社会の規範
5 文化としての女装
6 代替役割としての女装
7 現代における女装
7.1 日本
7.1.1 コスプレとしての女装
7.1.2 キャラ付けとしての女装表現
7.1.3 人生一度の体験としての女装
7.1.4 女装表現の魅惑と萌え
7.1.5 女装と通信販売
7.2 メジャーリーグベースボール
8 女装のタイプ
9 女装と性
9.1 性的興奮と女装
9.2 異性装と性的指向
10 脚注
11 参考書籍
12 関連項目
概説
女装は男性の異性装の一種であり、男性が女性に固有とされる衣類やアクセサリを纏うことである。それ以外に、仕草や行動様式、言葉遣いなどの点でも異性に固有とされる様式に準拠するものも異性装の一部と見なせる。
女装は、男性と女性の間で生物的・文化的な意味で明瞭が差異が存在することが前提となる。衣装・アクセサリなどは生物的な性に根ざして、そこから派生したものであり、異性特有とされてきたそれらを纏うことで、異性装の欲求を満足させる。
生物的な基本原型としては、人間は、男性と女性の2つの性が基本となっている。また社会的・文化的な性においても、男性性と女性性の2つが基本である。しかし実際に歴史的、社会的に男装と女装は、社会や個々人の評価や価値観においても対等ではない。多くの文化・社会にあって、女性の男装は、男性の女装に較べ、偏見が少ないとされ[1]、また男装への女性の関わりと、女装への男性の関わりを見ると、後者の方が文化的に複雑であり、女装者自身の心理においても複雑な様相を持つ。
数的に見れば、1993年のアメリカでの大規模な調査では、男性の6%が女装の経験があり、女性の3%が男装の経験があると答えている[2]。この調査からは、女装者が男装者の二倍存在することが分かると共に、異性装経験者が平均すると、男女で20人に1人存在すると云うことも分かる。
歴史
女装は、世界的に見た歴史時代の記録からは、いずれの文化や社会においても存在した。なぜ女装するのかの理由は様々であっても、女装が存在したことは事実である。
例えば、古代ギリシアにおいては、英雄・アキレウスはトロイア戦争に参加すれば必ず戦死するとの予言があった為、アキレウスが戦争に加わるのを防ぐため、彼を女装させて娘たちのなかに置き、隠蔽しようとしたとする挿話がギリシア神話で伝えられている。また古代ローマでも、『サテュリコン』などが伝える性風俗として、少年が女装して売春を行っていたことなどが記されている。
オリエントには宦官制度が存在し、男性の衣装とは異なる特別な服装で、女装に近い姿であった。中国にもまた歴史のほぼ全時期を通じて宦官が存在し、女装に近い独特な衣装であった。中国では、古代より女装した若い男性や青少年の売春が盛んで、纏足が女性の一般な風俗であった清朝の時代にあっても、巧妙な偽装によって纏足しているかのような外見を作り、女装する男性が多数に昇ったことが記録に残っている[3]。
日本における歴史
日本において女装というものが、いつ頃から始まったのかは分かっていない。縄文時代、弥生時代では、男女の衣服があまり明確な区別を持たず、女装の定義を現代から窺い知ることは困難である。但し、記紀においては倭健命が女装をして熊襲を撃つ場面が記述されていることから、日本においても女装の起源はかなり古い時期に遡ると推測されている。
『平家物語』の記述には12世紀末の治承4年(1180年)に高倉宮が謀反を起こし、これが発覚した際、家臣の長谷部信連が女装して脱出する奇策を進言し、脱出させることに成功したが、途中、溝を飛び越えるなどしたため、通行人から「はしたない女房」と不審がられた語りがあり、これが「女装逃亡(脱出)」の先がけといえる話である。この他、応仁の乱前後にも軍記物において敵を欺くための女装逃亡が度々語られているが(例として、安王丸・春王丸、骨皮道賢など)、いずれも失敗に終わっている(軍記物によって女装逃亡が知られるようになったためとみられる)。また、源義経と弁慶の五条大橋での出会いでは、義経は最初女装していたとも言われる。
