島田紳助










































島田 紳助
本名
長谷川 公彦(はせがわ きみひこ)
生年月日
(1956-03-24) 1956年3月24日(62歳)
出身地
日本の旗 日本 京都府京都市南区
血液型
AB型
身長
170cm
言語
日本語
方言
京都弁
最終学歴
京都学園大学中退
師匠
島田洋之介
コンビ名
紳助・竜介(1977年 - 1985年)
相方
松本竜介(コンビ時代)
芸風
ボケ(漫才師時代)
立ち位置
右(漫才師時代)
事務所
吉本興業(2011年まで)
活動時期
1974年 - 2011年8月23日
同期
明石家さんま
関根勤
オール巨人
桂小枝
過去の代表番組
オレたちひょうきん族
CLUB紳助
サンデープロジェクト
EXテレビ
新伍&紳助のあぶない話
紳助の人間マンダラ
オールスター感謝祭
クイズ!紳助くん
開運!なんでも鑑定団
嗚呼!バラ色の珍生!!
松本紳助
M-1グランプリ
行列のできる法律相談所
世界バリバリ★バリュー
クイズ!ヘキサゴンII
人生が変わる1分間の深イイ話
紳助社長のプロデュース大作戦!
ほか多数
作品
映画『風、スローダウン』
他の活動
ディンプス相談役(過去)
京都市特別観光大使(過去)
配偶者
既婚
受賞歴


  • 1984年 花月大賞 マンスリーよしもと賞


  • 1991年 日本映画批評家賞 特別賞


  • 2009年・2010年「ORICON NEWS」好きな司会者ランキング 第1位 2連覇

島田 紳助(しまだ しんすけ、1956年3月24日 - )は、日本の元お笑いタレント。漫才コンビ出身でコンビ時代は紳助・竜介のボケを担当。本名、長谷川 公彦(はせがわ きみひこ)。京都府京都市南区出身。1974年から2011年の芸能界引退時まで一貫して吉本興業(よしもとクリエイティブ・エージェンシー)に所属。




目次





  • 1 略歴

    • 1.1 芸能界入りまで


    • 1.2 20歳代


    • 1.3 40歳代


    • 1.4 50歳代


    • 1.5 芸能界引退へ



  • 2 人物

    • 2.1 愛称


    • 2.2 身体


    • 2.3 家族構成


    • 2.4 学歴


    • 2.5 職歴


    • 2.6 弟子


    • 2.7 趣味・嗜好



  • 3 傷害事件

    • 3.1 書類送検時のメディアの呼称



  • 4 芸能界引退

    • 4.1 記者会見


    • 4.2 その後の報道


    • 4.3 芸能関係者・政界その他各界からのコメント


    • 4.4 テレビ各局への影響

      • 4.4.1 放送継続


      • 4.4.2 放送終了



    • 4.5 引退後の本人の動向



  • 5 演じた俳優


  • 6 引退時点での出演番組

    • 6.1 レギュラー番組


    • 6.2 単発・不定期番組


    • 6.3 CM



  • 7 引退より前に終了した出演番組

    • 7.1 バラエティ番組


    • 7.2 テレビドラマ


    • 7.3 テレビアニメ


    • 7.4 CM


    • 7.5 ラジオ番組


    • 7.6 ゲーム



  • 8 書籍


  • 9 映画

    • 9.1 脚本・監督


    • 9.2 Vシネマ



  • 10 受賞歴


  • 11 音楽活動


  • 12 参考文献


  • 13 関連項目


  • 14 脚注

    • 14.1 注釈


    • 14.2 出典





略歴



芸能界入りまで


父親が国鉄職員(南満州鉄道の職員歴もある)の家庭に生まれ育つ。『松本紳助』で紳助本人が語ったところによると「鳩のように真面目で温厚な性格で、自分が警察に補導されても『話し合いで解決できる』と言って一度も激怒しなかった」とのこと。なお、その父親は紳助が芸能界を引退した直後の2011年10月20日[1]に死去している。母親は岐阜県不破郡垂井町出身。


その勤勉な父により、小学三年生のころから家庭教師をつけられるなど、勉強に重点をおいた環境で育ったが紳助本人は全くに馴染めずに素行不良になり、中学生の時は学校の窓ガラスを割ったり、教室で盗品を売りさばいたりしており、高校生の頃に車上荒らしで補導されて少年鑑別所に送致された経験がある。10代頃から広島に拠点を置くヤクザである波谷守之に憧れていたという[2]



20歳代


漫才ブームが次第に沈静化する中、1985年5月、紳助・竜介は解散。その際、「このままではサブロー・シローやダウンタウンには勝てない」と発言した[注 1]



40歳代


2000年代に入ってからはプロデュース業にも進出。関西テレビ『紳助の人間マンダラ』では、吉本興業のお笑いコンビであるランディーズ、ロザン、キングコングの3組によるアイドルユニット「WEST SIDE」をプロデュース。関西圏ではジャニーズ事務所のアイドル達をも凌駕するほどの大人気グループに成長させた。後述の引退後のインタビューの際に、多くのタレントのプロデュースを行った理由について、「自分が出たから、僕が関わった人間が1人でも世に出ればという気持ちがあった」「芸能界で成功するのは1000分の1の可能性くらいであり、そんな中で自分の関わった奴らをなんとか世に出してあげたら、自分も幸せな気持ちになるから」と語った。


2001年には吉本興業から「漫才復活のために知恵を貸してください」と頼まれ、漫才選手権大会(テレビ番組でもある)『M-1グランプリ』を企画。大会委員長として審査員も務めた。厳しい審査の中でますだおかだ、フットボールアワー、ブラックマヨネーズ、チュートリアル、サンドウィッチマンなど数多くの若手漫才師を世に送り出す。おぎやはぎ、南海キャンディーズ、オードリーなど優勝には至らなかったもののこの大会をきっかけにブレイクしたコンビも多い。2008年度からは「国民的行事」と呼ばれるほどの注目度と人気が高まった(この年、関西地区での平均視聴率35%以上、瞬間視聴率は40%以上を記録した)。2010年で惜しまれつつ一旦終了したが、紳助は「惜しまれて終わるのが一番良い」と述べている。


2004年10月から2005年1月までの間は傷害事件(詳細後述)により一時、テレビから姿を消していたが、年明けに復帰。


2005年、石垣島に喫茶店「TOMURU(トムル)」をオープン(130R経営、現在は閉店)。同年、京都で料理店を営んでいた古塚健一と共同で株式会社はせ川を設立。11月に大阪・東心斎橋に「寿司 はせ川」をオープンし、2007年9月には東京・西麻布にもオープン。その他、大阪・東心斎橋に「しゃぶしゃぶ チョモランマ はせ川」(現在は閉店)や「京風鉄板 はせ川」、「バー はせ川」などを展開する。


2005年10月からのフジテレビ『クイズ!ヘキサゴンII』ではPaboや羞恥心といったユニットをプロデュースし、ブームを巻き起こす。これをきっかけにカシアス島田名義で作詞活動を行なうようになる。



50歳代


2007年から2010年まで、国政選挙施行日における日本テレビの選挙特別番組『ZERO×選挙』でメインキャスターを務めた。


2009年6月14日放送分のNHK総合テレビ『MUSIC JAPAN』に「カシアス島田」名義でコメント出演した。なお、NHKへは『おとうさんの時間』(1993年 - 1994年)のほか、『バラエティ生活笑百科』(1985年。NHK大阪放送局制作)や『私と尾崎豊〜マイベストソング』(2003年4月14日)など数番組に出演歴がある。


2009年と2010年には、フジテレビ『FNSの日』(前者は『FNSの日26時間テレビ2009超笑顔パレード 爆笑!お台場合宿!!』、後者は『FNSの日26時間テレビ2010超笑顔パレード 絆 爆笑!お台場合宿!!』)の総合司会を2年連続で務めた。その中でFNS局対抗企画として2年連続で開催した三輪車12時間耐久レースで大会委員長を務めた。


オリコン調査による「好きな司会者ランキング」では2009年・2010年で2年連続1位を獲得した。一方2011年には、
日経BP社刊『日経エンタテインメント!』編集部調査による「お笑い芸人人気調査」において、「嫌いな芸人ランキング」の第1位を獲得した(これまで江頭2:50が9年連続トップに君臨していたが、紳助が江頭のV10を阻んだ。ちなみに、好きな芸人ランキング1位は同期の明石家さんま)[3]


芸能人時代晩年ではNHK『NHK紅白歌合戦』の司会を目指していた[4]。なお実際、2008年前後にはマスコミ報道で紅白司会起用の可能性が幾度か取り沙汰された[5]。同じく日本テレビ『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』内チャリティーマラソンのランナー候補に挙がっていると報道されたこともある[6](引退後、「紳助が同チャリティーマラソンに挑戦して芸能界復帰」との報道がされたこともある)。



