江ノ電バス
種類 | 株式会社 |
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本社所在地 | 日本 〒251-0035 神奈川県藤沢市片瀬海岸一丁目8番16号 |
設立 | 1998年(平成10年)8月12日 (江ノ電バス株式会社) |
業種 | 陸運業 |
事業内容 | 一般乗合バス事業・一般貸切バス事業 |
代表者 | 代表取締役社長 関和也 |
資本金 | 5000万円(2010年3月31日時点) |
売上高 | 26億2060万5000円(2010年3月期) |
営業利益 | 4245万4000円(2010年3月期) |
純利益 | 3138万4000円(2010年3月期) |
純資産 | 1億4928万2000円(2010年3月31日時点) |
総資産 | 5億9033万5000円(2010年3月31日時点) |
従業員数 | 241人(2010年3月31日時点) |
決算期 | 3月末日 |
主要株主 | 江ノ島電鉄 100% |
外部リンク | https://www.enoden.co.jp/bus/regular/ |
特記事項:2008年4月1日に現商号へ商業変更。本社は江ノ島電鉄本社事務所内。 小田急電鉄の連結子会社。 |
種類 | 株式会社 |
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本社所在地 | 日本 〒251-0035 神奈川県藤沢市片瀬海岸一丁目8番16号 |
設立 | 2007年(平成19年)6月1日 |
業種 | 陸運業 |
事業内容 | 一般乗合バス事業 |
代表者 | 代表取締役社長 飯塚周次 |
資本金 | 5000万円(2010年3月31日時点) |
売上高 | 27億4136万6000円(2010年3月期) |
営業利益 | 2284万5000円(2010年3月期) |
純利益 | 1424万9000円(2010年3月期) |
純資産 | 8025万5000円(2010年3月31日時点) |
総資産 | 6億8003万7000円(2010年3月31日時点) |
従業員数 | 225人(2010年3月31日時点) |
決算期 | 3月末日 |
主要株主 | 江ノ島電鉄 100% |
外部リンク | https://www.enoden.co.jp/bus/regular/ |
特記事項:本社は江ノ島電鉄本社事務所内。 小田急電鉄の連結子会社。 |
江ノ電バス(えのでんバス)は、江ノ島電鉄株式会社のバス事業のブランド名。および1998年から2008年まで存在した江ノ島電鉄のバス事業の委託・移管を受けてきたバス事業者の名称。
2009年時点、江ノ島電鉄本社自動車部で事務業務を行い、運行業務を江ノ電バス藤沢および江ノ電バス横浜が行っている。両社とも小田急電鉄の連結子会社である。
目次
1 概要
2 沿革
3 営業所
4 路線バス
5 高速バス路線
5.1 羽田線
5.2 京都・大阪線
5.3 田沢湖線
6 かつて運行されていた高速バス
6.1 福井・金沢線
7 車両
7.1 ギャラリー
8 その他
9 参考文献
10 参考文献・注釈
11 外部リンク
概要
現在は江ノ島電鉄の傍系会社である株式会社江ノ電バス藤沢および、分離子会社の株式会社江ノ電バス横浜が路線バス・貸切バス・特定バス運行を行なっている。路線バスは鎌倉市、藤沢市南部と、横浜市戸塚区・港南区・栄区・磯子区を中心に路線網を展開し、横浜駅まで到達する路線もある。もともとは江ノ島電鉄がバス事業を直営していたが、1998年に江ノ電バス株式会社を設立し、一部路線の移管と管理の受委託をすすめてきた。2007年に江ノ電バス横浜を設立し、江ノ島電鉄が直営していた横浜営業所と鎌倉営業所の一部を移管させ、バス事業の分社化を完了した。江ノ電バスも江ノ電バス藤沢に改称し、旧鎌倉営業所の一部路線とともに管理の受託を受け、江ノ島電鉄による直営は終了した。
株式会社江ノ電バス藤沢は、江ノ島電鉄より譲渡された旧藤沢営業所管轄と旧手広営業所管轄及び鎌倉湖畔線の一般路線の運行と『京都・大阪』『金沢』『田沢湖・角館』方面の夜行高速バスの運行、公共施設や一般の貸切運行も行なっている。車両後部裾部には『江ノ電バス藤沢』と表記されている。社員の制服は灰色。なお、制帽に紫のラインが入った物を着用しているのは、初任運転士を指導教育する指導運転士。非運転職はダブルの制服で袖裾に階級ラインが入る。
株式会社江ノ電バス横浜は、旧鎌倉営業所と旧横浜営業所の管轄エリアを担っている。車両後部裾部には『江ノ電バス横浜』と表記あり。社員は江ノ島電鉄からの出向という形の運転士がほとんどを占める(一部プロパー社員あり)。江ノ島電鉄・鉄道員の旧制服と同じで青色。ただし、制帽は小型でメッシュ地の独特な物を通年着用している。指導運転士は名札に記載されるだけで、制服等に違いは無い。非運転職(運行管理者等)は袖裾に階級ラインが入る。
沿革
1927年(昭和2年) - 江ノ島電気鉄道株式会社が鉄道延伸事業計画に先立ち、辻堂地区で乗合自動車業を開業[1]。
1929年(昭和4年) - 東京電燈から鉄道事業継承後、乗合自動車業を廃止[1]。
