前田日明




























前田 日明

前田 日明の画像
プロフィール
リングネーム
前田 日明
クイック・キック・リー
前田 明
本名
前田 日明
ニックネーム
格闘王
壊し屋
黒髪のロベスピエール
スーパー・デンジャラス・ヒーロー
スパークリング・フラッシュ
身長
192cm
体重
115kg
誕生日
(1959-01-24) 1959年1月24日(60歳)
出身地
大阪府大阪市大正区
スポーツ歴
空手
少林寺拳法
トレーナー
アントニオ猪木
カール・ゴッチ
山本小鉄
藤原喜明
佐山聡
シーザー武志
田中正悟
デビュー
1978年8月25日
引退
1999年2月21日
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前田 日明(まえだ あきら、1959年1月24日 - )は、日本の元プロレスラーで実業家。新日本プロレス、UWF、リングスで活躍した。元HERO'Sのスーパーバイザー。THE OUTSIDERのプロデューサー。大阪府大阪市大正区出身。


韓国系日本人で民族名は高 日明(コ・イルミョン、고일명)(詳しくは人物にて後述)。血液型はA型。




目次





  • 1 来歴

    • 1.1 プロレスへのきっかけ


    • 1.2 新日本プロレス


    • 1.3 第1次UWF


    • 1.4 新日本プロレス復帰


    • 1.5 第2次UWF


    • 1.6 リングス


    • 1.7 ビッグマウス(ビッグマウス・ラウド)


    • 1.8 HERO'S


    • 1.9 THE OUTSIDER



  • 2 獲得タイトル


  • 3 得意技


  • 4 戦績

    • 4.1 第1次UWF


    • 4.2 UWFと新日本プロレスの業務提携時代


    • 4.3 第2次UWF


    • 4.4 リングス



  • 5 人物

    • 5.1 政治



  • 6 趣味


  • 7 トラブル


  • 8 入場テーマ曲


  • 9 その他

    • 9.1 テレビ・ラジオ


    • 9.2 映画


    • 9.3 ウェブ番組


    • 9.4 CM


    • 9.5 著書


    • 9.6 連載



  • 10 参考文献


  • 11 脚注


  • 12 関連項目


  • 13 外部リンク




来歴



プロレスへのきっかけ


少年時代は1966年に放送された特撮テレビ番組『ウルトラマン』に熱中。その中で1967年4月9日に放送された最終回「さらばウルトラマン」において、ウルトラマンがゼットンに倒されたシーンを見てショックを受け、ウルトラマンの仇を討つために打倒ゼットンを志し少林寺拳法を習い始めた(小学生で初段を取得)。北陽高校時代は空手とバイクに熱中した。空手は無想館拳心道館長岩崎孝二から学んだ(二段を取得)。極真空手の大山倍達の弟子達のようにアメリカで空手の道場を開きたいという夢を持っていた。大学受験に失敗し、アメリカに行く金を貯めるためアルバイトに暮れる[1]



新日本プロレス


1977年、佐山聡にスカウトされ、新日本プロレスへ入団。1978年8月25日、長岡市厚生会館の山本小鉄戦でデビュー。新日本プロレスの社長兼エースのアントニオ猪木に憧れて入団したのではなく、「モハメド・アリのジムと提携してるので一緒のジムに入ってボクシングのヘビー級チャンピオンも目指せる」と新間寿に言われたのが理由である。金を貯めなくてもアメリカに行け、ベニー・ユキーデと戦うこともできると考えていた[1]。実際は提携の事実はなく、新間が半ばだました形で入団をさせた(当時、ユキーデは新日本の主催興行に出場していたが、前田とは対戦する機会はなかった)。


大型であることから将来のエース候補として期待され、1982年2月に海外修行でイギリスへ渡り、「サミー・リー」(佐山聡)の弟というギミックのもと、クイック・キック・リーKwik-Kik Lee)のリングネームで活躍[2]。1983年1月25日にはウェイン・ブリッジを破り、かつてはビル・ロビンソンやホースト・ホフマンも戴冠したヨーロッパ・ヘビー級王座を獲得[3]。4月21日の凱旋帰国試合では、ポール・オーンドーフを相手にリバース・アームソルトにてピンフォール勝ちを収めた。5月、開幕のIWGP決勝リーグ戦には「欧州代表」として[2]、11月、開幕の第4回MSGタッグ・リーグ戦には 藤波辰巳とのタッグチームで出場した[4]。凱旋当時は「七色のスープレックスを持つ男」と紹介され、相手をロープに飛ばしてのフライング・ニール・キックなど、ダイナミックな技で人気レスラーとなった。また、甘いマスクで女性ファンも多く、帰国した年のファンクラブの集まりでは女性が多かったことが週刊プロレスで報じられている。



第1次UWF


1984年2月29日の合同練習を最後に前田は新日本プロレスを離脱し、当時のWWF会長だった新間寿の仲介で3月より、WWFに遠征[5]。同月25日、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンにてカナダのピエール・ラファエルを破り、新設されたWWFインターナショナル・ヘビー級王座を獲得[6]。ベルトには「UWF」の文字が中央に大きく施されており、その後、前田は第1次UWFへの移籍を表明した[5]。なお、このWWF遠征における前田はベビーフェイスのポジションで、アイアン・シーク、レネ・グレイ、ワイルド・サモアンズ、ジェリー・バリアント、タイガー・チャン・リー、ミスター・フジ、デビッド・シュルツ、ジョージ・スティールなどのヒール勢と対戦し、トニー・アトラスやS・D・ジョーンズ、トニー・ガレアらとタッグを組む一方、ロッキー・ジョンソンやブライアン・ブレアーなど同じベビーフェイス陣営との試合ではヒールの役割を担った[5][7]。また、新日本プロレスでの若手時代に世話になったロディ・パイパーや、前年の凱旋帰国時の対戦相手だったポール・オーンドーフとも再会し、旧交を温めたという[5]


UWF参加は理想や夢のためではなく、母親が怪我で入院したため移籍金が必要だったと前田は証言している[8]。UWFでは若きエースとして迎えられ、4月11日に開幕したオープニング・シリーズでは、旗揚げ戦のメインイベントでダッチ・マンテルに勝利[9]。最終戦の蔵前国技館大会では、当時まだ新日本プロレスに所属していた藤原喜明と流血戦を演じた(裁定は両者KO)[10]。その後、UWFは佐山聡の影響によりキックと関節技を中心とした格闘技色の濃いプロレススタイル(後にUWFスタイルと呼ばれる)に移行するが、格闘技の試合は月に一度と言う“競技志向”の佐山と、会社が大変なんだから試合を増やそうという“興行志向”の前田が対立し、UWFは解散。ただし後の第2次UWF、リングスでは試合は月に一度という形を踏襲している。



新日本プロレス復帰


1985年12月6日、藤原、木戸修、高田伸彦、山崎一夫らと共に業務提携という形で新日本プロレスに復帰。前田はリング上で「1年半UWFとしてやってきたことが何であるか確かめに来ました」とマイクアピールを行った。


1986年4月29日、三重県津市体育館において新日本サイドの不可解なマッチメイクで、アンドレ・ザ・ジャイアントと対戦。セメントマッチだと言われているが、最後はアンドレが試合を放棄してしまい、26分35秒ノーコンテストに終わる。復帰後の新日本プロレスではアンドレの他、ディック・マードック、マスクド・スーパースター、ジミー・スヌーカ、ケリー・フォン・エリック、ワイルド・サモアン、スティーブ・ウィリアムス、バッドニュース・アレン、アレックス・スミルノフ、ハクソー・ヒギンズ、コンガ・ザ・バーバリアン、バズ・ソイヤー、リック・スタイナー、バンバン・ビガロ、レイ・キャンディ、バイオレンス・ウォーロード、スコット・ホールなどの外国人レスラーと対戦した。


1986年10月9日、両国国技館で行われた「INOKI 闘魂 LIVE」における異種格闘技戦で、ドン・中矢・ニールセンを逆片エビ固めでギブアップさせて勝利。この試合を期に「新格闘王」と呼ばれ、プロレス界以外からも注目を浴びるようになった。この試合について、後年、ニールセンは「ここはこうやって、その次はこう、と流れを決めたわけではなかった。でも、ボクが言われたのは“試合を盛り上げてくれ”ということ。そして、1Rにいいパンチが入ったのに、セコンドに“アーリーノックアウトはダメだ”って言われた」と、プロレス雑誌『kamipro』で証言した。(前田日明 対 ドン・中矢・ニールセン戦)


1987年11月19日[11]、後楽園ホールにおけるUWF軍対維新軍の6人タッグマッチにおいて、木戸にスコーピオン・デスロックをかけていた長州力の背後から正面へ回り込み、長州の顔面をキック(敵の固め技から味方を救う同様の攻撃はカットまたはセーブと呼ばれる)、長州に右前頭洞底骨折、全治1か月の重傷を負わせた(長州vs前田 顔面蹴撃事件。前田本人は「長州さんに蹴りを入れる前に肩を叩き ”今から蹴りますよ” と合図を送ったが肩を叩かれた長州さんが横を向いてしまった」「事件ではなく事故」と語っている)。このことを理由に、新日本プロレスは前田に無期限出場停止の処分を下す。その後、出場停止解除の条件として、メキシコ遠征することを指示されたが、それを拒否したことにより1988年2月1日に新日本プロレスからプロレス道にもとる行為を理由に解雇される。後に前田は、プロレス雑誌「Gスピリッツ」[要ページ番号]におけるインタビューで、全日本プロレスでの天龍・輪島戦の衝撃に対抗するため顔面蹴りを試みたところ、長州が顔を反らしてしまったためにアクシデントに至ってしまったと証言している(和解済み)[要出典]。また当時マッチメイカーであり、またこの試合でレフェリーを務めていたミスター高橋によれば、セーブとしては激しい攻撃でありまた当たり所も悪く、「プロレスでやってはいけない攻撃」ではあり[11]、長州の怪我の状態が深刻であること、および長州がリング上での報復を意図していた事を鑑み予定を変えその場で試合終了とした[11]。高橋によればこのように、強力な攻撃が急所に入ってしまう事故は珍しいものではなく、通常は後に謝罪すれば収まるものであるのだが[11]、そこを猪木が(危険な攻撃は)「プロレス道にもとる」として追放処分にしてしまった判断は、「プロレスとは相手に怪我をさせないように執り行う物である」と言ったようなものだと疑問視し、むしろ遺恨試合というアングルに繋げるべきではなかったかと指摘している しかし、実際に前田を追放したのは長州派閥であり、猪木は前田を伴って座禅を組みに行く等離脱前に関係は修復されていた。[11][注釈 1]



第2次UWF


第2次UWFは、1988年5月12日に後楽園ホールにて「STARTING OVER」と銘打ち旗揚げ戦を行った。当時、創刊されたばかりの格闘技通信は「プロレスという言葉が嫌いな人この指とまれ」と、前田を表紙に抜擢した。第2次UWFは格闘技であることを標榜した、競技色の強いプロレスであった。


その後、前田とUWFの社長・神新二との間で、神社長の会社の株式の無断の独占問題と不明朗な経理で問題が発生。1990年10月、前田は船木誠勝戦直後に、フロントを非難。これを受けたフロントは前田を出場停止処分とする。この一連の前田とフロントとの確執は前田と所属選手間にも波及。翌1991年初頭に、前田は自宅マンションに選手を招集し団体の存続性を探ろうとしたが、「前田さんの言う事だけを一方的に信用するのは不可能。」(宮戸優光)、「なんか強制されてるみたいで嫌だなぁ・・・。」(安生洋二)、などの不協和音も飛び出し、話し合いは紛糾。やむを得ず前田は解散を宣言し、第二次UWFは隆盛を極めながらも、活動期間僅か2年8ケ月という短い歴史にピリオドを打った。



リングス


リングス設立

第2次UWF解散後の1991年春、リングスを設立。同年5月11日に横浜アリーナで旗揚げ戦を行った。リングスの興行はWOWOWで生放送された。さらには、UWF時代の人脈からオランダのクリス・ドールマンの全面協力を得ることになった。正道会館からは、石井和義館長が佐竹雅昭ら空手家をリングスに派遣した。石井館長はリングス参戦によって大型興行のノウハウを蓄積しそれが後のK-1の飛躍へとつながった。


