フェデリコ・フェリーニ


















フェデリコ・フェリーニ
Federico Fellini

Federico Fellini
1990年

生年月日
(1920-01-20) 1920年1月20日
没年月日
(1993-10-31) 1993年10月31日(73歳没)
出生地
イタリアの旗 イタリア リミニ
職業
映画監督、脚本家
ジャンル
映画
活動期間
1950年 - 1993年
配偶者
ジュリエッタ・マシーナ(1943年 - 1993年)
主な作品

『道』
『甘い生活』
『8 1/2』
『サテリコン』
『フェリーニのアマルコルド』

フェデリコ・フェリーニ(Federico Fellini, 1920年1月20日 - 1993年10月31日)はイタリア・リミニ生まれの映画監督、脚本家。「映像の魔術師」の異名を持つ[2]




目次





  • 1 プロフィール


  • 2 作品の評価


  • 3 監督作品

    • 3.1 長編映画



  • 4 脚本作品


  • 5 出演作品


  • 6 受賞歴

    • 6.1 受勲


    • 6.2 その他



  • 7 著書(日本語訳)


  • 8 関連文献


  • 9 脚注


  • 10 関連項目


  • 11 外部リンク




プロフィール


高校卒業後、新聞社に勤務し、古都フィレンツェや首都ローマで挿絵や雑文を書いていた。その後、ラジオドラマの原稿執筆などを経てロベルト・ロッセリーニ監督の映画『無防備都市』のシナリオに協力。同作品はイタリア・ネオレアリズモ映画を世界に知らしめた記念碑的作品である。


『寄席の脚光』(1950年)でアルベルト・ラットゥアーダとの共同監督にて監督デビュー。1952年の『白い酋長』で単独監督。この作品で音楽監督として起用されたニーノ・ロータは、『オーケストラリハーサル』に至るまでのすべてのフェリーニ作品で音楽を手がけることになる。三作目となる『青春群像』(1953年)では故郷の街とそこで生きているどうしようもない青年達の姿を描いてヒットを飛ばし、ネオレアリズモの若き後継者として注目された。ヴェネツィア国際映画祭で銀獅子賞を受賞。続く『道』(1954年)では甘美なテーマ曲と物語の叙情性とヒューマニズムから世界的なヒット作となり、フェリーニの国際的な名声が確立する。


ネオレアリズモ的作風に変化が現れるのは『甘い生活』(1959年)からとされる[要出典]。退廃的なローマ社会を描いたこの作品はフェリーニの力強い社会批判であるが、ヘリコプターで吊るされた巨大なキリスト像の冒頭シーンや、河から引き上げられた怪魚のラストシーンに顕著なように、ストーリーの随所にシンボルが配置されて独特の映像感覚が発揮される。この手法は『8 1/2』(1963年)で極度に推し進められ、「映画が撮れなくなった映画監督」の話を借りてフェリーニの内面が赤裸々かつ高度なシンボル的映像表現で綴られることになる。


その後もチネチッタ・スタジオに巨大なセットを組み、『サテリコン』、『フェリーニのローマ』、『カサノバ』、『オーケストラ・リハーサル』、『女の都』、『フェリーニのアマルコルド』、『そして船は行く』など、重層的で夢幻の広がりを与える手法を駆使した作品群を立て続けに監督。いつしか世界の映画製作人から「スタジオの魔術師」と呼ばれることになる。


『道』、『カビリアの夜』、『8 1/2』、『フェリーニのアマルコルド』で4度のアカデミー賞外国語映画賞を、1992年にはアカデミー賞名誉賞を受賞[1]。『甘い生活』ではカンヌ国際映画祭・パルム・ドールを受賞。


1993年に脳内出血で倒れ、同年10月31日、心臓発作で死去。73歳。その葬儀はローマのサンタマリア・デリ・アンジェリ教会にて国葬として執り行われた。


妻のジュリエッタ・マシーナは駆け出し時代の彼のラジオドラマに出演し、『道』、『カビリアの夜』、『魂のジュリエッタ』、『ジンジャーとフレッド』などにも主演した。



作品の評価






『甘い生活』の舞台となったヴェネト通りに掲げられたプレート


『フェリーニのローマ』では、ローマ外環道路の交通渋滞を巨大な屋内セットによって再現したというぐらいに、中期以降のフェリーニはスタジオ撮影にこだわった。セット撮影を排したネオレアリズモ映画を出発点としながら、巨大なセット撮影を駆使して人工美の世界を構築したという点で、やはりネオレアリズモ映画出身だったルキノ・ヴィスコンティと並び称されることも多い。だが、本物の貴族出身だったヴィスコンティの華麗な絵作りに対してフェリーニの作品にはモダンアートの明るさと庶民的な俗っぽさが満ち溢れている。こうした絵画的感覚についてはイタリア・オペラの伝統を指摘する声もある[要出典]


