マールバラ公


















マールバラ公

Coronet of a British Duke.svg

Arms of Winston Churchill.svg
創設時期
1702年
創設者
アン女王
貴族
イングランド貴族
初代
ジョン・チャーチル
現所有者
チャールズ・スペンサー=チャーチル
相続人
ジョージ・スペンサー=チャーチル(英語版)
相続資格
(1)初代公の嫡出男系男子、(2)初代公の長女及び彼女の嫡出男系男子、(3)初代公の次女以下の娘、および彼女らの嫡出男系男子、(4)初代公の長女の長女の嫡出男系男子、(5)初代公の長女の次女以下の娘、および彼女らの嫡出男系男子、(6)初代公のすべての娘の最年長者、および彼女の嫡出男系男子、(7)将来の子孫全て同様に
付随称号
ブランドフォード侯爵;
サンダーランド伯 (1733年より);
マールバラ伯;
スペンサー男爵 (1733年より);
チャーチル男爵;
チャーチル伯爵 (1722年まで)

マールバラ公爵(英語: Duke of Marlborough)は、イギリスの公爵位。イングランド貴族。モールバラとも表記される。


この爵位は1702年にスペイン継承戦争でイングランド軍司令官を務めた初代マールバラ伯爵ジョン・チャーチルに授与されたことに始まる。しかし初代公爵が女子しか残さなかったため、議会から特に許されて女系継承が行われ、3代公爵チャールズ・スペンサー以降スペンサー家によって代々世襲されるようになった。5代公爵ジョージはチャーチルの家名を復活させて「スペンサー=チャーチル」に改姓している。2018年現在の当主は12代公爵チャールズ・スペンサー=チャーチルである。


爵位をもっている分家にスペンサー伯爵家とチャーチル男爵家の2つが存在する。




目次





  • 1 歴史


  • 2 エピソード


  • 3 現当主の保有爵位


  • 4 マールバラ公(1702年)


  • 5 家系図


  • 6 脚注

    • 6.1 注釈


    • 6.2 出典



  • 7 参考文献


  • 8 関連項目




歴史





2011年のブレナム宮殿


ステュアート朝後期の軍人ジョン・チャーチル(1650-1722)は、1668年から1670年にかけてのモロッコとのタンジール戦争や1672年から1674年にかけての第三次英蘭戦争、1685年のモンマスの反乱鎮圧、1688年の名誉革命時の裏切りによる革命成功への貢献などにより一代にして急速に爵位を上昇させた[1]。1682年12月21日にスコットランド貴族爵位「バーウィック州におけるアイマスのアイマスのチャーチル卿 (Lord Churchill of Eyemouth, of Eyemouth in the County of Berwick)」、1685年5月14日にイングランド貴族爵位「ハートフォード州におけるサンドリッジのサンドリッジのチャーチル男爵(Baron Churchill of Sandridge, of Sandridge in the County of Hertford)」[2]、1689年4月9日に「ウィルトシャー州におけるマールバラ伯爵(Earl of Marlborough, in the County of Wiltshire)」に叙せられている[3]


彼の妻サラ・ジェニングスは、1702年に即位したアン女王から寵愛を受ける女官だったため、彼はこの年に始まるスペイン継承戦争においてイングランド軍最高司令官に任じられ、フランドルおよびバイエルンで目覚ましい戦果をあげた。ヴェンローやリエージュを占領した戦功で1702年12月14日にイングランド貴族爵位「ブランドフォード侯爵」(Marquess of Blandford)や「マールバラ公爵」(Duke of Marlborough)に叙せられた[3][4]


さらに1704年にはブレンハイムの戦いでフランス軍に大勝した戦功により、女王からロンドン近郊のウッドストックに2万5000エーカーの土地を与えられ、また女王の資金提供でマールバラ公の居宅となる宮殿が建設された。建造は1705年から開始されたが、完成は初代公爵の死後の1725年になってのことだった。この宮殿はブレンハイムの英語読みにちなんでブレナム宮殿と名付けられた[5]。ブレナム宮殿は歴代のマールバラ公に相続され、現在では世界遺産(文化遺産)に登録されている。


初代マールバラ公は男子を早くに失ったので、議会によって女系によっても爵位を相続させるよう爵位の継承条件を変更する特別の条令が定められ、長女のヘンリエッタ・チャーチル(1681-1733)が2代公爵となった。ただしこの際にスコットランド貴族爵位「バーウィック州におけるアイマスのアイマスのチャーチル卿」は廃絶している[2]。ヘンリエッタの次の継承権は妹のアン・チャーチルにあり、アンは3代サンダーランド伯チャールズ・スペンサーと結婚していたため、アンとサンダーランド伯の長男チャールズ・スペンサー(1706-1758)がサンダーランド伯の爵位に加えてマールバラ公の爵位を継承し3代公爵となった[6]