芸能界引退へ


2011年8月23日、最後のテレビ出演となった『開運!なんでも鑑定団』の放送終了直後、暴力団関係者との「黒い交際」を理由に引退を宣言し、この日を以って芸能界を引退。警察では、深い交際があったのではないかと捜査を進められた[7]。(詳細後述)


一方、民事裁判で、暴力団交際報道の記事について講談社を名誉棄損で訴えた件では、複数の建設会社社員らに対する現代側の取材内容について「具体的かつ詳細で、内容に不自然な点はない」と指摘し、「少なくとも記事の重要部分を真実と信じる相当の理由があった」と認め、東京地裁は紳助側の主張を退けた[8]


引退となる2日前、『24時間テレビ34』『行列のできる法律相談所』の生放送に立て続けに出演しており、『24時間テレビ34』のチャリティーマラソンを完走した徳光和夫に対し、『行列のできる法律相談所』の生放送内で「今日でテレビは引退のようなものだから、今後は楽しんでテレビに出てほしい」と述べる場面があった。


引退後も、明石家さんまや、松本人志らが、テレビで紳助の名前を出すことがある。


2018年12月18日、その年M-1グランプリの一連の騒動を受け、芸能界から去って以降初めて表舞台へと現れた。



人物



愛称


多くの芸能人からは「紳助さん」「紳助師匠」と呼ばれていたが、同期の明石家さんまや和田アキ子、笑福亭鶴瓶、上岡龍太郎、坂田利夫、やしきたかじん、上沼恵美子、ビートたけし、間寛平、B&B(島田洋七・島田洋八)、島田一の介、タモリ、大橋巨泉、所ジョージなどの年上の著名人及び、年下の先輩の著名人からは「紳助」、山城新伍からは「紳助ちゃん」、オール巨人、大平サブローからは「紳ちゃん」、今田耕司や松本人志からは「紳助兄やん」と呼ばれていた。また、クイズ!ヘキサゴンⅡでは、「カシアス島田さん」、「カシアスさん」などと呼ばれることもあった。



身体


身長170cm、体重70kg。



家族構成


配偶者(妻)は一般女性で、3人の娘と5人の孫(5人とも女児)がいる。なお初孫は、紳助が芸能界を引退した直後の10月に誕生している。



学歴


京都市立唐橋小学校、京都市立八条中学校を経て大谷高校卒業。京都学園大学経済学部に入学したが、入学試験が面接だけであり、ここに4年間通っても得るものは少ないと考え、親が入学金を支払った直後に弟子入りしたため通学はしていない。



職歴


「大阪吉本興業」→「東京吉本」を経て、2007年10月より吉本の完全子会社である「よしもとクリエイティブ・エージェンシー東京」に属していたが、別に「有限会社オフィス百三十アール」(通称 「130R」)という個人事務所を設けている。事務所の名前は鈴鹿サーキットにあるコーナーの名称に由来している。1999年7月[9]から2011年3月末まで京都市特別観光大使を務めていた。同年8月23日に芸能界引退を表明。また、株式会社ディンプスの相談役を引退に伴い2011年8月24日付けで引責辞任した。



弟子


紳助に弟子入りを申し込んで断られた板尾創路は前述の「130R」という名前を気に入り、紳助の了承を得て、「130R」という名前をほんこんと自身のコンビ名にした。そのほか、島田半平太(引退)、島田まさしらが弟子である。



趣味・嗜好


1986年から1995年までの10年間、レーシングチーム『チーム・シンスケ』の監督として、鈴鹿8時間耐久ロードレースや全日本ロードレース選手権に参戦した。NHKのスポーツ番組でインタビューが放送されたこともある。1980年代後半はバブル景気の絶頂期であり、モータースポーツ界には各方面のタレントをお飾りで監督に仕立てた(つまりサーキットに来てもレース関係の仕事は何もしない)レーシングチームが2輪・4輪を問わず乱立していたが、紳助は自ら企画書を作成してスポンサー企業を回ったり、レース当日は自分で作戦を立ててライダーやスタッフに指示を出したりし、他のタレント監督とは完全に一線を画していた。その時の活動を書いた著書『風よ、鈴鹿へ』は、小説ではあるがノンフィクションに限りなく近い作品である。また、1991年にはバイクレースをテーマとした映画『風、スローダウン』の監督をつとめている。


自身も高校時代に経験しているためかボクシングに対しての造詣が深く、他のスポーツに比べてマイナーなイメージがある事を遺憾に思っている。先述の亀田一家のパフォーマンスや、辰吉丈一郎が対戦相手を挑発する行為に関しては、そのマイナーなボクシングを世間にアピールするための言動であると評している。また渡辺二郎との交友歴が長かったが、これが後の芸能界引退の契機となった。


父親が元国鉄職員だったゆえに鉄道に関する知識もあり、自身司会の『クイズ!ヘキサゴン』で「神戸-東京間の在来線(東海道本線)の全駅名を暗唱する」という特技を披露したことがある。[10]


わたせせいぞうの作画で漫画原作を担当している。だが本人は子供の頃から漫画を読まず、熱中したアニメもないという。そのため、フジテレビ系アニメ『ONE PIECE』のタイアップ曲である「風をさがして」の作詞を真面目にせず、ファンから酷評された[11]。しかしながらジブリ映画にははまっており、中でも『耳をすませば』は「凄く良かった」と著書で絶賛していた[12]。また、1990年に放送されたアニメもーれつア太郎の主題歌を島田紳助&バスガス爆発楽団名義として担当していた。



傷害事件


2004年10月25日、朝日放送社内にて『クイズ!紳助くん』収録前、勝谷誠彦の女性マネージャー(当時40歳)が、紳助の尊敬する会社の社長や先輩芸能人を呼び捨てにして話すのを聞き、さらにその女性が会社に入って当時既に5年目と知り、その女性を別室に連れ込み説教をしたが、反省の様子が全くないと腹を立て、拳や物で殴る、髪を掴んで壁に打ちつける、顔に唾を吐きかけるなどの暴行を加え、全治1週間の頸椎捻挫を負わせた。


すぐさま被害女性は大阪府警大淀警察署に診断書を提出し、10月28日付で傷害容疑で告訴した。紳助は警察に訴えられたと知ると、同日に吉本興業の東京支社で記者会見を開き、暴行傷害の容疑を認め、テレビカメラの前で「100対0で僕が悪いです」「被害者が芸能界を辞めろと言うならすぐに辞めます」と言って涙を流して反省している様子を見せた。だが、記者からの質問に対してはひたすら「僕が悪い」を繰り返すだけで、質問には全く答えなかった。


これを受けて吉本興業では11月4日まで紳助を謹慎処分とし、期間中のレギュラー番組については、各局ともテロップ(収録した日付など)を挿入して通常通り放送した。ただし日本テレビ『行列のできる法律相談所』については、法律をテーマに扱っているだけにテロップ挿入で放送というわけにはいかず、緊急生放送として事務所の後輩で準レギュラーの東野幸治を代理司会に立てて放送した。


大阪府警大淀署は11月4日、紳助を「加害者」として傷害罪の疑いで書類送検、検察が略式起訴を請求し、大阪簡易裁判所において、「罰金30万円」の略式命令が下され、正式裁判の請求がなされることがなかったため有罪が確定した。


なお、紳助は、当初の11月4日までの芸能活動自粛期間の無期限延期を表明し、11月8日の読売テレビ・日本テレビ『キスだけじゃイヤッ!』を最後にテレビから一時期姿を消した。被害者からは「芸能界を辞めて」と引退を要求されていたが2ヶ月程の謹慎の後、2005年1月2日『行列のできる法律相談所』内の生放送にて復帰の挨拶と事件についての謝罪を改めて行って復帰した


謹慎期間中は先述の東野やダウンタウンらが紳助のレギュラー司会の代理を務め、紳助の復帰まで繋いだ。


被害女性は事件後休職していたが、2006年6月限りで休職期間満了として退職扱いとなった。しかし、同年8月4日には被害女性が加害者の紳助と吉本興業を相手取り、4400万円の損害賠償を求める民事訴訟を東京地方裁判所に起こした。また、仕事ができなくなったのは首の捻挫やPTSDなどが原因であるとして、退職扱いの無効と雇用関係の確認も求めた。賠償請求訴訟は2010年9月21日、原告主張が認められ1045万円の賠償命令が下ったが、退職扱いの無効と雇用関係の確認に関しては原告主張が認められず棄却となった[13]。本件の控訴審は2011年9月22日、東京高等裁判所で和解が成立。これに関して吉本興業側は具体的な内容について「明かさない」としている[14]



