東京優駿

























東京優駿 (日本ダービー)
Tokyo Yushun (Japanese Derby)[1]

2018-Japanese Derby.jpg
第85回東京優駿
(優勝馬・ワグネリアン(鞍上:福永祐一))

開催国
日本の旗 日本
主催者
日本中央競馬会
競馬場
東京競馬場
創設
1932年 (昭和7年)4月24日[2]
2017年の情報
距離
芝2400m
格付け
GI
賞金
1着賞金2億円
出走条件
サラ系3歳牡馬・牝馬 (国際) (指定)
負担重量
定量 (牡57kg、牝55kg)
出典
[3][4]
テンプレートを表示

東京優駿(とうきょうゆうしゅん、日本ダービー)は、日本中央競馬会 (JRA)が東京競馬場で施行する中央競馬の重賞競走 (GI)である。


正賞は内閣総理大臣賞・日本馬主協会連合会会長賞・東京馬主協会賞、朝日新聞社賞 (騎手賞)[3][4]




目次





  • 1 概要


  • 2 解説

    • 2.1 名称


    • 2.2 位置づけ


    • 2.3 国際的評価



  • 3 競走条件

    • 3.1 優先出走権



  • 4 賞金


  • 5 歴史

    • 5.1 年表


    • 5.2 歴代優勝馬



  • 6 東京優駿の記録


  • 7 参考文献

    • 7.1 本文参考文献



  • 8 脚注・出典

    • 8.1 注釈


    • 8.2 出典

      • 8.2.1 各回競走結果の出典




  • 9 関連項目


  • 10 外部リンク




概要


1932年 (昭和7年)にイギリスの「ダービーステークス」を範として、目黒競馬場にて創設[5]。後に創設された皐月賞・菊花賞とともに「三冠競走」を構成するほか、4歳 (現3歳)牝馬による桜花賞・優駿牝馬 (オークス)を含めて「クラシック競走」とも総称される。第3回より施行場を現・東京競馬場 (府中)に変更したほかは、開催地・距離ともに変更されていない[5]。本競走を優勝することは、日本の競馬に関わる全ての関係者 (ホースマン)が憧れる最高の栄誉とされている[5]。距離は第1回から2400米 (≒ 1mi 4 f)である。


一般的には副称の「日本ダービー」が知られている。この「ダービー (Derby)」は1780年にイギリスでダービーステークスを創設した第12代ダービー卿のエドワード・スミス・スタンレーに由来[5]し、現在は「競馬の祭典」として競馬ファン以外にも広く知れ渡っている[5]


1973年 (昭和48年)までは日本国内の最高賞金競走だった[注 1]。その後はジャパンカップ・有馬記念に次ぐ賞金額となった[6][7][8]


なお、2014年度からは「ダービー馬連」と題して、当競走を含む当該週(2018年は当日のみ)の中央競馬開催全競走を対象に、馬番連勝複式の勝ち馬投票券の5%相当額を、払戻金に還元するキャンペーンを行っている[5]



解説





名称


1950年より「 (日本ダービー)」の副称が付けられている[5][注 2]


東京日日新聞 (毎日新聞の前身)や読売新聞では1932年 (昭和7年)の第一回から日本ダービーの名称が使われている。1932年 (昭和7年)4月25日の東京日日新聞3面では記事見出しで『日本ダービー 晴れの駿馬十九頭』と書き、読売新聞では昭和7年以降の記事見出しで日本ダービーの呼称はたくさん使っている。逆に朝日新聞では1949年までは記事見出しには日本ダービーの呼称は使っていない[9]


JRAが配布するレーシングプログラムや競馬新聞などでは1950年 (昭和25年)以降、重賞回次を示す場合は副称に冠して「東京優駿 (第〜回日本ダービー)」の形で、また重賞回次なしの場合は「東京優駿 (日本ダービー)」と表記されている[10]。一般紙では知名度の高い副称を前面に出し、「日本ダービー (東京優駿)」とも表記される。



位置づけ


皐月賞は「最も速い馬が勝つ」、菊花賞は「最も強い馬が勝つ」といわれるのに対し、本競走は「最も運のある馬が勝つ」といわれる[注 3][5]


