朝日杯フューチュリティステークス























朝日杯フューチュリティステークス

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第67回朝日杯フューチュリティステークスの優勝記念品

開催国
日本の旗 日本
主催者
日本中央競馬会
競馬場
阪神競馬場
創設
1949年12月3日
2015年の情報
距離
芝1600m
格付け
GI
賞金
1着賞金7000万円
出走条件
サラ系2歳牡・牝(国際)(指定)
負担重量
馬齢(牡馬55kg、牝馬54kg)
出典
[1][2]
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朝日杯フューチュリティステークス(あさひはいフューチュリティステークス)は、日本中央競馬会(JRA)が阪神競馬場で施行する中央競馬の重賞競走(GI)である。


競走名の「フューチュリティ(Futurity)」は、英語で「未来」「将来」を意味する[3]


正賞は朝日新聞社賞、日本馬主協会連合会会長賞[1][2]




目次





  • 1 概要

    • 1.1 競走条件

      • 1.1.1 地方競馬所属馬の出走権



    • 1.2 賞金



  • 2 歴史

    • 2.1 年表


    • 2.2 歴代優勝馬


    • 2.3 記録



  • 3 参考文献


  • 4 脚注

    • 4.1 注釈


    • 4.2 出典

      • 4.2.1 各回競走結果の出典




  • 5 世界の主な2歳馬競走


  • 6 外部リンク




概要


欧米では1786年のニューマーケット競馬場(イギリスの旗 イギリス)を皮切りに2歳馬の競走が行われていた[4]が、日本では1946年秋の東京競馬場で初めて3歳(現2歳)馬による競走が行われた[4]。その後も各地の競馬場で3歳(現2歳)馬の競走が行われるようになり、1949年には関東地区の3歳(現2歳)馬チャンピオン決定戦として「朝日杯3歳ステークス(あさひはいさんさいステークス)」が中山競馬場で創設された[4][5]。以来、2013年まで長らく中山競馬場で行われてきたが、2014年より施行場を阪神競馬場に変更した[4][5]。競走名は2001年より馬齢表記を国際基準へ改めたことに伴い、現名称に変更された[4][5]


創設当初の施行距離は芝1100mで、1959年より芝1200mへの変更を経て、1962年以降は芝1600mで定着している[4][5]


競走条件は1991年に牡馬・牝馬のチャンピオン決定戦を明確にすることを目的として「牡馬・セン馬限定」となったが、2004年より「牡馬・牝馬限定」に変更され、以降はセン馬(去勢した牡馬)が出走できなくなった[4][5]。外国産馬は1971年から、地方競馬所属馬は1995年から出走可能になったほか、2010年からは国際競走となって外国馬も出走可能になった[4]


翌年の3歳クラシックレースにも直結する重要なレースとして位置づけられているほか、過去の優勝馬からは古馬になっても大レースを優勝する馬が出るなど、さまざまなカテゴリーで活躍馬を送り出している[4][5]



競走条件




エイシンプレストン(第51回優勝馬)




アルフレード(第63回優勝馬)




ダノンプラチナ(第66回優勝馬)




リオンディーズ(第67回優勝馬)


以下の内容は、2015年現在[1][2]のもの。


出走資格:サラ系2歳牡馬・牝馬(出走可能頭数:最大18頭)


  • JRA所属馬

  • 地方競馬所属馬(5頭まで、後述)

  • 外国調教馬(9頭まで、優先出走)

負担重量:馬齢(牡馬55kg、牝馬54kg)


出馬投票を行った馬のうち、優先出走権を得ている馬から優先して割り当て、その他の馬は通算収得賞金が多い順に割り当てる。



地方競馬所属馬の出走権


地方競馬所属馬は、同年に行われる下表の競走のいずれかで2着以内に入着すると、本競走の優先出走権が与えられる[1][6][7]














競走名競馬場距離
京王杯2歳ステークスGII
日本の旗東京競馬場
芝1400m
デイリー杯2歳ステークスGII
日本の旗京都競馬場
芝1600m

上記のほか、中央競馬で施行する芝の2歳重賞で1着となった地方競馬所属馬も出走申込ができる[1][6]