1931年(昭和6年)7月11日 - 競合関係にあった鎌倉江ノ島乗合自動車商会(1929年6月2日開業)より江ノ島 - 鎌倉間の営業権を譲り受け、10月10日から営業再開。オレンヂバスの愛称で呼ばれる。
1934年(昭和9年)9月1日 - 藤沢自動車より片瀬 - 藤沢間譲受。
1935年(昭和10年)5月26日 - 岩崎清一及び平田忠心より茅ヶ崎市内及び平塚市内の路線を譲受。
1941年(昭和16年)12月15日 - 同じ東京横浜電鉄系の東海道乗合自動車に上記の路線を譲渡。
1944年(昭和19年)11月28日 - 神奈川中央乗合自動車(東海道乗合自動車が改称)に残るすべての路線を譲渡し、路線バス事業から撤退。
1949年(昭和24年)6月11日 - 神奈川中央乗合自動車(現・神奈川中央交通)から路線を譲受し、路線バス事業を再開。藤沢市片瀬2898番地に江ノ島営業所を開設。- 藤沢駅 - 龍口寺前 - 腰越 - 稲村ケ崎 - 極楽寺 - 由比ヶ浜 - 長谷観音前 - 鎌倉駅間、藤沢駅 - 上岡 - 本鵠沼駅 - 太平台 - 一ノ坪 - 辻堂駅間(旧来の江ノ電路線)
- 藤沢駅 - 手広 - 深沢 - 鎌倉駅間、鎌倉駅 - 大船駅 - 日野 - 弘明寺間、大船駅 - 飯島 - 戸塚駅裏口間
- 結果として茅ヶ崎・平塚市内線を神奈中へ譲る代わりに横浜市内進出への足掛かりを掴むこととなる。
- 但し辻堂駅近辺の茅ヶ崎市内で一部運行する路線は残っている。
1949年(昭和24年)7月18日 - 江ノ島営業所を藤沢市片瀬2666番地に移転。
1949年(昭和24年)8月1日 - 商号を江ノ島鎌倉観光株式会社に変更。
1951年(昭和26年)9月16日 - 裏八幡バス停付近の鎌倉市雪ノ下御谷1番地に鎌倉営業所を開設。
1951年(昭和26年)12月30日 - 江ノ島営業所を廃止し、藤沢駅構内の藤沢市東横須賀421番地に藤沢営業所を開設。
1956年(昭和31年)4月1日 - 弘明寺バス停付近の横浜市南区通り町103番地に横浜営業所を開設。
1957年(昭和32年)4月10日 - 奥田バス停付近の藤沢市鵠沼奥田2039番地に藤沢営業所奥田車庫を開設。
1957年(昭和32年)7月1日 - 横浜営業所を関ノ上バス停付近の横浜市南区上大岡町645番地(現 港南区上大岡西3丁目2番21号)に移転、旧営業所を弘明寺案内所とする。
1962年(昭和37年)11月26日 - 平島バス停付近の鎌倉市岩瀬下腐土1225番地(現 岩瀬1120番地の2)に大船営業所を開設。鎌倉営業所は大船営業所鎌倉出張所となる。
1967年(昭和42年)6月6日 - 藤沢営業所を藤沢市鵠沼海岸5丁目5番8号に移転。鵠沼車庫とする。
1968年(昭和43年)5月1日 - 鎌倉出張所を鎌倉営業所に変更。
1969年(昭和44年)10月6日 - 大船営業所内に貸切センターを開設。
1969年(昭和44年)11月19日 - 栗木バス停付近に横浜営業所栗木車庫を開設。
1971年(昭和46年)7月11日 - 大船営業所の名称を鎌倉営業所に変更し、路線バス営業所を統合。旧鎌倉営業所は、鎌倉営業所裏八幡車庫に変更。
1972年(昭和47年)4月24日 - 貸切センターを裏八幡車庫に移転。
1975年(昭和50年)10月16日 - 横浜営業所を鎌倉営業所横浜支所とする。
1980年(昭和55年)9月16日 - 鎌倉営業所横浜支所を分離し、再び横浜営業所とする。鎌倉市笛田1丁目2番10号に藤沢営業所手広待機所を開設。
1981年(昭和56年)9月1日 - 商号を江ノ島電鉄株式会社に変更。
1986年(昭和61年)5月29日 - 貸切センターを裏八幡車庫から手広待機所内に移転。手広車庫とする。裏八幡車庫を廃止。
1988年(昭和63年)4月26日 - 横浜市戸塚区舞岡町2982番地の1に鎌倉営業所舞岡待機所を開設。
1992年(平成4年)4月17日 - 横浜営業所栗木車庫を廃止。
1995年(平成7年)11月1日 - 手広車庫を手広営業所として分離。路線バスの営業所となる。貸切センターは廃止し藤沢営業所に統合。
1998年(平成10年)8月12日 - 江ノ電バス株式会社設立。江ノ島電鉄は藤沢営業所の運行を委託。
2002年(平成14年)7月 - 江ノ島電鉄は手広営業所の路線を江ノ電バス(株)に運行を委託。
2007年(平成19年)6月1日 - 株式会社江ノ電バス横浜設立。- 2007年(平成19年)12月1日 - 鎌倉・横浜営業所を、江ノ島電鉄(株)から(株)江ノ電バス横浜へ吸収分割。藤沢・手広営業所のバス事業を江ノ電バス(株)に譲渡。
- バス運営の事務部門を各バス会社より受託。江ノ電本社内に事務所を置く。
2008年(平成20年)4月 - 江ノ電バス株式会社を株式会社江ノ電バス藤沢に商号変更。- 2008年(平成20年)11月 - 藤沢営業所のPASMO導入により、羽田線・定期遊覧バス・夜行高速バスを除く全路線でPASMOが利用可能となる。
2010年(平成22年)7月31日 - バス共通カードの取り扱いを終了。
2011年(平成23年)6月26日 - 藤沢・手広両営業所を統合のうえ湘南営業所を藤沢市宮前(町屋橋停留所付近)に設置[2]。
2013年(平成25年)3月23日 - IC乗車カード全国相互利用サービス開始。
営業所
