連結器
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連結器(れんけつき、Coupler)は、鉄道車両の車両同士を結合し、牽引時の引張力・推進時の圧縮力を伝達する装置である。
目次
1 連結器の機能
2 連結器の種類・用途等
2.1 リンク式連結器
2.1.1 概要
2.1.1.1 日本における呼称
2.1.2 ねじ式連結器
2.1.2.1 連結・解放のしくみ
2.1.3 ピン・リンク式連結器
2.2 自動連結器
2.3 主な自動連結器
2.3.1 ジャニー式連結器
2.3.1.1 連結・解放のしくみ
2.3.2 SA3形連結器
2.3.3 C-AKv形連結器
2.3.3.1 歴史
2.3.4 日本における自動連結器の種類
2.3.4.1 並形自動連結器
2.3.4.2 密着自動連結器
2.3.4.3 小型密着自動連結器
2.3.4.4 簡易連結器
2.4 密着連結器
2.4.1 シャルフェンベルク式連結器
2.4.2 柴田式密着連結器
2.4.2.1 連結・解放のしくみ
2.4.3 その他の密着連結器
2.4.3.1 新幹線用密着連結器
2.4.3.2 トムリンソン式密着連結器
2.4.3.3 バンドン式密着連結器
2.4.3.4 ウェスティングハウス式密着連結器
2.5 中間連結器
2.6 双頭型両用連結器
2.7 棒連結器(永久連結器)・半永久連結器
3 緩衝装置
4 付帯設備
4.1 電気連結器
4.2 車端ダンパ
4.3 車体間ヨーダンパ
5 自動連結器化
5.1 日本
5.1.1 背景
5.1.2 実施
5.1.3 他国との比較
5.1.4 非国鉄線
5.2 タイ王国
5.2.1 背景
5.2.2 実施
6 注釈
7 出典
8 参考文献
9 関連文献
10 関連項目
11 外部リンク
連結器の機能
連結器に要求される機能は、おおよそ以下の通りである[1][2]。
- 引張力の伝達・連結の確実さ
- 車両間の引張力を伝達することが、連結器の基本的な機能である。機関車が客車をけん引する列車であれば、機関車と次の客車の間に最大の引張力がかかる。特に上り勾配、加速中にはさらに大きな力がかかるため、これに耐えられる強度が要求される。また大事故につながる危険があるため、連結が切れ車両が分離する事故(列車分離と称する)は絶対に避けなければならない。従って、充分な強度を持つだけでなく、一部の部品が壊れても連結が切れない機能を持つ連結器が望ましい。
- 容易な連結・解放
- 前述の「引張力の伝達・連結の確実さ」と相反する要素であるが、連結器は車両の連結・解放が容易かつ確実に実施できなければならない。但し、日常的に編成が固定されている車両同士においては、この限りではない。
- 圧縮力と衝撃の吸収
- 下り勾配、減速中、、連結時、機関車が客車を後方から押すような場合において、推進(圧縮)力を受けるので、これに耐えられる強度が要求される。その他、客車では乗り心地向上、貨車では荷崩れ防止、そして何より安全確保のため、車両の連結や運転中に生ずる衝撃による前後動を吸収し、車体が両側から押されて持ち上がったり破壊されたりしないよう、緩衝装置が設けられる。
- 左右・上下動への対応
- 列車が曲線やポイントなどを通過する際には、前後の車両が互いに各方向に傾き、また勾配進入時、上下動や荷重による車体の沈み具合によって高さに食い違いが発生するので、これらに対応する性能も求められる。
連結器の種類・用途等
リンク式連結器
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概要
連結にリンク(鎖)機構を使用する連結器全般を指す。鉄道黎明期より使用されてきた連結器であり、リンクの固定方法によって、ねじ式、ピン・リンク式などの方式が存在する。リンクは引張力を伝達できるが推進力は伝達できないため、通常は車両間に緩衝器を設けて推進力の伝達を行う。
構造が単純であるが強度は低いため列車編成の長大化が困難であり、輸送力増強には障害となる。また、連結・解放には重量のあるリンク(日本の場合20kg程度)を持ち上げる必要があり、作業員の負担になる。
日本をはじめ、アメリカやロシアを中心とする東欧圏、中国などでは、そのほとんどが自動連結器(後述)に置き換えられており、これらの国々では軽便鉄道など一部のみで用いられている。
日本における呼称
日本では、書類上で上記のいくつかの方式を区別せずひとくくりで済ませていた[要出典]。そして、これらをリンクに注目して連環連結器と呼称する場合と、緩衝器(バッファー)に注目して緩衝連結器と呼称する場合がある[要出典]。このため、諸元表や竣工図、あるいは設計認可申請書などの公文書等で「連環連結器」あるいは「緩衝連結器」などと表記してあった場合、必ずしも同一の構造のものを指すとは限らない。また、「連環連結器」の呼称はリンク式連結器全般を示す他、大きな鎖を掛けるだけの連結器を指す場合がある。
ねじ式連結器
車両に付いたフック同士をねじによる締結機構付きのリンクで連結する連結器で、螺旋(らせん)連結器とも呼ばれる。ヨーロッパでは21世紀初頭現在でも高速鉄道を除き、広く使用されている。連結器は車端中央に配置されて引張力を伝達し、推進力は車端に配置された緩衝器(バッファー)を介して伝達される。
バッファーは通常、車端中央に設けられたフックの左右に1基ずつ設置される。伊豫鉄道(現 伊予鉄道)では車端中央のフック直上に1基のみ設置していた。この亜種として、車端中央部にバッファーを1基設け、その直上を支点として、バッファーの伸縮軸線と直交するように左右枕木方向に釣り合い梁を伸ばし、その両端で各1本のリンクを接続するタイプの連結器がドイツなどで使用されていた[要出典]。これはリンク1本使用での牽引定数の不足を補い、かつリンクを単純に2本使用することによる曲線通過時の各リンク間の引っ張り力の不均等を防ぐべく考案されたもので、低規格ではあるが一定以上の輸送力を求められる野戦軍用軽便鉄道を中心に普及し、日本でもドイツ流の野戦軍用軽便鉄道システムをそのまま輸入した鉄道連隊が採用した。
日本では1925年に全国一斉に自動連結器への交換が実施されたため(詳細は下記#自動連結器化)、ねじ式連結器はほとんど使用されていない。国鉄等で標準的に採用されていたバッファーを左右に装着するタイプの連結器は、博物館明治村に動態保存されている明治時代の蒸気機関車・客車で、現役の姿を見ることができる。また、2001年には、伊予鉄道が開業時の蒸気機関車と客車を模した「坊っちゃん列車」の運行を開始し、車端中央部に1基のみ緩衝器を備えるタイプが復活した。
日本では1900年10月の鉄道建設規程で、列車の連結は特別の場合を除いて複式連結とし、一方から螺旋連結器を掛け渡して締めつけたあと、さらにその上から他方の連環連結器を掛ける螺旋連環連結器とすることとされた[4][5]。この方式は万一螺旋連結器が破損しても、連環連結器により列車分離事故を防ぐことができ、単独の連結器の強度を非常時に合わせて高めなくとも、常用の最大強度ですませ、リンクの重量の増大による連結作業の困難を回避する意味がある。ただし、作業が二度手間になることや、車両の螺旋連結器を装着している側と連環連結器を装着している側が対向していなければならないといった制約がある。この手間が後の自動連結器への付け替えの一要因ともなった[1]。螺旋連環連結器自体は、1900年以前から使用されており、当時の客車の写真の多くが、一方に螺旋連結器、他方に連環連結器を装備している[5]。
このように、日本の幹線鉄道では螺旋連結器と連環連結器が併用されるのが原則であったが、輸送単位の小さな鉄道では、螺旋連結器を装備していても連結解放作業の手間を省いて連環連結器だけをフックに引っかけて使用する(当然ながら遊間が大きくなり、乗り心地に影響する)、あるいは螺旋連結器装備で認可を得ても実際には連環連結器だけ装着して使用する、といった手抜きを行うケースが少なからず存在した[要出典]。日本における連結器種別、特に地方鉄道のそれに関する公文書記述の信頼性が低い背景には、このような使用実態が大きく影響していた[要出典]。
連結・解放のしくみ
- 緩衝器同士を接触させ、やや圧縮させた状態で双方の車両を静止させる。
- 一方の車両の格納用フックに掛けて格納してあるリンクを、相手側フックに掛け渡す。
- リンクの中間にあるねじ機構は、ターンバックルと同様に右ねじと左ねじを組み合わせた構造となっており、ハンドルを正面から見て右方向に回すとリンクは短くなり、引張状態となれば連結状態である。この状態では遊間が無くなり衝動が起きない。貨物列車の場合はほとんど締め付けをしない場合がある。並形自動連結器と同じく適度な遊間が列車の起動を容易にするためである[要出典]。
- 切り離し時はハンドルを左方向に回し、リンクをゆるめ、格納用フックに掛けて格納すると、切り離し完了となる。
連結状態
左側車両のリンクを使用
右側車両のリンクは格納
ねじ機構のハンドルを回す