日本の競馬における本競走の位置づけは特別で、創設期には国内に比肩のない大競走であり、その後競走体系の整備が進むにつれて「二大競走」「五大競走」「八大競走」等と称されてきたが、常にその中核をなし国内での最高賞金競走となっていた。後に創設されたジャパンカップに国内最高賞金は譲ったが、2017年 (平成29年)現在は日本ではジャパンカップ、有馬記念に次いで3番目の高額賞金競走である。競走の格付も1984年 (昭和59年)のグレード制導入当初から最高の「GI」に格付けされたが、専ら外国の馬[注 4]に対する出走制限を理由に国際統一規格に基づく格付から外れ、格付表記も国内ローカル扱いの「JpnI」と改められた[注 5]。その後、2010年 (平成22年)から外国調教馬も出走可能な国際競走となったことで正式に国際格付が認められ、格付表記も「GI」に戻された。


近年は本競走を頂点とする従来の国内の競走体系から様々な距離体系などカテゴリーごとにチャンピオンを選別する体系に遷移しており、必ずしも全ての競走馬が本競走を目指すという状況は薄まりつつある。しかし、1年間の競馬を象徴するときにもしばしば本競走の優勝馬が挙げられるように、日本競馬界の象徴であり最大級の目標であるという点については創設以来の価値を保っている。



国際的評価


世界の競馬開催国は国際セリ名簿基準委員会 (ICSC)によってパートIからパートIVまでランク分けされており、2016年時点で日本は平地競走が最上位のパートI、障害競走はパートIVにランク付けされている[11]


また、各国の主要な競走は国際的な統一判断基準で評価されており、競馬の競走における距離別の区分法として定着しているSMILE区分によると、東京優駿 (日本ダービー)は「Long (2101m - 2700m)」に分類される。国際競馬統括機関連盟 (IFHA)が公表した2016年 (平成28年)の年間レースレーティング[注 6]の平均値に基づく「世界のトップ100GIレース」によると、東京優駿 (日本ダービー)は全体の24位にランキングされた。「Long (2101m - 2700m)」のカテゴリーからランクインした外国の競走との比較では、コロネーションカップ (21位)に次ぐ評価となっている[12][1]



競走条件


以下の内容は、2017年現在[3][4]のもの。


出走資格:サラ系3歳牡馬・牝馬 (出走可能頭数:最大18頭)


  • JRA所属馬

  • 地方競馬所属馬 (後述)

  • 外国調教馬 (9頭まで、優先出走)

負担重量:定量 (牡馬57kg、牝馬55kg)


  • 第1回は別定重量。第2 - 8回は牡55kg、牝53kg。第9 - 13回は牡57kg、牝55.5kg[2]

未勝利馬 (収得賞金が0の馬)に出走権は与えられない。ただし、青葉賞3着、プリンシパルステークス2着に優先出走権が与えられていた時は、青葉賞およびプリンシパルステークスで優先出走権を得た場合は収得賞金が0であっても東京優駿の出走資格を得ることができた。


出馬投票を行った馬のうち優先出走権のある馬から優先して割り当て、その他の馬は通算収得賞金が多い順に出走できる。なお、出馬投票の結果同順位の馬が多数おり出走可能頭数を超過した場合は、抽選で出走馬を決める[13]



優先出走権


出馬投票を行った外国馬は、優先出走できる[13]


JRA所属馬は同年に行われる下表のトライアル競走で所定の成績を収めた馬に、優先出走権が与えられる[13]






















競走名格・条件競馬場距離必要な着順
皐月賞GI
日本の旗中山競馬場
芝2000m5着以内
青葉賞GII
日本の旗東京競馬場
芝2400m2着以内
プリンシパルステークスオープン東京競馬場芝2000m1着馬

地方競馬所属馬は上記のトライアル競走で所定の成績を収めた馬、および京都新聞杯の2着以内馬に優先出走権が与えられ[13][14][5]、NHKマイルカップの2着以内馬、またはJRAで行われる芝の3歳重賞競走優勝馬も出走申し込みが可能となっている[14]



賞金


2017年の1着賞金は2億円で、以下2着8000万円、3着5000万円、4着3000万円、5着2000万円[4]


1着賞金の2億円は、ジャパンカップ、有馬記念の3億円に次いで、日本の競馬では3番目の高額賞金競走である[8][注 7]。優勝騎手 (JRA所属騎手に限る)には2015年に新設されたワールドオールスタージョッキーズへの優先出場権が与えられる[17][18][19]



歴史






1932年の第1回東京優駿大競走 (右・ワカタカ 左・オオツカヤマ)


