アルバート・プホルス




この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の姓)はプホルス、第二姓(母方の姓)はアルカンタラです。


この記事の項目名には以下のような表記揺れがあります。
  • アルバート・プーホールズ























アルバート・プホルス
Albert Pujols
ロサンゼルス・エンゼルス #5

Albert Pujols (36564529721) (cropped).jpg
2017年8月20日

基本情報
国籍
ドミニカ共和国の旗 ドミニカ共和国
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
(二重国籍)[1]
出身地
ドミニカ共和国の旗 ドミニカ共和国
サントドミンゴ
生年月日
(1980-01-16) 1980年1月16日(38歳)
身長
体重

6' 3" =約190.5 cm
230 lb =約104.3 kg
選手情報
投球・打席
右投右打
ポジション
一塁手・指名打者
プロ入り
1999年 MLBドラフト13巡目(全体402位)でセントルイス・カージナルスから指名
初出場
2001年4月2日 ロッキーズ戦
年俸
$30,000,000(2018年)[2]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)



  • セントルイス・カージナルス (2001 - 2011)


  • ロサンゼルス・エンゼルス (2012 - )


国際大会
代表チーム
ドミニカ共和国の旗 ドミニカ共和国代表
WBC
2006年

ホセ・アルベルト・プホルス・アルカンタラJosé Alberto "Albert" Pujols Alcántara, 1980年1月16日 - )は、ドミニカ共和国サントドミンゴ出身のプロ野球選手(内野手、外野手)。MLBのロサンゼルス・エンゼルスに所属。


MLBにおける最高の打者の1人で、2001年のデビュー以降、2010年まで打率.300・30本塁打・100打点を10年連続で達成した。アメリカ合衆国外出身選手最多本塁打記録保持者[3]


日本語では「プホルズ、プーホルス、プホールス、プーホールス、プーホールズ」など様々な表記がされるが、アメリカ現地の英語読みでもプーホウズ(poo-hohs)[4]プーホウルズ(Poo-holes)[5]など様々で、スペイン語の読みではプホルス(Pujols)が近い。愛称はザ・マシーン[6]




目次





  • 1 経歴

    • 1.1 プロ入り前


    • 1.2 カージナルス時代

      • 1.2.1 鮮烈デビュー


      • 1.2.2 5年間で3度のMVP



    • 1.3 エンゼルス時代



  • 2 選手としての特徴

    • 2.1 打撃


    • 2.2 守備・走塁


    • 2.3 評価



  • 3 人物

    • 3.1 慈善活動


    • 3.2 年齢詐称・薬物疑惑


    • 3.3 プホルスをテーマとする歌



  • 4 詳細情報

    • 4.1 年度別打撃成績


    • 4.2 年度別守備成績


    • 4.3 タイトル


    • 4.4 表彰


    • 4.5 記録


    • 4.6 背番号


    • 4.7 代表歴



  • 5 脚注


  • 6 関連項目


  • 7 外部リンク




経歴



プロ入り前


1980年1月16日にドミニカ共和国の首都サントドミンゴで、12人兄弟の末っ子として誕生。5歳のときにはバットを握り、その後も兄や姉がプホルスのコーチをするなど、幼少期から野球に親しむ[7]。16歳のとき、アメリカ合衆国ミズーリ州カンザスシティに家族で移住。フォート・オーセージ高校時代に相手監督が年齢詐称を訴え、88打席で55回敬遠された[8]


1998年に高校を卒業し、メープルウッズ・コミュニティーカレッジに奨学生として進学した。



カージナルス時代


1999年6月2日にカージナルスからドラフト13巡目(全体402位)で指名を受ける。しかし入団交渉でカージナルスが提示した契約金の額10,000ドルを不服としたプホルスは、その後の大学での試合で活躍し、提示額を60,000ドルまで引き上げさせた[7]。こうして8月17日に入団契約を交わしてプロ入りした。



鮮烈デビュー




カージナルス時代(2008年)


プロ1年目の2000年はマイナーリーグA級ピオリアで開幕を迎え、AAA級メンフィスに昇格。3クラス合計で打率.314・19本塁打・96打点という成績を残し、球団のマイナー最優秀選手として表彰された[9]。翌2001年のスプリングトレーニングでプホルスを観たマーク・マグワイアが才能を見出し、監督のトニー・ラルーサに「彼をロースター入りさせた方がいい」と進言[10]。GMのウォルト・ジョケッティは、この年もプホルスをAAA級メンフィスに置いて経験を積ませる方針だったが、その後のオープン戦でも好成績を残したため、開幕メジャー入りさせることにした[7]