江ノ電バス藤沢・湘南営業所: 藤沢市宮前(最寄バス停 湘南車庫前または町屋橋)
江ノ電バス横浜・鎌倉営業所: 鎌倉市岩瀬(最寄りバス停 平島)
江ノ電バス横浜・横浜営業所: 横浜市港南区上大岡西(最寄りバス停 関ノ上)
路線バス
主なターミナル駅: 辻堂駅、藤沢駅、大船駅、戸塚駅、鎌倉駅、上大岡駅、横浜駅
各路線詳細については江ノ電バス藤沢・湘南営業所、江ノ電バス横浜・鎌倉営業所、江ノ電バス横浜・横浜営業所を参照。
高速バス路線
高速バス路線は全て江ノ電バス藤沢によって運営されている。
羽田線
- 藤沢駅(鎌倉駅)・大船駅 - 羽田空港(京浜急行バスと共同運行)
- 鎌倉駅で乗降する場合のみ要予約。
- 車両
日産ディーゼル・スペースランナーRAで運行される[3]。
京都・大阪線
- 概要
神奈川県横浜市戸塚区から同県鎌倉市・藤沢市を経て、京都府京都市・大阪府大阪市・同府堺市を結ぶ。南海バスとの共同運行であり、江ノ電バスにとって初の夜行高速バス参入路線である。
運行経路
戸塚駅東口 - 大船駅東口 - 鎌倉駅東口 - 藤沢駅南口 - 小田原駅東口⇔京都駅八条口 - 高速京田辺 - 大阪駅前(桜橋口 アルビ前) - 湊町バスターミナル(OCAT)※1 - 南海なんば高速バスターミナル※1 - 南海堺駅前 - 南海堺東駅前 - JR堺市駅前
- ※1: 往復とも湊町バスターミナル(OCAT) → 南海なんば高速バスターミナルの順に停車。
- 路線沿革
2006年(平成18年)3月12日 - 運行開始。
2009年(平成21年)12月1日 - この日より小田原駅から堺方面へ乗降車できるようになる。
2012年(平成24年)2月1日 - 「高速京田辺」停留所を新設[4]。- 2012年(平成24年)7月20日 - 「大阪駅前(桜橋口 アルビ前)」停留所を新設[5]。
- 車両
- 独立3列シート・便所付の夜行高速バス用スーパーハイデッカー車両(三菱ふそう・エアロクィーン)・南海バスは新型日野セレガHDで運行する。
- 江ノ電便のみ、通路側フェイスカーテンと乗車時にペットボトルのポカリスエット (250ml) のサービスあり。
田沢湖線
- 概要
- 神奈川県藤沢市から同県鎌倉市・横浜市と東京都港区を経て秋田県横手市・大仙市・仙北市を結ぶ夜行高速バス。江ノ電バス藤沢の担当。羽後交通(田沢湖自動車営業所担当)と共同運行。羽後交通側の路線名はレイク&ポート号。かつて横浜側事業者として相模鉄道が担当していたが、相鉄が2008年3月31日出発便をもって運行を中止(正式には同年8月31日をもって撤退)し、翌4月1日~8月31日まで羽後交通が単独運行した後、江ノ電バス藤沢が同年9月1日より参入した。
- 運行経路
藤沢駅南口 - 鎌倉駅東口 - 横浜駅西口 - 浜松町バスターミナル⇔横手バスターミナル - 大曲バスターミナル - 角館営業所 - 田沢湖駅前- ※途中休憩はなし(東北自動車道上河内SA、国見SA、前沢SAで乗務員が交替する)。
- 路線沿革
2008年(平成20年)8月31日 - 相模鉄道が撤退。- 2008年(平成20年)9月1日 - 相模鉄道の撤退を受け、横浜側の運行会社として江ノ電バス藤沢が参入。
- 2008年(平成20年)10月8日 - イオン大曲ショッピングセンター停留所を新設。
2011年(平成23年)11月1日 - 藤沢駅南口、鎌倉駅東口に乗り入れ開始[6][7]。
- 車両
- 独立3列シート・便所付の夜行高速バス用スーパーハイデッカー(三菱ふそう・エアロクィーン)が使用される。
かつて運行されていた高速バス
福井・金沢線
- 概要
- 神奈川県横浜・湘南地方と福井県福井市・石川県金沢市を結ぶ。北陸鉄道と共同運行(相模鉄道から譲受)。運行経路は東名高速道経由。
運行経路
藤沢駅南口 - 鎌倉駅東口 - 横浜駅西口 - 小田原駅東口⇔福井駅東口 - 尼御前(尼御前PA) - 北陸小松(小松IC) - 松任海浜公園(徳光PA) - 片町 - 香林坊 - 武蔵ヶ辻 - 金沢駅前
- 路線沿革
1989年(平成元年)7月29日 - 北陸鉄道と相模鉄道との共同運行により運行開始。当初は昼行・夜行1往復ずつの運行。
2007年(平成19年)10月1日 - 横浜側の運行会社を江ノ電バスに変更、藤沢まで延長運行。
2011年(平成23年)11月1日 - 福井駅東口に乗り入れ開始。
2016年(平成28年)4月1日 - 小田原駅東口に乗り入れ開始。
2017年(平成29年)3月31日 - この日の出発便をもって、運行を終了[8]。
- 車両
- 独立3列シート・通路側フェイスカーテン・便所付の夜行高速バス用スーパーハイデッカー(三菱ふそう・エアロクィーン)で運行していた。
車両