また、フェリーニ映画には巨乳巨尻の女性が多く出てきて「フェリーニ的」画面を構成する。猥雑な女たちの娼館や道化師のサーカスはフェリーニのお得意素材である。


ペシミストとしても語られはするが、基本にあるのは生きていく意志である。『8 1/2』のラストシーンでの有名な台詞「人生は祭りだ。共に生きよう」はそれを端的に言い表している。それは『道』の中で悲惨な境遇にあるヒロインに向かって語られた「どんな物でも何かの役に立っている。この石ころだって」という台詞から一貫したフェリーニのヒューマニズムでもある。



監督作品



長編映画



  • 寄席の脚光 Luci del varieta(1950年)アルベルト・ラットゥアーダと共同監督


  • 白い酋長 Lo Sceicco bianco(1952年)


  • 青春群像 I Vitelloni (1953年)

  • 結婚相談所Un Agenzia matrimoniale(1953年)オムニバス映画『巷の恋』の第4話


  • La Strada (1954年)


  • Il Bidone (1955年)


  • カビリアの夜 Le Notti di Cabiria (1957年)


  • 甘い生活 La Dolce Vita (1960年)

  • アントニオ博士の誘惑Le tentazioni del dottor Antonio(1962年)オムニバス映画『ボッカチオ'70』の第2話


  • 8 1/2 Otto e mezzo (1963年)


  • 魂のジュリエッタ Giulietta degli spiriti (1965年)


  • 悪魔の首飾り Toby Dammit(1967年)オムニバス映画『世にも怪奇な物語』の第3話


  • サテリコン Fellini-Satyricon(1968年)


  • フェリーニの道化師 I Clown(1970年)


  • フェリーニのローマ Roma (1972年)


  • フェリーニのアマルコルド Amarcord(1973年)


  • カサノバ Il Casanova di Federico Fellini(1976年)


  • オーケストラ・リハーサル Prova d'orchestra(1979年)


  • 女の都 La Citta delle donne(1980年)


  • そして船は行く E la nave va(1983年)


  • ジンジャーとフレッド Ginger e Fred(1985年)


  • インテルビスタ Intervista(1987年)


  • ボイス・オブ・ムーン La Voce della luna (1990年)


脚本作品



  • 無防備都市 - Roma, città aperta (1945年)


出演作品



  • アモーレ - L'Amore (1948年) ※ロベルト・ロッセリーニ監督


受賞歴




























































































































































































































































































































































































部門作品結果

アカデミー賞
1946年脚色賞無防備都市[3]ノミネート[4]
1949年脚本賞戦火のかなた[3]ノミネート[5]
1956年脚本賞ノミネート[6]
外国語映画賞受賞
1957年脚本賞青春群像ノミネート[6]
外国語映画賞カビリアの夜受賞
1961年監督賞甘い生活ノミネート
脚本賞ノミネート[7]
1963年監督賞8 1/2ノミネート
脚本賞ノミネート[7]
外国語映画賞受賞
1970年監督賞サテリコンノミネート
1975年監督賞フェリーニのアマルコルドノミネート
脚本賞ノミネート[8]
外国語映画賞受賞
1976年脚色賞カサノバノミネート[9]
1992年
名誉賞[10][1]
-受賞

ヴェネツィア国際映画祭
1953年サン・マルコ銀獅子賞
青春群像受賞
1954年サン・マルコ銀獅子賞受賞
1985年金獅子賞・特別功労賞-受賞

ナストロ・ダルジェント賞
1954年監督賞青春群像受賞
1955年監督賞受賞
1958年監督賞カビリアの夜受賞
1961年監督賞甘い生活ノミネート
脚本賞受賞
1964年監督賞8 1/2受賞
脚本賞受賞
1966年監督賞魂のジュリエッタノミネート
1970年監督賞サテリコンノミネート
1974年監督賞フェリーニのアマルコルド受賞
脚本賞受賞
1980年監督賞女の都受賞
1984年監督賞そして船は行く受賞
1986年監督賞ジンジャーとフレッドノミネート
1988年監督賞インテルビスタノミネート