開幕戦に6番・左翼で出場しメジャーデビューを果たす[11]。その後、三塁のレギュラーと目されていたボビー・ボニーヤが故障したため三塁に入り、更に右翼・一塁と様々なポジションに就きながらも、1試合に欠場したのみで、打率.329・37本塁打・130打点という新人離れした成績を挙げた。シーズン終了後にはナ・リーグ新人王を満票で受賞し(史上9人目)[12]、MVP投票でも4位に入った。三塁手部門でシルバースラッガー賞も受賞しているが、三塁手として先発出場したのは約50試合で、一塁手・左翼手・右翼手としてもそれぞれ約35試合ずつ先発出場している。


2002年は主に左翼で出場し、打率.314・34本塁打・127打点を記録し、MLB史上初のデビュー年から2年連続で3割・30本塁打・100打点を達成[13]。MVP投票ではバリー・ボンズに次ぐ2位となる。2003年には打率.359・212安打を記録し、自身初の打撃タイトルとなる首位打者・最多安打を獲得した。95長打・51二塁打でもリーグ1位となった他、本塁打は自己最多の43本を放ち、1922年のロジャース・ホーンスビー以来となる球団史上2人目の40本塁打・200安打を達成した[14]。MVP投票ではまたもボンズに次ぐ2位だったが、この活躍を受けて球団は翌2004年のシーズン開幕前に、7年1億ドルの契約を結んでいる[15]


2004年から本格的に一塁手へ転向。打撃では史上12人・15回しか達成していないシーズン100長打にあと1本まで迫り、46本塁打(リーグ2位)・123打点(同3位)を記録した。またチームメイトのスコット・ローレンとジム・エドモンズもシーズン30本塁打を達成し、"MV3" と呼ばれる球団史上屈指の強力打線を形成した[16]



5年間で3度のMVP


2005年はプホルスの後を打つ4番打者のローレンが故障で離脱し、ラリー・ウォーカーやレジー・サンダースがその代わりを務めることに。しかし2人とも峠をすぎていて、プホルスが勝負を避けられるケースが増え、結果としてプホルスの四球は自己最多の97を記録した[17]。踵を痛め1試合欠場しただけで[18]、打撃3部門では打率.330・41本塁打・117打点を記録。プホルスのデビュー年以来4年連続でMVPを受賞していたボンズがこの年は故障でシーズンを棒に振っていたこともあり、プホルスは本塁打王のアンドリュー・ジョーンズや首位打者のデレク・リーを抑え、初のMVPを受賞した。


2006年開幕前の3月に開催された第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)のドミニカ共和国代表に選出された[19]


シーズンは序盤から例を見ない勢いで本塁打・打点を量産し、5月終了時点で打率.315・25本塁打・65打点という成績を残す。これは年間75本塁打・200打点のペースで、ボンズのシーズン本塁打記録73をプホルスが上回るのではとの声も上がった。ステロイド疑惑と無縁のプホルスの本塁打量産は好意的に受け入れられていた[20]。その後、シーズン開幕前から抱えていた腰痛が悪化。6月4日に故障者リスト入りし22日まで休養したため、記録更新はお預けとなった。しかしこの年は打率.331・本塁打49・打点137という成績を残し、本塁打と打点は自己最多を記録した。また、カージナルスがワールドシリーズに勝利したため、自身初の世界一を経験した。




本塁打を放つプホルス(2008年)


2007年はシーズン序盤の打撃不振やシーズン終盤の左ふくらはぎ痛がたたり、打率.327・32本塁打・103打点といずれも自身の平均を下回る成績となった。


2008年は一時戦列を離れたこともあったものの、リーグ2位となる打率.357に加え、37本塁打・116打点を記録。カージナルスは地区4位に終わったが、プホルスは本塁打・打点の二冠王のライアン・ハワードを抑え、2005年以来2度目のMVPを受賞している[21]


2009年開幕前に開催された第2回WBCのドミニカ共和国代表は、右肘を手術したため辞退している[22]。しかし、レギュラーシーズンでは序盤から本塁打を量産。6月を終了した時点で打率.332・30本塁打・77打点を記録し、6月終了時点で30本塁打はMLB史上10人目の快挙[23]。しかし、6月30日の試合後の会見でプホルスは「傲慢に聞こえるのを承知で言うけど、2006年の最初の2か月の方が凄かった。30本塁打だか何だか知らないけど、あの当時みたいな凄さはまだないんだ」と語っている[8]。地元セントルイス開催となったオールスターのファン投票では、ケン・グリフィー・ジュニアに次いで歴代2位となる5,397,374票を集めた[24]。オールスター試合前、米大統領のバラク・オバマが始球式を務め、プホルスは捕手を務めた[25]。試合では3打数無安打に終わった。


