竹野郡 (京都府)




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京都府竹野郡の位置(水色:後に他郡から編入した地域)


竹野郡(たけのぐん)は、京都府(丹後国)にあった郡。




目次





  • 1 郡域


  • 2 歴史

    • 2.1 古代

      • 2.1.1


      • 2.1.2 式内社



    • 2.2 近世以降の沿革



  • 3 脚注


  • 4 参考文献


  • 5 関連項目




郡域


1897年(明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、京丹後市の一部(網野町各町・丹後町各町・弥栄町和田野・弥栄町木橋・弥栄町鳥取・弥栄町吉沢・弥栄町芋野・弥栄町堤・弥栄町溝谷・弥栄町等楽寺・弥栄町黒部・弥栄町船木・弥栄町国久・弥栄町井辺・弥栄町小田)にあたる。



歴史


古くは「たかのぐん」と呼ばれた。



古代





『和名類聚抄』に記される郡内の郷。


  • 木津郷

  • 納野郷(網野郷)

  • 鳥取郷

  • 小野郷

  • 間人郷

  • 竹野郷


式内社


『延喜式』神名帳に記される郡内の式内社。




































































































































神名帳
比定社
集成
社名
読み

付記
社名
所在地
備考

竹野郡 14座(大1座・小13座)
大宇加神社オホウカノ大宇賀神社京都府京丹後市網野町郷
奈具神社ナクノ奈具神社京都府京丹後市弥栄町船木奈具
溝谷神社ミソタニノ溝谷神社京都府京丹後市弥栄町溝谷
久尓原神社クニハラノ国原神社京都府京丹後市弥栄町国久
網野神社アミノノ網野神社京都府京丹後市網野
依遅神社エチノ依遅神社京都府京丹後市丹後町遠下
大野神社オホノノ (論)大野神社京都府京丹後市丹後町中浜
(論)大野神社京都府京丹後市大宮町口大野
竹野神社タカノノ竹野神社京都府京丹後市丹後町宮
[1]
生王部神社イクワウヘノ
ニフヘ
生王部神社京都府京丹後市網野町生之内下
志布比神社シフヒノ (論)志布比神社京都府京丹後市網野町浜詰
(論)塩干神社京都府京丹後市丹後町大山
深田部神社フカタヘノ深田部神社京都府京丹後市弥栄町黒部
床尾神社ユカヲノ
トコ-
床尾神社京都府京丹後市網野町島津春日神社摂社
発枳神社カラタチ
ハチキ
橘枳神社京都府京丹後市峰山町橋木
売布神社ヒメフノ
メフ
売布神社京都府京丹後市網野町木津

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近世以降の沿革


  • 「旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点での支配は以下の通り。幕府領は久美浜代官所が管轄。(75村)
















知行
村数
村名

幕府領
幕府領
47村
切畑村、上野村、溝野村、俵野村、吉沢村、芋野村、堤村、船木村、公庄村、高橋村、黒部村、鳥取村、国久村、小田村、是安村、相川谷村、吉永村、西谷村、内垣村、力石村、神主村、一段村、矢畑村、宮村、間人村、大山村、竹野村、筆石村、此代村、平村、中野村、遠下村、鞍内村、小脇村、竹久僧村、三山村、畑村、井上村、上野村、谷内村、上山村、久僧村、中浜村、尾和村、袖志村、車野村、井谷村

藩領
丹後宮津藩
27村
生野内村、郷村、新庄村、岡田村[1]、中館村、日和田村、和田上野村[2]、木橋村、和田野村、溝谷村、外村、等楽寺村、下岡村、網野村、浅茂川村、小浜村、掛津村、島溝川村、仲禅寺村、井辺村、尾坂村、三津村、徳光村、三宅村、成願寺村、願興寺村、岩木村
幕府領・藩領
幕府領・宮津藩
1村
浜詰村[3]

  • 慶応4年

    • 4月19日(1868年5月21日) - 幕府領が府中裁判所の管轄となる。


    • 閏4月28日(1868年6月18日) - 府中裁判所の管轄地域が久美浜県の管轄となる。


  • 明治4年

    • 7月14日(1871年8月29日) - 廃藩置県により、藩領が宮津県の管轄となる。


    • 11月2日(1871年12月13日) - 第1次府県統合により、全域が豊岡県の管轄となる。


  • 明治9年(1876年)