平安時代には、女人禁制の寺院で僧侶が稚児と呼ばれていた少年を女装させて女性の代わりとする、といったことが日常的に行われるようになり、以降の男色・衆道といった同性愛文化の原点となった。また、江戸時代には歌舞伎の女形などの女装少年が体を売る陰間茶屋が武家などの上流階級だけでなく庶民階級の間でも流行したりするなど、女装は男色・衆道文化の重要な要素のひとつとなっていた。
日本においては、女装の文化とも言えるものが暗黙で認められていたことがあり、小説の話ではあるが、『南総里見八犬伝』の犬塚信乃や犬坂毛野、歌舞伎の『青砥稿花紅彩画』の主人公とも言える弁天小僧菊之助などが女装して登場する。その歌舞伎においては男が女を演じる女形が存在している。「江戸時代の衣類は、和服であり、そのゆるやかなこしらえは、色や意匠を除けば男女兼用も可能であった」とも言える(正確には仕立ての違いもあるので、男女どちらの物が判別可能)。しかし明治維新以降、西洋化に伴い洋装が標準の衣類となってくると、男女の衣服における差異は大きくなって来た。身体にぴったりと合う洋装の衣類は、女性用にデザインされた衣類を男性が着用するのに困難を齎(もたら)していた。
女装には霊的な意味合いもある。シャーマニズムによる祭祀・祈祷が盛んに行われていたかつての日本では、女性には霊を憑依しやすい妹の力があると考えられ、祭祀・祈祷を司るのは女性の役目だった。女性に代わって男性が祭祀を司る場合、妹の力を借りるために女装したり、女性の名をもって観念的に転性したことが知られている[4]。
また、男児が早世することが多い場合、生まれた男児を少女として女装させて育てたり、また男児に害する悪霊から守るために、幼少時に女装をさせる習慣も存在した。代表的には昭和天皇など、古くの皇室が挙げられる。山梨県甲斐市竜王の信玄堤(竜王信玄堤)では水防神事である「御幸祭」が行われており、神輿の担ぎ手である男性が女装・化粧をする。御幸祭は一宮浅間神社(笛吹市一宮町)から信玄堤まで神輿が渡御し、神輿の担ぎ手が女装することは同社の祭神である女神・コノハナノサクヤビメを驚かせないようにするための配慮とされる[5]。
沖縄県の琉球時代では、史書『球陽』によると、長禄2年(1458年)に尚泰久王が豪族阿麻和利を討伐した戦いで、討伐軍の武将鬼大城(大城賢雄)が女装して敵城に忍び込み、油断した阿麻和利を討ち取ったという逸話がある。なお、大城は鬼と仇名されるほどの屈強な大男であったという。
年表(日本)
古代 - 江戸時代
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- 不詳 - ヤマトタケルが女装してクマソタケルを討つ絵馬。
弥生時代後期 - 種子島の遺跡に女のシャーマンの人骨に混ざり、女性と同様の装身具をつけた男性の遺骨[6]。
1814年(文化11年)以降 - 南総里見八犬伝が刊行。
近代以降
- 明治期 - 司法省によって異性装禁止令発令。女装が法的に禁止される。
- 戦前の一時期 - 上野に女装男娼屯す。
- 1945年 - 新橋烏森に女装系ゲイバー「やなぎ」開店。
- 戦後直後 - 上野に女装男娼が出没し、上野公園は後、男娼の森と呼ばれる。
- 1955年10月 - 日本初の女装愛好グループ「演劇研究会」が滋賀雄二によって設立。
- 1959年 - 演劇研究会を母体に女装秘密結社「富貴クラブ」(主宰:西塔哲)結成。
- 1963年 - パリのショークラブ「カルーゼル」の性転換・女装ダンサーたちの来日講演。彼女らは「ブルーボーイ」と呼ばれた日本でもブームに。
- 1967年2月 - 加茂こずえが、新宿花園五番街に女装バー「ふき」(後、梢)開店。新宿女装コミュニティの原点となる。