賞金


2015年の1着賞金は7000万円で、以下2着2800万円、3着1800万円、4着1100万円、5着700万円[1][2]



歴史











中村正行(1939年)


「使い回し」で製作された優勝カップ

中村正行(1939年)



「使い回し」で製作された優勝カップ



本競走創設の発起人となったのは、馬主会の重鎮であった2代目中村勝五郎の息子・中村正行(3代目中村勝五郎)である。中村は当時騒擾事件が頻発していた競馬のイメージ改善を図るため、競馬ファンであった朝日新聞編集局長の信夫韓一郎に社賞の提供を持ちかけた[8]。当初は最高格競走である東京優駿(日本ダービー)への提供を企図していたが、当時の国営競馬(農林省競馬部)が一社のみに許可を出すことを良しとしなかったため、代わりに3歳馬のチャンピオン決定戦という性格を持つ特別競走を新設することになった[8]。朝日新聞記者で当時父親が同社企画部長を務めていた遠山彰によれば、当時は社内でも競馬を社会悪と見なす意見が多く、この件が諮られた部長会では激論が交わされたといい、遠山は「父は当然賛成に回ったが、反対派を説き伏せ、決断を下したのは、役員でもあった信夫だったろう」と推測している[9]。「新聞社の名がつく競走ならば競馬の社会的信用も高められる」との考えから、競走名は「朝日盃三歳ステークス」とされた[8]


戦前から競馬を敵視しつづけた朝日新聞社が競馬を大衆娯楽・スポーツと認めたことは他の大手マスメディアを刺激し[8]、1955年までに読売カップ(読売新聞社)、毎日王冠(毎日新聞社)、東京新聞杯(東京新聞社)、NHK杯(日本放送協会)、日本経済賞(日本経済新聞社)、産経賞オールカマー(産経新聞社)といった競走が次々と新設された[8][10]


なお、第二次世界大戦終結より間もない物資不足の時代であったことから優勝カップは中村が戦前に獲得していた「アラブ大ハンデ」の優勝カップを彫金師の信田洋が仕立て直す形で製作された[8]。このカップは各年度優勝馬主の持ち回りという形で提供されている[8]。また、副賞には中村家の食客であった東山魁夷の12号大の絵がたびたび提供された[10]



年表


  • 1949年 - 3歳馬限定の競走「朝日盃3歳ステークス」の名称で創設、中山競馬場の芝1100mで施行[4]

  • 1953年 - 騎手の谷岡敏行が死亡する事故が発生。

  • 1959年 - 施行距離を芝1200mに変更[4]

  • 1962年 - 施行距離を芝1600mに変更。以後、この施行距離で定着[4]

  • 1970年 - 競走名を「朝日杯3歳ステークス」に変更。

  • 1971年 - 混合競走に指定され、外国産馬が出走可能になる[4]

  • 1984年 - グレード制施行によりGI[注 1]に格付け[4]

  • 1991年 - 競走条件を「3歳牡馬・騸馬」に変更。

  • 1995年 - 特別指定交流競走に指定され、地方競馬所属馬が出走可能になる[4]

  • 2001年

    • 馬齢表記を国際基準へ変更したのに伴い、競走条件を「2歳牡馬・騸馬」に変更[4]

    • 名称を「朝日杯フューチュリティステークス」に変更[4]


  • 2004年 - 競走条件を「2歳牡馬・牝馬」に変更[4]

  • 2007年 - 日本のパートI国昇格に伴い、格付表記をJpnIに変更[4]

  • 2010年

    • 国際競走に指定され、外国調教馬が出走可能になる[4]

    • 格付表記をGI(国際格付)に変更[4]


  • 2014年 - 施行場を阪神競馬場に変更[4]


歴代優勝馬


距離はすべて芝コース。


優勝馬の馬齢は、2000年以前も現行表記に揃えている。


競走名は第1回から第52回が「朝日杯3歳ステークス」、第53回以降は「朝日杯フューチュリティステークス」[4]








