前十字靭帯の断裂、側副靭帯損傷

旗揚げ第2戦前の練習で、前田は前十字靭帯断裂、側副靭帯の重傷を負った。その後しばらくはニーブレスをつけて強行出場を続けるが、最終的には手術を行い長期欠場となった。エース不在の興行的な穴はディック・フライ、ヴォルク・ハン、高阪剛、田村潔司、山本宜久、長井満也、成瀬昌由らが埋めることになる。この頃、リングスは旗揚げ当初より続いた外国人頼りのカードから脱却する。


KOKルールの採用

1993年から始まったUFCの影響を受けて、1999年からリングスもバーリトゥードに近いKOKルールを採用した。KOKルールは、グラウンド状態での顔面への打撃は禁止であったが、スタンド状態での顔面打撃を認めた画期的なルールであった。佐山は初期の修斗ルールと同じと言っていたが、グラウンドでの腹部・腰部・足部への打撃有無の違いがある。


ヒクソン・グレイシーとの対戦宣言

1998年に開催されたPRIDE.1では、高田延彦がヒクソン・グレイシーに敗北。これを機に、前田はヒクソンとの対戦を宣言し交渉を進めるが、ヒクソン側が高田延彦との試合を決めたため、実現することはなかった。


リングス活動停止

1999年2月21日、前田の引退試合としてアレクサンダー・カレリンと対戦し、判定(ポイント)負け。しかしながら、ロシアの英雄であるカレリンをレスリング以外の場に唯一立たせた意義は大きい。カレリンとの引退試合は民放のニュース番組で特集されるほど、世間から注目されていた。後に前田は、引退試合の相手にカレリンを選んだ理由について「本当に強い人間っていうのは、こういうことだよっていうのを証明したかった」と語っている[12]


WOWOWによる次年度よりの放映打ち切り決定により、2002年にリングスは活動停止。しかし、リトアニア、オランダ、ロシアでは大会は継続され、日本国内でもリングス出身スタッフが運営し、リングスKOKルールを採用した格闘技イベントZSTが開催されている。



ビッグマウス(ビッグマウス・ラウド)


2005年、元新日本プロレスの上井文彦に請われ、上井が旗揚げした新プロレスイベントビッグマウスにスーパーバイザーとして参画。同時に、船木誠勝と和解。


2006年2月26日、新生ビッグマウス・ラウド旗揚げ記念大会・徳島興行で、前田は船木と共にビッグマウス・ラウドを脱退。上井による会社資金の横領の露見、それによる資金難による団体所属選手および社員の給与未払い、道場を用意しようとしなかった等、上井の資金の使い込みをめぐる確執が脱退理由であった。



HERO'S


ビッグマウスとK-1との提携で、「HERO'S」(総合格闘技イベント)発足時より「スーパーバイザー」として参加。同興行の看板役の他に、試合ルールの運用、選手発掘などを行う。しばしば記者会見等の公の場に姿を現した。


2007年10月5日、「HERO'S KOREA 2007」の開催発表記者会見に出席。前日10月4日にPRIDE事務所が閉鎖され活動停止となったことに関し「天網恢々粗にして漏らさず」と発言。同日深夜、HERO'S公式サイトで谷川貞治が「不適切な発言」と謝罪文を掲載する事態となった[13]


同年12月31日、「K-1 PREMIUM 2007 Dynamite!!」で田村潔司vs所英男の試合後のリング上にプレゼンターとして登場。勝利者賞のトロフィーを田村に放り投げるように押しつけるトラブルを起こした[14]


2008年2月15日、「THE OUTSIDER」(後述)の記者会見を開き、HERO'Sの発展的解消に伴い同イベントのスーパーバイザーを降板したことが発表された。それまで確執が取り沙汰されていた旧PRIDEとHERO'Sとの連立イベントDREAMについては「めでたいこと」と述べた[15]



THE OUTSIDER


2008年1月21日、RINGS公式サイトで、いわゆる「不良」を主な対象としたアマチュアの格闘技大会「THE OUTSIDER」の立ち上げを発表し[16][17]、3月30日にディファ有明において旗揚げ大会を開催した[18]



獲得タイトル


  • ヨーロッパ・ヘビー級王座[3]

  • UWFヘビー級王座(元々はWWFインターナショナル・ヘビー級王座だったが、旧UWFとWWFの関係が消滅したと同時に改称される)


  • IWGPタッグ王座(パートナーは高田延彦、木戸修)


得意技



キャプチュード(Captured:捕獲投げ)

前田が開発した変形のフロント・スープレックス。相手のキックをキャッチし、腕と片足をフックして後ろに反り投げる。投げた後そのままピンフォールが出来る。落とす角度によっては相手を脳天から落とす事も出来る。技の名は入場テーマ曲のタイトル(『CAPTURED』)に由来(それ以前は「アキラ・スペシャル」と称されていた)。

各種スープレックス

イギリス修行から凱旋した当時は「七色のスープレックスを持つ男」と紹介された。実際には、ジャーマン・スープレックス・ホールド、ドラゴン・スープレックス・ホールド、リバース・アームサルト、ダブルリスト・アームサルト、ウンターグルフ・サルト、リバース・サルト、スロイダー、ハーフハッチ、ダブルアームロック・サルト、クォーターネルソン・サルト、デアポート・スロイダーの12種類を使用していた。

各種関節技

各種キック


藤波辰爾は「橋本のキックや蹴りは、ある程度リーチが分かり距離が取れるけど、前田のキックや蹴りは、膝下が勢いよく伸びるため、距離が取れず避け難い」と語っている。

フライング・ニールキック

前田独特の軌道を描くニールキック(スタン・ハンセンのラリアットを足でという発想から生まれたと言われている)。横にひねりを加えつつジャンプし、踵を相手の顔面や胸元に当てる。

大車輪キック

縦回転で放たれるニールキック。足の長い前田が使用するのが「大車輪」の由来。藤波辰爾を大流血に追い込んだこともある(藤波を流血に追い込んだ時はコーナーに追い詰めてから「直角蹴り」(膝への前蹴り)からのコンビネーション)。また、余談だが、藤波の額には前田の大車輪キックで負った傷が未だに残っている。

ジャンピング・ニー・バット

新日での凱旋帰国後、坂口征二とタッグの際に多用。これは、対戦相手として多く組まれた外人選手がニールキックを受けるのを嫌ったことに起因する。

膝蹴り

首相撲から相手の腹部や顔面に膝蹴りを叩きこむ。繋ぎで使うことが多い。新生UWF時代に田村潔司を長期欠場(眼底骨折)に追い込んだのもこの技。


戦績



第1次UWF











































































































































































































































































































































































































































































































































































勝敗対戦相手タッグパートナー試合結果会場 開催年月日 備考
 ダッチ・マンテル
8分33秒 ジャーマンスープレックス
大宮スケートセンター
1984年4月11日

UWF旗揚げ戦
 ボブ・スウィータン
11分14秒 片エビ固め
熊谷市体育館
1984年4月12日
 ダッチ・マンテル6分48秒 体固め
下関市体育館
1984年4月14日
 スコット・ケーシー
11分41秒 体固め
萩原町あさぎり体育館
1984年4月16日
 藤原喜明
10分37秒 両者フェンスアウト
蔵前国技館1984年4月17日
 高田伸彦
 ザ・タイガー
藤原喜明16分24秒 
○藤原(原爆固め)高田×
後楽園ホール1984年7月23日
 フレンチ・マーテル
8分53秒 三角絞め後楽園ホール1984年7月24日
 ランバージャック
 ジェリー・オルスキー
 ジャック・スヌーカ
藤原喜明
高田伸彦
22分11秒
高田(三角絞め)ランバージャック×

高崎市中央体育館
1984年8月29日
 ピエール・ラファエル
 フレンチ・マーテル
高田伸彦16分47秒
○前田(三角絞め)ラファエル×

岡谷市民会館
1984年8月30日
 ジャック・スヌーカ14分35秒 体固め
古河市体育館
1984年8月31日
 ジェリー・オルスキー
 ジャック・スヌーカ
藤原喜明20分17秒
○前田(アバラ折り)スヌーカ×

戸倉町体育館
1984年9月2日
 フレンチ・マーテル10分29秒 体固め
上田市民体育館
1984年9月4日
 ピエール・ラファエル
 フレンチ・マーテル
高田伸彦16分49秒
○高田(逆十字固め)マーテル×

館林市民会館
1984年9月5日
 マーク・ルーイン
14分01秒 卍固め
後楽園ホール1984年9月7日
 ピエール・ラファエル
 ジャック・スヌーカ
藤原喜明18分50秒
○前田(卍固め)ラファエル×

越谷市体育館
1984年9月8日
 ザ・UFO
13分20秒 寝技式卍固め足利市体育館1984年9月10日
× スーパータイガー
18分55秒 羽根折り顔面絞め後楽園ホール1984年9月11日
実力NO1決定戦
× 木戸修
 藤原喜明
S・タイガー25分35秒
○藤原(羽根折り顔面絞め)タイガー×
後楽園ホール1984年10月5日
 ジェリー・オルスキー13分32秒 卍固め用賀駅前広場特設リング1984年10月6日
 キューバン・アサシン
10分08秒 卍固め熊本市体育館1984年10月9日
 フィル・ラファイアー
10分08秒 逆卍固め博多スターレーン1984年10月10日
 スティーブン・ペティパス
 スイート・ダディ・シキ
藤原喜明22分13秒
○前田(卍固め)シキ×

飯塚市体育館
1984年10月11日
 スイート・ダディ・シキ15分41秒 三角絞め
萩市体育館
1984年10月13日
 フィル・ラファイアー
 スティーブン・ペティパス
山﨑一夫25分05秒
○前田(卍固め)ラファイアー×
宇佐市サンリブ
四日市店駐車場特設リング
1984年10月14日
 フィル・ラファイアー
 タブー・サモア
木戸修16分33秒
○前田(卍固め)サモア×
姫路市厚生会館1984年10月17日
 フランク・モレロ14分27秒 卍固め
松江市総合体育館
1984年10月19日
 高田伸彦20分17秒 変形三角絞め
徳山市体育館
1984年10月20日
 山﨑一夫17分23秒 変形三角絞め広島県立体育館1984年10月22日
 フィル・ラファイアー15分29秒 変形三角絞め山形県体育館1984年10月24日
 キューバン・アサシン12分35秒 卍固め
福島市体育館
1984年10月25日
× 木戸修
 藤原喜明
S・タイガー40分16秒
○藤原(三角絞め)タイガー×
後楽園ホール1984年11月15日
 スコット・マギー
21分36秒 変形三角締め
東部町町民体育館
1984年11月17日
 マッハ隼人
17分07秒 原爆固め大津市皇子が丘公園体育館1984年11月20日
 サイクロン・ネグロ
 ピート・ロバーツ
藤原喜明22分07秒
○前田(卍固め)ネグロ×

西尾市体育館
1984年11月21日
 サイクロン・ネグロ13分57秒 卍固め
犬山市体育館
1984年11月23日
 キース・ハワード
19分43秒 首固め
飛騨高山市体育館
1984年11月24日
スコッティ・ウイリアムス14分32秒 卍固め
穂高町総合体育館
1984年11月28日
 スコット・マギー
 キース・ハワード
S・タイガー28分37秒
○タイガー(羽根折顔面絞め)ハワード×

佐野市民体育館
1984年11月29日
 サイクロン・ネグロ7分01秒 卍固め
浜松市体育館
1984年12月4日
 キース・ハワード
 ピート・ロバーツ
木戸修30分00秒
時間切れ引き分け
後楽園ホール1984年12月5日
× スーパータイガー22分18秒 横三角締め後楽園ホール
1985年1月7日

格闘技ロード公式リーグ
 ウェイン・ブリッジ20分11秒 横三角締め
松戸市運動公園体育館
1985年1月8日
 ウェイン・ブリッジ
 ジョニー・ロンドス
藤原喜明24分04秒
○藤原(三角締め)ロンドス×