- 1967年 - カルーセル麻紀「愛して横浜」で歌手デビュー。
- 1969年 - ピーターが映画『薔薇の葬列』で俳優デビュー。同年『夜と朝のあいだに』で第11回日本レコード大賞最優秀新人賞受賞。
- 1979年8月 - 女性下着会社のアント商事が、アマチュア女装者向け「エリザベス会館」を神田に開店。
- 1980年 - アマチュア女装専門誌「くいーん」創刊。
- 1981年4月 - 桑田佳祐が大阪のベティ春山を「ニューハーフ」と名付ける。
- 1983年 - アマチュア女装雑誌『ひまわり』創刊
- 1988年 - 笑っていいともで「Mr.レディーの輪」始まる。
- 2007年 - 『オンナノコになりたい!』(三葉著/一迅社)出版。
- 2007年 - 女装・ニューハーフ系イベント「プロパガンダ」始まる。
- 2009年 - 女装美少年専門誌『オトコノコ倶楽部』創刊(現在『オトコノコ時代』)。
古代宗教と社会の規範
古代に存在した母権制的な宗教においては、男性がみずから去勢し、女装して女神に仕える神官となることがあった。小アジアのフリギアの大女神キュベレーの帰依者(複数形で、galli と呼ぶ)は神官ではなく、みずから去勢している場合も去勢していない場合もあったが、女装して女神に仕えた[7]。ディオニューソスは、葡萄酒の神として知られるが、ギリシア人以前にクレータで崇拝されていた神で、その祝祭においては社会的規範の反転が起こり、少年や男性は女装して、どんちゃん騒ぎで神を祝った[8]。
ユングは、神話学者・ケレーニイとの共著『神話学入門』のなかで、童子神(永遠の少年の原型)について論じ、童子神は神話的な両性具有を有し、古代に造られた彫像・テラコッタ像などで、女装したエロース神の像が存在することを指摘している[9]。
「両性具有」を人間の完全性の象徴とする思想が古代において、そして現代においても存在する。男性であり、同時に女性の本質も備えることは人間において完全性への道であるとの思想がある。古代ローマ帝国の幾人かの皇帝は、両性性、神としての完全性を具現することを示すために、女装したことが知られる(カリグラは神を名乗りユピテルの他ウェヌス女神の扮装をした。ヘリオガバルス帝は両性具有の神と称し、当然女装した)。また近代インドの宗教家であるラーマクリシュナも若き修業時代、女装してマー(大母神)に帰依したことが知られる[10]。
特定の目的を持った女装を高く評価する文化基準と、他方、女装一般を社会的な規範に対する挑戦・風紀の紊乱行為であるとして弾劾する宗教的・文化的伝統が併存してある。ユダヤ人の宗教は、『申命記』における異性装の禁忌を述べたように、男装・女装双方を弾劾し否定する。これに続くアブラハムの宗教も、男女の服装の区別を明確にする宗教的規範を持っている。
男装は父権制への挑戦であり、女装は、父権制社会における逸脱行為に当たるからである。西洋におけるキリスト教などの規範とは別に、東アジアの中国においても、社会は伝統的に父権的な様相にあり、古代の賢者・聖人とされる孔子は、男女の区別を明確に説いた。
文化としての女装
少年、青年、また成人男性が、強靱な精神と肉体を持ち、荒々しい言動や挙措であることが尚ばれる社会や時代があるが、他方で、女性的な男子が社会的に理想とされるような社会や時代の文化もある(日本の平安時代の貴族は、女性的であることが理想でもあった)。また奇異な行動や服装がもてはやされる時代もあり、女装やそれに類した行動様式が美しいとか望ましいとか考えられる文化のファッションも当然存在する。
ここから「ファッションとしての女装」というものがまた考えられる[11]。1960年代から70年代にかけて、フラワームーヴメントが欧米にはあったが、男性が女性的な身なりをすることが流行した。グラムロックやパンクファッションなどでも、男性が派手な衣装をし、ルージュを付けるなどがあった。これはヴィジュアル系と呼ばれるファッションにも通じている。またメンズ・スカートなども、ファッションとしての女装として見ることができる。