英国アカデミー賞
1955年作品賞(総合)ノミネート
1958年作品賞(総合)カビリアの夜ノミネート
1960年作品賞(総合)甘い生活ノミネート
1963年作品賞(総合)8 1/2ノミネート
1986年外国語映画賞ジンジャーとフレッドノミネート
フェローシップ賞-受賞

ニューヨーク映画批評家協会賞
1956年外国語映画賞受賞
1961年外国語映画賞甘い生活受賞
1963年外国語映画賞8 1/2受賞
1965年外国語映画賞魂のジュリエッタ受賞
1974年作品賞フェリーニのアマルコルド受賞
監督賞受賞

ボディル賞
1956年非アメリカ映画賞(英語版)受賞
1964年非アメリカ映画賞8 1/2受賞
1975年非アメリカ映画賞フェリーニのアマルコルド受賞

カンヌ国際映画祭
1957年国際カトリック映画事務局賞カビリアの夜受賞
1960年パルム・ドール甘い生活受賞
1972年フランス映画高等技術委員会賞フェリーニのローマ受賞
1987年40周年記念賞インテルビスタ受賞

ダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞
1957年監督賞カビリアの夜受賞
1960年監督賞甘い生活受賞
1974年監督賞フェリーニのアマルコルド受賞
1984年監督賞そして船は行くノミネート
脚本賞受賞[11]
1984年ルキノ・ヴィスコンティ賞-受賞
1986年監督賞ジンジャーとフレッドノミネート
脚本賞ノミネート[12]
ルネ・クレール賞受賞
Medaglia d'oro del Comune di Roma-受賞
1988年監督賞インテルビスタノミネート
1990年監督賞ボイス・オブ・ムーンノミネート

キネマ旬報ベスト・テン
1957年外国映画ベストワン受賞
外国映画監督賞受賞
1965年外国映画ベストワン8 1/2受賞
外国映画監督賞受賞
1974年外国映画ベストワンフェリーニのアマルコルド受賞
外国映画監督賞受賞

ブルーリボン賞
1957年外国作品賞受賞

ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞
1960年外国語映画賞甘い生活受賞
1963年外国語映画賞8 1/2受賞
1965年外国語映画賞魂のジュリエッタ受賞
1970年外国語映画賞フェリーニのアマルコルド受賞

全米監督協会賞
1963年長編映画監督賞8 1/2ノミネート
1986年Golden Jubilee Special Award-受賞

モスクワ国際映画祭
1963年グランプリ8 1/2受賞
1987年金賞インテルビスタ受賞

ゴールデングローブ賞
1965年外国語映画賞魂のジュリエッタ受賞
1969年外国語映画賞サテリコンノミネート
1972年外国語映画賞フェリーニのローマノミネート
1974年外国語映画賞フェリーニのアマルコルドノミネート
1986年外国語映画賞ジンジャーとフレッドノミネート

カンザスシティ映画批評家協会賞
1967年監督賞魂のジュリエッタ受賞

フランス映画批評家協会賞
1972年外国語映画賞フェリーニのローマ受賞
1974年外国語映画賞フェリーニのアマルコルド受賞
1979年外国語映画賞オーケストラ・リハーサル受賞

イタリア・ゴールデングローブ賞(イタリア語版)
1975年作品賞フェリーニのアマルコルド受賞
1984年作品賞そして船は行く受賞
1986年作品賞ジンジャーとフレッド受賞
1988年作品賞インテルビスタ受賞

リンカーン・センター映画協会
1985年Chaplin Award Gala-受賞

セザール賞
1988年最優秀外国映画賞インテルビスタノミネート

ヨーロッパ映画賞
1989年生涯功労賞-受賞


受勲


  • 1964年 イタリア共和国功労勲章 グランデ・ウッフィチャーレ(grande ufficiale)

  • 1987年 イタリア共和国功労勲章 カヴァリエーレ・ディ・グラン・クローチェ(cavaliere di gran croce)


その他


  • 1990年 高松宮殿下記念世界文化賞(演劇・映像部門)