日露戦争で内外の軍馬の性能差を痛感した政府によって国内では産馬育成が奨励されたが、1908年 (明治41年)に馬券の発売が禁止されると馬産地は空前の大不況に見舞われた。大正時代中期より産馬業者から東京競馬倶楽部会長の安田伊左衛門に対し「イギリスのクラシック競走であるダービーステークスのような高額賞金の大競走を設けて馬産の奨励をしてほしい」という意見があり、予てからの自身の構想と合致すると考えた安田は[注 8]馬産の衰退を食い止める手段としてイギリスのエプソム競馬場のダービーステークスを範し、


  1. 4歳 (現3歳)牡馬・牝馬の最高の能力試験であること。

  2. 競走距離が2400m、又は2400mに限り無く近いこと。

  3. (開催国で催される競馬の)最高の賞金額を設定すること。

  4. 2歳 (現1歳)秋から4回の出走登録を出走資格の条件とすること。


  5. 負担重量は馬齢重量とすること。

  6. 施行時期は原則的に春季とすること。

  7. 以上1から6を満たす競走は国内において本競走のみとすること。

という7つの原則のもと、4歳 (現3歳)牡馬・牝馬限定の「東京優駿大競走」を創設することを1930年 (昭和5年)4月24日に発表[20]、初回登録は同年10月に行われ、牡92頭・牝76頭の計168頭が登録。第1回は1932年 (昭和7年)4月24日に目黒競馬場 (東京競馬場の前身)の芝2400mで施行された。第1回の競走の模様は発走前の下見所の様子から本馬場入場、表彰式に至るまで全国へラジオ中継された[21]


優勝馬の賞金は1万円、副賞として1500円相当の金杯のほか付加賞13530円が与えられ合計で2万5000円ほどとなった[21]。従来の国内最高の賞金が連合二哩の6000円であったから賞金の額も飛び抜けて破格であり、折からの好景気も相まって幼駒の取引価格が跳ね上がった。


また、それまで日本国内では競走馬の年齢を出走資格に定めた競走の開催は限定的[注 9]であり2歳 (現1歳)からの定期的な登録を要件とする本競走の創設によって国内における競走馬の生産、育成、競走と種馬 (牡牝とも)選抜のサイクルに初めて明確な指針が与えられた。



年表


  • 1932年 - 4歳 (現3歳)牡馬・牝馬による「東京優駿大競走」を創設、目黒競馬場の芝2400mで施行[22][5]

  • 1933年 - 負担重量を定量 (牡馬55kg・牝馬53kg)に変更。

  • 1934年 - 施行場を東京競馬場の芝2400mに変更[5]

  • 1938年 - 名称を「東京優駿競走」に変更[5]

  • 1940年 - 負担重量を牡馬57kg・牝馬55.5kgに変更[23]

  • 1944年 - 能力検定競走として施行 (馬券発売なし)[24]

  • 1945年 - 太平洋戦争の影響により中止。

  • 1947年 - 戦後初の東京優駿競走を再開。牝馬の負担重量を55kgに変更[25]

  • 1948年 - 名称を「優駿競走」に変更[26]

  • 1950年 - 名称を「東京優駿競走」に変更、以降は競走名の後に (日本ダービー)がつく[5][10]

  • 1964年 - 名称を「東京優駿 (日本ダービー)」に変更[5]

  • 1984年 - グレード制導入、GI[注 10]に格付け。

  • 1993年 - 「皇太子殿下御成婚奉祝」の副称をつけて施行[2]

  • 1995年 - 指定交流競走となり、地方競馬所属馬も出走が可能になる[2]

  • 2001年 - 外国産馬が最大2頭まで出走可能となる[27]

  • 2007年 - 格付表記をJpnIに変更[28]。皇太子徳仁親王が東京競馬場に来場し、本競走を台覧[29]

  • 2010年

    • 国際競走に指定され、外国調教馬・外国産馬を合わせて最大9頭まで出走可能となる[30]

    • 格付表記をGI (国際格付)に変更[30]


  • 2014年 - 皇太子徳仁親王が東京競馬場に来場し、本競走を台覧[31]


歴代優勝馬




優勝馬の馬齢は、2000年以前も現行表記で揃えている。


コース種別の記載がない距離は、芝コースを表す。


競走名は第6回まで「東京優駿大競走」、第7回 - 第14回は「東京優駿 (第13回のみ能力検定競走として施行)」、第15回・第16回は「優駿競走」、第17回 - 第30回は「東京優駿競走」 (「日本ダービー」の副称を付ける)、第31回より「東京優駿 (日本ダービー)」[5]



























































