古賀稔彦





















古賀稔彦
基本情報
ラテン文字
Toshihiko Koga

日本の旗 日本
出生地
佐賀県三養基郡
生年月日
(1967-11-21) 1967年11月21日(51歳)
選手情報
階級
71kg級
所属
環太平洋大学
段位
八段
引退
2000年






 
獲得メダル


























男子柔道

オリンピック
1992 バルセロナ71kg級
1996 アトランタ78kg級

世界柔道選手権
1987 エッセン71kg級
1989 ベオグラード71kg級
1991 バルセロナ71kg級
1995 千葉78kg級

全日本柔道選手権
1990

アジア大会
1990 北京71kg級
2013年10月23日現在
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古賀 稔彦(こが としひこ、1967年11月21日 - )は、日本の柔道家(八段)。環太平洋大学教授(弘前大学博士(医学))。日本健康医療専門学校校長。


佐賀県三養基郡北茂安町(現・みやき町)出身。1992年バルセロナオリンピック柔道男子71kg級金メダリスト。血液型はA型。身長169cm[1]。古賀颯人は長男、古賀玄暉は二男。




目次





  • 1 人物


  • 2 来歴


  • 3 主な戦績


  • 4 脚注


  • 5 受賞


  • 6 関連項目


  • 7 外部リンク




人物


世田谷学園高等学校、日本体育大学卒業。日本体育大学助手、全日本柔道女子強化コーチ(2005年11月末退任)を経て、2007年から環太平洋大学体育学部体育学科教授兼女子柔道部総監督。2014年から全日本柔道連盟女子強化委員[2]。古賀塾塾長。 弘前大学大学院医学研究科後期博士課程修了。学位は博士(医学)。日本健康医療専門学校校長。


常に一本を取りに行く柔道と、小柄な体からの切れ味鋭い技の数々、豪快な一本背負投が得意技であることから「平成の三四郎」の異名をとった。



来歴


柔道を習っていた兄の影響で小学1年生から柔道を始め、中学1年で上京。柔道私塾講道学舎に入門する。世田谷区立弦巻中学校から世田谷学園高等学校、日本体育大学体育学部武道学科に進み、在学中はそれぞれ数々のタイトルを獲得、怪我を克服しながら順調に成長する。


1988年ソウルオリンピックでオリンピック初出場するも、3回戦で敗退[1]


1990年、当時75kg前後という軽量にもかかわらず体重無差別の全日本柔道選手権大会で重量級の選手を次々と撃破し、決勝進出。決勝で当時最重量(95kg超)級の世界チャンピオンだった小川直也と対戦、足車にしとめられ、惜しくも準優勝。古賀の回顧によれば「柔道の試合で自分の体が宙に飛んだのはあれが生まれて初めて」だという。


1992年バルセロナオリンピック選手団主将を務める。バルセロナオリンピック直前に吉田秀彦との乱取り中に左膝を負傷。ひざの痛みに加え、運動できないことにより減量も思うようにならない困難を乗り越え、痛み止めを打ちながら金メダルを獲得した[1]。TBSテレビは、年末のスポーツ名場面ベスト100の第2位にこの金メダルを選んでいる(1位は同じバルセロナオリンピックにおける女子100m平泳ぎにおける岩崎恭子の金メダル)。


1996年アトランタオリンピック選考会では一本負けを喫したが、過去の実績から選出された。決勝まで進んだが、ジャメル・ブーラに敗れ銀メダル[1]


2000年、現役を引退し指導者になり、全日本女子柔道チーム強化コーチを務める。そのかたわら、2003年4月からは子供の人間育成を目的とした町道場「古賀塾」を神奈川県川崎市高津区に開塾。コーチとして2004年アテネオリンピックでは愛弟子である谷本歩実が金メダルを獲得、谷本が古賀に抱きついて喜ぶ場面が放映された。


2005年8月、24時間テレビ 「愛は地球を救う」(日テレ)の企画“百人掛け”を実施、72人で終了した(72勝0敗)。脱水による全身痙攣でドクターストップ。最後の相手は兄だった。
2007年4月からは岡山県岡山市にある環太平洋大学柔道部の総監督に就任。