著書(日本語訳)


  • 『アマルコルド』トニーノ・グエーラ共著、千種堅訳(早川書房、1974年)

  • 『私は映画だ 夢と回想』アンナ・ケール、クリスティアン・シュトリッヒ編、岩本憲児訳(フィルムアート社、1978年) ISBN 4845978237

  • 『フェリーニ,映画を語る』竹山博英訳(筑摩書房、1985年)ISBN 4480870792 - ジョヴァンニ・グラッツィーニによるインタビュー。

  • 『フェデリコ・フェリーニ作品イメージ画集』藤井ラウラ訳(TOKYOFM出版、1993年)ISBN 4924880124 - 大部なイメージ画集。

  • 『魂のジュリエッタ』柱本元彦訳(青土社、1994年)ISBN 4791753569

  • 『映画監督という仕事 <リュミエール叢書24>』リータ・チリオと共著、竹山博英訳(筑摩書房、1996年)ISBN 448087304X

  • 『フェリーニ・オン・フェリーニ』コスタンツォ・コスタンティーニ編 中条省平・中条志穂訳(キネマ旬報社、1997年)ISBN 4873762138


関連文献


  • トゥッリオ・ケジチ『フェリーニ 映画と人生』押場靖志訳(白水社、2010年6月) - 親友による「公認」の評伝

  • ベニート・メルリーノ『フェリーニ 世界の傑物 〈ガリマール新評伝シリーズ〉』山口俊洋訳(祥伝社、2010年9月)

  • 川本英明『フェデリコ・フェリーニ 夢と幻想の旅人』(鳥影社、2005年)

  • ジョン・バクスター『フェリーニ 〈20世紀メモリアル〉』 椋田直子訳(平凡社、1996年)

  • 『フェリーニを読む 世界は豊饒な少年の記憶に充ちている <ブック・シネマテーク>』岩本憲児編(フィルムアート社、1994年)

  • 『ユリイカ 詩と批評 特集フェリーニの世界』、1994年9月号(青土社)

  • 『スタジオボイスVol.237 特集フェリーニ主義』、1995年9月号(インファ)

  • 『フェリーニの宇宙 <シネアルバム>』 根岸邦明・柳沢一博編(芳賀書店、1985年)


脚注


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  1. ^ abc外部リンクに映像


  2. ^ http://www.nytimes.com/learning/general/onthisday/bday/0120.html

  3. ^ abロベルト・ロッセリーニ監督作品。


  4. ^ セルジオ・アミデイと共にノミネート。


  5. ^ セルジオ・アミデイ、チェレステ・ナガルヴィッレ、ヴィクター・ヘインズ、マルチェロ・パリエーロ、ロベルト・ロッセリーニと共にノミネート。

  6. ^ abエンニオ・フライアーノ、トゥリオ・ピネッリと共にノミネート。

  7. ^ abエンニオ・フライアーノ、トゥリオ・ピネッリ、ブルネッロ・ロンディと共にノミネート。


  8. ^ トニーノ・グエッラと共にノミネート。


  9. ^ ベルナルディーノ・ザッポーニと共にノミネート。


  10. ^ 世界的な聴衆をぞくぞくさせて楽しませた彼の映画の業績に対して。


  11. ^ トニーノ・グエッラと共に受賞。


  12. ^ トニーノ・グエッラ、トゥリオ・ピネッリと共にノミネート。



関連項目


  • マルチェロ・マストロヤンニ

  • ソフィア・ローレン

  • クラウディア・カルディナーレ

  • チネチッタ

  • ニーノ・ロータ

  • モアナ・ポッツィ

  • ロベルト・ロッセリーニ

  • ヴィットリオ・デ・シーカ

  • ルキノ・ヴィスコンティ


  • チェーザレ・ザヴァッティーニ 脚本家


外部リンク



  • Fellini Foundation (イタリア語公式サイト)


  • Fondation Fellini pour le cinéma (Switzerland) (フランス語公式サイト)


  • フェデリコ・フェリーニ - allcinema


  • フェデリコ・フェリーニ - KINENOTE


  • Federico Fellini - インターネット・ムービー・データベース(英語)


  • アカデミー名誉賞 フェデリコ・フェリーニ 受賞映像 - YouTube プレゼンター:ソフィア・ローレン、マルチェロ・マストロヤンニ








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