書類送検時のメディアの呼称



先述の書類送検時、メディアがこれを報じた際、NHK・共同通信社は「島田紳助所属タレント」、日本テレビは「島田紳助さん」、TBS・テレビ朝日・テレビ東京は「島田紳助司会者」、フジテレビ・読売新聞・朝日新聞は「島田紳助容疑者」、毎日新聞は「島田紳助(呼び捨て)→島田紳助容疑者」、産経新聞は「島田紳助さん→島田紳助容疑者」、スポーツ新聞各紙(『スポーツニッポン』、『日刊スポーツ』、『スポーツ報知』、『デイリースポーツ』、『サンケイスポーツ』:大阪版)は「島田紳助(呼び捨て)」とそれぞれ呼称が分かれた。


民放在京キー局で唯一「容疑者」呼称をしたフジテレビは「(逮捕ではなく)書類送検ではあるが、紳助が記者会見で罪を認めたため、容疑者扱いとした」としている[注 2]。また、フジテレビを含め「容疑者」呼称をしたメディアも「島田紳助(芸名)容疑者」とし、「長谷川公彦(本名)容疑者」とはしなかった。



芸能界引退



記者会見


2011年8月23日19時頃、所属する吉本興業から「島田紳助に関する緊急記者会見開催」がマスコミ各社に通知され、22時00分より吉本興業東京本部で紳助本人および吉本興業社長の大崎洋などによる記者会見の席にて同日付にて島田紳助が芸能界を引退するという発表が行われた。引退事由は、紳助と暴力団関係者との交際が発覚し、けじめを付けるため、自らの意思での引退であるとした。紳助はあらかじめ軽い言い方で申し訳ないと前置きしながらも「僕の中では『この程度』なんです。頻繁に密着しているわけではない。『この程度』でも引退になるんだと、後輩に同じ過ちを繰り返させたくない」「自分の中ではセーフと思っていたが、芸能界のルールとしてはアウトだった(指摘されるまで気づかなかった)」「(週刊誌による不法カジノ入店を否定した際)嘘を言っていたら、皆さんの前で腹を切る」「僕が何も言わなかったら謹慎処分だったと思います」と語った。時折、涙を交えながらの記者会見は50分程に及んだ。また涙の理由に関しては「引退を決意した際、慰めてくれたり本気で叱ってくれた人の優しさを思い出し涙を流したのであって引退に対する後悔の涙ではなく引退を決意してから一度もぶれることがなかった」と述べた。


紳助は後述の引退後のインタビューの際、「引退は以前から別の理由で考えていて、暴力団との交際発覚はそのきっかけの1つに過ぎない」と語っている。


吉本興業側は、警察から吉本興業に暴力団関係者のメールの中に、紳助とのやりとりがあったという情報が寄せられたことから[15]、8月21日のいずれも日本テレビ『24時間テレビ34』、『行列のできる法律相談所』生放送終了直後に紳助を呼び事実確認をしたところ、紳助が事実であることを認めたため引退を決定した。「法的には問題はないが、芸能界のモラルとして社会的影響力の高いテレビ等に出演しているタレントとしては許されない。社としては厳しい態度で臨むべきだと判断した」と説明した。また会見では、暴力団関係者の氏名・団体名は非公表とされ、記者団にもそれに関する質問の自粛を求めた。


各メディアは紳助引退の第一報を会見終了後に行い、テレビ・ラジオで会見の生中継もなかった(これも吉本興業側の通達によるものとされる)[16]



その後の報道


会見翌日以降、芸能ニュースだけでなく一般ニュースとしても大きく取り上げられた。関係を持っているとされた暴力団関係者は、1人は渡辺二郎、もう1人は、山口組ナンバー4・筆頭若頭補佐で、山口組系極心連合会会長の橋本弘文であると報道された[17][18]。また、渡辺は極心連合会相談役であるとも報じられた。関西テレビ『紳助の人間マンダラ』担当中の1998年、番組内で行った発言が右翼団体の癪に障り、関西テレビ本社に頻繁に街宣がかけられ、引退を考えるまでに精神的に追い詰められていた。しかし、渡辺が橋本にそれを鎮めるよう依頼し、右翼団体の街宣は収まった。以来、それを鎮めた橋本との交流が始まった。25日には、橋本に送った手紙や同席写真が、暴力団関係者の警察の家宅捜索の際に見つかっていたことが報道された[19][20]


後にはさらに、別の山口組大幹部―山口組のナンバー2と目される弘道会会長・高山清司と見られる人物と肩を寄せ合って写った写真が『フライデー』に掲載されるに至っている[21]。紳助は後述のインタビューの際、これらの写真に関して、「自分のミスだった」「昔に撮った写真で存在を忘れていた」と釈明した上、改めて自身が暴力団と深い関係がないことを強調し、その証拠として「もし深い関係があるなら、自分は逮捕されている」と主張している。


2012年1月4日に吉本興業社長の大崎が記者会見を開き、「いつの日か、私達吉本興業に戻ってきてもらえるものだと信じております」「私達は彼の才能を惜しむものであります」「これは吉本興業の全社員、全タレント、全芸人の思いです」と紳助の芸能界復帰を希望する発言を行った。『週刊ポスト』2012年5月25日号によると、この会見翌日、吉本興業には抗議の電話が殺到し、大崎自身にも世間から厳しい批判の目が向けられたという。吉本興業側が紳助の復帰を熱望する理由については、「紳助の抜けた穴が想像以上に大きく、若手芸人で埋めるのは無理だったことに加え、経営状態も決して盤石とは言えず、“稼ぎ頭”に早く戻ってきてほしいという切実なる本音」としている。ただし大崎の発言後、週刊誌等のメディアは紳助の芸能界復帰説を書き立てるようになった。2012年春以降は、具体的な復帰プランについて報じる週刊誌なども出ている[22][23][24]。また、2012年8月に紳助は大崎と会談し、頑なに「復帰はしない」と主張していたことが報じられた[25]



芸能関係者・政界その他各界からのコメント


紳助はダウンタウンの登場が自らに漫才を諦めさせ、紳竜解散を決意するきっかけとなったため、自分が芸能界を辞める際はまず友人関係にある松本人志に話をすると予てから心に決めていた。そのため今回の引退決意に際して紳助は松本に電話および電子メールにて自身の引退を伝え、それを受け取った松本は「辞めないでください、漫才だけは辞めないでください」と慰留するも紳助の意思は固く、「自分のわがまま、美学を通させてください」と返されたという[26]。松本自身はその後、コメントを発表せずインタビューでも一定の沈黙を保ったが、コメンテーターとして出演している『ワイドナショー』において、2013年10月21日に「僕は全然戻ってきてもいいと思う」、2014年5月4日には「僕はずっと言ってるんですけど、紳助さんに戻ってきてほしいんですよ」と紳助の復帰を望む発言を繰り返している。また紳助は和田アキ子にも引退を報告しようとしたが、和田が海外旅行中で出なかったため、報告は松本のみになった。和田は帰国後、「弟のように可愛がっていたのに残念」と語った。


ロンドンブーツ1号2号・田村淳は「吉本興業の尊敬する先輩の1人が引退されること、ただただ残念でなりません。僕が司会の仕事をするようになった時に紳助さんの番組を沢山見て、勝手に学ばせてもらってました…中々一緒に仕事をする機会が少なかったですが、まだまだ勉強させてもらいたかったです」と述べた[27]


ナインティナインの岡村隆史が病気で休養していた間、毎日メールで連絡をしていた先輩が紳助であり、引退に際しては「常に自分を気にかけてくれた、ただただ熱く後輩想いの良き先輩、戻ってきて欲しい」とコメントした。また、任命された『THE MANZAI 2011』の司会をやり遂げたいと決意を露わにし、やり遂げた[28]


紳助の番組をきっかけにブレイクした上地雄輔は自身の公式ブログで、「しんすけさんは、誰がなんと言おうと、何を言われようとオイラの父ちゃんです。「お父ちゃん」なんて書いてまた不謹慎て書かれても報道されても、間違いなく大事な大事なオイラの父ちゃんは父ちゃんです。あの人はそんなすごいスーパーマンです。ただオイラはオイラの大好きな人の笑顔と、きれいな涙を何があろうと、守ると決めたらズェッテーに守ります。文句があんならどーかほっといて(;_;)」とコメントした[29][30]。それ以外にも紳助の番組に出演した芸能人はブログやテレビ番組で引退を惜しむコメントを出した。