後半はややペースが落ちたが、自身初となる本塁打王を獲得。本塁打(47)以外にも得点(124)、出塁率(.443)、長打率(.658)、塁打数(374)、敬遠数(44、歴代5位)と数多くの項目でリーグトップに立った。デビュー以来続けている打率.300・30本塁打・100打点も9年連続まで伸ばし、ルー・ゲーリッグと並ぶMLBタイ記録となった。2年連続、通算3度目となるMVPも獲得。1位票を全て集める満票での受賞で、これは2002年のバリー・ボンズ以来7年ぶり、歴代15人目の快挙だった。また通算3度の受賞はボンズに次いで歴代2位タイとなった[26]


2010年は開幕戦(シンシナティ・レッズ戦)で5打数4安打2本塁打3打点という最高の滑り出しを見せると、2003年以来続けているオールスターメンバー選出も果たした(結果は2打数ノーヒット)。8月15日のシカゴ・カブス戦でシーズン30号本塁打を放ち、メジャーデビューから10年連続でのシーズン30本塁打以上を達成。その11日後、8月26日のワシントン・ナショナルズ戦で放ったシーズン34号本塁打は、ニューヨーク・ヤンキースのアレックス・ロドリゲス、このシーズン途中にシアトル・マリナーズで引退したケン・グリフィー・ジュニアに次ぐMLB史上3番目のスピードでの通算400号本塁打であった。更には9月11日のアトランタ・ブレーブス戦で3打点を記録したことにより、シーズン100打点以上も10年連続での達成となった。最終的にシーズンを打率.312で終了し、10年連続での3割30本100打点の記録達成となった。同時に42本、118打点で本塁打王と打点王の二冠を獲得。115得点、38敬遠は両リーグ1位を記録した。




2011年ワールドシリーズ優勝パレードでのプホルス


2011年2月16日、カージナルスはプホルスに9年1億9500万ドルでの契約延長を持ちかけたが、プホルスが10年契約を希望したため、合意には至らなかった[27]。春季キャンプが始まるまでに合意できなかった場合は、プレーに専念するためにフリーエージェントとなる今季終了後まで交渉しないことを表明した。同年6月19日、ロイヤルズ戦で二塁手からの送球を捕球する際に打者走者と交錯し、左前腕の橈骨(とうこつ)を亀裂骨折した[28]。前半戦に不調に陥ったことや、故障の影響で出場試合数が減ったこともあり、シーズン成績は打率.299、37本、99打点と自己最低に終わった。打率3割・100打点をあと一歩のところで逃し、連続記録は途絶えた。2011年のワールドシリーズ第3戦では3打席連続本塁打を記録。1977年のレジー・ジャクソン以来、34年ぶりの快挙だった。チームはそのままシリーズを制し、プホルスは2個目のチャンピオンリングを手にした。


ワールドシリーズ後にFAとなり、残留を求めるカージナルスに加えて、マイアミ・マーリンズ、シカゴ・カブスなど複数の球団が強い関心を示していると報じられた。12月6日にはカージナルス、マーリンズを含む3球団が総額2億ドル以上の契約を提示したことが明らかになった[29]。カージナルス残留かマーリンズ移籍のどちらかを選ぶ可能性が高いと見られていた。



エンゼルス時代


2011年12月7日にロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイムと10年総額2億5400万ドル(出来高を含むと最大で2億8000万ドル)の契約に合意した。これは2007年にアレックス・ロドリゲスがニューヨーク・ヤンキースと結んだ10年2億7500万ドルに次ぐMLB史上2番目の大型契約となった。なお、カージナルスの提示は9年2億1000万ドル(10年目のオプション付き)で、マーリンズはロドリゲスの史上最高額に並ぶ10年2億7500万ドルを提示していた。金銭面でマーリンズを下回るエンゼルスを選んだ決め手は、他の29球団すべてへのトレード拒否条項だったとされる[27]。また、引退後10年間「球団の顔」として活動することも契約に含まれており、その他のボーナスも含めると20年2億6575万ドル(約199億円)となっている[30]。12月9日、ワールドシリーズでの対戦相手でテキサス・レンジャーズから移籍してきたC.J.ウィルソンと共にエンゼル・スタジアム・オブ・アナハイムで入団会見を行った。


2012年は開幕から打撃不振で、4月は本塁打0に終わる。5月6日にようやく移籍第1号を放ったが、5月14日まで打率2割に届かない状態が続いた。特に四球率の低下が顕著で、「本当は35,6歳なのではないか」という年齢詐称疑惑が再燃。もはやMLB最強の打者ではなくなったという厳しい声も上がり始めた[31]。その後は復調し、最終的に12年連続となる30本塁打に到達し、2年ぶり11度目の100打点もクリアした。しかし、OPSは12年目で初めて.900を切り、本塁打数も30本塁打にとどまった。オフに右膝の手術を受けた[32]