市原市臨海体育館
1985年1月10日
 テリー・ロッヂ14分50秒 卍固め
福生市民体育館
1985年1月11日
 空中正三
14分32秒 三角締め
豊川市体育館
1985年1月13日
 デーブ・フィンレー
 バーナード・ライト
高田伸彦15分11秒
○高田(三角締め)ライト×

飯田勤労者体育センター
1985年1月15日
 山﨑一夫19分09秒 飛龍原爆固め大阪府立臨海スポーツセンター1985年1月16日
 デーブ・フィンレー14分09秒 卍固め
海南市立総合体育館
1985年1月17日
× 木戸修25分46秒 レフリーストップ後楽園ホール1985年1月20日
格闘技ロード公式リーグ
 山﨑一夫22分12秒 三角締め後楽園ホール1985年2月18日
格闘技ロード公式リーグ
 マッハ隼人17分32秒 横三角締め
横須賀市立総合体育館
1985年2月20日
 ラウル・マタ16分35秒 横三角締め
松阪市総合体育館
1985年2月22日
 高田伸彦23分20秒 逆エビ固め
泉佐野市民体育館
1985年2月23日
格闘技ロード公式リーグ
 マーチン・ジョーンズ18分53秒 卍固め博多スターレーン1985年2月24日
 ミレ・ツルノ
14分16秒 横三角締め北九州市西日本総合展示場1985年2月26日
 ジョニー・サウス
 ミレ・ツルノ
藤原喜明25分40秒
○前田(横三角締め)サウス×
熊谷市民体育館1985年2月28日
× 藤原喜明25分59秒 三角締め後楽園ホール1985年3月2日
格闘技ロード公式リーグ
 ディーン・ソルコフ
24分17秒 横三角締め戸田市スポーツセンター1985年3月3日
 マッハ隼人11分08秒 三角締め木更津市倉形スポーツ会館1985年4月6日
格闘技ロード公式リーグ
 カズウェル・マーティン
 オマール・アトラス
藤原喜明21分51秒
○前田(卍固め)マーティン×
越谷市民体育館1985年4月8日
 空中正三10分14秒 羽根折り顔面絞め後楽園ホール1985年4月12日
格闘技ロード公式リーグ
× 木戸修
 藤原喜明
S・タイガー29分29秒
○藤原(肩固め)タイガー×
万博お祭り広場1985年4月14日
 山崎一夫
 藤原喜明
高田伸彦23分42秒
○前田(変形足首固め)山崎×
相模原市総合体育館1985年4月16日
 レイ・スチール16分02秒 変形足首固め松本市総合体育館1985年4月17日
 マッハ隼人10分27秒 変形足首固め諏訪湖スポーツセンター1985年4月18日
 カズウェル・マーティン
 タルバー・シン
S・タイガー19分27秒
○前田(変形足首固め)シン×
長野県民体育館1985年4月20日
 オマール・アトラス
 タルバー・シン
藤原喜明15分55秒
○前田(変形足首固め)アトラス×
青森市民体育館1985年4月23日
 タルバー・シン15分15秒 卍固め五所川原市民体育館1985年4月24日
 オマール・アトラス8分32秒 卍固め後楽園ホール1985年4月26日
 高田伸彦19分20秒 横三角絞め下関体育館1985年5月18日
格闘技ロード4位決定戦
 キース・ハワード16分03秒 腕固め広島県立体育館1985年7月8日
Aリーグ公式戦
× 藤原喜明16分03秒 アキレス腱固め静岡産業館1985年7月13日
Aリーグ公式戦
 高田伸彦14分34秒 逆エビ固め大阪府立臨海スポーツセンター1985年7月17日
Aリーグ公式戦
× 木戸修15分46秒 逆エビ固め後楽園ホール1985年7月21日
Aリーグ公式戦
 スーパータイガー16分01秒 逆エビ固め大田区体育館1985年7月25日
Aリーグ公式戦
× 藤原喜明16分01秒 アキレス腱固め岐阜産業館1985年8月25日
公式リーグ戦
 高田伸彦13分50秒 ヒザ固め大宮スケートセンター1985年8月29日
公式リーグ戦
× スーパータイガー18分57秒 反則負け大阪府立臨海スポーツセンター1985年9月2日
公式リーグ戦


UWFと新日本プロレスの業務提携時代



































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































勝敗対戦相手タッグパートナー試合結果会場 開催年月日 備考
 高田伸彦11分59秒 逆片エビ固め後楽園ホール1986年1月3日
UWF代表者決定
リーグ戦

 小杉俊二
 越中詩郎
木戸修11分07秒
○前田(腕ひしぎ十字固め)小杉×

本庄市民体育館
1986年1月8日
× 藤原喜明15分58秒 脇固め
船橋市運動公園体育館
1986年1月10日
UWF代表者決定
リーグ戦

 金秀洪
 星野勘太郎
山崎一夫11分07秒
○前田(腕ひしぎ十字固め)金×

豊岡市民体育館
1986年1月14日
 高田伸彦8分46秒 リングアウト
姫路市厚生会館
1986年1月15日
UWF代表者決定
リーグ戦

 山崎一夫
 藤原喜明
木戸修12分05秒
○前田(ヒザ十字固め)山崎×

鳥栖市民体育館
1986年1月16日
 木戸修13分16秒 ヒザ十字固め博多スターレーン1986年1月18日
UWF代表者決定
リーグ戦

 後藤達俊
 ドン荒川
木戸修12分52秒
○前田(体固め)後藤×

飯塚市体育館
1986年1月20日
 橋本真也
 力抜山
木戸修11分04秒
○前田(逆十字固め)橋本×

徳山市体育館
1986年1月22日
 山崎一夫10分59秒 ヒザ十字固め静岡産業館1986年1月24日
UWF代表者決定
リーグ戦

 藤原喜明11分31秒 羽根折り腕固め
豊川市体育館
1986年1月26日
UWF代表者決定
リーグ戦

× 木戸修11分58秒 反則負け
古河市体育館
1986年1月31日
UWF代表者決定
リーグ戦

 山崎一夫11分04秒 ヒザ十字固め
本吉総合体育館
1986年2月2日
UWF代表者決定
リーグ戦

 山崎一夫
 藤原喜明
木戸修13分28秒
○前田(脇固め)山崎×

白石市体育館
1986年2月3日
× 藤原喜明12分21秒 両者リングアウト
延長7分26秒 足固め
大阪城国際文化ホール1986年2月5日
UWF代表者決定
リーグ戦

 力抜山10分45秒 片エビ固め熊谷市民体育館1986年2月28日
× 越中詩郎
 木村健吾
 藤波辰巳
高田伸彦
藤原喜明
13分28秒
○藤波(原爆固め)高田×
後楽園ホール1986年3月1日
 ザ・ジャッカル
5分57秒 体固め黒磯公会堂1986年3月3日
 星野勘太郎
 越中詩郎
 木村健吾
木戸修
藤原喜明
14分51秒
○前田(アキレス腱固め)星野×
横浜文化体育館1986年3月4日
 ブラック・キャット
 星野勘太郎
 藤波辰巳
山崎一夫
木戸修
16分45秒
前田(アキレス腱固め)キャット×
勝田市総合体育館1986年3月5日
× 越中詩郎
 木村健吾
 藤波辰巳
高田伸彦
藤原喜明
20分19秒
○藤波(反則勝ち)前田×
上田市民体育館1986年3月7日
 星野勘太郎
 ザ・コブラ
 木村健吾
高田伸彦
藤原喜明
10分52秒
木戸(両者リングアウト)コブラ
館山市民センター1986年3月8日
 ブラック・キャット
 星野勘太郎
 藤波辰巳
山崎一夫
藤原喜明
14分35秒
前田(アキレス腱固め)キャット×
徳島市立体育館1986年3月10日
 後藤達俊
 越中詩郎
 木村健吾
高田伸彦
木戸修
18分31秒
○前田(三角絞め)後藤×
柳井市体育館1986年3月12日
 ニック・キニスキー
7分44秒 体固め大野城市体育館1986年3月13日
 星野勘太郎
 木村健吾
 藤波辰巳
高田伸彦
藤原喜明
19分02秒
○前田(アキレス腱固め)星野×
鹿児島県立体育館1986年3月14日
 マット・ボーン
5分40秒 体固め柳川市民体育館1986年3月15日
 ニック・キニスキー6分00秒 体固め
直方市体育館
1986年3月17日
× 星野勘太郎
 坂口征二
 藤波辰巳
木戸修
藤原喜明
12分54秒
○坂口(反則勝ち)木戸×
倉敷市水島体育館1986年3月19日
 後藤達俊
 越中詩郎
 木村健吾
高田伸彦
木戸修
14分56秒
○前田(レフリーストップ)後藤×
長浜市体育館1986年3月20日
× 上田馬之助
 アントニオ猪木
藤原喜明14分56秒
○猪木(反則勝ち)藤原×
岐阜産業館1986年3月21日
 力抜山
 越中詩郎
 上田馬之助
木戸修
藤原喜明
15分45秒
○前田(片エビ固め)力抜山×

尾鷲市体育文化会館
1986年3月22日
 星野勘太郎
 坂口征二
 木村健吾
木戸修
藤原喜明
12分49秒
△木戸(両者リングアウト)木村△

犬山市体育館
1986年3月23日
 ニック・キニスキー6分18秒 片エビ固め戸田市スポーツセンター1986年3月24日
× 星野勘太郎
 上田馬之助
 木村健吾
 藤波辰巳
 アントニオ猪木
山崎一夫
高田伸彦
木戸修
藤原喜明
○木村(逆さ押さえ込み)山崎×
○藤原(アキレス腱固め)星野×
前田(リングアウト)木村×
△藤波(両者リングアウト)藤原△
△上田(両者リングアウト)前田
○猪木(裸絞め)高田×
○猪木(体固め)木戸×
33分38秒
猪木が一人残りで新日本の勝利
東京体育館1986年3月26日
新日本vsUWF
5対5時間無制限

イリミネーションマッチ
(勝ち残りタッグ戦)

 ケリー・ブラウン
 ゲシュタポ
木戸修11分07秒
○前田(体固め)ブラウン×
後楽園ホール1986年4月11日
 小杉俊二
 越中詩郎
藤原喜明13分11秒
○藤原(脇固め)小杉×
所沢青果市場1986年4月13日
 後藤達俊
 越中詩郎
 上田馬之助
木戸修
藤原喜明
11分10秒
○木戸(反則勝ち)上田×
米沢市営体育館1986年4月15日
 後藤達俊
 小杉俊二
 上田馬之助
木戸修
藤原喜明
12分24秒
○前田(逆十字固め)後藤×
鶴岡市体育館1986年4月16日
 ランディ・コーレイ
4分29秒 体固め一関体育文化会館1986年4月17日
 ゲシュタポ
 マスクド・スーパースター
木戸修12分13秒
○前田(原爆固め)ゲシュタポ×
伊勢崎市民体育館1986年4月18日
× 越中詩郎
 上田馬之助
山崎一夫10分44秒
○上田(体固め)山崎×
富士市吉原体育館1986年4月19日
 ゲシュタポ7分21秒 体固め木更津市倉形スポーツ会館1986年4月20日
 ケリー・ブラウン3分48秒 体固め山口県体育館1986年4月21日
 マスクド・スーパースター9分10秒 両者リングアウト宇部市俵田翁記念体育館1986年4月22日
 ランディ・コーレイ5分39秒 体固め西都市体育館1986年4月24日
 ディック・マードック
14分51秒 反則勝ち熊本市体育館1986年4月25日
 B・キャット
 星野勘太郎
木戸修10分44秒
○前田(体固め)キャット×
下関市体育館1986年4月26日
 ランディ・コーレイ6分1秒 片エビ固め大阪府立臨海スポーツセンター1986年4月27日
- アンドレ・ザ・ジャイアント
26分35秒 無効試合
津市体育館
1986年4月29日
 ケリー・ブラウン4分34秒 体固め岡崎市体育館1986年4月30日
 先鋒:山田恵一
 次鋒:坂口征二
 中堅:越中詩郎
 副将:木村健吾
 大将:藤波辰巳