明石家さんまは紳助の引退に理解を示し、「帰ってきたって良いんですよ」「引退する気持ちは物凄い分かる。疲れてくるんですよ。いろんなことに。僕も何度もやめようと思った」とコメント[31]。紳助とは同期であり親友の間柄だが、本人から連絡は来ず会社からの報告で引退を知ったと語った。また、一番の友達というイメージであろう自分に記者が詰めかけるだろうと予想していたが、1人たりとも取材が来ず落胆したという。本人は紳助に「やめないでくれ」と泣いたり、面白コメントを残す用意をしていたらしく、記者会見まで開くつもりだった。公には「(仕事が増えて)嬉しいわ」「本人とは連絡とっていない。あいつは法律で決まっているかのように大事な話は一切せえへんねんな」「あいつが辞めたことで、仕事が増えるやろ。(引退の真相を)俺が調べてラジオで言うわ」とコメントしている。紳助引退後の『行列のできる法律相談所』のスペシャルの回では特別ゲストとして登場し司会を務めている(その際、紳助の名前を出し笑いを取ることもある)。


一方でビートたけしは過去にトラブルがあっても全て自己解決してきたといい、「タレントとしてそういうのを上手くやって逃げるのも本人の芸だって言ってるんだけど、紳助は逃げる芸がなかった」、「紳助が悪いのは、一番肝心な『ヤクザにモノを頼む』っていう大失敗をしでかしたこと」などと語った[32]。引退報道直後に放送された『たけしが鶴瓶に今年中に話しておきたい5〜6個のこと 其のII』の冒頭において、引退問題について、笑福亭鶴瓶とトークした際、「紳助を引退というかたちではなく、半年間謹慎にさせて、その復帰後に暴力団に関するネタを話していけば良いのではないか」と提案していた。また、たけしが前述のインタビューの後に、しばらくマスコミに追い掛け回されたことについて、「紳助の気持ちがわかった」とも吐露していた。


やしきたかじんは「歯切れが悪い。メールくらいでは吉本は切らない」と記者会見で語られた以上の事実があるのではないかとの見方を示した[33]。大橋巨泉は「カナダで、限られた情報しか手に入らない」「反社会的勢力との交際は、公人としてはまずい」とした上で、「『引退』には反対」「『1年間の謹慎、休養』くらいが妥当ではないのか」「これからが面白いと思っていたのに、残念でならない」と過去に自らが才能を見出した紳助の引退を惜しんだ[34]


政界その他各界からもコメントが多数寄せられた。『行列のできる法律相談所』への出演から政治家へ転身した者のうち、当時大阪府知事の橋下徹は「紳助さんの番組がなければ知事になれなかった」「非常に残念であり、(引退会見を見て)つらかった」「バラエティーの世界で、宝であるのは間違いない」とし、紳助にメールで「お疲れ様でした」とねぎらいの言葉を送り紳助からは「ありがとう」という返信が来た事を述べたが、自身の立場上暴力団関係者との交際については「暴力団追放の旗振りを僕がしている以上、寛容にはなれない。紳助さんが判断されたことは、正しい判断だと、僕は思っている」と述べた[35]。同様に現在、参議院議員の丸山和也は「綺麗事で腑に落ちない。響かないワンマンショーだった」「『どこが悪いんですか』と突っ張って開き直るべきだった。」「そうしないから『他に理由があるのかな』『先手を打ったのかな』と思ってしまう」「『後輩に示しがつかない』『僕の美学』と、お涙頂戴の世界にするのは逆にカッコ悪い」と評した[36]。また、当時の内閣官房長官であった枝野幸男は「政府は企業活動からの暴力団排除に向けた取り組みを推進しており、引退はやむを得ない。天才的で国民に広く親しまれていただけに残念」とコメントした。


評論家の麻生千晶は「番組で人の顔の造作や体型についてまであれこれ言い、“突っ込み”と称する『いじり』と『いじめ』を繰り返していた。そんな彼の手法を真似(まね)する子供も増えたと聞き、彼が女性マネジャーへの傷害事件を起こした後も、各テレビ局の対応は甘く、彼を使い続けたテレビ局や吉本興業にも責任がある」と評した[37]


他に海外メディアも引退を伝えた。



テレビ各局への影響


紳助の引退で、出演番組の放送についての対応はテレビ局毎に分かれた。共通していることは、引退後に収録された番組でトーク、ナレーターなどで紳助に関連する内容に触れる場合、紳助の実名を伏せて「あの人」「前任者」「大物司会者」などに言い換えて放送した[38][注 3]。在京局・在阪局制作の紳助出演番組を購入して放送(再放送含む)するローカル局も該当番組を差し替えるなど対応に追われた。また、石橋貴明や松本人志、今田耕司、岡村隆史らが紳助を連想させる言葉として、「素敵やん[注 4]」を用いている。


同様に、出演番組のVTRやCSチャンネルでの再放送など二次使用もできなくなった。再放送に関しては、紳助がゲスト等で出演した回は避けているが、『オレたちひょうきん族』などレギュラー・司会として毎回出ていた番組は打ち切りの措置をとった。地上波でのVTRの二次使用においては紳助の顔や姿が映りこまないように編集して放送されているが、そのような場合でも相槌程度の声が入っていることはある[注 5]


詳細な情報に関しては、各番組の記事を参照のこと。



放送継続


開運!なんでも鑑定団

「番組内容に問題があったわけではない。お宝の鑑定自体が番組のメインで、紳助さんありきの番組ではない」と放送継続を早期に決定。同月27日には、代理司会として先述謹慎時にも起用された今田耕司を起用し9月13日放送分までの3回分が収録された。それ以降の放送での司会進行役は未定とされていたが[39]、2011年9月14日にテレビ東京より今田を後任の正司会者にすることが発表された[40]

行列のできる法律相談所

8月最終週分の放送を中止し、代替番組(直前番組『世界の果てまでイッテQ!』の特別編)が放送された。その後、同月29日に番組の存続が日本テレビから発表された。9月以降は司会者を変え、9月4日放送分の代理司会を東野幸治に決定し収録が行われた。その後は東野と宮迫博之、後藤輝基(フットボールアワー)が交代で司会を務めている[41]。その他、12月4日は綾部祐二(ピース)が、3月4日はベッキーが司会を務めた。番組改編期のスペシャル版は明石家さんまが務めている。2012年1月から再放送が再開されている。

人生が変わる1分間の深イイ話

『行列』同様8月最終週は代替番組(直後番組『しゃべくり007』の特別編)が放送され、その後は引き続き羽鳥慎一(同じ誕生日)の司会で放送された[42]。さらに、紳助の番組での肩書きだった「スペシャルコメンテーター」は週代わりゲストで対応して放送を続行すると報じており、実際にその体裁で番組が続行されていた[43]。2012年10月から今田耕司が「スペシャルコメンテーター」に固定され、放送が続いている。

オールスター感謝祭

引退から約1か月後の2011年10月1日に放送が予定されていたが、引退直後は放送自体が一旦白紙となった[44]。その後リレーによる司会で開催することが決定したが、当日の放送まではメンバーを発表せず、その状況を逆手にとって「MC不在で番組最大のピンチ」「新司会者は誰なのか!?」といった番組宣伝CMを流し、当日の事前番組でも島崎和歌子が新司会者について打ち合わせをする模様を放送した。そして、本編の放送内で登場とともに発表され、今田耕司・田村淳・東野幸治が交替で司会を務めた。2012年春からは今田が正式な2代目の総合司会に就任している。


放送終了


紳助社長のプロデュース大作戦!