2013年は左足に不安を抱えたまま開幕を迎え、前年同様の打撃不振に苦しむ。怪我をかばって出場を続けていたが、7月28日に左足裏筋膜部分断裂で故障者リスト入り[33]。8月下旬にシーズン中の復帰を断念したことでデビュー以来続いていたシーズン30本塁打は12年で途切れた[34]


2014年4月22日、初回に通算499号となる3ランを放つと、5回に2ランを放ちアメリカ野球殿堂入りの目安とされる通算500号本塁打に到達した。AP通信によると、「(達成が)今年だというのは分かっていた。だから、いつものようにチームの勝利に貢献できるように毎日準備している」とコメントした。本塁付近で同僚に出迎えられて祝福を受けたことについては「結構感動した」と振り返り、同僚たちには「試合に勝たないといけない」とだけ言ったという。試合は7対2で勝利した[35]。9月6日にはMLB史上16人目の「2500安打、500本塁打、1500得点」を達成[36]。同月20日、史上8人目となる通算12回目のシーズン100打点を達成。この年は戦線離脱せず159試合に出場し、28本塁打・105打点を記録。また8月20日に日米野球2014のMLB選抜に選出された[37]が、10月20日に家庭の事情で辞退した[38]


2015年7月20日のボストン・レッドソックスとのダブルヘッダーで計3本塁打を放ち[39]、通算本塁打を549として、マイク・シュミットを抜き去りMLB歴代15位に躍り出た。シーズン終盤には打率や本塁打が伸び悩んだが、最終戦で40号ホームランを放ち[40]、実に5年ぶりに40本塁打以上を放ったシーズンとなった。一方で三塁寄りの守備シフトを敷かれたこともあり、打率は自己最低の数値に終わり、opsも三年連続で8割を切った。なお、通算100盗塁を達成した。オフに右足爪先に入っているプレートを直す手術を受けた[41]


2016年は152試合に出場し、打率.268・31本塁打・119打点を記録して2年連続で30本塁打をクリアした。また通算600二塁打を達成し、バリー・ボンズを抜いて歴代15位に浮上。オフに右足裏の手術を受けた[42]


2017年は149試合に出場、打率.241・23本塁打・101打点を記録し、キャリア14度目のシーズン100打点はアレックス・ロドリゲスと並び歴代1位タイとなった。[43]。通算では、614本塁打(ジム・トーミを抜き歴代7位)、1918打点(エディ・マレーを抜き歴代10位)、619二塁打(ポール・モリターを抜き歴代12位)、5461塁打(エディ・マレーを抜き歴代10位)などを記録。通算1918打点はマニー・ラミレスの1831打点を抜き、MLB歴代ドミニカ共和国出身選手最多打点となった。また通算614本塁打は、サミー・ソーサの609号を抜き、アメリカ合衆国外出身選手最多本塁打記録を更新した[3]。なおカル・リプケンを抜き歴代1位となる362併殺打という記録も更新した。一方で打撃内容についてはさらに衰えが見られ、打率.241/出塁率.286はいずれも自己最低の数値となった。


2018年5月4日にメジャー18年目、2606試合目にして大リーグ史上32人目の3000安打を達成した[44]



選手としての特徴



打撃




プホルスの構え


足を大きく広げたスタンスで60パーセントの体重を軸足に残し、バットを上下に動かす独特のフォームが特徴であるが、そのスイングは「理想の体現」とも表現され、2006年5月22日付のスポーツ・イラストレイテッド誌では "A swing of beauty" と紹介された[45]


スイングのスピードは速いが、そのスピードのせいで引っ張る打撃中心となることを嫌っているため、右投手に対して32 1/2オンス(約921.4グラム)のバットを使うのに対し、見極め時間が長くなる左投手に対しては33オンス(約935.5グラム)と重めのバットを選んで故意にスイングスピードを下げている[45]。そのため、反対方向への強い打球も目立つが基本的にプルヒッターであるため、移籍した2012年以降は広い本拠地球場のせいか逆方向への本塁打はまだ打てていない。また、球界でシフトによる対策が広まり、膝の故障で走力を下げたエンゼルス移籍以降は守備陣を三塁側に固めるシフトを敷かれるケースが多くなっている。現在は主にマルッチ社のロックメイプルバットを使用している。


選球眼が良いことやバットコントロールに優れることから、四球数が多い一方で三振数は少ない。2006年から4年連続で BB/SO (四球数/三振数)の値が両リーグ1位である。また、2006年は49本塁打に対し三振数が50であったが、40本塁打以上で三振数が本塁打数を下回った打者は、当時の直近50年間でも2004年のバリー・ボンズのみで、プホルスはこれにあと一歩まで迫った。