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































回数開催日競馬場距離優勝馬性齢タイム優勝騎手管理調教師馬主
第1回1932年4月24日目黒2400mワカタカ牡32:45 2/5函館孫作東原玉造乾鼎一
第2回1933年4月23日目黒2400mカブトヤマ牡32:41 0/5大久保房松前川道平
第3回1934年4月22日東京2400mフレーモア牡32:45 2/5大久保亀治尾形景造土田荘助
第4回1935年4月29日東京2400mガヴアナー牡32:42 1/5井川為男布施季三高橋錬逸
第5回1936年4月29日東京2400mトクマサ牡32:42 1/5伊藤正四郎尾形景造山中清兵衛
第6回1937年4月29日東京2400mヒサトモ牝32:33 3/5中島時一宮崎信太郎
第7回1938年5月29日東京2400mスゲヌマ牡32:33 2/5中村広
千明賢治
第8回1939年5月28日東京2400mクモハタ牡32:36 1/5阿部正太郎田中和一郎
加藤雄策
第9回1940年6月2日東京2400mイエリユウ牡32:34 2/5末吉清石門虎吉石田一
第10回1941年5月18日東京2400mセントライト牡32:40 1/5小西喜蔵田中和一郎加藤雄策
第11回1942年5月24日東京2400mミナミホマレ牡32:33 0/5佐藤邦雄東原玉造池得次
第12回1943年6月6日東京2400mクリフジ牝32:31 4/5
前田長吉[注 11]
尾形景造
栗林友二
第13回1944年6月18日東京2400mカイソウ牡32:39 1/5橋本輝雄久保田金造有松鉄三
第14回1947年6月8日東京2400mマツミドリ牡32:35 0/5田中康三茂木為二郎松末博光
第15回1948年6月6日東京2400mミハルオー牡32:33 2/5新屋幸吉上村大治郎石川了吉
第16回1949年6月5日東京2400mタチカゼ牡32:33 4/5近藤武夫伊藤勝吉熊谷八郎
第17回1950年6月11日東京2400mクモノハナ牡32:44 2/5橋本輝雄鈴木勝太郎北竹清剛
第18回1951年6月3日東京2400mトキノミノル牡32:31 1/5岩下密政田中和一郎
永田雅一
第19回1952年5月25日東京2400mクリノハナ牡32:31 4/5八木沢勝美尾形藤吉栗林友二
第20回1953年5月24日東京2400mボストニアン牡32:34 3/5蛯名武五郎増本勇岡本治一
第21回1954年5月23日東京2400mゴールデンウエーブ牡32:34 4/5岩下密政藤本冨良川俣欣也
第22回1955年5月29日東京2400mオートキツ牡32:36 3/5二本柳俊夫大久保房松川口鷲太郎
第23回1956年6月3日東京2400mハクチカラ牡32:36 1/5保田隆芳尾形藤吉
西博
第24回1957年5月26日東京2400mヒカルメイジ牡32:31 0/5蛯名武五郎藤本冨良新田松江
第25回1958年5月25日東京2400mダイゴホマレ牡32:31 1/5伊藤竹男久保田金造醍醐幸右衛門
第26回1959年5月24日東京2400mコマツヒカリ牡32:38 1/5古山良司大久保房松小松重雄
第27回1960年5月29日東京2400mコダマ牡32:30.7栗田勝武田文吾
伊藤由五郎
第28回1961年5月28日東京2400mハクシヨウ牡32:30.2保田隆芳尾形藤吉西博
第29回1962年5月27日東京2400mフエアーウイン牡32:31.2高橋英夫松山吉三郎溝本儀三男
第30回1963年5月26日東京2400mメイズイ牡32:28.7森安重勝尾形藤吉千明康
第31回1964年5月31日東京2400mシンザン牡32:28.8栗田勝武田文吾
橋元幸吉
第32回1965年5月30日東京2400mキーストン牡32:37.5山本正司松田由太郎伊藤由五郎
第33回1966年5月29日東京2400mテイトオー牡32:31.1清水久雄増本勇北村平三郎
第34回1967年5月14日東京2400mアサデンコウ牡32:30.9増沢末夫藤本冨良手塚栄一
第35回1968年7月7日東京2400mタニノハローモア牡32:31.1宮本悳戸山為夫
谷水信夫
第36回1969年5月25日東京2400mダイシンボルガード牡32:35.1大崎昭一柴田寛高橋金次
第37回1970年5月24日東京2400mタニノムーティエ牡32:30.0安田伊佐夫島崎宏谷水信夫
第38回1971年6月13日東京2400mヒカルイマイ牡32:31.6田島良保谷八郎鞆岡達雄
第39回1972年7月9日東京2400mロングエース牡32:28.6武邦彦松田由太郎中井長一
第40回1973年5月27日東京2400mタケホープ牡32:27.8嶋田功稲葉幸夫近藤たけ
第41回1974年5月26日東京2400mコーネルランサー牡32:27.4中島啓之勝又忠久保谷唯三
第42回1975年5月25日東京2400mカブラヤオー牡32:28.0菅原泰夫茂木為二郎加藤よし子
第43回1976年5月30日東京2400mクライムカイザー牡32:27.6加賀武見佐藤嘉秋(有)三登