当初は番組内では紳助以外では最高位の役職「部長(司会補佐)」の陣内智則が「社長(司会進行)」に昇格して放送継続するとの報道があったものの[45]、その後9月中の放送休止および10月以降の放送は未定であるとの発表を経て[46]同年9月7日に、『サンケイスポーツ』のTBSへの取材で、「紳助が企画を立てるという番組の特性上継続はできない」として、番組打ち切りを認め、同年8月16日放送分[注 6]を以って終了。また、当時赤坂サカスで開催されていたイベント『夏サカス2011〜笑顔の扉〜』の番組ブースは同年8月28日の会期終了を前に8月24日で閉鎖となり[47]、番組内のプロジェクトとして宮古島で経営していた民宿も9月25日で営業を終了した。

民宿の支配人として宮古島に滞在していたデンジャラス・ノッチ夫妻の動向に関しては『中居正広の金曜日のスマたちへ』9月30日分「夫婦波乱万丈」において、放送された。2011年11月1日からはナインティナインを起用した『もてもてナインティナイン』がスタートした[48][49]。番組内企画の1つであった「お見合い大作戦」もその番組に移して続行した。

クイズ!ヘキサゴンII

引退発表翌日の同年8月24日およびその翌週の8月31日は代替番組が放送された。また、当時開催中であった『お台場合衆国』の番組イベントは同年8月31日の会期終了を前に8月24日を以って中止となった[47]

そして同年9月2日にフジテレビから、同月7日は藤本敏史(FUJIWARA)とつるの剛士で、14日は品川祐(品川庄司)と上地雄輔の代理司会で放送することが明かされ[50]、翌3日に収録が行われた[51]。それ以降の放送に関しては、放送の継続に関しても五分五分としていたが[50]、2011年9月14日の『日刊スポーツ』の報道において、『プロデュース大作戦!』と同様に紳助抜きで番組を維持するのが難しいと判断され、9月28日放送の「卒業式」特番を以って終了した[52]。紳助の冠番組以外で打ち切られた唯一の番組ということにもなった。2011年いっぱいは特番および代替番組を放送し[53]、2012年1月から新番組として代替番組としても数回放送された『おじゃマップ』を開始した。なお、元々発売が決定していた番組発アルバム『WE LOVE ヘキサゴン 2011』は同年11月23日に予定通り発売されたが、同アルバム購入者による投票という形式で企画予定していた、ヘキサゴンファミリーによる総選挙(AKB48選抜総選挙のパロディ)は中止となった。

クイズ!紳助くん

2011年8月29日放送分からレポーター集団「なにわ突撃隊」を前面に出し、「熱血!なにわ突撃隊スペシャル」として放送されていた。収録済みだった8月29日・9月5日・9月12日放送分はロケパートのみに編集し、9月19日・26日放送分に関しては名場面集となっている。騒動発生早々に「打ち切り内定第一号」とする報道もあったが[54]、局側は放送継続に関して2011年8月30日時点では検討中としていた[55][56]。しかし朝日放送は2011年9月20日に打ち切りを正式決定し[57]、特番は9月26日に終了した。後番組には『ナイトinナイト』火曜に放送されていた『ごきげん!ブランニュ』が2011年10月31日から移動して放送されているほか、同番組枠は火曜日に移動し、2011年11月1日から雨上がり決死隊が司会を務める『雨上がりのやまとナゼ?しこ』[58]が開始した。

これ以外に紳助が出演予定だった特別番組が多数あったが、いずれも放送中止もしくは代替出演者を立てるなどの対応が行われた。例えば『THE MANZAI 2011』は計画の白紙が一時報じられたものの[59]、その後予定通り開催された[60]。なお、紳助が務める予定だった「大会審査委員長」は代役を置かず空席となった(紳助に代わる番組の顔としてビートたけしが「大会最高顧問」として出演)。


CS放送では『オレたちひょうきん族』の再放送(フジテレビONE)や『クイズ!紳助くん』(スカイ・エー)も終了となった。しかし、過去に紳助が出演していた『人形劇 三国志』(NHK)のNHKオンデマンドの配信は、2014年4月30日まで特に問題なく配信されていた。


引退時点で唯一のCMであり、主に『行列のできる法律相談所』の枠で放送されていた、三浦工業のCMは引退後の24日に放送打ち切りを決定した[61]



引退後の本人の動向


2012年1月、本人役として声のみの出演をした映画『犬の首輪とコロッケと』(引退前に撮影)が公開され、エンドロールに名を連ねた[62]


『週刊文春』2012年4月26日号(2012年4月19日発売)に、8ヶ月の沈黙を破る形でインタビューが掲載され、紳助は「僕は芸能界に未練はない」「沖縄での隠棲生活は『精神的にギリギリの苦しさ』やった」などと振り返り、最後に「これからは世界を旅したい。人間生きてるだけで幸せだと思う」と語ると同時に芸能界復帰や政治家転身を否定した[63]。一方、「いつか『テレビに出れる人』になりたい」とも語っており、自身の突然の引退で迷惑をかけた人達(番組スタッフ等)への償いをしたいという気持ちがあるとし、(『行列のできる法律相談所』のスタッフを指して)「彼らから『特番やろう』『BS(の番組)やろう』と言われたなら『1回だけやりたい』」とも述べている(レギュラー番組を持つなど完全な芸能界復帰は否定)[64]


やしきたかじんは、自身が病気療養中だった時、ハワイのゴルフ場で紳助が会っていたことを、『たかじんのそこまで言って委員会』(読売テレビ)内で明らかにしていた。


2014年8月に亡くなった高校の同級生である土建屋よしゆきの通夜に報道陣を避けて参列(法要後の報道陣の退去後、よしゆきと最後の対面をしたという)したことが、明らかになっている。その時、献花の名札は、紳助の本名である「長谷川公彦」名義となっていた。なお、告別式には参列しなかった。


2014年8月26日、大阪・なんばHatchで開催されたRYOEIの5周年記念コンサートにサプライズ登場した。引退以来約3年ぶりの公の場への登場となり、会場のどよめきと拍手を浴びたが、「復帰なんて1000%せえへんから!」と復帰する意向は全くないことを述べた[65]


2015年には作詞家としてRYOEIに楽曲提供を行った。


2016年2月、フジテレビ『ワイドナショー』にて自身が芸能レポーターに送ったメールが紹介された。


2018年9月には、「島田紳助プロデュース」と題したRYOEIのライブ会場に登場、観客の前で挨拶を行った。新潮社のインタビューに応じ、「収入はない」としつつも、やはり芸能界復帰の意思はないと回答している。[66]



演じた俳優



  • 高山トモヒロ(舞台「吉本百年物語 アンチ吉本・お笑いレボリューション」2013年)


引退時点での出演番組



レギュラー番組


  • 行列のできる法律相談所(日本テレビ/2002年 -)

  • 人生が変わる1分間の深イイ話(日本テレビ/2008年 -)

  • クイズ!紳助くん(朝日放送/1993年 - 2011年)

  • 紳助社長のプロデュース大作戦!(TBS/2010年 - 2011年)

  • 開運!なんでも鑑定団(テレビ東京/1994年-)

  • クイズ!ヘキサゴンII(フジテレビ/2005年 - 2011年)


単発・不定期番組


  • オールスター感謝祭(TBS/春・秋の年2回特番)


  • ZERO×選挙(日本テレビ/選挙実施時に放送)


  • 行列のできる芸能人通販王決定戦(日本テレビ/不定期特番)


  • 世界1のSHOWタイム〜ギャラを決めるのはアナタ〜(日本テレビ/不定期特番)


  • ザ・爆笑王 2010春 激突!夢のベストテン(日本テレビ/2010年3月16日放送)


  • FNSの日(フジテレビ/1987年 - 1989年、2005年 - 2011年/2009年・2010年は総合司会、それ以外はゲスト出演)


  • THE MANZAI 2011(フジテレビ/不定期特番)


  • 24時間テレビ 「愛は地球を救う」(日本テレビ/2005年・2007年・2009年・2011年/ゲスト出演)

  • 紳助・徳光の一枚の写真(九州朝日放送/不定期特番)


  • お坊さんがズバリ!解決!紳助の駆け込み寺(TBS/「スパモク!!」枠にて不定期特番)

  • 沖縄のすべらない話


CM


  • 三浦工業(2001年 - 2011年)


  • マツダボンゴフレンディ(1995年頃)


引退より前に終了した出演番組


※コンビでの出演作は島田紳助・松本竜介の項を参照のこと。



バラエティ番組



  • ひょうきんミニ放送局(フジテレビ)


  • ひょうきん予備校(フジテレビ)


  • 紳竜・さんまのスクープ一直線(関西テレビ/1983年)


  • 紳助・ケントの世界がお呼びです!(毎日放送/1988年4月-1990年9月)

  • 紳助のMTV倶楽部→CLUB紳助(朝日放送/1988年4月12日 -1996年9月)


  • クイズ仕事人(朝日放送/1988年10月-1991年3月/『クイズ!紳助くん』の前身番組)


  • サンデープロジェクト(テレビ朝日/1990年4月-2004年3月まで出演。番組は2010年3月まで続いた)


  • 新伍・紳助のあぶない話(関西テレビ/1990年-1996年)


  • EXテレビ 火曜日(読売テレビ/1990年4月-1994年4月)

    • 紳助のサルでもわかるニュース(読売テレビ/1994年4月-1997年9月)


    • BLT (読売テレビ/1995年 - 1996年)


    • キスだけじゃイヤッ!(読売テレビ/1997年10月-2006年3月)⇒以後はスペシャル番組として放送。


    • 芸恋リアル(読売テレビ/2006年4月-2007年7月)


    • 今夜はシャンパリーノ(読売テレビ/2007年7月-2008年2月)



  • 紳助の人間マンダラ(関西テレビ/1991年4月-2002年3月)
    • 太っ腹!紳助ファンど(関西テレビ)