リンクを持ち上げる
ピン・リンク式連結器
リンクとピンによって連結する連結器である。通常、先端に穴が空いた四角または楕円形の受け板があり、リンクを穴に差し込み、落とし込みピンを入れて連結する。リンクが固定式の場合は連結方向が限られる。構造は非常に簡単だが、連結時にピン挿入の手間がかかり、また強度が低いため、ごく簡易な用途にしか使用できない。
主に黎明期のアメリカの鉄道や、軽便鉄道、産業鉄道などで用いられた簡易型の連結器で[要出典]、鎖やロープなどを除けばもっとも簡素な連結器である。アメリカでは1893年に法律で幹線鉄道での使用が禁止されて淘汰されたが、その簡便さゆえに軽便鉄道や産業鉄道向けでは全世界的に、現在のフォークリフトにもその機構の名残といえる落とし込みピンによる連結機能が残されるなど、広範囲に普及している連結器である。日本の営業路線でこのタイプの連結器が現存するのは黒部峡谷鉄道のみである。
ピン支持部、落とし込みピン、リンクを大型化し、ピン支持部の下に設置した幅広のバッファで押し合う構造の連結器も存在し、こちらは低規格であっても大きな牽引力を要求される鉱山鉄道などで使用された。例えば、明神電車ではこの種の連結器が客車にまで使用されていた[6]。栗原鉄道など一部の鉄道では垂直方向にリンクを使用する連結器が使用され、この構造はピンの落とし込みができないため、ピンに関節を設けて抜け止めとしていた。また日本では、出所不明[注釈 2]ながら車端中央の緩衝器の下に可動式で先端がフォーク状になったアームを伸ばし、車両の連結時に双方から伸びたアームの固定穴の位置を合わせ、ボルトを水平方向に通してナットで固定することで2本のアームを固定し牽引力の伝達を可能とする、特異かつ非効率的な構造の連結器が鞆鉄道や湘南軌道などで使用されていたことが確認されている[注釈 3][7]。
書類上この連結器は「中央緩衝連結器」と呼称するが、受け板の形状などから、俗に朝顔型連結器ともいわれる。公刊書籍・雑誌でのこの呼称の初出は1950年代の鉄道模型趣味誌であったとみられている[8][疑問点 ]。
自動連結器
連結器同士を接触させるだけで自動的に連結され(「自動連結器」の「自動」とはこのことを指す)、解放てこを動かすだけで解放できる、取り扱いが容易な連結器である。現在、アメリカ・カナダ・ロシア・中国などで一般的に用いられている。日本では機関車・客車・貨車などで広く用いられている。略して自連(じれん)と呼ばれる。
最初の自動連結器は、1868年にアメリカ合衆国の発明家イーライ・ジャニー (Eli H. Janney) によって、人の手と手を組み合わせた形をヒントに考案され、1873年にアメリカ合衆国特許が取得された[9]。開発当時、アメリカでは原始的なピン・リンク式連結器と手ブレーキが使用されていたが、1880年代にアリゾナ州が安全性確保の見地から、州法[要出典]により自動連結器と自動空気ブレーキの採用を義務化して以降、急速にこの2つの機構が普及した。1893年には、当時のハリソン大統領がこれらの装着を義務づける連邦法法案(鉄道安全装置法 Railroad Safety Appliance Act)に署名し、連結器とブレーキシステムの統一が完了した。
ジャニー式の自動連結器はアメリカ鉄道協会 (AAR、Association of American Railroads) 規格に制定されており、この系譜に属する連結器は世界の自動連結器の多数を占める。「ナックル(肘)」、「ナックルピン」、「錠」によって構成される連結器で、ナックルピンを軸にナックルが回転し、錠がナックルを固定することでナックル同士が引っかかり、車両が連結される[10]。単純な構造で大きな牽引力に耐える実用的な方式である。錠と解放てこの位置の違いによって上作用式と下作用式に分けられ、機関車・貨車は、てこの取り回しがしやすい上作用式が、客車などの旅客車両では、貫通路に抵触しない下作用式が多く用いられる。
ナックル可動のジャニー式とは異なる原理で設計された自動連結器として、イギリスで開発されたウィリソン式連結器 (Willison Coupler) がある。こちらはナックル部分が動かず、ジャニー式と機構が全く異なっていて、相互の互換性もない。ウィリソン式連結器はイングランドのダービーのジョン・ウィリソン(John Willison)によって特許が取得された(アメリカで1910年出願、1916年米特許取得[11][12])。[13]。ドイツのクノール社(Knorr)はウィリソン式を購入してドイツの重量列車とパリのいくつかの近郊列車で使用したが、その後このタイプを大規模に採用しているのは第二次世界大戦後のソビエト連邦とその後身であるロシアなどの諸国で、改良のうえ「SA3形連結器」として使用している。日本では日立製作所がパテントの利用権を取得して製造販売し、越後交通栃尾線や日本鉱業佐賀関鉄道などの軽便鉄道や工事用トロッコで使用された。
日立製ウィリソン式連結器
日立製ウィリソン式連結器-連結状態
主な自動連結器
ジャニー式連結器
ジャニー式連結器は最初期の商業的に成功した自動ナックル連結器で1873年にイーライ・ジャニーによって特許が取得された[14]。AARではこれらはMCB 連結器 (Master Car Builders Association) として知られる[15]。
イギリスでは旅客用列車の一部車両が装備して"バックアイ連結器"として知られる(オハイオ州コロンバスのバックアイ・スティール・キャスティングスによって1890年から製造されたことに由来)。
AAR/APTA E型、F型とH型 タイトロック連結器は全てナックル連結器と互換性があるが、(貨物車、タンク車、ロータリーホッパー、客車等)専用の車種だけが対応する。タイトロック連結器は第2次世界大戦後の日本における密着自動連結器に相当し、原型は1930年代にアメリカで実用化された(特許事例 1935年出願、1939年公開[16])。
連結・解放のしくみ
ジャニー式の系譜に属するナックル可動の自動連結器には、「錠掛け」、「錠控え」、「錠揚げ」の3つの状態がある[17](自動連結器の3作用という[1])。連結作業では、少なくとも一方の連結器が「錠揚げ」位置で、ナックルが開いていなければならない。一方、切り離し作業ではナックルは開かないが、フリーな状態である「錠控え」位置で作業される。作業中は両方の状態で錠の解除状態が維持される。
次の画像は、日本の並形自動連結器(上作用式)を例として、自動連結器の各状態を示したものである。錠控え位置・錠揚げ位置では、連結器根元上部の錠が飛び出しており、錠が解除されている事が確認できる。
- 錠掛け位置
- 連結中ナックルが閉じて錠が入り固定されている状態。運転中の振動にも決して連結は外れない。
- 錠控え位置
- 解放てこの操作により、錠が解除されてナックルがフリーになった状態。車両を引き離すことでナックルが開く。錠が落ちずにとまった状態になり、そのまま切り離しができる。
- 錠揚げ位置
- ナックルが開いて連結可能な状態。てこを一番上にまで持ち上げたとき、錠がはずれると共にナックルが開く。一方または両方の連結器をこの状態で押しつけると、ナックルが閉じて錠が落ち、錠掛け位置となる。
錠掛け位置
錠控え位置
SA3形連結器
SA3形連結器はウィリソン式自動連結器の系譜上にある自動連結器で、ロシアほか旧ソビエト連邦構成国で主に使用される連結器である[18]。
ロシアの鉄道は草創期の19世紀から20世紀前半にかけ欧州型(イギリス型)のねじ式連結器が用いられてきたが、牽引量の制約、バッファーによる連結、解放作業時の事故などの制約を抱え、北アメリカのジャニー式連結器のような自動的な連結が不可能なことは、他のねじ式連結器採用国と同じであった。ロシア帝国時代の1898年から連結器問題が俎上に挙げられたものの、ロシア革命後に至るまで長く規格変更は実現しなかった。
ロシア帝国時代に1524mm軌間がロシアの標準軌間とされ、その後ソ連時代に独裁者ヨシフ・スターリンはソ連邦構成国の主要軌道を全て広軌に改軌させた。従ってヨーロッパで主流の1435mm軌間鉄道との車両直通頻度は低くなり、独自の連結器採用が容易な条件が整った(1947年当時、ハンガリー、チェコスロバキアとソビエトによって建設された積み替え用の3駅と3つの国境があった)。
交換にあたり、選択肢の一つとして1925年の日本や1915年のオーストラリアなど、他国でのジャニー式連結器への交換を模倣する選択肢もあったが、ソ連の技術者達はウィリソン式連結器を元に1932年、彼ら独自の連結器を開発し、これを採用することになった。
連結器はSA-3(ロシア語でСоветская автосцепка, 3-й вариант、Soviet Automatic-Coupler 3rd Variantを意味する)という名称になった。この形式の連結器は1930年代中期からねじ式連結器に替わっての交換が試行され始めたが、第二次世界大戦によって迅速な交換は頓挫し、ほぼ標準化に至ったのは1957年であった。1950年代に更に試験が実施された[19]。