第44回1977年5月29日東京2400mラッキールーラ牡32:28.7伊藤正徳尾形藤吉
吉原貞敏
第45回1978年5月28日東京2400mサクラショウリ牡32:27.8小島太久保田彦之
(株)さくらコマース
第46回1979年5月27日東京2400mカツラノハイセイコ牡32:27.3松本善登庄野穂積桂土地 (株)
第47回1980年5月25日東京2400mオペックホース牡32:27.8郷原洋行佐藤勇ホース産業(株)
第48回1981年5月31日東京2400mカツトップエース牡32:28.5大崎昭一菊池一雄勝本正男
第49回1982年5月30日東京2400mバンブーアトラス牡32:26.5岩元市三布施正竹田辰一
第50回1983年5月29日東京2400mミスターシービー牡32:29.5吉永正人松山康久
千明牧場
第51回1984年5月27日東京2400mシンボリルドルフ牡32:29.3岡部幸雄野平祐二
シンボリ牧場
第52回1985年5月26日東京2400mシリウスシンボリ牡32:31.0加藤和宏二本柳俊夫
和田共弘
第53回1986年5月25日東京2400mダイナガリバー牡32:28.9増沢末夫松山吉三郎
(有)社台レースホース
第54回1987年5月31日東京2400mメリーナイス牡32:27.8根本康広橋本輝雄浦房子
第55回1988年5月29日東京2400mサクラチヨノオー牡32:26.3小島太境勝太郎(株)さくらコマース
第56回1989年5月28日東京2400mウィナーズサークル牡32:28.8郷原洋行松山康久栗山博
第57回1990年5月27日東京2400mアイネスフウジン牡32:25.3中野栄治加藤修甫
小林正明
第58回1991年5月26日東京2400mトウカイテイオー牡32:25.9安田隆行松元省一
内村正則
第59回1992年5月31日東京2400mミホノブルボン牡32:27.8小島貞博戸山為夫(有)ミホノインターナショナル
第60回1993年5月30日東京2400mウイニングチケット牡32:25.5柴田政人伊藤雄二
太田美實
第61回1994年5月29日東京2400mナリタブライアン牡32:25.7南井克巳大久保正陽
山路秀則
第62回1995年5月28日東京2400mタヤスツヨシ牡32:27.3小島貞博鶴留明雄横瀬寛一
第63回1996年6月2日東京2400mフサイチコンコルド牡32:26.1藤田伸二小林稔
関口房朗
第64回1997年6月1日東京2400mサニーブライアン牡32:25.9大西直宏中尾銑治宮崎守保
第65回1998年6月7日東京2400mスペシャルウィーク牡32:25.8武豊白井寿昭
臼田浩義
第66回1999年6月6日東京2400mアドマイヤベガ牡32:25.3武豊橋田満
近藤利一
第67回2000年5月28日東京2400mアグネスフライト牡32:26.2河内洋長浜博之
渡辺孝男
第68回2001年5月27日東京2400mジャングルポケット牡32:27.0角田晃一渡辺栄
齊藤四方司
第69回2002年5月26日東京2400mタニノギムレット牡32:26.2武豊松田国英
谷水雄三
第70回2003年6月1日東京2400mネオユニヴァース牡32:28.5M.デムーロ瀬戸口勉(有)社台レースホース
第71回2004年5月30日東京2400mキングカメハメハ牡32:23.3安藤勝己松田国英
金子真人
第72回2005年5月29日東京2400mディープインパクト牡32:23.3武豊池江泰郎金子真人
第73回2006年5月28日東京2400mメイショウサムソン牡32:27.9石橋守瀬戸口勉
松本好雄
第74回2007年5月27日東京2400mウオッカ牝32:24.5四位洋文角居勝彦谷水雄三
第75回2008年6月1日東京2400mディープスカイ牡32:26.7四位洋文昆貢
深見敏男
第76回2009年5月31日東京2400mロジユニヴァース牡32:33.7横山典弘萩原清
久米田正明
第77回2010年5月30日東京2400mエイシンフラッシュ牡32:26.9内田博幸藤原英昭
平井豊光
第78回2011年5月29日東京2400mオルフェーヴル牡32:30.5池添謙一池江泰寿
(有)サンデーレーシング
第79回2012年5月27日東京2400mディープブリランテ牡32:23.8岩田康誠矢作芳人(有)サンデーレーシング
第80回2013年5月26日東京2400mキズナ牡32:24.3武豊佐々木晶三前田晋二
第81回2014年6月1日東京2400mワンアンドオンリー牡32:24.6横山典弘橋口弘次郎
前田幸治
第82回2015年5月31日東京2400mドゥラメンテ牡32:23.2M.デムーロ堀宣行(有)サンデーレーシング
第83回2016年5月29日東京2400mマカヒキ牡32:24.0川田将雅友道康夫金子真人ホールディングス(株)
第84回2017年5月28日東京2400mレイデオロ牡32:26.9C.ルメール藤沢和雄
(有)キャロットファーム
第85回2018年5月27日東京2400mワグネリアン牡32:23.6福永祐一友道康夫金子真人ホールディングス(株)