これよりマールバラ公爵家の姓はスペンサーとなるが、5代公爵ジョージ(1766-1840)は、1817年に初代公爵にちなんで「スペンサー=チャーチル」の複合姓に改姓した[7]。そのため5代公爵以降の子孫はしばしば姓をチャーチルとして略される。


3代公爵の甥にあたるジョン・スペンサーはホイッグ党の庶民院議員を務めて1765年にスペンサー伯爵に叙爵された[8]。この家系からはチャールズ皇太子の最初の妻だったダイアナ妃が出た[9]。また4代公爵ジョージの次男フランシス・スペンサー(英語版)の家系はチャーチル男爵家(1902年から2017年まではチャーチル子爵家)となっている[10][11]。このスペンサー伯爵家とチャーチル男爵家が爵位を有する分家である[12]。なお第二次世界大戦期のイギリスの首相ウィンストン・スペンサー=チャーチルは7代公爵ジョン(1822-1883)の次男で大蔵大臣・インド担当大臣を歴任したランドルフ・スペンサー=チャーチル卿の子であるため、爵位の無い分家にあたる。


現在、マールバラ公爵位に付属して継承される爵位はブランドフォード侯爵(1702年創設)、サンダーランド伯爵(1643年創設)、マールバラ伯爵(1689年創設)、スペンサー男爵(1603年創設)、チャーチル男爵(1685年創設)。このうち、サンダーランド伯爵とスペンサー男爵はスペンサー家に由来する。初代公はスコットランドの爵位であるチャーチル卿(1682年創設)も保有していたが、初代公の死で断絶している。イギリスの慣例により、その時点のマールバラ公爵の第一継承者である公の長男はブランドフォード侯、その継承者である長男の長男はサンダーランド伯を儀礼上の称号として名乗る。


一族のモットーは「不幸でも忠実に(Fiel Pero Desdichado)」[2]



エピソード


貴族に序せられた後、新参のマールバラ公をからかおうと他の貴族から「君は誰の子孫なのか、教えてもらえるかな?」と問われた時、彼はこう答えたと言われている。
「私は子孫ではない。祖先となるのです」



現当主の保有爵位


現在の当主である第12代マールバラ公爵ジェイミー・スペンサー=チャーチルは以下の爵位を保有している[2]



  • 第12代マールバラ公爵 (12th Duke of Marlborough)
    (1702年12月14日の勅許状によるイングランド貴族爵位)


  • 第12代ブランドフォード侯爵 (12th Marquess of Blandford)
    (1702年12月14日の勅許状によるイングランド貴族爵位)


  • 第14代サンダーランド伯爵 (14th Earl of Sunderland)
    (1643年6月8日の勅許状によるイングランド貴族爵位)


  • 第12代マールバラ伯爵 (12th Earl of Marlborough)
    (1689年4月9日の勅許状によるイングランド貴族爵位)


  • ウォリック州におけるウォームレイトンの第16代スペンサー男爵 (16th Baron Spencer, of Wormleighton in the County of Warwick)
    (1603年7月21日の勅許状によるイングランド貴族爵位)


  • ハートフォード州におけるサンドリッジの第12代チャーチル男爵 (12th Baron Churchill, of Sandridge in the County of Hertford)
    (1685年5月14日の勅許状によるイングランド貴族爵位)


マールバラ公(1702年)






















































肖像
爵位の代数
名前
(生没年)
受爵期間
備考

John-churchill-first-duke-of-marlborough.jpg
初代マールバラ公爵
ジョン・チャーチル
(John Churchill)
(1650-1722)


1702年12月14日
- 1722年6月16日

スペイン継承戦争のイングランド軍司令官
補給庁長官(英語版)(1689-1690)
貴族院議員(1685-1722)
補給庁長官(英語版)(1702-1712)

HenriettaMarlborough.JPG
第2代マールバラ女公爵
ヘンリエッタ・ゴドルフィン
(Henrietta Godolphin)
(1681-1733)


1722年6月16日
- 1733年10月24日
先代の娘
2代ゴドルフィン伯(英語版)フランシス・ゴドルフィン(英語版)の妻

3rdDukeOfMarlborough2.jpg
第3代マールバラ公爵
チャールズ・スペンサー
(Charles Spencer)
(1706-1758)


1733年10月24日
- 1758年10月20日
先代の妹の子
王室家政長官(英語版)(1749-1755)
王璽尚書(1755)
貴族院議員(1758-1817)