一般路線用・高速観光バス用ともに日産ディーゼル(現、UDトラックス)製と三菱ふそう製が大部分を占める。いすゞ自動車製は数台が導入されている程度。1950年代後半から1960年代前半にかけては日産自動車製やトヨタ自動車製の導入も見られた。過去に藤沢営業所で高根線(藤沢駅 - 高根)ほぼ専用[9]のナロー型ツーマン車はいすゞBA10N(社番115・116)であったが、1980年12月9日の116号車置き換えに際しては日産ディーゼルK-RM80Eが導入された。いすゞ車の在籍は1983年7月11日(書類上は7月13日)に最後の中扉ツーマン車であるBA10(1971年式 社番117)の廃車[10]で一旦途絶えたが、その後1988年8月30日には前述の高根線用日産ディーゼルK-RM80Eの代替としてP-LR312Fを導入、続いて1991年2月22日からは大型車U-LV324Qの導入があり復活した。日野自動車製は、ミニバス路線用のポンチョ・リエッセ、定期観光バス用の日野・リエッセII、鎌倉市のパーク&ライド用のレインボーHRの7m車など、長らく小型車のみであったが、2014年に初の大型路線車としてブルーリボンⅡが導入された。また2016年・2017年に大型路線車にブルーリボン(2代目)が導入された。
戦後のバス事業再開時は様々なメーカーの車両が採用されていたが、1950年代中頃に民生デイゼルのRRバス(BR系・RF系)を性能的に高く評価し[11]、また納期の確実性などから日産車・日産ディーゼル車の比重が高くなり、1970年代までに藤沢・横浜両営業所には日産車・日産ディーゼル車、鎌倉営業所(後の裏八幡車庫)、大船営業所(現 鎌倉営業所)には三菱ふそう車が集中配備(少数派のいすゞ車は1970~1980年代は藤沢営業所に集中[12])される図式が成立した。1970年代以前から集中配備の傾向は強かったが、例外も多数あり各営業所に複数メーカー車が混在していた。しかし1975年10月16日に大規模な配転を実施した結果、同一営業所(鎌倉営業所横浜支所は本所と別個とみなす)には同一メーカー車でほぼ統一された。1976年7月には例外的に、当時長尺路線車の配置が無かった鎌倉営業所(本所)に日産ディーゼルU20Nが7台新製配備されたが、翌1977年9月にはふそうMP117Nの新製配備を受けて全車横浜支所に転属している。また、これ以前は転属を頻繁に実施しており、顕著な例では在籍期間中に5回転属し、藤沢、鎌倉、大船、横浜の各営業所を数年おきに渡り歩いた車両が1963年式ふそうMR470の中に2台[13]存在したが、以後はあまり実施されなくなった。ただし、これ以後も各営業所の車両需給と使用年数均衡化の関係から、廃車時期まで1~2年と迫った経年車を転属させる措置は時折実施されており、所属車両の中に他メーカー車が1~2台混在する事象は度々発生している。
また、特徴的な車両を積極的に導入することでも知られている。古くは南関東では珍しくキャブオーバー車を愛用した事業者で、1965年4月4日まで在籍していた。最多時で日産再生シャーシー車(ガソリンエンジン)が28台、いすゞBX91の車体載せ替え車が4台在籍した。その風貌から「ダルマさん」と呼ばれて親しまれ、特に前者は「小ダルマ」、後者は「大ダルマ」と呼ばれた[14]。その反面、ボンネット車の導入は比較的少数で、1963年3月29日に最後の1台(いすゞBX95 1950年式 社番139 後述の車体載せ替え更新車)が廃車となり消滅している。また、1958年7月23日にはエアサスの貸切車(民生デイゼルRFA91)を神奈川県内のバス事業者としては最初に導入した。その後は1970年3月31日に日産ディーゼル初の4サイクルエンジン車PR95の市販1号車を購入している。装備品の特徴としては、左ウィンカー点滅時に連動して鳴る警報装置(キンコンキンコンと鳴る)[15]や、後退の際に後方への注意促進のため車体後部に取り付けられたバックホーンが挙げられる。 なお、これらの左折警報装置やバックホーンは2003年以降、羽田空港線用の車両を除き、省略されている。
車体は長らく富士重工製でほぼ統一しており、1994年まで鎌倉営業所配置の三菱ふそう車も富士重工で架装していたのが大きな特徴である。ただし、戦後初期のいすゞBX91は帝國車体、BX95は川崎車体、ふそうB23は東急車両及び目黒車体、1956年製の民生RS80は新日国車体、1959年製のトヨタDR10は新三菱車体、1961年製の小型貸切車三菱B10(ローザ)は三菱車体、1969年製の中型貸切車ふそうMR620は呉羽車体、1977年~1981年にかけて導入された神奈川中央交通からの譲受車(後述)ふそうMR410は呉羽車体、1983年製の小型貸切車三菱K-BK215F(ローザ)は中京車体、1986年製の中型貸切車ふそうP-MK515Jは呉羽車体であり、P-MK515Jの廃車は1995年12月である一方、1995年3月には三菱バス製造車体のU-MP218Pが購入されているので、所有車両が100%富士重工車体となった期間は全く存在しない。
鎌倉営業所は、JR戸塚駅前発着に高台にある団地路線が多いことから比較的乗客が多く、全長11m超の長尺仕様で三菱ふそうのシャーシ+富士重工の車体という、きわめて珍しい組み合わせの車両を保有していた(すでに全車廃車)。また、近年では鎌倉営業所管内にある大学の学生輸送などの関係から2007年には改造仕様の4枚折戸長尺ワンステップ車のエアロスターが導入され長尺車が復活したほか、三菱ふそう・エアロスター-Sの標準尺・長尺ノンステップバスも相次いで導入されている。