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































回数施行日競馬場距離優勝馬性齢タイム優勝騎手管理調教師馬主
第1回1949年12月3日中山1100mアヅマホマレ牡21:07 3/5八木沢勝美尾形藤吉岩崎新太郞
第2回1950年12月10日中山1100mトキノミノル牡21:06 3/5岩下密政田中和一郎
永田雅一
第3回1951年12月9日中山1100mタカハタ牝21:06 1/5八木沢勝美尾形藤吉川内安忠
第4回1952年12月21日中山1100mサンゲツ牝21:07 0/5古山良司望月与一郎新倉文郎
第5回1953年12月13日中山1100mタカオー牡21:07 4/5高橋英夫上村大治郎高須銀次郎
第6回1954年12月12日中山1100mメイヂヒカリ牡21:07 3/5蛯名武五郎藤本冨良新田新作
第7回1955年12月11日中山1100mキタノオー牡21:05 4/5勝尾竹男久保田金造田中留治
第8回1956年12月23日中山1100mキタノヒカリ牝21:06 2/5勝尾竹男久保田金造田中留治
第9回1957年12月15日中山1100mカツラシユウホウ牡21:09 0/5蛯名武五郎藤本冨良牧市太郎
第10回1958年12月14日中山1100mウネビヒカリ牡21:07 0/5野平祐二野平省三山之内軍二
第11回1959年12月13日中山1200mマツカゼオー牡21:12.3蛯名武五郎藤本冨良長山善武
第12回1960年12月11日中山1200mハクシヨウ牡21:11.2保田隆芳尾形藤吉西博
第13回1961年12月17日中山1200mカネツセーキ牡21:10.9伊藤竹男久保田金造カネツ株式会社
第14回1962年12月16日中山1600mグレートヨルカ牡21:38.7保田隆芳尾形藤吉小野晃
第15回1963年12月15日中山1600mウメノチカラ牡21:38.9古賀一隆古賀嘉蔵梅野昇
第16回1964年12月20日中山1600mリユウゲキ牡21:38.8油木宣夫矢倉玉男福井章哉
第17回1965年12月19日中山1600mメジロボサツ牝21:39.5矢野一博大久保末吉
北野俊雄
第18回1966年12月18日中山1600mモンタサン牡21:37.4油木宣夫矢野幸夫古知政市
第19回1967年12月17日中山1600mタケシバオー牡21:38.4中野渡清一三井末太郎
小畑正雄
第20回1968年12月15日中山1600mミノル牡21:40.8保田隆芳尾形藤吉永田卓也
第21回1969年12月14日中山1600mアローエクスプレス牡21:36.2加賀武見高松三太
伊達秀和
第22回1970年12月13日中山1600mオンワードガイ牡21:39.8蓑田早人森末之助
(株)オンワード
第23回1971年12月12日中山1600mトクザクラ牝21:36.2田村正光梶与四松(有)徳間牧場
第24回1972年12月10日中山1600mレッドイーグル牡21:38.3岡部幸雄鈴木清千屋レッド牧場(株)
第25回1973年12月9日中山1600mミホランザン牡21:35.5柴田政人高松三太堤勘時
第26回1974年12月8日中山1600mマツフジエース牝21:37.1増田久山岡寿恵次(有)マツケン農場
第27回1975年12月7日中山1600mボールドシンボリ牡21:38.6柴田政人高松三太
和田共弘
第28回1976年12月12日中山1600mマルゼンスキー牡21:34.4中野渡清一本郷重彦
橋本善吉
第29回1977年12月11日中山1600mギャラントダンサー牡21:35.7吉永正人松山康久
吉田照哉
第30回1978年12月10日中山1600mビンゴガルー牡21:36.0嶋田功久保田彦之水野剛
第31回1979年12月9日中山1600mリンドタイヨー牡21:36.7横山富雄見上恒芳(株)デルマークラブ
第32回1980年12月7日中山1600mテンモン牝21:35.5嶋田功稲葉幸夫原八衛
第33回1981年12月6日中山1600mホクトフラッグ牡21:35.3柴田政人中野隆良森滋
第34回1982年12月12日中山1600mニシノスキー牡21:35.8安田富男元石孝昭西島清
第35回1983年12月11日中山1600mハーディービジョン牡21:36.3的場均柄崎義信鈴木健司