東京優駿の記録


  • レースレコード - ドゥラメンテ (第82回、2:23.2)[33][34]

  • 最多勝利調教師 - 8勝

    • 尾形藤吉 (第3回・第5回・第12回・第19回・第23回・第28回・第30回・第44回)[35]


参考文献



本文参考文献




  • 「東京優駿 (日本ダービー)」『中央競馬全重賞成績集【GI編】』 日本中央競馬会、1996年、7-117頁。

  • 『日本競馬史』 日本中央競馬会、1969年

  • 長森貞夫 『競馬と共に歩んだ安田伊左衛門翁傳』 日本競馬会、1948年

  • 日本中央競馬会・編 『競馬百科』 みんと、1976年

  • 『日本競馬史』日本中央競馬会、1969 - 1970年

  • 『続日本馬政史』 (財)神翁顕彰会、1963年

  • 『東京競馬場及東京競馬倶楽部史』長森貞夫編、1941年

  • 『Gallop臨時増刊・日本ダービー70年史』 産経新聞社、2004年6月発行。

  • 『Gallop臨時増刊・日本ダービー80年史』 産経新聞社、2014年6月発行。

  • 『Gallop臨時増刊・菊花賞全史』 産経新聞社、2005年11月発行。

  • 『別冊宝島2078 競馬激闘史「不滅の大記録」』 宝島社、2013年11月

  • 「20世紀のベストホース100」、『優駿』2000年11月号、中央競馬ピーアール・センター。

  • 「日本の競馬60年」、『優駿』2002年4月号、中央競馬ピーアール・センター。

  • 「伝説の名レース・名勝負」、『優駿』2003年3月号、中央競馬ピーアール・センター。


脚注・出典



注釈


[ヘルプ]


  1. ^ 1961年 (昭和36年)の主要大レースの1着賞金は東京優駿が700万円、天皇賞・有馬記念・菊花賞が500万円、皐月賞・優駿牝馬が400万円、桜花賞・中山大障害が300万円、宝塚記念が200万円、安田記念が150万円。その他の重賞は100万円前後であった。


  2. ^ 公式な名称には付されていないものの1932年 (昭和7年)の設立当初より「日本ダービー」と呼ばれ、後述のラジオ中継でも終始「日本ダービー」と称されている。


  3. ^ ただしこの評はもともとイギリスのダービーステークスに対して言われていたものである


  4. ^ 時期によって異なるが日本国外で種付され日本国内で出産された馬、日本国外で生産された馬、日本国外で調教された馬が制限の対象となってきた。


  5. ^ 国内グレードとしては引き続き最高格を維持した。


  6. ^ 年間レースレーティングは、個々のレースにおける上位4頭のレーティングを年度末のランキング会議で決定した数値に置き換え算出した平均値。なお、牝馬限定競走以外のレースで、対象馬が牝馬の場合はアローワンスが加算される (日本の場合+4ポンド)。


  7. ^ 地方競馬で施行する競走では、JBCクラシック (JpnI)、東京大賞典 (GI)の1着賞金8000万円が最高額である[15][16]


  8. ^ 安田は明治の競馬創設期より日本ダービー開催の構想を抱いており1923年 (大正12年)の競馬法発布の頃から本競走の開催を企図したが、当時は国内の有力な競走馬生産牧場が宮内省の下総御料牧場と三菱財閥の小岩井農場に限られており他の民間の有力牧場が育つまで時期を待っていた。