それとは逆に、藤沢地区は平坦な地形ゆえに自転車の普及率が高く、加えて鎌倉・江ノ島といった観光地を有するも道路事情が悪く渋滞が激しいことから、近年の乗客減少が著しい。そのため、2000年から9m大型路線車として全国的に珍しい、日産ディーゼル・RPが導入されている。100周年記念塗装車が各営業所に数台在籍している。114号(いすゞ)と200号(日デ)はメーカのサンプルカーであるため、座席形状など、他車とは仕様が異なる。
小型車は、前述の通り日産ディーゼル製の車両もあるが日野自動車製の割合が高く、近年は車両代替により日野・ポンチョが増備されている。一部を除き「こまわりくん」の愛称が付けられている。
2012年9月現在在籍している156号車(日産ディーゼル)は、富士重工が最後に製作した17Eボディー車であり(2003年3月末の納入)、富士重工製造の路線バスとして最終製造車とされている。
高速路線・貸切観光・定期観光用は日産ディーゼル製と三菱ふそう製が導入されている。
特定車は、学校送迎用のいすゞ・エルガや2代目ガーラミオ、鎌倉プリンスホテル送迎用の日産・シビリアンなどが所属している。
2003年以降の車両は小田急グループマテリアルズ仕様で導入されている。これは、小田急グループ全体で一括発注することにより、コストを抑えながら短期間で大量の更新が可能になっている。このため、ドア配置や内装などは小田急グループのバス事業者共通の仕様になっている。
2007年3月より、全車にドライブレコーダーを設置し、2012年には全車両を対象に緊急地震速報受信ラジオが設置され、受信するとラジオ放送が車内に流れるようにする(車体にその旨を示すステッカーが貼り付けされている)など、安全の確保にも努めている。
江ノ電バスは基本的には車輛寿命まで長期に渡って使い続ける傾向があり、他社への移籍は比較的少数であったが[16]、近年は排ガス規制により使用年数が短くなったため他社へ移籍する例が見られるようになった[17][18]。また、他社の中古車は、1949年のバス事業再開時に各方面から寄せ集めて来た事例(戦前製のダッジブラザース、シボレー、フォード等の外車も在籍した)以外に、1972年8月に小田急電鉄からふそうB905N(観光タイプ)を6台[19]購入した事がある他、1977年6月8日~1981年12月23日にかけて、老朽車更新のため神奈川中央交通からの移籍車を大量に購入した事がある。内訳は日産ディーゼル4R94 13台[20]、日産ディーゼル4R95 12台[21]、ふそうMR410(呉羽車体) 20台[22]である。これは1964年から1966年頃にかけて当社初のワンマン車として大量導入した日産ディーゼル4R93・4R94・ふそうMR490の廃車時期が一斉に訪れた為、新車購入だけでは賄いきれなくなった結果であるが、1982年以降、中古車は導入されていない。
また、嘗ては車両の改造を比較的頻繁に実施していた。最も大規模な改造としては、在籍期間途中での車体載せ替えがあり、1948~1949年式いすゞBX91 4台に対して1956年にボンネット型からキャブオーバー型化、1950年式いすゞBX95 1台に対して1957年にボンネット型のまま載せ替えがいずれも富士重工で施工された。次に規模の大きい改造例としては中扉折戸ツーマン車に対する前扉増設、中扉引戸化のワンマン化改造がある。この改造は1964年3月のワンマン車初導入1年前に購入された1963年3月~4月新製車の一部に対して実施され、日産ディーゼル4R103 4台に対して1970年1月に、ふそうMR470 3台に対して1970年10~11月に施工された。座席配置や種類の変更改造は最も実施例が多く、改造年代の古い順に列挙すると、1954年9月の東京線開業に備えて、1951年式民生KB3B 3台に対して同年に中扉三方シートから前扉ロマンスシート化(この改造のみ扉位置の変更を伴う)。1967年4月の冷房付リクライニングシート貸切車(日産ディーゼル5RA110)初導入を受けて、既存の貸切車1965年式日産ディーゼル4RA93 1台・1966年式日産ディーゼル4RA94 2台に対して同年6月にリクライニングシート化。東京線や定期遊覧での使用を考慮して、1963年式日産ディーゼル4R103 3台に対して1969~1970年に三方前向き混合シートからロマンスシート化。改造時期不明ながら貸切兼用車として補助席付で導入された1971年式日産ディーゼルPR95 3台・1971年式ふそうMR410 2台に対して補助席撤去。三方前向き混合シートで新製された(1970年から1973年購入の路線車は基本的にこの座席配置だった)1972年式日産ディーゼルPR95 4台・1973年式日産ディーゼルU20H 4台・1973年式ふそうMR410 2台に対して1980~1981年に前向きシート化の例がある。非冷房車に対する冷房取付改造は例が少なく、1980年12月10日に大型路線車最後の非冷房車として導入された日産ディーゼルK-U31N 1台・ふそうK-MP118N 1台に対して1983年7月11日竣工で施工されたのみである。尚、前述の神奈川中央交通からの譲受車のうち、1978年11~12月に購入された日産ディーゼル4R94 5台・ふそうMR410 3台以外の37台については神奈中の独自仕様である後ヒンジ式前扉から通常の前ヒンジ式に改造の上で導入している。