新時代の三冠王とも言われる打率/出塁率/長打率[46]において、全盛期は毎年安定して上位に食い込み、「最高打者の一人」と言われていた。2010年シーズン終了時点では、通算の打率.331、出塁率.426、長打率.624はすべて現役打者の中で1位であった。



守備・走塁




一塁守備につくプホルス(2007年)


メジャー昇格当初は左翼手や三塁手・遊撃手・右翼手としても出場していたが、ティノ・マルティネスの移籍に伴い、2004年から一塁手に固定された。スローイングの改善や投手との連携プレイ習得に励んだ結果、守備力もリーグトップクラスと評価されるようになり[47]、2006年・2010年にはゴールドグラブ賞を獲得。2009年には一塁手として185補殺を記録し、ビル・バックナーが持っていたシーズン補殺記録を更新した[48]。またMLBの専門家が集い、ポジション別で最高のディフェンシブ・プレイヤーを決めるフィールディング・バイブル・アワードでは、この賞が創設されて以来2006~2009年の四年連続で一塁手部門を受賞し、2011年にも受賞している[49]


第一歩の速さや機敏さ、フットワーク、悪送球の捕り方、守備範囲の広さで高い評価を受けている。一塁手ではあるが肩でも評価は高く、巧みなフットワーク後の送球の正確さ、リリースの素早さがメジャーでも有数とされる[50]。2007年の守備防御点27は、守備防御点が記録されるようになった2003年以降、2位(19点)を大きく引き離して一塁手としてのシーズン記録である。2006年、2008年の守備防御点もそれぞれ歴代6位、7位につけている。2011年は、基本的には一塁手であったが、新加入のバークマンが一塁に入る場合は三塁でスタメン出場することもあった。


走塁面では、2005年に盗塁を18回試み失敗を2回に抑えるという格段の進歩を見せている。しかしその後3年間では16盗塁に対し失敗も11回と、バッテリーの警戒が強くなると成功率が悪化する面が露呈した。ただし2009年は20回中16回を成功させている。また塁間での走り、特に膨らみなく走る点で高い評価を受け、リードの取り方もうまい[50]



評価


打撃面において長年に渡り大きな活躍をしており、現役選手であるが将来の野球殿堂入りが確実視されている数少ない選手の一人である。2013年1月5日にはCBSスポーツ電子版が「現役選手で殿堂入りが確実な5人」を特集し、デレク・ジーター、マリアノ・リベラ、イチロー、ジム・トーミの4人とともにプホルスの名前が挙げられた[51][52]


2009年シーズン終了後、2000年代を代表する選手として各種メディアから表彰を受けている。The Sporting Newsから"MLB Athlete of the Decade"[53]、ESPN[54]とスポーツ・イラストレイテッド[55]から"Player of the Decade"に選出された。2012年にミゲル・カブレラがMLB史上45年ぶりの三冠王を獲得するまでは三冠王にもっとも近い男と言われていた。



人物





慈善活動


敬虔なキリスト教徒として知られ、本人は「社会的規範」になることを目指している[47]。チャリティ活動に熱心で、特にダウン症児とその家族の支援に力を注いでいる。というのも、2000年1月1日に結婚したデイドル夫人の連れ子である娘のイザベラがダウン症児であるためである。


2005年、プホルス一家はダウン症児とその家族の生活を支援するための基金を設立した。それらの支援活動が高く評価され、2008年10月25日、ロベルト・クレメンテ賞がプホルスに贈られることがメジャーリーグベースボール機構より発表された[56]



年齢詐称・薬物疑惑


デビュー当時から年齢詐称疑惑が報じられている。「米国への移住時に問題なく高校へ入れるようにするため実際より4年(またはそれ以上)若くなるよう詐称した」というもの[57]。本人は「何歳かは自分が一番よく知っているよ」と否定している[47]


また、デビュー当初からのハイレベルな成績や筋骨隆々の体格、さらにドミニカ共和国出身の選手に薬物使用が多いことなどから、プホルスについてもしばしば薬物使用が噂になる。2009年になってアレックス・ロドリゲスやマニー・ラミレスといった強打者の薬物使用が発覚したこともあり、プホルスを疑う者も少なからず存在する[58]。しかし、プホルス本人はステロイド使用の疑いに対して不快感を露にしており、「昨年は6回検査を受けた。それで不十分だと言うならば毎日だって検査を受ける。もし検査で陽性反応が出た場合、これまで稼いだ年俸の全てを球団に返上する」とまで発言して、ステロイドに対して極めて厳格な姿勢をとっている[59]