先鋒:高田伸彦
次鋒:山崎一夫
中堅:木戸修
副将:藤原喜明
大将:前田日明

1本目
○高田(14分27秒 アキレス腱固め)山田×
2本目
○坂口(4分40秒 カナダ式背骨折)高田×
3本目
○坂口(5分22秒 逆エビ固め)山崎×
4本目
○木戸(3分33秒 首固め)坂口×
5本目
○木戸(8分13秒 反則勝ち)越中×
6本目
○木村(4分41秒 逆片エビ固め)木戸×
7本目
○藤原(6分56秒 脇固め)木村×
8本目
○藤波(8分56秒 逆さ押さえ込み)藤原×
9本目
前田(6分30秒 レフリーストップ)藤波×

前田の一人残りでUWFの勝利
両国国技館1986年5月1日新日本vsUWF
5対5シングル
勝ち抜き戦
(20分1本勝負)

× M・スーパースター
 D・マードック
木戸修11分04秒
○マードック(首固め)木戸×
後楽園ホール1986年5月16日
× ディック・マードック18分57秒 反則負け川崎市体育館1986年5月17日
IWGP王座決定リーグ戦
 越中詩郎
 上田馬之助
高田伸彦12分04秒
○高田(反則勝ち)越中×
東金中学校体育館1986年5月16日
 ケリー・フォン・エリック
7分55秒 両者リングアウト後楽園ホール1986年5月19日
× ワイルド・サモアン
 M・スーパースター
木戸修8分32秒
○スーパースター(首固め)木戸×
池の川中央体育館1986年5月21日
 キューバン・アサシン
 ワイルド・サモアン
藤原喜明9分44秒
○前田(片エビ固め)アサシン×
福山市体育館1986年5月22日
 T・セントクレアー
 C・アサシン
 クラウス・ワラス
木戸修
藤原喜明
10分32秒
前田(片エビ固め)セントクレアー×
久留米県立体育館1986年5月23日
× K・V・エリック
 ワイルド・サモアン
木戸修13分14秒
○エリック(首固め)木戸×
八代市総合体育館1986年5月24日
 越中詩郎
 ザ・コブラ
 上田馬之助
高田伸彦
藤原喜明
15分11秒
○高田(反則勝ち)越中×
佐賀スポーツセンター1986年5月25日
 後藤達俊
 星野勘太郎
 上田馬之助
山崎一夫
木戸修
12分38秒
○前田(片エビ固め)後藤×
大分荷揚町体育館1986年5月26日
 小杉俊二
 星野勘太郎
木戸修12分27秒
○前田(片エビ固め)小杉×
福岡国際スポーツセンター1986年5月27日
 T・セントクレアー
 C・アサシン
 K・V・エリック
山崎一夫
藤原喜明
13分56秒
○前田(片エビ固め)アサシン×
岡山武道館1986年5月29日
 ジミー・スヌーカ
 アンドレ・ザ・ジャイアント
藤原喜明10分40秒
藤原(両者リングアウト)スヌーカ×
広島県立体育館1986年5月30日
 ワイルド・サモアン8分50秒 片エビ固め兵庫県立文化体育館1986年5月31日
IWGP王座決定リーグ戦
 越中詩郎
 上田馬之助
藤原喜明7分23秒
○藤原(反則勝ち)上田×
福島県営白河市体育館1986年6月1日
 W・サモアン
 C・ワラス
 J・スヌーカ
高田伸彦
木戸修
10分45秒
○前田(片エビ固め)ワラス×
青森市民体育館1986年6月2日
 上田馬之助
 木村健吾
木戸修7分6秒
前田(両者フェンスアウト)上田
帯広市総合体育館1986年6月3日
 W・サモアン
 M・スーパースター
木戸修10分27秒
△前田(両者リングアウト)スーパースター△
室蘭市体育館1986年6月4日
 上田馬之助5分23秒 反則勝ち札幌中央体育センター1986年6月6日
IWGP王座決定リーグ戦
 ワイルド・サモアン10分33秒 片エビ固め小樽市総合体育館1986年6月7日
 キューバン・アサシン6分39秒 片エビ固め八戸市体育館1986年6月8日
IWGP王座決定リーグ戦
× W・サモアン
 D・マードック
木戸修13分29秒
○マードック(片エビ固め)木戸×
弘前市体育館1986年6月9日
× W・サモアン
 M・スーパースター
山崎一夫11分36秒
○スーパースター(体固め)山崎×
宮城県スポーツセンター1986年6月10日
 上田馬之助
 木村健吾
藤原喜明13分18秒
○前田(反則勝ち)上田×

南足柄市総合体育館
1986年6月11日
 藤波辰巳22分05秒 両者KO大阪城国際文化ホール1986年6月12日
IWGP王座決定リーグ戦
 C・ワラス
 M・スーパースター
藤原喜明10分25秒
○藤原(逆さ押さえ込み)ワラス×
川越市民体育館1986年6月13日
 C・アサシン
 D・マードック
木戸修14分39秒
○木戸(首固め)アサシン×
浜松市体育館1986年6月14日
 ジミー・スヌーカ12分34秒 片エビ固め稲毛マリンピア Sアリーナ1986年6月15日
IWGP王座決定リーグ戦
 W・サモアン
 M・スーパースター
 D・マードック
木戸修
藤原喜明
11分26秒
○前田(片エビ固め)サモアン×
愛知県体育館1986年6月17日
× ディック・マードック16分22秒 リングアウト松戸市運動公園体育館1986年6月18日
IWGP王座決定リーグ戦
 W・サモアン
 J・スヌーカ
木戸修11分55秒
○前田(逆さ押さえ込み)サモアン×
両国国技館1986年6月19日
 木村健吾6分58秒 両者フェンスアウト京都府立体育館1986年6月20日
佐川急便杯トーナメント
 上田馬之助
 木村健吾
藤原喜明10分20秒
△前田(両者フェンスアウト)木村△
後楽園ホール1986年7月4日
 ジョニー・マンテル8分33秒 片エビ固め草加市健康都市記念体育館1986年7月5日
 後藤達俊
 星野勘太郎
 越中詩郎
高田伸彦
藤原喜明
12分25秒
○前田(体固め)後藤×
萩原町あさぎり体育館1986年7月8日
 ジョニー・マンテル8分41秒 片エビ固め長野スケートセンター1986年7月9日
 B・キャット
 越中詩郎
 木村健吾
山崎一夫
藤原喜明
13分22秒
○前田(膝十字固め)キャット×

恵那市体育館
1986年7月10日
 ジョージ高野
 木村健吾
木戸修17分32秒
○前田(反則勝ち)高野×

春日井市総合体育館
1986年7月11日
 上田馬之助
 木村健吾
木戸修11分31秒
△前田(両者フェンスアウト)上田△
秩父市民体育館1986年7月14日
 ミスター・ポーゴ
 ケンドー・ナガサキ
木戸修11分02秒
○木戸(反則勝ち)ポーゴ×
富山市体育館1986年7月15日
 バッドニュース・アレン
 ハクソー・ヒギンズ
藤原喜明7分23秒
○前田(体固め)ヒギンズ×
高崎市体育館1986年7月16日
- ミスター・ポーゴ
 ケンドー・ナガサキ
藤原喜明12分16秒
無効試合
松本市総合体育館1986年7月18日
 越中詩郎
 木村健吾
 藤波辰巳
木戸修
藤原喜明
12分04秒
○前田(片エビ固め)越中×
後楽園ホール1986年7月19日
 木村健吾8分52秒 両者フェンスアウト
東急建設甲府駐車場特設リング1986年7月20日
× アレックス・スミルノフ
 スティーブ・ウィリアムス
木戸修8分01秒
×木戸(体固め)ウィリアムス
新潟市体育館1986年7月22日
 ミスター・ポーゴ
 ケンドー・ナガサキ
藤原喜明10分48秒
△藤原(両者フェンスアウト)ポーゴ△
会津市体育館1986年7月23日
 J・マンテル
 B・アレン
 A・スミルノフ
山崎一夫
木戸修
11分56秒
○前田(体固め)マンテル×
大船渡市体育館1986年7月24日
 スティーブ・ウィリアムス
 バッドニュース・アレン
藤原喜明14分58秒
△藤原(両者リングアウト)アレン△
秋田県立体育館1986年7月25日
 バッドニュース・アレン
 H・ヒギンズ
木戸修9分04秒
△前田(両者リングアウト)アレン△

大館市体育館
1986年7月26日
 ジョニー・マンテル10分10秒 片エビ固め
十和田市民体育館
1986年7月27日
 B・キャット
 星野勘太郎
木戸修9分49秒
○前田(体固め)キャット×
西明石弁財天町広場特設リング1986年7月29日
 ハクソー・ヒギンズ6分49秒 両者リングアウト
三田市ニチイ駐車場特設リング1986年7月27日
× ミスター・ポーゴ
 ケンドー・ナガサキ
木戸修11分35秒
○ナガサキ(首固め)木戸×
福井市営体育館1986年7月31日
 ミスター・ポーゴ
 ケンドー・ナガサキ
木戸修12分00秒
○木戸(エビ固め)ポーゴ×
姫路市厚生会館1986年8月1日
 ジョニー・マンテル
 バッドニュース・アレン
高田伸彦11分36秒
○前田(片エビ固め)マンテル×
堺大浜相撲場特設リング1986年8月2日
 上田馬之助7分1秒 反則勝ち大田原市城山公園特設リング1986年8月3日
× 上田馬之助
 木村健吾
木戸修10分53秒
○木村(反則負け)前田×
諏訪湖スポーツセンター1986年8月4日
 木村健吾
 藤波辰巳
木戸修13分52秒
○木戸(首固め)木村×
両国国技館1986年8月5日
IWGPタッグ選手権
第2代王者になる

 J・マンテル
 H・ヒギンズ
木戸修9分50秒
○前田(片エビ固め)マンテル×
露橋スポーツセンター1986年8月7日
 木村健吾
 藤波辰巳
木戸修14分01秒
両軍リングアウト
後楽園ホール1986年8月29日
IWGPタッグ王座
防衛1

 越中詩郎
 上田馬之助
 木村健吾
高田伸彦
木戸修
12分23秒
△高田(両者フェンスアウト)越中△
南浦和競馬駐車場特設リング1986年8月31日
 星野勘太郎
 上田馬之助
 木村健吾
山﨑一夫
藤原喜明
9分51秒
○藤原(反則勝ち)上田×
小諸市総合体育館1986年9月1日
 ケビン・ケリー
1分25秒 片エビ固め
池田町総合体育館
1986年9月2日
 ジョージ高野
 上田馬之助
木戸修10分20秒
○前田(片エビ固め)高野×
栃木体育館1986年9月4日
 マッド・マックス
 スーパー・マックス
木戸修8分19秒
○木戸(反則勝ち)マックス×
千葉公園体育館1986年9月5日
 ジェリー・グレイ9分37秒 片エビ固め新柏駅特設リング1986年9月7日
 ケビン・ケリー
 ジェリー・グレイ
木戸修8分27秒
○前田(片エビ固め)ケリー×

棚倉町総合体育館
1986年9月8日
 エンゼル・オブ ・デス
 ブラック・タイガー
高田伸彦9分14秒
○前田(片エビ固め)デス×

大東町民体育館
1986年9月9日
 ジェリー・グレイ6分49秒 片エビ固め
十文字総合文化センター
1986年9月10日
 エンゼル・オブ ・デス
 ジェリー・グレイ
藤原喜明10分50秒
○藤原(逆さ押さえ込み)デス×
岩手県営体育館1986年9月11日
 ケビン・ケリー
 エンゼル・オブ ・デス
藤原喜明9分19秒
○前田(片エビ固め)ケリー×
山形県体育館1986年9月12日
 エンゼル・オブ ・デス
 ジェリー・グレイ
木戸修9分24秒
○前田(片エビ固め)デス×