カラーリングは路線車がオレンジとクリーム、貸切車は古くは路線車と同色、1967年式車からは朱色とアイボリー、現在は小田急グループ共通色を採用している。高速バスでは日産ディーゼル製の新車から上がダークグリーンメタリック、白線を介して下がレモンイエローに改められた。また、路線車のうち2002年から2006年にかけて導入された車両のうち一部は、江ノ電開業100周年記念塗装で、やや黄色味のオレンジ色に屋根部を濃い茶色としており、「ENODEN」の黒文字が入る[23]。
ギャラリー
ダッジブラザース(1936年式) 104 1954年廃車
戦後バス事業再開時に導入された中古車。
この際に導入された車両、全15台(うち新製車は3台)中5台が当該車両で最大勢力だった。
いすゞBX91(1950年式) 116
1960年廃車
戦後バス事業再開間もない頃に導入された新車(帝國車体架装)。
背景は藤沢営業所奥田車庫。
検修庫の中には民生BR351若しくはRF90若しくはRX80(奥)と日産NUR690(手前)と思われる2台が見える。
民生KB3B(1951年式) 128
1960年廃車
1950年代の長尺ボンネット車。対向ピストン式のKD3型エンジン搭載。
1954年の東京線開業時には本車を前扉ロマンスシートに改造して使用した(写真は改造後の撮影)。
民生BR20(1952年式) 108
1959年廃車
初のリヤーエンジン車。
ロマンスシート仕様で定期遊覧や小貸切にも使用された。路線車としては試験導入的要素が強く、本型式は1952年11月22日に2台(社番107・108)の新製購入と1954年4月11日にメーカーサンプル車の1951年式トップドア車(社番119)を1台購入したに過ぎないが、1953年6月11日の初の貸切車導入にあたって民生BR351型リヤーエンジン車の採用に繋がった。
日産R6B(1956年式 再生シャーシー車) 301
1965年4月4日廃車
『ダルマさん』の愛称で親しまれたキャブオーバー車。
いすゞBX91改
1963年3月29日廃車
ボンネット車の車体載せ替えキャブオーバー化改造車。
1956年にBX91型4台に施工された。
民生RX80(1957年式) 132
1966年3月廃車
リヤーエンジン路線車本格導入開始直後の車。本型式は1956年3月28日から1957年3月21日にかけて7台が導入された。
高根線でも運用された。
民生RF91(1957年式) 254
1965年3月30日廃車
1950~60年代に活躍した貸切車。 東京線にも使用された。
翌1958年の増備車からは、外観上は同形態ながらエアサスのRFA91に変更された。
ふそうR280(1957年式) 209
1965年12月25日廃車
初のふそうリヤーエンジン車。
中扉ロマンスシート仕様で定期遊覧や小貸切にも使用された。
日産UR591(1958年式) 134
1965年3月廃車
初の日産リヤーエンジン車。この年式からはRX80に代わり日産ブランドの本系列が導入された。
ロマンスシート仕様で定期遊覧や小貸切にも使用されたのが本型式。三方シート仕様はフロントオーバーハングが短いNUR591を採用し、大量導入された。
いすゞBA351D(1958年式) 315
1964年3月31日廃車
初のいすゞリヤーエンジン車。
1950年代~1960年代前半のいすゞリヤーエンジン車は横浜営業所に集中配備されていた。このグループ3台は、廃車後、仙北鉄道に譲渡された。
トヨタDR10(1959年式) 304
1965年4月廃車
新三菱車体を架装したトヨタ車。1960年以降のトヨタ車は富士重工車体を架装。
1960年代前半までトヨタリヤーエンジン車は横浜営業所に集中配備されていた。
日産NUR690(1960年式) 217
1968年1月10日廃車
1960年代前半の主力車。
1959年までのNUR591をモデルチェンジし前照灯4灯化したのが本型式。
同形車は高根線でも運用された。
ふそうR470(1961年式) 216
1968年6月廃車
1960年代の長尺ツーマン車。
長尺ツーマン車は1958年3月12日にふそうR270が2台(社番204・206)導入されたのが嚆矢である。
日産ディーゼル4R103(1962年式) 329 1971年5月28日廃車
1960年代の長尺ツーマン車。
この年式から塗り分けが大幅に変更された。
日産ディーゼル4R103(1963年式) 136 1973年9月6日廃車
長尺ツーマン車末期[24]の増備車。
本車は1970年1月に前扉増設中扉引戸化改造を施工されワンマン車となった。本グループは8台が購入されたが、うち4台はワンマン化改造を施工[25]。別の3台は1969年~1970年にかけてロマンスシート化改造を施工され東京線でも運用された。
日産ディーゼル4R93(1964年式) 156 1976年7月21日廃車
初のワンマン車。
ふそうMR490と共に大量導入[26]された。
日産ディーゼル5RA110(1967年式) 289 1980年9月2日廃車
初の冷房付リクライニングシート貸切車。2台が導入された。正面方向幕部分が採光窓となった仕様はこの年式のみの特徴である。
日産ディーゼル4R94(1969年式) 179 1985年3月6日廃車
神奈川中央交通からの譲受車。