2008年2月13日、明治時代に活躍した徳之島出身の徳三宝を称える歌「柔道一代 徳三宝」でCDデビューを果たした。


2008年6月、東京都台東区浅草橋にある日本健康医療専門学校の校長に就任。同年、弘前大学大学院でスポーツ医学研究を始め、2012年3月に博士(医学)の学位を取得。



主な戦績



  • 1981年 - 全国中学校柔道大会 団体戦 優勝


  • 1982年 - 全国中学校柔道大会 団体戦 2位


  • 1983年 - 金鷲旗 3位


  • 1984年 - 金鷲旗 優勝

  • 1984年 - インターハイ 個人戦中量級 優勝

  • 1984年 - 国体 少年男子の部 優勝


  • 1985年 - 全国高校選手権 優勝

  • 1985年 - 講道館杯 2位

  • 1985年 - 国際高校柔道選手権大会 優勝

  • 1985年 - 金鷲旗 優勝

  • 1985年 - インターハイ 個人戦中量級 優勝 団体戦 2位

  • 1985年 - 国体 少年男子の部 優勝

71kg級での戦績


  • 1985年 - フィンランド国際 優勝

  • 1985年 - 新人体重別 優勝


  • 1986年 - イタリア国際 団体戦 2位

  • 1986年 - 世界ジュニア 優勝

  • 1986年 - 選抜体重別 2位

  • 1986年 - 正力杯 優勝

  • 1986年 - 国体 成年男子の部 優勝

  • 1986年 - 嘉納杯 優勝


  • 1987年 - 正力国際 優勝

  • 1987年 - 講道館杯 2位

  • 1987年 - 選抜体重別 優勝

  • 1987年 - 世界選手権 3位


  • 1988年 - 正力国際 優勝

  • 1988年 - 講道館杯 優勝

  • 1988年 - 選抜体重別 優勝

  • 1988年 - 正力杯 優勝

  • 1988年 - 世界学生 優勝


  • 1989年 - 正力国際 優勝

  • 1989年 - 講道館杯 優勝

  • 1989年 - 選抜体重別 優勝

  • 1989年 - 世界選手権 優勝


  • 1990年 - 正力国際 優勝

  • 1990年 - 講道館杯 優勝

  • 1990年 - 選抜体重別 優勝

  • 1990年 - アジア大会 3位

  • 1990年 - 嘉納杯 優勝


  • 1991年 - 講道館杯 優勝

  • 1991年 - 選抜体重別 優勝

  • 1991年 - 世界選手権 優勝


  • 1992年 - 講道館杯 優勝

  • 1992年 - 選抜体重別 優勝

  • 1992年 - バルセロナオリンピック 優勝

78kg級での戦績



  • 1994年 - 講道館杯 5位

  • 1995年 - ドイツ国際 2位

  • 1995年 - 選抜体重別 優勝

  • 1995年 - 世界選手権 優勝


  • 1996年 - 選抜体重別 3位

  • 1996年 - アトランタオリンピック 2位

81kg級での戦績



  • 1998年 - 講道館杯 3位


  • 1999年 - 講道館杯 3位


  • 2000年 - ロシア国際 3位

体重無差別大会での戦績


  • 1990年 - 全日本選手権 2位


脚注



  1. ^ abcdBiography and Olympic Results


  2. ^ スポニチ2014年4月4日



受賞


  • 1992年度JOCスポーツ賞最優秀賞


関連項目


  • 柔道家一覧

  • オリンピックの柔道競技・日本人メダリスト一覧


  • 千栗八幡宮[1]


外部リンク


  • 日本スポーツエージェント

  • 古賀稔彦公式ホームページ

  • 古賀稔彦オフィシャルブログ「人生一直線」

  • 講演依頼.com 古賀稔彦プロフィールページ

  • Twitter古賀稔彦公式ホームページ運営担当者アカウントページ @Koga_Toshihiko

  • 古賀稔彦/ IPU・環太平洋大学

  • 古賀稔彦 - Sports Reference (Olympic results) (英語)Edit on Wikidata

  • 古賀稔彦 - JudoInside.com (英語)Edit on Wikidata

  • 古賀稔彦 - Alljudo (英語)Edit on Wikidata

  • 日本健康医療専門学校ホームページ



  1. ^ 千栗八幡宮


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