五所川原市体育館
1986年9月13日
 ケビン・ケリー6分24秒 片エビ固め
那智勝浦町体育文化会館
1986年9月15日
 星野勘太郎
 越中詩郎
 ジョージ高野
 木村健吾
 藤波辰巳
山崎一夫
高田伸彦
木戸修
藤原喜明

○木村(逆さ押さえ込み)木戸×
前田(羽根折顔面絞め)木村×
○藤波(サソリ固め)山﨑×
○藤原(脇固め)高野×
△藤原(両者リングアウト)星野△
前田(両者リングアウト)藤波△
○高田(変形後方回転エビ固め)越中×

21分22秒
高田が一人残りでUWFの勝利
大阪城ホール1986年9月16日
新日本vsUWF
5対5時間無制限

イリミネーションマッチ
(勝ち残りタッグ戦Ⅱ)

 エンゼル・オブ ・デス
 ジェリー・グレイ
木戸修8分52秒
○前田(片エビ固め)グレイ×
長崎国際体育館1986年9月18日
 ケビン・ケリー
 ジェリー・グレイ
木戸修7分20秒
○前田(片エビ固め)ケリー×
福岡スポーツセンター1986年9月19日
 ジェリー・グレイ9分20秒 片エビ固め熊本市体育館1986年9月20日
× 木村健吾
 藤波辰巳
木戸修15分18秒
○木村(エビ固め)木戸×
後楽園ホール1986年9月23日
IWGPタッグ王座防衛
失敗

 ケビン・ケリー
 ジェリー・グレイ
藤原喜明11分18秒
○前田(片エビ固め)ケリー×

四日市体育館
1986年9月24日
 ジェリー・グレイ8分04秒 片エビ固め
鹿島町立体育館
1986年9月25日
 ドン・中矢・ニールセン
5R 2分26秒 逆片エビ固め1986年10月9日異種格闘技戦
 M・スーパースター
 D・マードック
木戸修10分40秒
木戸(首固め)スーパースター×
後楽園ホール1986年11月14日
ジャパンカップ争奪
タッグリーグ戦

× M・ポーゴ
 K・ナガサキ
 M・スーパースター
高田伸彦
木戸修
10分39秒
スーパースター(体固め)木戸×
高崎市中央体育館1986年11月15日
× トンガ・キッド
 M・スーパースター
高田伸彦8分28秒
スーパースター(体固め)高田×

日産自動車村山工場
グラウンド特設リング
1986年11月16日
 ミスター・ポーゴ8分11秒 片エビ固め
一宮市産業体育館
1986年11月17日
× 武藤敬司
 藤波辰巳
木戸修16分54秒
○藤波(リングアウト)木戸×
大田区体育館1986年11月18日
ジャパンカップ争奪
タッグリーグ戦

 ワイルド・サモアン7分52秒 体固め
十日町市民体育館
1986年11月20日
 ケンドー・ナガサキ11分21秒 反則勝ち新潟市体育館1986年11月21日
 越中詩郎
 木村健吾
木戸修10分16秒
△木村(両者フェンスアウト)木戸△
長岡市厚生会館1986年11月22日
 坂口征二
9分55秒 反則勝ち札幌中島体育センター1986年11月24日
 越中詩郎
 木村健吾
木戸修10分58秒
△山崎(両者フェンスアウト)越中△
滝川青少年体育センター1986年11月25日
 トンガ・キッド
 ワイルド・サモアン
木戸修11分19秒
○前田(片エビ固め)キッド×
函館市民体育館1986年11月26日
ジャパンカップ争奪
タッグリーグ戦

 ワイルド・サモアン
 ジミー・スヌーカ
 M・スーパースター
高田伸彦
木戸修
11分34秒
前田(片エビ固め)サモアン×
八戸市体育館1986年11月27日
 ジョージ高野
 木村健吾
木戸修11分24秒
○木村(首固め)木戸×
郡山市総合体育館1986年11月28日
ジャパンカップ争奪
タッグリーグ戦

 M・スーパースター7分46秒 両者リングアウト
沼津市体育館
1986年11月29日
 ワイルド・サモアン7分29秒 体固め
川内市立体育館
1986年12月1日
 トンガ・キッド4分34秒 片エビ固め
都城市体育館
1986年12月2日
 ディック・マードック11分28秒 反則勝ち
鹿児島県立体育館
1986年12月3日
 トンガ・キッド
 ジミー・スヌーカ
木戸修10分58秒
○前田(片エビ固め)キッド×
大分県立荷揚町体育館1986年12月4日
 ミスター・ポーゴ
 ケンドー・ナガサキ
木戸修8分18秒
○前田(片エビ固め)ポーゴ×
高知県民体育館1986年12月6日
ジャパンカップ争奪
タッグリーグ戦

 M・スーパースター7分39秒 反則勝ち
松阪市総合体育館
1986年12月7日
 高田伸彦
 越中詩郎
木戸修22分52秒
○木戸(首固め)越中×
愛知県体育館1986年12月8日
ジャパンカップ争奪
タッグリーグ戦

 トンガ・キッド6分27秒 片エビ固め静岡産業館1986年12月9日
 藤原喜明
 アントニオ猪木
木戸修17分33秒
○前田(リングアウト)猪木×
大阪城ホール1986年12月10日
ジャパンカップ争奪
タッグリーグ戦

 M・スーパースター
 D・マードック
木戸修14分43秒
前田(回転エビ固め)スーパースター×
両国国技館1986年12月11日
ジャパンカップ争奪
タッグリーグ戦

× 藤原喜明
 アントニオ猪木
木戸修13分32秒
○猪木(卍固め)木戸×
両国国技館1986年12月11日
ジャパンカップ争奪
タッグリーグ戦優勝戦

 キューバン・アサシン4分24秒 片エビ固め後楽園ホール
1987年1月2日

 T・セントクレアー
 ブラック・バート
木戸修9分15秒
木戸(逆エビ固め)セントクレアー×
後楽園ホール1987年1月3日
× ブレット・ソイヤー
 バズ・ソイヤー
木戸修9分15秒
○バズ(片エビ固め)木戸×
川越市民体育館1987年1月4日
 越中詩郎
 上田馬之助
藤原喜明11分23秒
○前田(反則勝ち)越中×
多賀城市総合体育館1987年1月5日
 ブラック・バート8分36秒 片エビ固め石巻市総合体育館1987年1月6日
 バズ・ソイヤー10分43秒 反則勝ちいわき市総合体育館1987年1月7日
 コンガ・ザ・バーバリアン
7分22秒 両者フェンスアウト銚子市体育館1987年1月9日
 ブラック・バート
 バズ・ソイヤー
藤原喜明10分39秒
○前田(体固め)バート×
館山市民センター1987年1月10日
 キューバン・アサシン
 T・セントクレアー
木戸修11分13秒
○木戸(逆エビ固め)アサシン×

桐生市体育館
1987年1月12日
 T・セントクレアー
 K・バーバリアン
藤原喜明9分24秒
前田(片エビ固め)セントクレアー×

君津市体育館
1987年1月13日
 上田馬之助
 ジョージ高野
木戸修10分05秒
○前田(片エビ固め)高野×

東大阪市立中央体育館
1987年1月16日
 越中詩郎
 上田馬之助
 藤波辰巳
木戸修
藤原喜明
10分14秒
△木戸(両者リングアウト)藤波△
高松市民文化センター1987年1月17日
 コンガ・ザ・バーバリアン7分10秒 反則勝ち
武雄市白岩体育館
1987年1月19日
× ブレット・ソイヤー
 バズ・ソイヤー
木戸修9分58秒
○バズ(片エビ固め)木戸×

島原市民体育館
1987年1月20日
 越中詩郎
 ジョージ高野
木戸修10分57秒
○前田(リングアウト)越中×

熊本市体育館
1987年1月21日
 ブラック・バート8分30秒 片エビ固め
本渡市民センター
1987年1月22日
× ブレット・ソイヤー
 バズ・ソイヤー
木戸修10分15秒
○木戸(回転エビ固め)ブレット×

水俣市体育館
1987年1月23日
 キューバン・アサシン7分48秒 片エビ固め
飯塚市体育館
1987年1月24日
 バズ・ソイヤー7分24秒 反則勝ち
北九州市若松体育館
1987年1月25日
 キューバン・アサシン
 ブレット・ソイヤー
木戸修7分54秒
○前田(片エビ固め)アサシン×

小野田市体育館
1987年1月26日
 コンガ・ザ・バーバリアン
 ブラック・バート
藤原喜明9分47秒
○藤原(反則勝ち)バート×

岩井町立町民総合体育館
1987年1月28日
× バズ・ソイヤー8分01秒 反則負け
福山市体育館
1987年1月29日
 上田馬之助
 ジョージ高野
木戸修9分01秒
○木戸(反則勝ち)上田×

兵庫県立文化体育館
1987年1月30日
 越中詩郎
 藤波辰巳
高田伸彦23分49秒
○高田(KO)越中×

加須市民体育館
1987年2月2日
 上田馬之助
 坂口征二
藤原喜明8分59秒
○藤原(反則勝ち)坂口×
岐阜産業館1987年2月4日
 武藤敬司
 藤波辰巳
藤原喜明12分34秒
△前田(両者フェンスアウト)武藤△
両国国技館1987年2月5日
 武藤敬司
 越中詩郎
高田伸彦18分06秒
△高田(両者フェンスアウト)武藤△
伊勢崎市民体育館1987年2月23日
IWGPタッグ王座
争奪リーグ戦

 ルーク・ウィリアムス
5分12秒 片エビ固め
原町市民体育館
1987年2月24日
× 越中詩郎
 武藤敬司
 ジョージ高野
高田伸彦
木戸修
10分10秒
○高野(反則勝ち)木戸×
名取市総合体育館1987年2月25日
 ジェリー・グレイ7分10秒 片エビ固め豊橋市体育館1987年2月27日
 ジョージ高野
 武藤敬司
 藤波辰巳
木戸修
藤原喜明
17分46秒
○前田(飛龍原爆固め)武藤×
後楽園ホール1987年2月28日
 リック・スタイナー
8分02秒 反則勝ち
高萩市民体育館
1987年3月1日
 ミスター・ポーゴ
 ケンドー・ナガサキ
高田伸彦10分19秒
○前田(羽根折り顔面絞め)ポーゴ×
草加市スポーツ健康
都市記念体育館
1987年3月2日
IWGPタッグ王座
争奪リーグ戦

× ジョージ高野
 藤波辰巳
高田伸彦13分15秒
○高野(反則負け)高田×
愛知県体育館1987年3月4日
IWGPタッグ王座
争奪リーグ戦

 ジェリー・グレイ7分48秒 片エビ固め津山総合体育館1987年3月5日
 ミスター・ポーゴ
 ケンドー・ナガサキ
高田伸彦11分4秒
○高田(反則勝ち)ナガサキ×
益田市民体育館1987年3月6日
× 木戸修
 藤原喜明
高田伸彦14分38秒
○藤原(ヒザ十字固め)高田×
博多スターレーン1987年3月7日
IWGPタッグ王座
争奪リーグ戦

 ジェリー・グレイ6分10秒 片エビ固め
直方市体育館
1987年3月8日
 ジョージ・ウェルズ
5分2秒 片エビ固め池田会館1987年3月9日
 ジェリー・グレイ
 リック・スタイナー
高田伸彦9分24秒
○高田(体固め)グレイ×
岡山武道館1987年3月11日
 ブッチ・ミラー
 ルーク・ウィリアムス
高田伸彦8分34秒
○前田(片エビ固め)ウィリアムス×
丸亀市体育館1987年3月12日
IWGPタッグ王座
争奪リーグ戦

 ジョージ・ウェルズ8分34秒 片エビ固め豊橋市民体育館1987年3月14日
 ブッチ・ミラー
 ルーク・ウィリアムス
高田伸彦11分10秒
○前田(片エビ固め)ミラー×
淡路勤労センター1987年3月15日
 スティーブ・ウィリアムス10分22秒 反則勝ち岡崎市体育館1987年3月16日
 ジェリー・グレイ6分35秒 片エビ固め南足柄市総合体育館1987年3月18日
 リック・スタイナー
 スティーブ・ウィリアムス
高田伸彦11分51秒
○前田(片エビ固め)スタイナー×
勝田市総合体育館1987年3月19日
IWGPタッグ王座
争奪リーグ戦