  • クイズ!当たって25%(TBS/1991年10月 - 1992年3月/『オールスター感謝祭』の原型番組)


  • ダウトをさがせ!(毎日放送/1992年4月-1993年9月)
    • ダウトをさがせII → ダウトをさがせR(毎日放送/1994年10月-1995年6月)


  • クイズ どんなMONだい?!(日本テレビ/1992年4月-1994年3月)


  • 嗚呼!バラ色の珍生!!(日本テレビ/1994年10月 - 2001年3月)

  • 1995年度ミス・ユニバース日本代表選出大会(朝日放送/1994年12月7日/板東英二と共に司会)


  • メトロポリタンジャーニー(フジテレビ/1996年4月-1997年3月)


  • コロンブスのゆで卵(TBS/1996年4月-1997年9月)


  • カジノザウルス(関西テレビ/1996年7月-1997年3月)


  • 特捜!芸能ポリスくん(TBS/1998年4月-1999年3月)


  • ウォンテッド!!(フジテレビ/1998年4月-1999年3月)

    • 走れ!!しあわせ建設(フジテレビ/1999年4月- 8月)


  • 松紳(広島テレビ/2000年10月-2006年3月/ダウンタウンの松本人志と共演)


  • ザ! キャッシュマン(フジテレビ/2001年4月-8月)

    • B.C.ビューティー・コロシアム(フジテレビ/2001年-2003年。2004年から放送開始したスペシャル版には第1回のみ出演し、以後は降板した)

  • ジョン万次郎(TBS、2002年10月-2003年3月)


  • クイズ!ヘキサゴン(フジテレビ/2003年4月-2005年10月)


  • 世界バリバリ★バリュー(毎日放送/2003年4月-2008年3月)

    • 明日使える心理学!テッパンノート(毎日放送/2008年4月-9月)


  • 謎を解け!まさかのミステリー(日本テレビ/2003年10月-2006年3月)


  • 島田検定!! 国民的潜在能力テスト→島田検定SUPER!!(TBS/2005年4月-2006年2月)

    • アスリート応援TV! ニッポン!チャ×3(TBS/2006年4月-2007年2月)


  • 美味紳助(テレビ朝日/2007年4月-2007年9月)

    • 女神のアンテナ(テレビ朝日/2007年11月-2008年8月)


  • 一攫千金!日本ルー列島(フジテレビ/2008年4月-2009年2月)


  • ホンネの殿堂!!紳助にはわかるまいっ(フジテレビ/2009年4月-2010年9月)


  • クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!(日本テレビ/逸見政孝の代理司会・解答席)


  • 歌のトップテン (日本テレビ)


  • クイズ!!体にいいTV(日本テレビ)


  • 全国高等学校クイズ選手権 事前番組(日本テレビ/1987年-1996年)


  • クイズ三角関係 (TBS)


  • わくわく動物ランド (TBS)


  • ムーブ・島田弁護協会(TBS/1992年10月-1993年3月/『沼島の春よふたたび!お見合い大作戦』はこの番組から誕生)
    • ムーブ・テレビ進学塾(TBS/1993年5月- 9月)

  • 青春!島田学校(TBS/1990年)

  • TV-JACK(朝日放送)


  • 誰がカバやねんロックンロールショー(関西テレビ)

  • 夢々夢中組(毎日放送)

  • 紳助の狼が来た〜(読売テレビ)


  • クイズ!!ひらめきパスワード(毎日放送)


  • スーパークイズスペシャル(日本テレビ)

  • おとうさんの時間(NHK総合テレビ)


  • プロ野球珍プレー・好プレー大賞(フジテレビ)


  • 熱血!島田塾〜おれたちホンキ宣言〜(テレビ朝日)


  • HEARTに聞け(TBS)


  • ザ・ディール(TBS/不定期特番)


  • 恐怖の食卓(フジテレビ/不定期特番)


  • FNS ALLSTARS あっつい25時間テレビ やっぱ楽しくなければテレビじゃないもん!!(フジテレビ/ゲスト出演)


  • しゃべくり007(日本テレビ/ゲスト出演)


  • 行列のできる芸能人通販王決定戦(日本テレビ)


  • FNSの日26時間テレビ2009 超笑顔パレード 爆笑!お台場合宿!!(フジテレビ/総合司会を務める。)


  • FNSの日26時間テレビ2010 超笑顔パレード 絆 爆笑!お台場合宿!!(フジテレビ/前年同様、総合司会を務める。)


  • 島田紳助がオールスターの皆様に芸能界の厳しさ教えますスペシャル!(読売テレビ)


  • M-1グランプリ(朝日放送 / 年1回特番、2001年 - 2010年)


テレビドラマ



  • あっちこっち丁稚(1975年4月6日〜1983年9月18日放送、朝日放送)


  • 花の駐在さん(1976年〜1984年10月7日放送、朝日放送)

  • 恋のかけら-大阪物語-(1980年3月9日放送、関西テレビ)- 主演[注 7]

  • 春の訪問者 ミセスとぼくとセニョールと!〜夢飛行〜(1980年9月17日〜1981年2月11日放送、毎日放送)


  • 影の軍団II(1981年10月6日〜1982年3月30日放送、関西テレビ)
    • 第22話「甲賀忍法・必殺の賭け」(1982年3月2日放送)


  • 幕末青春グラフィティ 坂本竜馬(1982年11月16日放送、日本テレビ)- 沢村惣之丞 役


  • 木曜ファミリーワイド
    • マザコン刑事の事件簿 湖の幽霊ホテル・「お客さん今晩は…」娘たちはまた消えた!(1983年3月3日放送、フジテレビ)


  • 鉄矢のとんからりん(1983年4月3日〜9月放送、テレビ朝日)

  • 赤い足音(1983年6月22日〜7月27日放送、毎日放送)


  • 花王名人劇場
    • 現代夫婦事情(2) たそがれなんて恐くない!(1984年9月23日放送、関西テレビ)


  • 女殺油地獄 (1984年9月29日放送、NHK)


  • 幕末青春グラフィティ 福沢諭吉(1985年2月11日放送、TBS)- 岡っ引き黒崎 役


  • 月曜ワイド劇場
    • 酔いどれカラオケ女医者 ネオン街の診療室、母がわが娘の妊娠中絶!(1985年3月11日放送、テレビ朝日)


  • 月曜ドラマランド
    • おさわがせ剣士 赤胴鈴之助(1985年7月8日放送、フジテレビ)

  • 好色一代男 世之介の愛して愛して物語(1986年1月1日放送、TBS)


  • アナウンサーぷっつん物語(1987年4月6日〜5月11日放送、フジテレビ)
    • 第5話「女性の美しさと友情」(1987年5月4日放送)

  • 子連れ家政婦アッコさん(1988年3月25日放送)


  • 海岸物語 昔みたいに…(1988年4月6日〜6月22日放送、TBS)- 郷原進 役


  • 土曜ドラマスペシャル

    • 風よ、鈴鹿へ(1988年11月5日放送、TBS)※自伝小説をドラマ化。チーム・シンスケが「8耐」に挑戦する話で紳助も実名で登場。第28回日本テレビ技術賞奨励賞受賞(録音)作品。


  • ドラマ23

    • ビートたけし殺人事件(1989年1月16日〜1月19日放送、TBS)

    • 紳助・典子の新婚物語(1989年4月3日〜4月6日放送、TBS)



  • 火曜スーパーワイド

    • くどき屋ジョー(1989年6月6日放送、テレビ朝日)


  • 花王ファミリースペシャル
    • 花のお江戸探偵団!(1990年4月29日放送、関西テレビ)

  • 吉本最後の日!? (1992年10月8日放送、読売テレビ)


  • 新・部長刑事アーバンポリス24(朝日放送)
    • 第247回「消えた浪花のモーツァルト」(1995年10月14日放送)

    • 第426回「愛と哀しみの果てに…」(2000年1月8日放送)



  • 佐賀のがばいばあちゃん(2007年1月4日放送、フジテレビ)


  • 金曜プレステージ

    • 実録!和田アキ子物語(2008年6月20日放送、フジテレビ)


テレビアニメ



  • サザエさん(フジテレビ)
    • 作品No.6204「おんせん宿は花ざかり」(2009年7月26日放送)※26時間テレビのスペシャル企画。民宿の主人役でゲスト出演。


CM



  • ブルーレット(1986年/小林製薬)


  • ナムコ『さんまの名探偵』

  • ナムコ『デジタル・デビル物語 女神転生』

  • 1988年、アシックス


  • 日清焼そばU.F.O.(1989年)

  • 誌上対談(1989年/日産自動車)

  • ラガービール(1990年/麒麟麦酒)

  • C1000タケダ(1990年/武田薬品工業)