C-AKv形連結器
ヨーロッパ自動中央連結器(C-AKv形連結器)[20] は、欧州UIC標準ねじ式連結器を置き換える目的で設計されたウィリソン型の完全自動式連結器である。ソ連型のSA-3連結器を元に開発され、自動ブレーキと電気接続の特徴を備える。同様に連結が落下せず軌道に損傷を与えたり、脱線しないように垂直方向の安定性も追加された。標準的なSA-3連結器と互換性があり、また長期間の移行期間中に備えて標準的なねじ式連結器で必要なバッファーを備える。大半の電気指令式空気ブレーキの使用を想定する電気接続端子を備える。
C-Akvは小型単純自動連結器を意味するドイツ語のCompact - Automatische Kupplung vereinfachtの略である。しばしばブランド名称であるTranspactが使用される。
歴史
1970年代に新型の自動連結器がヨーロッパの鉄道で開発された。これはUIC自動連結器と呼ばれ、AK69eの西ヨーロッパ型と東ヨーロッパのIntermatとして表現された。重量貨物には不向きで連結作業に長時間を要し、集中的な整備が必要なねじ式連結器を完全に置き換える事を目的とする。非常に短期間で欧州全土に導入しなければならない事が想定されたので数回にわたり延期された。さらにUIC自動連結器は既存のねじ式連結器と互換性が無かったので予算の観点からいくつかのヨーロッパ諸国で段階的に転換を進める事は困難だった。
現在のFaiveley Transport Witten GmbHであるSAB WABCOによって開発されたC-AKv連結器はUIC自動連結器とは異なり、既存のねじ式連結器と互換性を有する事で長期間の移行期間に対応する事を企図する。2002年以降、C-AKvはドイツ鉄道で試験が実施される。Profenの露天掘りの炭鉱とSchkopau発電所間での石炭列車の運行に使用される。
日本における自動連結器の種類
日本における自動連結器は、多くがジャニー式連結器の技術的系統にあり、さらに下記のように細分化される。一部の軽便鉄道向けなどの特殊な事例を除き、全てAAR規格準拠のナックル部形状・寸法が採用されており、原則的に相互の連結が可能である。
並形自動連結器
1925年7月の一斉交換以降から現在まで、機関車・一般型客車・貨車などで広く使用され、日本で単に「自動連結器」という場合、並形自動連結器を指す場合が多い。また、後述の「密自連」に対して「並自連」(なみじれん)と略す場合もある。
連結器は水平面上での首振りが可能で、垂直方向のずれは連結器の連結面によってある程度まで許容する。このため連結面にはグリースを塗布しておく必要がある[要出典]。複数の連結器高さの車両が混在した一部の私鉄では、高さの異なる連結器を備える各車の併結を可能とするため、自動連結器のナックル部を上下に延長して、ずれを吸収する手段が取られるケースが存在した[21]。緩衝装置は連結器胴と車体取付部の間にある。
一般的に、引張力と圧縮力は緩衝装置を挟んで車体に伝わるが、連結面で22mmの遊間(遊び)がある[22]ため、加減速時に衝撃が出やすい弱点がある。ただし、遊間があることは、小さい牽引力で重量列車を引き出せる利点もある。客車や貨車に用いられる軸受は起動時の抵抗が大きく、動き始めると抵抗は比較的小さくなる。遊間があることで前後の車両が時間差をもって動き出し、相対的に小さい牽引力で列車を引き出すことができる。このため、牽引力の小さい蒸気機関車が主流だった時期は並形自動連結器が有利であった[2]。なお、上り勾配のような、より厳しい条件で引出しを行なうには、貨車に標準的に用いられていた平軸受の起動抵抗やK三動弁の動作遅延、機関車の自弁と単弁という2系統のブレーキシステム、それに各連結器に備わった緩衝装置のばねによる緩衝作用を複合的に活用して行われる圧縮引出法や、動いている軸受の抵抗が小さい特性を用いた勾配引出法なども用いられ、これらの手法は乗務員のマニュアルに掲載もされ訓練も行なわれていた[23]。
日本への導入当初は、北海道向けにアメリカ製のシャロン式が先行して輸入され、本州以南の自動連結器交換に際しては後発のアメリカ製であるアライアンス式も導入されたが、国産化も図られ、1920年代初頭に苗穂工場勤務の鉄道省技師・坂田栄吉がシャロン式を基本に開発した坂田式連結器を開発した(苗穂工場は北海道での先行した自動連結器採用によって、国鉄内ではその取扱に通暁していた)。だが坂田式は部品点数が多く、個別部品の寸法誤差累積からロック機構の確実性に難を生じて分離事故を起こす問題があり、制式品としての採用は短期間に留まった。同時期、同じく鉄道省技師で車両課勤務の柴田兵衛は、アライアンス式の欠点を改良した柴田式連結器を独力で設計、これが1925年に車両課内で取り上げられて成績の良好さから量産化されることになり、この柴田式が以後の日本における標準型となった[24]。これらは相互に連結可能である。
国鉄電車には1920年代から一時使用されたが、加減速度が大きく、加速・減速が頻繁な電車では遊間による衝撃・動揺の弊害が大きいため、1930年代、より密着度が高く、急な加減速や高速運転に適した密着連結器に取って代わられた。大手私鉄でも採用されたが、同じ理由でほとんどが小型密着自動連結器や密着連結器に移行している。大手私鉄から譲渡された旧型電車を使用している中小私鉄などでは、現在でも電車に並形自動連結器を装備している会社がある。一方、東急2代目5000系電車や首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス線の車両のように、固定編成両端(先頭車)の連結器はあくまでも非常時の救援目的のみに使用するという前提で、導入当初から並形自動連結器を採用している例も一部に存在する。
密着自動連結器
並形自動連結器の形状を改良して精密な機械加工を施すほか、内部の機構を変更して連結時の遊間をなくしたもので、「密着自連」(みっちゃくじれん)、あるいは「密自連」(みつじれん)と略される。アメリカ合衆国におけるH型タイトロック自動連結器相当のものを1950年代前期に日本製鋼所で国産化した連結器[25]。並形自動連結器とも連結可能である。並形自動連結器との外観上の大きな差異は、ツメ部分先端が尖っており、ナックルピンの横にこのツメ部分を受け止めるガイド枠が設けられていることである。このため、結合された連結器同士が垂直方向にズレないため、垂直方向のズレは車体側緩衝装置を対応させて吸収させる。
高速貨物列車に用いられたEF65形(F形)・EF66形などの電気機関車や10000系貨車に採用された。10000系貨車では電磁自動空気ブレーキ(CLEブレーキ)を採用していたが、そのブレーキホース接続作業を省力化する目的で空気管(MR・BP管)を同時に接続する特殊な密着自動連結器が使用された。現在は10000系貨車の全廃により、機関車側の密着自動連結器に内蔵されていた空気管は撤去されている。
固定編成を組む20系をはじめ、12系・14系・24系・50系客車では乗り心地を重視したため、また並形自動連結器をもつ機関車にけん引されるためこの連結器を採用している。
小型密着自動連結器
気動車の標準的な連結器。日本製鋼所の手で開発され、同社の型番ではNCB-II形[注釈 4]と呼称される。
1953年の京阪電鉄1700系第3次車および国鉄キハ10系以降、一般的に使用されている。また密着連結器を採用していない一部の私鉄(例 : 東京急行電鉄・京成電鉄・相模鉄道・名古屋鉄道・京阪電鉄等)などでも使用されている。採用の背景として、いずれも本来なら密着連結器の方が適する用途であるが、従来保有する在来型車両等で自動連結器が多数使われ、それらとの相互連結を配慮した結果の策という一面がある。
機能・構造は密着自動連結器と同一だが、電車・気動車のような動力分散方式の鉄道車両では、連結器に大きな牽引力が掛かることがほとんどないため、連結器の肉厚を薄くして軽量化され、全体的に小型になっている。
簡易連結器
簡易連結器は、自動連結器から「自動連結・解放」の機能を省略した特殊な連結器である。このため厳密には自動連結器の範疇から外れるが、自動連結器との併用を目的としたものであるため、本項目で記述する。
外見は自動連結器と似ているが、ナックル部などの各部寸法を並形自動連結器と連結可能な範囲で可能な限り縮小し、かつ自動ロック機構を省略、落とし込み式のピンでナックルを固定することで、軽量化を実現したものである。つまり、開放には係員の手でピンの抜き差しを行う必要があり、この連結器を装着した車両同士の連結時には、あらかじめ一方のピンを抜いてナックルを開放状態にしておかねば破損する恐れがある。緩衝用スプリングは連結器受に内蔵されているが、自働連結器と違い、連結器を中央に復元させる独立したスプリングがなく、連結器受のソケット部内側左右の勾配によって自重で自然に中央復元する。