× 越中詩郎
 武藤敬司
高田伸彦17分4秒
○越中(首固め)高田×
後楽園ホール1987年3月20日
IWGPタッグ王座
争奪リーグ戦

 越中詩郎
 武藤敬司
高田伸彦15分29秒
○高田(ヒザ十字固め)越中×
INOKI闘魂LIVEパート2
大阪城ホール
1987年3月26日
IWGPタッグ選手権
第5代王者になる
× レイ・キャンディ
 バッドニュース・アレン
木戸修9分19秒
○アレン(体固め)木戸×
後楽園ホール1987年4月6日
 バッドニュース・アレン7分30秒 両者フェンスアウト
秩父市民体育館1987年4月7日
 越中詩郎
 木村健吾
木戸修12分47秒
○木戸(キドクラッチ)越中×
後楽園ホール1987年4月8日
 デイック・マードック7分43秒 両者リングアウト横須賀市民総合体育館1987年4月11日
 越中詩郎10分43秒 片エビ固め広島サンプラザ1987年4月13日
 バッドニュース・アレン7分44秒 反則勝ち玉野総合体育館1987年4月14日
× マット・ボーン
 デイック・マードック
藤原喜明12分47秒
○マードック(首固め)藤原×

新見市体育館
1987年4月15日
 バッドニュース・アレン
 C・B・ビガロ
木戸修8分34秒
○ビガロ(体固め)木戸×
米子産業体育館1987年4月16日


第2次UWF






















































































































































































勝敗対戦相手試合結果会場開催年月日 備考

日本の旗 山崎一夫
24分56秒 片羽締め後楽園ホール
1988年5月12日

第2次UWF旗揚げ戦

日本の旗 高田延彦
25分18秒 片羽締め札幌中島体育センター1988年6月11日

オランダの旗 ジェラルド・ゴルドー
4R1分10秒 裏アキレス腱固め有明コロシアム1988年8月13日
異種格闘技戦

日本の旗 山崎一夫
10分50秒 KO博多スターレーン1988年9月24日
×
日本の旗 高田延彦
20分4秒 TKO露橋スポーツセンター1988年11月10日

イングランドの旗 ノーマン・スマイリー
8分42秒 片羽締め大阪府立体育館1988年12月22日

日本の旗 高田延彦
28分58秒 逆エビ固め日本武道館
1989年1月10日


アメリカ合衆国の旗 バート・ベイル
10分44秒 腕十字固め
徳島市体育館
1989年2月27日

日本の旗 山崎一夫
12分43秒 ドクターストップ後楽園ホール1989年4月14日

オランダの旗 クリス・ドールマン
4R30秒 膝十字固め
大阪スタヂアム1989年5月4日異種格闘技戦

日本の旗 山崎一夫
13分36秒 横三角絞め東京ベイNKホール1989年5月21日

日本の旗 高田延彦
20分5秒 足首固め愛知県体育館1989年6月14日

日本の旗 安生洋二
10分42秒 逆片エビ固め博多スターレーン1989年7月24日

日本の旗 藤原喜明
18分15秒 TKO横浜アリーナ1989年8月13日

アメリカ合衆国の旗 ジョニー・バレット
6分49秒 チキンウイングフェースロック

長野市運動公園総合体育館
1989年9月7日

日本の旗 宮戸成夫
6分15秒 腕ひしぎ逆十字固め後楽園ホール1989年10月1日

日本の旗 田村潔司
2分19秒 レフェリーストップ札幌中島体育センター1989年10月25日

オランダの旗 ウィリー・ウィリヘルム
2R1分28秒 膝十字固め東京ドーム1989年11月29日異種格闘技戦
×
日本の旗 高田延彦
23分4秒 裏アキレス腱固め日本武道館
1990年1月16日


日本の旗 藤原喜明
14分14秒 裸絞め大阪府立体育館1990年2月9日

日本の旗 山崎一夫
9分52秒 裏アキレス腱固め
南足柄市体育センター
1990年2月27日

日本の旗 中野龍雄
7分42秒 膝十字固め博多スターレーン1990年4月15日

日本の旗 船木誠勝
18分2秒 片羽締め日本武道館1990年5月4日

日本の旗 鈴木みのる
13分11秒 裸絞め宮城県スポーツセンター1990年5月28日

日本の旗 高田延彦
18分2秒 膝十字固め大阪府立体育館1990年6月21日
×
日本の旗 藤原喜明
12分47秒 脇固め
札幌中島体育センター1990年7月20日

日本の旗 安生洋二
13分52秒 裏アキレス腱固め横浜アリーナ1990年8月13日

日本の旗 高田延彦
10分35秒 飛びつき逆十字固め愛知県体育館1990年9月13日

日本の旗 船木誠勝
16分56秒 裸絞め大阪城ホール1990年10月25日


リングス




























































































































































































































































































































































































勝敗対戦相手試合結果会場開催年月日 備考

オランダの旗 ディック・フライ
11分5秒 逆片エビ固め横浜アリーナ
1991年5月11日

リングス旗揚げ戦
×
オランダの旗 ディック・フライ
8分1秒 TKO大阪府立体育館1991年8月1日

オランダの旗 ウィリー・ウィリヘルム
10分00秒 膝十字固め札幌中島体育センター1991年9月14日

ロシアの旗 ヴォルク・ハン
12分14秒 足首固め有明コロシアム1991年12月7日

オランダの旗 ディック・フライ
9分19秒 足首固め東京ベイNKホール
1992年1月25日


ジョージア (国)の旗 ブザリアシビリ・ラマジ
11分18秒 逆片エビ固め尼崎市記念公園総合体育館1992年3月5日

日本の旗 木村浩一郎
5分00秒 エキシビジョンマッチ
東京体育館1992年3月26日
格闘技オリンピック
×
ロシアの旗 ヴォルク・ハン
17分28秒 ヒザ固め広島サンプラザホール1992年4月3日

オランダの旗 ハンク・ニューマン
5分25秒 KO有明コロシアム1992年5月16日

オランダの旗 ハンス・ナイマン
6分35秒 足首固め宮城県スポーツセンター1992年6月25日

アメリカ合衆国の旗 ウィリー・ウィリアムス
3R2分3秒 足掛け腕ひしぎ固め大阪府立体育館1992年7月16日

ロシアの旗 アンドレイ・コピィロフ
18分18秒 腕ひしぎ十字固め横浜アリーナ1992年8月21日

ロシアの旗 ヴォルク・ハン
23分27秒 TKO名古屋レインボーホール1992年10月29日
メガバトルトーナメント1回戦

ブルガリアの旗 ディミータ・ペトコフ
8分11秒 膝固め大阪府立体育館1992年11月13日
メガバトルトーナメント2回戦
×
オランダの旗 クリス・ドールマン
10分41秒 膝固め有明コロシアム1992年12月19日
メガバトルトーナメント準決勝

オランダの旗 ヘルマン・レンティング
8分58秒 膝十字固め東京ベイNKホール
1993年1月23日

メガバトルトーナメント3位決定戦

ブルガリアの旗 ソテル・ゴチェフ
6分16秒 逆片エビ固め福岡国際センター1993年10月23日
バトルディメンションT1回戦

オランダの旗 ヘルマン・レンティング
5分54秒 肩固め両国国技館1993年11月18日
バトルディメンションT2回戦

オランダの旗 クリス・ドールマン
7分00秒 腕ひしぎ十字固め大阪府立体育館1993年12月8日
バトルディメンションT準決勝

日本の旗 長井満也
5分02秒 膝十字靱帯固め新潟市体育館1993年12月25日

ジョージア (国)の旗 ビターゼ・タリエル
8分57秒 変形足首固め日本武道館
1994年1月21日

バトルディメンションT決勝

ロシアの旗 アンドレイ・コピィロフ
8分51秒 KO横浜アリーナ1994年3月19日

オランダの旗 ピーター・ウラ
7分12秒 腕ひしぎ十字固め広島サンプラザホール1994年4月23日

アメリカ合衆国の旗 ウィリー・ウィリアムス
2分38秒 腕ひしぎ十字固め仙台市体育館1994年5月17日

ロシアの旗 ヴォルク・ハン
18分06秒 変形足首固め有明コロシアム1994年6月16日

オランダの旗 ディック・フライ
2分54秒 足首固め大阪府立体育館1994年7月14日

ジョージア (国)の旗 ツタハゼ・ザオール
4分16秒 交差式足首固め横浜文化体育館1994年8月20日
×
オランダの旗 ディック・フライ
2分54秒 TKO大阪府立体育館1994年9月21日

フィンランドの旗 トニー・ホーム
6分21秒 逆片エビ固め有明コロシアム1994年11月19日
メガバトルT1994 3回戦

日本の旗 山本宜久
9分47秒 アキレス腱固め愛知県体育館1994年12月16日
メガバトルT1994 準決勝

日本の旗 山本宜久
11分44秒 アキレス腱固め新潟市体育館1994年12月24日
×
ロシアの旗 ヴォルク・ハン
14分19秒 踵固め日本武道館
1995年1月25日

メガバトルT1994 決勝
×
オランダの旗 クリス・ドールマン
3R 51秒 腕ひしぎ十字固めアムステルダム1995年2月19日
サンボジャケットマッチ

オランダの旗 ディック・フライ
5分38秒 踵固め有明コロシアム1995年3月18日

オランダの旗 クリス・ドールマン
5分26秒 踵固め東京ドーム1995年4月2日
週刊プロレス主催興行

ジョージア (国)の旗 ビターゼ・タリエル
6分25秒 裸絞め大阪府立体育館1995年4月28日

ロシアの旗 ニコライ・ズーエフ
10分10秒 裸絞め鹿児島アリーナ1995年5月20日

ロシアの旗 バロージャ・クレメンチェフ
3分36秒 裸絞め有明コロシアム1995年6月17日

ジョージア (国)の旗 ダヴィド・ハハレイシヴィリ
3分30秒 裸絞め大阪府立体育館1995年6月17日
×
ロシアの旗 アンドレイ・コピィロフ
9分29秒 膝靱帯固め東京ベイNKホール1995年8月27日

ロシアの旗 ヴォルク・ハン
9分41秒 腕ひしぎ十字固め札幌中島体育センター1995年9月22日

オランダの旗 ディック・フライ
4分58秒 アキレス腱固め福岡国際センター1995年10月21日
メガバトルT1995 1回戦

ジョージア (国)の旗 ビターゼ・タリエル
5分12秒 裸絞め愛知県立体育館1995年11月16日
メガバトルT1995 2回戦

オランダの旗 ハンス・ナイマン
3分48秒 膝十字固め大阪府立体育館1995年12月19日
メガバトルT1995 準決勝

日本の旗 山本宜久
17分59秒 踵固め日本武道館
1996年1月24日

メガバトルT1995 決勝

ロシアの旗 アンドレイ・コピィロフ
4分59秒 腕ひしぎ十字固め愛知県立体育館1996年10月25日

日本の旗 藤原喜明
10分55秒 裸絞め大阪城ホール1996年11月22日

ロシアの旗 バロージャ・クレメンチェフ
3分17秒 裸絞め福岡国際センター1996年12月21日

アメリカ合衆国の旗 モーリス・スミス
5分35秒 前方首折り固め日本武道館
1997年1月22日


日本の旗 田村潔司
7分54秒 裸絞め東京ベイNKホール1997年3月28日
×
ロシアの旗 ヴォルク・ハン
8分47秒 膝固め大阪府立体育館1997年4月22日