  9. ^ 「新馬」と「古馬」の区別は馬齢ではなく出走経験の有無に拠っていた。


  10. ^ 当時の格付表記は、JRAの独自グレード。


  11. ^ 優勝時の年齢が20歳3ヶ月で、2014年時点では最年少の優勝騎手である[32]



出典



  1. ^ abTHE WORLD'S TOP 100 G1 RACES for 3yo's and upwards (PDF)”. 日本中央競馬会. 2016年5月16日閲覧。

  2. ^ abcd中央競馬全重賞成績集【GI編】

  3. ^ abc重賞競走一覧 (レース別・関東) (PDF)”. 日本中央競馬会. p. 20. 2016年5月16日閲覧。

  4. ^ abcd平成29年第2回東京競馬番組 (第7日 - 第12日) (PDF)”. 日本中央競馬会. 2016年5月16日閲覧。

  5. ^ abcdefghijklmno“レースについて:東京優駿 (日本ダービー) 今週の注目レース”. 日本中央競馬会. 2016年5月16日閲覧。


  6. ^ 平成27年度重賞競走一覧 (PDF)”. 日本中央競馬会. 2016年5月16日閲覧。


  7. ^ 平成28年度重賞競走一覧 (PDF)”. 日本中央競馬会. 2016年5月16日閲覧。

  8. ^ ab平成29年度重賞競走一覧 (PDF)”. 日本中央競馬会. 2017年5月28日閲覧。


  9. ^ 東京日日新聞昭和7年4月25日3面、読売新聞データベースヨミダス、朝日新聞データベース聞蔵Ⅱなど

  10. ^ ab『日本ダービー70年史』 38頁


  11. ^ INTERNATIONAL GRADING AND RACE PLANNING ADVISORY COMMITTEE "INTERNATIONAL CATALOGUING STANDARDS and INTERNATIONAL STATISTICS 2016" (PDF)”. The Jockey Club Information Systems, Inc.. p. 90. 2016年5月16日閲覧。


  12. ^ “世界のトップ100GIレースがIFHAから発表!”. 日本中央競馬会. 2016年5月16日閲覧。

  13. ^ abcd2017年競馬番組一般事項 「V 出馬投票」 (PDF)”. 日本中央競馬会. p. 17. 2016年5月16日閲覧。

  14. ^ ab「地」が出走できるGI競走とそのステップ競走について (平成29年度) (PDF)”. 日本中央競馬会. 2016年5月16日閲覧。


  15. ^ “2017年ダート交流重賞競走一覧”. 地方競馬全国協会. 2016年5月16日閲覧。


  16. ^ “JBC特設サイト2016【JBCについて】JBC実施要綱”. 地方競馬全国協会. 2016年5月16日閲覧。


  17. ^ 2015ワールドオールスタージョッキーズについて (PDF)”. 日本中央競馬会. 2016年5月16日閲覧。


  18. ^ 2016ワールドオールスタージョッキーズについて (PDF)”. 日本中央競馬会. 2016年5月16日閲覧。


  19. ^ 2017ワールドオールスタージョッキーズについて (PDF)”. 日本中央競馬会. 2017年5月28日閲覧。


  20. ^ 『競馬百科』 82頁

  21. ^ ab『競馬百科』 83頁


  22. ^ 『日本ダービー70年史』 21頁


  23. ^ 『日本ダービー70年史』 29頁


  24. ^ 『日本ダービー70年史』 34頁


  25. ^ 『日本ダービー70年史』 35頁


  26. ^ 『日本ダービー70年史』 36頁


  27. ^ 『新版競馬歴史新聞』 競馬歴史新聞編纂委員会、日本文芸社、2004年4月25日、261頁。ISBN 4-537-25205-7。


  28. ^ 第3回 東京競馬成績集計表 (PDF)”. 日本中央競馬会. pp. 1562-1563 (2007年). 2016年5月16日閲覧。 (索引番号: 14046)


  29. ^ 山本武志 (2017年5月28日). “【あの時・ウオッカのダービー制覇】(1)牝馬64年ぶりの栄冠”. スポーツ報知. http://www.hochi.co.jp/horserace/20170527-OHT1T50132.html 2018年3月5日閲覧。 

  30. ^ ab第3回 東京競馬成績集計表 (PDF)”. 日本中央競馬会. pp. 1582-1583 (2010年). 2016年5月16日閲覧。 (索引番号: 14046)