しかし、現在のところ使用した証拠は何ら存在せず、憶測で疑われているのみである。一般的にはクリーンな選手として評価されているため、将来の野球殿堂入りが確実視されている(先述)。



プホルスをテーマとする歌


ラッパーのワーレイがリック・ロスとファボラスをフィーチャーした、プホルスをテーマとする楽曲がある。タイトルは、そのまま“Albert Pujols”。



詳細情報



年度別打撃成績






















































































































































































































































































































































































































































































































































O
P
S

2001

STL
16167659011219447437360130131769699321.329.403.6101.013

2002
157675590118185402343311272404721396920.314.394.561.955

2003
1576855911372125114339412451057912106513.359.439.6671.106

2004
154692592133196512463891235509841275221.331.415.6571.072

2005
1617005911291953824136011716203972796519.330.430.6091.039

2006
143634535119177331493591377203922845020.331.431.671
1.102

2007
15867956599185381323211032608992275827.327.429.568.997

2008
1486415241001874403734211673081043455416.357.462.653
1.115

2009
16070056812418645147374135164081154496423.327.443.658
1.101

2010
15970058711518339142350118144061033847623.312.414.5961.011

2011
14765157910517329037313999107611545829.299.366.541.906

2012

LAA
15467060785173500303131058106521657619.285.343.516.859

2013
99443391491011901717164110740855518.258.330.437.767

2014
15969563389172371282951055109481157128.272.324.466.790

2015
1576616028514722040289955303501067215.244.307.480.787

2016
1526505937115919031271119400649627524.268.323.457.780

2017
1496365935314317023229101300437529326.241.286.386.672

2018
117498465501142001919164100328326512.245.289.411.700

MLB:18年
2692116861019617733082639166335652198211141110612793101041211374.302.382.554.936
  • 2018年度シーズン終了時

  • 各年度の太字はリーグ最高、赤太字はMLB歴代最高


年度別守備成績


内野守備













































































































































































































































































一塁(1B)二塁(2B)三塁(3B)
遊撃(SS)

















































2001
STL
4228319527.984-55401111017.938-
2002
2114013124.994-41256666.93810000.---
2003
6234033134.997---
2004
150145811410136.994---
2005
15715979714175.992---

2006
14313481106145.996---
2007
15413251248132.995---
2008
14412971356119.996110001.000--
2009
159147318513150.992---

2010
15714581574146.998---
2011
146125416511134.992-721232.824-
2012
LAA
120101397795.994-313021.000-
2013
3426529324.990---
2014
11687980378.997-101001.000-
2015
9571855557.994-10000.----
2016
2820016220.991---
2017
638336.932---
通算
17341508614321021502.994110001.000108681931927.93210000.---
外野守備


































































左翼(LF)
右翼(RF)

























2001
STL
3972310.9873956340.937
2002
117173440.97810000.---
2003
113198730.986-
通算
2694431480.9834056340.937
  • 2017年度シーズン終了時


  • 太字年はゴールドグラブ賞受賞


タイトル



  • 首位打者 1回:2003年(.359)


  • 本塁打王 2回:2009年(47本)、2010年(42本)


  • 打点王 1回:2010年(118打点)


表彰



  • シルバースラッガー賞 6回:2001年(三塁手部門)、2003年(外野手部門)、2004年、2008年 - 2010年(一塁手部門)


  • ゴールドグラブ賞 2回:2006年、2010年(一塁手部門)


  • ハンク・アーロン賞 2回:2003年、2009年


  • ロベルト・クレメンテ賞 1回:2008年


  • ルー・ゲーリッグ賞 1回:2009年


  • ハート&ハッスル賞 1回:2009年


  • フィールディング・バイブル・アワード 5回:2006年 - 2009年、2011年(一塁手部門)


  • ナ・リーグ新人王:2001年


  • ナ・リーグ年間MVP 3回:2005年、2008年 - 2009年


  • ナ・リーグ月間新人MVP 2回:2001年4月・5月


  • ナ・リーグ月間MVP 6回:2003年5月・6月、2006年4月、2009年4月・6月、2010年8月


  • ナ・リーグチャンピオンシップシリーズMVP 1回:2004年


  • プレイヤーズ・チョイス・アワーズ
    • 年間最優秀選手 3回:2003年、2008年、2009年

    • マービン・ミラー・マン・オブ・ザ・イヤー 1回:2006年

    • 優秀選手 3回:2003年、2008年、2009年

    • 優秀新人:2001年



記録



  • MLBオールスターゲーム選出:11回(2001年、2003年 - 2011年、2015年)

  • 通算併殺打数:歴代1位、更新中※従来の記録はカル・リプケンの350


背番号



  • 5 (2001年 - )