ジョージア (国)の旗 ビターゼ・タリエル
7分18秒 裸絞め宮城県スポーツセンター1997年5月23日

オランダの旗 ハンス・ナイマン
9分4秒 首決め固め大阪府立体育館1997年7月22日

日本の旗 高阪剛
9分14秒 首決め固め鹿児島アリーナ1997年8月13日

ロシアの旗 アンドレイ・コピィロフ
8分32秒 裸絞め札幌中島体育センター1997年9月26日

ロシアの旗 ニコライ・ズーエフ
5分17秒 顔面絞め東京ベイNKホール1997年10月25日
ワールドメガバトルT1997 1回戦

日本の旗 長井満也
17分00秒 首決め固め大阪府立体育館1997年11月20日
ワールドメガバトルT1997 2回戦
×
日本の旗 田村潔司
14分14秒 腕ひしぎ十字固め福岡国際センター1997年12月23日
ワールドメガバトルT1997 準決勝

ロシアの旗 ヴォルク・ハン
4分24秒 膝十字固め日本武道館
1998年1月21日

ワールドメガバトルT1997 3位決定戦
×
ロシアの旗 ヴォルク・ハン
5分43秒 腕ひしぎ十字固め大阪府立体育館1998年4月16日

日本の旗 山本宜久
20分00秒 引き分け横浜アリーナ1998年7月20日
×
ロシアの旗 アレキサンダー・カレリン
2R終了10分00秒 判定負け横浜アリーナ
1999年2月21日
引退試合


人物


  • 2006年12月、15年来の親友であったフリーカメラマンの女性と入籍した(2007年3月3日に自身のブログで発表)[19]。2007年5月には長男が誕生。2009年1月17日に結婚披露宴を行った。

  • 現役引退後に自身が在日韓国人三世(韓国名:高 日明 コ イルミョン)であることを公にした。後に韓国訪問での体験などを経て帰化を決意。1983年に日本に帰化申請を行い、翌年受理された[20]

  • 中学生の時に両親が離婚。父親について行き兵庫から大阪に引っ越したが、父親は二ヶ月に一度くらいしか家に帰らず、前田は貧困と孤独と一階の町工場からの騒音と煙に苦しめられた。そんな精神状態の唯一の心の安らぎは旧日本軍の戦記物を読む事で、中学卒業後に自衛隊入隊かタンカーの船員になろうと考えたが、自衛隊も高等専門学校も日本国籍を有する事が応募資格であり、先述の事情からかなわなかった[1]

  • 父は終戦直後の19歳くらいの頃、買い出しに行った帰りの列車で連結部分に掴まり、それを起因とした事故で左腕が不自由になっていた。父は前田が中学3年生になったあたりから日本の家庭とは別に持っていた韓国の家庭の元へ出かけていたという。父は左腕が不自由であったがその分右腕を鍛えていたため腕っ節が強く、空手を習い始めていた中学時代の前田の70kgの体を右腕一本で吊り上げ、組手でも前田をボコボコにしたという。後年の前田の分析によると前田の父親は「発達障害の元祖」とのことであり、常識的なコミュニケーションを知らない人物であった[21]

  • 自分のことを「引きこもりが社会問題化する前から引きこもり的な要素があった」と2019年のインタビューで分析を披露しており、自分の家のレイアウトも家から出なくても何でもできるように調整されているという[22]

  • 自身をストリートファイトで1万戦無敗と称している[23]

  • 新日本デビュー当時のリングネームは「前田明」であったが、旧UWF旗揚げ時にリングネームを本名の「日明」に改名した。祖父への思いから「前田日明」に改名したと、後に「週刊プレイボーイ」で語っている。また、リングネームを本名に改名した当時の週刊プロレスの巻末クイズには、「Q.前田日明の日はどういう意味? A.日本という意味」と記載されている。


  • 1987年7月には極真会館の空手道選手・松井章圭と巻頭対談が『ゴング格闘技』八月号誌上で行われ、彼らは極真会館の空手家でキックボクサーの山崎照朝から直接指導受けたときの体験を語り合い、前田は山崎の人柄や指導内容を尊敬していると語っていた[24]

  • 近年の若手レスラーに対しては批判的なスタンスをとることが多いが、KENTA(現ヒデオ・イタミ)だけはその反骨的なスタイルが気に入ったのか、高い評価を与えている(月刊Gスピリッツ Vol.3より)。

  • 『ウルトラマン』がゼットンに倒された事が格闘技を始めるきっかけとなったが、2014年1月29日のニコニコ生放送で行われた「ウルトラマン Blu-ray BOX III」発売記念番組にてゼットンとの対決が実現している[25]

  • 前述の少年時代にケンカに明け暮れていた頃、下位の力士に喧嘩を売ろうとしてたら当時横綱だった輪島大士に遭遇した、遠目で見ていてもあまりにも凄い威圧感を受けたためたじろいでしまった、後に輪島がプロレス転向した際は複雑な心境だったとのこと(その当時すでに前田はトップレスラーだったため)[26]

  • ダイナマイト・キッドが死去した際、キッドを苦しめたアナボリックステロイドなどの薬物の害について「新日は選手のケアがしっかりしていたからともかく、1970年代のアメリカやカナダのレスリング界なら試合に穴を開けたら使ってもらえなくなり何の保証もないため、もしアメリカやカナダで活動していたなら俺も薬物を使用していたかもしれない」と語り、キッドに同情を寄せていた。また、1970年代のアメリカやカナダのレスラーにおける薬物事情に関して「当時のレスラーの中ではアンフェタミンが流行していたが、使用すると眠れなくなるので睡眠薬を飲み、起きられなくなるのでまたアンフェタミンを使用する」「1回1錠の痛み止めを手に山盛りにしてビールと一緒に飲む選手もいた」と証言した。当時のアメリカやカナダのレスラーはレンタカーを1000kmから1500kmの距離走らせて会場から会場へ移動するのが日常茶飯事で、食事もジャンクフード中心であったため、薬物を使用しないと筋肉が育たないのは当然であったと述べている。その点日本でプロレスをやっていて精神を病むことは無いと話しており、もし日本でやって精神を病むのであればその者はプロレスに向いていないということであるとしている[27]


政治


2009年12月28日に2010年夏の参議院比例代表に民主党公認で出馬予定だったが[28]、2010年3月3日には第1次公認候補が見送られ[29]、同年3月21日には出馬辞退の意向が伝えられている[30]。理由としては、外国人参政権について本人は反対しており民主党との意見の違いがあったほか、党の出馬時の金銭的支援についての食い違いがあったという。また前田側は党の姿勢と石井一選対委員長に対し激怒した場面もあったとされる[31]


その後、民主党と連立与党を組む国民新党が前田と接触を持ち、参議院東京都選挙区に同党公認候補として擁立する方針を打ち出す[32]。しかし、東京都選挙区からの立候補を望む同党と、比例区からの出馬を希望する前田との意思は合致せず、結果、同党からの出馬もなかった[33]



趣味



  • 釣り - 釣りのために小型船舶も所有している。

  • 読書 - ポルノから哲学、戦記物まで読むというほど読書好き。特に太宰治や、孔子の論語に傾倒し、第二次UWFを旗揚げした際に「選ばれし者の恍惚と不安、二つ我にあり」という、太宰治が「葉」(『晩年』所収)で引用したポール・ヴェルレーヌの「叡智(Sagesse)」の言葉を、孫引きした挨拶を行っている。また、作家の山田詠美とも交流がある。


  • 日本刀の収集・研究。日本刀は50振以上所有している。また、日本刀に限らず、骨董品を見て回るのが好き(『オーラの泉』に出演したときに発言)。

  • 航空機が好きで、結婚した際「子供はパイロットにしたい」とコメントしている[19]。夢は零式艦上戦闘機で太平洋を横断することと語っている。テレビ番組「所萬遊記」で、所ジョージに「一緒にムスタングに乗りましょう」と誘っている。また、元帝国海軍中尉でエースパイロットの坂井三郎を慕っており、対談もおこなった。また富士通AirWarriorからフライトシミュレーターも続けている。2010年まではFighter Aceプレイヤーだったがサービスが終了してしまった。

  • 熱烈なMacintosh信者(エバンジェリスト)。数十MBが主流の時代に1,000MBを超えるメモリーを搭載したMacを使っており、Mac専門誌で取材されたことも有る。


  • サバイバルゲーム - M4カービンのカスタム等、複数の銃を所有し装備や銃等、本気モード全開で楽しんでいる模様。銃や装備は、本人がショップまで出向き、米軍放出品等こだわりを持って購入している。ゲームフィールドが開催する定例会等にも、THE OUTSIDERの選手や複数の関係者らと参加していることがあり、一緒にゲームを楽しめたりすることもある。


トラブル


  • 2000年5月、パンクラス社長だった尾崎允実(尾崎正実)が、リングスに出場していた外国人選手とホテルロビーの喫茶スペースで談話していたのを発見し、これを引き抜き工作と判断。尾崎の胸倉を掴み、その際に尾崎がかすり傷を負ったとして傷害罪で起訴された。前田は暴行の事実を否定し無罪を主張していたが、東京地方裁判所の山室恵裁判長は「粗暴で悪質な犯行だが衝動的なものだった」として、2003年4月22日に25万円の罰金刑を言い渡した[34]。その後、この事件とそれに絡む発言で民事提訴され、2002年6月7日に東京地方裁判所は前田に約155万円の支払いを命じた[35]。2003年1月22日に東京高等裁判所は前田の控訴を棄却[36]。ただし、この事件の際に尾崎と談話していたジェレミー・ホーンは「リングスに招聘されている時に、尾崎が連絡をよこしパンクラスへの参戦に興味はないかと聞いてきた。でもそれは日本の文化ではずるいやり方なんだ。前田は怒っていたよ。でも、彼は尾崎の肩を掴んで揺すっていたけど、弟の襟首を掴んでるような感じで暴力はふるっていなかった。だから前田が提訴されたという話を聞いて、僕は日本に飛んで彼の為に法廷で証言したんだ」と語っている[37]

  • 1994年に開催された極真空手トーナメント大会に前田が来賓として出席。そこに居合わせた『フルコンタクトKARATE』編集長・山田英司を会場の女子便所内の個室に連れ込んだ[38]。当時、山田はリングスを真剣勝負と八百長混在のプロレス、また前田と友好関係にあった正道会館を八百長と批判していた[39]。事件後、山田は「掌底をスウェーでよけた」「ヒザ蹴りをヒジで受けた」と格闘技経験が功を奏した旨を語ったが[40][41]、それに対し前田は「スウェーでかわした? なんなら、裁判官立会いで再現したろか」とコメントした。

  • 1994年にリングスとUWFインターナショナルとの対抗戦の交渉が不調に終り、元弟子でもある安生洋二との舌戦に発展する。その際、前田は安生を家族の前で制裁してやると発言するが、これが安生の自宅襲撃を示唆したものとして、UWFインターは名誉毀損と脅迫で前田を告訴。前田は謝罪会見を開いて事態を収拾した[42]。また、1996年6月にはFIGHTING TV サムライ開局のパーティーで前田が安生と言葉を交わし裏拳で小突いた[43][44](レスラーやマスコミ等が周囲にいる中での出来事で、アントニオ猪木が仲裁)。その3年後の1999年11月14日、UFC-J会場において、安生はマスコミと談話中の前田の背後に忍び寄り、後ろからの不意打ちでアゴを殴打。前田は失神し、この姿は衝撃的な事件としてプロレス誌の表紙を飾った。安生は襲撃直後にパンクラスの高橋和生(高橋義生)とガッチリ握手をかわす姿をプロレス誌に掲載されたが、安生、高橋ともに事件との関連性を否定している。その後、前田は安生を訴え、安生は略式起訴で20万円の罰金刑を受ける[45]。安生としては、殴った後に「文句があったらリング上でやろう」という話にするつもりだったという[46]

  • 2001年5月30日付の東京スポーツに「有罪判決 リングス前田 暴行女性は元妻」という記事が1面に掲載されたことに対し、500万円の損害賠償を求めた訴訟を起こす。東京地裁(菅野博之裁判長)は、『米国で有罪判決を受けた』事実、および前田が『暴行,結婚していた』ことは「真実と認められない」と判断し、東スポに200万円の支払いと謝罪広告掲載を命じた(2002年9月13日判決)。