この連結器は1920年代末期に日本車輌製造が、当時のエンジン出力の貧弱さから徹底した自重軽減を要した気動車用に開発したもので、原型と見られるものは1928年頃から当時の同社カタログなどに見受けられる。当時、日本の気動車メーカー各社はいずれもこの問題に取り組んでおり、ストレートに「連結器省略」として非常時のみ連結器を装着する、という方策を採ったメーカーも存在した[26]。日本車輛が1929年製造した小浜鉄道カハ1に装着された「緩衝連結器」以降、その開発と実用化が本格化[27]。以降も緩衝機構などについて順次改良を重ねつつ同社製気動車の多くに装着して出荷された。
「日車式連結器」と称されるようになったこの連結器は日本車輌製造のみならず他の気動車メーカー各社にも多数採用され、戦前の日本における気動車用連結器の事実上の標準規格となった。後には鉄道建設規定に適合するよう一部修正を加えたものが、鉄道省のキハ41000形、キハ40000形、それにキハ42000形の3形式に制式採用されるまでに至った。
重量は通常の並形自動連結器が1両分で約0.5tなのに対し、簡易連結器は1/3の170kg程度で済み、当時の非力な気動車の軽量化には大きな効果があった。しかし、その連結強度は低く、破壊試験の結果25t前後が上限とされたため、例えば鉄道省では気動車の無動力回送について、列車最後尾への連結を厳守するよう通達を出していた。
簡易連結器は大型気動車への適用が困難であることから、日本車輌は続けて自動連結器の機能を維持したままでの軽量化に取り組み、1931年には開発者である水津長吉の名を冠した「水津式自動連結器」として薄肉・軽量型の自動連結器を完成した[28]。だが、より軽量な簡易連結器のメリットは捨てがたく、戦前期においては自動の水津式開発後も継続採用された。
簡易連結器は戦後、気動車の大型化とエンジン出力の向上、液体式変速機実用化による連結・解放の頻度増加などに伴って、小型密着自動連結器などに取って代わられ、その歴史的役割を終えた。新造車での採用として遅い例は、国鉄が製造した一連のレールバス(キハ01・02・03 1954-56年製造)で、格段の軽量さを求められたことによる採用であった。
しかし、加藤車輌製作所が軽便鉄道向けに寸法を縮小して設計したものを採用していた下津井電鉄では、1949年電化後の新造車にも採用し続け、同社最後の新造車となった2000系「メリーベル」(1988年竣工)にも在庫品流用でこの連結器が両先頭車に装着されていた。編成中の各車間は棒連結器で連結されていた。
つまり、日本の鉄道で営業運転に実用目的で使用された最後の簡易連結器は、ねじ式連結器の場合と同様、この下津井電鉄のものであった。同社は前述の通り、開業以来のねじ式連結器とこの簡易連結器の他に、棒連結器(電化後の2・3両固定編成車)およびピン・リンク式連結器(カハ5およびホジ3)、と車籍の有無は別にして最大4種の連結器を同時に併用した[要出典]。
密着連結器
自動連結器同様、自動連結、レバーによる簡単な解結を可能としつつ、自動連結器のような連結面間の隙間をなくし、密着性を高めた連結器。原理的なルーツは1903年にドイツのカール・シャルフェンベルク (Karl Scharfenberg) が発明したシャルフェンベルク式連結器 (Scharfenberg coupler) にさかのぼり、これを模倣あるいは改良することで様々な方式が開発されてきた。密着自動連結器と名前が似ているが、全くの別物である。
自動連結器同様、連結は相互の接触のみで行われ、解放も解放レバーを動かすだけで可能である。構造は自動連結器より複雑で、牽引力など強度の面では自動式に劣るが、遊間が皆無な文字通りの「密着」構造であるため、遊間に起因する衝撃は生じない。電車など加減速の頻繁な旅客車両に適している。また、この「密着」構造とゴムパッキンを組み合わせることで気密性が確保され、ブレーキ用の各種空気管を連結と同時に自動接続することが可能となっている。遊間がないため、曲線および勾配の通過に支障が無いように、取り付け部分に上下左右に可動する自在継手が使用されているのも特徴の一つである。
最大の欠点は、牽引許容力が低いので、機関車牽引による重量貨物列車への適用が困難な点にある。
JRなどで使用されているものは、正式には「柴田式密着連結器」と呼ばれるもので、ロック機構の特徴から「廻り子式密着連結器」とも呼ばれる。JRの電車や多くの私鉄電車で使用されている。略して密連(みつれん)と呼ぶこともある。密着連結器には他にトムリンソン式、バンドン式、それにウェスティングハウス式などいくつかの種類が存在するが、日本国内では使用されている密着連結器のほとんどが柴田式である。但し、世界的には密着連結器として最も普及しているのはシャルフェンベルク式とその亜種で、柴田式は日本、韓国等でのローカルな存在に留まる。
日本には1920年代にまず私鉄電車に輸入品が導入され、1930年代には国鉄電車でも柴田式が開発されて自動連結器からの交換が行われ、標準となった。
シャルフェンベルク式連結器
シャルフェンベルク式連結器[29](ドイツ語: Scharfenbergkupplung または Schaku)は、最も古典的な完全自動式の密着連結器の一種であり、国際的に幅広く使用される。
1903年にドイツのケーニヒスベルク(現在のロシア領カリーニングラード)のカール・シャルフェンベルク (Karl Scharfenberg) によって開発された。定期運行の旅客列車に使用されるものの、欧州以外では大量交通機関全般に使用される。電気回路や空気圧配管の自動接続機構併置も容易であり、ジャニー式をはじめとする他種の自動式連結器に対する優位性を持っている。いくつかの鉄道会社では横や下に電気や空気圧の接続を備える。
連結器の前面には突出した円錐と相手方車両の円錐を受け入れる窪みを有する。円錐内部には堅牢な金属製の円環が、ばねの圧力のかかった刻みを、反対側に備えた金属の円板を回転するために接続される。
柴田式密着連結器
日本の鉄道省技手・柴田衛(自動連結器設計者の柴田兵衛の実弟)によって1930年代初頭に開発された、電車用の密着連結器。国鉄電車に正式採用され、のちには私鉄でも採用が広まって、日本国内における多数派の密着連結器となった。
機械學會誌31巻130号(1928年2月20日発行)でハンブルク高架鐵道の新自動連結器と題して電気連結器併設型シャルフェンベルク式連結器の概要が日本に紹介されて間もない1929年から試作され、当初は横須賀線用32系電車の一部編成で試験された。実用面で好成績を収めたため、1933年の東海道・山陽線吹田 - 須磨電化時の42系電車新製車には当初から装備、東京地区の国電にも同年以降路線単位で順次装備して、原則として1937年までに省線電車の柴田式密着連結器化を完了した。柴田は、1930年代後期には新たに下部取付型の電気連結器の試作も行っていたが、戦時体制の激化により頓挫した[要出典]。柴田式密着連結器への電気連結器追加実用化は1961年の西武鉄道などが嚆矢となる。
柴田式の場合、連結器正面より見ると正方形の穴と箱形の突起がある形をしており、通常空気管は必要な管種が最も多いHSC電磁直通ブレーキ搭載車の場合、上中央(ブレーキ管 (BP))、上左右(直通管 (SAP))、下中央(元空気溜管 (MRP))の3系統が引き通されている。その他のブレーキ方式では必要に応じていずれかの管が省略される場合があり、例えば電気指令式ブレーキ搭載車でHSCブレーキ搭載車との併結を考慮しない場合には、下中央のMRPのみが実装されることになる。
1990年代以降は、外側の枠部分が削られて小型化された密着連結器が多くなってきている。この手法は、1960年代に大阪市交通局が地下鉄用の5000形電車を開発する際に実験を行い、不要部の削除による軽量化を試みたことに端を発している[要出典]。大阪市交通局の実験は、走行する列車を停止した車両に対して衝突させ、衝撃による連結器破損状況確認を繰り返して限界強度を見極めるという、いささか乱暴な手法であった。1980年代以降は解析技術の飛躍的発達によって、このような実車衝突試験は要さなくなっている。しかし、日本の他社局では大阪市交通局に追随する動きは遅れた。これは、通常連結開放を要しない車両間への棒連結器等の採用が先行したことと、大阪市交通局の密着連結器は日本の他の鉄道で一般的な柴田式でなく、やや特殊な形状のものであるため、他社ではその実験結果をそのまま援用できなかったことが原因である。その後、1980年代以降の技術向上で連結器の軽量化設計が容易になったことなどから、現在では外枠の小型化された密着連結器は広く普及している。
国鉄においては専ら電車用であったが、国鉄民営化後は、気動車・客車にも採用例が出現している。[注釈 5]。主な理由としては、電気連結器との併用による連結作業の省力化が挙げられるが、国鉄時代の過度の標準化政策を脱し、在来車両との併結をいっさい想定しない設計を行ったことで、自動連結器を排して密着連結器を採用することが可能となったのである。
連結・解放のしくみ