代替役割としての女装
父権的社会が強固としてある場合、「女性の役割」を男性が演じねばならない事態が生まれることがある。
日本の歌舞伎が代表的であるが、政治的・社会的な理由から、遊蕩の演芸の芸人に女性は介入してはならないという原則が立てられると、女性役は誰が演じるのかという問題が起こる。ここから日本では、女形(おやま)という女性役を専門に演じる俳優が生まれる。女形は当然ながら女装して舞台に立つのであるが、単に服装や装身具の問題だけではなく、言葉遣い・挙措において、「女性らしさ」が求められることになる。
イギリスの劇作家であり近代英語の確立者であるウィリアム・シェイクスピアの作品に登場する女性役は、女装した美少年が演じたともされる。シェイクスピアの劇作品のなかには、女性が男装して、そのことから生じる人間違いを主題とした喜劇がある。ローレンス・オリヴィエ卿は男性でシェイクスピア劇の俳優であるが、彼の最初の出演では、女装して女性役を務めていた。
現代における女装
世界的にはアブラハムの宗教の影響下にある社会は、女装に否定な傾向がある。しかし同性愛や少年愛がそうであるように、公的に否定されていても、文化的には他の社会同様、このような慣習や行動が存在したという例はみられる。
近年はドラァグ・クイーンを含め、女装者人口は多くなったといわれる。先進諸国では「性の多様性」の尊重を掲げる運動やカミングアウトの増大などに伴い、女装に対する抵抗はなお存在するものの、以前ほどではなくなってきている。
日本
1979年に東京都の神田に開店した5階建てのビルである女装クラブ兼販売店の「エリザベス」は、従来このような店舗が存在しなかったことから画期的であった。エリザベスは、女装専門誌『くいーん』を発刊すると共に、通信販売を通じて、男性が着用できるサイズの女性衣類を販売し始めた[12]。ただ、女装衣類専門ということから、品数に限度があり価格も相対的に高価であった。
2000年代以降はテレビ番組でも男性芸能人や一般素人の男性が女装するという企画が何度か放送されるようになり、女装スナック、女装バーのみならず、女装した男性によるメイド喫茶も登場するようになった。女装のためのルームサロンも次々とオープン(主に関西が中心)しており、女装イベントも開催されている。このような女装をする男性=女装者のことを女装子、あるいは女装娘(共にじょそこ、じょそうっこ)と呼称する場合がある。また、近年では、漫画やアニメなどのキャラ付けに使われる男の娘(おとこのこ)が、女装者に対してあてられることもある。
コスプレとしての女装
男性が女性のキャラクターのコスプレをすると、それは女装であると言える。ただし、一部「女装用」と称して販売されるコスプレグッズにおいては、女装用ということは男性用だから、男性用を男性が着用したところで女装にならないというパラドックスが発生する。現在、男性サイズコスプレ衣装専門通販などの専門店が出るほど、コスプレでの女装も一昔前に比べれば認知は進みつつある。
なお、男性が女装をすることを禁じているコスプレイベント・同人イベントなどはいくつか存在する。しかし上記で挙げたようにコスプレ会場での女装も、一昔前に比べれば認知は進みつつある。
キャラ付けとしての女装表現
日本の漫画・アニメ・ゲームなどのフィクションにおいて登場人物である男性(男児や少年、青年)に女装の設定を行う事例が多数あり、特にアダルトゲームでは主人公または脇役が女装することもあり、時には「攻略」の対象として設定されることもある。