一大勢力を誇った本型式は、神奈中からの譲受車を加えると述べ60台が導入された[27]。新製購入車とは正面方向指示器、屋上ベンチレーター形状、側面方向幕位置等が異なる。1978年11月16日購入の本車は神奈中仕様の後ヒンジ式前扉のまま使用された異端車である。
日産ディーゼルPR95(1970年式) 114(←旧337)
1985年7月12日廃車
PR95型市販1号車。
この年式から1973年式までの路線車は、一部の例外を除き三方前向き混合シート仕様で新製された。
いすゞBA10(1971年式) 117
1983年7月11日廃車
最後の中扉ツーマン専用車。
オール三方シート仕様としても最後の新製車であった。
末期は高根線用予備車となっていた。
ふそうMR410(1971年式) 240
1986年12月10日廃車
4R94と共に一大勢力誇った本型式は、富士重R13初期型、同サッシ窓、同13E型、神奈中から譲受した呉羽車体車と、多彩な形態であった。この年式はPR95と共に補助席付貸切兼用車が数台在籍したが、外観上は全く同一である。
ふそうMR410(1971年式) 249
1985年11月9日廃車
呉羽車体を架装した神奈川中央交通からの譲受車。
本型式は新製車、中古車合わせて延べ51台が在籍した。
日産ディーゼル6RA111(1971年式) 120 1985年7月4日廃車
新製購入車としては最後の2サイクルUDエンジン搭載車(貸切車)。
日産ディーゼルPR95(1972年式) 329 1985年11月14日廃車
この年式からMR410と共に富士重工R13E型車体となった。
本車は三方前向き混合シート仕様で新製されたが、1980年に前向きシートに改造された。前扉もその際に交換されている。
日産ディーゼルU20N(1975年式) 125 1986年12月5日廃車
新製ワンマン車として初の長尺車。この年式から前扉がワイドドア化された。
日産ディーゼルK-U31N(1980年式) 153 1994年3月28日廃車
一般路線用初の冷房車。
本型式2台と、ふそうK-MP118N 1台の計3台が各営業所に1台ずつ配備されたのが嚆矢である。
ふそうK-MP118N改(1980年式) 257 1994年3月28日廃車
2台だけ在籍した冷房化改造車(他方の1台は日産ディーゼルK-U31N改 1980年式 社番317)。
1983年7月11日改造竣工で、エバポレーターはR15型用の物が装着されている。
日産ディーゼルK-RM80E(1980年式) 116 1988年8月30日廃車
初の中型路線車。
高根線用に導入された。
日産ディーゼルP-RA52M(1984年式) 122 1996年12月廃車
定期遊覧専用として初の新車。
これ以前の定期遊覧には一般路線兼用の中扉ロマンスシート車や貸切格下げ車を使用していた。
トップドアロマンスシート仕様でオレンジ/クリームの路線色は、1966年式4RA94以来、実に18年ぶりの導入であった。
富士重工車体を架装した三菱ふそうP-MP218P 203
ふそうU-MP618M(1995年式) 502
初代高速羽田線用車。
貸切車(三菱ふそう・エアロクィーン) 709
いすゞ・エルガ(鵠沼車庫にて撮影) 114
江ノ島電鉄開業100周年を記念した塗色車両 110
江ノ電バス「こまわりくん」 291
その他
- 江ノ電バスで行き先に系統番号を表記する路線は、神奈川中央交通と同一区間を走行する路線のみである。神奈川県東部のバス事業者としては珍しく、2018年現在でも大半の路線は行き先表示の系統番号無表記で運行されている。
- 65歳以上の方が購入できる定期券として「オレンジワンコインパス」が発売されている。3ヶ月と6ヶ月の2種類があり、1乗車につき現金100円で乗車でき、江ノ電バスの一般路線全線で利用可能。
- 1月1日から3日を除く通年で、鎌倉市内の江ノ島電鉄線長谷駅 - 鎌倉駅間と江ノ電バス・京浜急行バスの特定区間が1日乗り放題となり、協賛する寺社・美術館・飲食店・お土産店などの割引や特別サービスもある、「鎌倉フリー環境手形」を江ノ電鎌倉インフォメーション、江ノ電鎌倉駅などで発売している。江ノ電バスのフリー区間は北鎌倉駅 - 鎌倉駅間と鎌倉駅 - 大仏前間。なお、フリー区間内を走行する江ノ電バスでは英語による案内放送および車内案内表示が行われている。
- 江ノ島電鉄では一日乗車券として「のりおりくん」が発売されているのに対し、江ノ電バスでは一日乗車券の発売はなかったが、2012年9月15日から江ノ島電鉄線および江ノ電バス全路線(羽田空港線・夜間高速バス・定期遊覧バス・貸切バスは除く)が1日乗り放題となる「電車・バス1日フリー乗車券」が大人1,000円、小人500円で発売された。当初は2012年11月11日までの発売予定であったが、好評につき2013年3月31日まで発売期間を延長することになり、同日で発売を終了した。江ノ島電鉄線藤沢駅・江ノ島駅・長谷駅・鎌倉駅の出札窓口、江ノ電バス横浜・江ノ電バス藤沢の各営業所・案内所(一部を除く)にて発売。購入時に利用日を指定する。江の島島内の施設(エスカー・シーキャンドル)の割引特典も利用当日に限り受けることが可能である[28]。
参考文献
- 江ノ電バス10年の歩み 江ノ島鎌倉観光株式会社 運輸部 1959年6月11日