- 連結器内部には円筒を縦に切ったような形の回り子があり、これに接続された解放レバーが連結器正面から見て左側に取り付けられている。概念図(右図)の赤色部分が回り子と解放レバーに当たる。スプリングにより常に矢印の方向に押しつけられており、概念図の位置が回り子と解放レバーの定位置である。
- 嵌合時には双方の回り子が押し込まれる。このため、自動連結器のような錠控え位置にする必要はない。
- 嵌合後には双方の回り子により円筒形が形成され、相手方の連結器内部に入り込むように回転してロックするため連結状態となる。
- 切り離し時は、どちらか片方の解放レバーを操作する事によりロックが解除されて切り離し可能となる。
切り離し時は解放レバーを引いた状態を保持する必要がある。作業員が解放状態を保持しても切り離しが可能であるが、連結器正面右側にある掛け金を相手側の解放レバーに引っ掛ける事によっても解放状態を保持する事ができる。掛け金は切り離し時に自動的に解除される。
自動解結装置を装備した車両には解放レバーにエアシリンダーが組み込んであり、運転室内の列車解結操作スイッチによってエアシリンダーを制御できるため遠隔解放操作が可能である。
その他の密着連結器
日本国内において柴田式以外の密着連結器としては、以下のような連結器がある。
新幹線用密着連結器
1964年に開業した東海道新幹線にあわせて開発された密着連結器。基本的な構造は柴田式密着連結器と変わらないが、連結器の突起部が丸くなっているのが特徴である。
新幹線電車の場合、中間の連結面間は外幌などによって隠されるため、また先頭部についても開業当時は緊急時の救援目的等に使用され、使用時は前頭部カバーを外して連結器本体を引き出して使用する構造となっていたため、営業運転中に一般乗客が目撃する機会はなかった。しかし、1992年の東京 - 山形間での新在直通運転(ミニ新幹線)開始以降、営業運転中の新幹線列車が途中駅で分割・併合を行うこととなったため、現在では一般乗客が容易に連結器や連結作業を観察することが可能である。
なお、営業運転で分割・併合を行うためには、乗務員室内の遠隔操作にて連結器の解結操作や連結器カバーの開閉を行う分割併合装置が必要となる。そのため新製時には未搭載であった200系には、分割併合装置取付改造を実施した。400系・E2系(J編成およびN21編成)・E3系・E4系・E5系・E6系では、新製時から分割併合装置を搭載している。その後E4系のように、営業運転中に分割・併合を行なわずに2編成連結で運行したり、新在直通運転以外の列車であっても途中駅で編成を増解結する列車も登場した。
トムリンソン式密着連結器
アメリカのトムリンソン (Tomlinson) 社 が1910年代に開発[30]した密着連結器。日本国内では現在、東京メトロ銀座線・東京メトロ丸ノ内線・西日本鉄道(貝塚線および6000形以降に製造された車両を除く)・銚子電気鉄道デハ1001/デハ1002・京福電鉄嵐山線(嵐電)などで採用されている。
日本においては阪神電気鉄道が1921年製造の331形で採用したのが最初の採用例であり、同社は1965年の1000番台小型車淘汰まで、急行用車と各停用車でシステムが異なり、相互の併結が困難であったこともあって、後述のバンドン式密着連結器とこのトムリンソン式密着連結器を併用し続けた。
また、かつては日立電鉄(現在は廃止)でも、営団地下鉄(現・東京地下鉄)から譲渡された車両を使用していたため、本連結器を採用していた。
柴田式密着連結器よりも小型で、連結面の四隅の位置決めポスト(向かって左上下が突起で右上下に穴)が特徴である。東京メトロで採用されているものは、連結面の上下にブレーキ用の空気管がある。
バンドン式密着連結器
アメリカのヴァン・ドーン (Van Dorn) 社が開発した密着連結器。日本では戦前期、付随車や貨車を牽引するような地方軌道で多く普及していたが、戦後も継続して使用したのは阪神電気鉄道のみである。
柴田式よりも薄型で、ブレーキ用空気管が連結器内部(斜めに取り付け)に配置されている事が特徴である。バンドン式は日本では1971年に製造が停止され、阪神電鉄は以降の新車用には在来車発生品を転用した。日本工業規格 (JIS) からも1994年の改訂時に削除されている。
阪神電鉄は神戸高速鉄道を介して山陽電気鉄道(6000系を除き、小型密着自動連結器を採用)と相互直通運転を行っているが、山陽車とバンドン式装備の阪神車とは連結器に互換性がなく、そのままでは車両故障などの救援時に支障が生じるため、非常時に備えて主要駅には重くて複雑な中間連結器(偏差アダプター)を配備したほか、直通特急運転開始時より、その運用にも使用される9300系・9000系・8000系・山陽5000系・5030系には、編成あたり1両の床下に偏差アダプターを積載した(後述の理由により、現在は小型密着自動連結器と回り子式密着連結器との中間連結器に交換されている)。
阪神電鉄は2009年に開始された近畿日本鉄道との相互直通運転にあわせて、全車両(武庫川線を除く)の連結器を近鉄と同じ回り子式(柴田式)密着連結器に交換し、従来からのバンドン式連結器を基本的に廃した。同時に連結器高さを840mmに上げている(近鉄車は880mm)。従前の阪神電鉄の車両は連結器が特殊であるだけではなく、連結面高さも標準的な高さよりも約235mmほど低かった (645mm)。これに先立ち、近鉄直通用に2006年より製作されている阪神1000系電車は製造時より柴田式密着連結器を採用している。
ウェスティングハウス式密着連結器
アメリカのウェスティングハウス・エレクトリック (WH) 社が開発した密着連結器の一種である。
機構的には、中央部に19接点の電気連結器コネクターが、下部に2本の自動空気ブレーキ用空気管(ブレーキ管および元空気溜管)が、それぞれ内蔵されていることが特徴である。
日本においてはジャンパ栓へと発展していき、連結器としては廃れた方式である。採用例の最初は1926年の連結運転開始に備えて京浜電鉄が輸入品のK-1-Aを導入し、京浜電鉄およびその子会社の湘南電鉄で使用された。それらは後に車両の大型化に合わせてより大型で強い牽引力に耐えられるK-2-A(WH社の日本における提携先であった三菱電機製)に置き換えられ、更に都営地下鉄浅草線乗り入れ開始に伴う3社乗り入れ協定で1960年にNCB-6密着自動連結器へ交換されるまで34年にわたって使用された。
また、これとは別に山陽電鉄が1956年に初のWNドライブ車である2000系を製造する際に、2両の電動車で主制御器を同期動作させる特殊な設計としたために連結面間のジャンパ線引き通しが煩雑になったことから、三菱電機の推奨で同社製K-2-Bを採用した。但し、電動車の運転台寄りは密着自動連結器ないしは並形自動連結器を装着した。
中間連結器
中間連結器とは、電車の故障などで機関車による救援が必要である場合に、自動連結器と密着連結器を連結するために密着連結器側に取り付けるアダプターである。これを装着すると自動連結器を装備する機関車等と連結可能となるが、正規の連結器に比べ強度は劣るため中間連結器を使用する列車は70km/hの速度制限がかけられる。ナックル部分は固定されているため、中間連結器同士や双頭連結器とは連結することはできない。
京浜急行電鉄の車両は密着連結器を採用しているが、小型密着自動連結器を採用している社局(東京都交通局・京成電鉄・北総鉄道)と相互直通運転を行っているため、非常時に備えて車両に中間連結器が搭載されている。同鉄道では、乗り入れ協定に基づいて一旦は小型密着自動連結器に変更されていたが、京急でのみ頻繁に行なわれる営業列車の増解結作業を省力化・迅速化するため、1980年代後半に柴田式密着連結器と電気連結器の併用を独自に行なうようになった。従来、小型密着自動連結器を使用していた東武鉄道も同様の理由で1990年代後半より営業中に分割・併合・増結を行なう車両を中心に柴田式密着連結器に交換の上、電気連結器を併設し、中間連結器を車両に搭載するようになった。
また、前述のバンドン式密着連結器用の偏差アダプターや、後述の半永久連結器用アダプターについても、中間連結器の一種である。
双頭型両用連結器
自動連結器と密着連結器の双方と連結する場合がある車両に装備される。必要に応じ連結器頭部を横方向に90度回転させることで、使い分けることが可能である。単に双頭連結器とも呼ばれる。
双頭連結器はナックルが固定されているため、自動連結器の錠に相当する部分は存在しない。解放てこに接続されているのは錠ではなく、自動連結器または密着連結器に切り換えた後の状態を保持するための固定ピンである。このため、双頭連結器は他の双頭連結器や中間連結器の自動連結器側同士とは連結することができない。また、密着連結器側の解放レバーは通常取り付けられていないため、解放時は相手側の解放レバーを操作するか、脱着式の解放レバーを取り付けて操作する必要がある。