Georgespencer1739-3.jpg
第4代マールバラ公爵
ジョージ・スペンサー
(George Spencer)
(1739-1817)


1758年10月20日
- 1817年1月29日
先代の子
宮内長官(英語版)(1762-1763)
王璽尚書(1763-1765)
貴族院議員(1758-1817)

5thDukeOfMarlborough.jpg
第5代マールバラ公爵
ジョージ・スペンサー=チャーチル
(George Spencer-Churchill)
(1766-1840)


1817年1月29日
- 1840年3月5日
先代の子
庶民院議員(1790-1796,1803-1806)
貴族院議員(1806-1840)

Georgespencer1793.jpg
第6代マールバラ公爵
ジョージ・スペンサー=チャーチル
(George Spencer-Churchill)
(1793-1857)


1840年3月5日
- 1857年7月1日
先代の子
庶民院議員(1818-1820,1826-1835,1838-1840)
貴族院議員(1857-1883)

John Spencer-Churchill, 7th Duke of Marlborough.jpg
第7代マールバラ公爵
ジョン・ウィンストン・スペンサー=チャーチル
(John Winston Spencer-Churchill)
(1822-1883)


1857年7月1日
- 1883年7月4日
先代の子
枢密院議長(1867-1868)
アイルランド総督(1876-1880)
庶民院議員(1844-1845,1847-1857)
貴族院議員(1857-1883)

George Charles Spencer-Churchill00.jpg
第8代マールバラ公爵
ジョージ・チャールズ・スペンサー=チャーチル
(George Charles Spencer-Churchill)
(1844-1892)


1883年7月4日
- 1892年11月9日
先代の子
貴族院議員(1883-1892)

9th Duke of Marlborough.png
第9代マールバラ公爵
チャールズ・リチャード・ジョン・スペンサー=チャーチル
(Charles Richard John Spencer-Churchill)
(1871-1934)


1892年11月9日
- 1934年6月30日
先代の子
貴族院議員(1892-1934)

John Albert Edward William Spencer-Churchill, 10th Duke of Marlborough.jpg
第10代マールバラ公爵
ジョン・アルバート・ウィリアム・スペンサー=チャーチル
(John Albert William Spencer-Churchill)
(1897-1972)


1934年6月30日
- 1972年3月11日
先代の子
貴族院議員(1934-1972)

The Duke of Marlborough Allan Warren.jpg
第11代マールバラ公爵
ジョン・ジョージ・ヴァンダービルト・ヘンリー・スペンサー=チャーチル
(John George Vanderbilt Henry Spencer-Churchill)
(1926-2014)


1972年3月11日
- 2014年10月16日
先代の子
貴族院議員(1972-1999)

Marquess of Blandford Allan Warren.jpg
第12代マールバラ公爵
チャールズ・ジェイムズ・スペンサー=チャーチル
(Charles James Spencer-Churchill)
(1955-)


2014年10月16日
- 受爵中
先代の子

法定推定相続人はブランドフォード侯爵(儀礼称号)ジョージ・ジョン・ゴドルフィン・スペンサー=チャーチル(英語版)(1992年7月28日 - )



家系図





脚注


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注釈





出典




  1. ^ 松村赳 & 富田虎男 2000, p. 455.

  2. ^ abcdHeraldic Media Limited. “Marlborough, Duke of (E, 1702)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2015年12月10日閲覧。

  3. ^ abLundy, Darryl. “John Churchill, 1st Duke of Marlborough” (英語). thepeerage.com. 2015年12月10日閲覧。


  4. ^ 森(1987) p.253


  5. ^ 森(1987) p.253-255


  6. ^ 森(1987) p.257-258


  7. ^ 森(1987) p.260


  8. ^ Lundy, Darryl. “John Spencer, 1st Earl Spencer” (英語). thepeerage.com. 2014年12月3日閲覧。


  9. ^ 海保(1999) p.20-23


  10. ^ Lundy, Darryl. “Francis Almeric Spencer, 1st Baron Churchill of Whichwood” (英語). thepeerage.com. 2014年12月4日閲覧。


  11. ^ Lundy, Darryl. “Major Victor Albert Francis Charles Spencer, 1st Viscount Churchill” (英語). thepeerage.com. 2014年12月4日閲覧。


  12. ^ 海保(1999) p.24



参考文献


  • 海保眞夫 『イギリスの大貴族』 平凡社〈平凡社新書020〉、1999年。ISBN 978-4582850208。

  • 森護 『英国の貴族 遅れてきた公爵』 大修館書店、1987年。ISBN 978-4469240979。

  • 松村赳、富田虎男 『英米史辞典』 研究社、2000年。ISBN 978-4767430478。


関連項目




  • スペンサー家

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