冬至



二十四節気

  • 立春

  • 雨水

  • 啓蟄

  • 春分

  • 清明


  • 穀雨

  • 立夏

  • 小満

  • 芒種

  • 夏至

  • 小暑


  • 大暑

  • 立秋

  • 処暑

  • 白露

  • 秋分

  • 寒露


  • 霜降

  • 立冬

  • 小雪

  • 大雪

  • 冬至

  • 小寒


  • 大寒








冬至の日の太陽光の当たり方。冬至では太陽は南回帰線上にあるため、北半球では昼が最も短く、夜が最も長い


冬至(とうじ、英: winter solstice)は、二十四節気の第22。北半球ではこの日が一年のうちで最も昼(日の出から日没まで)の時間が短い。十一月中(旧暦11月内)。


現在広まっている定気法では太陽黄経が270度のときで12月22日ごろ。恒気法は節気を冬至からの経過日数で定義するが、基点となる冬至は定気と同じ定義である。定気と恒気で一致する唯一の節気である。暦ではそれが起こる日を冬至とするが、天文学においては、太陽黄経が270度となる瞬間を「冬至」と定義している。この場合、冬至の瞬間を含む日を冬至日(とうじび)と呼ぶ。


期間としての意味もあり、この日から、次の節気の小寒前日までである。


西洋占星術では、冬至を磨羯宮(やぎ座)の始まりとする。




目次





  • 1 特徴


  • 2 日付


  • 3 天文


  • 4 習俗


  • 5 朔旦冬至


  • 6 七十二候


  • 7 前後の節気


  • 8 脚注


  • 9 関連項目




特徴


北半球では太陽の南中高度が最も低く、一年の間で昼が最も短く夜が最も長くなる日。


『暦便覧』では「日南の限りを行て、日の短きの至りなれば也」と説明している。



日付


定気法による冬至の瞬間(世界時)と、日本・中国での冬至日の日付は表のとおり。日本における時刻はこの表の9時間後となる。
[1][2]






























































































































































































日時 (UT)日本中国
1984年12月21日16:2312月22日12月22日
1985年12月21日22:0812月22日12月22日
1986年12月22日04:0212月22日12月22日
1987年12月22日09:4612月22日12月22日
1988年12月21日15:2812月22日12月21日
1989年12月21日21:2212月22日12月22日
1990年12月22日03:0712月22日12月22日
1991年12月22日08:5412月22日12月22日
1992年12月21日14:4312月21日12月21日
1993年12月21日20:2612月22日12月22日
1994年12月22日02:2312月22日12月22日
1995年12月22日08:1712月22日12月22日
1996年12月21日14:0612月21日12月21日
1997年12月21日20:0712月22日12月22日
1998年12月22日01:5612月22日12月22日
1999年12月22日07:4412月22日12月22日
2000年12月21日13:3712月21日12月21日
2001年12月21日19:2112月22日12月22日
2002年12月22日01:1412月22日12月22日
2003年12月22日07:0412月22日12月22日
2004年12月21日12:4212月21日12月21日
2005年12月21日18:3512月22日12月22日
2006年12月22日00:2212月22日12月22日
2007年12月22日06:0812月22日12月22日
2008年12月21日12:0412月21日12月21日
2009年12月21日17:4712月22日12月22日
2010年12月21日23:3812月22日12月22日
2011年12月22日05:3012月22日12月22日
2012年12月21日11:1212月21日12月21日
2013年12月21日17:1112月22日12月22日
2014年12月21日23:0312月22日12月22日
2015年12月22日04:4812月22日12月22日
2016年12月21日10:4412月21日12月21日
2017年12月21日16:2812月22日12月22日
2018年12月21日22:2312月22日12月22日
2019年12月22日04:1912月22日12月22日
2020年12月21日10:0212月21日12月21日
2021年12月21日15:5912月22日12月21日
2022年12月21日21:4812月22日12月22日
2023年12月22日03:2712月22日12月22日
2024年12月21日09:2012月21日12月21日
2025年12月21日15:0312月22日12月21日
2026年12月21日20:5012月22日12月22日
2027年12月22日02:4212月22日12月22日
2028年12月21日08:1912月21日12月21日
2029年12月21日14:1312月21日12月21日


グレゴリオ暦による17世紀から24世紀までの日本の冬至は表のとおり
[3][4][5]
2018年の冬至は12月22日。[更新]