この連結器を装備していた機関車としてもっとも著名な例はEF63形電気機関車である。1997年に廃止された信越本線横川駅 - 軽井沢駅間の補機として運用されていたが、密着連結器装備の電車との連結のため、坂上方の軽井沢駅側車端に、この連結器が装備されていた。
2016年10月現在、下記の車両に装着が確認できる。
- 電気機関車
EF64 1030・1031・1032
JR東日本長岡車両センター所属。- JR東日本系列の総合車両製作所新津事業所で製造された電車を各車両基地への配給運搬、廃車解体場である長野総合車両センターへの廃車回送を受け持つ。
- 双頭連結器以外にも機関車にブレーキ読替指令装置を搭載しその指令で電車側のブレーキ機器も動作させるジャンパ栓が装備されている(209系以降の電気指令式ブレーキ搭載車のみ使用)。
EF81 134・136・139・140・141・151- 139は田端運転所所属で関東圏の電車等の回送業務に使用されている。また136は秋田車両センター所属で、701系(標準軌専用の5000番台は除く)・E751系電車が郡山総合車両センターで検査する際の牽引機などに使用される。郡山総合車両センター出入場の際の回送ルートは、奥羽本線 - 羽越本線 - 上越線 - 高崎線 - 武蔵野線 - 常磐線(田端経由) - 東北本線となるが、これは東北新幹線八戸延伸で東北本線八戸駅 - 盛岡駅間が青い森鉄道、IGRいわて銀河鉄道となり、この区間を通過する場合に線路使用料が発生する為であることと同センター所属車がATS-P形及びデジタル無線を装備していないために、関東圏内を自走することができないためである[要出典]。
- 134・140・141・151は、JR東日本長岡車両センター所属。139・140・141・151は、秋田総合車両センターへ入場した際に装着された[31][32]。
- 151は134・140・141に装備されているATS-P形とデジタル無線を実装していないため、関東圏内に乗り入れることはできない。従って、151が牽引する電車の配給運搬は、直江津駅などから秋田総合車両センターへ向かう時のみに充当となる。
- EF64形同様に電車牽引に必要なジャンパ栓を装備する。またその関係でスカート周辺やスノープラウの形状が一般車と異なる。
- ディーゼル機関車
DE10 1099・DE11 1031・1035- JR東日本宇都宮運転所所属
大宮総合車両センターに常駐しており、同センターに入場中の車両の入換を担当する。
- 気動車
キハ183系1000番台車
JR九州熊本鉄道事業部熊本車両センター所属- かつては「オランダ村特急」として485系電車特急「有明」との協調運転が行われていたため先頭部に装備されている。
- 現在では「あそぼーい!」として運用されており、電車との連結運転を行っていないが、連結器は交換されていない。
客車
マニ50 2186- JR東日本水郡線営業所所属
- 「リゾートエクスプレスゆう」用電源車、電車の配給輸送等でも使用される。
事業用車- 軌道検測車マヤ34形客車
- 総合検測車443系電車・E491系
牽引車クモヤ143形50番台- 郵便・荷物合造車クモユニ143-1・3
- 軌道検測車マヤ34形客車
- 貨車
大井川鐵道cワフ0形
車両限界の小さい井川線用の緩急有蓋車であるが、貨物列車や井川線車両の新製・改造・整備の際に、一般的な地方鉄道の規格である大井川本線へ直通するため、車掌室側に特殊な双頭式連結器を備えている。- 双頭式で90度回転するという点は国鉄・JRの例と同じであるが、こちらは井川線車両用の小型自動連結器と、大井川本線・JR線同様の一般的な並形自動連結器の2種に対応するものである。
- 2つの連結器取付高さが本線用は通常の880mmに対し、井川線用小型が640mmと低位置となる。従って上下並行して取付ると干渉してしまうためにオフセットした状態で90度直交した特異な双頭形状になっている。同形式は製造された4両全車が健在だが、うち2・3は井川線専用に改造されこの連結器を取り外している。
なお、全車廃車となり車籍はすでに抹消されているが、EF63形の保存車両のすべてが装着されたままの状態である。
棒連結器(永久連結器)・半永久連結器
共に、動力車(2両1ユニット式の電車、2車体永久連結式の電気機関車等)の組み合わせなど、固定編成を組む車両を最小の単位で組成する場合、車両基地での整備等で組み合わせを解除しないことを前提に使用される連結器である。
棒連結器は連結器自体を外さないと編成を分割することができないが、半永久連結器は互いを締結しているボルト・ナットを外す事により編成を分割する事が可能である。
車両基地では車両単位での移動を容易に行うため、半永久連結器に上の画像のようなアダプターを取り付ける事がある。
緩衝装置
緩衝装置(かんしょうそうち)は、連結器と車体の間に介在して車両間の衝撃・動揺を緩和する装置である。連結時の衝撃を吸収する働きに加えて、発車・停車時、また運転中の加減速時などに発生する車両間の圧縮や引張を吸収して、車両の前後動を緩和する働きもある。
引張力・圧縮力の両方に対応させるものが標準であるが、圧縮力のみに対応するものもある。
さまざまな原理が用いられる。日本では金属のコイルばねによる単純ばね式、クサビの摩擦力でエネルギーを放出させる引張摩擦装置、軽量で大きな力を受けられる輪ばねによる輪ばね式緩衝装置、油圧を利用する油圧緩衝装置などを経て、ゴムによるゴム緩衝装置が主流として用いられているが[2]、他にもシリコンを用いたシリコン緩衝装置が用いられている。
ゴム緩衝装置は、連結器の後部にある枠継手の中に、ゴムを鋼板にモールド加工したゴムパッドを必要枚数を重ねたゴム緩衝器の両端に伴板を挿入した構造であり、車両側の下部にある台枠の中梁(なかはり)に取付けられた伴板守(ともいたもり)にゴム緩衝装置の両端の伴板(ともいた)が当たる形で支持されて取付けられている。引っ張りの場合は、ゴム緩衝装置の前の伴板が、圧縮の場合は、ゴム緩衝装置の後の伴板が伴板守に当たることで、ゴム緩衝器に圧縮力が働き、衝撃エネルギーを吸収するもので、ゴムパッドは、吸収する衝撃エネルギーの大小や用途により、寸法や形状や枚数(段数)が選択される。
シリコン緩衝装置は、シリコンコンパウンドが密封されているシリンダー内にわずかに小さいピストンが挿入されている構造であり、ピストンに結合されているピストンロッドの周囲には戻しゴムが併備され、ピストンロッドとは受圧板で繋がっている。受圧板に衝撃が加わると、ピストンロッドを介してピストンがシリコンを押して圧縮され、シリコンがピストンとシリンダー内壁の隙間を流れている時に発生する摩擦力と圧力により衝撃エネルギーを吸収するもので、戻しゴムはピストンの戻し作用に使用される。これは、主に大型貨車で使用されている。
なお、日本の鉄道(特に客車)の車両間の衝撃が大きいことが、ヨーロッパのようなねじ式連結器および緩衝器の方式が自動連結器よりも優位であることの論拠とされることもあるが、同様の自動連結器を採用するアメリカ、オーストラリアに比較しても日本の状況は悪く、実際には緩衝装置の水準が低いためとされる[33]。
付帯設備
電気連結器
先頭車両には、上記の機械的な連結器に加えて、車両の電気的結合を目的として電気連結器(電連と略される事もある)が装備される。車両間での各種機器制御(力行・ブレーキ・車内放送・空調やモニタ装置)に用いるもので、従来は連結器横にあるジャンパ線を介していたが、連結・解放の際に車両間に降りてジャンパ線の接続・解除をする必要があり、迅速な連結・解放作業の障害になっていた。多くは連結器直下(新幹線は直上)に取り付けられており、連結されていない状態では電極保護のためカバーが掛かっている。連結時にはお互いのカバーを開く棒が押し込まれて自動的に電極が接触する。一般的に、電気連結器は遊間のない密着連結器と併用される。
自動連結器を標準としていた名古屋鉄道では、M式自動解結装置と称して小型密着自動連結器と電気連結器を併用し、密着自動連結器の連結後に電気連結器本体を迫り出して連結させることで連結時の接点破損を防止するシステムを1975年に開発し、1976年以降実用化している。同じ機構は東日本旅客鉄道(JR東日本)の新幹線直行特急用車両にも新幹線用密着連結器との組み合わせで採用されている。
また、密着自動連結器の密着性を利用して従来の密着連結器相当の電気連結器を使うものは、1978年に国鉄がキハ181系で採用したが、そのものではなく搭載したDML30HS系エンジンの問題のために、後に続かなかった。
一方、イギリスでは密着自動連結器に電気連結器を装備する事はよく行われている。
ブレーキ用内蔵空気管を持たない密着自動連結器のため、改良型では空気管の自動解結機能も追加されている。通常は各連結部に一つずつ搭載しているが、東武30000系などの一部の形式では、連結相手の車種によって電気連結器の種類が異なる場合は、一か所につき複数搭載していることがあり、一部のJRの車両、また近鉄のシリーズ21や新型汎用特急車や阪神の近鉄乗り入れ車両には2段式の電気連結器も搭載していることもある。