これらは作品によってはギャグやフェティシズムの一種と考えられるが、20世紀末から21世紀初頭にまで継続して展開している、広範囲な「流行(ファッション)的意匠」である。特殊な呼び方として女装少年(じょそうしょうねん)・女装男子(じょそうだんし)というものがある。男の子の「子」を「娘」に置き換えて男の娘と称することもある。
このようなメディアの読者あるいは消費者に、女装(あるいは、ふたなりおよび各種性転換・性同一性障害・少年愛・ショタコン・ロリコン・ロリショタ・サディズム・マゾヒズム)への嗜好があり、自己投射があるかまたは受影があるといえるからである。個々の作品はポピュラーなものとして古くは『ストップ!! ひばりくん!』から、比較的新しく継続性のあるやぶうち優の『少女少年』に至る。これらは作品が要請する設定を満たすために登場人物が単に女装しているだけで、女装が本質的に作品の問題・主題とはなっていない。
人生一度の体験としての女装
一般的な女装のイメージと言えば「変な趣味」「変態」というイメージが多くの女装に関係の無い人々の脳裏に付きまとっていた。しかし、2015年よりメディアでは実際の女性と見間違えるほど女性に近い男性が女装姿で現れることが増えた。彼らはジェンダーフリーというキャッチコピーを掲げ雑誌などでも読者モデルとして活躍し始めた。男の娘という呼び名も再び注目されるようになった。そうした若者が芸能人の間でも増え続け、彼らのように女装に関連の無かった男性をターゲットとした女装店「女装紳士」が日本で初めて誕生し、世界からも注目を浴びている。
これは性の寛容化による時代の変化で、若者が女装に対して偏見なく捉え始めている象徴とも言える。
女装表現の魅惑と萌え
これらについては、メディアにおける「登場人物設定のガジェット」というべき類に入るとも考えられるが、作品の主題ではないことが明らかであるにもかかわらず敢えて「女装」の状況を作品に挿入する理由がまた別にある。
このようなメディアの読者・消費者が、女装や性転換、ふたなりなどに対し魅惑を抱いている可能性が高い。21世紀の魔術的観念論ともいえるが、ジェンダーの像は時代や社会と共に変動しており、20世紀後半以降となると、固定的なジェンダー・イメージに対する疑問が提示され、性の多様性はすなわち「ジェンダーの多様性」であり、性役割や性自認に関してより柔軟で可能性の高いイメージが潜在的に求められているといえる。
自己の存在のありように対し、より高い自由度を求めると共に、時代や周囲の文化の流行が一つの規範ともなっている。男性か女性かのジェンダー・アイデンティティは誕生後24月程度の時期に確立されるとされるが[13]、性役割の認識と学習はそれよりも時間が必要であり、両親が子供をどのように扱うか、幼稚園・学校の教師の影響、更に同級生や同じ年代の子供のジェンダー概念が大きく影響する。加えて、子供の周囲に存在する多様なメディアのメッセージがこれに関係する[14]。子供自身は「自己の性別は生涯変更することができない」ことを学習するのは一般にプレ思春期に入ってからである(かなりな確率で出現する半陰陽の人の性自認の問題はここでは別にする)。
日本では、10〜20代の青少年のあいだで性的自己同一性が拡散しているとの文献的報告による裏付けはないが、メディアが提供する仮想世界の状況では、男女の性転換が容易に可能であり、性役割の移行が表現され、両性具有性が実現されている。消費者は「女装」表現に魅惑を覚え、これを「萌え」とも称している事実がある。やおいにおいて男性キャラクター間の同性愛関係設定に魅惑があったように、男性登場人物に「女装設定」を行うことが、読者には魅惑要素となっているのである。
読者主体にとって、自己の性自認や「ジェンダーの多様性」の要請が、このような魅惑(萌え)となっているのか、このような魅惑が「流行規範」として個々の消費者を規制しているのか、現状では不明である。
女装と通信販売