代表歴


  • 2006 ワールド・ベースボール・クラシック・ドミニカ共和国代表


脚注




  1. ^ Matthew Leach / MLB.com, "Pujols officially becomes U.S. citizen / Slugger flies to Florida for camp shortly after swearing in," stlcardinals.com, February 8, 2007. 2009年9月22日閲覧。


  2. ^ “Albert Pujols Contract Details, Salaries, & Earnings” (英語). Spotrac. 2018年4月29日閲覧。

  3. ^ abPujols foreign-born HR leader with No. 610 MLB.com (英語) (2017年8月23日) 2017年8月25日閲覧


  4. ^ http://www.pronouncenames.com/pronounce/pujols


  5. ^ Albert Pujols Statistics and History - Baseball-Reference.com (英語) . 2014年11月20日閲覧。


  6. ^ Halos excited to take part in Players Weekend MLB.com (英語) (2017年8月16日) 2017年8月25日閲覧

  7. ^ abc加藤和彦 「アルバート・プホルス[カージナルス]/強靭なキッド。」 『月刊メジャー・リーグ』2002年3月号、ベースボール・マガジン社、2002年、雑誌08625-3、22-25頁。

  8. ^ abナガオ勝司 「アルバート・プホルス [カージナルス]/ナ・リーグ本塁打王獲得!持ち越した夢」『メジャー・リーグ記録集計号 ザ・スタッツブック 2009』、ベースボールマガジン社、2009年、雑誌 20448-11/25、12 - 15頁。


  9. ^ Curry, Jack (2001年11月13日). “ujols and Suzuki Win, But There Is a Surprise” (英語). The New York Times. 2010年5月5日閲覧。


  10. ^ 「30 CLUB MONTHLY REPORT 各球団マンスリー・リポート セントルイス・カージナルス OBのマグワイアが始球式に登場 ローレンがハイペースでHR量産」 『月刊メジャー・リーグ』2004年6月号、ベースボール・マガジン社、2004年、雑誌08625-6、64頁。


  11. ^ "April 2, 2001 St. Louis Cardinals at Colorado Rockies Box Score and Play by Play," Baseball-Reference.com. 2008年1月29日閲覧。


  12. ^ "2001 Career Highlights," stlcardinals.com. 2008年1月29日閲覧。


  13. ^ Leach, Matthew (2002年9月29日). “MLBeat: Williams on roster” (英語). MLB.com. 2010年5月4日閲覧。


  14. ^ Latsch, Nate (2003年9月17日). “Cards notes: Pujols making history” (英語). MLB.com. 2010年5月5日閲覧。


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  17. ^ 友成那智、村上雅則 『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2006』 廣済堂出版、2006年、304頁。ISBN 978-4-331-51146-6。


  18. ^ 水次祥子 「報われた雌状の4年間 MVP アルバート・プホルス[カージナルス]」 『月刊メジャー・リーグ』2006年1月号、ベースボール・マガジン社、2006年、雑誌08625-1、22-25頁。


  19. ^ 2006 Tournament Roster The official site of World Baseball Classic (英語) 2016年3月7日閲覧 [リンク切れ]


  20. ^ 友成那智、村上雅則 『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2007』 廣済堂出版、2007年、318頁。ISBN 978-4-331-51213-5。


  21. ^ Matthew Leach / MLB.com, "Crowning achievement: Pujols NL MVP / Cards star becomes first Dominican player to win two such awards," MLB.com, November 17, 2008. 2008年11月18日閲覧。


  22. ^ Leach, Matthew (2010年2月16日). “Pujols won't participate in Classic” (英語). MLB.com. 2010年5月4日閲覧。


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  27. ^ abNightengale, Bob(2011-12-08). From zero to $254 million, how the Pujols deal got done. USATODAY.com(英語). 2011年12月9日閲覧


  28. ^ [1]MSN 産経ニュース、2011.6.21 08:54


  29. ^ また、当時、ミルウォーキー・ブルワーズにいたプリンス・フィルダーも共にFAだったため、アメリカでは、コーラを選ぶかペプシを選ぶかというように比喩された。Pujols Has Three Offers Of Ten Years, $200MM+. MLBTradeRumors.com(英語). 2011年12月9日閲覧