電気連結器付き密着連結器
解放時
電気連結器付き密着連結器
連結時
名古屋鉄道M式自動解結装置付き密着自動連結器
左が可動側
同M式自動解結装置付き密着自動連結器
非連結時
電気連結器付密着自動連結器
イギリス Class319
電気連結器付密着自動連結器
イギリス Northern-321901
2段式電気連結器付き密着連結器
車端ダンパ
緩衝装置が遊間衝動を吸収するのに対し、車端ダンパは車体の動きを抑える減衰器である。日本国有鉄道では、1958年(昭和33年)に登場した高速車両(20系特急形電車)で最初に採用された。オイルダンパ(油圧式ダンパー)本体は車両の妻面上部に取り付けられる。また、直流形電車は向かって右側・交直流電車は向かって左側に取り付けられる。隣合う車両を高い位置で結ぶことで、ロール方向の不要な揺れが抑えられ、乗り心地が改善される。
自動車のカンチレバー式ショックアブソーバーと同じ構造で、ダンパボディーからは左右に動くアームが上方向に出ている。アームに外力が加わると、それにつながったダンパ内部のピストンによって油が移動し、その油がオリフィス(絞り弁)を通過する際に発生する抵抗で減衰力が発生する。隣の車両のダンパとは、貫通幌の上部の連結棒で結ばれているが、ダンパアームの回転面に対し斜めにつながれているため、アームには抵抗となるレール方向(前後方向)の力も若干発生する。
車体間ヨーダンパ
車体間緩衝装置の一種で、車端ダンパ(ロールダンパ)が枕木方向に作用するのに対し、ヨーダンパはレール方向に作用する。
車両連結面の左右に、車体前後の中心線に平行(レール方向)に装着される。隣合う車両ごとの自由な動きを抑え、連結器の脇に配することで、若干の曲線通過性能は犠牲にするかわりに、特にヨーイング(蛇行)の吸収に効果があり、高速時の車体安定性と乗り心地に寄与する。
自動連結器化
日本
背景
日本では19世紀の鉄道開業時にイギリスの技術を導入したことにより、ねじ式連結器が明治から大正末期まで標準として使用されていた。ただし北海道のみはアメリカからの技術供与を受けて鉄道が発展したため、当初からシャロン式やアライアンス式、あるいはクライマックス式といったアメリカ製の自動連結器を多数採用しており、一部存在したねじ式連結器装備車も1909年(明治42年)までに自動連結器化されている。
ねじ式連結器は、連結・解放作業に手間と時間がかかった。また、狭い場所での作業となることや、車両が転動することにより、連結手が圧死・轢死するなど、死傷事故が多発した。特に狭軌の日本の鉄道においてはバッファー間隔が狭く、非常時の逃げ場がないことが死傷事故の被害を拡大した。1916年(大正5年)ごろの調査でも年間527名の死傷者が出て、かつそのほとんどが死亡であったという[1]。加えて連結器の強度が低く、良質の材料によるフック・リンクを用いても重量級列車の編成には制約がつきまとい、列車の輸送量を増やす妨げともなっていた。さらに上述のような複式連結を用いていたため一方に螺旋、他方に連環連結器が向かい合わせでないと連結できないが[注釈 7]、車両の運用経過によって同じ連結器が向かい合った場合には連結ができなくなり、車両を転向するか連結器の付替をしなければならず大変な手間がかかった[5]。1916年の調査でも連結器の付替が月間平均93530件にのぼっている[1]。
また、ねじ式連結器は自動連結器と比べて勾配に弱く、塩狩峠では峠の頂上付近で客車の連結が外れて暴走する事故が起き、死者を出しているのも理由の1つだとされる。
実施
これらの問題を克服するため、日本の鉄道院は1919年(大正8年)から全国の機関車・客貨車の自動連結器化を計画した。5年に渡って綿密な準備作業や交換練習が重ねられ、作業チーム1組が毎時2両分の連結器交換をできるまでになった。また車両の台枠端部には定期的な修繕の機会を利用して強化改造が施され、全国を常に移動する貨車については、前後2個分の自動連結器を台枠下に取り付けた木枠にぶら下げて、全国どこにいても連結器交換が可能な態勢を整えた。この「腰弁当」方式は島安次郎の考案という説、或いは鉄道省車両課客貨車係長の小山磐の考案という説がある。
この時点で自動連結器の国産化は実現しておらず、アメリカから北海道向けに導入済みのシャロン式連結器を追加輸入せねばならなかったが、当時鉄道省車両課長で連結器交換計画にも携わった朝倉希一によれば、後発で営業活動のあったアライアンス式連結器の並行導入を決定したところ、シャロン式の納入価格も競合で下がり、結果的にコストダウンにつながったという。
交換日については、統計上、年間で最も輸送需要が少ない時期が選ばれた。1925年(大正14年)7月初旬から予備車・固定編成車両を中心に交換が始まったが、大多数の車両は特定の一日を一斉交換日とした。本州が主に7月17日、九州が7月20日である。
交換日当日、連結器未交換の機関車・客車はその日の終着駅で交換工事を施した。両数が膨大な貨車については、交換日当日に貨物列車を24時間全面運休させるという異例の特別措置が採られた。総動員された鉄道関係者らの手で、夜明けから日没までの間に突貫作業が進められ、ねじ式連結器は一斉に自動連結器に交換された。
この時連結器交換を受けた車両は、機関車が約3,200両、客車が約9,000両、貨車に至っては約46,000両に上る。これらの車両が装備する、計10万個以上の連結器を、半月ほどの間に全交換することに成功したのであった。北海道は前述のようにアメリカとの繋がりが強く本州以前から自動連結器を採用していたため、北海道の国鉄線の車両については連結器の取付け高さを本州の車両のそれと同一にする調整(660mmから878mmへ)のみが1924年8月13~17日に済まされ[34]、本州の連結器交換によって青函連絡船での車両航送による貨車直通が実現した[35]。完全に孤立している四国の国鉄線については一斉交換の対象とせず、1926年(大正15年) - 1927年(昭和2年)まで交換が繰り延べられた[36]。
他国との比較
鉄道省による連結器一斉交換工事は、世界的に見ても非常に大胆な試みであり、牽引力や安全性の向上、省力化や作業時間短縮などのメリットを産んで高く評価されるものである。日本が国外との鉄道直通がない島国であり、なおかつ連結器交換以前に主要幹線鉄道の国有化が済んでいたことが、連結器交換実現の背景にある。ヨーロッパでは国際列車が多数運行されているため、各国の相互調整が困難であり、ねじ式連結器の弱点を知悉しながら、2017年現在に至るも自動連結器への本格的移行には至っていない。
その一方で、独立した緩衝器(バッファーもしくはそれに代わるもの)が採用されず、また採用時期の関係で遊間の大きいタイプの自動連結器が採用されたため、連結器が関係する乗り心地の面では、日本の客車列車は欧州の車両に劣るという評価が少なくない。日本以外で自動連結器を採用している国では、ロシアなどのように自動連結器を用いていてもバッファを併設している例がある。またこのことが、連結器への負担が少ない動力分散方式(電車・気動車)が普及する一端になったともされる。
非国鉄線
多くの鉄線車両についても自動連結器化の対象となり、国鉄直通車は国鉄とほぼ同時に交換、その他の車両も1927年頃までに交換が行われた[37]。しかし、国鉄線との直通自体がない路線では後年までねじ式連結器を用いた例も少数残存した[注釈 8][38]。国鉄線でも、新宮鉄道買収線で孤立した路線の紀勢中線(現・紀勢本線の一部)は1940年(昭和15年)の紀勢西線延伸・連絡で孤立が解消されるまで、買収以前からのねじ式連結器を用いていた[39]。
日本の一般営業路線で最も遅くまでねじ式連結器を用いた例は762mm軌間の軽便鉄道であった下津井電鉄で、1990年(平成2年)の同線廃止まで用いられた電車の1両であるモハ1001号は、簡易式連結器(後述)の下部に、開業以来の保線用貨車を牽引するため、ねじ式連結器を併設していた。下津井電鉄では開業の時点で2基のバッファーを備えるねじ式連結器を採用しており、貨車については電化後もねじ式のまま全線廃止まで維持された。ただし、同社では連環連結器と螺旋連結器を併用するのが正規の連結手順であったが、路線短縮後は貨車の使用が保線用に限られたためもあってか、ほとんどの場合連環連結器のみを使用して螺旋連結器を使用しなかった。また、下津井は1927年の単端式気動車導入時にピン・リンク式連結器を気動車専用(軽量化の必要から、バッファーが重いねじ式は忌避された)として導入し、さらに1930年代に入り2軸ボギー式大型ガソリンカーを導入した際には簡易式連結器を導入してピン・リンク式連結器を駆逐、これを気動車→電車の標準連結器として路線全廃まで使用している。
タイ王国
背景