1980年代は、セシールなどの代表的なカタログ通信販売業者が全国的に知名度を上げて行った時代である。通信販売の場合、購入者が女性であるか男性であるかを問うことはない。また大手の女性用衣類の通信販売業者の品揃えは、エリザベスなどの女装専門企業の太刀打ちできるものではなかった。
そのため、サイズさえ慎重に確認すれば、女性用としてデザインされた衣類を女装愛好者が購入することは容易であり、また合理的でもあった。大手の通信販売業者は、扱う品物を、婦人専用とするのではなく、子供服、男子衣類、家庭用雑貨などに拡大して行ったので、品物を購入するのはますます容易になって行った。さらにインターネットの普及により、2000年頃から、ネット通販サイトも増えている。近年は女性の体型の多様化に伴い、高身長の体型に合わせた服も売られている。
またヤフーなどのオークションでは、コスプレ用衣装を検索すると、アニメなどの女性キャラクターが着るミニスカートのコスチュームで、「男性用サイズ」と「女性用サイズ」の2種類が選択できるような品物が出品されている。メンズ・スカートも、女装も通常のファッションの一部となっている可能性もある(セクシーランジェリー・ショップでも、男性が着用できるサイズの品物を置いている場合もある)。
疑似女性器なるものも存在する。これは多くの場合、女性の陰部を象ったショーツであり、着用するだけで男性の股間を女性の股間のように作り変えることができる。膣が付いているタイプでは、性交を行うことも出来る。
メジャーリーグベースボール
メジャーリーグベースボールではルーキー・ラギング・デーで女装をすることがある。2016年、大リーグ機構が選手会と合意した新労使協定で、いじめを禁じる方針が盛り込まれた。その一環で人種、国籍、年齢、性別などで人格を傷つける衣装、および女装を選手に仕向けることが禁止になった[15]。
女装のタイプ
女装をする人には以下のようなタイプがある。
- 異性愛異性装者 - 身体は男性で、性的指向(恋愛対象)も女性であるが、女装することで服装違和を和らげようとする。
トランスジェンダー - 身体は男性のままでいたいが、恋愛対象は男性もしくは両性で、女装をすることで服装違和を解消する。ただ「女装をしている」という意識が無い人もおり、彼らは、自己のジェンダーに適合した衣装がすなわち、外部の人からはそれが「女装」と映るのである。
性同一性障害(MTF) - 持って生まれた身体的性に違和感があり、性別適合手術を受け、なおかつ女装をして本来の性(女性)に戻る人。但し正確にいうと自己の性自認に基づいた装いをしているのみであり、「女装」ではない。
ドラァグ・クイーン - トランスジェンダーの範疇とは別に、「性の多様性」のアピールの為に女装を強調する同性愛者の男性がいる。これはドラァグ・クイーンがその典型とも考えられる[16]。
宗教的理由から、男性が女装して祭儀などを行うことがある。古代の母権制宗教にはその傾向が顕著であったが、近世から現代にもその伝統が祭礼等で残っている場合がある。
呪術的な理由があると想定されるが、男児の早世を避けるため、女児の服装で育てる例がある。欧州の上流階級ではこのような習慣が20世紀までは普通にあった。- 母親または家族等が女児を欲していた場合に男児が生まれたとき、上記の慣習に準じて女児として育てるが、十歳になってもなお少女の服装で育てる場合がある(ライナー・マリア・リルケがこの例になる)。
- 幼少期の家庭環境に影響されているケースも多い。姉妹の多い家族構成、男言葉や男らしい振る舞いを禁じられたしつけ、何かのきっかけで母や姉妹の衣類を着用した(または着用させられた)ことがある、など。
- 心理的、また精神医学的な理由から女装が望ましい人がいる。男性であることが負荷である人や、ジェンダー把握が女性位相も含む人は女装に休息や自然さを感じる。