365日からの超過分が毎年蓄積し、 4年に一度閏年でリセットされる様子が分かる(冬至は閏日の挿入される2月末日より後のため、 4で割り切れる年が先頭)。


1956年から2202年までは12月21日か12月22日だが、1955年までは12月23日もあった。
























































































































































































年を4で割った余り確定困難な(日を跨ぐ)年
0123真夜中の前後10分

1600年 - 1611年
21日22日22日22日

1612年 - 1643年
21日21日22日22日

1644年 - 1679年
21日21日21日22日1646(21-22日),

1680年 - 1699年
21日21日21日21日

1700年 - 1715年
22日22日22日22日

1716年 - 1751年
21日22日22日22日1749(21-22日),

1752年 - 1783年
21日21日22日22日

1784年 - 1799年
21日21日21日22日

1800年 - 1819年
22日22日22日23日1819(22-23日),

1820年 - 1855年
22日22日22日22日

1856年 - 1887年
21日22日22日22日

1888年 - 1899年
21日21日22日22日1889(21-22日),

1900年 - 1919年
22日22日23日23日

1920年 - 1955年
22日22日22日23日1922(22-23日),

1956年 - 1991年
22日22日22日22日

1992年 - 2027年
21日22日22日22日2025(21-22日),

2028年 - 2059年
21日21日22日22日

2060年 - 2095年
21日21日21日22日2095(21-22日),

2096年 - 2099年
21日21日21日21日

2100年 - 2131年
22日22日22日22日

2132年 - 2163年
21日22日22日22日2161(21-22日),

2164年 - 2195年
21日21日22日22日

2196年 - 2199年
21日21日21日22日

2200年 - 2227年
22日22日22日23日

2228年 - 2267年
22日22日22日22日

2268年 - 2299年
21日22日22日22日

2300年 - 2335年
22日22日23日23日2334(22-23日),

2336年 - 2363年
22日22日22日23日

2364年 - 2399年
22日22日22日22日2367(22-23日),


天文




太陽の動き


秋分から春分までの間、北半球では太陽は真東からやや南寄りの方角から上り、真西からやや南寄りの方角に沈む。冬至の日にはこの日の出(日出)・日の入り(日没)の方角が最も南寄りになる。また南回帰線上の観測者から見ると、冬至の日の太陽は正午に天頂を通過する。冬至の日には北緯66.6度以北の北極圏全域で極夜となり、南緯66.6度以南の南極圏全域で白夜となる。


なお、1年で日の出の時刻が最も遅い日・日の入りの時刻が最も早い日と、冬至の日とは一致しない。日本では、日の出が最も遅い日は冬至の約半月後(年明け)であり、日の入りが最も早い日は冬至の約半月前である。



習俗




冬至にはカボチャの煮物を食べる風習がある。


日本には次のような風習がある。


星祭(ほしまつり)

妙見系の神社等で行われる。天台宗や真言宗の寺院で行われる「星供養」も俗に「星祭」といわれる。各自の生まれ年の十二支に該当する当年星を祀って、無病息災を祈る。

冬至風呂

この日は冬至風呂と称して柚子湯に入る。天保9年の『東都歳時記』によれば流行し始めたのは江戸の銭湯からであるという[6]

またこの日には以下のものを飲食する風習がある。


冬至粥

冬至の日の朝に小豆粥を食す。これを冬至粥という。小豆粥には疫病にかからないという伝承があり[7]、あるいは体を暖めるためともいう。

冷酒

とうなす(かぼちゃ)

 冬至にはカボチャの煮物を食べる風習がある[8]。冬至にカボチャを食べると中風にならず、あるいは長生きする[9][7]とも、栄養をとるためともいう。


コンニャク


コンニャクを「体の砂払い」と称し、体内の悪いものを掃除するという。

「と」の付く食べ物[10]

冬至の「と」に因んで、豆腐・唐辛子・ドジョウ[11]・いとこ煮。今でも冬至の前にはスーパーや魚屋でドジョウの売り出しの風景が見られる。豆腐は季節柄、湯豆腐にされることが多い。

中国北方では餃子を、南方では湯円を食べる習慣がある。
また、この日は家族団欒で過ごすという風習もある。


冬至には太陽の力が最も弱まった日を無事過ぎ去ったことを祝って、世界各地で冬至祭が祝われる。クリスマスも、イラン発祥のミトラ教の冬至祭儀やドイツ北欧のキリスト教以前のゲルマン人の冬至祭がキリスト教と混淆してできたものである。



朔旦冬至


古代には、冬至を1年の始まりとしていた。近世語で冬至を「唐の正月(とうのしょうがつ)」というが[12][13]、これは中国で冬至を元旦としたからである。その名残で、現在でも冬至は暦の基準となっている。中国や日本で採用されていた太陰太陽暦では、冬至を含む月を11月と定義しているが、19年に1度、冬至の日が11月1日となることがあり、これを朔旦冬至(さくたんとうじ)という[14]。太陰太陽暦では、19年間に7回の閏月を入れる(19年7閏)周期を「章」と称し、古い章から新しい章への切り替えとなる年を新しい章の最初の年という意味で「章首」と呼んだ。章首の年にはまず前の章の締めくくりに当たる7番目の閏月を迎え、その後に到来するその年の冬至をもって新しい章の開始とされた。そして、その章首における冬至の日は必ず朔旦冬至となるように暦法が作られるのが原則とされていた。