第36回1984年12月16日中山1600mスクラムダイナ牡21:35.0柴田政人矢野進
(有)社台レースホース
第37回1985年12月15日中山1600mダイシンフブキ牡21:35.4菅原泰夫柴田寛高橋金次
第38回1986年12月14日中山1600mメリーナイス牡21:35.6根本康広橋本輝雄浦房子
第39回1987年12月20日中山1600mサクラチヨノオー牡21:35.6小島太境勝太郎
(株)さくらコマース
第40回1988年12月18日中山1600mサクラホクトオー牡21:35.5小島太境勝太郎(株)さくらコマース
第41回1989年12月17日中山1600mアイネスフウジン牡21:34.4中野栄治加藤修甫
小林正明
第42回1990年12月9日中山1600mリンドシェーバー牡21:34.0的場均元石孝昭(株)デルマークラブ
第43回1991年12月8日中山1600mミホノブルボン牡21:34.5小島貞博戸山為夫(有)ミホノインターナショナル
第44回1992年12月13日中山1600mエルウェーウィン牡21:35.5南井克巳坪憲章雑古隆夫
第45回1993年12月12日中山1600mナリタブライアン牡21:34.4南井克巳大久保正陽
山路秀則
第46回1994年12月11日中山1600mフジキセキ牡21:34.7角田晃一渡辺栄
齊藤四方司
第47回1995年12月10日中山1600mバブルガムフェロー牡21:34.2岡部幸雄藤沢和雄(有)社台レースホース
第48回1996年12月8日中山1600mマイネルマックス牡21:36.3佐藤哲三中村均
(株)サラブレッドクラブ・ラフィアン
第49回1997年12月7日中山1600mグラスワンダー牡21:33.6的場均尾形充弘半沢(有)
第50回1998年12月13日中山1600mアドマイヤコジーン牡21:35.3M.ロバーツ橋田満
近藤利一
第51回1999年12月12日中山1600mエイシンプレストン牡21:34.7福永祐一北橋修二
平井豊光
第52回2000年12月10日中山1600mメジロベイリー牡21:34.5横山典弘武邦彦
(有)メジロ牧場
第53回2001年12月9日中山1600mアドマイヤドン牡21:33.8藤田伸二松田博資近藤利一
第54回2002年12月8日中山1600mエイシンチャンプ牡21:33.5福永祐一瀬戸口勉平井豊光
第55回2003年12月14日中山1600mコスモサンビーム牡21:33.7D.バルジュー佐々木晶三岡田美佐子
第56回2004年12月12日中山1600mマイネルレコルト牡21:33.4後藤浩輝堀井雅広(株)サラブレッドクラブ・ラフィアン
第57回2005年12月11日中山1600mフサイチリシャール牡21:33.7福永祐一松田国英
関口房朗
第58回2006年12月10日中山1600mドリームジャーニー牡21:34.4蛯名正義池江泰寿
(有)サンデーレーシング
第59回2007年12月9日中山1600mゴスホークケン牡21:33.5勝浦正樹斎藤誠
藤田与志男
第60回2008年12月21日中山1600mセイウンワンダー牡21:35.1岩田康誠領家政蔵大谷高雄
第61回2009年12月20日中山1600mローズキングダム牡21:34.0小牧太橋口弘次郎(有)サンデーレーシング
第62回2010年12月19日中山1600mグランプリボス牡21:33.9M.デムーロ矢作芳人
(株)グランプリ
第63回2011年12月18日中山1600mアルフレード牡21:33.4C.ウィリアムズ手塚貴久
(有)キャロットファーム
第64回2012年12月16日中山1600mロゴタイプ牡21:33.4M.デムーロ田中剛吉田照哉
第65回2013年12月15日中山1600mアジアエクスプレス牡21:34.7R.ムーア手塚貴久
馬場幸夫
第66回2014年12月21日阪神1600mダノンプラチナ牡21:35.9蛯名正義国枝栄
(株)ダノックス
第67回2015年12月20日阪神1600mリオンディーズ牡21:34.4M.デムーロ角居勝彦(有)キャロットファーム
第68回2016年12月18日阪神1600mサトノアレス牡21:35.4四位洋文藤沢和雄
里見治
第69回2017年12月17日阪神1600mダノンプレミアム牡21:33.3川田将雅中内田充正(株)ダノックス
第70回2018年12月16日阪神1600mアドマイヤマーズ牡21:33.9M.デムーロ友道康夫近藤利一