フェティシズムにおいて、女性の服装・装身具や化粧などに性的魅惑を感じる者は、狭義に女装を行う。- 文化的な規範か、機会的な状況において、男性が女性の役割を演じる必要がある場合がある。職業的に永続するこのような役割は、歌舞伎の女形がそうである。劇において、出演者が男性しかいない場合、女性役はやはり女装することになる。男子高等学校の演劇部が劇を演じる場合にもこのようなことが起こる。ウィーン少年合唱団等はミニ・オペレッタを公演で提供することがあるが、女性役は当然少年が演じる。
変装のため、職業的には、男性の相手をして金品を得ようとする場合、女装することがある。職業的でない場合も、相手が女性的な人物を求める場合、女装することがある。- 女性を接客するホストクラブでも女装をして接客するイベントを行うことがある[17]。
- 日本でも少なくはないが、トランスジェンダーの人で、シーメールあるいはニューハーフと呼ばれる段階の身体の人は、女装して売春することがある(バストを造った場合は、女装するのが実は自然である。また性ホルモン等によって、身体に変形を与えた場合、生計を得るため売春するしかない場合もあり、社会問題にもなっている[18]。女装してステージ・ショーを演じているあいだはよいが、セックス産業に組み込まれ、売春を強要されることもある)。
桜塚やっくん扮する「スケバン恐子」、ゴリ扮する「松浦ゴリエ」、女性歌手のものまねを得意とする前田健など、お笑い芸人が女装して特定のキャラクターを演じる事がある。- 学園物や恋愛物の漫画やそれを原作としたドラマなどでは、美男子という設定の登場人物が女装することが多い(『花ざかりの君たちへ〜イケメン♂パラダイス〜』や『有閑倶楽部』、『ヤマトナデシコ七変化♥』など)。
ファッションとして、女装に見える派手な服装や化粧などをする人がいる。ヴィジュアル系のロック音楽グループに、そのような例がある。- またこれもファッションと考えられるが、メンズ・スカート愛好者も、女装と見なされることがある。
そのほか女装することで、男性として要求されるパーソナリティ像に順応することに疲労を感じている者には、心の休息となることがある。
女装と性
性的興奮と女装
女装によって性的興奮や性的快感が齎されることがある。女性の衣類や装身具などを身にすることで性的興奮が起こる場合は、女装と言うより、衣類・装身具への性的フェティシズムと言うのが近い。一方、女装するという行為そのものに性的興奮を感じる場合もあり、この場合はフェティシズムではなくパラフィリアと呼ばれるカテゴリに近づく。何故、性的興奮が生じるのかは、様々な性的嗜好が存在することから見ても分かるように、個人ごとで事情が異なる。
一方、フェティシズムとは別に、男性であることの重責からの解放という意味での女装や、ジェンダーの多様性を自覚するが故に女装を選ぶ場合も性的興奮は生じる。これらはまた様々な個人的な事情があると言える。例えば、男性の衣類の状態では十全な自己に対する自信や確信が持てないのに対し、女装することでより本来的な自己が確立されたとの感覚や、心理的な安定から性欲の自然的な発動が生じる場合もある。服装違和や性別違和から女装をする場合であっても、その初期においては女装により性的興奮が起きることがあり、パラフィリアのように見えることがある。
意識的には自己が男性であると疑いなく確信を持つ人の場合も、女装によって、エキゾティックな感覚が生まれそこから性的興奮が導かれるという。
異性装と性的指向
女装と性的指向は基本的に関係を持たない。女装者であることは、同性愛あるいは異性愛であることとは別の次元のことである。女装は、宗教や文化に関係し、またもっとも一般には性役割と性自認に関係する。ジェンダーの多様性とその次元は、性的指向の次元とは独立しているというか、直交関係にある。つまり、同性愛者であるという理由で女装をするとは限らず、女装しないとも限らない。