  • 1991年-1992年/大信販(現:アプラス)

  • 吟生(1992年/サントリー)

  • 不老林(メイグイファ/1994-1995年/資生堂)

  • アーモンド・チョコレート(1994-1995年/江崎グリコ)

  • 中央出版(1994年 - 2009年)

  • 関西風味(1995-1996年/麒麟麦酒)


  • ボンゴ・フレンディ(1995年/マツダ)

  • NEXT(1998年/フィリップモリス)


  • NTTパーソナル関西


  • 伊藤ハム(2005年)


  • ジョージア(2006年1月)


  • 大塚食品「マンナンヒカリ」(2009年10月 - 時期不明)


  • 毛髪クリニックリーブ21(2006年12月 - 時期不明):和田アキ子と共演。


ラジオ番組



  • MBSヤングタウン木曜(毎日放送/1984年4月-1987年7月)


  • ハイヤングKYOTO土曜(京都放送/1982年4月 - 1985年9月、1985年10月 - 1986年10月(パート1〔前半〕担当))


  • 島田紳助のスーパーギャング(TBSラジオ/1988年4月-1989年3月)


  • 島田紳助のおっと危ない!東京ばくだん小僧(ニッポン放送/1985年10月-1986年4月)


ゲーム


ファミコン



  • さんまの名探偵 (1987年/ナムコ)本人役
劇中で「紳助言うたらやくざや。どつきかえされるで」と言われている。

3DO


  • 爆笑!!オール吉本クイズ王決定戦(1995年/吉本興業株式会社マルチメディアプロデュース)司会

プレイステーション/セガサターン


  • 爆笑!!オール吉本クイズ王決定戦DX(1995年/吉本興業株式会社マルチメディアプロデュース)司会

ニンテンドーDS


  • クイズ!ヘキサゴンII(2010年/バンダイナムコゲームス)本人役

  • 行列のできる法律相談所(〃年/〃)本人役


書籍


  • 紳助の青春の叫び PART5(1980年11月、レオ企画)


  • 風よ、鈴鹿へ(1991年7月、小学館) ISBN 978-4-09-363291-1

  • 風が、止まる時(1990年9月、小学館)ISBN 978-4-09-363292-8

  • こんな僕でよかったら(毎日新聞社)

  • 「いつも心に紳助を」シリーズ(毎日新聞社)
    • いつも心に紳助を(1994年10月、小池書院)ISBN 978-4-620-31030-5、ISBN 978-4-88315-737-2

    • 新 いつも心に紳助を(1996年11月)ISBN 978-4-62-031144-9

    • いつも心に紳助を ファイナル(1997年5月)ISBN 978-46-2031174-6


  • ラスト・ラン〜おっさんたちの青春が終わった〜(1995年8月、小学館) ISBN 978-4-09-363293-5

  • 紳助のH・愛・ジョーク(1995年9月、毎日新聞社) ISBN 978-4-620-31076-3, 1998年4月 小池書院 ISBN 978-4-88315-781-5

  • メッセージ(1996年3月、毎日新聞社)ISBN 978-4-620-31106-7
    • 紳助の「メッセージ」 たった一回の人生やもん!(同上の本、1999年4月、小池書院)ISBN 978-4-88315-789-1

  • えせ田舎暮らし(1997年9月、KTC中央出版)ISBN 978-4-87758-053-7

  • 知識ゼロからの金儲け(2000年6月、幻冬舎)ISBN 978-4-87728-970-6

  • ぼくの生きかた(2001年3月、KTC中央出版)ISBN 978-4-87758-205-0

  • 天下の廻りモノオカネの正体(2001年6月、幻冬舎)ISBN 978-4-344-40115-0

  • いつも風を感じて(2004年11月、KTC中央出版) ISBN 978-4-87758-335-4

  • ご飯を大盛りにするオバチャンの店は必ず繁盛する -絶対に失敗しないビジネス経営哲学-(2007年5月、幻冬舎新書)ISBN 978-4-344-98038-9

  • ニッポンを繁盛させる方法』(共著:東国原英夫、2007年11月、角川書店)ISBN 978-4-04-710121-0

  • 自己プロデュース力(2009年9月、ワニブックス) ISBN 978-4-84-701819-0

  • 島田紳助100の言葉(2011年2月、ヨシモトブックス)

  • 写真集『日本の美しい女子高生』(撮影:戦場カメラマン渡部陽一、2010年12月15日、ヨシモトブックス/ワニブックス)ISBN 4847043413

  • 南の島(わたせせいぞう、2010年7月22日、講談社)ISBN-13 978-4063648355

松本人志と共著

松本紳助(2002年1月、ワニブックス) ISBN 978-4-8470-1415-4

裏松本紳助(2002年11月、ワニブックス)ISBN 978-4-8470-1473-4

哲学(2003年3月、幻冬舎)ISBN 978-4-344-40332-1

松紳(2004年7月、ワニブックス)ISBN 978-4-8470-1559-5


映画



  • じゃりン子チエ(1981年4月11日公開/東宝=東京ムービー新社)- マサル 役(声の出演)

  • ガキ帝国 (1981年7月14日公開/ATG)- リュウ役 ※映画初出演、スクリプター

  • ガキ帝国 悪たれ戦争(1981年9月12日公開/東映)※友情出演

  • マンザイ太閤記(1981年11月28日公開/松竹=東京ムービー新社)- 織田信長 役(声の出演)

  • 次郎長青春篇 つっぱり清水港 (1982年12月28日公開/松竹)- 森の石松 役


  • 逃がれの街(1983年10月15日公開 /東宝=日本テレビ、田中プロ)- 米倉 役


  • 唐獅子株式会社(1983年12月17日公開 /東映)-赤いネクタイの男 役


  • 瀬戸内少年野球団(1984年6月23日公開/ヘラルド・エース)- 正木二郎 役


  • 櫂(1985年1月15日公開 /東映)- 竹市 役


  • ビッグ・マグナム 黒岩先生(1985年4月13日公開/東映)- 天堂大吾郎 役


  • 星くず兄弟の伝説(1985年6月15日公開 /「星くず伝説」プロジェクト)-「ひょうきんベストテン」司会

  • 童貞物語(1986)(1986年2月15日公開/東映)- トラック運転手 役


  • ゴルフ夜明け前(1987年12月5日公開/東宝)- 桂小五郎 役

  • 死霊の罠(1988年5月14日公開/ジョイパックフィルム)- 原田 役


  • 現代仁侠伝(1997年11月8日公開/東映)- 佐々木 役


  • 佐賀のがばいばあちゃん(2006年6月3日公開/ティ・ジョイ)- スポーツ用品店店主 役 ※友情出演

  • 島田洋七の佐賀のがばいばあちゃん(2009年4月25日公開/ジョリー・ロジャー)- 長谷川先生 役 ※友情出演


脚本・監督



  • 風、スローダウン(1991年11月23日公開 /東映/石田靖主演)


Vシネマ


  • 新・童貞物語2 Close to you あなたのそばに (1991年/バンダイビジュアル)

  • 殺しやPAZUZU (2000年/ミュージアム)


受賞歴


  • 第1回 日本映画批評家賞 特別賞(映画「風、スローダウン」)

  • 第17回おおさか映画祭 新人監督賞(映画「風、スローダウン」)

  • 卒煙大賞(2004年、過去にthe brilliant greenやaikoらが受賞した賞)


音楽活動


  • 1981年頃、自身がボーカルを務める「SHINSUKE-BAND」(ギターを弾けない村上ショージ、ベース・Mr.オクレ)として活動。
    • 「時間だけがロックンロール」(1981年。作詞も)

    • 「東京コミュニケーション」(作詞。紳助バンド)


  • 1982年 「い・け・な・い・お化粧マジック」(明石家さんまとデュエット)

  • 1990年には「島田紳助&バスガス爆発楽団」を結成

  • 「がってん承知ノ介」(「もーれつア太郎」オープニングテーマ)
    作詞:山口のばら、作曲・編曲:つのごうじ

  • 「ニャロメのROCK」(「もーれつア太郎」エンディングテーマ)
    作詞:園部和典、作曲:古田喜昭、編曲:つのごうじ

  • 1991年、ダウンタウンが紳助作詞・作曲の「えっ!さよなら」(自身が1983年に自主制作盤で発表)をカバー。シングル「生きろ・ベンジャミン」のカップリングおよびアルバム『万力の国』に収録。

  • 『クイズ!ヘキサゴンII』による音楽ユニットなど、様々な歌手・ユニットに楽曲提供を行っている。『ヘキサゴンII』発ユニットの楽曲に関しては「ヘキサゴンファミリー」を参照。