1897年3月26日クルンテープ駅 - アユタヤ駅間 (71.08km) が開業し、タイ国有鉄道の歴史が始まった。この時採用された連結器は「ねじ式連結器」であった。その後タイ国鉄は急速に発展し、東北線、北線(軌間はいずれも1435mm)と路線を延伸していった。次の幹線である南線(この段階では従来の路線とは、接続されておらず又、その計画も無い独立路線であった。南線の軌間は1000mmで建設されており、従って車両も相互の行き来がなかったし、したくても軌間が違う為不可能であった。)が 1903年6月19日に開業した。この線で採用された連結器は「ABC式(フック式)連結器」であり、タイ国鉄は2種類の連結器と2種類の軌間を使用していくことになる。その後1920年から10年がかりで、軌間の統一化工事が行なわれた[40](全線で1000mm軌間にした)。この際「ねじ式連結器」もすべて「ABC式連結器」に変更された[41]。又南線と北線が1927年に、チャオプラヤー川に掛けられたラーマ6世橋によって結ばれた(軌間及び連結器の統一化が、大いに寄与することになった)。以上の経緯よりタイ国鉄の車両はすべて「ABC式連結器」、1000mm軌間となったが欠点が無かったわけではなかった。
- 連結の際には、フックを降ろさねばならない。(作業者が車両間に入る為危険度が高い)
- 解放の際には、フックを上げなければならない。(作業者が車両間に入る為危険度が高い)
- 走行時の振動等でフックが外れ、列車分離が発生する事がある。
- 連結器の強度上の問題により、牽引定数が少ない(300t程度、2軸貨車で15両程)。この為山間部では列車を分割し登って行く。
以上の諸問題解決の為自動連結器化が採択された。
実施
これらの弊害を克服するため、1957年末より路線毎に車歴30年未満の車両、合計5,745両に対して自動連結器への交換が実施された。実施に当たり、日本の実績を参考にするため国鉄技師を日本で学ばせた。路線は北線、東北線、南線の順に行われ1960年に約3年がかりの自動連結器交換作業が完了した[42]。
結局タイでの連結器交換は、「ねじ式連結器」から「ABC式連結器」、「自動連結器」へと2回の交換が行われ今日に至っている。
尚タイ国鉄は、西日本旅客鉄道(JR西日本)より鉄道車両(キハ58系気動車、12系客車、14系客車、24系客車)の譲渡を受け軌間変更の改造は行う必要があったが、連結器そのものは交換することなく使用されている。
注釈
^ 森林鉄道・産業鉄道用小型機関車では、一般に連結器本体を取り外しても台枠に落とし込みピンとリンクに対応したスリットがあるため連結可能であるが、この場合は急曲線通過を容易にするために首振り可能なこの連結器を併用している。
^ 採用路線の来歴(鞆軽便鉄道の発起人のなかに雨宮亘がいた)などから大日本軌道の関与の可能性が指摘されている[7]。
^ 他には熱海鉄道や信達軌道の蒸気機関車、堀之内軌道運輸など。
^ 同時に開発されたNCB-I形は上述の並形規格の密着自動連結器。
^ 例として、JR北海道キハ281系気動車・JR東日本100系/110系気動車・JR東海キハ75系気動車・JR西日本キハ187系気動車・JR西日本キハ121系気動車・JR西日本キハ126系気動車・JR西日本キハ122系気動車・JR西日本キハ127系気動車・JR四国1200形気動車・JR四国1500形気動車・JR四国2000系気動車・JR九州200系気動車・JR九州キハ72系気動車・JR東日本E26系客車の中間部などに採用された。また、JR北海道キハ201系気動車は731系電車との協調運転による併結前提で製作されたため、必然的に密着連結器を採用している。
^ 銚子電鉄1000形電車は、回送時に他系列の電車や機関車と連結するほか、自動連結器を装備したトロッコ客車ユ101澪つくし号を牽引・営業運転を行う際にも中間連結器を装着する。
^ そのため路線毎に連結器の方向が決められていた。客貨車螺旋連結器取付方向の件『運転保安信号規程全集』1913年(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 宮崎交通線は1949年からの国鉄車両直通まで使用し、淡路鉄道は電車化(1948年)以降も貨車はそのまま、静岡鉄道秋葉線は廃線(1962年)まで、貝島大之浦砿専用線では線内専用車についてはねじ式を閉山(1976年)まで使用した。また、静岡鉄道デワ1形は少なくとも1974年時点でねじ式連結器を装備していた。
出典
- ^ abcde電気車研究会『鉄道ピクトリアル』1975年7月号 No.308 特集 自動連結器一斉取替記念号、1975年、6-12、15頁
- ^ abc久保田博『鉄道車両ハンドブック』グランプリ出版、1997年、219、252-258頁
^ 島安次郎「本邦鉄道車両の牽引及緩衝装置」『帝国鉄道協会会報』9巻、1908年、100-157頁
^ 「鉄道建設規程集 緩衝器及連結器」1912年(国立国会図書館デジタルコレクション)- ^ abc青木栄一「わが国の鉄道における初期の客車の変遷について」『都留文科大学研究紀要』第3集、1966年、20-64頁
^ 『あけのべの一円電車』レイルロード、1988年、32-37頁- ^ ab湯口徹『レイルNo30 瀬戸の駅から(下)』プレスアイゼンバーン、1992年、89-90頁
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^ Eli Janney — The Janney Coupler
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^ 石本祐吉「連結器-鉄道車両を「つなぐ」」『日本機械学会誌』Vol.110 No.1066、2007年、700-701頁
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^ 林(1954)前掲。国鉄ではこのクラスを要する客車の車体側緩衝装置が未対応であったため、採用は派生型である後述の小型密着自動連結器が、気動車向けおよび私鉄電車向けに先行した。
^ 湯口徹「気動車意外譚 (10) 気動車の連結器」『鉄道史料』No100、2000年
^ 1931年4月6日実用新案広告。湯口徹「日本の内燃動車」p43(2013年 成山堂書店)
^ 1931年11月17日出願、1933年1月19日実用新案公告。実用新案としての登録名は「自働連結器」。江若鉄道キニ9形で採用され、以後、加悦鉄道、池田鉄道、淡路鉄道、中国鉄道(津山線・吉備線の前身)の気動車に採用例がある。湯口徹「内燃動車発達史(下巻 戦前メーカー編)」p200-202(2005年 ネコ・パブリッシング)による。
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^ 当時の青函連絡船では、貨車搭載可能な車両渡船「翔鳳丸型」の建造・導入が連結器交換に先行して進められており、翔鳳丸型連絡船は1924年中に計画された4隻すべてが就航した。また車載用可動橋を備えた新たな桟橋も1925年の連結器交換に相前後して完成した。
^ 『帝国鉄道年鑑』 帝国鉄道協会、1928年、273-274頁
^ 「地方鉄道車両並私有貨車」『鉄道車輛ノ連結器ヲ自動連結器ニ取替ニ関スル記録 : 大正14年7月実施』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 寺田裕一『ローカル私鉄車輌20年 路面電車・中私鉄編』P137の写真より1974年時点でねじ式連結器であることが確認できる。
^ 電気車研究会『鉄道ピクトリアル』1962年2月号 No.127 73頁 この事情から、他地域から紀勢中線に搬入された車両についても、自動連結器からねじ式連結器への変更が実施された。
^ 『王国の鉄路 タイ鉄道の歴史』(柿崎一郎著、京都大学学術出版会、2010年)79頁
^ 『王国の鉄路 タイ鉄道の歴史』(柿崎一郎著、京都大学学術出版会、2010年)180頁
^ 『王国の鉄路 タイ鉄道の歴史』(柿崎一郎著、京都大学学術出版会、2010年)182頁
参考文献
- 伊原一夫 『鉄道車両メカニズム図鑑』 グランプリ出版、1987年 ISBN 4906189644
- 久保田博『鉄道工学ハンドブック』グランプリ出版、1995年
- 『王国の鉄路 タイ鉄道の歴史』(柿崎一郎著、京都大学学術出版会、2010年)
関連文献
- 久保田博 「第13章 自連への一斉取替え」『日本の鉄道史セミナー』 グランプリ出版、2005年5月18日、初版、pp. 103-108。ISBN 978-4876872718。
1925年7月18日 大阪朝日新聞「汗みづくの菜葉服で全国にハンマーの響き 鉄道総動員の大作業 きょう早朝から一斉に連結機の取替 積み上げられた金物の山」(神戸大学附属図書館新聞記事文庫)
関連項目
- 連接台車
- アクティブサスペンション
- セミアクティブサスペンション
- 鉄道信号機
- 増解結
- ジャンパ連結器
外部リンク
製品情報/交通産機品/連結器 - 新日鐵住金
鉄道製品の歩みと将来展望 - 日本製鋼所
製品案内(列車自動連結解放システム) (アーカイブ所収) - ユタカ製作所