朔旦冬至が正確に19年周期で訪れることは、19年7閏原則に基づく暦が正確に運用されているということである。暦の正確さは、政治が正しく行われていることの証(あかし)であるとして、朔旦冬至は盛大に祝われた。中国では古くから行われ、659年に偶々遣唐使が唐の都・洛陽に滞在中で儀式への参加が許されている。日本では唐風儀式の取り入れに積極的であった桓武天皇の784年に初めて儀式が行われた[15]。なお、11月1日は元々翌年の暦を天皇に奏進する御暦奏も行われていたことから、非常に盛大な行事となった。


ただし、破章法を採用している暦では19年7閏が守られない場合があり、その場合新しい章の最初に朔旦冬至が到来するとは限らず、逆に章の途中で偶々朔旦冬至が到来してしまう事態(臨時朔旦冬至)も生じた。日本ではこのような状況を放置することは不祥として、暦を人為的に操作して朔旦冬至を到来させたり、回避させたりすること(「改暦」)が行われた。なお、後には章の最初以外の朔旦冬至も祝われるようになった。なお、1768年の光格天皇の時に朔旦冬至の儀式が行われたのが最後であり、次の1870年の朔旦冬至の際に明治政府は古い因習として、以後こうした儀式は行わないこととした。


近年の朔旦冬至は1995年、2014年であり、その次は38年後の2052年である。2014年の19年後である2033年が朔旦冬至にならないのは旧暦2033年問題(暦月が決められない)のためではなく、冬至を含む日と朔を含む日が一致しない(5時間差ながら日を跨いでしまう)ことが原因である。旧暦2033年問題を参照のこと。



七十二候


冬至の期間の七十二候は以下のとおり。


初候


乃東生(なつかれくさ しょうず) : 夏枯草が芽を出す(日本)


蚯蚓結(きゅういん むすぶ) : 蚯蚓が地中で塊となる(中国)

次候


麋角解(びかく げす) : 大鹿が角を落とす(日本)


麋角解(さわしかの つの おる) : 大鹿が角を落とす(中国)

末候


雪下出麦(ゆきわりて むぎ のびる) : 雪の下で麦が芽を出す(日本)


水泉動(すいせん うごく) : 地中で凍った泉が動き始める(中国)


前後の節気


大雪 → 冬至 → 小寒



脚注


[ヘルプ]


  1. ^ 国立天文台 暦要項 各年版より世界時換算(1984年 - 2016年)


  2. ^ 2009年版より理論が更新されているが、「分」の精度でほとんど違いはない。


  3. ^ 現代の天体力学による位置推算のため、過去の暦の記述とは必ずしも一致しない(代わりに分単位の精度がある)。
    将来の見積もりについては(主に閏秒の不確かさから)日付が前後する恐れがある(10分の誤差を見込んだが、表の末尾では恐らく不足)。



  4. ^ JPL HORIZONS Web-Interface (2015年8月22日 Ver 3.9.8) 取得後 TT→UT 変換


  5. ^ NASA による ΔT の解説 と 計算式


  6. ^ 新谷尚紀著『日本の「行事」と「食」のしきたり』青春出版社 p.75 2004年

  7. ^ ab武光誠編著『日本のしきたり-開運の手引き』講談社 p.195 1994年


  8. ^ 冬至の日にカボチャを食べるのはナゼ?(食育大事典) 2016年12月21日閲覧


  9. ^ 落合敏監修 『食べ物と健康おもしろ雑学』 p.88 梧桐書院 1991年


  10. ^ 異説として「ん」のつく食べ物だとして、なんきん(カボチャ)・れんこん・うどん等をあげる説もあるが、江戸時代の記録になく明治時代以降の風習とされる(新谷尚紀著『日本の「行事」と「食」のしきたり』青春出版社 p.74 2004年)。


  11. ^ 前述の朝粥、冷酒、コンニャクとあわせて7品目。


  12. ^ 日本国語大辞典、第5巻(かつまーきにん)、p.174、日本大辞典刊行会、小学館、1976年5月1日、第一版第二刷


  13. ^  唐の正月 コトバンク


  14. ^ 「年中行事事典」p519 1958年(昭和33年)5月23日初版発行 西角井正慶編 東京堂出版


  15. ^ 聖武天皇の神亀から天平初期にかけて冬至を祝う儀式が一時的に行われており後の朔旦冬至の儀式に影響を与えた可能性はあるが、実際には特に朔旦冬至を意識したものではなかった(神谷正昌「冬至と朔旦冬至」(初出:『日本歴史』630号(2000年)ISBN 978-4-642-02393-1)/所収:神谷『平安宮廷の儀式と天皇』(同成社、2016年) ISBN 978-4-88621-727-1))。



関連項目


  • 至点

  • 祭天

  • ユール

  • ヤルダー

  • インティ・ライミ

  • オランダ冬至

  • クリスマス


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