  • WEST SIDE - ランディーズ、ロザン、キングコング
    2001年デビュー。『紳助の人間マンダラ』の企画から。


  • RYOEI
    インディーズ時代からバックアップを続け、2009年にメジャーデビュー。


  • 新選組リアン
    2009年デビュー。『人生が変わる1分間の深イイ話』の企画から。


  • ビーチボーイズ
    2011年デビュー。『紳助社長のプロデュース大作戦!』の企画から。


  • 高原兄「風よ、鈴鹿へ」(1988年)


  • オール巨人・中條かな子「FURIN」(1994年)


  • 島谷ひとみ「大阪の女」(1999年)


  • 香田晋「おかあさん」「南の島〜友へ〜」(2006年)


  • ユウキ「アブラゼミ」(2008年)


  • 崎本大海「サヨナラ」(2010年)


  • レギュラー「信じる気持ち」(2010年)


  • 渡り廊下走り隊「ギュッ」「手のひら」「ゴメンナサイ」(2010年) - AKB48の派生ユニットで、秋元康と共同プロデュース。秋元が紳助の番組にゲスト出演した際に秋元からの依頼により実現。


  • アグネス・チャン「あの丘で」「僕らには翼がある〜大空へ〜」(2010年)


参考文献



  • 月刊現代 (講談社)
    • 2005年9月号 - 本誌〔現代〕独占!120分 復帰から7ヶ月--吉本女性社員「暴行事件」を初めて語った 島田紳助 涙!--あの事件のこと、芸人とは、そして僕の未来 (共著:中田カウス・増田 晶文)


  • 週刊文春 (文藝春秋)
    • 2008年8月14日・21日夏の特大号(2490号) - [独占告白]スキあらばエッチするという姿勢は一パーセントでも持ち続けたい 独占告白 島田紳助「視聴率王」の苦しみ--「羞恥心」成功から、株、不動産、"黒い交際"まで、すべてを語った


  • 暴力団に「借り」を作った島田紳助の本当の代償 溝口 敦、WEDGE Infinity、2011年09月02日


関連項目


  • 京都府出身の人物一覧

  • 堺屋太一


脚注


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注釈




  1. ^ しかしダウンタウンは当時全くの無名だったため、スポーツ新聞などには「紳助・竜介解散!このままではサブロー・シローらに勝てない」と書かれていた。


  2. ^ 『情報プレゼンター とくダネ!』でこの件が取り上げられた際、当時フジテレビアナウンサーの長谷川豊が旨を説明。


  3. ^ ただし、『行列のできる法律相談所』や『オールスター感謝祭』では「紳助(さん)」「島田(さん)」「紳ちゃん」などと実名を出されている。2012年春の『オールスター感謝祭』では爆笑問題の太田光が「島田さんはどうされたんですか。」と言い、司会の今田耕司は「海外でのんびりされています」と答えた。


  4. ^ テロップではカタカナ表記の「ステキやん」の場合もある。


  5. ^ ただし、2013年11月12日にテレビ東京系他同時ネット局で放送された『開運!なんでも鑑定団』の1000回記念スペシャルや2018年5月20日にMBSテレビで放送された『明石家さんまが語り継ぎたい 愛すべきレジェンド芸人20人』では、例外的に紳助・竜介時代の映像や引退前の番組映像が放送されている


  6. ^ 同年8月23日は『教科書にのせたい!』のスペシャルが放送されていた。


  7. ^ 本作の演出を担当した井筒和幸との縁で映画『ガキ帝国』に主演する。



出典




  1. ^ 奇しくもその日は紳助自身もオープニング曲を手掛けた経験があるテレビアニメ・ワンピースの放送記念日であった。


  2. ^ “紳助 旧国鉄職員の真面目な父に反発し伝説のヤクザに憧れる”. NEWポストセブン. (2011年9月4日). http://www.news-postseven.com/archives/20110904_30100.html 


  3. ^ ““嫌いな芸人”江頭が遂に陥落、V10阻みトップに立ったのは島田紳助。”. Narinari.com. (2011年7月7日). http://www.narinari.com/Nd/20110715860.html 


  4. ^ “あの大物芸人が紅白の司会を狙う?”. リアルライブ. (2010年7月8日). http://npn.co.jp/article/detail/94525693/ 


  5. ^ 2008年の『第59回NHK紅白歌合戦』の司会発表前に『スポーツ報知』(2008年9月16日付)が紙上で行った同紅白の予想座談会において、紳助の司会起用の可能性が述べられた。また、翌2009年の『第60回NHK紅白歌合戦』の両軍司会発表直後に『東京スポーツ』や週刊誌が「司会の候補に紳助も挙がっていた」と報じていた。


  6. ^ 2007年5月下旬に『ゲンダイネット』が、「紳助が同年の『24時間テレビ』のチャリティーマラソンランナーに挑戦するという情報が行き交っている」と報じていた。


  7. ^ “警視庁、紳助引退で吉本に事情説明を求める”. SANSPO.COM. (2011年8月30日). オリジナルの2011年11月14日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20111114194638/http://www.sanspo.com/geino/news/110830/gnd1108300519002-n1.htm 


  8. ^ “紳助さんの週刊現代への請求棄却 「信用性は高い」 暴力団交際報道で東京地裁”. msn産経ニュース. (2012年10月30日). オリジナルの2012年10月30日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20121030112722/http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/121030/trl12103019080003-n1.htm 


  9. ^ http://www.city.kyoto.jp/koho/mayor/ayumi/11.html 京都市情報館 - 桝本市政のあゆみ


  10. ^ 2004年6月9日放送「文化人大会」。なお紳助が小学3年生の頃(1964年頃)に覚えたので、今(2004年当時)とは完全には一致しないとのこと。


  11. ^ “「ワンピース」オープニングが変 東映アニメ公式HPが炎上”. J-CASTニュース. (2009年11月19日). http://www.j-cast.com/2009/11/19054269.html?p=all 


  12. ^ 「いつも心に紳助をファイナル」よりP41参照


  13. ^ “紳助さん側に1千万円賠償命令 04年暴行事件で東京地裁”. 47NEWS > 共同ニュース. (2010年9月21日). http://www.47news.jp/CN/201009/CN2010092101000953.html 2011年9月22日閲覧。 


  14. ^ “島田紳助さん、暴行事件で和解 東京高裁で被害女性と”. 47NEWS > 共同ニュース. (2011年9月22日). http://www.47news.jp/CN/201109/CN2011092201000864.html 2011年9月22日閲覧。 


  15. ^ 島田紳助“黒い携帯メール”106通全文入手『週刊朝日』2011年9月9日号


  16. ^ “生中継認めぬ―しばり会見、メディア大半受け入れ”. 朝日新聞デジタル. (2011年8月30日). オリジナルの2011年9月27日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20110927031835/http://digital.asahi.com/articles/TKY201108290489.html?id1=2&id2=cabbaida 


  17. ^ “島田紳助「早過ぎる芸能界引退」の裏側に「暴力団幹部との親密関係」に重大関心を示した捜査当局の動き「セーフ」はなぜアウトになったのか”. 現代ビジネス. (2011年8月25日). http://megalodon.jp/2012-1206-0644-58/gendai.ismedia.jp/articles/-/17120 


  18. ^ “紳助さんが交際認めた山口組最高幹部の関連先捜索 詐欺容疑で大阪府警”. msn産経ニュース. (2012年12月3日). http://sankei.jp.msn.com/region/news/121203/osk12120315000006-n1.htm 


  19. ^ “番組発言巡り街宣車 十数年前、関テレに 紳助さん”. 朝日新聞関西. (2011年8月25日). http://www.asahi.com/kansai/news/OSK201108250032.html [リンク切れ]


  20. ^ “紳助さん出演局に街宣車 山口組系組長がトラブル解決”. asahi.com. (2011年8月25日). http://www.asahi.com/special/playback/OSK201108240176.html 


  21. ^ “紳助さん、新たな写真…暴力団の大幹部と肩寄せ合い(サンケイスポーツ)”. Yahoo!ニュース. (2011年10月6日). オリジナルの2011年10月7日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20111007081300/http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111006-00000509-sanspo-ent 


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  64. ^ “島田紳助、引退後初の独占告白! その真意と芸能界への未練”. 楽天Woman. (2012年4月19日). http://woman.infoseek.co.jp/news/entertainment/menscyzo_19Apr2012_9946 


  65. ^ [1],デイリースポーツ,2014年8月26日


  66. ^ “【引退から7年】ホンマ、平和な日々ですわ……庭いじりで日焼け「62歳 島田紳助」隠居生活を語る”. デイリー新潮. (2018年9月7日). https://www.dailyshincho.jp/article/2018/09070640/ 

































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