なお、当競走は2016年時点でのJRA平地GI全22競走の中で唯一、武豊が勝利していない競走として知られていた。2015年はエアスピネルが1番人気に推され、JRA平地GI完全制覇が期待されたが、惜しくも2着に敗れている。2017年に大阪杯とホープフルステークスがGIに格上げされたが、武は同年の大阪杯で勝利したため、2017年6月時点では未勝利のJRA平地GIは当競走とホープフルステークスの2競走となっている。



記録


  • レースレコード - 1:33.3(第69回優勝馬ダノンプレミアム)[4]


参考文献


  • 中央競馬ピーアール・センター(編) 『日本の騎手』 日本中央競馬会、1981年

  • 中村勝五郎 『親子3代馬主80年』 中央競馬ピーアール・センター、1984年。ISBN 978-4924426122。

  • 遠山彰 『日本ダービー物語』 丸善ライブラリー、1993年。ISBN 978-4621050972。


脚注


[ヘルプ]


注釈




  1. ^ 当時の格付表記は、JRAの独自グレード。



出典



  1. ^ abcdef重賞競走一覧(レース別・関西) (PDF)”. 日本中央競馬会. p. 38. 2015年12月8日閲覧。

  2. ^ abcd平成27年第5回阪神競馬番組 (PDF)”. 日本中央競馬会. 2015年12月8日閲覧。


  3. ^ 平成27年度第5回阪神競馬特別レース名解説(第6日) (PDF)”. 日本中央競馬会. p. 4. 2015年12月8日閲覧。

  4. ^ abcdefghijklmnopqrstuvwx“今週の注目レース(第67回朝日杯フューチュリティステークス:プレイバック)”. 日本中央競馬会. 2015年12月8日閲覧。

  5. ^ abcdefレースガイド(朝日杯FS) - netkeiba.com、2014年12月11日閲覧

  6. ^ ab□地が出走できるGI競走とそのステップ競走について(平成27年度) (PDF)”. 日本中央競馬会. 2015年12月8日閲覧。


  7. ^ 平成27年競馬番組一般事項(V 出馬投票、V-2-(4)-ハ-(一)) (PDF)”. 日本中央競馬会. p. 21. 2015年12月8日閲覧。

  8. ^ abcdefg中村(1984) 61-63頁


  9. ^ 遠山(1993) 46頁

  10. ^ ab『日本の騎手』 153頁



各回競走結果の出典



  • 「朝日杯3歳ステークス」『中央競馬全重賞成績集【GI編】』 日本中央競馬会、1996年、1015-1074頁。 1949年 - 1995年

  • 中山競馬場70年史編集委員会(編)『中山競馬場70年史』(日本中央競馬会中山競馬場、1998年):1949年 - 1997年

  • 『日本の競馬 総合ハンドブック2013』 62頁 発行:一般社団法人中央競馬振興会(1984年 - 2012年、馬主名義除く)

  • netkeiba.comより(最終閲覧日:2016年12月19日)
    • 朝日杯3歳ステークス

      • 1976年、1983年(馬主記載なし)、1984年(馬主記載なし)、1985年(馬主記載なし)、1986年、1987年、1988年、1989年、1990年、1991年、1992年、1993年、1994年、1995年、1996年、1997年、1998年、1999年、2000年

    • 朝日杯フューチュリティステークス

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  • JBISサーチより(最終閲覧日:2017年12月17日)
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外部リンク



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