- 江ノ電六十年記 江ノ島鎌倉観光株式会社 六十年史編纂委員会 1963年9月1日
- 江ノ電八十年表 江ノ島電鉄株式会社 開業80周年記念事業委員会 1982年9月1日
- 江ノ電の100年 江ノ島電鉄株式会社 開業100周年記念誌編纂室 2002年9月1日
- 車両一覧表 江ノ島鎌倉観光株式会社(1981年9月1日以降は江ノ島電鉄株式会社) 自動車部整備課 各年度版
- 江ノ島鎌倉観光(株) 社内報「ひろば」 各号
- 江ノ電バス整備物語 渡邉廣 2002年8月30日
- 「江ノ電」乗合バス ボンネット・バスからワンマン・バスへ 渡邉廣 2008年6月11日
参考文献・注釈
- ^ ab江ノ島電鉄ウェブサイト『当方見聞録』第一章第一回による。
^ (株)江ノ電バス藤沢 営業所統合のお知らせ -江ノ電グループ 2011年6月1日
^ 同車は西日本車体工業の96MCモデルの車体を架装しており、関西より東で同型車は京浜急行バスやしずてつジャストラインでしか見ることができない。
^ 高速バス「大阪・京都〜小田原・藤沢・鎌倉線」高速京田辺 停留所を新設のお知らせ (PDF) [リンク切れ] - 南海バス 2012年1月20日
^ 高速バス「大阪・京都~小田原・藤沢・鎌倉線」「大阪・神戸~佐世保・ハウステンボス線」 7月20日~ 「大阪駅前」停留所新設 および 一部発着時刻変更のお知らせ (PDF) [リンク切れ] - 南海バス 2012年6月22日
^ “江ノ電バスのご案内-高速夜間バス-田沢湖線”. 江ノ電バス. 2011年10月15日閲覧。
^ “羽後交通のレイク&ポート号 鎌倉・藤沢へ毎日運行 (PDF)”. 羽後交通株式会社. 2011年10月15日閲覧。[リンク切れ]
^ 夜間高速バス「金沢線」の廃止について 2017年2月20日 江ノ島電鉄ホームページ - 2017年3月16日閲覧
^ 8.6mクラスの標準幅ツーマン車(日産NUR690、いすゞBA743、いすゞBA10)が数台在籍していた当時は、運用の都合でナロー車を他路線のツーマン運用に充当し、標準幅車が高根線に入線する事もしばしばあった。
^ 同車はその後、個人に引き取られ準動態保存(車検は取得していないものの可動状態は保持)された。2017年現在も残存しており、可動状態にある元江ノ電バス在籍車では最古の車である。
^ 当時の整備課長 渡邉廣の判断による。
^ 1975年10月16日現在ではBA10Nが2台、BA10が1台、BA30が2台、BU05Dが4台の計9台が在籍。
^ 車台番号3-MR470-230107(社番
143→343→112→211→511→157)と車台番号3-MR470-230111(社番240→138→339→207→507→112)で、いずれも1970年10月にワンマン化改造を施工され1975年8月29日廃車。
^ 江ノ島鎌倉観光(株) 社内報「ひろば」 通巻117号 1965年5月
^ 2002年までの導入車は標準装備だったが、2003年の途中以降は一部の高速路線車を除いて省略されている。(デンソー製)
^ 1960年代に日産キャブオーバー車(再生シャーシー車)を他社(高松バス他、企業や学校送迎用の自家用向けもある。)に譲渡した例がある他、1958年式いすゞBA351D 3台は仙北鉄道に譲渡。1987年に貸切車の日産ディーゼルK-RM80Eが中古車販売業者に売却された。
^ DPFの不具合で廃車された旧114号(いすゞ・キュービック)は国際興業バス飯能営業所に移籍している。
^ 他に頸城自動車にいすゞ中型バスが1両だけ移籍したことがある。
^ 全て貸切センターに配属
^ 全て藤沢営業所に配属 1983年3月9日に2台が横浜営業所に転属
^ 全て藤沢営業所に配属
^ 全て鎌倉営業所に配属
^ その外観が洋菓子のカステラのように見えることから、一部のバスファンから「カステラ」の通称で呼ばれることがある。なお、この記念塗装は従来の広告スペースにシールタイプの広告を掲出できるようになっている(具体的には、「ENODEN」の黒文字が車体の後方にオフセットされてマーキングされているのはこのため)が、実際にシールタイプの広告を掲出しているのは横浜営業所のごく一部の車両に限られている。
^ 長尺中扉ツーマン車の購入は、1964年からのワンマン車増備を受けて一旦途絶えるが、1967年7月には東京線や定期遊覧にも使用出来る中扉引戸ロマンスシート仕様のふそうMR470が2台(新製時の社番:106・215)増備され、結果的にこれらが最後となった。
^ 他に1963年式ふそうMR470 3台についてもワンマン化改造を施工。
^ 4R93は1964~1965年にかけて26台、MR490は1964~1968年にかけて39台。
^ 2017年以前の導入車中、同一型式最多台数記録である。
^ お知らせ :「鉄道開業110周年&バス開業85周年記念 電車・バス1日フリー乗車券」の発売期間の延長について -江ノ電グループオフィシャルサイト 2012年11月9日
- 交通新聞社「バス新型車両コレクション 東京・神奈川・千葉・埼玉」2009年
外部リンク
江ノ島電鉄・江ノ電バス(公式ページ)
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