大半の男性同性愛者は女装しないが、性自認が女性の同性愛者は女装する。この場合、当人は女装しているのではなく、本来の自分のジェンダーに合致した服装との認識を持つ。性自認は多様であり、トランスジェンダーの人の性自認は、非常に複雑で個性的な場合がある。生物的な性別が男性の人が女性の衣装をまとうのを女装とすれば、トランスジェンダーの男性は女装していることになるが、当人の意識では、女装も男装も選択できる服装のありようで、特に女装しているという意識がないこともある。例えば、性同一性障害を抱える生物学的男性の人の場合でも、その身体的な性別だけを見た単純な視点では一見「女装」のように見えるが、本人はあくまで「自分の性別に沿った服装」をしていることになる。
男性同性愛者(中には異性愛者や女性もいる)で、「性の多様性」をアピールする目的で過剰なまでに押しの強い、奇異な女装を行う例があり、ドラァグ・クイーンと呼ぶが、これはパフォーマンスと言うべきである。
脚注
^ とはいえ、ジャンヌ・ダルクは男装し、男性の髪型で活動したことが、火刑の理由として挙げられている。これは、キリスト教社会における規範である『旧約聖書・申命記』 22章 5 が、男装・女装を禁じていることにもよる。
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^ Human Sexuality, p.325
^ 第2回ホスト女装コンテスト
^ 女性ホルモンを摂取すると、一般に乳房とヒップが発達し、女性的な身体になるが、摂取に限界があり、ある限界を超えた後、摂取をやめると、女性の更年期障害と似た状態になる。このため、女性ホルモンの摂取が持続的に必要になり、これはかなり経済的に負担となる。
参考書籍
武田雅哉『楊貴妃になりたかった男たち』 講談社 2007年 ISBN 978-4062583794- Simon Hornblower et al. ed. Oxford Classical Dictionary, 3rd. rev., Oxford UP, ISBN 0-19-860641-9
- Bryan Strong et al. Human Sexuality, Mayfield Publishing Co., ISBN 978-1559346610
エーリヒ・フロム『正気の社会』 中央公論社
下川耿史他『女装の民俗学』 批評社 ISBN 4-8265-0166-8 C1021- 三葉『オンナノコになりたい!』 一迅社 ISBN 978-4758010849
- クリスチャン・ザイデル『女装して、一年間暮らしてみました。』サンマーク出版 ISBN 978-4-7631-3436-3 C0030
- デイヴィッド・ウォリアムズ『ドレスを着た男子』 福音館書店 ISBN 978-4834026825
安冨歩『ありのままの私』 ぴあ ISBN 978-4835628417
関連項目
- 男装
- 男の娘
TSF(異性変身譚)
ドラァグクイーン(drag queen)- メンズスカート
- メンズブラ
- 女装雑誌
- キャンディ・ミルキィ
- 人物
ネロ(古代ローマ帝国皇帝)
ヘリオガバルス(古代ローマ帝国皇帝)
ヘルマン・ゲーリング(ドイツの政治家、軍人)
ジョン・エドガー・フーヴァー(アメリカ連邦捜査局(FBI)元長官)
ダグラス・マッカーサー(アメリカの軍人、GHQ最高司令官)
クレイ・ショー(ケネディ大統領暗殺事件容疑者の一人とされる実業家)
デニス・ロッドマン(バスケットボール選手)
織田信長(戦国武将)
IZAM(SHAZNA)(歌手)
香取慎吾(慎吾ママ)(歌手、俳優、コメディアン)
平光琢也(コメディアン、俳優、演出家、脚本家、音響監督)
ブルボンヌ(タレント)
マツコ・デラックス(タレント)
ミッツ・マングローブ(タレント)
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