入場テーマ曲


  • 「KATANA」

  • 「THE ROOM (BRAINWASH) PART ONE」 - リック・ウェイクマンのアルバム「1984」の4曲目。英国より凱旋帰国した時の入場テーマとして使用していたが、前年から既に小林邦昭の入場テーマ曲として定着しており、なぜ使用に至ったかは不明。

  • 「ダンバインとぶ」(歌詞は入れずブリッジで繫いで編集したものを使用)

  • 「キャプチュード」 - 前田の代表的な入場テーマ。「キャプチュード」が日本では呼称となってしまっているが、英語の実際の発音は「キャプチュード」とは程遠く、「キャプチャード」に近い。オリジナル音源はイギリスのプログレッシブ・ロック・バンドであるCamelの、1981年にリリースしたアルバム・ヌードの物語 〜Mr.Oの帰還〜(現地名:Nude)の11曲目として収録されている(アルバムについてはen:Nude (Camel album)を参照)。

  • 「JUST A HERO」 - リングス旗揚げ時に使用された新田一郎作曲のオリジナル曲だったが、すぐにキャプチュードに戻している。ただしWOWOWのリングス中継でのBGMとしては長期間に渡って使用された。


その他



テレビ・ラジオ



  • 森田一義アワー 笑っていいとも!(1988年9月19日、1991年6月6日、1993年11月5日、1995年3月23日、2001年2月8日)


  • SCHOOL'S OUT(1988年6月7日放送)山崎一夫とゲスト出演

  • 前田日明のオールナイトニッポン(1989年4月3日深夜)


  • ライオンのごきげんよう(1996年3月15・18・19日)


  • 真夜中のハーリー&レイス(2012年2月21日深夜)


  • くりいむクイズ ミラクル9(2014年11月12日)

  • 水曜日のダウンタウン


映画



  • YAWARA!(1989年、東宝)本人役


  • WARU(2006年、真樹プロダクション)主人公の友人役

  • タイトロープ ~アウトサイダーという生き方~(2013年、トラヴィス)本人役


ウェブ番組



  • ぶらり路上プロレス(2017年4月配信開始 、#16、Amazonプライム・ビデオ) - 伊橋剛太5番勝負対戦相手


CM


  • 西武百貨店


  • サントリー 缶コーヒー「サントリーウエスト」


  • 任天堂 NINTENDO64『ゼルダの伝説 時のオカリナ』[47]


  • リコー 「解決!リコーマン」(本木雅弘・小倉久寛・渡辺満里奈と共演)


著書


  • 『格闘王への挑戦』講談社、1988年、ISBN 4-06-204081-6

  • 『パワー・オブ・ドリーム』角川書店、1988年、ISBN 4-04-173701-X

  • 『誰のために生きるか』PHP研究所、1992年、ISBN 4-569-53635-2

  • 『最強の自分をつくる』PHP研究所、1994年、ISBN 4-569-54202-6

  • 『真格闘技伝説 RINGS』ピンポイント、1994年、ISBN 4-87031-189-5

  • 佐々木徹『無冠 前田日明 』集英社、1998年、ISBN 408780285X

  • 山本小鉄・前田日明『日本魂』講談社、2009年、ISBN

4062154024



連載


  • 前田日明の漢の人生相談 - ラジオライフ(三才ブックス)


参考文献



  • 流血の魔術・第2幕 プロレスは誇るべきエンターテインメント, 講談社, (2010), ISBN 978-4-06-216516-7 


脚注


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注釈


  1. ^ 高橋によればほとんどの選手が「あれを言ってはおしまいだ」などと同様の指摘を行っていたという。なお高橋によれば、長州は網膜剥離を起こし長期欠場。引退も危惧される状態であったという。また、猪木は前田を危険分子として見ていたのではないかとも指摘している。


出典

  1. ^ abc佐々木徹『無冠 前田日明』集英社

  2. ^ ab『THE WRESTLER BEST 1000』P143(1996年、日本スポーツ出版社)

  3. ^ ab“European Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年8月27日閲覧。


  4. ^ “NJPW 1983 The 4th Madison Square Garden Tag Team League”. Puroresu.com. 2018年5月19日閲覧。

  5. ^ abcd『Gスピリッツ Vol.32』P34-38(2014年、辰巳出版、ISBN 4777813304)


  6. ^ “WWF International Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年8月25日閲覧。


  7. ^ “The WWE matches fought by Akira Maeda in 1984”. Wrestlingdata.com. 2015年8月25日閲覧。


  8. ^ 山本小鉄・前田日明『日本魂』講談社


  9. ^ “UWF Opening Series - Tag 1”. Cagematch.net. 2015年8月27日閲覧。


  10. ^ “UWF Opening Series - Tag 5”. Cagematch.net. 2015年8月27日閲覧。

  11. ^ abcdeミスター高橋 2010, p. pp.48-52.


  12. ^ 週刊プロレス 2010年11月10日号


  13. ^ HERO'S 前田日明氏の発言に対する謝罪 HERO'S公式サイト 2007年10月5日(2007年10月11日時点のアーカイブ)


  14. ^ HERO'S 「K-1 PREMIUM 2007 Dynamite!!」第6試合 スポーツナビ(2008年1月3日時点のアーカイブ)


  15. ^ 前田日明氏がSV降板、アマMMA大会「THE OUTSIDER」開催へ スポーツナビ 2008年2月15日(2008年2月21日時点のアーカイブ)


  16. ^ 「ジョーがいたら俺が段平になる」前田が総合格闘技のアマチュアを確立する! angle JAPAN 2008年1月15日


  17. ^ THE OUTSIDER 参加者募集 RINGS公式サイト 2008年1月21日(2008年2月18日時点のアーカイブ)


  18. ^ 第1回THE OUTSIDERを、前田CEOは「70点」「(乱闘の数は)想定以下」と評価 angle JAPAN 2008年3月31日

  19. ^ ab【HERO'S】新婚の前田日明SV「息子にはパイロットになって欲しい」 格闘技ウェブマガジンGBR 2007年3月8日


  20. ^ 前田日明、在日コリアンの叫び【週刊 前田日明】 カクトウログ 2005年11月28日


  21. ^ 東邦出版『KAMINOGE』vol.85 pp.65-66


  22. ^ 東邦出版『KAMINOGE』vol.85 pp.64-65


  23. ^ 『週刊ゴング』1999年11月25日号


  24. ^ 北之口太 「大山の告白」『一撃の拳 松井章圭』 講談社(原著2005年4月20日)、第一刷、214頁。.mw-parser-output cite.citationfont-style:inherit.mw-parser-output .citation qquotes:"""""""'""'".mw-parser-output .citation .cs1-lock-free abackground:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/65/Lock-green.svg/9px-Lock-green.svg.png")no-repeat;background-position:right .1em center.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration abackground:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg/9px-Lock-gray-alt-2.svg.png")no-repeat;background-position:right .1em center.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription abackground:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/aa/Lock-red-alt-2.svg/9px-Lock-red-alt-2.svg.png")no-repeat;background-position:right .1em center.mw-parser-output .cs1-subscription,.mw-parser-output .cs1-registrationcolor:#555.mw-parser-output .cs1-subscription span,.mw-parser-output .cs1-registration spanborder-bottom:1px dotted;cursor:help.mw-parser-output .cs1-ws-icon abackground:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/4c/Wikisource-logo.svg/12px-Wikisource-logo.svg.png")no-repeat;background-position:right .1em center.mw-parser-output code.cs1-codecolor:inherit;background:inherit;border:inherit;padding:inherit.mw-parser-output .cs1-hidden-errordisplay:none;font-size:100%.mw-parser-output .cs1-visible-errorfont-size:100%.mw-parser-output .cs1-maintdisplay:none;color:#33aa33;margin-left:0.3em.mw-parser-output .cs1-subscription,.mw-parser-output .cs1-registration,.mw-parser-output .cs1-formatfont-size:95%.mw-parser-output .cs1-kern-left,.mw-parser-output .cs1-kern-wl-leftpadding-left:0.2em.mw-parser-output .cs1-kern-right,.mw-parser-output .cs1-kern-wl-rightpadding-right:0.2em
    ISBN 4062127423。



  25. ^ 前田日明、ウルトラマンの敵討ち!宿敵ゼットンを打ちのめす! シネマトゥデイ 2014年1月29日


  26. ^ 自叙伝『パワー・オブ・ドリーム』より。


  27. ^ 東邦出版『KAMINOGE』vol.85 pp.61-62


  28. ^ “前田日明氏、民主から参院選に出馬へ 女優・岡崎友紀氏も”. MSN産経ニュース. (2009年12月29日). オリジナルの2009年12月31日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20091231021507/http://sankei.jp.msn.com/politics/election/091229/elc0912290115000-n1.htm 


  29. ^ “前田日明氏、参院選1次公認見送り”. nikkansports.com (日刊スポーツ新聞社). (2010年3月4日). http://www.nikkansports.com/general/news/p-gn-tp3-20100304-602309.html 


  30. ^ “前田日明氏、民主からの参院選出馬辞退へ”. SANSPO.COM (産経デジタル). (2010年3月22日). オリジナルの2010年3月25日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20100325184848/http://www.sanspo.com/shakai/news/100322/sha1003220502000-n1.htm 


  31. ^ “小沢に嫌われた!? 前田日明、民主候補ハズシのワケは”. ZAKZAK (産経デジタル). (2010年3月4日). オリジナルの2010年3月7日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20100307122524/http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20100304/plt1003041611007-n2.htm 


  32. ^ “前田日明氏、国民新が東京で擁立 民主比例出馬は破談”. asahi.com (朝日新聞社). (2010年3月26日). オリジナルの2010年3月28日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20100328060601/http://www.asahi.com/politics/update/0326/TKY201003260440.html 


  33. ^ “前田日明氏、民主の次は国民新で出馬断念”. MSN産経ニュース. (2010年4月27日). オリジナルの2010年4月30日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20100430095623/http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/100427/stt1004271321005-n1.htm 


  34. ^ リングスの前田日明社長に傷害罪で25万円の罰金刑判決 asahi.com 2003年4月22日


  35. ^ 前田日明さんに賠償命令/暴行と名誉棄損で150万 四国新聞社 2002年6月7日


  36. ^ 前田日明の控訴棄却、155万円支払い命令 日刊スポーツ 2003年1月22日


  37. ^ http://www.bloodyelbow.com/2010/9/23/1705880/be-exclusive-jeremy-horn-on-japan-bellator-and-the-ufc


  38. ^ 『kamipro』No.146。山田英司インタビュー


  39. ^ 山田英司「前田日明を全否定せよ」『別冊宝島EX 格闘技死闘読本 「最強」を求めた愚か者たちの、荒ぶる魂の伝説!』宝島社、1994年、p.179


  40. ^ 『U.W.F.変態新書』エンターブレイン、2008年、p.171


  41. ^ 吉田豪『吉田豪のセメント!!スーパースター列伝』エンターブレイン、2006年、p.318


  42. ^ 鈴木健『最強のプロレス団体 UWFインターの真実』エンターブレイン、2002年、pp.20-22


  43. ^ 谷川貞治「疑惑の男FILE1 前田日明」『別冊宝島274 プロレス謎読本 リングのタブーを解き明かせ!』宝島社、1996年、p.97


  44. ^ 大谷泰顕監修『トリプルクロス 電撃プロレス=格闘技読本』メディアワークス、2000年、p.182


  45. ^ 「<略式命令>元プロレスラーー殴り負傷させたプロレスラーに罰金」『毎日新聞』2000年1月5日


  46. ^ 大谷泰顕監修『トリプルクロス 電撃プロレス=格闘技読本』メディアワークス、2000年、p.182


  47. ^ 前田本人が『スーパーマリオ64』などを好んでプレイしていたことから起用されたという。『64DREAM』1998年12月号



関連項目


  • 璞名館

  • みのもけんじ


外部リンク



  • RINGS.CO.JP(RINGS公式サイト)


  • グレーテストレスラーズ 前田日明(新日本プロレス公式サイト)


  • 前田日明 - SHERDOGのプロフィール (英語) ウィキデータを編集

  • プロレス最強王者列伝 第6回 前田日明

  • Cagematch Profile


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