  30. ^ プホルス破格、20年分ボーナスは200億円日刊スポーツ、2012年1月7日7時29分


  31. ^ Albert Pujols no longer baseball's best hitter ESPN 2012年10月29日閲覧


  32. ^ “強打者プホルスが右膝手術”. 日刊スポーツ (2012年10月19日). 2017年12月14日閲覧。


  33. ^ プホルスが左足裏を部分断裂でDL入り 日刊スポーツ 2013年7月29日


  34. ^ エ軍プホルス今季の復帰はなし 日刊スポーツ 2013年8月20日


  35. ^ エ軍プホルスが通算500号 祝福受け「結構感動した」 共同通信 2014年4月23日


  36. ^ プホルス2500安打、500本、1500得点達成 nikkansports.com 2015年2月28日閲覧。


  37. ^ “日米野球にプホルス、カノ、プイグら”. 日刊スポーツ. (2014年8月20日). http://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/f-bb-tp2-20140820-1353736.html 2014年11月6日閲覧。 


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  39. ^ Albert Pujols 2015 Batting Gamelogs - Baseball-Reference.com (英語) . 2015年7月23日閲覧。


  40. ^ October 4, 2015 LAA VS TEX - Baseball-Reference.com (英語) . 2015年10月23日閲覧。


  41. ^ “プホルス手術 全治4カ月半で来季開幕は微妙”. 日刊スポーツ (2015年11月10日). 2017年12月14日閲覧。


  42. ^ “プホルス 右足裏手術で開幕微妙 復帰まで4カ月”. 日刊スポーツ (2016年12月3日). 2017年12月14日閲覧。


  43. ^ Halos strike early vs. Sox to keep hope alive MLB.com (英語) (2017年9月27日) 2017年9月29日閲覧


  44. ^ “プホルスが3000安打達成 史上32人目/一覧 - MLB : 日刊スポーツ” (日本語). nikkansports.com. https://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/201805050000192.html 2018年5月5日閲覧。 

  45. ^ abDaniel G. Habi (2006年5月22日). “A Swing of Beauty”. SI.com. 2008年1月29日閲覧。


  46. ^ 「新時代の三冠王(打率/出塁率/長打率)」、『月刊スラッガー』2009年12月号、日本スポーツ企画出版社、2009年、 11頁、 雑誌15509-12。

  47. ^ abc出野哲也「アルバート・プーホルス[カージナルス] 21世紀のロールモデル」、『月刊スラッガー』2006年8月号、日本スポーツ企画出版社、2006年、 8-13頁、 雑誌15509-8。


  48. ^ Matthew Leach (2009年10月4日). “Pujols sets first baseman assist mark”. MLB.com. 2015年7月30日閲覧。


  49. ^ “THE FIELDING BIBLE AWARDS”. 2013年2月17日閲覧。

  50. ^ ab「スカウティングレポート/アルバート・プーホルス 「偉大な選手への道」」、『月刊スラッガー』2010年2月号、日本スポーツ企画出版社、2009年、 13頁、 雑誌15509-2。


  51. ^ “イチローの殿堂入りは確実 米メディアが“断言”予想”. スポニチアネックス (スポーツニッポン). (2013年1月17日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2013/01/07/kiji/K20130107004923590.html 2015年7月30日閲覧。 


  52. ^ “イチロー「殿堂入り確実な5人」に入る”. nikkansports.com (日刊スポーツ). (2013年1月17日). http://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/p-bb-tp2-20130107-1068891.html 2015年7月30日閲覧。 


  53. ^ "Sporting News' MLB Athlete of the Decade: Albert Pujols, 1B, Cardinals," Sporting News, September 24, 2009. 2009年9月25日閲覧。


  54. ^ "ESPN' Top 100 players of the decade," ESPN, December 14, 2009. 2009年12月19日閲覧。


  55. ^ "MLB: Highlights and lowlights," Sports Illustrated, December 9, 2009. 2009年12月19日閲覧。


  56. ^ Mark Newman (2008年10月25日). “Pujols wins Clemente Award”. 2008年10月25日閲覧。


  57. ^ 菊地靖 (2006年3月15日). “WBC・中南米の深い謎”. Number Web. 文藝春秋. 2012年7月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年4月15日閲覧。


  58. ^ 出野哲也「緊急レポート「M・ラミレス薬物規定違反で50試合出場停止の波紋」」、『月刊スラッガー』2009年7月号、日本スポーツ企画出版社、2009年、 59-61頁、 雑誌15509-7。


  59. ^ Bob Nightengale (2009年7月13日). “Cardinals slugger Albert Pujols is batting cleanup for baseball” (英語). USATODAY.com. http://www.usatoday.com/sports/baseball/nl/cardinals/2009-07-12-pujols-cover_N.htm 2009年7月14日閲覧。 



関連項目


  • メジャーリーグベースボールの選手一覧 P

  • ドミニカ共和国出身のメジャーリーグベースボール選手一覧


外部リンク




  • 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)

  • Albert Pujols stats MiLB.com (英語)


  • 公式サイト (英語)

  • プホルスが設立した基金のホームページ


  • Albert Pujols (@PujolsFive) - Twitter


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