  31. ^ “JRAニュース:皇太子殿下の東京競馬場への行啓について”. 日本中央競馬会. 2014年5月28日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2016年5月16日閲覧。


  32. ^ 東奥日報 (2015年5月20日付夕刊1面、特集記事『トピックス東京発』)


  33. ^ “中央競馬レコードタイム表 GIレース”. 日本中央競馬会. 2016年5月16日閲覧。


  34. ^ ドゥラメンテ完勝! ダービーレコードで2冠達成! - netkeiba.com 2015年5月31日


  35. ^ 『日本ダービー70年史』 70頁



各回競走結果の出典


  • 『中央競馬全重賞成績集【GI編】』 第1回 - 第62回

  • JRA年度別全成績
    • (2017年)第2回 東京競馬 第12日 (PDF)”. 日本中央競馬会. p. 5. 2017年5月29日閲覧。 (索引番号: 12142)

    • (2016年)第2回 東京競馬 第12日 (PDF)”. 日本中央競馬会. p. 5. 2016年5月30日閲覧。 (索引番号: 12142)

    • (2015年)第2回 東京競馬 第12日 (PDF)”. 日本中央競馬会. p. 5. 2016年5月16日閲覧。 (索引番号: 12142)

    • (2014年)第2回 東京競馬 第12日 (PDF)”. 日本中央競馬会. p. 5. 2016年5月16日閲覧。 (索引番号: 12142)

    • (2013年)第2回 東京競馬 第12日 (PDF)”. 日本中央競馬会. p. 5. 2016年5月16日閲覧。 (索引番号: 12142)

    • (2012年)第2回 東京競馬 第12日 (PDF)”. 日本中央競馬会. p. 5. 2016年5月16日閲覧。 (索引番号: 11142)

    • (2011年)第3回 東京競馬 第4日 (PDF)”. 日本中央競馬会. p. 6. 2016年5月16日閲覧。 (索引番号: 14047)

    • (2010年)第3回 東京競馬 第4日 (PDF)”. 日本中央競馬会. p. 10. 2016年5月16日閲覧。 (索引番号: 14046)

    • (2009年)第3回 東京競馬 第4日 (PDF)”. 日本中央競馬会. p. 10. 2016年5月16日閲覧。 (索引番号: 15046)

    • (2008年)第3回 東京競馬 第4日 (PDF)”. 日本中央競馬会. p. 10. 2016年5月16日閲覧。 (索引番号: 14046)

    • (2007年)第3回 東京競馬 第4日 (PDF)”. 日本中央競馬会. p. 10. 2016年5月16日閲覧。 (索引番号: 14046)

    • (2006年)第3回 東京競馬 第4日 (PDF)”. 日本中央競馬会. p. 10. 2016年5月16日閲覧。 (索引番号: 14046)

    • (2005年)第3回 東京競馬成績集計表 (PDF)”. 日本中央競馬会. pp. 1595-1596. 2016年5月16日閲覧。 (索引番号: 14046)

    • (2004年)第3回 東京競馬成績集計表 (PDF)”. 日本中央競馬会. pp. 1595-1596. 2016年5月16日閲覧。 (索引番号: 14046)

    • (2003年)第2回 東京競馬成績集計表 (PDF)”. 日本中央競馬会. pp. 1583-1584. 2016年5月16日閲覧。 (索引番号: 14046)

    • (2002年)第4回 東京競馬成績集計表 (PDF)”. 日本中央競馬会. pp. 1437-1438. 2016年5月16日閲覧。 (索引番号: 13046)


  • 『優駿』2001年6月号 (日本中央競馬会) - 第1回〜第67回

  • 『日本ダービー70年史』

  • 『日本ダービー80年史』

  • netkeiba.com

    • 2001年、2002年、2003年、2004年、2005年、2006年、2007年、2008年、2009年、2010年、2011年、2012年、2012年、2013年、2014年、2015年


  • JRAデータファイル 東京優駿 (日本ダービー)

    • 第82回、第83回、第84回


関連項目


  • ダービー (競馬)

  • 安田伊左衛門

  • 目黒競馬場

  • 中央競馬クラシック三冠

  • 中央競馬3歳クラシック3冠レース優勝馬一覧


外部リンク







  • データ分析:東京優駿 (日本ダービー) 今週の注目レース - 日本中央競馬会

  • 第1回 日本ダービー - NHK名作選 (動画・静止画) NHKアーカイブス


Popular posts from this blog

Top Tejano songwriter Luis Silva dead of heart attack at 64

政党

天津地下鉄3号線