    • 8月21日 - 第2次府県統合により京都府の管轄となる。

    • 西谷村・内垣村が吉永村に、車野村が上野村に、外村が溝谷村に、願興寺村が宮村にそれぞれ合併。(70村)


  • 明治12年(1879年)4月10日 - 郡区町村編制法の京都府での施行により、行政区画としての竹野郡が発足。郡役所が網野村に設置。

  • 明治14年(1881年) - 上野村・岡田村・中館村・和田上野村が合併して木津村となる。(67村)

  • 明治20年(1887年) - 井上村が平村に合併。(66村)


31.網野村 32.浅茂川村 33.浜詰村 34.木津村 35.郷村 36.島津村 37.鳥取村 38.吉野村 39.溝谷村 40.深田村 41.徳光村 42.八木村 43.間人村 44.竹野村 45.上宇川村 46.下宇川村 47.野間村(橙:京丹後市 1 - 9は熊野郡 11 - 22は中郡)


  • 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制の施行により、下記の町村が発足。全域が現・京丹後市。(16村)

    • 網野村(単独村制)


    • 浅茂川村 ← 浅茂川村、下岡村、小浜村


    • 浜詰村(単独村制)


    • 木津村 ← 木津村、俵野村、日和田村、溝野村


    • 郷村 ← 切畑村、郷村、生野内村、公庄村、高橋村、新庄村


    • 島津村 ← 島溝川村、仲禅寺村、三津村、掛津村、尾坂村


    • 鳥取村 ← 和田野村、木橋村、鳥取村


    • 吉野村 ← 吉沢村、芋野村、堤村


    • 溝谷村 ← 溝谷村、等楽寺村


    • 深田村 ← 黒部村、船木村、国久村、井辺村、小田村


    • 徳光村 ← 三宅村、成願寺村、大山村、徳光村


    • 八木村 ← 一段村、力石村、神主村、岩木村、矢畑村、是安村、吉永村、相川谷村


    • 間人村(単独村制)


    • 竹野村 ← 竹野村、筆石村、宮村、此代村


    • 上宇川村 ← 平村、中野村、遠下村、鞍内村、井谷村、三山村、竹久僧村、小脇村、畑村


    • 下宇川村 ← 中浜村、久僧村、谷内村、上野村、上山村、尾和村、袖志村


  • 明治32年(1899年)7月1日 - 郡制を施行。

  • 明治33年(1900年)5月1日 - 網野村が町制施行して網野町となる。(1町15村)

  • 明治37年(1904年)1月1日 - 網野町・浅茂川村が合併し、改めて網野町が発足。(1町14村)


  • 大正10年(1921年)1月1日 - 間人村が町制施行して間人町となる。(2町13村)

  • 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。

  • 大正14年(1925年)12月1日 - 徳光村・八木村が合併して豊栄村が発足。(2町12村)

  • 大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。


  • 昭和8年(1933年)2月1日 - 溝谷村・吉野村・鳥取村・深田村が合併して弥栄村が発足。(2町9村)

  • 昭和23年(1948年)4月1日 - 与謝郡野間村の所属郡が本郡に変更。(2町10村)

  • 昭和25年(1950年)4月1日 - 網野町・浜詰村・木津村・郷村・島津村が合併し、改めて網野町が発足。(2町6村)

  • 昭和30年(1955年)
    • 2月1日 - 間人町・豊栄村・竹野村・上宇川村・下宇川村が合併して丹後町が発足。(2町2村)


    • 3月1日 - 弥栄村・野間村が合併して弥栄町が発足。(3町)



  • 平成16年(2004年)4月1日 - 網野町・丹後町・弥栄町が中郡峰山町・大宮町・熊野郡久美浜町と合併して京丹後市が発足し、郡より離脱。同日竹野郡消滅。


脚注




  1. ^ 記載は岡田分。


  2. ^ 記載は和田上野分。


  3. ^ 浜詰村(幕府領)・浜分(宮津藩領)に分かれて記載。



参考文献



  • 角川日本地名大辞典 26 京都府

  • 旧高旧領取調帳データベース


関連項目


  • 消滅した郡の一覧

  • 竹野郡 (福岡県)


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